TORIKAカードでいこう 3

 小学校で罪もない子供たちや教師を心ゆくまでもてあそんだ浩太は、学校を出て坂を下り、また自宅の方へ歩き出した。やはり、美穂が通っている女子大に行ってみようと思ったのだ。満足感で胸を一杯にして春の青空の下を歩くと、小柄で痩せた美穂の体になっていることもあり、気分が弾んで体が羽でできているかのように軽く感じる。TORIKAカードを手に入れてからというもの、日常が驚きと喜びの連続だった。自分は何と幸運な人間なのだろうかと、信じてもいない神に感謝した。
 目的の女子大に行く前に、途中、通り道にある自宅に寄っていく。自宅には母親の久美子が──正確には、自分を久美子と思い込んでいる茜がいた。TORIKAカードの効果で久美子と入れ替わった浩太が、次は茜と立場を取り替えたのだ。その恰好は、先ほど出会ったときに着ていた赤いジャージのままだった。
「はい、何の御用でしょうか。あら、あなたは……茜先生?」
 茜は浩太の自宅からさも当然のように顔を出した。思った通り、茜の認識は浩太と茜が入れ替わったときのままで、今も浩太のことを女性教諭の茜だと見なしていた。
「先ほどは立場を交換していただいて、ありがとうございました。実は、あれからまた取り替えましてね。二年二組のジュリアちゃん、知ってますか? 色の白い、ブラジル人の可愛い女の子です」
「ええ、もちろん。交換する前はジュリアちゃんの担任でしたから、よく覚えてます」
「俺、ジュリアちゃんと立場を交換したんですよ。だから、今はジュリアちゃんが茜先生で、俺がジュリアです」
 浩太は不敵な笑みを浮かべて茜に告げた。小学校の子供たちと別れる際、浩太は一人の女子児童と立場を交換していた。ジュリアという名前の白人の女の子だ。聞けば、両親ともにブラジル人で、日本で働いているため日本の小学校に通っているのだという。日本語は片言だが、素直で明るい女の子だ。
 さらさらの金色の髪を肩まで伸ばした白人女児と、浩太は立場を交換したのだった。その前に女性教諭の茜に成り代わっていたため、今頃はジュリアが担任教諭としてクラスを指導しているだろう。もちろん、立場が代わったからといって、外国出身の八歳の女の子に教諭としての知識もメンタリティも、そもそも満足な日本語の力もあるはずがなく、さぞ苦労しているに違いない。
 女子児童と立場を交換したのは、単に悪戯心からだ。小学二年生の女の子が平日の昼間に街をうろついていては目立つだろうが、少なくとも外見だけは二十歳の女性であるし、トラブルになる恐れは皆無ではないが、それほど大きくもない。幸い、浩太はジュリアという八歳の少女の名前を有したまま、何事もなく自宅にたどり着いた。
「まあ、そうだったの。じゃあ、今はあなたがジュリアちゃんなのね」
 茜は浩太の話を聞いて納得した様子だった。無論、TORIKAカードの力は交換の経緯に疑問を抱くことを許さない。
「でも、今の私は専業主婦の久美子だから、ジュリアちゃんと接点はないわよ。せっかくうちに来てもらったけど……」
「そこでお願いです。また俺と立場を交換して下さい」
 浩太は再び茜にTORIKAカードをつきつけた。茜はたちまち笑顔になる。
「ええ、いいわよ。私は今から二年二組のジュリアで、あなたは主婦の久美子になるのよね」
「そうです。わかってもらえたかな? ジュリアちゃん」
「うん、わかったー」
 律儀なことに、口調まで子供っぽく変える茜。スポーツでもやっているのか、しなやかで健康的な肢体を持つこの二十代のショートヘアの女性は、たった今から八歳のブラジル人の女児、ジュリアになったのだ。
「じゃあ、小学生のジュリアちゃんは学校に戻らないとね。ひとりで学校まで行けるかな?」
「大丈夫だよー。ひとりで学校にも行けるし、お買い物だってできるもん!」
 笑いが吹き出しそうになるのを我慢し、浩太は体よく茜を家から追い払った。あまり外国人の女の子とは思えない話し方だったが、二人の頭の中身まで交換したわけではないため、あの辺が限界だろう。
 浩太の悪行のせいで、今日からジュリアは二年二組の担任教諭を務め、代わりに茜がブラジル人の女児を演じることになった。顔も体も知識も何ひとつ変わっていないが、立場だけが入れ替わったのだ。この手の悪戯を浩太は今日何度も繰り返したが、やはり面白くて仕方がない。TORIKAカードは浩太にとって、すっかりひとを玩具にする道具になっていた。
 自宅で母の名前を取り戻した浩太は、朝とは反対方向に向かう。目指すは美穂が通う大学だ。近所にあるといっても、何の関係もない男子高校生が女子大に立ち入る機会はほぼない。だが、今の浩太は何でもできるのだ。
 十分ほど歩くと件の女子大に着いた。敷地に入るとそこかしこで女子大生たちがグループで談笑しており、年上の女性ばかりの女の園に侵入したことを実感させてくれる。多少は心理的な抵抗を覚えないこともないが、今の浩太は女性になっていることだし、無断侵入なら朝の小学校でもした。気おくれしても仕方ない。
(さて、美穂さんはいるのかな?)
