うばかわ姫


 昔むかしあるところに、美しいお姫様がおりました。
 お母様である女王様もそれはそれは美しいお方ですが、このお姫様にはかないません。雪のように白い肌、血のように赤い唇、そして、真昼のお日様の光のように輝く金色の髪……そのどれもが国じゅうの女の誰よりも美しい、うら若いお姫様でした。
 お父様である王様はすでに亡くなっておりましたが、代わりにお母様が女王様になって国を治め、お姫様を大事に大事に育てていました。女王様も、お城の召使いたちも、お城の兵士たちも、みんなみんなこの美しいお姫様のことが大好きでした。
 お姫様のお部屋には、大きな鏡がありました。お部屋の壁にかけられた、お姫様の背丈よりも大きな鏡です。
 それはお姫様が生まれたとき、今は亡きお父様がお姫様に贈ってくれたものでした。大きくなったお姫様は、その鏡を亡くなったお父様の形見と思い、何よりも大切にしていました。
 実はその鏡は、ただ自分の姿を映すだけのものではありませんでした。その鏡にはなんと不思議な魔法がかけられていて、持ち主が望むものを何でも映し出してくれるのです。
 お姫様は毎日必ず鏡の前に立っては、「鏡よ鏡、この国で一番美しい人はだあれ?」と訊ねます。すると、不思議な鏡は、「それはお美しいお姫様、あなたでございます」と答え、にこにこ笑うお姫様の顔を映し出すのでした。
 魔法の鏡が国一番とほめたたえるお姫様の美しさは、とてもこの世のものとは思えません。あまりの美しさに、お姫様のことを知らない者は国に誰もおりませんでした。お姫様がお城の窓から美しいお顔を出すと、街の人たちはみな仕事の手を止めてお城を見ます。そして、美しいお姫様の顔を遠くから眺めては、ほう、とため息をつくのでした。

 そんなある日のことです。
 美しいお姫様はお城の塔に上り、窓からお外を見ていました。高い所にのぼって街や川、遠くの山々を眺めるのは、お姫様の大好きなことでした。
「あら、お城に誰かやってくるわ」
 見慣れない人がお城にやってきたことに、お姫様は気がつきました。今までお姫様が見たことのない人です。目をこらしてよく見ると、その人はボロボロの布を頭にかぶったお婆さんでした。
「あんなお婆さん、初めて見るわ。旅人かしら?」
 お婆さんは背丈がとても小さくて、腰は折れそうなほど曲がり、朽ちかけた木の枝を杖の代わりにして、ゆっくり、ゆっくりとお城に近づいてきます。
「ねえ、ちょっと」
 お姫様は仲良しのメイドを呼びました。もっぱらお姫様のお世話をしている仲良しのメイドは、お姫様より少し年上。とても働き者で明るい女の子でした。
「どうしたんですか、姫様?」
「あそこにお婆さんがいるのが見える?」
 お姫様は窓から城の入口を指さしました。お婆さんは門の手前で立ち止まり、お姫様の方を向いていました。国で一番美しいお姫様に気がつき、びっくりして見とれているのかもしれません。
「はい、見えますよ。あのお婆さんがどうかしましたか?」
「下におりて、あのお婆さんに旅人かどうか聞いてきてよ。それで、もし本当に旅のお婆さんだったら、あたしの部屋に呼んでちょうだいな。あたし、旅人のお話を聞くのが好きなの」
 と、お姫様はメイドに言いつけました。メイドはおじぎをすると階段を下り、言いつけ通りお婆さんに会いに行きました。
 お姫様も階段を下りて、自分の部屋に戻りました。どきどき、わくわくして、仲良しのメイドがあのお婆さんを連れてくるのを待ちました。
「この前に来たお爺さんのお話は、とっても面白かったわね。遠い遠いどこかの国では、よく晴れたお昼なのにお日様がいきなり真っ黒になったり、大きな川を水がさかのぼってきたりするんだって! あたし、そんなの見たことないわ」
 お姫様は少し前にお城にやってきた旅人のお話を思い出して、とてもいい気分になりました。
 大事に大事に育てられたお姫様は、今まで一度たりともお城のお外に出してもらったことがありません。行きたい、行きたいとお母様や召使いにいくら頼んでも、出してもらえないのです。
「いいかい、わたくしのかわいい娘、よくお聞き」
 お城のお外に出たいとおねだりするお姫様に、お母様はいつもこう言うのです。「お城の外には怖くて危ないものがいっぱいあるから、お前は決してここを出ていってはいけないよ。もしも美しいお前がお城の外に行けば、怖くて危ないものにさらわれたり、殺されてしまったりするだろうからね」と。
 そのたびにお姫様は怖くて怖くてたまらなくなって、もうお外に出たいなんて言わないと約束します。そして、しばらく辛抱しては、また忘れた頃にお外に出たいと言いだすのでした。
 そんなお姫様が好きなのは、塔の窓からじっとお外を眺めることと、自分のお部屋の壁にかかっている魔法の鏡を眺めること。そして、時おりお城にやってくる旅人の話を聴くことでした。
 どんなにお外に行きたいと頼んでも、決してお外に出してはもらえないお姫様。そんな鳥かごの中の小鳥のようなお姫様にとって、窓からお外を眺めたり、旅人のお話を聴いたりするのは何よりの楽しみだったのです。
 もしかしたらあの汚らしいお婆さんも、旅先で見聞きした素敵なお話をお姫様に聞かせてくれるかもしれません。お姫様がそわそわして待っていると、木のドアが音をたてて開いて、メイドが部屋に入ってきました。
「ただいま戻りました、姫様」
「どうだったの? あのお婆さんはどこか遠い街や国からやってきたの?」
「はい、そのようでした。しかも、ただの旅人ではないそうです」
「ただの旅人じゃない?」
 お姫様は首をかしげて、メイドに聞き返しました。「じゃあ、いったい何なの?」
「なんとあのお婆さん、自分は魔法使いだと言っています」
「魔法使い !?」
 お姫様はびっくり仰天。椅子の上で飛び上がりました。
「本当に魔法使いなの !? あたし、本物の魔法使いなんて初めて見たわ」
「私もです。嘘か真かわかりませんけど、お部屋の外で待たせています。お話を聞いてみますか?」
「聞く、聞く!」
 もう待ちきれません。お姫様はかわいらしい両手をぶんぶん振って、早くお婆さんをお部屋に入れるようにと命じました。
