三日ぶりに雨が上がった日の朝、森田瑞希はいつもの時間に自宅を出た。 陽は出ているが気温は高くはなく、軽く手足を縮めて息を吸い込むと、涼しい空気に混じって、湿ったアスファルトの匂いが鼻腔に入ってくる。 学校に向かう前に、道路を挟んで斜向かいの住宅に立ち寄る。 チャイムを鳴らすと、まるで瑞希が来るのを待っていたかのように(実際、待っていたのだろう)、すぐさまドアが開いて、学生服姿の祐介が姿を見せた。 「おはよう、祐ちゃん」 「ん、おはよう。今日はちょっと寒いな」 祐介は後ろを振り返り、玄関に立って微笑んでいる母親に短く「行ってくる」と告げると、自然な仕草で瑞希の手をとり、足早に歩き始める。 「祐ちゃん、足元に気をつけてね」 「ああ、わかってる」 通りのあちこちに水たまりができていて、注意して歩かないと靴を汚してしまいそうだ。 しかし、祐介と手を繋いで通学路を歩くのはとても気分がいい。 温かな太陽の光を浴びて、小鳥たちのさえずりに耳を傾けながら、瑞希はさかんに祐介に話しかけた。 「今日のお弁当は卵焼きとハンバーグが入ってるんだよ。祐ちゃんの好きなものを入れておいたから、楽しみにしててね」 「お、そうか。いつも瑞希に作ってもらってばかりで悪いな。何か奢るから、放課後は寄り道して帰ろうぜ」 「え、いいの? じゃあ私、駅前のケーキ屋さんのケーキが食べたいなあ。あそこのモンブラン、すっごく美味しいんだよ。大人気で、すぐ無くなっちゃうの」 瑞希はにこにこ笑って、祐介の大きな手をぎゅっと握り締めた。子供の頃からつき合っている大好きな少年とこうしていると、今日は何かいいことがありそうに思えてくる。 この幸せがずっと続きますようにと、瑞希は目を閉じて祈りを捧げた。 教室に着いた二人が目にしたのは、大声でわめき散らしてクラスメイトに迷惑がられている加藤真理奈の姿だった。 「瑞希、見て見て! 今日のあたし、すごいのよ!」 「ど、どうしたの、真理奈ちゃん? そんな大きな声を出して……皆がびっくりしてるよ」 瑞希は自分の机の上にカバンを置き、親しい友人である真理奈の顔を見上げた。 真理奈は女子にしてはかなりの長身で、また明るい色の茶髪と濃いメイクをしていることもあり、実年齢よりも年上に見られることが多い。 それに対して瑞希は小柄で童顔、さらに長い黒髪を頭の左右で束ねている、いわゆるツインテールの髪型をしているため、とても真理奈と同い年には見えない。 二人が並んで歩くと、知らない人間からは大学生の姉が小学生の妹を連れているように見えるようで、瑞希にとっては甚だ不本意な思いをさせられることもしばしばあった。 だが、真理奈は明るく友達思いで、引っ込み思案の瑞希にとっては自分をリードして世話を焼いてくれる、かけがえのない親友だった。 その真理奈が、瑞希の前で奇声をあげたり、腕をぶんぶん振り回したりして何やら大騒ぎをしている。 一体何があったのか問うと、真理奈は得意気に胸を張って豊かなバストを強調した。 「実はね、ついにあたし、人間を超えちゃったの。魔法の力を手に入れて、人類を超越した至高の存在にのぼりつめたのよ!」 「え、魔法? 朝からいったい何の話をしてるの。頭の中は大丈夫?」 「ふっふっふ、ひとをバカにするのもそこまでよ。ほら、見なさい! あたしが人間を超えた証を見せてあげるわ!」 言われて真理奈の顔をよく見ると、額に黒い線で丸い文様が描かれている。 マジックにしては線が細いので、ボールペンで書いたのだろうか。ひょっとするとタトゥーシールを使ったのかもしれないと瑞希は思った。 「へえ、おでこにそんなのつけて学校に来たの? 何だか罰ゲームみたい。恥ずかしかったでしょう。早くトイレに行って洗い落としてきたら? もうすぐ授業が始まっちゃうよ」 「ちょっと! 全然信じてないわね、あんた! もうちょっと大げさに驚くとか恐怖にガタガタ震えるとか、誠意のある反応を見せなさいよ!」 真理奈は悔しげに地団駄を踏んだが、瑞希は白けた顔で授業の用意を始める。 