 浩太は美穂が所属しているという文学部の校舎に足を踏み入れ、中を見て回った。美穂がいないだろうかと捜したが、少なくとも浩太の視界には入ってこなかった。もしここに来ているのなら、浩太と体を交換して男になっている美穂は大変目立つと思われる。TORIKAカードの効果で美穂本人も周囲の人間もそれが当たり前と認識しているはずだが、話し声一つとっても男と女ではまるで異なる。近くに美穂がいればすぐにわかるかもしれない。
(それにしても、大学ってこういうところなのか。校舎の中は綺麗だし、教室もうちの学校より随分広いや)
 美穂を捜しながら物見遊山にふける浩太。熱心な学生でもない彼にとって、大学の内部を見物するというのは初めての行為だった。まして女子大となればなおさら新鮮だ。古めかしい黒板ではなく明るいホワイトボードがすえつけられた講義室をのぞき込むと、大勢の女子大生が席について神妙に老講師の講義を聴いている……が、よく見ると、資料や教科書を手に講師の話に耳を傾けているのは講義室の前方に座る三分の一ほどの学生だけで、大部分はスマートフォンをいじったり漫画を読んだりしていた。こういうものかと思って眺めていると、入り口に近い席に座っていた派手な服装の学生ににらみつけられ、浩太は慌てて立ち去った。不審に思われたのだろうか。
 そうして浩太は講義中の教室をいくつか通り過ぎ、廊下の端にある講義室に侵入した。ここは今の時間は講義がないのか、ほぼ無人だ。中央の辺りの座席に女子学生が二人座って話しており、その近くでは清掃員と思しき老夫が掃除機をかけていた。カーペット状の床なので掃除機を使っているのだろう。浩太が通っているおんぼろ高校では校舎内のほとんどのが板張りの床で、こういう些細な違いも浩太にとっては目新しく感じられた。
 もしもこの大学に通えたら、毎日笑って暮らせるに違いない。しかし、男の浩太がこの女子大に入ることはできない……他人と肉体や立場を交換する魔法のカードでもなければ。
 浩太はピンク色の洒落た財布から赤いカードを取り出し、手の中でもてあそんだ。
(このTORIKAカードを使えば、俺もこの女子大の学生になれる……しばらくここの女子大生になってみようかな。うちの高校なんて退屈なだけだし)
 そんなことを考えつつ、手近な席に腰を下ろした。女子学生たちはスマートフォンを片手に楽しそうに話していて、浩太や掃除夫に視線を向けることもしない。よく見ると、どちらもなかなかの美人だった。片方は茶色の髪をセミロングに伸ばしたやや童顔の女性で、声が他の女性と比べても甲高い。もう一人は彼女と同じ色の髪にふわりと柔らかいウェーブをかけたボブカットの女子学生だった。会話の内容から察するに、セミロングの方が「サユリ」で、ボブカットの方が「チナツ」という名前らしい。どうやらチナツの方が上級生のようで、サユリからは「チナツ先輩」と呼ばれていた。
「はいはい、ごめんなさいね、お嬢さんたち」
 掃除機をかけていた老夫が申し訳なさそうな声で彼女たちに話しかけた。掃除の邪魔になるため移動してほしいのだろう。サユリとチナツは一瞬、煩わしげな表情になったが、さすがに一旦席を立って隅に移った。それでも会話を止めようとはしなかったが。自分たち以外の人間には興味がないといった様子だった。
(掃除機をかけてるのはわかってるんだから、最初からどいてやればいいのに……掃除機。そうだ、掃除機か)
 何げない日常の一コマを見ていた浩太の頭の中に、悪巧みのアイディアが湧き上がった。TORIKAカードの他の使い方を試してみたいと思ったのだ。
(このカードは自分と他人のものを交換したり、他人と他人のものを取り替えさせたりできるんだよな。じゃあ、人間以外とは取り替えられないかな?)
 記憶の中を探したが、このカードの注意書きにそのような記載はなかったはずだ。あまりにも荒唐無稽な発想なのでそもそもTORIKAカードの開発者も思いつかなかったのかもしれないが、失敗しても浩太は痛くも痒くもないわけであるし、とにかくやってみよう。
「すいませーん。ちょっといいですか?」
 浩太はサユリとチナツに近づいた。そして、掃除機を持った老夫にも大きな声で話しかけた。二人の女性と掃除夫は振り向き、目に疑問符を浮かべて浩太を見つめた。掃除機の音がやみ、講義室がにわかに静かになった。
「はい、何でしょうかぁ?」
 ボブカットのチナツが応答した。いかにも浩太に興味がなさそうな気だるげな態度だ。返事をしてくれただけマシかもしれない。
 そんなチナツに浩太はTORIKAカードを見せつけた。
「お願いがあるんですが、あなた、この掃除機とヘッドを交換してくれませんか」
 常人が聞けば耳を疑うこと間違いなしの発言だった。もし浩太が街中で見知らぬ者からそう言って話しかけられたら、脱兎のごとく逃げ出すだろう。
 ところが、チナツは二度まばたきした後、仰天するでもなくうなずいたのだった。
「ヘッドぉ? うん、いいよぉ」
「この掃除機のヘッドか。ああ、いいとも。ほら」
 老夫も同様に快諾し、手に持った掃除機のホースの先端部分を外してくれた。ヘッドと呼ばれる、床の塵を吸い取るためのパーツだった。外装はプラスチック製なのだろう。浩太の家にあるものとほとんど変わらない、ごく平凡な掃除機のヘッドだ。
 驚くべきはチナツの方だった。チナツは自分のこめかみの辺りに両手を当て、ヘルメットでも脱ぐような仕草で自らの頭部を取り外してしまったのだ。小学校で見た大河や京子と同じ奇天烈な行動だった。首の付け根にはあのとき目にしたものと同じ滑らかな肉の円があり、血は一滴も出ていない。これがTORIKAカードの力だった。
「はい、おじさん」
 チナツはバスケットボールのように両手で抱えた自分の頭部を老夫に差し出すと、代わりに掃除機のヘッドを受け取り、それを頭があった位置に据えつけた。掃除機の細い管では肉の切断面はほとんど隠せていないが、特に問題はないのだろう。掃除機のヘッドはチナツの体に完全に結合していた。
 首から上が掃除機の部品になってしまった女子大生の珍妙な姿に、浩太は笑うべきか驚くべきか決めかねていた。いずれにせよ、浩太にとって面白い外見なのは間違いない。
