ラミア退治

「――よくそんな依頼、引き受けてきたものですね……」
 酒場の席、フィーネが呆れた顔でまず言ったのはその言葉だった。
「相手の正体もわからずに戦う訳でしょう。インプやミノタウロスならまだしも、ドラゴンなんて出てきたら私たちじゃどうしようもないですよ」
「大丈夫!」
 自信に満ちた笑顔でレナは言い切った。
 短く切りそろえられた白銀の髪、明るい緑色の瞳。耳を飾る乳白色のピアス。服はそれと対照的に赤と黒が基調となり、あちこちに宝石やら護符やらが派手にちりばめられている。肌の露出が多いのは動きやすいからではなく、人並み以上の胸や脚線美を強調するためのようである。
 魔導師。10人が見たらおそらく9人はレナの事をそう呼ぶだろう。
「そこの洞窟に魔物『らしいモノ』が住みついてもう何年もたつんだけど、その間一切何もなかったんだって。大人しいもんよ」
「被害がない?」
 顔に疑問符を浮かべて聞き返すフィーネ。
こちらは流れるような長髪のゴールデンブロンドと透き通った青い瞳の少女で、白と黄色の落ち着いた長衣をまとっている。年頃はレナと同じくらいだが背は低く、発育も幾分良くない。しかし、落ち着いた言動と思慮深い性格から、レナより年上の印象を受ける。
 神に仕える若き神官。それがフィーネだ。
「うん、全くないの。街道沿いって言っても町から結構離れてるしね」
「……本当に魔物がいるんですか?」
 疑わしげな視線をレナに向ける。レナは実力はあるのだが慌て者で、しばしばフィーネを困らせてきた。
 共に旅をするようになって2年になるが、今でも自分がついていないと危なっかしく思える場面がある。
「探検に行った子供が、魔物がいるって言ってたの。何がいるかはわからなかったらしいけど」
「危ない事を……」
「んで、私らでその魔物を追い払うって訳。まぁチョロい仕事よ」
「ずっと被害がなかったのに今さら退治する必要、あるんですか?」
 気の進まない態度でフィーネが聞いた。魔物とはいえ必要のない殺生はしたくないのだろう。
「いや、それがねえ――」
 レナが口元の杯を傾ける。フィーネと違い、彼女は酒好きなのだ。
「今度、そこの近くに牧場を作る話があるのよ。だから今のうち追い払え、だって」
「そんなの人間の都合じゃないですか」
 多少言葉に怒りを込めるも、相手はどこ吹く風、といった調子である。
「まあ仕方ないじゃない。チンケな依頼にしては報酬は破格なんだから。それに私たちは人間であって、魔物じゃないのよ」
「はあ……」
「それじゃ、明日の朝出発するからね。いい?」
「……わかりました。準備しておきます」
 しぶしぶ、という感じでフィーネがうなずくと、レナは上機嫌で酒杯をあおった。

 洞窟は意外と広かった。どこから流れてくるのか、冷えた風が二人の体を撫でる。
「うー、寒っ!」
 レナの声が奥の方まで響いてゆく。相変わらず露出度の高い衣装で、見るからに寒そうだ。
「もうちょっと厚着してくればよかったんじゃ……」
「だってー、今日暖かかったんだもーん」
 いつもの調子で会話しながら奥に進んでゆく二人。レナの魔術の灯りで照らされているため、周囲ははっきり見える。背後には松明を持ったフィーネが油断なく後についていた。
「地面は岩でゴツゴツしてるし、しかもあちこち濡れてるし、歩きにくいよー」
「湧き水でもあるんでしょう。滑らないで下さいね、治す魔力がもったいないので」
「はいはい……」
 と、レナの足が止まる。
「ん? ……広い部屋ねえ。灯りつけてるのに何も見えやしない」
 洞窟内にしてはかなりの広さの空間だ。ひょっとしたら魔物が出てくるかもしれない。フィーネは使い慣れたメイスを構えて辺りを見回した。
「壁際に行きましょう。魔物が襲ってくるかもしれません」
「オーケー♪」
 レナは言われた通り、周りを照らしながらじりじりと部屋の端に寄り――

ガラッ !! ドガガガガガッ !!