加藤真理奈はとても友達思いの娘なのだが、大柄な体格のわりに子供っぽい部分があり、今のように些細なことで大騒ぎしたり、目上の人間を茶化したりして周囲の顰蹙を買うことが時折ある。 そういうときは瑞希がブレーキ役となって真理奈を制止するのが常であるが、いつまでも子供ではないのだから、もう少し落ち着きを身に着けてほしいというのが瑞希の正直な願いでもあった。 そうして適当に真理奈を構っていると、祐介が瑞希のもとにやってきた。 「どうしたんだ、瑞希。また加藤のやつに絡まれてるのか? 相変わらず迷惑なやつだな、お前は」 祐介は目を細くして、真理奈に非友好的な視線を向けた。 「何よ、中川。あんたなんて呼んでないわ。大人しく自分の席に座ってなさい」 真理奈も祐介を鋭い眼差しで見やり、刺々しい口調で追い払おうとする。間に挟まれる形となった瑞希は慌てて二人をとりなしたが、祐介と真理奈は視線で火花を散らして、激しくにらみ合った。 瑞希の恋人である中川祐介と、瑞希の親友である加藤真理奈は、あまり仲がよくない。むしろ犬猿の仲といってもいい。 どちらかと言えば真面目で物静かな祐介にとって、口数が多くお調子乗りの真理奈は近くにいるだけで不愉快な存在なのだろう。逆もまた然りだ。 加えて、二人ともが瑞希と親しく、瑞希を取り合いして争うことも多い。 顔を合わせれば喧嘩をして罵り合う二人を何とかしようと瑞希は思っているが、生来気弱な性格のため、なかなか二人の仲を取り持つことができずにいた。 「瑞希、こんな女と口をきくんじゃないぞ。馬鹿がうつるからな」 と、真理奈を指差してこき下ろす祐介。 いつもならば、ここで真理奈がふたことみこと言い返して口喧嘩になるはずだったが、今日はいつもと少し様子が違った。 「ふふん、せいぜい吠えてなさい。今のあたしは人間を超えちゃったんだから。あんたなんかじゃかないっこない、神様みたいなすっごい力を手に入れたのよ。えっへん」 真理奈は腕組みをして、余裕しゃくしゃくの顔で額の文様を見せつけたが、そのような戯言、祐介がまともに取り合うはずがない。 「何だよそれ、くだらないこと言いやがって。ゲームのしすぎじゃないのか? 悪いことは言わんから、たまには勉強もした方がいいぞ。もう手遅れだろうけど」 「ふっふっふ……そんなに疑うのなら、あたしに秘められた力を見せてあげるわ。あんたが記念すべき実験台一号よ。喜びなさい、中川」 そういうと、真理奈は右手を祐介に向けて突き出し、まるで彼の首をはねるような動作で宙をすっと薙ぎ払った。 もちろん、細い女の手で人間の首を切断できるはずはない。単なる悪ふざけだろう。 (もう。また真理奈ちゃんは、あんなことをして祐ちゃんを挑発して……。もっと仲良くできないのかな。私は二人に仲良くしてほしいのに) 心配そうに成行きを見守る瑞希の机の上に、何か丸いものが落ちてきた。 体育で使うバレーボールくらいの大きさの球状の物体だが、ボールとは違い、表面には黒い毛のようなものが生えていて、妙にふさふさしている。 「何だろ、これ。こんなもの、どこから落ちて──えっ?」 その物体に手を伸ばした瑞希の顔から、一切の感情が消え失せた。 それは瑞希の目の前に立っている少年、祐介の頭部だった。 「きゃあああっ !? ゆ、祐ちゃんっ !?」 悲鳴があがるのとほぼ同時に、首のない男子高校生の体がどさりと床に崩れ落ちる。 真っ青になる瑞希の手の中で、祐介の顔は目を見開いて硬直していた。どう見ても即死だった。 瑞希が愛していた祐介は、たった今、首をはねられて短い人生の幕を下ろしたのだ。 (ゆ、祐ちゃんの首が千切れちゃった。祐ちゃんが死んじゃった……) あまりに衝撃的な事態に、どうしていいかわからない。ショックでぽろぽろと涙をこぼして、瑞希は祐介の頭を胸にかき抱いた。 しかし、嘆き悲しむ瑞希を新たな驚きが襲う。祐介の首が唐突に口を開いて、不機嫌な声で喋り始めたのだ。 「おい! 何だよ、これは! 一体どうなってんだよ !?」 「ゆ、祐ちゃん !? 祐ちゃん、生きてるの !?」 「勝手にひとを殺すんじゃねえっ! それよりも、加藤! これはお前の仕業なのか !? 一体俺に何をしやがった !?」 