 胴体から切り離されたチナツの頭の方も大変なことになっていた。老いた掃除夫によってヘッドの代わりに掃除機のホースの先に繋がれ、非常にアンバランスな見た目だった。こちらも問題なく融合したようだ。
「うーん……先っちょがちょっと重いな。まあ、すぐに慣れるか」
 などと言いながら、チナツの頭が先についた掃除機を構える清掃員。無理もない。いくら華奢な女子大生であっても、人間の頭は数キログラムの重量があるのだ。そんなものがホースの先端についていては、バランスをとるのが難しくて当然だろう。ホースを重そうに両手で持ってふらふらしている。
「痛い! おじさん、机の角にぶつけないでよぉっ!」
「そんなこと言われてもなあ……だいたい、なんで掃除機が喋るんだ? ほら、掃除の続きをするぞ」
「痛いっ! また同じところを──おおおおお、ずおおおおおっ!」
 スイッチが入ったのか、チナツだった顔の口から凄まじい音が聞こえてきた。高速で回転するモーターが生み出す圧力により、猛烈な勢いで空気を吸い込んでいるのだ。もはや声を出せなくなったチナツの顔は乱暴に床に押しつけられ、ゆっくりと前後に往復する。かなりシュールな光景だ。
「ずおおおおおっ! ずっ、ぐおっ! ううおおう……」
 普通の人間であれば正視に堪えない掃除の様子を観察していると、また強烈な音が響き、突如として掃除機が停止した。
「あれ、吸えなくなっちまったな……こりゃあ、詰まったか」
「うぐぐ……ぐっ、ぐっ」
 どうやら舌の根元が喉に詰まったらしい。あれだけの圧力をかけられたのだから仕方がないのかもしれないが、これでは掃除機としてまったく機能しそうにない。掃除夫は困った様子で新しいヘッドの口の中をのぞき込んでいた。新しいヘッドはめちゃくちゃになった顔で涙を流し、ただ悶え苦しんでいた。
 一方、掃除機のヘッドを頭にしたチナツの体は微動だにしない。後輩のサユリが盛んに話しかけているが、ただ無言で席に座っているだけだ。脳が存在しないせいか、考えることができないのかもしれない。掃除機にも人間並みの知能があれば良かったのだが、現在の技術ではまだそこまでの製品は望むべくもない。一応、頭がなくても体は生きているように見えるが、自発的に動いたり、まして喋ったりは不可能らしい。
「うーん、どっちも酷いな。やっぱりヘッドを替えたのがまずかったんだろうか」
 浩太はもう一度カードを取り出し、チナツと掃除機のヘッドを元に戻した。だが、それで終わりではない。実験はまだ続いているのだ。
「じゃあ、次はヘッド以外のボディを全て交換して下さい」
「ゴホッ、ゴホッ、苦し……うん、いいよぉ」
「わかった、取り替えるよ」
 今度はチナツの首から下が掃除機になり、掃除機のヘッド以外が全て女子大生の体で置き換えられた。やっていることは先ほどと同じように思えるが、ほんの少し違いがある。
「それでね、チナツ先輩。あいつ、そのままロッカーの角に脚ぶつけてさぁ」
「うははぁ、何それぇ。バッカじゃないのぉ?」
 頭はそのままなので、再び後輩との会話に興じるチナツ。しかし、そのボブカットの頭以外、首から下は残らず掃除機になっていた。本体部分を座席に載せてもらい、頭は机の上に置いている。シルエットだけなら、やけに首の長い水棲恐竜に近いか。
 それからしばらくの間チナツを観察してわかったことは、彼女は掃除機のボディを自分の意思で動かせるということだった。といっても、ずんぐりした胴体に車輪がついている構造では人間のように器用な動きをすることはできない。せいぜい前後に動いたり、首を曲げ伸ばししたりする程度だ。
 ついでに試してみたところ、コンセントを抜くとチナツは動けなくなる。顔もマネキン人形にでもなったように表情をなくし、動作全てが停止する。ほぼ百パーセント、エネルギーを電力に依存しているようだ。果たして今のこの娘を生物と呼ぶべきか、それとも機械と呼ぶべきか。
 また、ヘッド以外がチナツの体になった掃除機の方は、コンセントに繋げるコードがなくても動作するようである。四つん這いの姿勢でヘッドを床につけ、土下座しながら床の塵を吸引するのが観察された。どうやら首のつけ根がスイッチになっているらしく、掃除夫がそこを押すと犬のような仕草で床の塵を吸引し始める。ミニスカートがめくられベージュの下着が丸見えになっても躊躇することなく床を這いつくばって塵を吸い込む女子大生の姿はシュールなのか、それとも色っぽいのか判断がつかない。その異常な光景を観賞しながら、浩太は「あんなにゴミを吸い込んだらやっぱり病気になるのかな?」などと考え込むのだった。
 せっかく世にも稀な実験を実施したのだからと、浩太の魔手はサユリにも及んだ。サユリと掃除夫に互いの体を交換するよう命じたのだ。二人は顔を見合わせ、肉体交換を快く承諾した。
「さて、この部屋は片付いたな。持ち場に戻るとするか」
 セミロングの髪の童顔の女子大生は甲高い声でそうひとりごつと、頭の代わりに掃除機のヘッドがついたチナツの体を引きずり、講義室を出ていった。あの女は清掃の仕事が終われば掃除夫の家に帰り、酒でも飲んで寝るのだろう。家族はいるのだろうか? 還暦を過ぎたであろう老爺が、肉感的な太ももを見せつけるショートパンツとヒールの高いサンダルをはいた女子大生の体になっても、妻や子供たちは気にも留めない。取り替えたもの、入れ替わったことが全て当然のこととして皆に受け入れられるTORIKAカードの魔力を、浩太は既に何度も目に焼きつけてきた。
「ねえサユリぃ、あんた来週の週末空いてるぅ?」
「来週? どうだったかなぁ……」
 頭部以外が全て掃除機になったチナツと、頭のてっぺんから爪先まで老いた掃除夫の体と置き換わったサユリ。掃除夫が自分たちの体を持ち去っていっても、二人はそれに興味を持つでもなく、またも他愛ない会話に没頭する。浩太が元に戻さなければ、この二人は一生このままだ。果たしてどちらもこの姿でまともな日常生活を送れるのだろうか。興味は尽きないが、これから先ずっと彼女たちを見守り続けるわけにもいかず、浩太もその場を後にした。