 再びドアが開いて、あの汚くて小さなお婆さんがお姫様の部屋に入ってきました。
「お婆さん、魔法使いなの !?」
 お姫様はお婆さんを木の椅子にかけさせると、大慌てで訊ねました。
「ひっひっひ……そうじゃよ。ワシは魔法使いじゃ」
 お婆さんはとても聞き取りにくいしゃがれ声で答えました。「あんたはこの国のお姫様かい? とっても綺麗な女の子だねえ」
 お婆さんは椅子に腰かけ、シワだらけの顔でにやにやと笑いました。ぼろ布にしか見えない上着を脱ぐと、その中から汚い子犬が現れます。お婆さんはこの汚い子犬と一緒に旅をしているようでした。
 お姫様は犬が大好き。抱っこさせてほしいと頼むと、子犬は自分からお姫様の腕に飛び込んできました。子犬の体についていた泥で白いドレスが汚れますが、お姫様はそんなの気にしませんでした。
「あたし、旅をしている人のお話を聴くのが好きなの。本物の魔法使いだったら、ほかの旅人よりも、もっともっと珍しくて面白いお話を聴かせてくれるんじゃない? ねえ、お願い。お話を聴かせてよ」
「ひっひっひ……いいじゃろう。こんな綺麗なお姫様と話をすることなんて、そうそうあるまい。遠い国の珍しくて面白い話が好きだというなら、たっぷりと聴かせてやるぞ」
 お婆さんはときどき咳き込みながら、聞き取りにくいしゃがれ声で話を始めました。若い頃から旅をつづけて多くの国に立ち寄ったというお婆さんのお話は、どれもお姫様が聞いたことのないような、不思議なお話ばかりでした。
 月からやってきて、また月に帰っていったお姫様のお話。死ねない体になって、いつまでも人々の血を飲みつづけるかわいそうな王様のお話。いっぺんに十も空にのぼったお日様を、一つだけ残して、すべて矢で撃ち落とした男のお話……。
 お姫様はひとつお話が終わるたびに大喜びして、次のお話を聴かせてほしいとお婆さんにせがむのでした。
 お婆さんのお話はとても数が多くて、いつまでもいつまでも続きます。仲良しのメイドは自分の仕事をするために、お姫様のお部屋を出ていきました。お姫様とお婆さんは、二人っきりになりました。
「ありがとう! お婆さんのお話、とっても面白かったわ!」
 いくつ目かのお話を聴き終えたお姫様は、大喜びしてお婆さんに言いました。「ねえ、ほかには? もっと珍しくて面白い、ほかのお話も聴かせてよ!」
「ひっひっひ、いいじゃろう。じゃがワシの話を聴くよりも、自分の目で見た方がもっと面白いぞ」
「自分の目で見る?」
 お姫様は首をかしげました。お婆さんが遠い遠いよその国で見聞きした話はどれも面白いものばかりでしたが、お姫様はこのお城から出ることはできません。だから、お婆さんのように自分の目で見ることもできません。
 すると、お婆さんは短いナイフを取り出しました。銀色の光がきらりとお姫様の顔を照らします。
「ワシは魔法使いじゃと言ったろう。これは魔法のナイフでな。今からお前さんに面白いものを見せてやる」
「魔法のナイフ?」
「そうじゃ。このナイフを使うと、獣の皮をいともたやすく剥ぎ取れるのじゃ。ためしにこやつでやってみようかの」
 目をきらきらさせるお姫様の前で、お婆さんは子犬を抱き上げました。鋭いナイフを突きつけられ、子犬はおびえて鳴きました。
「ナイフでその子を刺してしまうの? かわいそう……」
「大丈夫じゃ。これは魔法のナイフだからの。血は出ないし、痛みもないわ。そして皮を剥いでも、また元に戻すことができるんじゃ。だから案ずることはない。安心して見ておれよ」
 子犬のお腹にナイフの先っちょが当たり、少しずつ体の中に入っていきます。美しいお姫様はおびえてどきどきしながらそれを眺めていました。
 どうやら魔法のナイフというのは本当のようです。いくら小さな子犬とはいえ、生きたまま刃物で体を切られたら、あまりの痛みに吠えたり暴れたりするはずです。ところが子犬はぴくりとも動かず、自分の毛皮の中をナイフの刃がすべっていくのを、ただじっと見ていました。
 やがて、ナイフは子犬の毛皮をのど元からお腹を通ってお尻の手前まで、真っ直ぐ切り裂いてしまいました。血はほんの少しも出ていません。お婆さんは骨ばった指で切り口を広げると、毛皮の中に手を差し入れます。
「少し気味が悪いかもしれんが、辛抱せいよ」
「な、何か出てきたわ……!」
 お婆さんが手を引き抜くと、真っ赤なものが握られていました。子犬の体の中から取り出したもの……それはぴくぴく動くはらわたでした。
「わたし、こんなもの初めて見るわ……」
「気をたしかに。よく見ておくんじゃな。このナイフで獣の体を切り裂くと、こんなふうに生きたままはらわたをたやすく取り出すことができるのさ。この丸っこいのが心の臓で、この白っぽいのが脳みそさね」
「はらわた、心の臓、脳みそ……うう、なんだか気味が悪くなってきたわ。ねえ、お婆さん。早くそれをこの子の体の中に戻してやってよ。元に戻せるんでしょう?」
「ああ、いいとも。お安い御用さ」
 間近で子犬のはらわたを見てしまった美しいお姫様は、すっかり気分が悪くなってしまいました。そんなお姫様の前で、お婆さんは子犬のはらわたを手で元のように詰め込みます。そして毛皮の切り口を指でなぞると、子犬の体はすっかり元通りになりました。
「わん、わん!」
 子犬は嬉しそうに鳴いて、お婆さんの腕の中から飛び下りました。そしてお姫様の部屋の中を力いっぱい駆けまわりました。
 とても不思議なことでした。ナイフで大きく切り裂かれたはずの子犬の体は、まったく元のようになってしまい、つい先ほど毛皮を裂かれはらわたを取り出されたようにはとても見えません。これは魔法のナイフだというお婆さんの話は間違いないようです。
「す、すごい……すごいけど、なんだか気分が悪いわ。夢でも見てたのかしら……信じられない」
 お姫様はぐったりして椅子にもたれかかり、青ざめた顔で言いました。
「これこれ、寝てはいかんぞ、お姫様。面白いのはこれからじゃ」
 お婆さんは魔法のナイフを手に、美しいお姫様の目の前にやってきました。そしてナイフをお姫様の白いのどに突きつけます。ぎらりと光るナイフの輝きに、お姫様のぼんやりした顔が引きつりました。