 派手な音が響いた。そして悲鳴が続く。
「きゃああああああっ !!」
「レナ !? どうしました !?」
 松明を声の方に向けるフィーネ。だが彼女の姿は見えない。
「レナ !! レナ !! 大丈夫ですか !?」
 返事が無い事に焦りながら、フィーネは松明を下の方に向けた。
「これは……」
 レナのいた場所の足元が崩れていた。
 部屋の端は壁だと思っていたが、どうやら崖のような構造になっていたらしい。
 足を滑らせたか、岩が風化か浸食で崩れやすくなっていたかしたのだろう。自分の不注意を呪いつつ、フィーネは自分も落ちないよう注意してレナを探した。だがかなりの高さを落下したのか、女魔導師の姿は見えず、返事もない。魔術の灯りも消えてしまったようで、松明の光だけでは探すのが難しかった。
「早く見つけないと――どこか、降りられそうな場所は……」
 とにかく今は、無事でいるのを願うしかない。

「う……」
 ひんやりした地面の感触に、レナは目を覚ました。
(私……どうしたんだっけ――確か、地面が崩れて――)
 だんだんと意識がはっきりしてきた。感じられるのは尻と背中に当たる、冷えた地面と壁。どうやら自分は寝転がっているのではなく、壁にもたれかかっているらしい。魔術の灯りも消えており、周囲は真の闇である。何も見えなかった。
「ここは……フィーネ……?」
 相棒の名を呼んだが、返ってきたのは別の声だった。
「おや、お目覚めだね」
「――誰 !?」
 聞き覚えのない女の声に驚いて立ち上がろうとするが、体が言う事を聞かない。
(私……怪我してる? ――いや、違う)
 派手に落ちたはずだが、幸いにも擦り傷くらいで済んだようだ。服はドロドロだが。
 しかし、体が動かないというのは――。
「ああ、しばらくは動けないだろうよ。しびれ毒が効いてるからね。あまり大きな声も出せないよ」
「毒…ですって !? 誰 !? 姿を見せなさい!」
 体の自由と声を奪われ、魔術を使う事もできない。
 危険な状況に不安をかきたてられるも、ここで怯える訳にはいかなかった。
「やれやれ、人間には何も見えないらしいね」
 声と共に黄色い灯りが突然目の前に現れ、レナは目を細めた。自分のものと同じ、魔術の灯りだろう。やがて目が慣れてくると、視界に自分以外の存在を認識する事ができた。
「これで見えるかい?」
「あんたは――」
 レナの目に映ったのは美しい顔立ちの女である。歳は見た目30そこそこで、黒髪の長さはレナくらいか。それと同じ色の瞳が真っ直ぐに彼女を見つめている。
 だが、洞窟内のこの寒さにも関わらず、衣服を全く身に着けていない。それどころか全裸で、レナ以上の豊満な胸を隠そうともしない。そして下半身は――人間のものですらなかった。黒光りする鱗が灯りによく映えた、極太の大きな蛇。
「――ラミア……?」
 本で見ただけの知識だったが、それでもレナはそれをそう呼んだ。
 上半身が美しい女、下半身が巨大な蛇の怪物である。知性は人間並と言われているが、最近は目撃証言が少なく、半ば伝説上の存在となっている魔物だった。
「一応聞いておこうかね。あんたたちは何しにここに来たんだい?」
 ラミアの目はお世辞にも友好的とは言えなかったが、いきなり襲い掛かるという事はないらしい。動けずに捕まってしまっている今の状況で、それだけが不幸中の幸いと言えた。
「えーと……」
 牧場を作るためここの魔物を追い払いに来た、と話す訳にはいかないだろう。
 答えられないままレナが言葉を探していると、ラミアが近づいてきた。
「正直にお言い。嘘ついてもいい事はないよ」
 鼻の触れ合うような距離で鋭い視線が彼女を射抜き、脳内で危険信号が駆け巡る。
(ホントの事言っても嘘ついても、無事に帰れない気がする……)
 結局、ありのままを白状してしまうレナであった。
「そーかそーか、やっぱりねえ。そんな事なんじゃないかと思ったよ」
 話を聞いてもラミアは大して怒りを見せなかった。
「でもねえ、あたしらは人間に対して何もしてないじゃないか。ずっとここに住んでて、そっちの都合でいきなり出てけって言われてもねえ」
「はい……ごもっともでございます……」
 卑屈な態度でうなずくレナ。動けない以上、フィーネの助けを待つしかない。
「あんたに文句言っても始まらないけどさ。雇われただけなんだろ?」
「はい……」
 敵意もなく、魔物はレナを見つめる。
(これは、ひょっとして助かる……?)
 彼女の心に、かすかな希望が差し込んだ。それを知ってか知らずかラミアが続ける。
「とにかく、もうここには住めないみたいだねえ……。あんたたちを追い払っても、町の人間たちは諦めやしないだろ?」
 無言でうなずく彼女を前に、ラミアはため息をついた。
「……あたしらラミアも随分数が減ってしまった。この近辺にはもうあたしら2人しか  残っていないだろうね。悲しい事さ」
「2人?」
「ああ、見えてなかったのかい。――出ておいで!」
 ラミアが後ろを振り返り呼ぶと、その影から小さな女の子――下半身は蛇だが――が恥ずかしげに顔を出した。人間ならまだ7〜8歳くらいだろうか。可愛らしい顔立ちをしている。
「……娘さん?」
 驚いてレナが問い、ラミアが肯定する。
「まだ甘えん坊でね。あたしはどうなってもいいけど、この子だけは何とかしてやりたい」
 子ラミアは母にすりよると顔を伏せた。見た目より幼い仕草が深く印象に残る。
「でもここを離れてあたしらが住める場所なんてないだろうね。周りはどこも人間の領域だから」
「…………」
 何も言えずにいると、ラミアが後を続ける。
「そこで、だ……どうせ追い出されてのたれ死ぬなら、何でもやってやろうじゃないか、と思ってね」
「え?」
(それは――どういう……)
 言葉の意味を飲み込めない内に、ラミアがゆっくりと動き出す。
「ほら、こっちにおいで」
「おかーちゃん……」
 娘を引き寄せ、こちらに近づけてくる。何をするのかわからないが、今のレナには見守る事しかできない。
「んじゃ、いくよ」
「うん」
 ぎゅっと目を閉じる子ラミア。もうレナと顔が触れそうなまでに近づいていた。
「何を――」
 彼女がそのセリフを言い終えない内に。
――ごんっ !!
 頭部に子ラミアの頭を勢いよく叩きつけられ、レナは再び意識を失った。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

