翔子と双葉

「……えーと、翔子さんだっけ? お姉さんの名前は」
 自分の名を確認する声に、翔子は答えることができなかった。顎が強張り、まともに喋ることができない。かちかちと鳴り続ける歯の音が、骨を伝って鼓膜を揺さぶっていた。
 怖い。どうしようもなく怖い。それほどまでに目の前の光景は常軌を逸していた。
「酔いは醒めたみたいだね。よかったよかった。実は、酔っ払いの相手をするのはあんまり好きじゃないんだ。ひとの話をちっとも聞いてくれないからね」
 雑誌や食べ物の空き袋で散らかった部屋に、落ち着いた声が響く。声の主は翔子よりもかなり年下の少年だった。翔子の知り合いではない。仕事を終え、同僚と酒を飲んで上機嫌で帰ってきたら、ひとり暮らしの彼女の住まいにこの少年が入り込んでいたのだった。
 翔子は涙で濡れた瞳を少年に向けた。端正な顔の少年だった。彫刻のように整った顔だちが、如才なく微笑んで翔子を見つめ返している。もしも街角ですれ違えば、思わず振り返ってしまいそうな美少年だ。
 だが、惚れ惚れするような美貌の少年を前にして、翔子は恐怖に身震いしていた。
 理由は、少年が女の体を抱きかかえているからだった。畳の上に座り込んでいる、やや乱れた服装の女性。少年は彼女の背中を後ろから支えてやりながら、手を前に回して乳房を揉んだり、スカートの中に手を入れたりして、好き勝手に体をもてあそんでいた。
 遠慮のない少年の手つきにも女は全く抵抗せず、なすがままになっている。死体のように微動だにしない。
 当たり前だった。女の体には、首から上が無いのだから。
 少年が抱きかかえているのは、頭部の無い女の体だった。本来、頭がついているはずの場所には、ハムの切り口を思わせるなめらかなピンク色の切断面しか存在しなかった。首を切り落とされているというのに血の痕跡がまったくないため、精巧に作られた人形なのではないかと疑ってしまうかもしれない。だが、それは間違いなく人間の女性の身体だった。
 では、失った首はどこへ行ってしまったのか。それを一番よく知っているのは翔子だった。
(い、いや……なんで私がこんな……こんな……)
 翔子は信じられない思いで視線を下に向けた。首は動かない。眼球だけを動かした。
 視界の中にあるべき自分の体はなかった。手も脚も胴体も、翔子の顔の下には何もなかった。首から下に何もない、頭部だけが今の翔子の全てだった。
 そう。翔子の首は切断され、体から切り離されてしまったのだ。
 無論、首を斬られて生きていられる人間はいない。生首になった翔子は、なぜ自分が生きているのか、なぜ首だけになっても呼吸ができるのか疑問に思ったが、アルコールの残った頭ではろくに思考がまとまらなかった。
 もっとも、素面であっても同じことだったかもしれない。あまりにも非常識な事態に直面して、翔子はどうしていいかわからなかった。
「うう……な、何よこれ。いったい何がどうなってんのよ。おかしいわよ、こんなの……」
 涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして、翔子は言った。今の自分は首だけになって、頭頂部の髪の毛を電灯の紐に結びつけられていた。宙に揺れる振り子のような感覚が、ひどく気持ち悪い。吐き気を催したが、首だけの翔子に吐き出すものは何もない。
「んー、そうだねぇ……」
 少年はすすり泣く翔子を面白そうに眺める。
 先ほどから彼が玩具にしているのは翔子の体だ。腕を服の袖から抜いて、ブラジャーに包まれた乳房を淫猥な手つきで揉みしだいているが、首が切り離されているからか、その感覚は翔子には全く伝わってこない。しかし、この上なく不快な光景であることに変わりはなかった。
 見ず知らずの男に辱められても、翔子には何の抵抗もできない。天井から吊り下げられた首だけの今の自分は、赤ん坊よりも無力な存在だった。
「まあ、見たまんまって事じゃない? お姉さんの首は胴体とさようならしてしまったんだよ。どう? なかなか面白いでしょう」
「そんなわけないでしょうっ! これはどうなってるのよおっ !?」
 翔子は精一杯の声で叫んだが、何ひとつ状況は変わらなかった。少年は首のない翔子の体を勝手気ままにいじり回している。悪い夢を見ている気分だ。
「ふふふ……同じように街をふらふらしてた僕が言うのも何だけど、夜道を一人で歩くのは危ないよ。しかも酔っ払ってさ」
「いいでしょう、別にっ! 今日は飲み会があったんだから、酔っ払って当然よ!」
「ひとり暮らし? 送ってくれるような彼氏はいないみたいだね。けっこう綺麗な顔してるのに、もったいない」
「うるさい、ほっとけっ! ダメっ、私の体に触らないで!」
「お姉さんのおっぱい、かなり大きいね。それに形もいい。このおっぱいを見せつけて誘えば、男なんていくらでも寄ってくるんじゃないかな」
 からかうような少年の口調は、この猟奇的な場面には極めて不釣り合いだった。神経を逆撫でされ、翔子はますます平常心を保てなくなる。
「いいから、私を元に戻してよおっ! こんなのいやあっ!」
「まあまあ、ちょっと待ってよ。面白くなるのはこれからじゃない。彼氏がいなくて寂しい思いをしてるんでしょう? 僕が一晩、一緒に遊んで慰めてあげるよ」
「いや! 絶対にいやっ!」
 首を横に振ることもできず、翔子は声だけで拒絶の意思を示した。こんな奇怪な少年と一緒にいては、頭がおかしくなってしまいそうだ。
 顔を歪めて嫌悪の情をあらわにする翔子だったが、少年はいささかも意に介さず、美しい微笑を顔に浮かべて翔子のスカートの中をまさぐっている。
(ど、どうしよう。こんなわけわからないやつに捕まっちゃうなんて、一体どうしたらいいの……)
