人妻移植 1


 帰宅した健人が最初にしたのは、用を足すことだった。
 今日は冬らしく寒い一日だった。何度も喫茶店に立ち寄り、美也子に勧められるがまま温かい飲み物を喉の奥へと流し込んだ。当然、便所に行きたくなったが、運悪くどこの女子トイレにも行列ができていて、諦めざるを得なかった。尿道の短い女性の体は男ほど尿を溜めておけないため、気をつけるよう言われていたのを失念していた。
「どちらに行っても、女性のお手洗いは並ぶものです。これからは余裕をもって行動なさって下さい」
 美也子はいつもの事務的な口調でそう言いながら、車を飛ばして健人を邸に連れ帰ってきた。美也子も健人と同じ量の水分を摂取していたはずだが、彼女は一度も席を外すことはなく、健人と共にトイレに並ぶこともしなかった。生まれたときからずっと女をやっていると、ああいう風になれるものだろうかと健人は思った。
 健人が女になってから、教育係としての彼女の仕事は大幅に増えていた。以前は祖父の秘書を務めていたこともあるが、今は健人に付きっきりで女としての身だしなみや立ち居振る舞いを教えてくれている。
(また美也子さんに迷惑かけちゃったかな……)
 そんなことを考えながら、健人は自室の専用トイレに腰を下ろした。今日の健人はゆったりした紺のセーターに膝丈のスカート、黒タイツという装いである。慣れないグレーのスカートをわざわざ脱いでバスケットに入れ、艶めかしい脚線を覆うタイツと白いレースのショーツを下ろすと、陰毛の生い茂った秘所が露になった。
「んっ、おしっこ出る……僕のあそこ、女の人のあそこからおしっこが……」
 と独りごちるその声は、以前の健人のものではない。声帯も含めて首から下の体全てを交換したため、健人の声は大人の女性のものに変わり果てていた。服装も、声も、そして排泄も、何もかもが初心者だった。
 水音が途切れることなく続く視界の下を見やると、豊かな乳房の向こうに排尿を続ける女陰があった。分厚い肉の土手はやや黒みを帯びて、この体が三十路を過ぎた経産婦のものであることを主張している。子供を産んで十年近く経つ熟れた人妻の体は、今や健人の所有物になっていた。
「はあ……おしっこ、気持ちよかった。拭かなきゃ……」
 細く長い指で紙を千切り、濡れそぼった陰部に押し当てた。慣れ親しんだ小ぶりな男性器はどこにも存在せず、黒い茂みに覆われた女の入口が柔らかい紙に擦られる。陰部を撫でる心地よい感触に健人は吐息をついた。生理は数日前に終わったばかりで、下り物の心配は不要だった。
 我慢していた排尿をようやく終えた健人は、ショーツやタイツ、スカートを再び身に着けトイレから出た。その気配を察したのか、廊下で待っていた美也子がドアをノックし、部屋に入ってきた。いつ見ても同じ地味なスーツ姿だが、ネックレスやイヤリング、ストッキングが毎日替わるのを健人は知っていた。
「疲れてはいらっしゃいませんか、お嬢様?」
「うん、大丈夫。今日はとっても楽しかったよ、美也子さん」
 健人が笑顔を見せると、美也子は軽くうなずいて健人を椅子に座らせた。「それでは、御夕食までお勉強を始めましょう。教科書とノートをお出し下さい」
「ええっ?」健人は驚いた。時刻はまだ夕方には少し早いころで時間の余裕はあるが、今日の勉強は午前だけだと思っていたのだ。
「この春から、お嬢様も中学生になられます。お体のこともあってお勉強をあまりなさってきませんでしたから、早くご学友に追いつきませんと。旦那様に恥をかかせることにもなりかねません」
「うう、そっかぁ……僕、もうすぐ中学生になるんだね」
 健人は思い出したように言った。病気がちでほとんど学校に通ってこなかった健人だが、今はまったくの健康体だ。春からは邸から車で一時間ほどかかる距離の女子校に通うことが決まっていた。
 健人は筆記用具を取り出す手を止め、しげしげと己の肌を眺めた。血色のいい柔らかな女の手は、健人より二十歳も年上の子持ちの人妻のものだ。そして、卓上の鏡に映る自分の顔はあどけない十二歳の少年のもの。
 ろくに学校に行かなかった男児の自分が、これから女子中学生としてやっていけるのだろうか。成熟した人妻の肉体を手に入れた少年は、鏡と手元を交互に見比べてため息をついた。

 ◇ ◇ ◇ 

 広い豪邸の奥にある一室に、哲男と静香は通された。案内役の黒いスーツの女が「お連れしました」と言って二人を中に入れた。
「うむ、ご苦労だった。下がっていいぞ」
 そう答えた男の顔に、哲男は見覚えがあった。禿頭に立派な白い口ひげをたくわえたその男は、老齢を迎えてもいまだ衰えない鋭い眼差しで二人をにらみつけていた。
「哲男君と、奥さんの静香さんだね。よく来てくれた。さあ、座りなさい」
「は、はい。あの……雄大会長、ですよね?」