 楽しいひとときだったが、この女子大にやってきたのはただ悪戯をするためだけではなく、美穂を探すためだ。自分と体を交換した美穂を。
 本来の目的を思い出した浩太は、再び捜索を始めた。
 講義室、事務室、研究室、資料室、トイレ……学生が足を向けそうな場所を片っ端から当たったが、やはり美穂の姿はどこにもなかった。この建物の中にはいないのかもしれない。そもそも今日は大学に来ていないという可能性もある。
 一通り校舎内を見て回った浩太は、外に出ることにした。別の施設を探してみようと思った。
 浩太がいるのは先ほど入ってきたところとは反対側の出入り口で、人けの少ない場所だった。辺りに学生の姿はほとんどなく、ベンチに座った老婆が子犬を遊ばせている。犬種は人気のトイ・プードルのようだ。
 よく晴れて爽やかな気候の今日は絶好の散歩日和なのだろう。愛犬を眺めて目を細めている老婆に、浩太は微笑みかけた。
「可愛いワンちゃんですね。名前はなんていうんですか?」
「チャッピーっていうんです。オスの五歳。元気いっぱいよ」
 老婆は嬉しそうな声で言った。背中の曲がった真っ白な髪の老婦人で、いかにも人がよさそうだ。
「きゃん、きゃん!」
 飼い主に負けじと、チャッピーという名のトイ・プードルも盛んに浩太に吠えて自己紹介してくれた。体高は三十センチにも満たないだろう。独特のカールを持つカフェオレ色の毛並みがぬいぐるみのようにふわふわしている。子犬のようにも見えるが、小さな犬種だからこれで成犬だ。
(いいなあ……俺もこんな可愛い犬が欲しいなあ。でも母さんが犬嫌いだからな)
 人懐こいチャッピーを撫でてやりながら、浩太は心の中で嘆息した。昔から犬が欲しいと母に幾度となく陳情していたが、答えは決まって駄目だった。母の久美子は動物は飼いたくないと言って、浩太に飼育の許可を出したことがない。おかげで浩太は一人っ子でペットもいない、寂しい環境で育った。
(いっそ、この犬をうちのものにしようか。TORIKAカードさえあれば何だって思いのままなんだし)
 そんな不埒な考えが浩太の頭をよぎったが、すぐに首を振った。TORIKAカードは交換する二人の所有物を取り替える道具で、ペットを飼っていない浩太がこの老婆とペットを交換することはできないのだ。この老婆と立場を交換して浩太が飼い主になれば、一時的にこの犬を自分のものにできるだろうが、贅沢を言うなら浩太の家の犬にしたいものだ。他に考えられる手段としては、立場を交換してこの犬を自分の父親か母親にするという手もあるが、その場合、このトイ・プードルが浩太の両親の代わりに仕事や家事をやってくれるかというと、そんな都合のいい話はない。やはり気に入った犬を手に入れたいなら、ペット同士を交換するのがいいように思えた。今から急いで金魚でも飼うべきだろうか。
「あーあ、お前はこんなに可愛いのになあ……なあ、チャッピー」
「きゃんっ!」
「やめて、亜季菜っ!」
 突然聞こえてきた、どこか馴染み深い男の声に、浩太は飛び上がった。
 振り返ると、人けのない一角のベンチで若い男女が言い争っているのが見えた。慌てて駆け寄ると、そこにいたのは紛れもない自分自身──浩太の姿をした美穂だった。もしかして浩太の姿で女性の恰好をしているのではないかと危惧していたが、どこから調達したのか、ちゃんとした男ものの服を着ている。
「どうして? いいじゃない、美穂。あたしたち、知らない仲じゃないんだしさ」
「ダメよ、亜季菜……私は亜季菜のこと、大事な友達だと思って……」
「あたしもそうだよ。美穂のこと大好きな友達だと思ってた。でも友達から彼氏彼女になることなんて、いくらでもあるでしょ? ねえ、あたしの彼氏になってよ」
 そう言って美穂に馴れ馴れしく顔を近づける女。亜季菜と呼ばれたその女子学生は、どうやら美穂の友人のようだ。パーマをかけた明るい髪をアップにし、ノースリーブのブラウスにスカートのようなシルエットの膝丈のキュロットパンツを合わせている。ややきつそうな印象を与える顔立ちだが、美女と表現して差し支えないだろう。
 そんな女が浩太の姿をした男にもたれかかり、情熱的な言葉と眼差しで相手を口説いていた。今までの人生で一度たりとも異性にもてた経験のない浩太にとっては信じられない光景だった。
「あ、あんた、何やってるんだよ !?」
 浩太は動揺して亜季菜に食ってかかった。美穂と亜季菜はそこで初めて浩太に気づいたようで、二人揃って目を丸くしていた。何しろ、今の浩太は美穂の身体を有する女なのだ。
「あれ、あんたも美穂? じゃないわね……ああ、そうか、美穂と体を交換した男のコね」
「浩太さん……ですか? どうしてこんなところに……」
「あのときは浩太だったけど、今は母さんだよ。体は美穂さんのままだけどね」
 そう答えると、浩太は鋭い目つきで亜季菜をにらみつけた。「一体どういうつもりだよ。俺の体の美穂さんに迫るなんて」
 美穂に交際を要求するとは、何という不埒な女だろうか。怒りと嫉妬がふつふつと沸いてきた。
「あんたには関係ないでしょ。これはあたしたち二人の問題なんだから」
「何だって !? どういうつもりだよ」
「あたし、美穂と小学生のときからずっと一緒の大親友なの。美穂のことなら知らないことはないわ」
 亜季菜は目を剥いて怒る浩太をたしなめるように、長い人差し指で自分と美穂を交互に指した。「美穂は可愛くて優しくて、大人しいけど芯は強くて、あたしのことを何でも理解して支えてくれる……あたしはそんな美穂が大好きだった。同じ女じゃなかったら、とっくの昔に告白してたと思う」
「亜季菜、そんなことを大きな声で言わないで。恥ずかしい」
 美穂は赤面して両手を振った。見た目は浩太そのものなのでいささか気持ち悪い仕草だったが、中身が美穂だと思うとそんなことは気にならない。
「そんなときに何が起きたと思う? 美穂が高校生の男の子と体を交換したっていうじゃない! これは神様があたしに用意してくれた恋のチャンスに違いないって思ったの。顔はいまいちだけど、中身が美穂ならそんなの関係ないわ。最高の友達を最高の恋人にできるチャンスが巡ってきたのよ」