「な、何をするの !? いやあああっ」
 そう叫ぼうとしたとき、ナイフの鋭い刃が美しいお姫様ののどに突き刺さりました。悲鳴をあげようとしたのに、まったく声になりません。ほんの少し息を吐くことだってできませんでした。
「痛みはないじゃろ? これは魔法のナイフだからの。そこの壁にかかってる鏡と同じさ。どっちもワシがこしらえたんじゃ」
 お婆さんはシワくちゃの顔でにやにや笑い、ナイフの刃をお姫様ののどからお腹に向かってゆっくりとすべらせます。白い絹のドレスと一緒に、お姫様の綺麗な肌が一直線に切り裂かれていきました。
 お婆さんが言う通り、ちっとも痛みはありませんでした。血の一滴だって出やしません。でも、生きたまま体を切り刻まれるのは、とっても恐ろしいことでした。あまりの気持ち悪さに美しいお姫様のはらわたがひっくり返り、もどしてしまいそうになります。でもお姫様はぴくりとも動くことができませんでした。
 ナイフは美しいお姫様のお腹の下あたりまで切り開き、その切り口にお婆さんが骨ばった指を差し入れてきます。さっきの子犬と同じでした。美しいお姫様のお腹が大きく左右に開いて、お腹の中にお婆さんの手が入ってきました。
「や、やめて! あたしの体の中に手を入れないで! 誰か、誰か助けてえっ!」
 と、叫ぼうとするお姫様。でも動くことはもちろん、声を出すことだってできません。生きたままはらわたをつかまれる不思議な感じに、美しいお姫様は気をやってしまいそうでした。
 お腹の中をぐるぐる動かされ、お姫様の体の中の隅から隅まで、お婆さんの手が這い回ります。どくどく動く心の臓をつかみだされたあと、もっと上を触られました。頭の中を思いきり引っ張られて、ぷつん、と何かが切れる気がしました。すると、お姫様の目の前が真っ暗になりました。
「な、何 !? いったい何がどうなったの !?」
 お姫様はどうしていいかわかりませんでした。何も見えなくなり、何も聞こえなくなり、お婆さんが着ていたボロボロの服の臭いだってしなくなりました。自分の中にある何かがずるずると引きずられる感じだけがして、いっそう心細くなります。
 そのまま、どのくらいたったでしょうか。急にお姫様の目の前がぱっと明るくなりました。
「どうだい、お姫様。ワシの声が聞こえるかの?」
 見慣れた自分のお部屋の中にいることがわかって、お姫様はほっとしました。お婆さんのしゃがれた声もはっきりと聞こえます。
 お姫様は、どうやらあの子犬と同じように元に戻してもらったようです。お姫様はさっき感じたあまりの怖さに、お婆さんに文句を言ってやろうとしました。せっかく不思議なものを見せてもらっていい気分になったというのに、これでは台無しです。
 ところが、お姫様の体は、相変わらずぴくりとも動きませんでした。声をあげてお婆さんを叱りつけることだってできません。部屋の中は見えますが、なんだかさっきと比べて色合いがおかしくなっています。首を動かしてお婆さんを見つけることもできませんでした。
「こんなのおかしいわ。いったいあたしはどうなったの? 教えてよ、お婆さん」
 と、言いたくても言えないお姫様。もどかしい思いに苦しんでいると、急に目の前がくるりと回って、お婆さんのシワくちゃの顔が真ん中に映りました。
「ちゃんと見えるし、聞こえるようじゃな。どれ、お姫様、これが見えるかの?」
 お婆さんは一歩下がって、真ん中から端に寄りました。すると、お婆さんの陰に隠れていたものが見えます。それは明るい髪の、綺麗な綺麗な女の子でした。
 お姫様は不思議に思いました。この部屋にはお姫様のほか、お婆さんしかいないはず。メイドは部屋の外にいるはずですし、髪の毛の色や服だって違います。お姫様と同じ年ごろの、こんな綺麗な女の子が部屋の中にいるなんて、今までちっとも気づきませんでした。
 いったいどこの誰でしょうか。お姫様は知りたくなって、じっとその女の子を見つめました。女の子は椅子に腰かけて、お姫様の方を向いています。とても綺麗なお顔ですが、ぼんやりして何を考えているのかわかりません。なんだか、目を開けたまま寝ているみたいです。ぴくりとも動きませんでした。
 その女の子は綺麗な絹のドレスを着ていました。お姫様がびっくりしたのは、そのドレスが襟からお腹の部分にかけて、真っ二つに切り裂かれていることでした。いいえ、切れているのはドレスの生地だけではありません。ドレスの中にある女の子の肌も……。
 お姫様はびっくり仰天。
 信じられないことでした。女の子はのどからお腹の下まで、綺麗な肌を真っ直ぐ切り裂かれていたのです。きめ細やかな肌だけではなく柔らかそうな肉も切られ、ぽっかり開いたお腹の中がのぞいています。中には何もありません。そこにあるはずのはらわたも、心の臓も、何も入っていません。真っ暗です。
「こ、これはあたしっ !? あたしの体なのっ !?」
 ようやく、お姫様は気づきました。目の前の椅子に腰かけている女の子は、なんとお姫様その人だったのです。魔法のナイフに肌を裂かれ、生きたままはらわたを取り出された、空っぽの自分の皮をお姫様は外から見ているのでした。
「これがあたしの体……あたしの皮だっていうの !? じゃあ、ここにいるあたしは……?」
 再び怖くなってきたお姫様。中身のない自分の体が目の前にあるということは、いったい今の自分はどうなっているのでしょうか。さっきお婆さんに見せてもらった、子犬の気持ち悪いはらわたの姿を思い出しました。
「ひひひ……今の自分がどうなってるのか、知りたいかの? いいじゃろ、見せてやろう」
 お婆さんの不気味な声が聞こえてきて、また目がぐるりと回りました。今度は自分のがらんどうの体ではなく、壁にかかっている魔法の鏡が見えました。
 毎日見入って、「この国で一番美しいのはだあれ?」と訊ねると、「それはお美しいお姫様、あなたでございます」と答えて、お姫様の姿を映し出してくれた魔法の鏡。ところが今、それに映っているのは……。