 体が震えるのを必死で隠しつつ、哲男たちは分厚い座布団に腰を下ろした。二人の前にいる背広姿の老人は、この国を代表する企業グループの会長、雄大だった。
 先代から受け継いだ会社をその剛腕で成長させ、一代で世界的な大企業へと育て上げた、今や世界でその名を知らぬ者はいないとさえ言われる伝説的な経営者である。ビジネスのみならず政治の世界にも顔がきき、与党の大物議員や大臣、海の向こうの大統領ですら彼の意向を無視することはできないと噂される。哲男が顔を覚えていたのも、雄大が頻繁にテレビで取り上げられているからだった。
 そんな雲の上の人物がしがないサラリーマンの哲男と向かい合い、ぎらぎらした眼光を突き刺してくるのだ。うだつが上がらない平社員の哲男が萎縮するのは当然だった。
 顔を横に向けると、静香も夫と同じく顔面蒼白だった。わずか数週間で人生の坂を猛スピードで転がり落ちている夫婦だが、ここで出会った雄大は地獄の仏か、それとも二人に極刑を言い渡す閻魔大王か。口の中がカラカラに渇くのを自覚した。
「自己紹介は不要のようだな」青ざめた顔を並べる哲男と静香に、雄大はよく通る声で話し始めた。「哲男君、君の借金を肩代わりしたのはこの儂だ」
「ええっ !?」
 哲男は仰天した。隣の妻も同じく目を見開き、信じられない様子である。
 驚き慌てる二人を、雄大は満足そうな表情で眺めた。
「君はいくつだったかな? 三十代そこそこ……その歳で返済を迫られるには、少々大きすぎる金額のようだったが」
「はい、その通りです……」
「なぜこんなことになったのかね。普通の会社員をしていたんだろう?」
「それが、その……友人の借金の保証人になりまして」
 哲男は情けなく首を垂れた。思い出すたび立腹と失望が抑えられない。
 始まりは半年ほど前のことだった。子供の頃からつるんでいた唯一無二の親友が会社を立ち上げ、融資の保証人を哲男に頼み込んできたのだ。
「悪いな、こんなことを頼めるのはお前だけだよ。絶対に迷惑はかけないから」
 と哲男に語った幼馴染は、会社の経営が傾くと家族も社員も放って姿をくらました。小さなベンチャー企業ではあったが、それでも哲男はとうてい返済不可能な額の借金を背負わされてしまった。長年信じていた相手に裏切られ、奈落の底に突き落とされたのだった。
 亡き両親が遺してくれた家と土地を手放し無一文になってもなお返しきれない負債に、哲男はどうすることもできなかった。毎日人目も構わず家や会社へやってくる借金取りに返済を迫られる生活に、哲男も家族も急速に疲弊していった。
 妻を風俗に売り飛ばすか、それとも怪しい業者に臓器を売るか、保険金目当てに自殺するか……選ぶことのできない選択肢を突きつけられ、とうとう一家離散を覚悟したある日、借金取りの代わりにスーツ姿の若い女が訪ねてきた。
「あなたの借金を代わりに返済してもいいと仰る方がいらっしゃいます。そのお方にお会いするため、今すぐ一緒に来て下さい」
 にわかには信じがたい話だった。何の取り柄もない貧乏人の借金を肩代わりする物好きがどこにいるだろうか。しかし女は強引に二人を車に押し込み、無理やり主のもとへと連れてきたのだった。車がこの郊外の邸に到着するまで、実は人身売買の組織のアジトに連れていかれるのではないかと疑っていたが、立派な邸宅を前にして哲男もようやく話を信じる気になった。
「なるほど……友人のために借金を背負わされたとは、君もつくづくお人よしだな」
 哲男の口から一部始終を聞いた雄大は得心したようだった。哀れな哲男に同情しているのか、それともひとを信じて騙された愚かさに呆れているのか、声音からは判別がつかなかった。
「それに、奥さんもよく逃げ出さずに借金まみれのご主人についてきたものだ。危機に陥ったときこそその人物の真価がわかるというが……素晴らしい奥さんではないか」
「そんな、滅相もないです」
 静香は土下座しそうなほどに深く頭を下げた。確かに雄大が指摘した通り、静香はどん底の境遇に置かれた夫を見捨てることをせず、最後の最後まで一緒にいようとしてくれた。それを思うと哲男の目頭が熱くなった。
「話はわかった。それでは、今度は君たちに儂の話をしなくてはならんな。なぜ君たちを助けてやる気になったのかを」
「ほ、本当に助けていただけるんですか……?」
 震える声で確認すると、雄大は鷹揚にうなずいた。
「うむ、哲男君の背負った借金、代わりに儂が全て返してやろう」そこで老人は一拍置いた。「ただし、それには条件がある」
 雄大の言葉は意外なものではなかった。何らかの合理的な理由がなければ、いくら並はずれた金と権力を持つ富豪でも縁もゆかりもない庶民をわざわざ助けてやろうとは思わないだろう。
「どんな条件ですか?」
「うむ、それは……実は哲男君、君ではなくて君の奥さんに関わることなのだ」