「顔はいまいちって、本人の前でそういうことを言うか……しかも体を交換しようって言ったのは、神様じゃなくて俺だし」
 遠慮のない亜季菜の言い方に、浩太は仏頂面になった。亜季菜はかなり思い込みの激しい女のようで、浩太や美穂が彼女の主張のおかしな部分を指摘してもまるで聞く耳を持たない。話の通じない厄介な相手だった。
「だからね、亜季菜。私、亜季菜のことは大好きよ。でも、いきなり彼氏になってくれっていうのはちょっと困るわ。私、今までずっと女の子だったし、まだ男の子の気持ちがそんなにわからなくて……」
「あたし、美穂はそのままがいいと思うな。心は女の子で、体は男の子。そういう彼氏になってほしい。素敵だわ」
「だからそういうのは……ああっ、やめて! そんなところを触らないで」
 美穂は浩太の顔で甲高い悲鳴をあげた。ベンチの上で亜季菜に押し倒され、股間をまさぐられていた。自分のものになってわずか一日しか経っていない男の急所を、自信たっぷりの美女が細い指でもてあそんでいるのだ。なんと羨ましい……いや、けしからんことか。
「いい加減にやめろよ! 美穂さんが嫌がってるだろう!」
「これが嫌がってる顔ですって? 真っ赤になって恥ずかしがってるのも可愛いわ。さあ美穂、あたしがリードしてあげるから、たっぷり愛し合いましょう。青空の下で皆に見られながらするのも悪くないわよ、きっと」
「ああ……ダ、ダメなのに」
「おい、こら、あんたっ! これを見ろっ!」
 とうとう堪忍袋の緒が切れた浩太は、TORIKAカードを亜季菜につきつけた。カードの魔力か、彼女は急にこちらを振り向いた。
「今度は何の用なの?」
「交換だ! そうだな……あそこのプードルと首から下の体を全部取り替えろ!」
「ええ、いいわよ」
 亜季菜は、押し倒していた美穂から身を離すと、先ほどの老婆のところに走っていった。浩太もそれについていき、不審な表情を見せる老婆にカードを見せた。
「すいませんが、チャッピーの体、首から下を全部このお姉さんの体と交換してくれませんか」
「はいはい、どうぞ」
 温厚な老婦人はゆっくり二度、三度うなずくと、チャッピーの首輪に手をかけた。枯れ木のような手が首輪の外側に不完全な輪をつくり、その輪が一気に小さくなった。すると、絞められたはずのチャッピーの首がちぎれ、胴体から外れてしまう。首のない奇怪な犬がその場に出現した。
 亜季菜も同様のありさまだった。己の首に両手を当て、ヘルメットを外すような仕草で、頭を丸ごと体から取り外した。誰も逆らえない交換命令が実行されつつあった。
「ほら、そのふわふわの体をあたしに寄こしなさい」
 と言って、彼女は取り外した自分の頭部をチャッピーの胴体の上に載せた。そしてカードの魔力が働き、犬と人間、異なる種の肉を容易く結合させてしまう。何度も試して失敗したことのない離合は、今回も無事に成功したようだ。
「うまくいったわ。交換成功ね! あたし、犬の体になってる!」
 亜季菜は声を弾ませ尻尾を振った。三、四キロしかない小型犬の体に人間の頭を載せるのはかなりアンバランスだった。一歩進むたびに四本の脚はふらつき、巨大な頭部がゆらゆら揺れる。それでも亜季菜の頭はトイ・プードルの肢体と確かに繋ぎ合わされ、俗に人面犬と呼ばれる合成生物に変わり果てていた。もしも亜季菜の友人や家族が見たら発狂しかねないほどに醜悪な姿だ。亜季菜の美貌もプードルの体も人間の視覚にとって快いもののはずなのに、その二つが結合するとこの上なくグロテスクだった。
「きゃん、きゃん!」
 小型犬になった亜季菜の傍らでは、首から下が女子大生の体になった牡のトイ・プードルが四つ足で地面を踏みしめていた。チャッピーも新しい己の体が気に入ったようで、尻を振って盛んに吠えながら老婦人の周囲をぐるぐると回り始めた。はじめはぎこちない動きながらも、徐々に手足の動かし方を覚えていく様子が見て取れる。
「おやおや……チャッピー、女の子になったのかい。オシャレな女の子と体を取り替えてもらってよかったねえ」
「きゃん!」
 チャッピーは嬉しそうにひと声鳴くと、ベンチの脚に尻を向けた。長く形のいい左脚をあげ、身体を小さく震わせる。かすかな水の音と共に、生温かい液体がグレーのキュロットパンツの股を濡らし、大きな染みを形作った。チャッピーは犬の本能に従い、亜季菜の体でマーキングを試みたのだ。
 袖のないブラウスとキュロットパンツを身に着けた二十歳の女の肉体は、牡犬の頭に支配され、無様な醜態を晒していた。チャッピーの脳から発せられた電気信号が脊髄を通して亜季菜の手足を動かすと、その末梢の感覚が脊髄を逆行し、自身の体験としてチャッピーの脳に伝えられる。亜季菜の肢体とチャッピーの首。今や生物として完全に一つの個体となったその獣を、飼い主である老婦人が温かい目で見守っていた。
「美穂ぉー、あたしも美穂みたいに体を交換したよ! ほら、可愛いでしょ!」
「亜季菜、チャッピーの体になったのね。私もあのお婆さんとはよく話すの。チャッピーも大好きよ」
 四本の脚でよたよた歩いて自分のところに戻ってきた亜季菜を、美穂は笑顔で抱き上げた。顔が見えなくなると、亜季菜の明るい髪と癖のある毛皮の色がそう違和感なく感じる。美穂の力強い腕の中で嬉しそうに尻尾を振る亜季菜は、もはや犬そのものとしか思えなかった。
「ところで、さっきのお話だけど……亜季菜、チャッピーと体を交換したってことは男の子になったんだよね? 私も今は男だから、やっぱり彼氏彼女のお付き合いは難しいんじゃないかしら」
「まあ、こういうことならしょうがないわね。本当に残念だけど、美穂を彼氏にするのは諦めるわ。でもあたしたち、これからも友達だからね!」
「ええ、もちろん!」
 輝くような笑顔を見せて、もと女たちは互いの友情を確かめ合った。
 その傍らで美穂たちを眺めていた浩太も、安堵して同じ表情を浮かべた。これで、邪魔が入らず自身の計画を実行に移すことができる。緊張して喉が渇いた。
「美穂さん、話があります」
「はい、何でしょうか?」