 自分の体はこの怪しい少年に陵辱されてしまうのだろうか。それだけならまだしも、胴体から離れてしまった首は元に戻るのだろうか。恐怖と困惑とに苛まれ、翔子はひたすら涙を流した。
「言っておくけど、大声をあげても無駄だよ。この部屋は僕の力によって外部から隔離されているからね。どんな大きな声を出しても外に漏れはしない。仮にこの部屋の中で大爆発が起きたとしても、近所の人はまったく気がつかないだろうね」
「な、何よそれ。そんな馬鹿な話、あるわけないじゃない……」
「じゃあ、試しにやってみる? ほら、助けてーって大声を出してみなよ。ひょっとしたら近所の人が聞きつけて助けに来てくれるかもしれない。お巡りさんを呼んでくれるかもしれないよ」
 少年の自信たっぷりの物言いに、翔子は悲鳴をあげて助けを求めることをためらってしまう。もしかすると彼の言っていることは全て事実で、誰も翔子を助けてくれることはないのかもしれない、という弱気な考えが頭をよぎった。
 それにしても、自分の首を生きたまま切り離してしまったこの少年は、いったい何者なのだろうか。作り物めいた美貌といい、その身にまとう異様な雰囲気といい、とても普通の人間とは思えない。翔子が今までの人生で築き上げてきた常識という概念が、根底から覆されようとしていた。
「あんた、いったい何者なの。私をどうするつもり? ひょっとして、私の体に乱暴する気なの」
「うーん、それもいいんだけどねえ。でも最近、ありきたりなセックスにも飽きちゃったからなあ。たまにはちょっと変わったプレイを楽しみたいところだけれど」
 少年は舌なめずりをして答えた。目をすうっと細くして、獲物を前にした獣のような視線を翔子に向けている。初めて体験する生命の危機に、翔子は怖気だった。
「ふふふ……さあ、どうしよう? このままぐったりして動かない翔子さんの首無しボディに、エッチなことをしてみようか。それとも首だけの翔子さんをオモチャにして遊ぼうか」
「い、いやよっ! そんなの、どっちもいやに決まってるじゃない!」
 翔子は必死で声を荒げたが、少年がその気になれば彼女に抗うすべはない。首を切り離された翔子の体は、この少年にいいようにもてあそばれ、汚されるに違いなかった。翔子は悔しさに唇を噛みしめる。
「そうだよねえ。やっぱり頭がついていないと、反応がなくて面白くないよね。でも翔子さんの頭を元に戻してエッチなことするだけじゃ、ただのレイプと変わらないしなあ。せっかく頭を取り外したんだから、うまくこの状況を活用して新鮮味を出してみたいね」
「ぺらぺらとわけのわかんないことを言ってないで、早く私を元に戻しなさいよ! 元に戻さないと、絶対にあとであんたをひどい目に遭わせてやるんだから! 警察を呼んで訴えてやる! あんたは一生牢屋送りよ!」
 精一杯の虚勢を張るも、翔子の言葉が少年の心を動かした様子はない。少年は彼女の胸を片手で揉みながら、もう一方の手を自らの細い顎に当て、しばらく考え込んでいた。やがて彼が立ち上がったとき、翔子は罵声を浴びせるのに疲れ果て、ぜいぜいと喘いでいた。
「そうだ、いいことを思いついた。ふふふ……ちょっとここで待っててよ」
 少年は翔子の首と体を放置して部屋を出ていく。このまま置き去りにされる懸念をいだき、翔子は青ざめる。
「こら、どこへ行くつもりよっ !? 早く私を元に戻せえっ!」
「ごめんね。すぐに戻ってくるからさ」
 ドアが閉まり、部屋の中から全ての音が消え去った。しんと静まり返った自宅の中で、翔子は電灯の紐にぶら下がって途方に暮れた。
「な、なんで? どうして私がこんな目に遭わなきゃいけないの……」
 ほんの一時前の自分は、同僚と楽しく酒を飲んでいたはずだ。前々から取り組んでいた仕事がようやく片づいて、肩の荷が下りたところだった。これで久しぶりにぐっすり眠れる──だが、そんな翔子の期待はあっさりと裏切られた。
 頬を伝う涙をぬぐうことさえできず、声をこらえてめそめそ泣いていると、ドアの開く音がした。「ただいまー」という爽やかな声は、翔子が今、もっとも聞きたくない相手の声だった。
「翔子さん、お客さんだよ」
 あの美少年が屈託の無い笑みを顔に浮かべて、翔子の前に現れた。その隣にもう一人、別の人物の姿がある。少年が連れてきたようだ。その顔を見て翔子は驚いた。自分の知り合いだったからだ。
「ふ、双葉ちゃん !? なんで双葉ちゃんがここに……」
「わあっ、ショーコが首だけになってる! 変なのー、あははっ!」
 まだ小学校にも行っていないような幼い女の子が、天井から吊り下げられた翔子の生首を興味津々の表情で眺めていた。この子は隣家に住む双葉という娘で、外で翔子と顔を合わせればきちんと挨拶してくれる、無邪気な可愛い子だ。翔子も休日に何度か遊んでやったことがある。
 しかし、なぜ少年は双葉をここに呼んだのか。単に今の翔子の姿を見せて驚かせるだけではあるまい。
 もしかすると、少年は双葉にも危害を加えるつもりではないか。このあどけない娘が自分と同じような目に遭わされてしまうのではないかと思うと、翔子は不安を隠せなかった。
「ちょっと、双葉ちゃんに何かする気なの !? そんなこと許さないわよ!」
「いやあ、僕は単に翔子さんと遊びたいだけだよ。この子はついでに連れてきただけさ」
「いいから、その子を家に帰しなさい! 双葉ちゃんはあんたなんかが触っていい子じゃないわ! あと、私の体も元に戻して! 早くしなさい! さあ、早く!」
 翔子が唾を飛ばしてまくしたてると、少年はやれやれといった様子で肩をすくめた。
「まあまあ、ちょっと待ってよ。どうも人間はせっかちでいけない。せっかく、今から僕が面白いものを見せてあげようって言ってるのにさ」
 といって双葉を抱き寄せ、髪を優しく撫で回す少年。双葉は彼の本性に気づいていないのか、怖がることもなく少年の胸に頭を預けて甘えていた。