「静香ですか?」
 哲男は虚を突かれた。妻の静香は近所でも評判の器量よしで貞淑な妻だが、他に特筆すべきことはない平凡な子持ちの人妻である。財閥の当主の興味を引く要素を持ち合わせているとはとても思えなかった。
「どんな条件ですか !? 私、何でも致します!」
「やめろ、静香! 元はと言えば俺が……」
「いいえ、私にできることなら何でもします。主人を助けていただく条件とは何ですか !?」
 これ以上妻を厄介ごとに巻き込みたくないという哲男を遮り、雄大に問いただす静香。不幸で愚鈍な夫を助けようと彼女は必死だった。
「落ち着きなさい、奥さん。それを話す前に見せたいものがある。二人とも、こちらに来たまえ」
 雄大は不意に立ち上がると、襖を開けて廊下の奥へと夫婦をいざなう。しっかりした足腰で堂々たる振る舞いを見せる姿は、とても八十を過ぎた老人のものとは思えなかった。
 哲男と静香は顔を見合わせ、雄大の後ろをおそるおそるついていく。
「ここから先は既に人払いを済ませている。使用人たちの目を気にする必要はないから、安心してついてきなさい」
「はあ……」
 今までの人生の中で最も緊張する相手にリラックスしろと言われ、哲男は戸惑った。それでも静香の手を強く握ると、勇気を出して大股を広げ雄大を追いかけた。
 廊下を随分と歩いた末、三人は庭に出た。やはり広大で豪奢な庭園を速足で進むと、木々に隠れるような場所にある小さな離れにたどり着いた。
「ここだ、上がってくれ。健人、起きているか?」
「はい、お爺さま」
 屋敷の主の問いかけに、小さな離れの中から囁くような子供の声が返ってきた。障子を開けると、色白の少年が布団に寝ているのが見えた。
「孫の健人だ。健人、こちらは例の女性、静香さんとそのご主人だ。挨拶しなさい」
「はい、健人です。ようこそおいでくださいました……コホ、コホ」
 軽く咳をしながら、健人と名乗る少年はゆっくりと身を起こした。歳の頃は十二、三というところだろうか。小柄で痩せぎすの、生の活力をあまり感じさせない少年だった。寝間着の袖から覗く腕は、同年代の男児の半分ほどの太さしかない。触ったら折れてしまいそうだと思った。
「はじめまして、哲男です。こっちは妻の静香。今日はあなたのお爺さまに呼ばれてやってきました」
 見るからに病気の少年、健人に哲男は頭を下げた。血の繋がった雄大の孫のようだが、生気と力強さに満ち溢れる祖父とは正反対の、線が細い子供だった。
 ふと、哲男は娘のことを思い出した。哲男の一人娘は今年で九歳になる。母親に似て優しく可憐な小学生だ。今回の騒ぎに巻き込まれないようにするため、今は静香の両親に預かってもらっていた。
 哲男は身震いした。雄大に助けてもらわなければ、自分はそんな愛娘を残してこの世を去らなければならないところだったのだ。
「さて、先ほどの話の続きを始めるが……奥さん、あなたにお願いしたいのはこの健人のことだ」
「この子の?」
「単刀直入に言うと、この子のために貴女の体が欲しい。貴女の体を孫に譲ってやってくれないか」
「何だって !?」
 予想もしなかった命令に飛び上がったのは哲男である。体が欲しいとは、一体どういうことなのか。
「君たちはヘドシュワートという薬を知っているかね?」
 突然話題を変えた雄大に、二人は顔に疑問符を浮かべた。「いえ、知りません」
「うむ、そうだろうな。ヘドシュワートというのは、うちの関連企業が開発した新しい医薬品でな。まだ試験段階だが、どうやらこの薬には、傷を負った神経を治す働きがあるようなのだ」
「神経を?」そう言われても、医学どころか理科の生物でさえろくに勉強しなかった哲男には、あまり馴染みのない話だった。
「そうだ。筋肉や骨と違い、神経は一度傷つくと再生するのが難しい。交通事故で脊髄を酷く損傷すると、首から下のほとんど全てが動かなくなって、ずっと寝たきりになってしまうだろう? あれは損傷した神経がほとんど再生しないからだそうだ。しかし、この薬剤はその神経の再生を可能にするらしい。私も伝聞で、詳しい仕組みはよくわからないんだがね」
「それで、その薬とうちの妻とに何の関係が?」
「健人は生まれつき大病を患っていてな。特に酷いのは心臓だが、骨や腎臓など、体の多くの部分に爆弾を抱えている。今は何とか薬で落ち着かせているが、医者の話では二十歳まで生きるのは難しいだろうと」
 そこで雄大は話を区切り、うつむいた孫に視線を投げた。その悲痛な表情は剛腕で知られた財閥会長のものではなかった。
「だから儂は、健人に健やかな体を与えてやりたい。ヘドシュワートはそんな儂の願いを実現させてくれるのだ。この薬を使えば、人間の首を胴体から切断し、別の体に繋ぎ替え、再び元通りにすることができる。いわゆる頭部移植だ」
