TORIKAカードでいこう 4


 明るい日差しの中で躍動する手足。均整のとれたしなやかな肢体が走り、跳ね、宙を舞う。茶色に染められたボールが細い指を離れ、放物線を描いてネットに吸い込まれた。
「ゴールっ!」
 目の前でポイントを奪われ、龍之介は脱力感に支配された。これで得点は二十八対ゼロ。試合が始まってそれほど時間は経過していないのに、あまりにも一方的な展開だった。
 疲労のにじむ全身を叱咤してゴールに迫ろうとするも、敵の方が力も速さも体格も、そしてテクニックも上だった。あっさりボールを奪い取られ、瞬く間に再びネットを揺らされる。二十八対ゼロが三十対ゼロになった。
「負けだ、負けっ! もう俺たちの負けでいいよ!」
 目に涙を浮かべたチームメイトが申し出ると、龍之介もうなずくしかなかった。もはや反抗の気力も失われ、延々と失点を重ねていくだけだ。三十対ゼロが五十対ゼロ、百対ゼロになるだけだろう。
 こんなはずではなかった。ほんの数日前、この公園の使用権を巡って彼らと勝負したときは龍之介と仲間たちの圧勝だった。相手はちょうど今の龍之介たちのように泣いて許しを乞い、二つの地区の境にあるこの公園に寄りつかないことを誓ったのだ。
 それが、今はこのありさまだ。バスケットボールを始めてからというもの、これほどまでに叩きのめされたことはなかった。もともと運動神経に自信のあった龍之介は、何年も球技に打ち込み、この近辺の小学校では最高の選手だという自信があった。その自分がここまでの屈辱を味わわされるとは……情けなさに目頭が熱くなった。
「やったー! とうとう北小に勝ったぞー!」
 相手チームの選手は飛び跳ねて喜んだ。南小学校の弱小バスケットボールチームに所属する、爽真、宗一郎、大樹の三人だ。いずれも小柄で非力、かつ俊敏でもなく、たとえ十戦交えても一度たりとも龍之介たちが負けるはずのない相手だった。
 ところが、今日はまるで違った。「体を取り替えてきたからもう一度勝負だ!」とリベンジマッチを申し込まれ、どうせ負けるわけがない、今度こそ完膚なきまでに叩きのめして彼我の腕の違いを思い知らせてやろうと受けて立った。
 それが間違いだった。南小学校の男児たちの動きは、まるで別人になったかのような変わりようだったのだ。
「どうだ、見たか! 今まで散々やられたお返しだ! 思い知ったか!」
 龍之介の目の前で喜色満面で大はしゃぎしているのは爽真だ。まだ本格的な成長期を迎えていないとはいえ、同年代の男子と比べても体は小さく、当たり負けする華奢な体格だった爽真は、今や鍛えられた堂々たる肢体を備えていた。
 子供のものとは明らかに異なる長い手足を、薄い硬質の筋肉が取り巻く。無駄な肉がついていない豹のような四肢だ。背は見上げるほどの長身で、数日前に見たときと比べて五十センチは高くなっている。そして、南高校女子バスケットボール部のロゴがあしらわれた白いユニフォーム。胸元は小ぶりながらも確かに盛り上がり、思春期を迎えた女であることを示していた。
「こんなの、勝てるわけねーよ。お前ら高校生みたいなもんだろ……」
「え? 俺たち、小学生だよ。体は大人になってるけど」
 龍之介のぼやきに、爽真はきょとんとした顔で返した。なんと短い黒髪の男児の首から下は、高校の女子バスケ部員の体になっていたのだ。
 なんでも先日、妙なカードを手にした不審な女に声をかけられ、「バスケがうまくなりたいなら、バスケがとっても上手なお姉ちゃんと体を交換してあげるよ」と言われたらしい。それで近くの高校に連れていかれ、女子バスケ部キャプテンの身長百七十センチを超える恵まれた体格に加え、今まで彼女が部活で培ったテクニックを譲ってもらったのだという。その実力は、龍之介自身が対戦して嫌というほど思い知った。
「高校生の体を使うなんて汚ねえぞ! それに、女の体になんかなって恥ずかしくないのかよ!」
 龍之介のチームメイトも悔しまぎれに抗議したが、相手はまったく気にしていない。
「だって、体を交換してくれって言われたんだから、仕方ないでしょ」
 涼しい顔で答えたのは、丸い眼鏡をかけた宗一郎だった。教育熱心な親が何かと厳しく、バスケットボールなどやめて毎日学習塾に通えとうるさいそうだ。そのためバスケの練習時間も確保できず、下手糞な三人の中でも一番動きが悪かった。龍之介はそんな宗一郎を「ひょろメガネ」と呼んで今まで馬鹿にしていた。
 しかし、それももはや過去形で、今日の宗一郎は三面六臂の大活躍だった。
 宗一郎も爽真と同様、日頃からスポーツに励む女子学生と首から下を丸ごと交換していた。
 といっても彼が身に着けているのは女子バスケットボール部のユニフォームではなく、白地に桃色のラインが入った、体にぴったり密着するレオタードだ。聞けば、宗一郎は新体操部の女子大生と肉体交換を行ったのだという。小顔で眼鏡をかけた、あまりスポーツが似合いそうにない「ひょろメガネ」の男子が、今日は柔らかな女体の曲線を惜しげもなく見せつけながら、機敏な動きで龍之介たちを翻弄したのだ。
「だいたいお前、なんでそんなカッコしてるんだよ。それはバスケするカッコじゃないだろ……」
 問いかけたチームメイトの顔は真っ赤になっていた。発育の良い女子大生の肉体を強調するレオタードは、小学校高学年の男子にとっては刺激が強すぎた。いくら首から上が同い年の少年とはいえ、試合中にくびれた腰や揺れるバストを見せつけられてはまったく集中できず、幾度となくミスを重ねてしまった。身体能力が劣るだけでなく、龍之介たちは試合前から平常心を奪われていたのだった。
「だって、新体操のお姉さんがこの体をくれたとき、この格好だったんだもん。うちはバスケをすると親が怒るから、バスケ用のユニフォームなんて買ってもらえないしさ。せめてジャージでも貰えたらよかったんだけど」
 と、不満そうに己が身に着けているレオタードの生地を引っ張る宗一郎。その何気ない動作が、またしても男児たちを狼狽させた。ところが宗一郎は、自分の新しい体が男を惑わす強烈な武器になっていることを自覚しておらず、仕草はどこまでも無造作で無防備だった。頭は小学五年生の男子のままなのだから、仕方がないのかもしれない。
 そんな宗一郎の隣に立つのは大樹だ。
「そうだぞ、お前ら! 俺たちだっていきなり知らない姉ちゃんたちと体を取り替えろって言われて、いろいろ大変なんだからな!」
 南小学校の選手の最後の一人である大樹は腰に手を当て、威圧するように龍之介たちを見下ろした。こちらはレオタードでこそないが、それ以上に違和感のある外見だった。
 昼の日差しと同じ真っ白な肌に、爽真とそう変わらない長身。引き締まった手足とは対照的に豊かな双丘が、体に張り付いた黒い布地を内側からはちきれんばかりに押し広げている。水着に包まれた体は豊満なバスト・細いウエスト・迫力さえ感じさせる巨大なヒップと、日本人離れした見事なラインを描いていた。
「お前だって、何だよそれ! 水着じゃねーかっ !? なんで水着なんだよ、水着っ!」
「仕方ないだろ、俺も他に服がねえんだから!」
 さすがに恥ずかしいのか、大樹も頬が紅潮していた。現在の大樹が着用しているのは水着、それも競泳水着やスクール水着ではなく、太ももから脇腹にかけて大胆な切れ込みが入ったハイレグワンピースなのだ。宗一郎のレオタードよりも遥かに目の毒だ。
 大樹も宗一郎や爽真と同様、年上の女性と頭部以外の身体を全て入れ替えていた。大樹が他の二人と異なる点は、体を交換した相手が日本の女子学生ではなく、ブラジル人の白人女性だったことだ。今年で二十八歳になるソフィアという名のその女は、日本に移り住んで数年になる子持ちの人妻で、水泳やサッカーなどスポーツが趣味の活動的な女性だという。それがどうして日本人の小学生男児と肉体交換をすることになったのかは不明だが、ソフィアと首から下の体が入れ替わった大樹は、ソフィアが身に着けていたハイレグワンピースの水着を着用してバスケットボールをプレイしていたのだ。圧倒的なボリュームを誇る肉感的なボディを相手にした龍之介たちは、大樹がかがんだりジャンプしたりするたび蠱惑的な女体を見せつけられ、取り乱すばかりだった。これではまともに試合ができるはずもない。