「あなたを俺のものにする方法を考えてきました。このカードを使ってね」
 美穂の姿になった浩太は、TORIKAカードを手に、浩太の体になった美穂に近寄った。昨日は慌てていて互いの体を入れ替えることしかできなかったが、今日は違う。美穂を自分の女にする方法は既に考えてある。そのために、浩太はわざわざこの女子大までやってきたのだ。
 涼しい風が浩太の黒く長い髪を揺らし、繊細な肌をくすぐった。陽は西に傾きつつある。長い一日も大半が過ぎ去り、そろそろ夕方になろうとしていた。

 ◇ ◇ ◇ 

 水の流れる音がする。もしも文字で表現するなら濁音を添えるべきかどうか悩ましい、連続した水音だ。それはシャワーの音だった。
 浩太は聞き慣れた自宅のシャワーの音に耳を澄ましながら、洗面所の鏡を見た。そこには十数年間慣れ親しんだ、浩太自身の顔が映っていた。決して美男子とは言えないが、鏡を見るたび気分を害するほど顔の造作が悪いわけでもない。ごく平凡な少年の顔だ。
 はやる心を抑え、できるだけ落ち着いて服を脱ぐ。自分の知らない灰色のTシャツと、カーキ色のスキニーパンツ。いずれも美穂がこの体のために用意してくれたものだ。店で買ってきたのだろうか。それとも兄弟から借りたのか。その話もいずれ美穂から聞いておきたいが、今の浩太にその余裕はなかった。
「入るよ、美穂」
 全裸になった浩太は浴室の戸を開け、先客の背後に立った。陶磁器を思わせる白い体は洗い終わり、シャワーの湯をかけているところだった。濡烏の長い髪を後ろに束ね、うなじをのぞかせているのは美穂だった。
「あら、あなた」
「一緒に入るよ、美穂。俺たちは夫婦なんだからいいだろう?」
 浩太は図々しくも美穂の後ろから両手を伸ばし、美穂の乳房をわしづかみにした。サイズこそやや物足りないが、それでも形よく柔らかな双丘の感触は至上の満足感をもたらしてくれる。
「違います、あなた。私はあなたの妻の久美子です。もう美穂じゃありません」
 美穂は口をとがらせて訂正したが、浩太は悪びれもせず美穂の乳を揉み続けた。十七歳のペニスは早くも雄々しく立ち上がり、目の前の美しい女体に照準を合わせていた。
 浩太が美穂にしたことは単純だった。入れ替わった体を元に戻し、立場を交換したうえで自宅に連れ帰ってきたのである。美穂は浩太の母親である久美子になった。そのあと、浩太は仕事を終えて帰ってきた自分の父親と立場を交換したのだ。こうして浩太と美穂は立場上、高校生の息子がいる中年夫婦となった。
 TORIKAカードに洗脳された美穂は、すっかり自分を子持ちの主婦だと思い込み、妻としての優しい笑顔を浩太に向けてくれる。夫婦となったのだから、浩太が美穂と肉体関係を持つのは当然のこと。こうして一緒に風呂に入り、その柔らかな肉体を好き勝手に弄んでも、誰からも文句一つ言われない。素晴らしいという言葉では言い足りないほどに素晴らしい、まさに最高の間柄だった。
「胸を揉むこの感触が気持ちいいね。興奮するよ」
「んっ、あっ、ダメです、あなた。せっかく流したのに、また汗をかいちゃいますから……」
「いいじゃない。また洗い流せば済むって」
 調子に乗った浩太は美穂の尻にも手を伸ばし、餅肌の手触りを楽しむ。指を奥へとすべらせ股の間に差し入れると、夕べ思う存分愛撫した乙女の花園が浩太を待ち構えていた。
「ああっ、そんなところまで……」
「美穂はこの辺りが感じるんだね? 俺はよく知ってるよ」
 丸一日美穂の肉体を所有し、女としての自慰を堪能した浩太は、美穂の弱点をよく心得ていた。左手で充血した陰核を責めたて、右手の指で入り口を優しくかき回してやると、美穂は息を荒くして何度も鳴いた。
「あっ、ああっ、んっ。ああっ、ひっ。どうしてそんなに上手なの……」
「その体のことなら何でも知ってるよ。入れ替わってたときに、たくさんオナニーしたからね。美穂は俺の体になってる間、チンポをシコシコしなかったの?」
「し、してません。そんなこと……あっ、ああんっ」
「じゃあ、また後で体を取り替えてオナニーしようか。マンコオナニーもいいけど、チンポオナニーもきっと気持ちいいよ。スケベな男になって、女の裸をオカズにチンポオナニーする美穂、見たいなあ」
 美穂の耳たぶに歯をたて、甘い誘惑を試みた。普通の恋人同士では決してできないプレイであっても、今の浩太たちには可能である。いまだ男を知らない乙女に、男の性欲を思い知らせてやるのも面白いかもしれない。
「それはそれとして、ここで一回イっておこうか。美穂もそろそろイキたいだろ?」
「んっ、ああ、ダメなのに……私、あなたにいいようにされて、こんな……ああっ、ひっ」
「もうイクか? イクときは大きな声でイキますって言うんだよ、美穂。ほら、言えっ」
「ひいっ、もうダメっ。こんな……ああっ、イクっ、イキますっ」
 美穂の華奢な身体が小刻みに震え、絶頂に至ったことを浩太に知らせた。白い肌は熱を帯びて桜色に染まり、流したばかりの汗を止めどなくにじませていた。
「いいイキっぷりだね。最高だよ、美穂……美穂?」
 浩太は美穂の肩を揺さぶったが返事がない。失神してしまったようだ。仕方なく脱力した体をシャワーで軽く洗い流し、浴室の外に寝かせた。軽くのぼせてしまったかもしれない。調子に乗ってやりすぎたか。
「じゃあ、続きはベッドの上でしようかな。いよいよ美穂さんと本番だ」
 バスタオルにくるんだ女体を持ち上げ、寝室まで運ぶ。小柄な体を抱えて歩くと、美穂の余熱や息づかいが感じられて気分がいい。
 これから浩太と美穂は男女の仲になるのだ。TORIKAカードが無ければ会話すらすることもなかったであろう二人が、今は夫婦として契りを交わそうとしている。これを幸せと言わずしてなんと言おうか。全てあの赤いカードのおかげだった。
 幸福で満たされた浩太の心の隅に、小さな疑問が転がっていた。TORIKAカードを送ってきたのはいったい何者なのか。どうして浩太が選ばれたのか。