「まさか……」老人の意図を悟って、哲男は戦慄した。
「ご想像の通りだ。各方面の名医を集め健人に手術を施し、健人の頭と君の奥さん、静香さんの健康な体を繋ぎ合わせる。ヘドシュワートならそれができるだろうと報告を受けている。うまくいけば、健人に健康な体を与えてやれるだろう。いくら金や権力があっても、死んでしまっては何の意味もないからな」
「狂ってる!」哲男は叫んだ。「人間の首を挿げ替えるなんて! しかも、この男の子に俺の妻の体を移植するだって? 静香は女で三十二歳だ! 子供だって産んでるんだぞ! どう考えたっておかしいだろ!」
「まあ、同年代の男の子の体であればなお良かったがね。この際、贅沢は言ってられんのでな。五体満足であと数十年生きられるなら、性別や年齢の違いなど些細なことだ」
 雄大は自慢の白い口ひげを撫でた。ときおりテレビで目にする仕草だった。「儂は自分の我儘のため、金で君の奥さんの体を買ったわけだ。代わりに、静香さんには健人の病んだ体になってもらう。そう長くは生きられないかもしれないが、少なくともそのときまで君たち家族は一緒にいられるだろう。借金取りに捕まって一人ずつ体を切り刻まれ、臓器を売りさばかれるよりはマシではないかね?」
「変わらねえよ! そんなの絶対に駄目だ! 持っていくなら静香じゃなくて俺の体にしろ! 移植するなら、同じ男の方がいいに決まってるだろ !?」
「あなた……」
「残念だが、それは無理だ」
「なんで !?」
 哲男は目を剥き声を荒げた。もう少し忍耐が不足していたら、雄大に飛びかかっていたかもしれない。
「誰の体でも自由に移植できるというわけではないのだ。拒絶反応や組織の接着の問題があるらしくてな。あらゆる機関に手を回して移植がうまくいきそうな人間をリストアップしたが、その中に君の奥さんが含まれていたのだ」
「静香が?」
「リストに挙がった人間の中では比較的若く、移植成功率の高そうな女性。そんな静香さんのご主人がたまたま借金を負わされ、厄介な連中に付きまとわれていることも我々は突き止めた。渡りに船とはこのことだ。儂は孫のために静香さんの命を金で買うことにした。君の体では無理と言った理由、理解してもらえたかね」
「そ、そんな……じゃあ、静香が狙われたのは俺のせいなのか? 俺が借金取りに追われる身になったから……」
「必ずしも静香さんでないといけないわけではないが、他の候補者よりも条件がいいのは確かだな。君の無念は察するが、儂もそう簡単に諦めるわけにはいかんのだ。それとも、儂の申し出を拒否してまた莫大な借金を背負うか? その場合は君の命が危うくなるだけでなく、奥さんも子供も悲惨な運命を辿るだろうな。いずれにせよ、無力な君が細君を守ることは不可能だ」
 雄大が手を叩くと、黒いスーツを身にまとった屈強な男たちがどこからともなく現れ、哲男と静香を取り囲んだ。その中には、ここに二人を連れてきた若い女も交じっていた。
「どうするつもりだ、俺たちを !?」
「哲男君に用はない。静香さんの体さえ提供してもらったら、傷ひとつつけず無事に帰してやろう。一生遊んでいけるだけの金もくれてやる。君たちには娘がいるそうだな? 幼い娘さんに不自由のない暮らし、借金取りに悩まされることのない生活をさせてやろうという気にはならないかね?」
「……やります。私の体、その子に差し上げます。それでその子の命が助かるなら」
 小さくもはっきりした声だった。静香は両手を胸に当て、花のように明るい笑顔でうなずいた。
「静香 !? やめろ、そんなこと! お前、死んでしまうかもしれないんだぞ!」
「こうしないと私たち三人とも、明日から生きていけないわ。借金のカタに売り飛ばされるよりはマシよ。あなたと七海を守るためなら、私は何でもします」
「おお……よく決心してくれた」
 雄大は感激した様子で、静香の手をとった。「礼を言うぞ、奥さん。この償いは十分にさせてもらう」
「そんな……静香の体を差し出すなんて、俺……」
 哲男は天を仰いだ。赤く熟れ始めた秋の空には雲一つなく、静香の表情と同様に晴れ晴れとしていた。
 愚かで無力な哲男に、妻を守る力はなかった。反対に哲男が静香に守ってもらう有様だった。一家離散を覚悟したその日、哲男は妻の静香を永遠に失うことになった。

 ◇ ◇ ◇ 

 おぼろげな意識の中で健人が感じたのは息苦しさだった。バイタルサインを示すモニタが規則的な音をたてるのが遠くに聞こえた。
「健人さん、わかりますか? 話しかけているのがわかりますか?」
 耳元で女の声がして、健人は目を開けた。寝台の上に横たわっている自分の周囲で、青いマスクと帽子、手術着を身に着けた複数の人間が盛んに機械や書類をいじっていた。
(ここはどこだっけ……なんで僕はここにいるんだ?)
