憎んで嫌って君と僕 1

 朝から雨が降ったり止んだりする、じめじめした日だった。
 昼食を終えた月彦が廊下を歩いていると、見知った少女がよたよたした足取りで階段を下りてきた。小柄な体には多すぎる数の冊子を、重そうに両腕で抱えている。
「智絵理ちゃん、何をしてるの?」月彦は少女の隣に立った。
「あ、月彦くん。先生に次の授業で使う資料を運ぶように言われて……」
 智絵理は月彦のクラスの委員長だ。温和で生真面目な性格もあって、教師に雑用を命じられることが多い。今回は大量の資料を視聴覚教室から自分の教室に運ぶよう言われたそうだ。
「そうなの? 言ってくれたら僕も手伝うのに……クラス全員の分でしょ。とても女子が一人で運べるような量じゃないよ」
「悪いよ、そんなの。先生に言いつけられたのはあたしなのに」
「いいって。こんな力仕事を女子にさせる方が気分が悪いよ」
 月彦は智絵理のか細い腕から冊子の大半を奪い取った。彼女のように真面目で責任感の強い者が割を食うのを見るのは嫌だった。小柄で華奢な少女であればなおさらだ。礼を言う彼女に付き添い、月彦は自分の教室へと向かった。
「智絵理ちゃんは、もうお昼ご飯は食べた?」
「ううん、まだ。これが終わってからにしようと思って」
「僕はもう食べちゃったな。ねえ、残りは僕が一人で運んどくからさ。智絵理ちゃんもお昼にしなよ」
「ダメだよ、そんなの。あたしが運ぶように言われたのに、月彦くんに任せてサボれないよ」
「いいよ、いいよ。智絵理ちゃんにはいつも助けてもらってるしさ。ノート貸してもらったり」
「あんなの大したことじゃないよ。でも月彦くんは、もうちょっと真面目にノートをとった方がいいかもしれないね。ふふふ……きゃっ !?」
 月彦と談笑しながら資料を運んでいた智絵理だが、それに気をとられたせいか、廊下の曲がり角で反対側から来た女生徒とぶつかってしまった。小さな体が尻餅をつき、資料が床にばら撒かれた。
「智絵理ちゃん、大丈夫?」
「う、うん。あたしは大丈夫……ご、ごめんなさい!」
 智絵理はぶつかった女生徒に慌てて謝った。相手は彼女のように転んではいないが、手に持っていたスマートフォンを床に落としてしまったようで、智絵理には目もくれず、拾い上げたスマートフォンが壊れていないか確かめていた。
「最悪……気をつけてよね。これ、高かったんだから」
 女生徒は智絵理を見下ろして舌打ちした。艶やかな長い黒髪の美人だが、智絵理を見る冷たい視線は友好的な成分をいささかも含んでいなかった。
「その言い方は何だよ、レイラ……」
 月彦は智絵理とぶつかった女生徒、令良を咎めた。
 令良は二人のクラスメイトだ。不良というわけではないが、非常に自己中心的で評判の悪い女生徒だった。常に独りで行動し、誰にでも非友好的な態度を示すため、ときどき今のようなトラブルになる。
 月彦が知る限り、令良に友人はいない……というよりは、友人を作るのを拒否しているように思える節があった。クラスのまとめ役で社交的な智絵理にとっても、唯一、気軽に話しかけることのできない女生徒だという。
「あなたみたいな男に名前で呼ばれる理由はないわね。不愉快だからやめてもらえる?」
「なんで智絵理ちゃんだけが一方的に悪いみたいに言うのさ。お前だって、今スマホの画面を見ながら歩いてただろ? 一応、校則でも持ってきちゃいけないことになってるし……」
 二人がぶつかったのは智絵理の不注意が原因だが、前を見ず廊下を歩いていた令良にも責任があった。他人を手伝っている姿を見せたことのない令良が、クラスのために雑用をしている智絵理を一方的に叱りつけるのは間違っていると思った。
「うるさいわね。あなた、そいつの肩をもつの? 男のくせに口うるさいチビなんて最悪……! あっちに行って!」
「なんだって !?」
「私の視界から早く消えてって言ったのよ、チビ!」
 令良は、床の隅を這いずり回る虫でも見るような目つきで月彦をにらみつけた。彼女の身長が月彦を上回っていることもあって、見下されている印象を強く受ける。
 憤った月彦は令良をにらみ返したが、重い資料を抱えた彼がいつまでもそうしていられるはずはなく、資料を拾い集めた智絵理に諫められて渋々その場を離れるしかなかった。
「なんだよ、あいつ。最悪なのはどっちだよ。まったくもう……」
 目の前から令良の姿がなくなっても、月彦の怒りは収まらなかった。非常に腹立たしい出来事だった。
「ごめんね、月彦くん。あたしのせいで気分を悪くさせちゃって」
「なんで智絵理ちゃんが謝るのさ? 悪いのはあの女じゃないか。どうしてあいつはああなんだか……あれじゃあ友達の一人もできないよ」
「令良さん、いつも独りだもんね……とっても可愛いのに」
「いくら顔がよくても、中身があんなのじゃお近づきになりたくないね。なんであんなやつのために資料を運ばなくちゃいけないんだ……」
 月彦は愚痴をこぼしながら、二つの教室を往復して資料を運び終えた。雑用に励む月彦と智絵理に気がついたクラスメイトたちは、「お疲れ様、ありがとう」と声をかけてくれたが、不機嫌そうな顔で窓際の席に座る令良が二人に視線を向けることは一切なかった。

 放課後、月彦は廊下の隅で智絵理を待っていた。昼休みに手伝った礼として、帰りにファストフードでもどうかと誘われたのだ。
 気になる異性の誘いを嫌がる男はいない。月彦はすっかりいい気分になって、智絵理が教室の戸締りをして戻ってくるのを今か今かと待っていた。
 窓の外に視線を向けると、朝から降っていた雨もようやくやみ、灰色の雲の隙間から明るい光が差し込んでいた。
(智絵理ちゃん……彼氏はいないらしいけど、僕のことはどう思ってるんだろう……)
 仲のいい友人。
 客観的に分析するなら、月彦と智絵理の関係はそんな表現になるだろう。