「双葉ちゃん、そんな人と一緒にいたらダメよ! その人はとっても怖い人なの! いきなり私に襲いかかって、こんな風に私の首を切り取ってしまったの! だから、双葉ちゃんは早く逃げて! 誰か大人の人を呼んできて!」
 翔子は叫んだが、人懐こい双葉は少年に抱かれて喜ぶばかり。足元にへたり込んでいる翔子の胴体に気がつくと楽しそうにはしゃぎだしたが、逃げる素振りは微塵もなかった。
「あーっ、これ、ショーコの体? 首がついてないよ。すごーい!」
「ダメ、逃げて! 双葉ちゃん、逃げてえっ!」
「ふふっ、逃げるなんてとんでもない。せっかく双葉ちゃんに来てもらったんだから、楽しんでもらわないとね。翔子さん、僕が今から何をするかわかるかい?」
 少年の問いに、翔子は答えられなかった。漠然と嫌な予感はするものの、少年の意図がまったく読めない。何のために双葉を連れてきたのかもわからなかった。
「いい? よく見ててよ。これから双葉ちゃんにも、翔子さんと同じことをするからね」
「え?」
 呆けた翔子の目の前で、少年はおもむろに双葉の頭をわしづかみにした。軽く力を込めて引っ張っただけで、幼女の首が根元から千切れて胴体から外れてしまう。まるで、あらかじめそこに切り込みを作っておいたかのようだった。
 先ほど自分がやられたことと同じ行為を、翔子は第三者の視点から見ていた。双葉の頭部は一滴の血も流すことなく、首のつけ根に綺麗な切り口を残してもげてしまっている。見れば見るほど奇妙な光景だった。もしも自分が同じ仕打ちを受けていなければ、少年と双葉に担がれているのではないかと疑ったかもしれない。だが、全て現実のことだった。
「おおっ! わあっ、すごーい!」
 驚いているのか笑っているのか、どちらともつかない声を双葉はあげた。
「あたしの頭、とれちゃった! えへへ、ショーコと一緒だね!」
 双葉は歳のわりに豪胆で、このような目に遭っても怖がる様子は見られなかった。しかし、幼い子供の首が千切れてしまう猟奇的な光景に、翔子は驚き呆れるしかない。
「ふ、双葉ちゃん、大丈夫 !? 生きてる !?」
「あははは、大丈夫だよ。これくらいで死にはしないさ。ていうか、もしもそうだったら、翔子さんもとっくに死んでしまっているじゃない」
 翔子の金切り声に、少年の失笑が重なる。狼狽する翔子が面白くて仕方がない様子だった。その意地の悪い態度に、翔子は仏頂面になる。
「驚くのはこれからさ。ここに転がってる翔子さんの体だけどね、実は翔子さんの首じゃなくて、他の人の頭をくっつけることができるんだよ。こんな風にね」
 少年はそう言って、手に持った双葉の首を横たわる翔子の体に近づけていく。
(な、何をするの? 私の体に双葉ちゃんの頭を──ま、まさか……)
 本能的な恐怖を感じて翔子が叫ぼうとする。だが、それよりも先に双葉の生首が翔子の胴体に載せられた。
 いや、ただ載せただけではない。少年が双葉の頭部を翔子の体に載せた途端、二人の肉を区切る境目がすうっと薄くなっていった。大きさが違うはずの首の切り口が形を変え、熱を加えたガラス細工のように融合していく。そして、ついに双葉の首と翔子の体が一つに合わさってしまった。
(わ、私の体に双葉ちゃんの頭がくっついちゃった……どういうこと?)
「ふふふ、うまくいったみたいだね。どうだい、双葉ちゃん。立てるかい?」
 少年は双葉の背中に寄り添い、優しく語りかけた。その声に促されて、双葉がゆっくりと身を起こす。翔子が見守る中、彼女のものだったはずの身体が立ち上がった。
「ん? お、おおおっ? すっごーい! あたしの体、大きくなってるー!」
 翔子の腕が、脚が、腰が、双葉の思い通りに動く。双葉は興奮した様子で長い手足を動かし、自らの新しい体を確かめた。
(ありえない。こんなことありえないわ)
 あまりにも非常識な事態に、翔子は色を失う。人間の首をすげ替えてしまうなど、とても信じがたいことだ。だが、これは夢でも幻でもなかった。少年は翔子の頭部を切り離して、その代わりに双葉の首をすげ替えてしまったのだ。
 あどけない幼児の顔の下に、成熟した大人の女の肉体がある。いくら童顔の女であっても、これほどの身体と顔のギャップはないに違いない。首から下の体だけが二十代の女性のものになってしまった異様な双葉の姿に、翔子は寒気を感じた。
「どうかな、双葉ちゃん。君の首から下は翔子さんの体になっちゃったんだよ。これで双葉ちゃんも大人の仲間入りだね。気に入ってくれたかい?」
 少年は翔子の身体を手に入れた双葉の肩を叩き、満足げに訊ねる。爽やかな微笑を浮かべる彼が悪魔に見えた。
「へえ、翔子のカラダ? ホントだ、すごーい! 足が長ーい、手も長ーい!」
 双葉は今の自分の体に興味津々のようで、その場で飛んだり跳ねたりして遊んでいる。顔だけは幼い子供のものとはいえ、大の大人の振る舞いとしてはすこぶる奇妙だ。
「やめて、双葉ちゃん! それは私の体なの、オモチャにしないで!」
 翔子は怒鳴ったが、その声は双葉には届かない。双葉は畳に腰を下ろし、好奇心の赴くままに自分の体や衣服をいじり始めた。その隣に少年がひざまずき、双葉の服を脱がせにかかる。
「双葉ちゃん、これは何かわかる? ブラジャーっていうんだ。大人の大きなおっぱいにはこれをつけるんだよ。ほら、双葉ちゃんのおっぱい、とっても大きいでしょう? 双葉ちゃんは大人になったんだから、こういうのをつけないといけないんだよ」
「ホントだ! あたし、おっぱいでかい! ママよりでかい! きゃははははっ!」
 大きな声で笑いながら、自分の胸を揉む双葉。不自然なほど興奮している。もともと明るい子だったが、なぜこんな異様な状況下で楽しそうにはしゃいでいられるのか──そこで翔子は気づく。双葉の顔が湯だったように真っ赤に染まっていた。
(双葉ちゃん──まさか、酔ってる !?)