 少しずつ意識がはっきりしてきて、自分が病院の手術室にいることを思い出す。ボロボロの体から首を切り離し、健康な他人の体に移植する手術を受ける予定だった。
 目が覚めたということは、手術は無事に終わったのだろうか。話しかけてくる女医に疑問の視線を投げかけたが、女医は健人の心の中を読み取ってはくれなかった。呼吸用の管が喉に挿入されていて、声が出せないのだ。
「目は覚めたみたいですね。それじゃ、両手をギュっと握ってもらえますか」
 健人は言う通りにした。少し違和感はあるが、健人の両手は主人の命令に従ってくれた。
「次は、足をパタパタ動かしてもらえますか」
 また言われた通りにした。麻酔をかけられる前とは異なる位置にある足が、健人の意図した通りに動いてくれた。
「顔も動くし、大丈夫みたいですね。それじゃあ管を抜去します」
 女医は手慣れた様子で健人の喉から空気の管を引き抜き、代わりに酸素マスクを顔にかぶせた。激しく咳き込んだあと、ようやく声が出せるようになったが、疲れ果てて何も言うことができなかった。
「うまくいったか。大変な手術だったなあ……」
 執刀医の一人と思しき男性医師が、ほっとした様子で言った。人間の首を他人の体に移植する手術など、初めてのことに違いない。病院に出資している雄大の孫が患者ということもあり、スタッフは相当なプレッシャーを感じていたようだ。
 本当に、手術はうまくいったのだろうか。疑問に思った健人は、おもむろに右手を動かして自分の乳房に触れてみた。そこには小学生の男児には存在しない、弾力のある肉の塊の感触があった。左手を股間に持っていくと、手術前までそこにあったはずの小さなペニスは消え失せ、太いカテーテルを突っ込まれた平らな肉に触れた。いずれも、男性ではまずありえない感覚だった。
(うまくいったんだ……僕、女の人の体になったんだ)
 両手を元の位置に戻し、健人は再び目を閉じた。脳裏に浮かんだのは、この体を健人に提供してくれた静香という人妻の顔だった。豊満な肢体を持つおっとりした美女だったが、文字通り己の身を投げ出して家族を助けようとする凛とした姿は、鮮明に健人の記憶に刻み込まれていた。
 あの静香の体が、頭部以外すべて健人のものになっている。それを思うと妙な気分だった。静香の心臓が送り出した血液が健人の脳に酸素と栄養とを供給し、健人の脳が神経を介して静香の肉体を支配する。首から上が十二歳の男子小学生で、首から下は三十二歳の経産婦という摩訶不思議な人間に、健人は成り果てたのだった。
(静香さんの方はうまくいったのかな……僕の体と静香さんの頭、うまくくっついたかな……)
 健人は首を動かして静香を探してみたが、静香の姿は見えない。隣同士の手術室で頭部を移植したため、静香は隣の部屋にいるはずだった。
「あの……静香さんの方は大丈夫でしょうか?」
 意を決して女医に訊ねると、女医はマスクの内側で笑顔を見せた。「ええ、大丈夫みたいよ。みんな、失敗して君のお爺さんにどやされたくはないものね」
 冗談めかして答えたが、これは本音だろうと健人は思った。健人の祖父、雄大の逆鱗に触れることの恐怖と愚かしさを知らない者は、この病院には一人もいないだろう。スタッフ一同、失敗すれば己の腹を切る覚悟でこの手術に臨んだはずだった。
「そっか……静香さんも大丈夫か。よかった」
 つぶやいた自分の声に、健人は驚いた。自分の声が自分のものではなくなっていたのだ。気管の入口にある声帯も入れ替わるため、声も静香のものになるのだと事前に説明されたことを思い出した。
(僕、本当に静香さんの体になっちゃったんだ。手も、足も、胸も、それに声まで……僕の体、顔以外は全部、あの女の人の体になっちゃったんだ……)
 嬉しいやら気恥ずかしいやら、何とも複雑な思いだった。もちろん、病人の自分が健康な静香の体を奪ってしまったという罪悪感もあった。
(僕、これからどうなるんだろう……それに、静香さんも)
 健人は再び目を閉じた。麻酔が覚めたとはいえ、大手術を終えた体は消耗しきっていた。
 これから自分は病棟に運ばれ、新しい体に慣れるためのリハビリを始めるのだろう。ずっと年上の異性の体でうまくやっていけるのだろうか。自分の体を押しつけられた静香はいつまで生きられるだろうか。期待と不安を胸に、健人のベッドは手術室をあとにした。

 ◇ ◇ ◇ 

 哲男が病院に着くと、係の者が急いで飛んできて面会室に案内された。雄大の権力の大きさを実感しつつしばらく待つと、医師と看護師に連れられて静香が部屋に入ってきた。