 同じジャンルの音楽を好んで聴いていることがわかって親しくなり、今ではノートの貸し借り(月彦がもっぱら借りる方だが)をしたり、時々、二人で帰りに買い食いをしたりする間柄だ。一度、話題の映画を一緒に観に行ったこともある。
 もう少し智絵理との仲が進展すれば……そう願いながらも、勇気をもってあと一歩を踏み出すことがなかなかできない。女性と交際した経験のないことが祟って、攻めあぐねているというのが実情だ。
 焦ってがっつくのは見苦しいが、何しろ智絵理は交友関係が広く、男友達も少なくない。幸い今はこのような二人きりの集いに呼んでもらえるが、あまりうかうかしていられないという思いがあった。
(また映画にでも誘ってみようかな。もうすぐ人気の新作の上映が始まるらしいし……あっ)
 そわそわする月彦の表情が不快感に歪んだ。彼が待ちかねる智絵理ではなく、昼に喧嘩をした相手である令良がやってきたからだ。
 月彦に気づいた令良は、道端の汚物でも見るかのような目で彼をにらみつけると、聞こえよがしに「最悪ね」とつぶやいて階段を下りていった。
「待てよ、令良! さっきのことは君が悪いんだからな!」
 一気に頭に血がのぼった月彦は、上から令良に声をかけた。
 長い黒髪の少女は足を止めて振り返った。細い目に敵意がこもっていた。
「たしか月彦っていったわね。あなた、あの子供みたいな委員長を待ってるの?」
「さあね。君には関係ない」
「やっぱりそうみたいね。ふん、チビのあなたにはお似合いの相手じゃない。初々しい小学生のカップルみたいで……でも気をつけなさい。あの子、本当は性格が悪そうだから。いつもヘラヘラ笑っていい子ぶってるのは演技よ、きっと」
「なんだと…… !? 智絵理ちゃんをバカにするな! いつもひとりぼっちの嫌われ者のくせに!」
「なんですって…… !?」
「本当に性格がねじ曲がってるな! いったいどんな育ち方をしたらお前みたいな嫌われ者になるんだよ! 小学校からやり直せ!」
「何よ! あんたみたいな情けないチビが私を侮辱しようっていうの !?」
 激昂した令良は階段を駆け上がり、月彦につかみかかってきた。長い黒髪を振り乱して、昔話に登場する鬼婆を思わせる憤怒の形相だ。
「何するんだ! 放せよ……うわあっ !?」
 足元が不安定な階段で令良を振り払おうとして、月彦は足を滑らせた。とっさに目の前にあった令良の腕をつかむも、崩れた体勢を立て直すことはできず、二人で悲鳴をあげて階段を転落していく。激しい痛みが全身を襲い、月彦の意識が途切れた。
 目の前が暗くなって何もわからなくなる直前、体がやけに軽くなった気がした。まるで体から大事なものが抜け出していくかのような錯覚を抱いて、月彦は自分自身を手放した。

 ◇ ◇ ◇ 

 少し離れたところから聞こえる智絵理の声に、意識を取り戻した。
「月彦くん、月彦くん! しっかりして!」
(あれ? 智絵理ちゃん、誰に話しかけてるの)
 目を開くと、泣きそうな顔の智絵理が倒れた男子生徒に呼びかけているのが見えた。体の各所の痛みをこらえて起き上がる。幸いにも、骨折やひどい出血はないようだった。
「智絵理、ちゃん……?」
「月彦くん、目を開けて、月彦くん!」
「何を言ってるの、智絵理ちゃん。僕はここだよ?」
 智絵理は一瞬だけこちらを向いたが、すぐにまた視線を下ろして少年を揺り起こす。そのか細い腕に抱かれているのは……なんと月彦だった。
(なんだ、あれ。どうして僕が……月彦があそこにいるんだ?)
 覚醒したばかりの頭は、まだ現状を充分に認識することができなかった。頬にかかる長い黒髪を手で払い、それが自分の髪であることに疑問を抱く。
 視線を下に……自らの体に向けると、白と紺の二色から構成される夏物のセーラー服が目に入った。胸元を彩るタイの色は学年によって決まっていて、今、自分がつけているのは二年生の智絵理のものと同じ、鮮やかなえんじ色のタイだ。
 制服の白い生地を内側から押し上げる、二つの大きな膨らみ。それが己のものであることに気づいて、震える手でわしづかみにする。柔らかな乳房の感触……揉んでいる感覚と揉まれている感覚を同時に味わい、思わず声が漏れた。
 口から出てきた自分の声は明らかに男子のものではなく、どこか聞き覚えのある……しかも、どちらかと言えば嫌いな少女の声だった。
 転倒した痛みはたちまち消え失せ、驚きが彼女の心を支配した。
(なんだ、これ。どうして僕が女子の制服なんか着て……それにこの髪、この声。これじゃまるで……)
「ち、智絵理ちゃんっ! ぼ、僕は誰 !? 僕は誰に見えるっ !?」
 取り乱して智絵理に訊ねると、智絵理は涙を流して彼女を見た。
「イヤぁ……月彦くんが目を覚まさないの。お願い、令良さん。誰か人を呼んできてぇ……」
「れ、令良…… !? それ、まさか僕のこと…… !?」
 彼女は仰天して立ち上がり、手近にある男子トイレに向かった。自分が膝丈の紺のスカートをはいているのがまた恐ろしい。血相変えて手洗い場の鏡を覗き込むと、そこに映っていたのはたしかに令良……令良の顔だった。
「こ、これが僕っ !? なんで僕があいつになってるんだよ !?」
 令良は死人のように青ざめ、何度も何度も鏡を見つめた。これは夢ではないかと自らの頬をつねり、顔を洗い、深呼吸して、また鏡に見入り……何度見直してもきつい目つきの美少女が映っていることに狼狽する。
「な、なんだよこれ。どうして僕が令良になってるんだ? それに、あそこに倒れてた僕の体……ま、まさかこれって……」
 令良は自分の真っ青な顔を両手で覆った。
 以前観たテレビドラマで、現在の状況とよく似た場面があったことを思い出す。それは男女の体が入れ替わってしまう内容のものだった。
(もしかして、あのドラマみたいに僕と令良の体が入れ替わってるのか……?)