 首から下がバスケットボール部の女子高校生の体になった爽真。
 同じく、新体操部の女子大生の四肢と胴体を得た宗一郎。
 そして、頭部以外の全てを二十八歳の子持ち人妻の白人女性と交換した大樹。
 鈍くさい小学生だった三人の男児は、今や年上の女たちの肉体と効率的な動き方を手に入れ、龍之介たちを心身ともに打ちのめしていた。以前よりも数十センチ高くなった背丈で得意げに見下ろしてくるのは、大人がそうしているのと同様の威圧感を与える。いくら腕が立つとか熱心に練習しているとか威張ったところで、しょせん子供に過ぎない龍之介たちが勝てるわけがないのだ。
「とにかく、試合に勝ったのは俺たちだからな。この公園は今日から俺たちのもんだぞ!」
「わ、わかったよ。約束通り、しばらくここには近づかねえよ……」
 龍之介たちはもはや反抗する気力もなく、降参して公園を明け渡す以外になかった。見くびっていた相手に完敗し、プライドをズタズタにされてしまった。しばらくバスケットボールに触りたくないとさえ思った。
 ところが、続く爽真たちの言葉は意外なものだった。
「まあ、勝負の途中まではそのつもりだったけどな……でも気が変わった。使わせてやるよ」
「へ?」
「お前たちにもこの公園を使わせてやるって言ってるんだよ。今まで勝てなかったお前らに、今日はやっと勝てて気分がいいからな。せっかくだから仲直りして、これからも一緒にバスケをしようぜ」
「そうそう、僕らはここを独り占めする気はないよ。どっちもバスケをするんだから、一緒に使えばいいじゃない。そうでしょ?」
 爽真の提案にうなずく宗一郎。これまでずっと連敗を重ねてきた南小学校の男児たちは、敗者となった龍之介たちに手を差し伸べているのだ。爽真は龍之介めがけてボールを放り投げた。
 爽真の投げたボールは優雅な弧を描き、少しも狙いを外さず龍之介の手に納まった。
 完敗だった。龍之介たちはただ勝負に負けただけではなく、度量の大きさでも敗北したのだ。
「何だよ、それ……余裕ぶりやがって、気にくわねえ」
 龍之介は受け取ったボールを爽真に投げ返した。不思議と、胸の悔しさも敗北感も薄れていくのを感じた。
「でも、負けたのは俺たちだからな。勝った奴の言うことは聞かねえとな。あーあ、悔しい」
「そうだな、しょうがねえ。負けちまったからには、大人しく姉ちゃんたちにバスケを教えてもらうよ」
 控えめながら賛意を示した龍之介の後ろで、チームメイトが笑いながら憎まれ口を叩いた。すっかり毒気を抜かれた北小の少年たちは、相手に対する長年の侮蔑と敵意を捨て、この公園を共同で使用することにしたのだった。
「そうと決まれば、あっちで休憩しようぜ。さすがに疲れちまった」
「賛成! 汗で体がびしょびしょだよ」
 公園の隅に移動した一行は、水飲み場のある一角を占領した。皆で代わる代わる蛇口をくわえ、激しい運動によって失った水分を補給した。
「ふう、旨いな。ついでに水浴びするか」
 龍之介たちは一息ついてその場にへたり込んだ。ここにはゴム製のホースもあり、人目がないのをいいことに遠慮なく水浴びするのが常だった。疲れ果てて全身汗だくになったあと、皆で下着一枚になって冷たい水をかけ合うのは少年たちのちょっとしたお楽しみだ。
 さっそくびしょ濡れのシャツをベンチに放り投げる龍之介。
「じゃあ、今日は俺たちも一緒に水浴びさせてもらうぜ。いつもお前らがここを独り占めするのを見てるだけだったからな」
「ああ、もちろんいいぞ……って、お前ら今は女じゃねえか! 女のくせに服脱ぐのかよ !?」
 目を剥く彼の前で、南小学校の三人は身に着けているものを次々と脱ぎ捨てた。スポーツブラやショーツ、ソックスまで脱いでしまい、皆あられもない姿だ。
「ああ、風が気持ちいい。おい、そのホース取ってくれよ……って、なんだお前ら。顔が真っ赤だぞ?」
「ひょっとして、俺たちの裸に興奮してんのか? スケベな奴らだなあ」
「うぐぐぐ……」
 汗ばんだ女子高生と女子大生、人妻外国人の裸体が、手を伸ばせば届く距離にあった。成熟した異性の裸など見たことがない龍之介には刺激が強すぎた。しかし爽真たちは悪戯小僧の表情になって、体をくねらせ龍之介たちを誘惑してくる。三人のもと少年たちは、自分たちが獲得した女体に刺激的なポーズをさせて遊び始めた。
「ほーら、オマンコびろーん」
「おっぱいダンス、見せてやるよ。それとも顔を挟んでやろうか?」
「僕はこのポーズかな。えいっ、I字バランス!」
 無邪気な男児たちの頭に支配された三つの女体は、恥じらうことも抗うこともなく、裸で股間を広げ、腰を振り、体操を披露し、物言わぬ玩具になって新しい所有者たちを満足させた。
 三人に身体を奪われた女たちは、今頃どうしているのだろう。鈍くさい男児の体で水泳や新体操を続けているのだろうか。
 爽真たちの間抜けでふしだらな行動から、龍之介は目が離せなかった。股間が熱くなり、硬くなったものが少年の下着の布地を内側から押し上げていた。こんな連中を相手に勃起してしまうのはどうなのかと思いながらも、本能は正直だった。
「あーあ、勃起してやがんの。スケベな連中だぜ。仕方ねえな……」
 爽真は突如として龍之介の胸を突き飛ばし、地面に尻もちをつかせた。
「いてっ! 何するんだよ !?」
「何って、お前が触りたそうにしてるから、体を触らせてやるんだよ。俺の……お姉ちゃんのカラダをな。ほら、触っていいんだぜ」
「い、いいよ、やめろよ……やめろってっ」
 視界が女の肌に覆い隠され、龍之介は自分の上に全裸の女がのしかかってきたことを知った。抵抗むなしく赤いパンツが強奪されると、ぴんと張り詰めた男性器が露になった。舌なめずりの音が聞こえた気がした。
「や、やめろよ! ひとのパンツとるなんて変態かよ、お前!」
「なあ、知ってるか? 女のオナニーって気持ちいいんだぜ。特に運動したあとのオナニーは最高なんだ」
「お、お前……何を言ってるんだよ。おかしいだろ、そんなの……」
 震える声で指摘するも、完全に優位なポジションを取られてしまった。もはや逃げることもできない龍之介の股間を女の手が這い回った。細く長い指につままれ、充血した勃起は鋭さを増した。
「あの姉ちゃんたちと体を交換してから毎日オナニーしてるけど、マンコにチンポはめるのはまだなんだよな。セックスって言うんだっけ?」
「セ、セックス……そんなのダメだ。ダメに決まってる」
「しようぜ、セックス。今の俺とお前は女と男なんだからさ。別にいいじゃん。仲直りの印ってことで、龍之介のチンポ、俺のマンコにはめさせてやるよ」
 恥じらいを含んだ爽真の微笑みは、試合中、一度も見られなかったものだ。発情した牝の顔……バスケに熱中していたあどけない男児の顔は、淫らな行為に興味津々の女子高生のそれに変わっていた。
「それに、エッチなことに興味津々なのは俺たちだけじゃない。こいつらももう始めちゃってるしな」
「お、お前ら……!」
 にやにや笑う爽真の後ろでは、爽真のチームメイトたちが熟れた女体の虜になっていた。片方は赤ん坊のような姿勢で女子大生の腕に抱かれ、豊かな乳の先端を吸いながらペニスを指で扱かれている。もう一方は白人女性の肉感的な乳房に陰茎を挟まれ、射精すまいと必死で耐えていた。少年たちはどちらも年上の女性の肉体にいいようにされ、性転換してまだ日の浅いはずの同い年の少年たちに篭絡されつつあった。
「龍之介、セックスしよ。この姉ちゃんの体もしたがってる。俺にはわかるんだ」
「で、でも、俺、まだ子供なのに、こんな……」
 涙目で震える龍之介の肉棒を膝立ちの爽真が握りしめ、濡れそぼった蜜壺にいざなう。引き締まった肢体の女子高生が腰を下ろすと、少年のペニスと少年のヴァギナが接吻した。
「あ、謝るから許して。ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「だーめ、許してやらねえ。ずっと俺のことをバカにしてたお前を、今日は食べちまうからな」
「やだ、やだあああっ! いやあああ、あ、あふんっ」