「静香、体は大丈夫か?」
「ええ、今日はそんなに悪くないわ。この調子だと何も問題なく帰れそう」
 聞き慣れた妻の声ではなく、まだ声変わりの終わっていない少年の声が答えた。入院患者用の寝間着を身に着けた静香は、やや青白い顔で笑った。
 今日は静香の退院の日で、現在の体の状態や今後の生活において注意すべきことについて、病院側から説明を受けることになっていた。
「……そういうわけで今後、定期的なフォローアップはさせていただきますが、静香様のお体に何か異常がございましたら、すぐ当院に連絡なさるようお願い致します。何かご質問はございますか?」
「いいえ、特にありません。今後ともよろしくお願いします。どうもありがとうございました」
 スタッフとの事務的な会話を終え、哲男は静香を立たせた。その身長は以前と比べて二十センチ以上低くなり、小学校高学年くらいの背丈になっていた。
(本当に、あの子の体になっちまったんだな……)
 妻の体の首から下が、丸ごと他人のものと入れ替わっていた。手術前後、そして術後のリハビリの間も休むことなく静香の見舞いに来ていた哲男だが、退院の日になってそのことを改めて思い知らされ、暗澹たる思いだった。自分のせいで、愛する妻の大事な体を失ってしまったのだ。悔やんでも悔やみきれなかった。
「自分を責めないで、あなた。私は大丈夫ですから」
 静香は泣き言一つ口にせず、背伸びして哲男の肩を撫でた。体を奪われた妻を慰めるどころか、気丈な妻に慰められる自分が情けなかった。
 面会室を出た二人に近づいてくる者がいた。患者用の寝間着ではなく、白いブラウスと真っ赤なフレアスカートを身にまとった女だった。女らしい豊満な肢体の上に、線の細い少年の顔があった。
「こんにちは。今日退院とうかがったものですから、ご挨拶にやってきました。調子はどうですか?」
「ええ、大丈夫。家に帰ってゆっくりするつもりよ」
 静香が微笑み返した相手は健人だった。頭部移植手術を受け、首から下が三十二歳の人妻の体になった少年は、静香より一足早くリハビリを終えて退院していた。
 健人の背後には、最初に二人を訪ねてきたスーツの若い女の姿があった。どうやら彼女に連れてきてもらったらしい。
「健人君は……その、どうなんだ? 体の調子は」
 遠慮がちに哲男が問うと、健人はその場でくるりと回ってみせた。転ぶでもよろめくでもなく、危なげない動作だった。
「ええ、とってもいいですよ。退院してからは、運動場を走ったりプールで泳いだりしてトレーニングを始めてます。僕、今まで運動らしい運動なんてしたことがなかったから、毎日が楽しくて。これも静香さんのおかげです。本当にありがとうございました」
 健人は静香の声で礼を述べると、可愛らしい笑顔で頭を下げた。顔色の悪い少年だった彼も、今は血色がよくなりすっかり健康になったようだ。もともと繊細な顔立ちをしていただけに、こうして間近で眺めていると、最初から女だったかのような錯覚さえ覚える。
「そう、それはよかったわ。私も、やっとこの体に慣れてきたみたい。いつも調子が悪いわけじゃなくて、波があるのね、体調に」
「そうですね……ごめんなさい。僕のわがままで、静香さんの体を盗っちゃって」
「いいのよ。その話は入院中に何度もしたでしょう? もういいの。健人君は悪くないわ」
 不意に悲しそうな顔をした健人の手を、静香が握りしめた。入院中、健人と静香はしょっちゅう行動を共にして、親交を深めていたという。哲男からすれば愛する妻の肉体を奪った憎い相手……ではあるのだが、この素直で優しい十二歳の少年にいつまでも憎悪を向け続けるのは難しいのも、また事実だった。健人が病んだ体で生まれてきたのも、祖父が彼のためにひとの命を買い取ってきたのも、彼の責任ではない。哲男の心中は複雑で、まだ十分に整理されているわけではなかった。
「そうだ、良かったらこれから私たちと一緒に来ない? うちでお茶でもどうかしら」
「いいですね、ぜひ一緒に行きたいです。美也子さん、いいですか?」
「お嬢様のよろしいように」
 無表情で健人の背後に立っていた女が答えた。どうやら、彼女は美也子というらしい。現在は一日中健人について、彼の世話をしているのだとか。今まで少年だった相手を「お嬢様」と呼ぶときも、表情が微動だにしなかった。