 にわかには信じがたい話だが、令良が今置かれている状況は、その非現実的な仮説を支持していた。
 月彦の心が体を離れ、意識のない令良の体に入り込み、令良の体を支配してしまったとしか考えられない。そして令良の心は……まさか、月彦の体に入り込んでしまったのだろうか。
 ようやく事態を理解した令良は、大慌てで智絵理がいる階段に戻った。慣れないスカートが走りにくくて仕方ない。すぐ顔にまとわりつくストレートの長い髪や、ボリュームのある豊かな乳房など、とにかく違和感ばかりだ。
「智絵理ちゃん! 僕、僕の体は目を覚ました !? あ……!」
 二人のところに戻ってきた令良は、驚きに目を見張った。気を失っていたはずの月彦が立ち上がり、智絵理を乱暴に突き飛ばしたのだ。
「きゃあっ !? 痛いよ、月彦くん……いきなりどうしたの?」
「馴れ馴れしくしないでよ! 昼のことといい、あなた私に喧嘩売ってるの !?」
「ひどいよ、月彦くん。いったいどうしちゃったの?」
「智絵理ちゃん、大丈夫 !?」
 壁に寄りかかって怯える智絵理を、令良はかばった。月彦と令良は向かい合い、お互いの姿を瞳に映しあった。
「わ、私…… !? これはいったいどうなってるのよ! どうして私がそこにいるの !?」
 女のような口調で喋る月彦の姿に、令良は自分の仮説が正しかったことを確信した。
「まだわかってないみたいだな、令良。自分の体をよく見てみろよ」
「こ、これは…… !? なんで、どうして私が男子の制服なんか……! 声だって変だし、いったい何がどうなってるの !? 私の顔したあなたはどこの誰よ!」
「智絵理ちゃん、ごめん。今日は帰ってもらっていい?」
 月彦の疑問には答えず、令良は智絵理の鞄を拾い上げた。
「え? 令良さん……月彦くんはどうしちゃったの? 私、今日は月彦くんと一緒に帰る約束をしてて……」
「あいつは月彦じゃないんだ。今あいつと話をしようとしても、絶対にうまくいかないよ。この埋め合わせはいずれ必ずするからさ。とにかく今日は先に帰ってくれないか。本当にごめん……」
「う、うん。よくわからないけど、そうするね。また明日ね、月彦くん。それに令良さん……」
 まったく事情がのみ込めていないようだが、それでもただならぬ気配を察したのか、智絵理は名残惜しそうに去っていった。その頬が濡れていたことに、令良は罪の意識を抱いた。
「今日は智絵理ちゃんと一緒に帰るはずだったのに……君のせいで台無しだよ、令良」
「だから、あなたはいったい何なのよ! なんで私と同じ顔をしてるの !?」
「答えを教えてあげるからついてきなよ。説明を聞くよりも見た方が早いよ、きっと」
 令良は先ほどの男子トイレに月彦を連れ込み、鏡を彼に見せてやった。月彦の顔からは気の毒なほど血の気がひき、ぽろぽろと涙をこぼしはじめた。
「な、何なのよ、これは……! 私があなたになって、あなたが私になってるって…… !?」
「そうみたいだね。他に考えられない」
「ふざけないで! あなた、私の体を返しなさいよ! 今すぐ!」
 月彦は半泣きになって令良の制服をつかんだが、令良は冷静だった。こんなとき、自分よりも取り乱す者がいると反対に気分が落ち着くものだ。
「こんな体、返せるものなら今すぐに返してやるよ。それにはまず、どうして体が入れ替わったのかを考えなきゃ」
「それはもちろん、あなたが私を階段の上から引きずりおろしたからでしょ! そうよ、全部あなたのせいじゃない! 早く私の体を返して!」
「何を言ってるんだよ。君が僕につかみかかってきたのが原因だろ? 元はと言えば、君が僕と智絵理ちゃんに喧嘩を売ってきたのが悪いんだけどさ」
「何よ、私のせいにするつもり !? そもそもドン臭いあなたたちが悪いんでしょ! こっちはいい迷惑よ、チビ!」
「だから、どうして君はそうなんだ !? ひとの話を聞こうともしないで、噛みついてばかり……! いったいどんな育ち方をすればそんなにひねくれるんだ!」
「まだそれを言うの !? 私の体を盗んだ変態男のくせに、許せない!」
 月彦の心を宿した令良。
 令良の魂を有する月彦。
 奇妙な二人は至近距離で憎々しげににらみ合い、そして同時にそっぽを向いた。
 だが、今はいがみ合っている場合ではない。一刻も早く元の体に戻る必要があった。
「どうやって元の体に戻るかだけど……もう一回二人であの階段から落ちたら、また体が入れ替わって元に戻れるんじゃない? 今すぐやろうよ」
「やろうよって……あなた、ケガしたいの? さっきは痛いだけで済んだけど、次はきっとそうはいかないわ。二人揃って骨折するかもしれないし、救急車を呼ぶことになるかも……最悪、死んじゃうわ」
「なんだ、怖気づいてるのか? じゃあ、君はずっとこのままでいいっていうのかよ」
「そんなの、死んでもイヤよ。でも、元に戻るために死ぬのもイヤ」
「ホントにわがままなやつだなあ……」
 令良は嘆息したが、月彦の指摘は決して無視できなかった。
 あのときの状況から考えて、階段から落ちたショックで二人の中身が入れ替わったことはほぼ確実だ。だが、もう一度同じことをしたからといって元に戻れる保証はどこにもないのだ。
 うまく元の体に戻れることができたらいいが、元に戻れずただ怪我をするだけということは大いに考えられる。打ちどころが悪ければ、月彦が言うように命を落とす可能性だってなくはない。
 もしも月彦の体だけが死んでしまい、月彦の心が入った令良だけが生き残ってしまったら……あるいはその反対の結末を考えると、なかなか実行に移せるものではなかった。
「しょうがない。階段落ちは最後の手段にして、他の方法も探してみよう。もしかしたら、一晩寝て起きたら元に戻ってるかもしれない」
「そう願いたいわね。まったく……私がこんな汗臭い男の体になってるなんて悪夢だわ」
 月彦はぼやいたが、年頃の男として見た彼はどちらかといえば線が細く、汗臭さや力強さをほとんど感じさせない。入れ替わる前の月彦がなかなか智絵理に告白できなかったのも、そんな小柄で頼りない自分の体にコンプレックスを抱いていたことが原因の一つだった。
「僕だって困ってるよ。他の女の子ならとにかく、なんで学年一の嫌われ者の女子の体になんか……」
「ふん。やっぱりあなたとは相性が最悪ね。言っとくけど、私の体でいやらしいことをしたらあとで訴えてやるから」
「誰がそんなことするもんか! 君こそ、僕の体でいつもみたいに毒ばっかり振りまくんじゃないぞ。元に戻ってから僕が困るんだからな」
「なんですって!」
「君こそなんだよ!」
 また始まった口喧嘩を無理やり中断して、二人は下校の途についた。肩を並べて駅前に向かい、ショッピングモールの中にあるファストフード店に立ち寄った。
 こんな忌々しい相手と軽食を共にするのはご免だというのが二人の一致した意見だったが、今すぐ元の体に戻ることは難しく、入れ替わっている間に困らないよう、最低限の情報交換をしておく必要があった。令良になった月彦が帰宅し、「クラスメイトの女の子と体が入れ替わった」などと説明しても、月彦の家族には信じてもらえないだろう。
 夕方のファストフード店は学生で賑わっており、離れた席には令良のクラスメイトたちの姿もあった。何やら興味深そうな視線をこちらに向けてひそひそ話しているのを見ると、しばらくの間、クラスの噂になってしまいそうな行為をしている自覚が芽生える。
(なんで僕がこんな目に遭わなきゃいけないんだ。僕が好きなのは智絵理ちゃんなのに……)
 不機嫌な顔でポテトフライを口に運ぼうとすると、月彦に手首を強くつかまれた。令良は驚き、ポテトをトレイの上に落としてしまった。
「おい、何するんだよ !?」
「あまり脂っこいものは食べないで。そのスタイルを維持するの、大変なんだから」
「そんなの僕の知ったこっちゃないよ。この体は今、僕のものだろ? 自分の体なんだから何をしたって、僕の勝手じゃないか」
「ふうん、そう……そんなことを言うなら私も、この体であそこに座ってる女の子たちに襲いかかってみようかしら。今は私の体なんだから、何をしたって私の勝手よねえ……?」
「な…… !?」令良は目を剥いた。「やめろよ、そんなの許さないぞ!」
「だったら、あなたも勝手なことをしないで。ポテトは三分の一までなら許してあげる。残りは私がいただくわ」
 そう言って、令良のポテトフライを横取りする月彦。この軽食の料金はすべて彼が負担しており、令良は彼に奢ってもらっている立場と言えなくはない。
 だが、体が入れ替わっている今は、それが非常に理不尽に感じる。
(なんで僕がこんな目に……あれ?)