 お姫様の思った通りでした。さっきの子犬のはらわたと同じ、気持ち悪い真っ赤な塊が鏡に映っていました。はらわたと、心の臓と、脳みそと、そのほかよくわからない肉の塊が寄せ集まっています。それが今の自分の姿であることに、お姫様は死んでしまいそうなほど気味が悪くなりました。
 鏡の隅に自分の空っぽで美しい体が映っていることに、お姫様はいっそう心を痛めます。赤ちゃんの頃から皆にその美しさをほめそやされ、それが当たり前だと思っていた美しいお姫様。毎日魔法の鏡で自分の美しさを確かめるお姫様にとって、自分がこのような化け物みたいな姿になってしまったのは信じられないことでした。綺麗なお顔のすぐ内に、まさかこんな気味の悪いはらわたが詰まっていようとは夢にも思いませんでした。
「こ、こんなのいやあっ! お願い、元に戻してっ! あたしをその皮の中に戻してぇっ!」
 と、言おうとして、ぴくりとも動けないことに、お姫様はとてもとてもがっかりしました。目は見えるし耳も聞こえますが、動くことはできません。話すこともできません。
「はらわただけでは目が見えんでな。死んだ牛の目と耳をつけてやった。少しは見えるし、聞こえておるじゃろ?」
 と、お婆さんが骨ばった指でさした先、まあるくてシワのあるお姫様の脳みその上に、目玉と耳がひとつずつついていました。それはお姫様の目と耳ではなく、死んだ牛の目と耳だといいます。今のお姫様は死んだ牛の目でものを見て、牛の耳で聞いているのです。
「こんなのひどい。あんまりよ。あたし、こんなもの見たくなかった……」
「子犬もお姫様も同じことじゃ。美しいものが美しいのは見た目だけで、その内には不気味なものがいっぱい詰まっておるものよ」
 と、お婆さんはお姫様のはらわたに言いました。「いくら見た目が美しくとも、中身が醜くては自分も周りも幸せにはなれぬ。それを決して忘れるでないぞ」
「お婆さんの言いたいことはわかったわ。わかったから、早くあたしを元に戻して!」
「まあ、待て。本当に面白いのはこれからじゃからの。よく見ておれよ」
 声を出せないお姫様でしたが、お婆さんはまるでお姫様の心の中を読み取ったかのように返事をして、また魔法のナイフを取り出しました。さっきの子犬のように、お姫様のはらわたを体の中に詰め込んで元に戻してくれるのか……と思いきや、お婆さんはなんと、それで自分ののどを刺しました。
 それから起こったのは、子犬やお姫様と同じことでした。魔法のナイフは痛みも血を流すこともなく、鏡の前に立ったお婆さんのシミだらけの肌を切り裂き、体の真ん中をお腹まで切り開きます。お姫様はお婆さんが何を考えているのかわからず、ただおろおろするだけでした。
 着ているボロボロの服ごと、体の前を大きく切り開かれたお婆さん。その大きな傷の中から、どす黒いはらわたがずるりとこぼれ落ちてきました。
 お婆さんのはらわたはもぞもぞと皮の外に出てきて、床にこぼれ、集まりました。お姫様は驚きました。子犬もお姫様もはらわただけで動くことはできないのに、お婆さんのはらわたはひとりでに動いているのです。  お婆さんのどす黒いはらわたは、ゆっくり、もぞもぞと部屋の中を進みます。そのうちに、目を動かせないお姫様からは、はらわたが見えなくなりました。
 どこに行くのかと思っていると、鏡にはらわたが映りました。お姫様のはらわたの横を通り過ぎ、お婆さんのはらわたが向かった先……そこにあるのは、お姫様の空っぽの体でした。
 お姫様ははっとしました。鏡の中でお姫様の空っぽの体にお婆さんのはらわたが近づき、お姫様の脚をよじのぼっていくのです。お婆さんのどす黒いはらわたがお膝にのぼって、白いドレスを汚すのを見て、お姫様はイヤな気持ちになりました。
 ですが、それどころではありません。今度はなんと、お婆さんのどす黒いはらわたがお姫様のお腹を開いて、体の中に入っていくではありませんか。ずるずる、べちゃべちゃと汚い音をたてて、お婆さんのはらわたはお姫様の綺麗なお腹の中にどんどん分け入っていきます。
「やめて、お婆さん!」お姫様は叫ぼうとしました。「それはあたしの体なの。お婆さんは入らないで!」
 お姫様は心の底からやめてほしいと願いました。でも、どうすることもできません。
 お姫様は怖くて怖くて、イヤでイヤでたまりませんでした。とても良くないことが目の前で起きているのに、それを止めることも、声をあげて助けを呼ぶこともできないのです。ただ神様に祈るだけでした。
 とうとう、お婆さんのはらわたは残らずお姫様の皮の中に収まってしまいました。
 お姫様はびっくりしました。それまでもびっくりすることばかりでしたが、今回のことはひときわ驚きです。
 それまでぴくりとも動かなかったお姫様の空っぽの体が、鏡の中でびくびくと震えだしたのです。震えが収まると、今度はぱっちりしたお目々がまばたきを始めました。
 それだけではありません。お姫様の白魚のような指が揺れました。お姫様の葉っぱのような手が動きました。お姫様の小枝のような腕が持ち上がりました。
 お姫様の体は、自分の肩から指先までが思ったように動くことを確かめました。そして、お婆さんの魔法のナイフで切り裂かれた傷を、か細い指で下から上へとなぞっていきます。すると、さっきの子犬の毛皮と同じように、お姫様の真っ白な肌が、そして絹のドレスが繋がり、たちまち元通りになりました。
 生きたままはらわたを引きずり出され、中身が空っぽになってしまった美しいお姫様の体。でも、それはもう空っぽではありませんでした。その綺麗な皮の中には、お婆さんのどす黒いはらわたが詰まっているのですから。
 お姫様の体がすっくと立ち上がりました。自分の可愛らしい両手をじろじろ眺め、さらさらの金色の髪をつまんで、にいっと笑いました。それは日頃のお姫様の朗らかな笑い方とはまるで違う、怖くて不気味な笑い方でした。
「ひっひっひ……思った通り、素晴らしい体じゃ。気に入ったぞ」
 まるで鈴の音のように透き通った声で、空っぽのお姫様の体は言いました。いや、そう言ったのはお姫様ではありません。お姫様の皮をかぶった、あの魔法使いのお婆さんが言ったのでしょう。