「レナ〜 !! レナぁ〜 !!」
 松明をかざすフィーネの声が響く。あれからかなりの時間回ってみたものの、レナは見つからない。
 ただ落ちただけなら、もう発見していてもいいはずだ。となると――
(起き上がってこっちを探しているか、それとも――何者かに連れ去られたか…… !!)
 件の魔物だろうか。だとしたらレナの身が危ない。フィーネの心は焦る一方であった。
と、その時――。
「あ……」
 聞きなれた声がフィーネの耳を撫でた。
「レナ !?」
 慌ててそちらに松明を向けると、見慣れた親友の姿があった。
「レナ !! 大丈夫ですか !?」
 慌てて駆け寄るフィーネ。視覚と触覚で怪我がないかを大まかに確認する。
 大丈夫。ちょっと汚れているだけで、大した怪我はしていないようだ。
「ああ、よかった……」
 安堵のあまり大きく息をつく。
「あまり心配させないで下さい……大分探したんですよ」
 思わず愚痴が口をついて出る。しかし、返事を聞いてフィーネの目が点になった。
「はい……すみません……」
(!?)
 あろう事か、あのレナがこんな台詞を吐くとは。彼女は先ほどよりもっと慌てて、
「レ、レナ、大丈夫ですか !? 頭、打ちましたか !?」
 しかし、やはりレナはいつもと違う様子で、
「は、はい……頭、打ちました」
 なぜかおどおどしている。
(……これは重傷です !! 早く連れて帰らなくては !!)
 自分の治癒魔術ではちょっと無理かもしれない。
 魔物退治はまた今度でいい。今は一刻も早く町に戻るべきと思い、彼女はレナの手をとった。
「さあ、早く帰り――」
 軽く引っ張ったところで、フィーネはバランスを崩しよろけてしまった。
「痛っ !! レナ !?」
「――す、すいません。転んじゃって……」
 辺りは暗いが、ここの足元は乾いているし岩も多くない。転ぶような場所ではないのだが、やはり足に怪我でもしていたのか。フィーネは親友に肩を貸してやろうと横に回ったが、レナはなぜか遠慮する。
「……い、いいんです……」
「レナの足、怪我してないんですか?」
「だ、大丈夫…すぐ慣れますから……」
(慣れる……? 何に慣れるんでしょう……)
 まあ本人がそう言うなら大丈夫なんだろうと納得し、二人は出口を目指す事になった。