 考えてみれば、今日の翔子はかなり飲んでいたはずだ。摂取した多量のアルコールが首の継ぎ目を通して、双葉の幼い脳に回っていてもおかしくはない。翔子は酒を飲んで帰ってきた事を悔やんだが、今さらどうしようもなかった。
 生まれて初めての酔いに顔を赤くする双葉。少年はへたり込んだ彼女の後ろに回りこんで、黒いブラジャーを外した。豊かな乳房がこぼれ出て、少年の手中でたぷんと揺れる。
 彼の意図は明らかだった。形のいい少年の指が双葉の乳首をつまみ、軽く刺激を与えた。子供相手にするような行為ではない。愛撫と呼ぶにふさわしい仕草だ。
「双葉ちゃん、気持ちいいかい? おっぱいをマッサージされるの」
「あ……なんか変な感じ。でも気持ちいいかも……おっぱい気持ちいい……」
「そうかい、よかったね。もっと気持ちよくなれるように、いっぱいマッサージしてあげるね」
「あっ、あうっ、あううっ。おっぱいがジンジンするよう。ああっ、ああんっ」
 少年の白い手が乳房を揉みしだき、双葉を喘がせる。まだ小学校にも上がっていない幼女に、大人の女体からもたらされる性感は強すぎた。双葉は目をとろんとさせて、甘ったるい声をあげ続ける。
「やめて! そんな小さな子に変なことをしないで!」
 痴態から目をそらす事もできず、翔子は叫んだ。自分の身体を好き勝手にもてあそばれているのが悔しかった。そしてそれ以上に、隣家の幼い娘が陵辱されようとしているのが許せなかった。
「小さな子? あれ、おかしいなあ。双葉ちゃんはもう大人だよね?」
 少年は首をかしげて、双葉の耳をぺろりとなめる。双葉の身がぞくりと震えた。
「ああっ、あたし、おかしくなっちゃうよう……あへっ、あへえっ」
「双葉ちゃん、逃げて! 逃げてえっ!」
 翔子の必死の叫びもむなしく、少年は双葉の体を責めたてる。スカートを剥ぎ取り、黒い下着の中に手を這わせた。指に陰毛の絡む音が翔子の耳にまで届く。乳と陰部を同時に責められ、双葉は声を引きつらせた。
「ああっ、ダメぇっ。アソコがムズムズする……お、おしっこ。おしっこしたい。おトイレに行かせて……」
「へえ、おしっこがしたいのかい? でもダメだよ。もうちょっと我慢しないと」
 哀願する双葉を、少年は唇の端をつり上げてあざ笑った。手を止めるどころか、ますます激しく双葉の性器をいじり回す。少年の細い指が下着をずらし、双葉の股間を淫らな動きでなぶりものにする様子が、翔子からもはっきり視認できた。
(ああ、なんてひどいことを。あんな小さな子にいやらしい真似をして……)
 翔子の頬を涙が伝ったが、首だけの状態で天井から吊り下げられた身では、到底助けることは不可能だ。抗いがたい無力感と絶望が翔子を襲う。
 頼りなく揺れる翔子の目前で、双葉は背筋をそらして喘ぎ、肉感的な肢体をうち振るった。
「あんっ、ああんっ。このままじゃ漏れちゃうよう。お願い、おしっこに行かせてぇっ」
「ダメだよ。双葉ちゃんは大人だろう? もっと我慢できるはずだよ。ふふふ……」
「ダ、ダメぇっ。あたし、おもらししちゃう……ああ、やだあっ」
 びくんとひときわ大きく体が跳ねて、双葉の股間から黄ばんだ液体が漏れ出してきた。とうとう我慢ができなくなって、翔子の身体で失禁してしまったのだ。小便が音をたててこぼれ出し、双葉の肌や下着を汚して畳に染み込んでいく。つんとした臭いが翔子の鼻を刺激した。
「ふ、双葉ちゃん……」
 翔子は真っ青になった。目の前で自分の体がもてあそばれ、しかも小水まで漏らしたのだ。しかし、今の翔子には落とす肩すらない。ぷらぷらと間抜けに揺れる首だけの姿で、少年の乱行を見守ることしかできなかった。
 酔いのせいか、それとも少年にもてあそばれたせいだろうか。双葉は畳の上に仰向けで倒れ、気を失ってしまった。無垢な少女を助けてやれない非力な自分を翔子は呪った。
「おやおや、気持ちよすぎて寝ちゃったみたいだね。ふふふ……」
 少年は失神した双葉を見下ろすと、優美な顔をほころばせる。翔子は憎悪の視線を少年に向けたが、彼は電灯の紐にぶら下がった翔子の生首には目もくれず、足元に転がっている小さな体を抱き上げた。首のない双葉の身体だ。
「じゃあ、今度はこっちの番だ。これをこうして、こう……うーん、意外と難しいね」
 少年は粘着テープを取り出し、双葉の細い腕を後ろ手に縛り上げた。次にポケットから手のひらに収まるくらいの大きさの、卵型のプラスチックの容器を取り出す。
「そ、それ、まさか……」
 容器の正体に気づいて愕然とする翔子。
「その通り。便秘の味方、浣腸さ! 翔子さんも使ったことはあるかい?」
 彼は浣腸の容器を翔子にじっくりと見せつけて、得意気に言った。そして双葉の体を水平にして、赤いスカートの中の下着を脱がせてしまう。つるつるした可愛らしい尻が丸見えになった。
「大人用だけど別にいいよね。うん、きっといいはずだ。多分」
 少年は浣腸容器のノズルを双葉の肛門にあてがい、容赦なく中身を注入していく。直腸に注ぎ込まれた薬品の刺激を受けて、意識のない小児の体が小刻みに震えた。残酷な光景を見ていられず、翔子は思わず目を閉じる。
「やめなさい! そんなことをして、双葉ちゃんの体が可哀想じゃない!」
「双葉ちゃんの体?」
 翔子のあげた抗議の声に、少年は不思議そうな表情でまばたきを繰り返した。
「やだなあ、違うよ。これはもう双葉ちゃんの体じゃない。今からこの可愛らしい体は、翔子さんのものになるんだから」
「な、何ですってっ !?」