 でも、今のお婆さんは、もうあの汚らしいお婆さんには見えませんでした。
 お婆さんの顔はもう、あのシワくちゃでシミだらけの汚れた顔ではありません。お婆さんの声はもう、あの聞き取りにくいしゃがれ声ではありません。お婆さんの体はもう、あの臭くて汚らしい体ではありません。
 その美しい顔も声も、国で一番美しいお姫様のものに間違いないのです。美しいお姫様の皮をかぶったお婆さんは、もうどこからどう見ても、美しいお姫様その人にしか見えませんでした。
 雪のように白い肌、血のように赤い唇、そして真昼のお日様の光のように輝く金色の髪……そのどれもが国じゅうの女の人の誰よりも美しい、うら若いお姫様の皮を、中に入ったお婆さんのどす黒い脳みそが思い通りに動かしていました。
 お婆さんのどす黒い脳みそが足を動かそうとすると、美しいお姫様の体がその場でくるりと回ります。お婆さんのどす黒い脳みそが笑おうとすると、美しいお姫様のお顔がにやにやと笑います。お婆さんのどす黒い脳みそが、えいっ、とお腹の下に力を入れると、美しいお姫様の体はドレスの中ではしたなくおもらしをするのでした。
 自分の大事な大事な皮の中に汚いお婆さんが入り込み、勝手に体を動かしている。そのことにお姫様は大いに胸を痛めました。恥ずかしくて、腹立たしくて、たまりませんでした。
 でも、それを止める者は誰もいません。お姫様が「あたしの体を返して!」と言おうとしても、声のひとつも出せません。
 はらわただけになってしまったかわいそうなお姫様の隣に、お姫様の皮をかぶったお婆さんがやってきました。お姫様になったお婆さんは、まるで体を盗まれたお姫様に見せつけるかのように、ドレスの上から美しい体のあちらこちらをべたべた触りました。
「まだ乳も尻も小さいが……なに、母親があれだし、すぐに大きくなるじゃろ。ああ、楽しみじゃわ。国一番の美しさは、これからますます輝くぞい。ひっひっひ、ひっひっひっひ……!」
 下品に笑って、お姫様になったお婆さんは魔法の鏡の前に立ちました。「鏡よ鏡、この国で一番美しいのは誰じゃ?」
「それはお美しいお姫様、あなたでございます」
「そうじゃ、その通りじゃ! さすがワシが作ってやった魔法の鏡よ! ひっひっひ……国で一番美しいこの体は、今日からワシのものじゃ! 愉快、愉快!」
 か細い体を折り曲げ、お姫様になったお婆さんは、このうえなく楽しそうに大笑いしました。美しいお姫様の皮をかぶったお婆さんは、魔法の鏡に美しいお姫様その人だと認められました。もはやどこからどう見てもお姫様にしか見えないお婆さんは、いまやこの国で一番美しい女の子になってしまったのです。
 それを目にしたお姫様のはらわたは、めそめそ泣いてしまいそうになりました。脳みその上にのっている牛の目から涙がこぼれ、はらわたの上にぽとりぽとりと滴り落ちます。
「もうやめて、お婆さん。あたしの体を返して……」
 と、お姫様のはらわたが心の中でお願いすると、お婆さんのはらわたが詰まったお姫様の体が、くるりとそちらを向きました。
「おお、すまんすまん。すっかりいい気分になって、お前さんのことを忘れておったわい。お前さんのはらわたを、早く体の中に戻してやらんとな」
 お姫様のはらわたはほっとしました。さんざん不気味な悪ふざけをしてお姫様を悲しませたお婆さんですが、やっとお姫様を元に戻してくれる気になったようです。自分のものだったか細い腕にひょいと持ち上げられ、お姫様のはらわたは元の体に詰め込まれるのを待ちました。
 ところが、お姫様になったお婆さんは、あの魔法のナイフで自分の綺麗な皮を切り開こうとはしませんでした。ナイフをテーブルの上にほったらかしにして、お姫様のはらわたをお婆さんの体のところに運びます。
 魔法のナイフで切り開かれた、空っぽのお婆さんの体。シワくちゃでシミだらけ、虫がたかる臭くて汚らしい体が、ぽっかりと大きな口を開けてお姫様のはらわたを待っていました。
「もう悲しむことはないぞ。今、この皮の中に戻してやるでな」
「な、何をするの !?」
 お姫様のはらわたは慌てました。元の体……国一番の美しさを誇るお姫様の皮の中に戻してもらえると思っていたのに、これでは話が違います。お姫様になったお婆さんは、お姫様のはらわたをシワくちゃの体に押しつけました。
 ぷつんと音がして、また目が見えなくなりました。耳が聞こえなくなりました。きっと牛の目と耳がお姫様の脳みそからちぎりとられたのでしょう。何も見えず何も聞こえなくなったお姫様のはらわたが感じられるのは、ぐいぐいと穴の中に押し込まれる痛みだけでした。
「傷が塞がったぞ。ほれ、目を開けてみい」
 と、可愛らしい声が言います。耳が聞こえるようになったようです。お姫様のはらわたは勇気を出して目を開きました。すると目の前に、とてもこの世のものとは思えないほど美しいお姫様が立っていました。
「あ、あなたは……あたし !? ち、違うわ。あなたはお婆さんでしょう。あたしの皮をかぶった、あのお婆さんでしょう」
 お姫様のはらわたはうろたえました。ようやく声が出せるようになったのに、その自分の声が、しゃがれてとても聞き取りにくい声だったからです。
 おかしいのは声だけではありませんでした。自分の手に目を落とすと、真っ黒でシワだらけ。ところどころひび割れ、骨ばった手になっていました。それに、自分の体が臭います。虫がたかる汚い体は、これまた汚らしいぼろ布の服を着ていました。
「臭い。あたしの体、臭くて汚いわ。今のあたしはいったいどんな姿になってるの……きゃあっ !?」
 慌てて鏡の前に立とうとして、お姫様のはらわたは悲鳴をあげて転びました。脚が短くて歩きにくいだけでなく、折れ曲がった腰や背中のあちらこちらが痛みました。とても起き上がれそうにありません。
「おいおい、気をつけるんじゃぞ。骨でも折れたら、二度と歩けなくなるやもしれん」
 と、お姫様になったお婆さんは、にやりと笑って言いました。そして、お姫様のはらわたが詰まった体を優しく抱き上げます。