 TORIKAカードの送り主が浩太のことをどの程度知っているのかわからないが、浩太のようなお調子者の男子高校生が、あらゆる不可能を可能にするTORIKAカードを手にしたら、悪用するに決まっている。現に浩太が足を運んだ小学校や女子大には、TORIKAカードによって体の一部や立場が他人と入れ替わってしまった哀れな被害者が沢山いた。酷い例では、掃除機や犬と入れ替わった者もいる。浩太が戻そうとしなければ、彼らは一生あのままなのだろうか。
 それとも……。
 床をびしょびしょにしながら、浩太は両親の寝室にたどり着いた。ダブルサイズのベッドの上に美穂の体を横たえると、肌を拭きつつバスタオルを剥ぎ取った。ベッドの上に全裸の美女と自分が二人きり。昨日までの平凡で色気のない高校生活からは考えられない甘美なシチュエーションだ。
「美穂、起きて、美穂。起きないとこうだよ。ん……」
 目を閉じたままの美穂の顔に接近し、ゆっくりと唇を重ね合わせる。ぷっくらした桜色の唇の感触を時間をかけて味わい、その唇の隙間に舌を差し入れた。美穂の口の中を乱暴に舐め回し、吐息と唾液とを混ぜ合わせる。意識のない美穂の口腔を、浩太は思うがままに蹂躙した。
 初めてのディープキスの興奮に、浩太の一物は痛いほどそり返っていた。いまだ本番に臨んだことのない若い男性器が充血し、早く目の前の女を味わいたいと持ち主にせがむ。今にもはちきれそうだが、いくら童貞といえどキスだけで暴発してしまうのは流石に情けない。キスを続けながらも浩太は手を美穂の秘所に伸ばし、そこが男を受け入れる準備を終えているか確かめようとした。
「ん、んん……んっ? んー、うんっ」
 陰唇に触れた途端、美穂の反応が変わった。目を覚ましたようだ。浩太は自身の唾液をたっぷりと美穂の舌に載せ、名残惜しくも顔を離した。美穂の喉が小さく動くのを見て満足する。
「美穂、起きた? 目覚めのキスが効いたかな」
「ここ、お風呂じゃない……あなたが運んでくれたんですか?」
「そうだよ。眠り姫の美穂にキスしてたらもう我慢できなくなっちゃってさ。さあ、エッチしよう」
「エ、エッチ……そうですね、私たちは夫婦ですものね。夫婦ならセックスするのが当たり前ですよね。ど、どうかよろしくお願いします」
 浩太の妻になった美穂は、顔を真っ赤にして少年を受け入れた。自分の上に覆いかぶさってくる浩太を期待と恐怖の入り混じった眼差しで見つめ、自分から進んで両脚を開いた。
 浩太は黒い茂みをかきわけ、女の入り口に勃起したペニスの切っ先をあてがった。夕べ見た美穂の性器の姿は記憶に深く刻みつけられていたが、やはり実際に交わるとなると緊張する。自分の心臓の鼓動が聞こえてくる気がした。頬を脂汗がしたたり落ち、浩太の高揚と動揺を形にする。情けない姿を美穂に見られるわけにはいかない……そう思いながらも、張り詰めた雰囲気は隠しようもなかった。
「美穂さん、いくよ」
 ようやく声を絞り出し、浩太は腰を前に進めた。狭い膣内をかきわけ無理やり押し通ると、美穂の表情が緊張から苦悶へと変化した。
「い、痛い……はっ、はあっ、あああ……」
「美穂さん、やっぱり初めてだったのか。俺と同じだ……」
 肉体交換後の自慰のときからそうではないかと疑っていたが、やはり美穂は処女だった。浩太の初めての女が美穂で、美穂の初めての男が浩太ということになる。嬉しくないはずはないが、苦痛に喘ぐ美穂の姿を見るのはいささか忍びない。浩太は腰を止め、挿入したまま美穂と抱き合った。
「私、セックスするの初めてで……でも、私は主婦の久美子で……長年連れ添った夫と高校生の息子がいて……もちろん子供も産んでるはずなのに……でも、私はバージン……どうして?」
「大丈夫だよ、美穂さん。俺の目を見て落ち着いて──う、ううっ、出るっ!」
 記憶の混乱をきたした美穂に、浩太は早くも射精した。血と淫汁で濡れた処女の膣肉にかかれば、童貞の陥落など一瞬だった。熱い樹液がほとばしり、男の侵入を許したことがない花園へと染み込んでいく。情けなくも心地よい膣内射精だった。
(俺、カッコ悪いな……でも気持ちいいや。いくらでも出せそう)
 苦しそうに喘ぐ美穂を見ていると、申し訳なさと共に背徳的な興奮が沸いてきて、牡の欲望に支配されそうになる。若い肉棒は一度の爆発では萎えることはなかった。処女の肉びらに包まれ、たちまち活力を取り戻していた。
「ああっ、あなた……私の中で大きくなって……」
「気持ちいいよ、美穂。そっちは痛いかい? ごめんな」
 浩太は謝したが、さりとて美穂の苦痛を取り除いてやる手段があるわけではない。自分が至上の快楽を味わっているというのに、美穂は涙を流して破瓜の痛みに苦しんでいるのだ。
 どうにかしてやれないだろうか……そのとき、ふと視界の隅に赤いカードがあるのを思い出した。TORIKAカード……あらゆるものを他人と交換できる魔法のカードだ。
 TORIKAカードを使い、浩太は昨日、美穂と体を交換した。浩太は美穂の体を丸ごと手に入れ、美穂の顔で笑い、美穂の声で会話した。今は元に戻っているが、TORIKAカードがあれば何度でも入れ替わることができる。
 TORIKAカードを使い、破瓜の痛みに苦しむ美穂と代わってやれないか。そんな突拍子もない考えが浩太の頭に湧き上がった。我ながら、いいアイディアではないかと思った。
(せっかくだし、俺も美穂さんの痛みを味わってみようかな。ロストバージンの痛みなんて男には絶対に体験できないもんな。貴重だよ。我慢できないほど痛いならまたすぐ元に戻ればいいんだし、ここはまた美穂さんと体を取り替えてみるか)
 浩太は美穂と繋がったまま右手を伸ばし、枕元のTORIKAカードを指に挟んだ。
「すごく痛そうだから代わってあげるよ。俺と体を交換して下さい」
「は、はい……交換しましょう……」
 美穂は浩太の背中に腕を回すと、再び浩太と唇を重ね合わせた。一瞬、唇の交換かと思ったが、そうではなく、体の交換の始まりだった。
 キスした途端、浩太は奇妙な浮遊感に包まれ、意識が薄れていくのを自覚した。昨日、美穂に体を乗っ取られたときと同じ感覚だった。自分が肉体という抜け殻を飛び出し、別の身体に吸い込まれていく錯覚を抱く。いや、それは錯覚などではなかった。現在進行形で別人になっている真っ最中なのだ。