 そわそわした感覚に、令良はわずかに腰を浮かせた。男の体だったときも日常的なものだったその感覚に、自然と頬が赤くなった。
「あ、あの……大事な話があるんだけど」
「何よ? 周りが騒がしいから、もっとはっきり言わないと聞こえないわよ」
「お、おしっこ。おしっこしたくなっちゃったんだけど」
「はああああっ !?」
 月彦はその場に立ち上がり、店内にいる客の注目を一身に集めた。驚きに目を見開く学生たちの中には他のクラスの生徒も少なからず交じっていて、日頃から悪い意味で有名人である令良と親しげに(はたからはそう見えるだろう)話す月彦が、明日から学年じゅうの話題になることは想像に難くない。
 周囲の視線に気づき、月彦は赤面して席についた。
「お、おしっこって……あなたねえ、私の体でトイレに行くつもり? そんなの許さないわよ!」
「じゃあ、どうしろっていうんだよ? いつまでも我慢できるわけないだろ。君の体でおもらししてもいいっていうのかよ」
「いいわけないでしょ! そんな恥ずかしいことしたら、あなたを殺して私も死んでやる!」
「それならトイレに行かせてくれよ。今は体が入れ替わってるんだからしょうがないだろ。君だって、僕の体でおしっこしないといけないんだぞ。おしっこだけじゃない。うんこだって、お風呂だって……」
「ああ、もう、わかったわよ! 行ってきなさいよ、おしっこ!」
 耳まで真っ赤にして、月彦は令良に許可を出した。またその声が周囲に聞こえてしまったようで、ギャラリーの学生たちは口々に、「おしっこ?」「おしっこ……」「どんなプレイしてるんだよ」などと囁き合った。
 あまりの羞恥に令良は顔を上げることができず、スカートの裾を押さえて店を出た。心臓がドクドクと体の中を跳ね回るのがわかった。
 危うく男子トイレに入りそうになって、慌てて女子トイレに足を向けた。初めて侵入する女子トイレに緊張しつつ、一番奥の個室に入り、便座に腰を下ろした。
 スカートを下着ごとずりおろし、あらわになった股間に見入った。薄い陰毛をまとった秘所には、当然、男の体についているはずのものは存在しない。
(チンポがない。僕、本当に女の子の体になってるんだ……)
 胸元を押し上げる豊かな乳房の向こうに、土手のようにほんの少し盛り上がった女の陰部が見える。令良の中に入っている少年の心にとっては、人生で最初に間近で見る本物の異性の股間だった。
 それが智絵理のものでないのは残念だが、驚きと好奇心はその失望をはるかに上回った。陰毛を生やした薄い色の肌に細い縦の筋が走り、綺麗なピンク色の下唇を晒していた。
 今はこの女の股間が自分のもの。いくら覗き込もうが手で触れようが、邪魔する者は誰もいない。その事実に令良はいたく興奮した。
(もっと見ていたいけど、とにかく今はおしっこしなきゃ。もう我慢できないよ)
 下腹に力を入れると、じょおおおお……と下品な音をたてて、股間の割れ目から勢いよく小水が噴き出してくる。湯気がたち、尿の臭いが鼻をついた。
(ああっ、おしっこ出てる。僕、あいつの体でおしっこしてる……)
 思っていた以上に貯まっていたのか、心地よい放尿の感覚に合わせて下半身が小刻みに震えた。令良は熱い吐息をつき、女性の排泄に酔いしれた。
「あは、気持ちいい。女の子の体でおしっこするのドキドキする……ううんっ?」
 残尿が雫となって秘所から滴り落ちる感触を楽しんでいると、令良の体は別の欲求を訴えはじめた。液体だけでなく固体も出したがっているのだ。
(や、やばい。うんこもしたくなっちゃった。女の子の体でうんこなんて……)
 長い髪が頬にかかるくすぐったさに堪えつつ、令良は新たに襲いかかってきた排泄の衝動に悶えた。
 ここで出すべきか我慢すべきか迷ったが、生理的現象は抑え込めるものではないと割り切って、今この場で済ませることにした。月彦が知れば激怒するだろうが、いつまでも我慢できるわけではなく、やむをえまい。
 括約筋を緩めて肛門を開放する。腸の終点に詰め込まれていた塊が尻の穴を通過して出ていき、ぽちゃん、ぽちゃんと水音をたてた。
 再び下腹部に力を入れたことで、膀胱に残っていたわずかな尿がちょろちょろと漏れ出していく。前から後ろから排泄物を垂れ流す己の陰部を、令良は心ゆくまで観察した。
「ううんっ。おしっこだけじゃなくて、うんこまで……これ絶対、あいつに怒られるよう」
 色っぽい声でうめき、本能を満たす快感におぼれていった。異性の肉体への好奇心と欲望、それに他人の体を好き勝手に操っている背徳感がスパイスとなり、少女になった少年の興奮をとめどなく煽った。
 令良は次々に大便をひり出し、月彦のものとは少し異なる令良の排泄物の臭いを記憶に刻みつけてしまった。
 今、鏡を見たら、きっと頬が艶やかに紅潮しているだろう。自分が男ではなく、同い年の美貌の女子高生になっていることを改めて思い知らされ、令良は恐怖とそれ以外の感情に震えるばかりだった。
「はあ、はあ、はあ……ダ、ダメだ。僕は智絵理ちゃんが好きなのに、令良の体に興奮しちゃってる……」
 たっぷり時間を費やしてようやく落ち着いた令良は、便器のウォシュレットで汚れた股間を洗ったあと、柔らかなトイレットペーパーで濡れた陰部を念入りに拭いた。女の入口からは小便以外の汁が漏れ出してきたが、可能な限り拭き取って白いショーツをはき直した。
 油断をするとショーツに染みができてしまうかもしれない……女ものの下着に染みをつくることを想像して赤面しつつ、彼女は化粧室を出た。途中すれ違ったクラスメイトの女子が驚いた様子で振り返るのが鏡越しに見えた。
 随分と遅くなってしまった。きっと月彦は怒るだろう。令良はそう予想し、そしてその通りになった。
「遅かったじゃない。いったい何をモタモタしてたのよ?」
 思った通りご機嫌斜めの月彦は、咎めるように令良に訊ねた。
「ごめん。女の子の体だから手間取っちゃって……」
「ふうん、その恥ずかしそうな顔……見たわね?」
「み、見たって、何をさ?」