 お姫様に支えられ、はらわたは鏡の前に立ちました。魔法の鏡に映る自分の姿は、国で一番美しいお姫様のものではありませんでした。シワくちゃで体のあちらこちらが折れ曲がった、醜いお婆さんの姿でした。
「こ、これがあたし…… !? あたし、汚くてシワくちゃのお婆さんになってるじゃない! ひどい……ひどいわ」
 美しいお姫様のものだったはらわたは、醜いお婆さんの皮の中で泣きました。
「ひっひっひ、そうじゃ。その通りじゃ。お前さんは醜くて死にぞこないの婆さんになっちまったんじゃよ。今のお前さんを見て、美しいなんて言う者はもう誰もおるまい。ほれ、ためしにこの鏡に訊いてやろう」
 お婆さんのはらわたが詰まった美しいお姫様は、また鏡に話しかけます。
「鏡よ鏡、この国で一番美しいのは誰じゃ?」
「それはお美しいお姫様、あなたでございます」
「そうじゃ、その通りじゃ! ひっひっひ……何度聞いても嬉しいものよ! 愉快、愉快!」
 美しいお姫様は綺麗なお顔をぐにゃりと歪めて、不気味に笑います。お姫様は、鏡に映る自分の美しい姿に酔いしれたあと、今度は「鏡よ鏡、ではこの国で一番醜いのは誰じゃ?」と、問いかけました。
「それはそこにいるお婆さんでございます」
「そ、そんな……」
 醜い醜いお婆さんになったお姫様の目からは、ぽろぽろと涙がこぼれました。
 はらわたを取り出され、綺麗な皮を奪われてしまったお姫様は、もう誰が見ても美しいお姫様には見えませんでした。
 魔法の鏡は、もう国一番の美しさだとほめてくれません。世話をしてくれる仲良しのメイドも、お姫様を大事に育ててくれた女王様も、みんなみんな、醜いお婆さんになったお姫様を好きになってはくれないでしょう。
 ついさっきまで美しいお姫様だった女の子は、もはやお姫様ではありませんでした。生きたままはらわたを引きずり出され、老いさらばえたお婆さんの体の中に詰め込まれたことで、汚くて醜いお婆さんその人になってしまったのです。
「あたし、本当に醜いお婆さんになっちゃったの? こんなのイヤぁ……」
「そうじゃ、お前さんはもうお姫様ではない。ただのシワくちゃの婆さんよ。そして、今日からワシがお姫様じゃ。ここは今日からワシの城で、ワシの部屋。汚らわしいお前さんはここから出ていけ!」
 美しいお姫様は、床に這いつくばって泣きじゃくるお婆さんにそう言いました。
「そ、そんな……お婆さん、いったいどういうつもり? 返して! あたしの皮を返してよ!」
「イヤじゃ。もうこの美しい皮はワシのものじゃ。お前さんはずっとそのまま、醜い婆さんの姿でいるがいい!」
 美しいお姫様は、かわいそうなお婆さんを蹴飛ばしました。「ワシははじめからこうするつもりじゃったわ。あまりの美しさに国で知らぬ者はないお姫様の話を聞いて、その美しい皮をワシのものにしてやろうと思っておったんじゃ。ひっひっひ……いくら顔が綺麗でも、おつむの方は大したことがないのう。この通り、この美しい皮をまんまとワシに盗まれおって」
「ひどい、こんなのひどいわ。お願い、お婆さん。どうかあたしの皮をあたしに返して……」
「ええい、しつこい! 誰か、誰かおらぬか !?」
 美しいお姫様が大きな声でひとを呼ぶと、メイドが一人やってきました。毎日お姫様のお世話をしている、あの優しくて仲良しのメイドです。
「姫様、どうかしましたか?」
「この汚い婆さんをつまみ出せ! 二度と城の中に入れるでないぞ!」
 お姫様のあまりの剣幕にメイドはびっくりしましたが、美しいお姫様の言うことには逆らえません。嫌がるお婆さんの体をずるずる引きずって、お姫様のお部屋から追い出してしまいました。
「やめて、あたしよ! あたしはこの国の姫よ! 見た目はあのお婆さんだけど、中身はあたしなの! お願いだから信じてぇっ! 助けて、お母様ぁっ!」
 お婆さんは泣きわめいて頼みましたが、まさかこの醜いお婆さんの皮の中に、美しいお姫様のはらわたが入っているなんて、誰も夢にも思いません。怖い顔をした男の兵士たちがやってきて、お婆さんはお城の裏口からつまみ出されてしまいました。
 お婆さんがお城の外に連れていかれるのを見届けたお姫様は、自分の部屋に戻りました。皮の中にお婆さんの醜いはらわたが詰まった美しいお姫様は、満足そうな笑顔でお姫様の椅子に座ります。その足元には薄汚れた子犬が寝転がっていました。
 お姫様は子犬を抱き上げました。
「おお、お前を忘れておったわい。そうじゃな……おい、メイド、さっきのメイドはおらぬか?」
 お姫様の透き通るような声に応えて、仲良しの若いメイドが戻ってきました。いつになく手荒い旅人との別れに、メイドは首をかしげていました。いつものお姫様であれば、よその国の話をしてくれた旅人にお礼を言い、ごほうびを持たせて見送ったはずですから。
「姫様、見慣れないナイフがありますが……あのお婆さんのナイフでしょうか?」
 テーブルの上に置かれた魔法のナイフが、メイドの目にとまりました。お姫様はそのナイフを手にとり、うなずきました。
「うむ。実はあの婆さんが、ワシをこのナイフで殺そうとしたのじゃ。危ない、危ない。もう少しでワシは死んでしまうところだったわ」
「本当ですか !? お怪我はありませんか?」
 メイドは血相変えて、お姫様に近づきました。そんな優しいメイドののどに、お姫様は魔法のナイフを突き立てました。
「すまんのう。実は、ワシはお姫様ではないのじゃ。あの汚らしい婆さんが本物のお姫様よ。さっきあの婆さんが言っておったことは、すべて真のことなのじゃ」
 と言いながら、お姫様はナイフでメイドののどから胸、お腹にかけて切り裂いていきます。悲鳴はあがりませんでした。血も出ませんでした。メイドはびっくりした様子で固まっていました。
 ナイフの刃でメイドの体を真っ直ぐ切り裂きながら、お姫様は仲良しのメイドに話してやりました。この魔法のナイフで人や獣の体を引き裂き、はらわたを引きずり出せること、そして美しいお姫様と醜いお婆さんの中身を入れ替えてしまったこと、みんなそれに気がつかず、中身がお姫様のお婆さんの方をお城の外に追い出してしまったこと……。メイドはぴくりとも動かず、お姫様の話をただ黙って聞いていました。