 ぬるりと先端が膣肉に飲み込まれ、龍之介の童貞が奪われた。夢中で幼い牡を貪る爽真に、龍之介は身も心も屈服して涙ながらに許しを乞うのだった。

 ◇ ◇ ◇ 

 不格好な紙飛行機が宙を舞い、黒板に正面衝突した。一機だけではない。それぞれ折り方の異なる紙飛行機が次々と発進し、黒板を目指して飛んでいく。直線、曲線、空中でくるりと円を描くもの……軌道も様々だった。
「どうだ! 今のはアタリだろ」
 児童の一人が大きな声で勝利を宣言した。どうやら狙った場所に紙飛行機を当てるゲームらしい。作戦の目標となったのは黒板の上部にチョークで描かれた数字で、教室のどの席からも見える高い位置にあった。
「ヨッシーすげー、あれ当たるのかよ。オレのも良かったんだけどなあ」
「もう一回やろうぜ。次はさっきの国語のプリントを飛ばそう。算数、国語、社会の三本勝負だ」
 悪戯好きな男子児童の一団は、再び紙飛行機を作り始めた。授業に使うプリントを折り紙に使い、紙飛行機にして飛ばしているのだ。
 その後ろでは、小学校では禁止されているはずの携帯ゲーム機を手にした女児たちが遊んでいる。周囲の喧騒にはまるで興味がないらしく、やりとりする声も大きくはない。黙々とゲームに没頭し、ときどき思い出したように「やったあ!」「そんなあっ」などと歓声や悲鳴をあげていた。
 集団で行動することを好まない子供たちは、おのおの漫画を読んだり居眠りしたりしていた。教室から消えてしまい、校庭で走り回っている者も少なくない。
 とても授業中とは思えない酷いありさまだった。
「みんな、静かにして! いい加減に先生の話を聞きなさーい!」
 四年三組の担任である哲也の声に、耳を傾ける児童は誰もいない。一時間目からずっとこの調子である。
「みんな、お願いだから……話を聞いてよ」
「えー? だって、先生の中身はさくらでしょ?」
 前の席で漫画を読んでいた女児が哲也を見上げて笑った。「全然勉強教えられないし、授業しなくていいじゃない。さくらもサボっちゃいなよ」
 そうだそうだと賛同の声が教室のあちこちからあがった。記憶と人格が女子小学生のものになってしまった哲也の言うことを聞く児童は誰もいない。情けないやら悔しいやらで、哲也の目に涙が溢れた。
「うわああああん……みんながあたしをいじめるよおおおお……」
 泣き出してしまった哲也の頭を、軽く叩く者がいた。隣のクラスの担任である理恵だ。
「こら、何やってんだ?」
「理恵先生……」
「何度も言ってるだろ。一人じゃどうしようもなくなったら、すぐに俺を呼べって」
 うん、と涙目でうなずく哲也の顔をハンカチで拭うと、理恵は力いっぱい黒板を叩いた。 
「静かにしろ、糞ガキども !! 今は授業中だっ!」
 ボブカットの髪に縁なし眼鏡、黒いスーツ姿の地味な外見からは想像もできない般若の顔で理恵が怒鳴ると、教室は一瞬にして静まり返った。哲也を無視していた悪童たちもしぶしぶ自分の席について教科書を広げた。
「いいか、お前ら。子供の頃から大人しく椅子に座ってひとの話を聞く習慣を身に着けておかねえと、将来ロクな大人になれねえぞ。今は哲也先生が授業をしてるんだから、ちゃんと先生の話を聞きやがれ!」
「でも、哲也先生の中身は先生じゃなくてさくらだよ。授業なんてできないよ」
 先ほど哲也を馬鹿にした女児が言った。
「そんなの仕方ねえだろ! たとえ中身がさくらだろうが赤ん坊だろうが、先生は先生だ! 授業だって俺が指導してるから問題ねえ。お前らはこの先生の言うことを聞いて、勉強も遊びもスポーツもしっかりやるんだ! わかったか!」
 握り拳が真っ赤になるほど黒板を叩いて力説する理恵に、女児も哲也もたじたじだ。子供たちが喧嘩をしても決して怒鳴らず、優しく諭していた理恵の姿はもはやどこにもない。仁王立ちで唾を飛ばし、大声で児童に説教する熱血教諭が今の彼女だ。
「まったく、手間をかけさせやがって。じゃあ、俺は自分のクラスに戻るからな」
「あ、ありがとう。哲也先生……」
「あん?」
 一度は背を向けた理恵だが、哲也の言葉に振り返った。「今の俺は哲也じゃない、理恵だ! 何度も言ってるだろ!」
「ご、ごめんなさい……」
「俺は理恵、お前は哲也! 俺たちは夫婦で、今日の食事当番はお前! ちゃんとわかってるか !?」
「うん、わかってる。わかってるよう……」
 哲也は泣きそうな顔で頭を下げ、激怒する妻を見送った。理知的で優しい理恵と、すぐに怒る熱血教諭の哲也。柔と剛で対照的だと周囲から評された夫婦だが、その関係は随分と変わってしまった。子供たちからも笑われる現状を自分ではどうすることもできず、哲也は肩を落とした。
「やっぱり、あたしに先生なんて務まらないよう……」
「先生、授業しないの? また紙飛行機を飛ばしていい?」
「ダメ! お願いだから遊ぶのはもうやめて!」
 元気いっぱいの子供たちにからかわれつつ、哲也は再び授業を始めた。頭の中身が十歳の女児になってしまった二十八歳の男性教諭は、毎日が苦労の連続だ。それでも、理恵に支えられて教諭としての責務を果たそうとしている。この日もそれ以降は特にトラブルなく一日を終えることができた。
「おう、そっちは終わったか?」
 夕方、児童たちが全員帰った教室で戸締りを確かめていると、理恵がやってきた。不用心に大きく脚を開き、下着が見えそうになっても平然としている。
「うん、終わったよ」
「じゃあ、職員室で書類を片付けて帰ろうぜ。今日は会議も何もないからな」
「うん!」
「こんにちは。だんだん板についてきたかしら? さくらちゃんの哲也先生」
 理恵の後ろから、赤いランドセルを背負ったさくらが哲也に微笑みかけた。その表情も言葉遣いも、小学生の女児にしては随分と落ち着いていた。
「うん、今日も頑張ったよ。理恵先生はどう? あたしになって困ってない?」
「ええ、大丈夫よ。友達とは仲良くしてるし、ご両親もとっても優しいし、妹のカナちゃんは弟になってからも可愛いし、毎日が充実してるわ。仕事に追われることがないって、こんなに気が楽なのね」
 さくらは頭の左右で束ねた自分の髪をもてあそんだ。明るい桃色のパーカー、チェックのミニスカートから伸びる手足は子供らしく細く華奢だ。そんな女児の姿に懐かしさを感じ、哲也の目が細くなった。
「いいなあ……あたしもパパやママ、カナに会いたい」
「ごめんね。また週末にでもご両親と一緒に遊びに行くから、それまで我慢して頂戴ね」
 さくらは申し訳なさそうに言った。理恵のクラスに所属する十歳の女子小学生の中身は、二十七歳の女教諭だった。哲也が理恵で、理恵がさくらで、さくらが哲也。TORIKAカードによって中身が入れ替わった三人は、各々がそれまでとはまったく異なる生活を強いられていた。
「それじゃあ、私は帰るわね。哲也先生、理恵先生、家に帰ってもしっかりね」
「ああ。こっちはちゃんとやってるから心配すんな。なあ、哲也?」
「え? う、うん。じゃあね、理恵先生……じゃない、さくらちゃん。また明日ね」
 上機嫌で下校するさくらを見送ると、哲也と理恵は残った仕事を片付け、車に乗って家路についた。途中、スーパーマーケットに寄って買い物をし、夕食のメニューを考える。悩んだ末、哲也はカレーを作ることに決めた。あまり難しいレシピは扱えないので自然と同じ内容の食事ばかりになるが、これから少しずつレパートリーを増やしていこうと思う。
 仕事をし、家事をこなし、理恵と二人の私生活を豊かなものにする。突然、大人になるということは哲也にとって困難の連続だったが、文句を言っても始まらない。見た目は大人、中身は子供の哲也を、理恵は厳しくも優しく見守り、妻として彼を支えてくれた。
「じゃあ、風呂に入るかな。お前も脱げよ、旦那様」
 食事を終えて片づけたあと、哲也は理恵に促されて脱衣所で裸になった。
 姿見をのぞくと、体毛の濃い成人男性の引きしまった体が映っている。それが今の自分の姿であることに、哲也は恥じらいと興奮を覚えた。自分が別人になってしまったことを改めて思い知らされた。
「理恵先生、今日も、その……するの?」
「ああ、もちろん。お前だって、もう勃ってるじゃねえか。スケベなやつだな」