「う……あいたたた……」
 洞窟の奥で子ラミアが目を覚ました。側には母親のラミアが付き添っている。
「えーと、ここは……?」
「さっきの場所さ。あんたはずっと寝てたんだよ」
 心なしか、娘に対する母の言葉は冷たい。
「あれ……体が動く……」
 子ラミアは腕を軽く回すと、そのまま立ち上がろうとして――盛大に転んだ。
「あたああぁっ !?」
「何してるんだか……」
 呆れた表情のラミア。
「え !? 私の脚……縛られてる !?」
「違うよ、よっく見てみな」
 子ラミアは言われた通り振り返ると、自分の下半身を見て――またも悲鳴をあげる。
「きゃあああああっ !? 私の脚ぃぃぃっ !!」
 まるで、あるはずのものがなく、ないはずのものがある。そんな様子で子ラミアが叫んだ。
「何で……私……これ……蛇……?」
「やっとわかったかね、自分の体がどうなってるか」
 先ほどとはうって変わって、母は冷たい様子で言った。
「あんたはね、うちの娘と入れ替わったのさ」
「入れ……替わった?」
「ああ、私の魔術でね。代わりにあの子があんたの体を使ってるよ」
「何勝手な事してんのよ !! 私の体を返してっ !!」
 怒鳴る子ラミアに、母は目を伏せて答えた。
「仕方ないだろ――ああでもしなきゃ、親子ともども人間たちに殺されちまう」
「う……」
 痛いところを突かれたのか、動揺する子ラミア。
「うちの娘は人間として生きていく。あんたは魔物としてここで私と死ぬ。他人を殺そうとしてやってきたんだ、それくらいの事は覚悟しておくれ」
「そんな…… !!」
「それまではあたしの娘として可愛がってやるから勘弁しとくれよ。あんたにとっちゃ魔物の体でも、あたしにとっては大事な娘なんだ」
「…………」
 絶望的な状況だが、子ラミアは必死で考えを巡らせる。
「――そうだ、魔術…… !! ――光よ我が手に集え !!」
 子ラミアが呪文を唱え手をかざす。だが生まれた灯りは蛍の光ほどの大きさでしかなかった。
「え…… !? 何コレ……」
「あんたの魔力も体ごとあの子が持ってったよ。あたしらラミアも魔術は使えるけど、その体じゃまだまだ、ロクなものは使えないだろうね」
「くっ……」
 万事休す――。
(フィーネ……助けて――)
 子ラミアは力なく肩を落としうなだれる。
「…………」
 母はそんな娘を抱き寄せ、愛しげに髪を撫でてやった。

「はあ、はあ……」
「頑張って下さい、もうすぐ出口ですからね」
 よろよろしながら後ろを歩くレナに優しく告げる。見た限りでは、外傷はなく意識もはっきりしているようだ。気にかかるのがいつもと全く違う言動だが、多分命に関わるものではあるまい。先導しながら前に注意するフィーネ。そのため後ろに対する注意は疎かになっていた。
「はあ……やっぱり……ダメ……」
「大丈夫、もうすぐです !!」
 振り返らずに後ろを励ますフィーネ。レナの独り言も聞こえていない。
「違うの……あたし、やっぱり……おかーちゃんがいないと……」
「ほら、出口はそこですよレナ !!」
 そのとき。
 すっ――と、フィーネの腰に差してあったメイスが抜き取られる。
「あれ?」
 フィーネが振り返ると同時――。
 鋼のメイスが頭に叩きつけられ、彼女の意識は闇に沈んだ。

「……ぅ……ヒック……ぅ……」
 人間の目では見えない暗闇に、子ラミアの泣き声が響く。母に抱かれ泣く事しかできない小さな魔物。今の自分はそれであった。
「あの子……うまくやっていけるといいんだけどねえ……」
 我が子を案じるラミアの声も、子ラミアには届かない。
 さて、次の人間はいつ来るか――。恐らくその時が、自分の生の終わりとなるだろう。腕の立つ剣士か魔導師か。ここで泣いている“娘”より腕の立つ輩が来るのは間違いない。
「あたしらラミアも減っちゃったからねえ……」
 しみじみとラミアがつぶやいた、そんな時だった。