 四人は二台の車に分乗し、哲男の家に向かうことになった。以前住んでいた自宅は売り払ってしまったが、雄大が新しい家を用意してくれたのだ。どうせなら以前の家を買い戻そうかとも考えたが、あの騒ぎで近所の噂になってしまったため、またあの家に住み続けるのは難しいだろうと思われた。
 親子三人で暮らすには少々広すぎる新築の一戸建てに、哲男は妻と客人たちを迎えた。静香はさっそく茶を淹れ、健人と話に花を咲かせた。美也子は自分のことについて語ろうとはしなかったが、最近の健人の様子についていくつか教えてくれた。
「健人お嬢様は来年、中学生におなりです。今まではお体の問題で学校に通うのが難しかったのですが、これからは健やかなお体で毎日きちんと通えるようになります。うちで働いている使用人の子に同い年の者が何人かおりますから、学校にいらっしゃる間は彼女たちをおそばに付けようかと考えています」
「そんなの一人で大丈夫だよ、美也子さん」
 恥ずかしがる健人に、美也子は首を振った。
「いいえ、付き添いは必要です。何しろ、お嬢様がこれからお通いになるのは女子校です。今まで殿方でいらっしゃいましたから、わからないこともまだまだ多いでしょう。これは旦那様のご意向でもありますし、それに、あの子たちも随分やる気を出しておりますから」
「誰と誰なの?」
「沙也加と凛と瞳です。皆、お嬢様のことを常に案じ、お慕いしております。特に今回は女性になられるという一大事があったわけですから、皆すこぶるやる気を出して、お嬢様に女の体のイロハを手取り足取り教えて差し上げると申しております」
「逆に心配になってきた……怖い」
「ふふふ、健人君も大変ね」
 二人の会話を聞いて、静香はころころと笑った。今までずっと家で療養生活を強いられていた少年が、元気に学校に通えるようになるのだ。それは哲男にとっては妻の献身のうえに成り立つもので手放しには喜べないが、当の静香には嬉しいことなのかもしれない。
「ただいまー。ママ、帰ってるの?」話に興じていると、娘の七海が学校から帰ってきた。ランドセルを玄関に放り出す音がして、七海が勢いよくリビングに飛び込んできた。
「ママ、お帰りなさい! 抱っこ! 抱っこして!」
「こら、待ちなさい」
 急いで静香の膝の上に飛び上がろうとする九歳の娘を、哲男は慌てて捕まえた。静香は華奢で病弱な少年の体になったうえに、まだ病み上がりの状態なのだ。エネルギーに溢れた娘の振る舞いは、常に見張っておかなくてはならないだろう。
「何度も話しただろう。ママはまだ体に病気が残ってて、入院前と同じじゃないんだって。それに退院したばっかりで、抱っこなんてしてやれないんだ。代わりにパパの胸に飛び込んできなさい」
「パパは臭いからやだ。ママがいい」
「臭いって、お前……」
「ごめんね、七海。今日はまだ抱っこしてあげられないそうにないの」
 退院してから初めて耳にする母の声に、七海は目を丸くした。「お母さんの声、いつもと違う!」
「ええ、そうね。ちょっと喉が変わっちゃったから、これからはずっとこの声よ。七海はこの声、嫌い?」
 十二歳の少年の声で話す母親に、九歳の娘は首を振った。
「ううん、ママの声だもん。大好きだよ!」
「そう、よかったわ。今日は抱っこしてやれないけど、代わりにそこのお姉ちゃんにしてもらっていい? 健人君、申し訳ないけどお願いしてもいいかしら」
「え、ええ……いいですよ。七海ちゃん、ほら、こっちにおいで」
 静香の意外な提案に、健人は驚きつつもうなずいた。
「お姉ちゃん、誰? 病院でママと一緒にいた人? ママの声とそっくりだね」
「うん、僕は健人っていうんだ。ほら、いい子いい子」
 健人は椅子から立ち上がると七海の幼い体を抱き上げ、その小さな背中を撫でてやった。七海は嫌がるでもなく健人の体にしがみついた。どちらかと言えば人見知りのする娘だが、今は警戒する様子はいささかも見られない。
「ケントお姉ちゃん、なんかママと同じ匂いがする……」
「うん、そうだね。僕の体、七海ちゃんのママの匂いがするね……」
 目を細め、七海を抱きしめる健人。首から上は九つの女児と十二歳の少年だが、首から下は紛れもなく娘と母の間柄だった。自分の髪を梳いてくれる細い指が母親のものであることに、幼い娘は気づいただろうか。
 二、三分そうしてようやく満足したらしく、七海は健人に礼を言って椅子に座った。
「ご両親に似て、可愛い娘さんですね」
「わがままで甘えん坊で、よく困らされてるよ。借金云々の騒ぎがあって、子供なりに不安になっていたらしい。そのせいかな、甘えん坊がますます酷くなっちゃって」