 令良は動揺を抑えて問い返した。顔が赤いだけでなく、体温は上昇し、心臓の鼓動も速まっていた。
「そりゃあ、決まってるわよ。私の体の大事なところ。それも見ただけじゃない……触ったでしょ」
「あ、ああ。だって拭かなきゃいけなかったから……」
「最悪……! なんでこんな変態男に、私の体を好き勝手されなきゃいけないの !?」
 月彦は内股になって頭をかかえたが、その口調も仕草も実に気持ち悪いと令良は思った。
「し、仕方ないだろ。君だって覚悟しとけよ。おしっこしたくなったら男子トイレに入って、僕のチンポをつまんで立ち小便しなきゃいけないんだからな」
「ち、ちん……下品! 変態! 今すぐ私の体を返して!」
「返せるものなら今すぐにでも返すって言ってるだろ。そんなに入れ替わってるのが嫌なんだったら、さっさと階段のてっぺんから二人で飛び下りようよ。死ぬかもしれないけどさ」
「だから、そんな怖くて痛そうなことできないって言ってるでしょ。でもあなたなんかに私の体を使われるのもイヤ!」
「イヤだとか最悪だとか……君ってホントに文句ばっかりだよな。どんなわがままな育ち方をしたらそんな風になるんだか」
「なんですって !? あなたが最悪なことばっかりしなければいいのよ! もう、今日は最悪! 何もかもが最悪だわ!」
 月彦は席を立ち、食物のなくなったトレイを令良に押しつけてきた。まだろくに情報交換をしていないが、ここでお開きにしようというのか。
 令良は困り果てた。このまま彼と別れては、自分が今日どこの家に帰ればいいかもわからない。
「ひょっとして、このまま解散? まだほとんど何も聞いてないんだけど」
「そんなわけないでしょ。ここは人目につくから私の家に移動しましょ。あなたの家や家族の話は、そこで聞かせてもらうわ」
 月彦の提案に令良は安堵した。聞けば、令良の家まではここから徒歩で十分ほどの距離だそうだ。月彦の自宅は駅から電車で数駅離れたところにあり、道を詳しく教えてやらねば帰れまい。
 日が暮れて暗くなった住宅街を二人で歩き、駅や学校までの道順を彼に教わった。令良はたびたび振り返り、辺りの風景を目に焼きつけた。明日の朝、もしも元の体に戻っていなければ、月彦の入った令良がひとりで登校しなくてはならない。
「君の家まで送ってくれるのはいいけど、僕の体を家にあげて大丈夫なの? 君の家族に変な誤解とかされないかな」
「それは心配いらないわ。私、一人暮らしだから」
「え、そうなの?」
 令良は驚いた。二人が通う高校は県外から生徒が集まるような人気の学校ではなく、ごく平凡な公立高校で寮もない。ほとんどの生徒はこの街の出身で、実家から自転車やバスで登校してくる。親元を離れて一人暮らしをしている者には今まで会ったことがなかった。
「家庭の事情でね。詳しいことは訊かないで」
「わかった……」
 唐突に表情をなくして硬い声で答える月彦に、令良はそれ以上何も言えなくなった。頼りない街灯の光を頼りに狭い道を二人で歩く。
 やがて二人が到着したのは、築五十年はたっていようかと思えるほどボロボロのアパートだった。踏めば嫌な音をたてる錆だらけの鉄の階段を上がり、二階の一番手前が令良の部屋だという。
「ひどい家に住んでるなって思ったでしょ」
 薄汚れたドアの鍵穴にキーを差し込み、月彦は小声で言った。
「い、いや、そんなことないよ」
「いいの。私もそう思ってるから。いつか新築の一戸建てに住んでみたいわね」
 月彦はドアを開け、令良を招き入れた。
 令良は硬い動作で靴を脱ぎ、「お邪魔します」と挨拶して自分の家に足を踏み入れた。六畳の和室が一つと、トイレと一緒になったユニットバス、そして小さなキッチン。それが全てだった。
 掃除はきちんとしているようで、部屋は建物の外観には不釣り合いなほど綺麗だ。古い文庫本が本棚に整然と並べられ、白い壁には海辺の風景を素材にしたカレンダーが張られていた。
 令良の中の月彦にとって、思春期以降で初めて招待された同い年の異性の部屋だ。たとえそれが性悪で名高い女生徒のものであっても、緊張と好奇心は隠せない。
「適当にその辺に座って。それにしても、たまたま今日がアルバイトのない日で助かったわ。この体じゃ行けないものね」
「バイトしてるんだ。何のバイト?」
「ここから少し離れたところにあるレストランよ。もしも明日元の体に戻ってなかったら、私の代わりにあなたにバイトに行ってもらうからそのつもりでね」
「うげえ……」
 自分がウェイトレスの格好をして客に料理を運ぶ姿を想像し、令良は顔をしかめた。器量よしの令良の体であれば何を着ても似合うだろうとは思うが、自分がその立場に置かれるのは辛い。
 せめて体が入れ替わっている間くらい、アルバイトは休めないか。そう訊ねると、月彦は静かに首を振った。
「うち、お金がないのよ。伯父さんからの仕送りは最低限で、あとは自分で稼がなくちゃいけないの。だからバイトは絶対に休めないわ。病気なんてできないし、ケガだってできない。大ケガをして救急車を呼んでも、治療費が払えないから病院のお世話にはなれないわ」
「ああ、そうか。だから階段から飛び下りるのは嫌なんだ。伯父さんって言ったけど、お父さんやお母さんはいないの?」
「詳しいことは訊かないでって、さっき言ったはずよね」
「う……」
 突き刺さるような月彦の鋭い視線に晒され、令良はうつむいた。
 裕福な……とまではいかないが、そこそこの収入がある家庭で育ち、今まで何不自由ない生活をしてきた月彦と、ボロボロのアパートでアルバイトをしながら一人暮らしをしている令良。互いの境遇の差を思い知らされ、ぐうの音も出ない。
(まさかこの子がこんな生活を送ってたなんて。てっきり、お金持ちの一人っ子か何かでわがままに育てられたものとばかり……)
 協調性がなく周囲の人間とトラブルを起こすのはたしかに問題だが、この悲惨な境遇を知ってしまうと、今までのような悪口は言えなくなってしまう。
 アルバイト先の人間関係や日頃の家事をどうしているかといった月彦の説明に耳を傾けながら、令良は体が入れ替わる前の自分の心ない行いをただ恥じていた。