「そんなこと言われたって……あっ、ああっ!」
 哲也は猛り切った陰茎を妻に握られ、情けない声をあげた。細く整った形の指が幹を根元から先端へと伝い、哲也の牡を刺激する。下腹部に熱が集まり、不慣れな感覚に身震いした。
「いい加減に慣れたか? 俺のチンポにも」
「い、いやあ……こんなの変だよう」
「自分の体の一部なんだから変じゃないって。今はお前のチンポだろう? ほら、どんな感じだ。言ってみろよ」
 自分も裸になった理恵は、豊かな乳房を夫の背中に押し当て、背後から哲也の一物を上下にしごく。恥ずかしがる哲也の耳に息を吹きかけ、膨張したペニスを愛撫する理恵の淫らな顔は、本来の淑やかで上品な美貌とはまるで違っていた。
「ふふ、どんどん硬くなっていくぞ。どうだ、気持ちいいだろ」
「わかんない……こんなのわかんないよう。ああっ、あっ、やめてえっ」
 哲也は大きな掌で真っ赤になった自分の顔を覆ったが、理恵は構わず手淫を続ける。腹側にそり返った勃起は、筋肉質の哲也らしく鋼のように硬い。そんな立派なペニスが自分のものになっていることに、十歳の女児の心は戸惑うばかりだった。
「怖い……あたしのおちんちん、どんどん大きくなっちゃうよう」
「それでいいんだよ。どうだ、これで女を犯したくなってこないか? お前だって男だ。俺みたいな美人の奥さんを犯してヒイヒイ言わせてやりたいって思うだろ」
「犯す……そんなのわかんないよ。でもお腹の奥から熱いのがせり上がって……ああっ、あひっ」
 切っ先から雫が噴き出し、哲也は女々しい声をあげた。体が入れ替わってからというもの、哲也は常に妻に主導権を握られ、リードされる立場にあった。哲也の魂を宿した理恵の肉体は、自分のものだった男の体をあらゆる手段で慰め、弄び、哲也に夫としての自覚を教え込んだ。しかし、己の内から湧き上がる男の性欲は、いまだ哲也にとって恐怖の対象でもある。
「先生、もうダメ。出ちゃうよ。あたし、射精しちゃうよう」
「そうか。じゃあ、まずは一発抜いとくか。どうせ一発やそこらじゃ弾切れにはならないだろうしな」
 夫の絶頂が近いことを知った理恵は、指の動きをますます早め、哲也に速やかな射精を促した。妻のたおやかな手で導かれる快感の階段を、哲也は一気に駆け上がった。下腹からのぼってくる溶岩が臨界点を超え、熱い白濁となって爆発した。
「ああっ、あっ、出る。あたし出る。おちんちん出るっ! いやあああっ」
 哲也は喘ぎ、理恵が開け放った戸の奥めがけて精を解き放った。牡の欲望の発露に、十歳の少女の心はいまだ慣れず翻弄されるばかりだ。浴室の床に遺伝子の欠片が撒き散らされ、急速に頭の中が冷めていくのを哲也は自覚した。
「お、出た出た。なかなか飛んだな」
 息を荒くした哲也の手をとり、理恵は浴室に足を踏み入れた。
 じっとり汗ばんだ二十代半ばの人妻の肢体が、電灯の光を反射して輝いた。二の腕や太腿の肉づきが、男の情欲をそそらずにはいられない。理恵の体の新しい所有者は自分の魅力的なボディを夫に見せつけ、艶やかな笑みを浮かべた。
「じゃあ、今度は俺の方も気持ちよくしてくれよ」
 湯船に腰かけ、哲也を招く理恵。
 その股間に彼は顔をうずめると、妻に命じられるままに秘所を舐め始めた。既に発情しているのか、入り口からは生温かい蜜がこぼれていた。
「毛がボーボーのアソコをペロペロするの、気持ち悪い……」
「そうか? 俺が男のときはそんなに気にしなかったけどな。ほら、もっと中に舌を入れるんだ」
 トレードマークの眼鏡を外し、一糸まとわぬ姿で理恵は哲也の愛撫を求める。それは一見すると健全な夫婦の営みではあったが、頭の中身で考えれば成人男性が女児に股間を舐めさせている異常な光景でもあった。
 理恵は常日頃のようにあれこれと指図し、夫としての振る舞い方を哲也に指導する。これから永遠に哲也の体で生きていかなくてはならない少女は、怯え、戸惑いながらも、妻に唆されてあるべき男の態度を身に着けていく。TORIKAカードにより内面を丸ごと変えられてしまった夫婦は、良好な関係を築くために絶え間ない努力を必要としていた。
「ああ、いいぞ。うまくなってきたじゃないか。ああっ、いいっ」
 理恵は己の乳首をつねり、より強い刺激を求めた。哲也はそんな妻の両の腿を押さえ、無心に女陰を慰める。硬くなった肉の豆を口の中で転がすと、理恵の体がはっきりと震えた。
「あっ、そうだ、いいぞ。もうイキそうだ。俺も理恵の体で……イクっ、イクっ」
 哲也の妻は呼吸さえ忘れ、女の体で味わう官能にのめり込んだ。股間から温かな雫を垂らし、夫に見せつけるように派手にオーガズムへと至る。哲也はそんな乱れた妻をぽかんとして眺めた。
「ひひ、いひひ……イった、イったあ。女の体ってすげえよなあ。こんなに気持ちよくなれるんだもんな……」
(理恵先生、イっちゃったんだ。すごくビクビクしてる)
 無事に妻を昇天させた哲也のペニスは再び勃起し、最愛の女との合体を今か今かと待ちわびていた。雄々しい幹の表面に浮き出た血管が、血の流れと共に脈動して哲也の興奮を代弁する。
(気持ちよさそうな先生を見てたら、あたしもまた勃ってきちゃった……)
 妻の痴態を目の当たりにして、哲也の心から怯えや恐れが消えていく。これからどうすればいいのか、哲也は理性ではなく本能で理解していた。
 ぼうっとした様子の理恵を大型のバスマットの上に寝かせ、むっちりした腿を押さえる。物欲しそうに口を開けた女陰が哲也を誘っていた。はちきれそうなほど膨張した先端を膣口にあてがい、思い切り腰を突き出した。蛙が踏み潰されたような声があがった。
「ぐえっ! ば、馬鹿っ。こっちはまだイったところなんだぞ。それなのに……ひっ、ひいっ」
 理恵の抗議を無視して、哲也は結合部を力任せに往復する。テクニックも何もない夫の暴力的なセックスに、理恵は苦しそうに喘いだ。
「ああっ、ダメだって。もうちょっと優しく……ひいっ、やめろおっ」
 妻の悲鳴が哲也の興奮をあおり、ますます腰の動きを速くする。十歳の女児の心がたくましい男の鎧をまとい、力強い動きで理恵を手籠めにしていた。
「先生、可愛い。あたしがもっと気持ちよくしてあげるね。えい、えいっ」
「あっ、それダメっ。ごめんなさい、やめて……」
 先ほどまでの余裕はどこへやら、一度劣勢に立たされた理恵は泣いて夫の許しを求めた。
「ああっ、あっ、あひっ。おかしくなる。おっ、おほっ」
 思わぬ逆襲に理恵の体が大げさに跳ね、絶頂に至ったことを哲也に知らせた。しかし、それでやめる哲也ではなかった。男の肉体と本能を我が物にした少女は、体力の続く限り妻を責めたて、はしたない声で泣かせた。何度も何度も膣内射精を繰り返し、息も絶え絶えの理恵の子宮に種つけた。
 最後は幅の広い臀部をつかみ、後ろから交わる形でフィニッシュを迎えた。
「先生、イクよっ。あたしの射精、受け止めて。ああ、出るっ、出るようっ」
 幾度目かわからぬ噴火が理恵の最も深いところで起こり、発情しきった女の芯に灼熱の樹液を叩きつけた。男としての征服欲が満たされる、最高の瞬間だった。
「おほっ、おほおおおっ。俺、こんなのダメ。またイク、アクメくるっ。おお、おほおおんっ」
 背筋を折れそうなほど反らし、理恵は夫の射精を受け止めた。涙と鼻水を垂らして顔をぐしゃぐしゃにし、哲也をくわえ込んだ下の口からスペルマを溢れさせる彼女はとても幸せそうだった。あまりのショックに腰が抜けてしまい、脱衣所でしばらく横になって休んだほどだ。
「す、すげえ……俺、こんなに滅茶苦茶に犯されたの初めて……たまんねえ」
 精魂尽き果てた哲也が体を洗い終えて出てくると、理恵は熱い眼差しを夫に向けた。「俺、もうお前から離れられねえよ……お前の奥さんになってよかった」
「あはは、ちょっとやりすぎちゃったかな……ごめんなさい」
 正気に返った哲也は、恥ずかしさのあまり赤面するしかなかった。二十八歳の夫になった女児と、二十七歳の妻になった男の夜は、こうして更けていくのだった。

 ◇ ◇ ◇ 

 浩太は美穂と街に来ていた。