 少年は双葉の体を一旦畳の上に寝かせると、絶句する翔子に近寄った。髪に結ばれていた電灯の紐が外され、翔子の頭部は少年の腕の中にすっぽり納まる。
 今から何をされるのか。答えは明らかだった。
「や、やめてっ! お願い、やめてぇっ !!」
「ふふふ……どうして嫌がるのさ。双葉ちゃんの体、小さくて可愛らしいでしょう? こんな可愛い体になれるんだから、嫌なはずがないじゃない。はい、これでOK」
 少年は抵抗できない翔子の首を、双葉の胴体にくっつけてしまった。ようやく翔子に手足の感覚が戻ってきたが、まったく喜ぶことができない。
「ああっ、私の体が……」
 翔子は自らの幼い身体を見下ろし、絶望のうめき声を発した。一人の女として、自分でもそれなりのものだと誇りに思っていたプロポーションが、もはや見る影もない。いつも胸元で揺れていた乳房の重みは完全に消失していた。すらりと長い綺麗な脚も、きゃしゃで短い子供の脚に変わり果ててしまっている。元の自分との身長差は歴然だった。目線が明らかに五十センチは低くなっていて、見慣れた自分の部屋に激しい違和感を覚えた。
 大人の女性の頭が載った、幼稚園児の女の子の体。今の翔子を鏡に映せば、きっとそういう不気味な姿が見えるのだろう。今の状況は翔子にとって悪夢そのものだった。
(私の首から下、本当に双葉ちゃんの体になっちゃったんだ。ああ、なんてこと……)
 翔子は暗澹たる思いでうつむいたが、それに加えてもう一つ、彼女を苦しめるものがあった。
「い、痛い……お腹が痛いっ」
 下腹から突き上げてくる重々しい刺激に、翔子は悲鳴をあげた。腸内を流れる薬液が強烈な便意を生み出していた。無理もない。可憐な幼児の体に大人用の分量の浣腸を全て注ぎ込んだのだ。今まで味わったことのない強烈な苦痛に苛まれ、翔子の額にいくつも脂汗が浮かぶ。
「へえ、もう効いてきたんだ。すごいなあ、科学の進歩って。たしかグリセリンを水で薄めたものだったっけ、これ。少量で十分な効果があるらしいね」
「お、お願い。トイレに行かせて……ああ、痛いっ」
 非力な幼児の体になってしまったうえに、両腕を粘着テープで縛られ、身動きができない。翔子は排泄の欲求を必死でこらえて、少年に哀願した。腰ががくがくと震えて、腹が不快な音をかき鳴らした。
「ふふふ、トイレに行きたいって? まあ、もうちょっと待ってよ。翔子ちゃんはいい子だから、おもらしなんてせずに我慢できるよね?」
「そ、そんなこと言わないで。い、行かせて。お願い……」
 頬を汗の雫が伝い、青ざめた顔からいっそう血の気が引く。限界はすぐそこに迫っていた。このままでは、自分も先ほどの双葉と同じように汚物を垂れ流してしまう。それだけは何としても避けたかった。
「そうかい、じゃあトイレに行かせてあげる。翔子ちゃん専用のトイレを用意したから、これを使ってよ」
 少年は笑い声をあげて、部屋の隅からひとかかえほどの白い物体を運んできた。それを見て、青ざめた翔子の顔が真っ白になった。
「あ、あひる? あひる──の、おまる……」
「うん、そうだよ。やっぱりおまるはあひるさんの形じゃないとね」
 小さな子が――今の翔子よりもさらに幼い子供が使うような、白いおまるが畳の上に置かれていた。大きな鞍型の胴体からあひるをかたどった頭が伸びていて、その頭の左右にはつかまるための取っ手が設けられていた。
「はい、どうぞ。これが翔子ちゃんのおトイレでちゅよー。はい、うんちはここでしましょうねー」
 少年は翔子の小さな体を後ろから抱き上げ、無理やりおまるに座らせた。体の自由を奪われた翔子に抵抗するすべはない。激しい羞恥が翔子を襲った。
(子供の体にされて、おまるで用を足せだなんて……ああ、なんで私がこんな目に遭わなくちゃいけないの。私、一体どうしたらいいの……)
 本当に幼児になってしまったかのように、翔子はぽろぽろと涙を流して、少年に許しを乞う。だが美貌の少年は残酷だった。彼は翔子の腹部に手を当てると、
「聞いた話だと、大腸の流れに沿って『の』の字にマッサージするといいらしいね。こんな風にさ」
 などと言いながら、一定のリズムに合わせて腹を撫で回してきた。ますます便意をかきたてるその動きに、翔子の忍耐は脆くも崩れ去る。
「い、いやあっ! やめてっ、もうやめてぇっ! お願いしますうっ!」
「早く出しちゃいなよ。翔子ちゃんがうんちするところ、ちゃんと見ててあげるからさ」
「ダ、ダメっ。私、もうダメぇ……」
 翔子が記憶していたのはそこまでだった。直後、翔子は意識を失い、思考の全てを闇の中に沈めた。

 それから、どのくらいの時が経ったのか。目覚めたとき、翔子の頭の中は霧がかかったようにぼんやりしていて、周囲のこともろくに認識することができなかった。
 どうやら、自分は寝転がっているようだ。畳の上に力なく横たわった自分の頭の隣に、プラスチックのような光沢を放つ白い何かが置かれている。そちらの方向からかすかに不快な臭いがした。
 寝転がったままで、翔子は部屋の奥を見やる。暗い視界の中に、二つの人影が蠢いていた。色のないモノクロの世界で絡み合う人影は、まるで影絵のように幻想的だ。
「双葉ちゃん、どうだい? 気持ちいいかい?」
 という声から察するに、片方は若い男らしい。もう片方の人影にのしかかるようにして、左右に体を動かしていた。
「はひいっ。いい、いいっ。おちんちん、気持ちいいよう。もっとズボズボしてえ……はひっ、はひいっ」
 男の下になっているのは女のようだ。男の身が左右に揺れるたび、女も体をくねらせて応える。子供のような舌足らずの口調で、艶かしい喘ぎ声をあげていた。