「ふう……私からはだいたいこんなところかしら。次はあなたのことを教えてもらわないといけないわね。住所、家族関係、学校での友達……呼び方が違うだけでも不審に思われちゃうから大変だわ」
「やっぱり、体が入れ替わってるのが皆にバレたらまずいかな?」
「さあ……バレるっていうか、そもそもこんな非常識な話を信じてもらえるのか、私にはわからないわね」
「そうだなあ。体が入れ替わってるなんて、僕自身が信じられないくらいだもんなあ」
「でも、もし仮にこの状況を誰かに信じてもらったとして、あなたは困るんじゃない? 私は学年一の嫌われ者なんでしょ。そんな女があなたの体に入ってるって周りに知れたら、二人揃って村八分にされるかもしれないわ」
「そんなことになったら、元に戻ってから大変だろうな……ああ、そういえば今日は智絵理ちゃんを泣かせちゃったなあ。明日元に戻ってなかったら、僕の代わりに君が智絵理ちゃんにごめんって謝っといてよ」
 令良は頭をかかえ、これから訪れるかもしれない新たな生活の苦労に思いを馳せた。
 うまく元に戻れたらいいが、当分の間、元に戻れないのであれば、お互い不自由な日常を余儀なくされるだろう。
 孤独に慣れない今の令良が、友人どころか話し相手さえいない寂しい学校生活に耐えられるか不安だ。性格のねじ曲がった今の月彦が、これまで通り家族やクラスの中でうまくやっていけるかも疑わしい。
 頭の中に浮かんでくるのは心配の種ばかりで気が滅入る。
「好きなの?」
「好きって……いきなり何の話?」
「あの小さくて八方美人の委員長のことよ。好きなの? もう付き合ってたりする?」
「ええっ、そんなこと……とても言えないよ」
 月彦の肉体に宿った令良に訊ねられ、令良の中の月彦は目を白黒させた。
 はっきり言えば、月彦と智絵理の関係はせいぜい異性の友達同士といったところだ。たしかに好意こそ持ってはいるが、向こうも同じ思いだと確信があるわけではない。それを事細かに説明することはできず、令良はうろたえた。
「ふうん……まあいいわ。その反応でだいたい察しがつくから」
 そうつぶやいて、月彦はおもむろに立ち上がった。「ちょっとお手洗い」
「トイレか。さっき僕も君の体で済ませたけど……ちゃんとできる?」
「バカにしないでよ。小さい子供じゃあるまいし、トイレくらいなんてことないわ」
 不機嫌な声で返して、月彦は便所に消えていった。
 令良は彼が戻ってくるのをしばらく待ったが、なかなか出てこない。数分が経過して、壁を殴る大きな音が聞こえてきた。
「ああ、もう! なんで収まらないのよ !? これだから下品な男の体はイヤなのよ!」
「いったい何をしてるんだ !? やっぱりちゃんとできてないじゃないか!」
 令良がドアを開けて中を覗き込むと、便座に腰かけて困惑する月彦の姿があった。その股間では、小柄な体には似つかわしくない大きなペニスが天を向いて立ち上がっていた。
「このくらいなんてことないって言ってるでしょ !? いちいち入ってこないでよ!」
「な、なんで勃起してるのさ。ひょっとしてエッチなことでも考えてた?」
「考えてないわよ、バカ!」
 月彦は頬を赤く染めて否定したが、同様に赤面した令良がじっと見つめつづけると、やがて観念したかのように大きく息を吐いた。「はあ、なんで私がこんな目に……」
「やっぱり、エッチなことを考えちゃったんだね?」
「仕方ないでしょ。この体になってから、どうしてなのかはわからないけど、女の子がいたら自然と目が追いかけちゃうし、あなたのことだってなんだか可愛いなって思っちゃうし……自分の体なのに、よ。この家にあがって、いい匂いがする私の部屋であなたと二人きりで話をしてたら、いつの間にかここが勝手にこんな風になっちゃって……ううっ、もう最悪……」
 月彦はべそをかいていた。不慣れな異性の肉体に戸惑い、少女の心が涙を流した。
 令良はそんな月彦に寄り添い、男にしては小柄な体を抱きしめてやった。意図した動作ではなく、体が自然にそうしたのだった。
「泣かないで。今の君は男の子なんだからさ。そのくらい普通のことだよ」
「ううう……私、やっぱり男の体なんてやだぁ……こんなに大きくて硬いものが私の体についてるなんて信じられない。なんだか変な形をしててグロテスクだし……」
「もしかして、令良は今まで男の人と付き合ったことないの?」
「ないわよぉ……男の裸なんて、伯父さんと死んだお父さんのしか見たことないわ。それにしたって、もう子供の頃の話だし……」
「そうなんだ。それじゃあ、たしかにグロテスクに見えるかもね。僕のものは普通よりも少し大きいみたいだし。ふふっ」
 令良は微笑み、勃起した月彦の一物を握りしめた。手に小便の雫がついたが、今はそんなことも気にならない。
「ああっ? な、何をするのよぉ……」
「男の体のこと、僕が令良に教えてあげるよ。これは放っておいてもなかなか収まらないんだ。出せば収まるから、こうやってチンポを手でしごいて出してやるといいよ」
 便座に座る月彦に豊かな乳房を押しつけながら、令良は握った手を上下させた。太い幹をつかみ、たおやかな手の感触を自らも楽しみながら優しくしごいた。
「ああっ、やだ、こんなのイヤぁ……」
「でも、気持ちいいでしょ? 君の手、とっても柔らかいからな。指だってこんなに細くて綺麗な爪をしてるし……僕がこの女の子の手で、君のチンポをもっともっと気持ちよくしてやる」
 令良の長い指が月彦のペニスを締めつけ、シュッ、シュッとリズミカルに摩擦した。表面に血管の浮き出た若くたくましい陰茎は歓喜に悶え、いっそう硬度を増していく。
 ほんの数時間前まで自分のものだった男性器を握りしめ、少年だった少女は赤い顔で奉仕にのめり込んだ。
 気持ち悪いとは思わなかった。日頃から自慰を繰り返していた健やかな男子高校生にとっては、この行為も日常の延長でしかない。その日常的な行為を、いまだ男を知らない乙女の繊細な手で行うのは、決して不快ではない新鮮な喜びだった。