 しばらくの間、浩太は安定した幸福を享受していた。夜中は美穂と夫婦として過ごし、昼間は友人同士やきょうだいの間柄になって二人で遊びに出かける。財布の中身が乏しくなれば、通行人がいくらでも貢いでくれる。欲しい物が何でも手に入る夢のような暮らしに、浩太は有頂天になっていた。
「TORIKAカードを使うのにも、だいぶ慣れてきたな。そろそろ何か新しい遊び方を編み出したいところだけど……」
「あの、ユイナちゃん」
「ユイナちゃん? ああ、俺のことか。なに?」
 美穂に呼ばれて、浩太は振り返った。今の二人の外見はまぎれもなく浩太と美穂本人のものだが、その立場はゆきずりの女子大生のものへと変わっていた。たしか浩太がユイナで、美穂がカノンという名前だと記憶していた。友達同士の女子大生の二人組ということになる。
「ずっと気になってたんだけど、そのカードは何? 最近、ずっと手に持ってるよね」
「ああ、これね」
 浩太は指に挟んでいた赤いカードをひらひらさせた。TORIKAカード……とてもこの世のものとは思えない不思議な力を持つ魔性のカードだ。浩太と美穂が知り合うきっかけを作ったのもこのカードだった。
「ちょっと便利なだけのカードだよ。そんなことより、これからどこに行こうか。一緒に映画でもどう?」
「そうね……今日の講義は午後の遅い時間みたいだし、そうしようかしら」
「じゃあ、こっちの道だね。お昼ご飯は何がいい? 俺、こないだ行ったパスタの店にまた行きたいんだけど」
 人を疑うことをほとんどしない美穂をうまく誤魔化し、浩太は美穂の手をとった。よほど育ちがいいのか、それとももって生まれた性格なのか、美穂は他人に悪意を向けること、そして悪意を向けられることに慣れていないようだった。ひとことで言えばお人よしだ。行動を共にしていて、浩太の目から見ても無防備すぎると心配になる場面がしばしばあった。もう少し用心してもいいのではないかと浩太は思う。
 もっとも、TORIKAカードの魔力で美穂を騙し、好き勝手している浩太が心配すべき筋ではなかった。もしもこのカードがなくなって魔法が解けたら、浩太はさぞ美穂に恨まれることだろう。所持金や財布どころか貞操、一時は肉体そのものを奪った浩太を、美穂は絶対に許すまい。
 いや、美穂だけではなかった。今まで浩太の悪戯で酷い目に遭わされた人間は、両手で数え切れるものではない。TORIKAカードを使った悪戯の被害に遭った彼ら、彼女らは、もしかしたら一生を他人と入れ替わったままで暮らしていかなければならないかもしれないのだ。さらに酷い例では、獣や機械の体にされてしまった者さえいる。何かのきっかけで彼らに仕返しをされるような事態になれば……そう思うと、背筋が寒くなる浩太だった。
 浩太は美穂と手を繋いで路地を歩いた。大通りと大通りの間を垂直に走るこの路地は、日が差して明るいが幅が狭く、平日の午前中ということもあって通行人の姿はほとんどない。視界の中では一人だけだ。
 さて、これから美穂と何の映画を見て、昼食はどこでとろうか。呑気な浩太が思案に暮れていると、美穂が突然立ち止まった。
「あ、すみません」
 と頭を下げる美穂。どうやら、すれ違った通行人と軽く接触したようだ。不用心な美穂のことだから、ちゃんと前を向いていなかったのかもしれない。ろくに意識していなかった自分のことを棚に上げ、浩太は美穂の体を引き寄せた。
「大丈夫? 気をつけなきゃダメだよ。どうも、連れがすみませんでした」
 浩太が謝った相手は、同い年くらいの少年だった。白いシャツに細身の黒いスラックスで、学校をさぼって街を徘徊している高校生にしか見えない。相手がトラブルになりそうな強面の中年男でないことを感謝した。
「いいえ、こちらこそ失礼しました。ふふふ……少しの間、お時間よろしいですか? 浩太さん」
 少年に背を向け立ち去ろうとした浩太は、意外な言葉に足を止めた。振り返ると、少年はなぜかにこにこして浩太を見つめていた。
「何ですか? どうして俺の名前を……それに、今の俺は浩太じゃなくて女子大生のユイナのはず……」
「僕には何でもわかるんですよ。なぜかというと、僕がそのTORIKAカードの送り主ですからね」
「何だって?」
 突拍子もない発言に、浩太は仰天した。
 少年は浩太の反応が面白いのか、じっと彼を見つめて微笑んでいる。中肉中背の健康的な美男子……に見えるが、なぜか相手がそこにいるという気配が希薄で、生気がまるで感じられない。まるで立体映像と向かい合っているかのようだ。
「あんたは誰だ? 本当にこのカードを俺に寄こしたのはあんたなのか」
「ええ、その通りです。そのカードを作ってあなたにお送りしたのはこの僕。僕はずっと、あなたがそのカードで何をするかを観察していました。何しろ自慢の新商品のモニターですから、きっちり見せていただかないといけないんです。どうです、そのカードは気に入っていただけましたか?」
 少年は芝居がかった仕草で腕を広げた。からかっているのかと疑われる大仰な振る舞いだが、妙に絵になる。名もない劇団の役者か何かだろうかと浩太は思った。
 この不審な少年が怖いのか、美穂は浩太の腕をとって彼から離れようとしない。まったく事情を聞いていない彼女にとっては、何の話か皆目見当もつかないだろう。
 浩太は手元の真っ赤なカードと奇妙な少年とを交互に見比べた。この異様なカードはその辺の常人が作れるものとはとても思えなかった。では、その奇跡のカードを作ったというこの不思議な少年は何者なのだろうか。いったい何を意図して、浩太にTORIKAカードを寄こしたのか。
「本当にあんたが、このカードを作って俺に送りつけたっていうのか? 信じられないが……俺は誰にもTORIKAカードのことを話してないしな。やっぱり信じるしかないのか」
 浩太の頭の中で警戒を告げるアラームが鳴り響いた。TORIKAカードに関わる者がまともな人間のはずはない。この少年の正体に関して、浩太は頭の中でいくつかの可能性を思い浮かべた。世界征服を企む謎の非合法組織の構成員。世の中を驚かせることを目的とする怪しい研究所の研究員。困っている者の前に突然現れて都合のいい力を授けてくれる神様。あるいは地球人を実験台にしようと暗躍する宇宙人……。いずれにせよ、ここでこれ以上この少年と会話するのは非常に危険な行為に思えた。
「さて、納得していただいたところで大事なお話があるんですが……」
「悪いな、今ちょっと急いでるんだ。話ならまた今度聞いてやるから、今日は勘弁してくれないか。美穂さん、行こう」
 美穂の手を引いてその場をあとにしようとした浩太だが、美穂は立ち止まったまま動こうとしない。不審に思って美穂を見ると、目の焦点は合わず、ぼうっとした顔で謎の少年を眺めていた。まるで催眠術にでもかかったかのようだった。いくら浩太が手を強く引っ張っても動かない。
「美穂さん、おい、美穂さん !? どうしちまったんだ……」
「まあまあ、そう慌てずに。こんな往来で申し訳ないですが、ちょっとの間、僕とお話をしませんか。美穂さんのためにもね」
「これはお前のせいなのか? 人質のつもりかよ……」
 動かなくなった美穂を置いて逃げることもできず、浩太は歯ぎしりした。「さすがTORIKAカードの開発者、こんなこともできるんだな。催眠術か?」
「まあ、似たようなものですよ。僕の力の一部を人間にも扱えるようにしたのが、そのTORIKAカードでしてね。ほんの一部とはいえ、あなたもその力を体験してよくご存じでしょう」
 その何気ない発言で、浩太は確信した。この少年は人間ではないと。
 闇の組織の工作員か、魔法使いか、神様か、宇宙人か……何者なのかはわからないが、普通の人間でないことは間違いない。全身から汗が噴き出し、掌の中のTORIKAカードを濡らした。
「あんた……いったい何者なんだ?」
「僕ですか? 神様です」
 浩太は絶句した。まさか都合のいい神様だったとは。
「あははは、冗談ですよ。あの人とは対極にある存在……地上の人間たちを弄ぶために、日々地道な努力を重ねている者です。千里の道も一歩からと言いましてね」
「つまり、悪魔みたいなもんか」