――じゃりっ。

 石を踏む足音がして、灯りが近づいてくる。
「――誰だい !?」
 相手に問いかけるラミア。しかしまだ姿は見えない。
「……フィーネ……?」
 腕の中の子ラミアがつぶやく。
(この子の仲間はうちの娘と一緒に帰ったはず……誰?)
 一瞬はっとしたラミアだったが、
(まあいい、もうあの子は無事に逃げ出せたはず。何が来ても別にいいさ)
 身構えて、やってくる相手を待ち受ける。
 体を引きずるようにして、ゆっくりとそこにやってきたのは――
「……おかーちゃん……」
「――あたし !?」
 短い銀髪、豊かな胸と布地の少ない黒い服。確かに逃がしたはずの我が娘だった。
「あんた、何してんだい !? 早く行きなって言ったじゃないか !!」
 ラミアは魔導師を怒鳴りつけた。だがレナは魔物の前にくずれ落ちると、
「ダメ……おかーちゃん……一緒に来て……」
「何言ってるんだい !! お母ちゃんは一緒に行けないって言っただろ !? あたしに構わず、早く人間の町に行きな !!」
「……うぅ……おかーちゃ〜ん……やだよぉ……」
 レナは泣きながらラミアに抱きつき、いやいやをしてみせる。
「あんた……」
 言葉を失う母の横で、放り出された子ラミアがうめいていた。
「あ……あたしの……体ぁ……」
 まだ体に慣れていないのか、動く事ができないようだ。
「……ぐすっ……おかーちゃん、一緒に来て。ここの出口まで……」
 涙ながらに立ち上がり、ラミアの手を引っ張るレナ。
「出口まで? ……しょーがないねえ、あんたって子は」
 やれやれ、といった様子でラミアは手を握り返した。
「すぐに戻ってくるから待っといで」
「あたしの……体……待っ……て」
 そして、後には地べたを這いずる子ラミアだけが残された。

――しばらくして。
 灯りと足音、それと何かを引きずるような音に気づき、子ラミアは起き上がった。
(……戻ってきた?)
 必死で灯りの方向に顔を向ける子ラミア。夜目の利く体だが、まだあまり慣れていない。
 やがて、二人の人間が現れ、子ラミアは顔をほころばせた。
「……フィーネ……」
 そこにいたのは魔導師レナと神官フィーネだった。
 その後ろにラミアが倒れている。どうやらここまで引きずってきたらしい。
「あたしの体……連れ戻してきてくれたんだね……よかった……」
 這いながら、涙目で二人に近づく子ラミア。
「……フィーネ……」
「…………」
 だが、フィーネの反応は予想外のものだった。
「!?」
 フィーネは子ラミアにちらりと視線を向けると、引きずってきたラミアをこちらに押しやってきた。
 まるでそこがお似合いだと言わんばかりに。
「フィーネ……?」
 何が起こったか理解できない子ラミアに、ようやくフィーネが口を開いた。
「じゃあね、達者で暮らすんだよ」
「フィーネ !? 何言ってんの !?」
 子ラミアの言葉にフィーネはにやりと笑い、
「ああ、フィーネって言うんだっけ、この娘。ちゃんと覚えておかないとねえ。これからあたしの名前になるんだから」
 普段なら絶対に見せないフィーネの態度を見て、子ラミアはやっと理解した。
「――まさか―― !!」
「この子がどうしても離れたくないって泣くもんでねえ――」
 自分にぴったりくっついて離れないレナを指す。
「仕方ないから、この娘の体をあたしがもらう事にしたんだよ」
「おかーちゃーん……」
 フィーネは優しくレナの頭を撫でてやった。
「よしよし、これからも二人一緒に生きていこうね」
「うん」
「…………」
 絶句する子ラミアの横で、ようやくラミアが目を覚ました。
「ん……私……」
「フィーネ !!」
 母親に飛びつく子ラミアだが、当人は全く状況がわかっていなかった。
「え、魔物 !? ――いやっ、近寄らないで !!」
「フィーネ――違う、私よ、レナだよ !!」
「ふふふ……」
 フィーネはそんな親子のラミアの様子を楽しげに見ていたが、
「じゃあね、ありがとうよ、あんたたち」
 と言って、レナと共に去っていってしまった。
「……どうしよう……私だけじゃなくてフィーネまで……」
「きゃああああっ !! 私の体がぁぁあっ !?」
 こうして、レナとフィーネは無事に洞窟から帰還した。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 その後。
「いやあ、気っ持ちよかったねえ。いいものじゃないか、風呂ってやつは」
 大口を開けて笑いながら、フィーネが湯船から出てきた。
 その様子からは、以前の清楚な印象は微塵も感じられない。
「んー、そうだねおかーちゃん」
 冷たい飲み物を口につけてレナが応じる。こちらはこちらで前からは想像できないほど大人しく、気弱な振る舞いである。
「こら、おかーちゃんじゃないだろ。ちゃんとフィーネって呼びな」
「はーい、おかーちゃん」
「……この子は……」
 宿の部屋に戻ると、二人は風呂上りに着替えた服をまた脱ぎだした。
 人間になっても長年の習慣はなかなか変わらないらしく、二人だけの時はいつも全裸でいる。
「おかーちゃん……今日もおっぱいちょうだい……」
 レナは親友に向かい、顔を赤らめて上目遣いでねだる。
「こらこら、前から言ってるだろ。今のあたしにゃ出ないって。あんたの方がよっぽどデカいチチしてるじゃないか」
 がしっとレナの胸をわしづかみにするフィーネ。
「そんなぁ……自分じゃ自分の吸えないよぉ……」
「そうだねえ……まあ、人間も子供を生まなきゃ乳が出ないって言うし、どうしたもんかねえ。この甘えん坊は……」
 もみもみとレナの胸を刺激しながらため息をつく。
「あっ……おかーちゃん……そこ……」
「何感じてるんだい、この子は。まったく、人間ってやつは発情期ばっかでやだねえ」
 既にレナの手は、自らの濡れた女陰をいじくり回している。
「そんな事言わないで……おかーちゃあん……」
「仕方ないねえ……ほら、舌出しな……ん……」
「ちゅ……ん……はあ……ちゅる……」
 こうして裸で絡み合うのがレナとフィーネの日課だ。