 女はとても満足そうだった。どこか聞き覚えのある声だったが、果たして誰の声なのか、思い出すことができない。
 いったい、この二人は何をしているのだろう。翔子は疑問を抱いたが、今の錆びついた思考では、その答えを探り当てることは叶わなかった。
 鈍っていたのは頭だけではない。翔子の体を原因不明の倦怠感が覆っていた。疲れがたまっているのかもしれないと思った。まぶたがひとりでに閉じて、翔子の目から男女の姿を隠す。それでも二人の声だけは聞こえてきた。
「いやあ、双葉ちゃんにこんなに気に入ってもらえるなんて思わなかったよ。大人の体になってよかったね、双葉ちゃん。もしも双葉ちゃんが望むんだったら、一生このままでもいいんだよ?」
 意味ありげな男の言葉も、今の翔子にはどうでもいいことのように思える。思考が意味ある形をなさず、ものを考える力が極度に低下していた。
「いいっ、気持ちいいっ! あひぃっ、いいよう。ああっ、あああっ」
(うるさいなあ……もっと静かにしてくれたらいいのに)
 女の嬌声を子守唄にして、翔子はもう一度眠りにつく。何も考えずにまどろみに身を委ねていると、心が安らぎで満たされるような気がした。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 小学校の帰り道、双葉が友達と肩を並べて歩いていると、クラスメイトの男子が数人、彼女にまとわりついてきた。
「やーい、おばさん顔のブサイク双葉!」
「おばさんはスーパーでレジでも打ってろ!」
 悪童たちは双葉を取り囲んで、口汚く罵ってくる。双葉は何も言い返さず、うつむいて黙り込んでいた。
 すると双葉の隣にいた女子が見かねて、彼女をかばうように前に出た。
「やめなさいよ、あんたたち! ひとの顔をバカにするのって最低よ!」
「わあっ、おばさんの仲間が怒った! 逃げろー!」
 大声でわめきながら、男子たちは蜘蛛の子を散らすように走り去っていく。
「ありがとう。守ってくれて」
 礼を言うと、女の子はにっこり笑って双葉に向き直った。
「ううん、気にしないで。それにしても、あの子たちってひどいね。双葉ちゃんは優しくてとっても物知りなのに、どうしていじめるんだろう」
「仕方ないわ。だって私の顔がおばさんなのは事実だし……」
 自分の顔を指して、双葉は自嘲気味につぶやく。赤いランドセルを背負った子供の体には不釣り合いな成熟した女性の顔に、双葉はコンプレックスを抱いていた。
 だが、女の子はそんな双葉の顔をまじまじと見つめて、「そんなことない」と左右に首を振る。
「双葉ちゃんの顔は大人っぽくて、すっごく綺麗だよ。あたしも双葉ちゃんみたいになりたいなあって思うもん」
「うふふ、ありがとう。お世辞でも嬉しいわ。それじゃ、また明日ね」
 友達思いの女の子と別れて、双葉は自宅に戻る。リビングの床にランドセルを置くと、奥から翔子の声がした。
「おかえりー、双葉」
「ただいま、翔子。今日は何かあった?」双葉は和室をのぞき込んで訊ねた。
「ううん、何もなかったよー」
 翔子はTシャツにジーンズというラフな格好で寝転がり、子供向けのアニメを見ていた。
 うつ伏せになった体に、豊満な乳房が押し潰されそうになっている。あどけない子供の顔の下に、肉感的な大人の女の肢体があった。ちょうど双葉とは真逆の異様な風体が、現在の翔子の姿だ。
 翔子の行儀の悪さはみっともなかったが、どうせ叱っても聞かないだろうからと思い、双葉はあえて何も言わなかった。
「そう。私は今から夕飯の買い物に行ってくるから、翔子はお留守番しててくれる?」
「えーっ、あたしも行きたい! 一緒に連れてって!」
 頬を膨らませて駄々をこねる翔子に、双葉は弱り果てる。
「うーん……連れて行くのはいいんだけど、翔子と一緒にいると、私が翔子の子供だと思われて、あんまり気分がよくないのよね。恥ずかしいっていうか何ていうか……」
「別にいいじゃない。だってホントのことでしょ? お父さんが言ってたよ。今はあたしが翔子で、双葉の義理のお母さんだって。双葉はあたしの子供なんだよ」
「た、確かに戸籍の上ではそういうことになってるけど……」
「でしょ? だったら、お母さんの言うことは素直に聞かなくちゃ。さあ、お母さんと一緒にお買い物に行こうね。双葉ちゃん」
 翔子は笑顔で立ち上がると、強引に双葉を外に連れ出す。双葉は気がすすまなかったが、大人の腕力には抗えず、結局翔子の言いなりになるしかない。
(もう、双葉ちゃんったら。体だけは大人だけど、中身はまだまだお子様だから大変だわ……)
 楽しそうな翔子に手を引かれ、双葉は盛大に嘆息した。
 大人の頭脳と顔を持った自分が小学校に通い、代わりに子供の容貌と知能を持った彼女が母親として振る舞う。こんな奇妙なことになってしまったのも、全てあの少年のせいだった。
 突然、翔子と双葉の前に現れ、二人の首をすげ替えてしまった不気味な少年。彼によって二人の体が入れ替えられてしまってから、間もなく三年が経過しようとしていた。
 あの晩、翔子と双葉を散々に辱しめた少年は、二人が失神している間に忽然と姿を消してしまい、二度と二人の前に現れることはなかった。翌朝、意識を取り戻した翔子は、隣家に住む双葉の両親に助けを求めたが、人間の首がすげ替わってしまうという摩訶不思議な事態に、双葉の両親もただ涙を流すばかりで、どうすることもできなかった。