「まあ、そうですね。不安を感じていらっしゃるようなので付け加えておきますが、別にあなたの敵というわけではありません。僕は新商品のテストをあなたに依頼し、あなたは僕の期待に応えて下さいました。感謝こそすれ、あなたに嫌がらせをする気はまったくありません。用済みになったから口封じ……なんてベタな展開もありません」
「そうか、それならいいが……」
 浩太は安堵した。この少年が嘘をついていない保証はどこにもないが、とりあえず今すぐ危害を加えられる可能性はそう高くないようだった。
 明るくも狭い路地には、人影が一切ない。大通りのある方角を見ても、霧がかかっているように遠くが白くぼやけてよく見えなかった。まるでこの一角だけが世界から切り離されてしまったかのように、いつの間にか周囲から隔絶していた。
「じゃあ、何しに俺の前に現れたんだ? TORIKAカードの感想が聞きたいなら、後でたっぷりレポートに書いて送ってやるよ」
「それが、あなたにとっては残念なお知らせです。そのカードのテスト期間がそろそろ終わりますので、回収に参りました」
「冗談だろ? まだ十分に楽しんでないんだけどな。そもそもこれって、期間が過ぎたら回収されるものだったのか」
 浩太はTORIKAカードを見て心の底から嘆いた。どんなことでも可能にする霊異なカード、TORIKAカード。このカードを手にしてからのわずかな時間は、今までの浩太の人生の中で最も輝いていた。神か悪魔にでもなったかのような全能感に、お調子者の浩太はすっかり虜になっていた。それを手放さなくてはならないとは。
「頼むから、もうちょっとだけ待ってくれないか。こんなヤバい商品のモニターなら、もっと念入りにした方がいいだろう。どこの誰に売りつけるつもりか知らないけどさ」
「僕はここしばらく、ずっとあなたのことを見ていました。あなたがそのカードをどんな風に活用するのかを観察していました」
「ああ、さっきも聞いたな。どうだった? もしかして期待外れだったかな」
「いいえ、ほぼ予想通りの展開でしたね。僕の期待通りのお仕事をして下さって感謝しています。もう少し面白い使い方をして下さってもよかったんですが、まあ概ねよしとしましょう」
「ひょっとして、もっとぶっ飛んだ使い方を考えるべきだったのか? あれでも、俺にしちゃ頑張った方なんだけどな」
 この短期間に数々の人間を玩具にし、その身体や生活を弄んだことを浩太は思い出した。いかに悪知恵を働かせ、創意工夫を凝らして他人を弄んで貶めるかを必死に考え続けた。
 だが、そんな浩太の試行錯誤も、開発者の予想を大きく裏切るものではなかったらしい。このように日頃の行いを評価されるのなら、もっと独創的なTORIKAカードの使い方を考えておくべきだったかと後悔した。
「そうですね……あえて言うなら、もっとスケールの大きな交換に挑戦してみてもよかったんじゃないかと思います。たとえば全人類とあなたの罪を取り替え、人類全ての罪を背負って地獄に落とされるとか、地球と意思を取り替えて自分が地球そのものになれるかどうか試してみるとか、いろいろ考えられますよね。そこまでできるのかどうか、作った僕にもわかりませんが」
「何だよそれ……人類とか地球とか、スケールがでかいな。でかすぎて俺には思いつかなかった」
 やはり人外の存在は、発想も人間離れしているようだった。TORIKAカードで実現できたかもしれない奇跡の例を挙げられ、浩太は肩をすくめた。
「でも、こんな試作品のできそこないのカードでそんな大仰なドラマを演じるのは、ふさわしくないかもしれません。王様には王様に、乞食には乞食にふさわしい仕事があります。そして、あなたが果たすべき仕事はこれで終わりです」
「なあ、それなんだが……どうしても今この場でTORIKAカードを回収する気なのか?」
「ええ、そのつもりです。もう充分観察しましたからね。そんな試作品のできそこないでも、ずっとあなたに預けておくわけにはいきません」
「どうしても?」
「どうしてもです」
「絶対?」
「ええ、絶対に」
「そうか、それじゃしょうがない……お前の体と立場を、俺と交換してくれ!」
 TORIKAカードを少年に突きつけ、浩太は叫んだ。
 いかなる者も抗えない、TORIKAカードに秘められた魔力。それさえ発動すれば、たとえ人外の存在であっても出し抜くことができるかもしれない。一縷の望みを抱いて浩太は赤いカードを構えた。
 ところが……。
「残念ですが、僕には効きませんよ」
 怪しい少年は何ごともなかったように浩太の手からTORIKAカードを奪い取ると、スラックスのポケットにしまい込んだ。それまで浩太のあらゆる望みを実現させてきた驚異のカードは、今回に限ってはまったく何もしてくれなかった。
 浩太の顔が青ざめる。「そんな……どうして……?」
「まあ、もともと僕の作った道具が僕に効くはずもないですからね。お気の毒ですが、回収させていただきましたよ」
 少年は笑った。ただ楽しいだけなのか、浩太をからかっているのか、それともあざ笑っているのか、よくわからない笑い方だった。
 唯一の武器であるTORIKAカードを奪われ、しかも美穂を人質に取られた浩太に抗うすべはもはやなかった。
 終わりだ。TORIKAカードがもたらした夢のような生活は終わり、これからは再びあの平凡な毎日が始まるのだ。散々楽しんだ浩太には、もはやTORIKAカードのない暮らしなど考えられなかった。
「さて、TORIKAカードのテストはこれで終わりですが……モニターのお礼がまだでしたね」
 喪失感に苛まれる浩太に、少年は思い出したように言った。「テスト期間が過ぎると、TORIKAカードによってもたらされたあらゆる現象が元に戻ります」
「戻るのか? ずっとそのままだと思ってた……」
「いいえ、残念ながら。入れ替わった人々は元の体や名前を取り戻し、TORIKAカードが引き起こした現象についての記憶も全ての関係者から自動的に抹消されます。例外として浩太さんの記憶だけはそのまま残りますが、そこにいる美穂さんは何もかも忘れてしまい、あなたとは縁もゆかりもない他人に戻ります。道端で浩太さんに会っても知らない人……それが本来あるべき美穂さんの姿です」
「そんなの嫌だ。美穂さんと離れ離れになるなんて」
 浩太は呆けた美穂の肩を抱き、駄々をこねた。TORIKAカードの魔力によるものとはいえ、初めて自分の恋人になってくれた女性を、そう簡単に諦められるものではなかった。
「そうですか。ではモニターのお礼はそれにしましょうか。美穂さんがあなたへの報酬です」
 言うなり、少年の姿はぼやけていった。蜃気楼を見ているかのように、そこにあったはずの人間の形が揺らめき、薄れ、そして消えていく。狐につままれた思いだった。
「さようなら、浩太さん。もうお会いすることはないと思いますが、美穂さんと末永くお幸せに」
「いったい何だ? 何がどうなってるんだ……」
 少年の姿が消えていくのに合わせて、浩太の視界そのものもぼやけていく。今まですぐ近くにあったビルや電柱が幻のように消え失せ、周囲の世界が浩太だけを残して真っ白に塗り潰されていくのがわかった。それは浩太以外のすべてが白く燃え尽きたのか、それとも浩太が現実の存在ではなくなってしまったのか、判断は容易にはつかなかった。
(TORIKAカード……美穂さん……そして俺はどうなるんだ)
 自分はこれからどうなってしまうのか。不安が浩太を襲った。自分は果たして現実の世界に戻れるのか。美穂は浩太のことを忘れてしまうのか。TORIKAカードはもう二度と彼のもとには戻ってこないのか……。
 何も見えなくなった浩太は、ただ目を閉じて立ちすくみ、状況が変化するのを待ち続けた。そして、幸いにも長くは待たされなかった。

 ◇ ◇ ◇ 

 美穂は駅前のコンビニエンスストアにいた。
 時刻はまだ午前。待ち合わせの時間に少し早く来てしまい、コンビニで少年向けの漫画雑誌を軽く眺め、ついでに飲み物を買った。
 日曜日の駅前は行き交う人が非常に多く、待ち合わせの相手が自分を見つけられないことを美穂は危惧した。念のため、自分がいる場所を相手に教えておこうと愛用のスマートフォンを取り出すと、目の前によく知る男が立っていた。
「お待たせしました、美穂さん」
「浩太……くん」