「ああ、お願い、もうやめてぇ……」
「ふふっ、そんなこと言いながら、ますます硬くしてるじゃないか。僕の綺麗な手でチンポをしごかれて、令良も気持ちいいんだ」
「こ、これがおチンポをしごかれる感触なの? お腹の底が熱くなってくる……あっ、ああっ、あっ」
 月彦ははじめこそ身をくねらせて嫌がったが、すぐに抵抗するのをやめて、令良の淫らな手つきを受け入れるようになった。そればかりか、とろけた顔で悩ましげな吐息をついて、物欲しそうな目で令良を見つめる。紅潮した顔がもっとしてくれと語っていた。
「どう? 男の体もなかなか気持ちいいでしょ。令良は普段オナニーするの?」
 耳たぶに息を吹きかけ、軽く歯を立てて噛んでやる。情けない悲鳴があがった。
「あああああっ、し、しないわ。いやらしいことはほとんどしたことがないの……」
「信じられない。ホントかな? こんなに大きなおっぱいがあるのにオナニーしないなんて」
「ほ、本当よ。クラスの男子がいやらしい本を持ってきて大騒ぎするの、大嫌いなの……」
 月彦の返答に、令良は体が入れ替わる前の日頃の教室の光景を回想した。時おり、たちの悪い男子生徒が数人、猥褻な書籍やインターネット上の淫らな映像を話の種にして騒ぐことがあった。そのときの令良は、たしかに険しい顔で彼らをにらみつけていたような気がする。
「そういえばそうだったかな。でも、今は君もいやらしい男子の一員なんだよ。ほら、僕がいないときはエッチな本や動画をオカズにしながら、こうして自分のチンポをしごくんだ。男は毎日そうしないと生きていけないからね」
 嘘だった。淫らな気分が高じて、つい戯れたくなったのだ。先ほど智絵理との仲を詮索された意趣返しの意味もある。
「そ、そんな……こんなことを毎日しなきゃいけないの? あっ、ああっ、いやあっ」
「そうだよ。令良もこれから毎日、自分のチンポをシコシコするんだ。オカズはエッチな本や動画だけじゃない。クラスメイトの女の子のいやらしい姿を想像しながらシコシコするのもいいね。ふふふ……君からもらったこの体なんて最高だよ。この美人でスタイル抜群の体を裸にひん剥いてオナニーしたら、きっとすごく気持ちいいだろうな。ああ、今の僕にチンポがないのが本当に残念だよ」
 えらの張った雁首をきゅっ、きゅっと指で搾り、令良は言動と行動で月彦を嬲った。肩こりがするほど重量のある乳房をセーラー服の生地越しに月彦に押しつけ、童貞の彼をいかがわしく誘惑した。
 十七歳の処女の肉体……元の持ち主の申告によるとろくに自慰もしたことがない清い乙女の体は、同い年の少年のペニスを握って発情していた。ゾクゾクする興奮の波が背筋を這い上がり、女の芯を熱くさせる。いまもって汚れを知らない割れ目から熱い蜜が漏れ出し、白い下着に染み込んでいくのがわかった。
(僕の女の子の体……どんどんエッチになってきたぞ。ああ、この太いチンポをスケベなアソコにハメられたら、いったいどうなっちゃうんだろう)
 借り物の身体を支配する少年の心は、月彦の中の令良と同様に昂っていた。陰唇から止めどなく汁が滴り、その奥にある子宮が受精を夢見てじくじく疼く。女として花開きつつある少女の体が、激しい痛みを伴うであろう異性との合体を欲していた。
 そのとき、令良はこの戯れが月彦を助けてやる行為なのだと思い出した。
(ダメだ。僕は令良とセックスしたいわけじゃない。僕が好きなのは令良じゃなくて智絵理ちゃんなんだから……)
 つい調子に乗って月彦をいじめてしまったが、本来は男の生理を彼に教えてやるのが目的なのだ。いくら発情したからといって、ここで好きでもない相手に貞操を捧げるわけにはいかない。
 とにかく、速やかに射精させよう。令良は手の動きを速め、少年がスムーズに絶頂に至れるようにしてやった。それが功を奏したのか、手の中の太い若木が脈動し、射精の予兆を示した。
「ああっ、す、すごいわ。何かきそう……ああっ、の、のぼってくる。あっ、ああ、あひっ」
「ふふ、そろそろイキそうなの? イクときはちゃんとイクって言うんだよ。ほら、ほら」
「く、くるわ……ああっ、イク、イクわ。あああっ、あっ、ああああっ、出るっ!」
 月彦は鼻の穴を膨らませ、舌を出して苦悩と歓喜の叫びを放った。令良の手の中のペニスが雄々しく奮い立ち、灼熱のマグマを噴き出した。令良の繊細な手に白濁した塊が絡みつき、生臭いオスの臭いを撒き散らした。
 令良は驚きと興奮を顔に表した。入れ替わる前は自分が月彦の身体で日課としていた行為だが、今のように他人の……それも異性の視点で観察すると、戦慄さえ伴う迫力と倒錯的な喜びを強く感じる。令良のショーツは小便を漏らしたかと錯覚するほどびしょ濡れになっていた。
「出た、出た。なかなかすごいじゃないか。やっぱり体が入れ替わってると受ける印象が全然違うね」
「はあ、はあ、はああああ……ぼ、僕、射精したの?」
「そうだよ。たっぷり出たなあ。ここがユニットバスでよかったよ。後始末が楽でいい」
「き、気持ちよかった。これが男のオナニー……」
 月彦は恍惚の表情で萎えた己のペニスを眺めていた。生まれて初めて体験する官能の体験に、すっかり心奪われているようだった。
 これで嫌がっていた男の体にも慣れ、独りで性欲処理をするようになるかもしれない。今すぐ元の体に戻れないのであれば、日常生活で不自由しないための手法は知っておく必要がある。これはその指導なのだと、令良は自分の淫らな行いを心の中で正当化した。
「それじゃあ、部屋に戻って僕の話を続けようか。家のこととか友達のこととか……」
「いい、もう大丈夫。私、あなたの家に帰るわ」
「え?」
 下着とズボンをはき直し、月彦は外に出ていった。驚いてあとを追うと、鞄を肩にかけて靴を履き、帰り支度をしている。
「急にどうしたの? 帰るって……まだ君は僕の家の場所も知らないじゃないか」
「だいたいわかるから大丈夫よ。遅い時間になっちゃったから、家族に心配されちゃうわ。今から帰るって妹に連絡しておかなきゃ」
(あれ? 僕に妹がいるって話したっけ……?)