 それから二人の体は入れ替わったまま、元に戻ってはいない。翔子は双葉の幼い体になってしまい、それまでの仕事を続けられなくなった。それは翔子の体になった双葉も同じで、図体だけが大人になってしまった彼女を、今まで通り幼稚園に通わせるわけにはいかなかった。双葉の両親と話し合いを重ねた結果、翔子と双葉の二人ともが双葉の家で暮らすことになった。この年齢になって他人の家で居候など翔子は不本意だったが、仕事をやめて経済力がなくなったばかりか、幼稚園児の体では一人で暮らしていくのもままならないため、この措置はやむを得なかった。
 もう一つの問題が二人の戸籍の扱いだった。首から下が入れ替わったこの状態で、どちらを双葉と、どちらを翔子と見なすべきか。言い替えれば、これからどちらが双葉として小学校に通い、義務教育を受けるべきかという話になる。
 もちろん当初、翔子は双葉が学校に行くものと決めてかかっていた。いくら首から下が大人の身体になってしまったといっても、頭の中身が幼児であることに変わりはない。体が大きすぎて周りの子供たちから仲間はずれにされるかもしれないが、そのくらいは我慢してもらおう。そう思っていたが、やがて双葉が六歳の四月を迎え、小学校に通い始める時期になって、双葉の父親が思いもよらないことを言い出した。
「翔子さん。これからあなたがうちの娘の『双葉』として、学校に行ってくれませんか。何しろ義務教育ですから、行かないといろいろ問題があるんです」
 あまりに突拍子のない話に、翔子は仰天した。
「な、なんで私が今さら小学校に通わないといけないんですか! そんなの、双葉ちゃんに行かせたらいいでしょう! 双葉ちゃんを学校に通わせないつもりですか !?」
「それが、こちらにもどうしてもそうしないといけない事情がありまして……どうかお願いします」
「嫌です! 絶対にお断りします!」
 翔子は断固として拒否したが、居候の身分で自己の主張を押し通すことは不可能だった。結局、翔子は泣く泣く自分の名前を少女に譲り渡し、代わりに自分が『双葉』として小学校に通うことになった。今や戸籍の上でも翔子と双葉が入れ替わっており、翔子は自分の肉体だけでなく、名前まで奪われることになったのである。
 それ以来、翔子となった双葉は学校に通うでもなく、かといって定職に就けるわけもなく、自宅で勉強や簡単な家事の手伝いをして生活している。将来が危ぶまれる教育環境だが、本人はそれなりに今の生活に満足しているようで、不満を口にしたことは一度もなかった。
「あっ、チョコレートが安売りしてる! ねえ双葉ぁ、買って買ってえ」
 二人でスーパーマーケットの売り場を巡っていると、翔子が双葉の襟首をつかんでおねだりを始めた。普通は背丈の小さな子供が大人を相手にねだるものだが、自分たちは違う。物欲しげな顔の翔子は双葉の体を軽々と抱き上げ、催促を繰り返した。
「わ、わかったわ、買ってあげる。買ってあげるから下ろしてっ」
 周囲の買い物客から好奇の視線を浴びて、双葉は赤面した。二人で外出すると、しょっちゅうこういう目に遭わされるのだ。恥ずかしくて仕方がない。
 顔から火が出るような買い物を終えて夕飯の支度をしていると、双葉の父親が帰ってきた。
「おかえりー、パパ!」
 翔子は喜色を浮かべて父親に飛びついた。双葉も炊事の手を止め、今や実の父となった男を出迎える。
「おかえりなさい、お父さん」
「ただいま、二人とも。おや、台所からいい匂いがするな。今日のご飯はなんだい?」
「肉じゃがにしたわ。翔子も作るのを手伝ってくれたの」
「そうか、そうか。偉いなあ、翔子は」
 嬉しそうに自分に抱きつく翔子の髪を撫でて、父親は笑う。たとえ身体が別人のものと入れ替わっても、愛娘に対する愛情はいささかも失われていなかった。
 双葉はキッチンに戻り、調理を再開する。小さな手で包丁を握るのにもすっかり慣れてしまい、今では入れ替わる前と比べても遜色ない腕前だと自負している。
「ご飯はもうすぐできるから、それまで座って待っててね。翔子、お父さんにビールを出してあげて」
「はーい。どうぞ、お父さん」
「ありがとう。うん、この冷ややっこがビールによく合うよ。双葉の作ってくれた飯は最高だな」
「もう。そんなお世辞を言っても何も出ないわよ」
 と言いながらも、双葉は冷蔵庫から缶ビールをもう一本取り出し、父親に渡した。やはり丹精込めて作った料理を褒められるのは悪い気分ではなかった。
(まあ、一応は幸せな家庭といってもいいのかしらね……)
 そう思えるのも、自分がこの環境に適応しつつあるからかもしれない。首をすげ替えられた当初は元の体に戻ることばかり考えていたが、三年もたった現在では、もう半ば諦めてしまっていた。人のいい父親と明るく無邪気な義母との今の暮らしを、いつの間にか楽しんでいる自分がいた。
「ねえ、パパぁ。あたしにもビール飲ませてよぉ」
「いいけど、大丈夫か? これはお酒だから、ジュースと違って苦いぞ」
「うん、平気だよ。お酒を飲むと体がポカポカして気持ちよくなるの。だからちょうだい」
 翔子は父親からグラスを受け取ると、注いでもらったビールを一息で飲み干した。幼い顔に似合わない飲みぶりに、父親も負けじとグラスをあおる。食事を終える頃には二人とも顔が真っ赤になって、双葉を大いに呆れさせた。
「もう、二人とも何をやってるのよ。お父さんはとにかく、翔子はそんなに飲んだら駄目でしょう」
「大丈夫、大丈夫。あたしは大人だからお酒を飲んでもいいんだよ。えへへへ……ヒクッ」