 お姫様は、メイドのはらわたを引きずり出しました。そして、あの子犬の毛皮も再び引き裂いて、はらわたを取り出します。
「ひっひっひ……お前さんには、あのシワくちゃのお姫様のお供をしてもらおうかね。偽者ではなく本物のお姫様のお世話ができるのじゃ。さぞ嬉しかろう。のう?」
 お姫様は不気味に笑いながら、子犬の体の中にメイドのはらわたを詰めていきます。小さな小さなけだものの中に、メイドのはらわたをぎゅうぎゅうに詰め込みました。その様子は古くてボロボロのぬいぐるみの中に新しい綿を詰めるかのようでした。
 お姫様は子犬の体の中にメイドのはらわたを詰めるだけ詰めて、毛皮を閉じてやりました。廊下の兵士を呼んで、その子犬をあのお婆さんに渡してやるように言いつけます。何も知らない兵士はお姫様にうやうやしくおじきをして、子犬を持っていきました。
 お姫様のお部屋には、中身のないメイドの体と、少しだけ少なくなったメイドのはらわた、そして子犬のはらわたが残されました。お姫様はお部屋の中を見回して大きくうなずくと、子犬とメイドのはらわたをいっしょくたにしてメイドの皮の中に突っ込みました。
 傷が閉じて、メイドが目を覚まします。若いメイドは起き上がると、床に犬のように四つ足で立ち上がりました。
「あれ……? おいら、どうなったんだ?」
 メイドは不思議そうな顔で、床に這いつくばってきょろきょろしています。
「お前さんは、これからワシの召使いになるのじゃ。オスの子犬ではなく、ヒトの女としてな」
 世にも美しいお姫様は、犬のように四つんばいになったメイドを嬉しそうに見下ろしました。「ヒトの体になって驚いておるだろうが、安心せい。その女のはらわたを混ぜておる。体の中で馴染めば、すぐにふたつの脚で歩けるようになるじゃろう。その女と同じように考え、話すこともたやすいはずじゃ」
「え? あんたは姫様……いや、違う。魔法使いのお婆さんだろう? おいら、あんたが姫様の皮を盗むところを見ていたんだぜ」
「いやいや、ワシはこの国のお姫様じゃよ。この美しい顔を見てみい……どこからどう見ても、ワシが国一番の美しさのお姫様じゃろ? ひっひっひ……体が羽のように軽いわい。いい気分じゃ。これであのシワくちゃの婆さんの体とはおさらばよ」
「ああ、なんてひどい婆さんなんだ。あんなに美しい姫様の皮を盗んで、醜い婆さんの皮をかぶせるなんて。しかもおいらまで、犬じゃなくてヒトのメスにしちまって……なんてこった」
 まだふたつの脚で立ち上がることはできないのでしょう。メイドは床にへたり込み、おそるおそる自分の体を手で触りはじめました。「や、柔らけえ……これがヒトの体なのか。ああ、このおいらのお乳。おいらの母ちゃんのお乳みてえだ。それに、この大きなお尻だって……」
 自分の大きなお乳やお尻を揉みながら、メイドは顔が赤くなったり青くなったり、大忙しです。「俺、本当にヒトのメスになっちまったのか? こんなの困るよ……でも、なんだか気持ちよくなってきたぞ」
「ひっひっひ、浅ましい犬ころめ。気に入ったぞ。ヒトの女の何たるかを、これからみっちり仕込んでやるわい」
 ご主人様の前で自分の体をまさぐり、かん高い声をあげるメイドを、お姫様は叱りつけるどころか、メイドと同じように自分の美しい皮をべたべたと触りだしました。「今のワシはこの国で一番美しい女じゃが、まだ赤子を産める歳ではないからな。ちょうどいい、お前さんに適当な男を見つくろって、ワシの代わりに孕んでもらうとするかの」
「は、孕む? おいら、母ちゃんになるのか? ああ、母ちゃん、おいらの母ちゃん……」
 子犬のはらわたを詰め込まれた若いメイドは、自分が着ている服を力任せに引っ張り、服の中からこぼれ出てきた自分の大きなお乳を持ち上げました。「おいらの母ちゃん、なんでおいらを置いてっちまったんだよお? おいら、もっと母ちゃんのお乳を吸いたかったよお……」
 と言って、メイドはぽろぽろ泣きながら自分のお乳に噛みつきました。若くお乳の大きな女の人ですが、その皮の中に詰め込まれたのは、生まれてすぐに母親と生き別れになってしまったオスの子犬のはらわたです。たとえそれが自分の皮についているものであっても、目の前の大きなお乳が気になって仕方ないのです。
「ひっひっひ、犬ころの母親が恋しいか? じゃが、嘆くことはないぞ。これからはお前さんが母親になるんじゃからのう。このお姫様の体だって、これからワシが立派な女にしてやるわい。ああ、たまらんのう。ひっひっひっひ……」
 お姫様は鏡の前に立ち、メイドは床に這いつくばって、それぞれ自分の体をお行儀悪くまさぐります。つい先ほどまでの二人からは考えられないはしたない仕草で、お姫様とメイドは自分の新しい体を大いに楽しむのでした。
「ひっひっひ、愉快、愉快。ひーっひっひっひっ」
「ああ、ヒトのメスの体、びりびりするよおっ。こんなことしちゃ、もう元に戻れなくなるよおっ」
 二人がいやらしい声をあげて騒いでいると、お姫様の部屋のドアが開いて、豪華なドレスを身にまとった美しい女の人が入ってきました。それは美しいお姫様のお母様……この国の女王様でした。
「あなたたち、いったい何をしているの? これは…… !?」
「ひひひ、やっと来たか。遅かったのう」
 お姫様は、綺麗なドレスを脱いで裸になっていました。美しくもはしたない姿を女王様に見られてもうろたえることなく、この国で一番えらい女王様を相手に、舌を出してみせました。
「あなたは……」女王様は愛らしい娘をひと目見て、その中身が自分のかわいい娘ではないと気がつきました。「あなたは、大おば様ですね……?」
「そうじゃ。よく見破ったな、女王よ。久しぶりじゃのう。ひひひ……」
 美しいお姫様は不気味な笑顔であいさつしました。「お前さんの大事な大事なむすめごの綺麗な皮は、この通り、このワシがもらってやったわ。これからはワシがこの国のお姫様で、いずれはこの国の女王様じゃ。ただし、あやつが戻ってこなければ……の話じゃが」