首が完全に切断されているにも関わらず、祐介は血の一滴も流すことなく、瑞希の腕の中で唾を飛ばして元気にわめき散らしている。 とてつもなく奇妙な光景だ。悪い夢を見ているのかとさえ思った。 周りで大騒ぎをしている級友たちの声が、遠いところから聞こえた。 「おーっほっほっほ、これがあたしがゲットした能力の一つよ! ひとの命を支配して、自由自在に操る力! どう? すごいでしょ。生きたまま首をはねられるなんて体験、よそじゃ味わえないわよ」 事態についていけずに呆然とする瑞希の手から祐介の頭をひょいと取り上げて、真理奈は高笑いをあげる。額に描かれた円形の文様が、妖しげな緑色の光を放っていた。 「こら、加藤っ! 早く俺の体を元に戻せ! 気持ち悪いじゃねえか! ひとが死んだらどうしてくれるんだっ!」 「ふふふ……普段はムカつく中川も、こうなっちゃったら可愛いものね。さーて、どうやってこらしめてやろうかしら」 抗議の声をあげる祐介を面白そうに眺める真理奈。 祐介の頬をつねったり、耳を引っ張ったりして好き勝手に遊んでいるが、首だけになってしまった祐介に抵抗するすべはない。今の彼は、手足をもがれた虫も同然の無力な存在だった。 「やめてよ、真理奈ちゃん。祐ちゃんの体を元に戻してあげて」 瑞希はようやく我に返り、真理奈に懇願した。瑞希の切実な訴えに、真理奈も祐介をもてあそぶ手を止める。 「はいはい、わかったわ。いくらムカつく中川でも、さすがにこのままにしておくのはちょっぴり可哀想だもんね。止めてくれた瑞希に感謝しなさいよ?」 「う、うるせえ。とっとと俺を元に戻せっ」 「あら、そう。まだそういう態度をとるんだ……ふーん」 なおも反発する祐介の首を、真理奈は机の上に無造作に置いた。そして床に倒れている祐介の体に寄り添い、「よいしょ」と抱き起こす。 首の切断面はハムのようなピンク色で、やけにつるつるしていて不気味だった。一体何をどうすればこうなるのか皆目見当もつかなかったが、今の真理奈にはこういうことができるという。本当に魔法のようだと、瑞希は驚嘆した。 「中川はあたしの凄さがまだ理解できないみたいだから、もうちょっと楽しませてあげるわ。いい? よく見てなさいよ」 「な、何をするつもりだよ……」 固唾をのんで見守る二人の前で、真理奈は自分の首に両の手のひらを当てた。 細く長い指を軽く握り込んで腕を上げると、今度は真理奈の首が体から外れてしまう。自らの頭部を胴体から十数センチ上に持ち上げ、真理奈はにやにや笑っている。 「ま、真理奈ちゃんの首まで……一体どうなってるの」 瑞希の声は震えていた。やはり祐介と同じく、真理奈にも出血は見られない。 だが祐介とは違って、首無しになってしまった彼女の体は問題なく動かせるようだ。 「驚くのはこれからよ。あたしの頭をこうして……よいしょっと」 真理奈は自分の頭を移動させて、祐介の胴体に載せた。何のつもりかと訝しがる瑞希と祐介の表情に、見る見るうちに驚愕が広がっていく。 わずかに異なる色をしていた切断面が合わさり、肉と肉が融合してしまったのだ。 「ゆ、祐ちゃんの体と真理奈ちゃんの頭が、くっついちゃった……」 愕然とする瑞希の声に応えるかのように、おもむろに真理奈が立ち上がった。 華やかな茶髪の美少女の顔の下に、学生服を着た少年の体が繋がっているのがわかる。ありえないことだが、確かに真理奈の頭と祐介の体が一つになっているようだ。 驚きの連続に瑞希は開いた口が塞がらず、金魚のように口をぱくぱくさせるしかない。 「ふふふ、どう? 中川。あんたの体、ちょっと借りてるわよ」 「ちょっと待て、何だよそれは! 勝手にひとの体を使うな! 返せ!」 当然のように祐介は声を荒げたが、真理奈は涼しい顔で自分の手足を振り回し、彼から奪った肉体の調子を確かめている。 「やっぱり男の体はたくましいわねー。なんか暴れたくなってきちゃったわ。ちょっくらその辺を走り回ってこようかしら」 「やめろ! 俺の体をおもちゃにするんじゃねえっ!」 「まあまあ、そんなに怒らないの。ちょっと借りてるだけじゃない。お返しに、あんたにもあたしの体を貸したげるからさあ」 と、再び祐介の首を手にとる真理奈。