 次に明瞭な意識を取り戻したとき、浩太を襲ったのは体が引き裂かれるような激しい痛みだった。
「あああっ !? ううっ、あぐっ!」
 必死に息を吸って酸素を求めた。下腹の辺りを刃物で抉られているのかとさえ思える苦痛に浩太は身をよじったが、誰かが浩太の上にのしかかっていて身動きがとれない。どうやら裸の男に体を押さえつけられているようだった。
「な、何だよ、これ……痛え……滅茶苦茶痛えじゃねえかっ!」
 悲鳴混じりの独白の声は、浩太のものではなかった。若い女の声……音声が頭蓋骨を経由して聞こえるせいで少し違和感があるが、それは確かに美穂の声だった。
「あ……あなた、大丈夫ですか? すごく痛いでしょう」
 きょとんとした顔で浩太を見下ろしているのは浩太だった。正確には、浩太の顔を持つ美穂だ。そこで浩太は、再びの肉体交換が成功したことを理解した。
「い、痛いなんてもんじゃないよ、美穂さん! 俺、死ぬ!」
「そうですね……私もすっごく痛かったです。あの、抜いた方がいいですか?」
 浩太と入れ替わった美穂は、美穂と入れ替わった浩太の腰を両手で押さえた。二人はセックスの最中に入れ替わったのだった。
 破瓜の痛みは浩太の想像以上で、あたかも化膿した傷口に塩でも塗りたくられているかのようだ。軽い気持ちで肉体交換に及んだことを、浩太は早くも後悔した。
「抜いて、早く抜いて! あ、でも動かれるとジンジンする……怖い」
「ふふっ、じゃあ、しばらくこのままじっとしてましょうか。多分、そのうち楽になってくると思います」
 美穂は浩太の顔で笑うと、浩太の頬に手を伸ばしてきた。無骨な指が柔らかな頬を撫でてくる。その指が涙をすくい上げたことで、浩太は自分が泣いていることを思い知った。
「ああ、でも気持ちいいです。熱いお肉に締めつけられて……これが男の感覚なの……?」
 美穂は目を細めて嘆息した。童貞を喪失したばかりの浩太の──美穂のペニスは充血して膨れ上がり、次の発射のタイミングをうかがっていた。血管の拍動さえ感じられる。
 一方の浩太は涙を流しながら、自分が招いた苦痛に喘いでいた。何をどう考えても因果応報だが、この痛みの前ではいかなる理屈も意味をなさない。深呼吸して息を整え、神経の悲鳴が収まるのを待った。
「うう、痛い……けど、ちょっとずつ慣れてきた、かも」
 時間の感覚さえ無くなっていたが、痛みが自制できるレベルになるまではそう長くかからなかった。美穂に頭や背中を撫でられ、安心感が芽生えたことも大きい。浩太は鼻水をすすり、涙目で美穂を見上げた。
 美穂は慈愛に満ちた表情を浮かべ、浩太の頬にキスをした。もとは浩太の顔だったはずだが、こうして向かい合うとやはり別人だ。
「それは良かったです。凄い痛みだったもの、私も辛かったわ。でも、そろそろ動いてもいいですか?」
「え? ああ、うん、いいよ。でもゆっくりとね……」
「はい。やってみます」
 浩太の許可を受けて、美穂は腰を前後に動かし始めた。結合部が揺さぶられ、硬いペニスが緩慢な動作で抜き差しされる。互いの体液が染み込んだ肉と肉とが擦れ、卑猥な音が響いた。
「ああ、チンポが抜けて……ああっ、また入ってくるっ、んっ、ああんっ」
 浩太の口から悲鳴とも喘ぎ声ともつかない声が漏れ出した。美穂の処女を奪い完全に自分の女にするはずが、逆に自分が女として美穂に犯されているとは、完全に誤算だった。元に戻りたくても美穂は入れ替わったあとTORIKAカードを床に落としてしまったらしく、浩太の手元にカードがない。よって、しばらくはこのままでいるしかない。
 既に痛みはひき、徐々に痺れに変わりつつあった。濡れたヴァギナをペニスに貫かれる感覚は、言うまでもないが初めてだ。びりびりした痺れに規則正しい衝撃が重なり、ひと突きごとに浩太は声を漏らした。
「あっ、ああっ、ひいっ、チンポが出たり入ったり……」
 若く雄々しい一物に体の芯を嬲られ、体が焼けるような錯覚を覚えた。全身で男の存在を感じた。今、自分が若く美しい女になって、男──それも、元の自分の体に犯されていることに、背徳的な興奮を覚えた。まだ破瓜の痛みは残っているが、それも徐々に気にならなくなりつつあった。
 胸が熱くなり、不快ではない感情が心を染め上げていく。気がつくと、浩太はわずかだが自分の体を動かし、ただ犯されるだけではない交わりを求め始めていた。少しずつ激しくなる腰づかいに合わせて体をくねらせると、甘美な痺れが下半身に広がった。
 処女を喪失したばかりの膣に鋼のような肉棒が打ちつけられ、一番奥にある部屋の入口をノックする。自分が子供を宿せる体になっていることを実感して浩太は戦慄した。心地よい衝撃と圧迫が、彼を虜にしつつあった。
(俺、気持ちよくなってるのか? 俺は男なのに、男に犯されて気持ちよくなってるのか。そうか……そうなのか)
 自覚さえしてしまえば話は早い。浩太は恥じらいもなく声をあげ、本来は味わえるはずのない女の官能に没頭した。桃色に染まった肉体は若い牡に蹂躙される喜びに震え、新しい持ち主が驚くほど淫らなメロディを奏でた。
「あひっ、あひっ。こんなのダメだよ……おかしくなる。ああっ、イクっ、イクっ。俺、美穂さんの体でまたイクっ」
「ああ、あなた、素敵です。こんなこと言っていいのかわからないけど、とっても可愛いです……」
 美穂は熱を帯びた声色でそう述べた。女を犯す快楽と征服感に酔いしれているようだった。そのうちに、低いうなり声をあげて腰をがくがくと震わせる。結合部に熱が広がり、再びの膣内射精を浩太に知らせた。
「ああっ、中出し……中に出されてるのに、気持ちいい……」
「すみません、出しちゃいました……ああ、でもなんて素敵なの……セックスってこんなにも気持ちいいの」
 二人とも、まだまだ満足してはいなかった。十七歳の男子高校生になった美穂と、二十歳の女子大生になった浩太。今や夫婦になった二人は、好奇心と欲望の赴くまま互いの体を貪り合ったのだった。


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