「戻ってきますとも。ずいぶん甘やかしてしまいましたが、根は強い子ですから」
 女王様はお部屋の窓から外を眺めました。
 お城の高い高い壁の向こうに、ボロボロの服を着たお婆さんの小さな小さな背中が見えました。その薄汚れた頭の上には、これまた小さくて汚い子犬が乗っていました。
 女王様にはひと目でわかりました。あの小さくて汚いお婆さんが、自分のかわいい娘だと。
「とうとうこの日が来てしまったのですね。わたくしのかわいい娘……お城の外でたくさんのことを見てくるのですよ。そして、いつかわたくしのもとに帰っていらっしゃい」
「たしかお前さんはここに戻ってくるまで、三年ほどかかったかのう。旅に出る前のお前さんは、この娘によく似た、わがままなお姫様じゃったわ」
 美しいお姫様は女王様の美しい横顔を見上げて、偉そうに自分を指さしました。女王様はふんぞり返った自分の娘に、深く深く頭を下げます。
「大おば様……どうか、あの子がここに帰ってくるまで、あの子の身代わりをよろしくお願いします。あなた様は昔、わたくしと皮を取り替え、三年もの間、わたくしの皮を大事に守ってくださいました。きっと、わたくしの娘の皮も同じように守ってくださると信じております」
「ふん、古いしきたりじゃからな。じゃが、ワシも少しは楽しませてもらうぞ。せっかくこんなに若くて美しい皮を手に入れたんじゃからな」
 美しいお姫様は鼻を鳴らし、脱ぎ捨てたドレスを拾い上げました。子犬のはらわたを詰め込まれた若いメイドは、遊び疲れたのか裸になって床に寝ています。このメイドはあとで厳しくしつけなくてはならないでしょう。
「しかし、辛いしきたりよのう。ワシも昔はひいじい様に国一番の綺麗な皮を奪われ、小汚い爺さんの姿で追い出されたものよ。こんなしきたり、いったいいつまで続けるつもりじゃ?」
「王家が滅びぬ限り、続けよと。ご先祖様はそう書き残しておられます」
「まったく、難儀なことよのう……」
 再び白いドレスを着たお姫様は、魔法の鏡に向かって立ちました。その鏡はお姫様が生まれたとき、魔法使いのお婆さんが王様に頼まれて、作ってやったものでした。
「鏡よ鏡、この国で一番美しい人はだあれ?」と、美しいお姫様は、たわむれに訊ねました。
 すると不思議な鏡は、「それはお美しいお姫様、あなたでございます」と答え、にやにや笑うお姫様の顔を映し出しました。
「ひひひ、嬉しい。お母様、あたしこの国で一番美しいんだって!」
「この国で一番美しい……か」
 若い頃、自分が国じゅうの人々からそう言われた美しい女王様は、昔のことを思い出しました。国一番の美しさをたたえられた若い頃の女王様も、あの汚くて醜いお婆さんの皮を着せられ、遠い遠いところをたったひとりでさまよったのです。
「いっときの面の皮の美しさなど、すぐに損なわれてしまうもの。これからあの子は皮を綺麗にするのではなく、中を綺麗にすることを学ばなくてはなりません。わたくしの子です……それができると信じています」
 女王様の目から涙がこぼれました。お城を追い出されたあの汚くて醜いお婆さんが、これからどんな辛い目に遭うのか、女王様はよく知っていました。なにしろ、昔、自分が同じ目に遭ったのですから。
 それでも、どんなに辛いとわかっていても、追いかけて連れ戻すことはできませんでした。
「きっと帰ってくるのですよ。わたくしはここで、あなたの帰りをずっと待っていますからね」
 女王様のかけた声が、お婆さんの耳に届くことはありませんでした。

 お城を追い出されたお婆さんは、街はずれの道をとぼとぼと歩いていました。
 お婆さんは背丈がとても小さくて、腰は折れそうなほど曲がり、朽ちかけた木の枝を杖の代わりにして、ゆっくり、ゆっくりとお城から離れていきます。この国で一番醜いそのお婆さんの皮の中には、この国で一番美しいお姫様のはらわたが詰まっています。
 しかし、今のお婆さんを見て、誰も美しいとは思いません。街のみんなはお婆さんの中身に気づかずに、汚い婆さんだと言って追い払いました。
「どうしてあたしがこんな目に遭うの? あたし、この国で一番美しいお姫様なのに……」
 かわいそうなお婆さんはどこの家にも泊めてもらえず、腹ぺこで街を出ていきました。
 お姫様だったお婆さんには、もはや何もありませんでした。国で一番美しいとほめそやされたお顔も、高い塔のある大きなお城も、亡くなったお父様が贈ってくれた魔法の鏡もありません。優しいお母様や仲良しのメイド、召使いたちももうお城に入れてくれません。この日、お姫様は何もかもすべてをなくしてしまったのです。
 お婆さんは、とうとう力尽きて道ばたにへたり込んでしまいました。ふしぶしが痛む体で長い間歩き続け、もう立ち上がることもできません。いっそこのまま死んでしまった方がましだとさえ思いました。
 そのときです。子犬が死んだ小魚をくわえてきました。お婆さんが顔を上げると、目の前に小川がありました。そこで拾ってきたのでしょう。
「あたしにくれるの? ありがとう。お腹ぺこぺこなの」
 お婆さんは子犬にお礼を言って、小魚にかじりつきました。半分腐ってひどい臭いのするその小魚は、お城で食べたどんな豪華なご馳走よりもおいしいと思いました。
 子犬はお婆さんの顔をなめ、お婆さんをはげましているようでした。お婆さんはそれまで気にもしませんでしたが、この子犬はあのお城からずっとお婆さんについてきたのです。お婆さんがお城を出てはじめてのお友だちかもしれません。
「あたし、いったいこれからどこに行けばいいんだろう。ねえ、どうしよう?」
 お婆さんは汚い子犬に訊ねましたが、子犬は答えず、困ったように鳴くばかりでした。
 辺りはもう暗くなっていました。お婆さんは小川の冷たい水を飲み、硬い石にもたれて眠りました。お城のふかふかのベッドで寝るのを夢に見ながら、ぐっすり眠り込んでしまいました。
 あたりにはヒトの姿も、獣の姿もありません。ただ夜空のまあるいお月様だけが、お婆さんと子犬をじっと見守っていました。



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