 美穂はスマートフォンをバッグにしまい、男というより少年と呼ぶべき待ち合わせの相手と向かい合った。
 少年の名は浩太。美穂の三つ下の高校二年生で、今までずっと女子校に通い男と交際したことがなかった美穂にとって、初めての恋人だ。
「ひょっとして長いこと待たせてしまいましたか? すみません」
「いいえ、そんなことは……ああっ」
 浩太の手に馴れ馴れしく体を撫で回され、美穂は高い声をあげた。硬く力強い男の指が美穂の服の生地を滑り、控えめなサイズのバストを持ち上げる。顔を合わせた途端に見せる少年の大胆な振る舞いに、美穂の心は羞恥に彩られた。
「ダメです、こんなところで。やめて下さい……」
「嫌なんですか? でも、美穂さんは俺の彼女ですよね? 彼氏が彼女にこういうことをしたらいけないんですか」
 衆人環視の中で浩太は笑った。周囲の通行人の中には、往来でセクシャル・ハラスメントを始めた浩太に不審げな眼差しを向ける者もいる。たちまち美穂は赤面した。
「ママ、あれ見てー」
 美穂のすぐ隣に立っていた外国人の女児が、母親らしい女性の袖を引いて訴えた。
「どうしたの? ジュリア」
「このお兄ちゃんとお姉ちゃん、変なことしてるよー」
 日本で長く生活しているのか、母親も娘も流暢な日本語を話していた。どこかで会ったことがあるように美穂は思ったが、今はまともに顔を合わせられない。浩太の手をとり、逃げるようにその場を離れた。
「もう、やめてったら……あんな人通りの多い場所で。皆に見られちゃいます」
 美穂は浩太を非難したが、浩太は聞く耳を持たない。
「ふふふ、スリルがあったでしょう? 美穂さんがとっても可愛いから、周りに人がいても、つい可愛がりたくなるんですよ」
「そんな……」
 長い黒髪を肩に垂らした女子大生は、ふてぶてしい恋人に嘆息するしかなかった。
 浩太は美穂に腕を組ませ、得意げな顔で街なかをエスコートする。浩太が美穂にとって初めての彼氏であるのと同様、美穂も浩太にとって初めての交際相手だった。付き合い始めてまだ日の浅い二人だが、浩太に緊張した様子は見られない。自分の思い通りに美穂を従え、会話の主導権も専ら浩太が握っていた。
 傲慢とも言える浩太の態度に、美穂は文句一つ口にせず、黙って彼についていく。今日、彼女が身に着けている服装は、春らしい明るい桃色のワンピースと、その上に羽織った紺のカーディガン。それは、初めて二人が出会ったときとまったく同じ装いだった。
 浩太はそんな美穂の服装に当然、気づいているはずだが、それについてのコメントは一切口にしなかった。あえてしないのだと美穂は推測した。
「さあ、到着です。今からだとちょうどいい時間ですね。予定通り、この映画にしますね」
「はい……」
 しゃれた街の一角にある映画館の前で、美穂は浩太にうなずいた。
 今日は浩太と丸一日デートの予定だった。一緒に映画を見て、昼食を共にし、ショッピングを楽しむ。本来であれば心の底から楽しむべきイベントだが、美穂の心には不安と憂いの陰が差していた。
 これからいったい、どのような行為を要求されるのか。ただデートに来ただけであれば何も不安がる必要はない。だが浩太は性欲盛んな男子高校生で、今の美穂は彼に絶対服従しなくてはならない立場だった。対等な交際ではないのだ。
 浩太が選んだ映画は、巷で話題になっている洋画だった。運命のいたずらに翻弄された男女が様々な障害を乗り越え結ばれるラブストーリーだ。美穂はその隣の会場で上映されるSFアクション映画の方に興味があったのだが、今の彼女に発言権はほとんどない。
 美穂は浩太の左隣の座席に腰を下ろし、浩太と手を繋いで映画を観賞した。周囲には二人と同じカップルらしい男女が数多く座っており、スクリーンの中の甘く切ない恋話に引き込まれていた。自分たちもそのカップルの一組として素直に映画を楽しむべきなのだが、美穂はなかなかそういう気分にはなれず、上の空で映像を眺めていた。
 悪戯が始まったのは、上映時間の半分が過ぎた頃だった。
 気がつくと、美穂の手を握っていたはずの浩太の左手が、美穂の体の上を這い回っていた。美穂は小さな声を漏らし、隣の少年に非難の視線を向けた。
「やめて下さい。こんなところで……あっ」
「静かにしてて下さい。追い出されちゃいますよ」
 美穂にしか聞こえない声で浩太は命令した。二人が座っている場所は場内の中央で、非常に目立つ位置だった。もし不埒な行いを始めたら、瞬く間に周囲の客にばれてしまう。そんな危うい場所で悪戯を始めた浩太のことが信じられなかった。
 浩太の指が美穂の白い首筋を撫で、細い顎をぐっとつかむ。いったい何をするつもりなのかと思っていると、顎をつかんだ手の指が美穂の唇を押し開いてきた。不躾にも前歯をノックし、口を開けるよう促してくる。
(こんなところで変なことをするなんて……やめてほしいのに)
 仕方なく浩太に命じられるまま彼の指をくわえて、美穂は嵐が過ぎ去るのを待った。浩太がすぐにこの悪戯に飽きて映画に熱中してくれることを祈った。
 だが浩太の悪行はなかなか終わらない。太い指を何度も美穂の口内に抜き差ししたあと、力強い手で美穂の首を真横に向かせる。嫌々ながら浩太の方を向くと、少年に唇を奪われた。
 満席の映画館の中で、上映中に行われる接吻。大胆な行為がもたらす羞恥と興奮に、美穂の体の芯が疼いた。
(晒しものになるのは嫌なのに。でも体が熱くなっちゃう)
 口の中に少年の舌が侵入してきて、抵抗もできず蹂躙される美穂。ちょうど映画の中でも主演の男女が抱き合い、お互いの深い愛情をキスで表していた。甘い恋のメロディが美穂の興奮を一層かきたてる。体温が一気に上がり、顔が真っ赤に染まるのを自覚した。
 高校生の浩太にリードされ、思うがままに支配される女子大生の美穂。年下の少年は遠慮なく美穂を味わい、大胆な振る舞いで彼女を手なずけようとする。愛すべき男に従属する喜びと恥辱に、美穂は下着を湿らせた。
 長い接吻ののち、ようやく浩太は美穂から顔を離した。だがそれで終わりではなく、再び浩太の指が美穂の体をまさぐってきた。今度は裾からワンピースの内部へと手が入ってきて、腿の付け根を撫でる。ぞくりとした感覚が背中から脳髄へと駆け上がり、声を漏らしそうになった。
「濡れてる……美穂さん、いやらしいね」
 耳元で浩太が囁いた。美穂は肯定も否定もできず、目を閉じて震えることしかできなかった。ふしだらな指は腿から股間へと進出し、下着の上から美穂の土手を撫で回す。
 二人が男女の仲になってからというもの、浩太は美穂の中に潜むマゾヒズムを開花させることに熱心だった。こうして他人の目があるところで悪戯に及ぶこともしょっちゅうだ。美穂はそのたび、決して逆らえない相手に従順にしつけられ、自分が哀れな獲物になってしまったことを自覚させられるのだった。
「おい、理恵、見ろよ。前の二人……」
「あら……ふふ、若いわね。こういう場所でもお構いなしなんだ」
 すぐ後ろの座席からそんな男女の会話が聞こえてきて、美穂は戦慄した。恐れが現実となり、自分たちが恥ずべき醜態を晒していることを強く意識させられる。全身の血液が逆流し、めまいがした。
「やめて、これ以上触らないで……周りに見られてるの」
 美穂が苦悶の声をあげると、浩太はようやく股間を責めるのをやめた。これで悪戯は終わり、再び映画を観賞するのか……安心した矢先、立ち上がった浩太に思い切り腕を引かれた。外に連れ出そうというのだ。
 美穂はおそるおそる席をたち、浩太に従って暗い場内を後にした。全ての客が映画のスクリーンではなく自分たちをじっと見つめているような錯覚に、気をやってしまいそうになった。
「まだ映画が……」
「そんなのはどうでもいいよ。俺、美穂さんを味わいたくなっちゃったな」
 傍若無人な浩太は、美穂を男子トイレの個室に連れ込んだ。幸い、他の利用者はいなかったが、出るときに見られないとも限らない。強烈な不安を覚える美穂に、浩太はワンピースの裾を持ち上げるように命令した。
「やっぱり、その……するんですか?」
「もちろんだよ。美穂さん……いえ、浩太君は、したくないんですか? 私はしたいです。もう我慢できません」