「ねえ、おかーちゃん……」
 夜の寝室で、魔導師が女神官に問いかける。
「何だい、レナ」
「あの人たち、生きてるのかなあ……」
「殺されたって話も聞かないし、どこかで生きてるんじゃないかね。……元に戻りたくなったかい?」
 真剣な眼差しでフィーネが尋ねる。
「んー……」
 レナは少しの間考えると、にっこりと笑って答えた。
「今はいいや。生きてるなら、また会えるもんね」
「そうかい――さ、早く寝な。明日は早くから隣町に移動だからね」
「うん、わかったよ」
 吐息と共にランプの火が消え、部屋を照らすは月明かりのみとなった。


 人間の目には見えない暗闇で、子供のラミアが母に話しかける。
「ねえフィーネ〜」
「何ですか。ひょっとしてまたお腹空いたんですか?」
「うん、育ち盛りだからね」
「はあ……」
 ラミアはため息をつくと、子供に背を向けて言った。
「じゃあ魚とってきますから、ここで大人しくしててください。町の人のいそうなところには行かないで下さいね」
「いや、ちょっと待った」
「はい?」
 グイ――と子ラミアは母を引き寄せると、正面に回りこんだ。
「行かなくていいよ。こっちで我慢しとく」
 そう言って豊かな乳房にかぶりつくと、思いっきり乳首に吸い付いた。
 すぐに、人間では考えられない量の母乳が噴き出してくる。
「ああっ……そ、それはやめてくださいって……言って……」
「いいじゃない。こうすれば食事が一人分で済むんだから、手間が省けるわ」
 わかったようなわからないような事を言われるも、人間だった時には味わった事のない感覚に、ラミアは身をよじる事しかできない。
「もう……いい加減……乳離れ……して――」
「んぐっ……んぐっ……ん〜……ぷはあっ! ごちそーさま!」
 満足したのか、子ラミアは微笑んで母を抱きしめた。
「だっておいしーんだもん! ありがとね、『おかーちゃん』 !!」
「やめてください! ……私はいつか元の体に戻ってみせますからね!」
「ふふっ――そうね。神学校の優等生が子持ちの魔物になって、私におっぱい吸われてよがってるなんて、誰にも言えないわ♪」
「やめて下さいってば !! ……やっぱり魚取ってきます。私の分だけ」
「いってらっしゃーい。気をつけるのよー」
「はあ……」
 子ラミアはひらひらと手を振り、ラミアを送り出した。
「さて、と……」
 一人になった途端、真面目な顔になる子ラミア。手をかざし、目を閉じて集中する。
「……いつかきっと昔の、いやそれ以上の魔力を取り戻してやるんだから! 覚悟しなさいよ、体ドロボーッ !!」
 子ラミアはひとり歯を食いしばり、魔術の特訓に取り組むのだった。


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