楽しくて仕方がないといった様子だ。 「お、おい、待て。お前の体を俺に貸すって、どういうことだよ !?」 「そんなの、そのまんまの意味じゃない。あんたの頭をあたしの体にくっつけるのよ。ありがたく思いなさい。スタイル抜群のあたしの体を貸したげるって言ってるんだから」 「い、嫌だ! そんなの、俺は絶対に嫌だからな!」 祐介の顔から血の気が引いて青ざめる。しかし真理奈は容赦せず、微動だにできない彼の頭部を、首のない自分の体に無理やりくっつけてしまった。先ほどと同じようにして切断面がすうっと消え去り、祐介の頭と真理奈の身体が合体する。 「な、何だよこれ。本当に俺、加藤の体になっちまったのか……」 ようやく動けるようになった祐介はその場に立ち上がり、すらりと長い自分の脚とセーラー服の胸元で揺れる二つの膨らみを見下ろし、打ちのめされたようにがっくりと肩を落とした。 「そ、そんな……祐ちゃんが女の子になっちゃった」 「み、見るな! 瑞希、俺を見るなっ!」 スカートをはいているのが恥ずかしくて座り込んでしまう祐介に、周囲のクラスメイトたちも好奇の視線を注いでいる。 「おい、見ろよ。中川のやつ、女子の制服を着てるぞ。あんな趣味があったのか」 「でも、中川ってあんな体型だったっけ? なんか、本物の女みたいだな」 「驚いた。すげえ巨乳だ。あいつ、実は女だったのか」 ひそひそ囁き合う男子の声が、祐介の羞恥をますます煽る。 耳まで赤くしてうずくまる祐介の姿は、本当に見ていて気の毒だった。 「おーっほっほ! あたしがその気になればこのくらい、ちょろいもんよ! 中川はしばらく、その格好で皆の晒し者になるといいわ! おーっほっほっほ!」 「ま、真理奈ちゃん、こんなの困るよ。祐ちゃんに体を返してあげて」 瑞希はまたも頼み込んだが、今度は真理奈は承知しない。祐介の制服のポケットの中をあさって、彼の財布やら携帯やらを勝手にもてあそぶだけだ。 「いやよ。だって中川をいじめるのが楽しいんだもん。今さらやめられないわ」 「そ、そんなこと言わないで。お願いだよお、祐ちゃんを元に戻してえ……」 べそをかきながら額を机にこすりつけて拝み倒すと、やっと真理奈も聞き届ける気になったらしく、しぶしぶながらうなずいた。 「しょうがないわねえ。でも、せっかく入れ替わったんだから、ただ元に戻るだけじゃつまらないわねえ……そうだ、いいこと思いついたわ」 「え? な、何? まだ何かするつもりなの?」 不穏な気配に戸惑っていると、真理奈は口元に手を当てて、不敵な笑みを浮かべた。 「元に戻せって言うけど、実際に元に戻らなくても、皆が『元に戻った』って錯覚すれば、元に戻るのと同じことなのよね。わかる? 瑞希」 「ううん、ごめん……よくわかんない」 瑞希は首を振った。真理奈の意図がさっぱりわからず、困り果てた。 「わかんなくてもいいのよ。すぐにわかるようになるから。ふっふっふ。あたしの力は、ただ他人の体を操るだけじゃないわ。心まで思いのままなのよ」 真理奈は瑞希の頬を優しく撫でると、彼女の瞳を食い入るようにのぞき込んできた。 「ま、真理奈ちゃん? 何をするつもり?」 「いいから、じっとあたしの目を見なさい。何も考えなくていいから」 「う、うん……」 嫌な予感がしたが、なぜか真理奈の言葉に逆らうことができない。言われるままにじっと見つめ合っていると、まるで真理奈の瞳に吸い込まれるような気がした。 (なんか、頭がぼーっとしてきた……でも、ちょっと気持ちいいかも) 祐介を襲った異変も、周囲の喧騒も、何もかもが気にならなくなって心が安らいでくる。子守唄を聴いて眠りにつく幼児のような気分だった。 「瑞希、瑞希、あたしの声が聞こえる?」 「うん。聞こえるよ、真理奈ちゃん」 心地よいまどろみに身を委ねて、瑞希はうなずく。視界の中央で、きらびやかな美貌を持った少年が彼女を見下ろしていた。 「違うわ、瑞希。あたしは真理奈じゃない。真理奈はこっちの女の子よ」 と、少年が指差したのは床にうずくまっているセーラー服の少女だ。 (あれ? あの子は真理奈ちゃんだったっけ……) 瑞希の心にかすかな疑問が浮かぶが、それもすぐに泡となって消滅する。 (うん、そうだよね。あれは真理奈ちゃん。あたしの大事なお友達じゃない) 「わかる、瑞希? この子は真理奈。そしてあたしは祐介。あんたの彼氏よ」 「え、祐ちゃん? 祐ちゃんなの?」 瑞希はぼんやりした表情で、茶髪の少年に訊ねた。少年は笑顔でうなずく。 「そうよ、瑞希。あたしは祐介。あんたの彼氏の中川祐介よ」 「祐ちゃん……そうだ、祐ちゃんだ」 はっとした気分になって目を見開く。瑞希の目の前に立っている女顔の美少年は、彼女が幼い頃から大事に想っている祐介だった。 「ごめんね、祐ちゃん。あたし、ちょっとぼーっとしちゃってたみたい。よりによって、大好きな祐ちゃんのことがわからなくなるなんて、ひどいよね」 詫びる瑞希の頭を、祐介は慰めるように優しく撫でてくれる。 「気にしなくていいのよ。あたしと瑞希は幼馴染みのラブラブカップルじゃない。そんなことくらい気にしないわよ。ほら、ほっぺた出して。キスしてあげる」 「うん、嬉しい。祐ちゃん大好き」 頬に祐介のキスを受けると、とろけるような夢心地にさせられる。瑞希は熱に浮かされたような顔で、リップグロスが塗られた祐介の柔らかな唇の感触を堪能した。 「こ、こらっ! お前、瑞希に何をしてるんだっ !?」 突然の大声に振り向くと、少年のような凛々しい顔立ちをした長身の女子が怒った顔でこちらをにらんでいた。 クラス一のセクシーなプロポーションを誇る少女、加藤真理奈だ。 「どうしたの、真理奈ちゃん? そんなに変な顔して」 瑞希が問うと、真理奈はあからさまにショックを受けた様子だ。 「ど、どうしたんだ、瑞希。俺のことがわからないのか? いくら体を交換させられたからって、俺が加藤だなんて冗談じゃないぞ……」 何やらぶつぶつぼやいているが、瑞希には彼女が何を言っているのかよくわからない。不審に思っていると、祐介が瑞希から離れて真理奈に歩み寄った。 「ふふふ、面白いでしょ。体だけじゃなくて、立場も入れ替えてあげたの。瑞希も皆も、今はあんたのことをあたし──加藤真理奈だと思ってるのよ。よかったじゃない。これで女装趣味の変態扱いされなくて済むわよ」 「ふ、ふざけるなっ! わけわかんねえこと言ってないで、今すぐ元に戻せっ!」 「あら、暴れちゃ駄目よ。ほら、あたしの目を見て落ち着きなさい」 つっかかる真理奈の腕を祐介が押さえ込んで、瑞希と同じように目と目を合わせる。途端に真理奈の瞳から意思の光が消え失せ、虚ろな表情になった。 「な、なんだ。頭がぼーっとする……」 「ねえ、あんた。一つ確認しておくけど、あんたは加藤真理奈だよね?」 「俺が加藤真理奈? あれ、そうだったっけか……」 「うん、そうそう。あんたは加藤真理奈。あたしたちのクラスメイトの女の子じゃない」 「俺は女の子……俺の名前は加藤真理奈……」 抑揚のない声で、祐介の言葉をぶつぶつと繰り返す真理奈。催眠術でもかけられたような彼女の姿に瑞希は驚いたが、真理奈は急に何かを思い出したかのように目を見開いて、にっこり微笑んだ。 「ああ、そうだった、そうだった。俺は加藤真理奈じゃないか。自分の名前がとっさに出てこないなんて、びっくりしたよ。ボケてんのかな」 恥ずかしそうに頭をかいて、照れ笑いを浮かべる真理奈。 「駄目よ、真理奈。女の子がそんな乱暴な言葉遣いをしちゃいけないわ」 「そういえばそうね。あたしは女の子なんだから、俺なんて言ったらおかしいわよね」 真理奈は納得した表情でこくんとうなずき、瑞希の机に腰かけた。 「ねえ、瑞希。あたしの格好におかしいところはないよね? 大丈夫だよね」 「うん、大丈夫。真理奈ちゃんは今日も可愛くてかっこいいよ」 「えへへ、ありがと。瑞希もとっても可愛いわよ。あたしが男だったらほっとかないくらい」 嬉しそうに笑う真理奈は、自分と同じ女子高生とは思えないくらいに格好よくて男前だ。 今日は何かいいことがあるかもしれない。瑞希は祐介と真理奈の顔を見比べ、浮き立つような快い気分に自然と頬を緩ませた。 次章を読む 一覧に戻る |