 浩太はベルトを外し、下着の中から勃起した一物を取り出した。美穂を威嚇するように突き出された切っ先からは我慢汁が垂れ、栗の花の香りを漂わせていた。
 美穂はごくりと唾をのみ、壁にもたれかかる姿勢で桜色のワンピースを大胆にまくり上げた。
 形のいい尻を晒す美穂に、浩太は後ろから挿入した。お互い、前戯が不要なほど濡れていた。わずかにずらした下着の隙間から侵入してくる若いペニスは、鉄のように硬い。
「ああっ、入ってる。私の……俺のアソコに、美穂さんのが」
 美穂は熱い吐息をつき、最愛の少年のものを受け入れた。既に多量の潤滑油を分泌していた膣内は、淫らな音を立てて浩太をくわえ込む。乱暴に抜き差しされる肉棒が、美穂を瞬く間に女から牝へと変えた。
「ああっ、あん。激しい……あっ、ああっ、ひいっ」
「うふふ、いやらしいですね、浩太君。自分から腰を振っちゃって」
 意地悪にも自分をあざ笑う浩太に、美穂は耳まで真っ赤になった。女の体になってから既に数週間が経過し、浩太の女として随分と調教されてしまった。だが、羞恥はいまだに残っている。
 恥じらいにおののく美穂を、浩太は執拗に嬲った。力強い彼の男性器は凶器だった。雄々しくそり返った肉茎が美穂の穴をほじくり返し、奥にある子宝の宮を何度も打った。
 声が周囲に漏れないよう口を手で押さえながら、美穂は浩太のペニスを堪能した。細い脚が小刻みに震え、腰を抜かしそうになるのを必死で我慢した。
「あっ、あっ、奥、突かれてる……ダメです。これ以上されたら、俺……」
「イっちゃうの? 男の子だったのに、おチンポハメられてイっちゃうんですか?」
「は、はい、イキます。俺、チンポハメられてイキます……」
 浩太の心が入った美穂は涙を流したが、美穂の魂を宿した浩太はより一層激しく彼女を貫き、美穂を絶頂へと追いやった。目の前に光がちらつき、明るいのか暗いのかさえわからなくなる。
 とどめは膣内射精だった。浩太は避妊具をつけていない肉棒の先を美穂の一番奥までぐっと押し込み、女子大生の子宮口に熱い樹液をぶちまけた。美穂の視界を真っ赤な花が覆い隠し、意識の隅々までピンク色の塗料に塗りつぶされた。
「おおっ、イク。俺、イキますっ。うお、うおおおおっ」
 狭いトイレの個室ということも忘れ、美穂は獣のように吠えた。女の体で味わうオルガスムスは圧倒的だった。何度体験しても慣れない、自分を魅惑し続ける危険な快楽だった。
「あ、ああ……ああっ、ん、あふん……」
「ふふ、たっぷり出ました。搾り取られました」
 生温かい感触と共に、ぽっかり空いた美穂の膣口から浩太が引き抜かれた。満たされていた幸福と安心が去り、寂寥感に襲われる。
「ゴム使うの、忘れちゃいましたね。妊娠しちゃうかもしれません」
「お、俺が妊娠……美穂さんのカラダで、妊娠……うっ」
 浩太の囁きが、美穂に新たな絶頂をもたらす。華奢な体がもう一度跳ね、言葉だけでオーガズムの波が押し寄せたことを浩太に報告した。まったく避妊を考慮しない向こう見ずなセックスに、美穂は打ち震えるほどの喜びを感じていた。
「まったく、どうしてくれるんですか? 私の体と人生を丸ごと盗んだだけじゃなく、勝手に妊娠までするつもりですか? どこまで罪深い人なんでしょう、浩太君は」
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
 身勝手な浩太の物言いにも、美穂は一切反論できずに謝るだけだ。反論する資格がないのは、あの日からずっとそうだった。二人があの不思議な少年に出会った日から。
「ああ、もうダメ……」
 美穂はとうとう立っていられなくなった。便座に腰を下ろし、脱力して絶頂の余韻を噛みしめた。美穂が浩太と入れ替わって数週間。化粧や女らしい立ち居振る舞いに困らされることは少なくなりつつあったが、この失神してしまいそうな快感にはいまだに慣れない。だらしなくよだれを垂らして呆ける浅ましい表情は、家族や友人たちにはとても見せられないものだ。
 浩太はそんな美穂が面白いのか、サディズム混じりの下卑た笑みを浮かべ、べとべとになった彼女の体を拭き始めた。一応、美穂の彼氏であり、元の体の持ち主でもある浩太にとって、美穂の体はやはり大事なのだろう。日頃はあらゆる手段で彼女を汚し、弄びつつも、時おり気づかう様子を見せることもあった。
「私の体が欲しいなんてあなたが言ったせいで、私は浩太君と体が入れ替わって、二度と元に戻れなくなりました。何も悪いことをしてないのに嫁入り前の大事な体を奪われた私の気持ち、浩太君にわかりますか?」
「あ、いや……俺は美穂さんが欲しいと言っただけで、美穂さんの体になりたかったわけじゃ……あいつ、確かに俺に美穂さんをくれるって言ったけど、まさかこんなことになるなんて……」
「言い訳なんて聞きたくないです! 私の人生は浩太君のオモチャじゃないんですよ!」
 トイレの外にまで聞こえそうな大声で、浩太は怒鳴った。「浩太君は私の体になってさぞ嬉しいんでしょうけど、私はこんな体になって、大好きなパパやママ、友達の亜季菜とも会えなくなりました。知らないおじさんやおばさんをお父さんお母さんと呼んで、家族のフリをしなきゃいけないんです。あなたのせいで私の人生が台無しです! どう責任とってくれるんですか !?」
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
 謝罪する美穂を、浩太は執拗に言葉でなじった。他人に悪意を向けることをほとんどしなかった美穂だが、浩太の体に入った現在では、こうして相方の女を毎日のように非難している。よほど腹に据えかねたのか、それとも男として暮らすうちに性格が変化したのか。今まで受け身の人生を送ってきた反動なのかもしれない。
「こうなったからには、一生かけて罪を償ってもらいます。浩太君とその体はずっと私のものです。私がしたいと言えば、いつどこであっても私を受け入れなさい。逆らうことは許しませんから。ちゃんとわかってますか?」
「はい、わかってます。俺は美穂さんの彼女で、二人きりのときは奴隷になります。一生美穂さんの言うことを聞いて、美穂さんのために尽くします……」
 何度も言い聞かされた文句を半泣きになって口にし、美穂は浩太の機嫌をとった。浩太は子猫のように震える美穂の体を拭き終わると、乱れた衣服を整えてくれた。
 二人がトイレの外に出ると、既に映画は終わっていた。美穂の手を痛いほど引っ張り、浩太が耳打ちしてくる。
「お昼ご飯を食べたら、予定を変更してホテルに行きます。今日は浩太君のことを徹底的にイジメちゃいますから、覚悟して下さいね」
「は、はい……」
 美穂は真っ赤な顔でうなずいた。何もかも浩太に従い、若い彼の性欲のはけ口になるのは大変だが、今の美穂にとっては必ずしも嫌悪する行為ではない。
 TORIKAカードを失った美穂と浩太は、元の体に戻ることは決してない。美穂は浩太として、そして浩太は美穂として残りの人生を死ぬまで過ごさなくてはならないのだ。これが、あの妖しい少年が浩太に与えた褒美だ。
 二度と元の体に戻れないのなら、せめてこの状況を少しでも楽しみ、充実した生活を送れるように努力するべきだ。図々しくもたくましい浩太の心は、少しずつ美穂の体に適応しつつあった。
 そして、それはおそらく美穂も……。
「あ、あの、美穂さん」
「外では浩太って呼んで下さい。何ですか?」
「俺……俺は、美穂さんのことが好きです」
 頬を紅潮させた美穂が告げると、浩太はぱちぱちと瞬きを繰り返し、そのあと急に笑い出した。
「そうですか。実は私もです。今日は夜までたっぷり可愛がってあげますから」
「よ、よろしくお願いします……」
 美穂は最愛の少年の手を取り、恋人同士がそうするように腕を組んだ。感情が高ぶった拍子に女陰から精液の塊が漏れ出し、先日買ったばかりの高価な下着を汚した。はじめ望んでいた形とは異なるが、惚れた相手とこうして結ばれ、美穂になった浩太はこの上ない幸せを噛みしめていた。


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