 大きなしゃっくりをしながら、翔子は冷蔵庫をあさって梅酒の瓶を取り出す。そろそろやめさせた方がいいのは明らかだったが、下手に翔子を止めると、またさっきの買い物のときのように、こちらが腕ずくで押さえ込まれてしまいそうだ。双葉はやむを得ずその場を離れ、風呂に入ることにした。
「まったく、あの二人にも困ったものだわ。あの様子じゃ、まだまだ終わりそうにないわね。後片づけと洗濯、それにお風呂の後始末もしないといけないのに……」
 双葉は体を洗いながら盛んにぼやく。双葉の母親が出ていってしまってからというもの、この家の雑事はほとんど自分が引き受けているのだ。風呂場の鏡に、双葉の不機嫌な顔が映っていた。
「あーあ、どうせ体が入れ替わるんだったら、顔も一緒に取り替えてほしかったなあ。それなら学校でいじめられることもないし、もっと楽に人生をやり直せるんだけど……」
 鏡に見入って、独り言を口にする双葉。小学校低学年の少女の身体に、三十路を控えた大人の女の首が載っているのは、何度見ても奇妙な光景だった。これから背丈が伸び、大人の体格になるまで最低でも五、六年はかかるだろう。さらに十年、二十年先となると、そのときの自分がどんな生活を送っているか、双葉にはまったく予想ができなかった。
「私だけじゃない。翔子も先が思いやられるわ。これから先、顔はどんどん綺麗になっていくのに、身体は年増のおばさんになっちゃうんだもの。どっちも大変……ああ、最近愚痴っぽくなっていけないわ」
 風呂からあがってダイニングに戻ると、二人の姿がない。テーブルの上に汚れた食器や空の酒瓶、空き缶が散乱しているだけだ。どこに行ったのだろうと思っていると、寝室の方から声が聞こえてきた。
(なんだ。またやってるのね)
 双葉は足音を立てないよう静かに寝室に向かう。鍵のかかったドアの向こうで、翔子が艶かしい声色で喘いでいた。
「ああんっ、気持ちいいよう、パパ。お腹の中がキュンキュンするの。あんっ、あんっ」
「ああ、パパも気持ちいいよ、翔子。こんなに締めつけてくるなんて、いやらしい子だ」
 翔子の嬌声に続いて、双葉の父親の笑い声も聞こえてくる。酔ってすっかりいい気分になった二人が、寝室で体を絡め合っているのだ。
 これが、今の双葉が女子小学生として暮らすことを余儀なくされた理由だった。
「なんで私が今さら小学校に通わないといけないんですか! そんなの、絶対にお断りします!」
 名前や戸籍を交換してくれと頼まれたとき、そういって息巻く彼女を、双葉の父親は困り果てた様子でなだめすかした。
「お、落ち着いて下さい。実は私、その……双葉と関係を持ってしまったんです。先日、妻がこの家を出て行ってしまったのも、それが理由なんです」
「なんですって !? あの子の首から下は私の体なのよ! あんた、なんてことをしてくれたのよっ!」
 彼女は怒りに目を見開き、自分の身長の倍近い男を怒鳴りつけた。
「はい。あなたには本当に申し訳ありませんが、あの子は自分の体が大人になったというのがどういうことか、まだよくわかっていないんです。それで、つい無防備なあの子を……」
「し、信じられない。それに、あの子はあんたの実の娘でしょう。完全に犯罪じゃない」
 あまりのことに血の気を失う彼女に、父親は腰が折れそうなほどぺこぺこと頭を下げた。
「そうなんです。年端もいかない自分の娘に手を出したとなれば犯罪です。なんとしてもそれは避けたい。だからあの子にはあなたの代わりに『翔子』になってもらって、私と関係を持っても問題がない立場にしたいんです。何しろ体だけは大人の女性ですから、顔が少々幼くても何とか周りを誤魔かせると思うんですよ。ですからあなたが『双葉』になってくれないと困るんです」
「ゆ、許せない。第一、そんなのうまくいくわけないじゃない……」
「でも、他に道はないんです。もしあの子が人前で私との関係を喋ってしまえば、私は逮捕されてしまいます。あなたも困るでしょう。そんな子供の体で、他に面倒を見てくれる人もいないわけですから。ひょっとするとあなたたちの入れ替わりがマスコミにでも知られて、大変な騒ぎになるかもしれませんし」
 脅しともとれる父親の言葉に、彼女はついに根負けした。自分が「双葉」として小学校に入学し、それまで双葉だった少女に「翔子」の名前と戸籍を譲ることを認めざるをえなかった。そうしなければ、一家離散の危機なのである。既に両親もなく、頼る相手のいない彼女に選択の余地はなかった。
 それ以来、双葉は「翔子」として自らの父の妻となり、夜ごとこうして肌を重ねている。お互いを父、娘と呼び合う二人だが、肉体は血の繋がりのない若い男女である。健全な夫婦の営みを、今や二人の子供でしかない自分に止める権利はなかった。
「そろそろ弟か妹ができそうね……やれやれ」
 娘を放って子作りに励む二人に呆れ果て、双葉は寝室をあとにする。あの「義母」の妊娠した姿など想像もできなかったが、もしも子供が生まれたら、心から祝ってやるつもりだった。
 自分は双葉、あちらは翔子。もう元に戻れないのなら、素直に今の環境を受け入れるしかない。
「さあ、あんなのは放っておいて、汚れた食器を片づけないと。それに宿題もしないといけないし、洗濯にお風呂の後始末──ああ、することが多くて嫌になるわ。まったくもう……」
 翔子の顔を持つ双葉はぶつぶつ言いながら、小さな身体でてきぱき家事をこなしていく。いったいあの二人はいつ風呂に入るのだろうか。双葉の苛立ちをよそに、寝室から聞こえてくる卑猥な喚声は、いつまでたっても収まりそうになかった。

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