「ママ、もう体の具合は大丈夫なの?」
 疑問と不安の入り混じった顔を見せる七海に、静香は微笑んだ。
「ええ、もう大丈夫よ。あんまり激しい運動はダメだけど、これからまた七海と一緒にいられるわ」
 憂いの表情をまったく見せない静香の姿に、哲男は心の中で嘆息した。静香は健人の代わりに、彼の病をすべて引き受けたのだ。哲男も病院で担当医の説明を何度も受けたが、どうポジティブに考えても明るい未来がやってくるとは思えない内容だった。あと数年生きられれば運がいいという状態で、へたをすると一年やそこらで天からの迎えが来るかもしれない。こうして愛娘と共にいられる時間も残りわずかなのだ。
 自分はなんと愚かなことをしてしまったのかと哲男は恥じた。長年信じていた友に裏切られ、最愛の妻を間もなく死なせてしまうかもしれない。できることなら自分の体と命を差し出したかったが、求められたのは彼ではなく妻の命だった。自分が何の価値もない役立たずであるのが歯がゆかった。
「静香さんのお体については、できる限りのことはすると旦那様が仰っていました。グループ系列の製薬会社とあの病院が全面的にバックアップするそうです。無論、費用の心配も無用です」
 哲男の憂鬱を敏感に感じ取ったのか、美也子がそうフォローした。なんでも、現在そこで開発中の新薬が、今の静香が患っている病気に効くかもしれないという。実際に効くかどうか、開発が間に合うかどうかもわからない話だが、今の哲男がすがる希望はそれしかなかった。
「ぜひお願いします。妻のためなら何でもしますから」
「ねえ、何のお話してるの? ママの病気、治らないの?」
 突然、娘に話しかけられ、哲男はぎくりとした。なんと説明したものだろうか。
「このお姉ちゃんたちが、これからママが元気になれるようにサポートしてくれるってお話よ。だから心配いらないの」と、静香。
「そうなんだ、ありがとう!」
 無邪気に喜ぶ七海に、初めて美也子の無表情が歪んだ。彼女は数秒、困った様子で七海を見つめたあと、咳ばらいを一つして立ち上がった。
「それではお嬢様、そろそろ帰りましょう。邸で旦那様がお待ちです」
「うん、そうだね。哲男さん、静香さん、また遊びに来てもいいですか?」
 健人の問いに、哲男は強くうなずいた。
「ああ、もちろん。娘も君のことが気に入ったみたいだしね。いつでもおいで」
「そうね。もう健人君は私たちの家族みたいなものだもの。毎日来てくれてもいいくらいよ」
「ありがとうございます。じゃあね、七海ちゃん」
 笑顔で手を振る一家に見送られ、健人は美也子と共に帰っていった。
「はあ……これから一体どうしたもんだろうなあ」
 今度は七海に聞こえないように気をつけながら、哲男はぼやいた。借金まみれで一家離散の危機は乗り越えたが、その代わりに今度は妻の命が危うくなっている。そのうえ、差し当たって哲男にできることは何もない。愚痴の一つも出て当然だった。
「あんまり気にしても仕方ないわ。とりあえずお金のことは心配しなくて良くなったし、明日は買い物にでも行きましょう。この体に合う服を買ってこないといけないから」
 静香は自分の襟元に手を当て、そう提案した。今の彼女はゆったりしたセーターに細身のレギンスといういでたちである。家にあるものを適当に見繕って病院に持って行ったのだが、当然サイズは合っておらず、ぶかぶかだった。
「そう言えばお前、これからは男の服を着るのか?」
「どうしようかしら。おちんちんがついてるのに、女ものの下着を身に着けるのは変よね?」
「お前……!」
「ねえ、後で一緒にお風呂に入らない? 男の体のこと、いろいろ教えてほしいし」
「嫌だよ、一人で入ってこい!」
 悪戯っぽく言った静香に、哲男は怒声をぶつけて席を外した。
 とにかく、今は悩んでも仕方がない。当面、金には不自由しなくなったし、妻の言うとおり買い物にでも行って気を紛らわせようと思った。
 何も今すぐ妻が死ぬわけではないのだ。すぐ思い悩むくせに、肝心なときに何の役にも立たないのが哲男の欠点だった。今回も、それで家族を危険に晒したのではなかったか。
(とにかく、俺は俺にできることをしないとな)
 今の哲男にできること。それは以前と同じような平凡な日常を送り、妻と子供を支えてやることだった。


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