 令良は予想外の月彦の行動に面食らったが、たしかに彼が言うように、もう遅い時刻だ。これ以上は情報交換を続けるのはやめて、代わりにスマートフォンのSNSでメッセージを送って知らせることにした。二人は連絡先を交換し、明日また話をする約束を交わした。
「それじゃあ、また明日。今晩寝て起きたら元の体に戻ってたらいいわね」
「う、うん。困ったことがあったらすぐ連絡してね」
「わかったわ。それじゃあ、おやすみ」
 月彦は笑顔を見せて帰っていった。淫らな体験をさせられ機嫌を損ねたかと危惧していたが、どうやらそういうわけではないらしい。
 令良の家に取り残された令良は、とりあえず思いつく限りの情報をメッセージに記して月彦に送り、畳の上に寝転がった。やはり緊張していたのか、独りになると今まで意識しなかった疲労が全身にのしかかってきた。
「はあ……今日はいろんなことがあったなあ。というか、いろんなことがありすぎた」
 まさか自分が他人と体が入れ替わり、一人暮らしの女子高生として一夜を過ごさなくてはならないとは、半日前は想像さえしていなかった。
 艶やかなストレートの黒い髪、ややきつい印象を受ける整った顔立ち、ずしりと重い胸の膨らみ、細く優美な指と爪、恵まれた体のプロポーションと長い脚……平凡な男子高校生だった月彦は、令良のそれら全てを自分のものにしてしまった。
 入れ替わっている間は月彦が令良。令良が月彦。
 もはや令良以外の何者でもない彼女は、制服のセーラー服を脱ぎ、普段着に着替えることにした。いや、この時刻であれば入浴し、寝間着を身に着けた方がいいかもしれない。日頃の令良がどんな格好で寝ているのか今の令良は知らなかったが、部屋の隅に畳んで積まれていた衣類の中に飾り気のないピンク色のパジャマがあった。
 タンスの中をあさり、替えの下着も見つけ出す。下着泥棒をしている気分になったが、今は自分が令良なのだから仕方がないと己を納得させ、色とりどりの下着の中からラベンダー色のブラジャーとショーツのセットを選び出した。
「今からお風呂か。僕が令良の体でお風呂……まあ、もううんこまでしちゃったから今さらだけど」
 着替えをベッドの上に置き、令良は服を脱ぎだした。制服はハンガーにかけて壁に。シャツは洗濯機に放り込んだが、毎日洗濯機を回しているのか、何日か分の洗濯物をまとめて洗っているのかは不明だ。手間取りつつもブラジャーを外し、びしょびしょになった白いショーツを脱ぎ捨て、裸で浴室に向かった。
 令良の家の風呂場は、トイレと浴槽が一緒になったユニットバスタイプだ。月彦の家は戸建てで、むろんトイレと浴室は別々になっている。ユニットバスの風呂に入った経験は、中学生のとき宿泊したビジネスホテルの一度きりだ。その一度きりの経験がなければ、どう入浴すべきかわからず途方に暮れていたかもしれない。
「水道代とかガス代とか考えると、やっぱりお湯は最低限の量で済ませるべきなんだろうな。ああ、それにしてもおっぱいが重いな。あいつ、いつもこんなのぶら下げて生活してたのか……」
 シャワーカーテンの内側で熱い湯を浴びながら、令良は自分のものになった巨乳を指でもてあそんだ。じめじめする季節でよく汗をかくため、入念に洗っておかなくてはならないが、それは口実に過ぎない。
「いいよな? 今は僕の体なんだから、何をしたって……ああっ、いいっ」
 こんな豊かな乳房が自分の所有物になっているのだから、好奇心を満たすのは当然のことだった。
「ん、ああっ、おっぱいってこんな感じなんだ。重くて柔らかいけど、弾力もあって。ふふっ、楽しい。楽しくて気持ちいい……」
 艶めかしい己の声を鑑賞しつつ、令良は自らの肉体を満喫した。周辺から包み込むように乳房を持ち上げて豊かな弾力を堪能し、指の腹で乳首をつまみ、強く抓る。痺れるような刺激が広がり、再び女の芯が熱くなった。
 指を股間に持っていくと、シャワーの湯以外の湿り気を帯びているのがわかった。月彦の心が令良の体を発情させ、とろみのある蜜を女の入口から滴らせていた。入れ替わる前はほとんど自慰をしていなかったそうだが、とても信じられない淫らがましさだ。
 カラスの濡れ羽色の長い髪を体にまとわりつかせ、令良は細い指で秘所をまさぐった。蜜の滴る女陰に指を差し入れようとしたが、やはり処女ゆえか、なかなか入らない。軽く痛みを感じた令良は、膣内ではなく外陰部を探索することにした。
 やや膨らんだ肉の扉を軽く開け閉めして、上部にある突起におそるおそる触れる。それが陰核と呼ばれる敏感な器官だと知識の上では知っていたが、実物を触るのは初めてだった。当然、触られた経験もない。
「これがクリトリス……あっ、すごい。こんなすごいの初めてだ……ああっ、ひいっ」
 肉の豆をつつき、慎重に指先で皮を剥くと、全身に電流が走って腰が浮いた。女の肉体にもたらされるエクスタシーに、令良の中の月彦は圧倒された。湯を止め、髪や体を洗うこともせず、性感帯を求めてひたすら自身を凌辱した。
 異性の身体で味わう新鮮な官能に、月彦の令良は瞬く間に虜となった。
 何しろ、今は自分が学年でも指折りの美少女なのだ。鏡に映る自分の女体を見ながら自分でもてあそぶのは、すこぶる刺激的な体験だ。
 だが、それだけでは終わらない。令良の中の月彦が何よりも自慰に活用したのは智絵理や令良の姿ではなく、むしろ入れ替わった自分自身……先ほどこの場所で盛大に射精した月彦の雄姿だった。
 線の細い紅顔の美少年には似つかわしくない巨大なペニス。あのたくましい一物で火照った膣内をかき回してもらったらどんなに気持ちいいだろうかと妄想した。あの迫力ある見事な射精を、しとどに濡れたこの膣内で受け止めることができたなら……。
 月彦だった令良は、元の自分自身に処女を捧げることを思い描いて己の乳房や股間を愛撫し、果てしなく昂っていった。
「ああっ、僕、チンポを欲しがってオナニーしてる。令良にとられた僕のチンポをハメてほしいって思いながらオナニーしてるよ……あっ、ああっ、イクっ。イっちゃうっ」
 目の前に赤い花びらが舞った。令良は秘所から蜜を噴き出し、オルガスムスの波に押し流された。自分のものとは思えないほど色めいた声をあげ、荒い吐息をついて湯のない浴槽の底にへたり込んだ。
「はあっ、はあっ、私、イっちゃった……気持ちよかった」
 時間をかけて自分を取り戻した令良は、ボディソープをスポンジにふりかけた。「体、洗わないと……」
 手早く体を洗い、髪を洗い、吸水性のあるドライタオルを濡れた髪に巻いた。繊細な肌をバスタオルで拭いて浴室を出た。
 まだ頭がぼんやりする。気付けに冷蔵庫の中からアイスコーヒーのボトルを取り出し、愛用のグラスに注いで一気にあおった。乾いた喉が潤って実に快い。
「ふう……そういえば、洗濯は毎日してるんだっけ。明日のお弁当も用意しないと……」
 生活に余裕のない令良は、外食はほとんどしない。学校での昼食も自分で作る弁当だ。どのように家事をして、どんな食事をとって、どこのアルバイト先で誰と共に働いているか……現在の令良はその全てを自分自身のこととして思い出していた。
「あれ? 僕、なんでこんなことできるんだっけ? まあいいや。どうせしなきゃいけないことだし……」
 かすかに疑問に思いながらも、令良は下着と寝間着を自然な動作で身に着け、いつもそうしているように米を洗う。わからないことは何もない。
 月彦からメッセージの返事が届いていたが、令良の生活に必要なことを記した部分はろくに読まなかった。
 おそらく、先方も月彦の暮らしに不可欠な知識はほぼ備えていることだろう。月彦が説明を中断して帰っていった理由が今なら理解できる。きっと、彼も自分を思い出したのだ。
「お弁当……そうだ。明日はお弁当をもう一つ作って、あいつに売りつけてやろう。あいつ、お昼はいつも購買のパンだから、僕が作ってやった方がおいしくて栄養もいいもんね。僕はあいつのパン代をもらえるし、いいことずくめじゃないか。ふふふ……」
 米を炊き、副食になりそうな食材を確認して下ごしらえをする。自分が恋する乙女の表情になっていることにも気づかず、令良は月彦のために明日の昼食を準備してやるのだった。

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