水野兄妹観察日記 5

 心地よく晴れた冬の朝、顔を赤らめた啓一が自宅のベッドに横たわっていた。
「げほっ! かはっ、ごほん!」
 目は熱っぽく焦点がうつろで、ひゅうひゅうと苦しげな呼吸を繰り返す。
 傍らでは彼の双子の妹、恵が不安そうな顔で啓一を見下ろしていた。
「啓一、大丈夫……じゃないよね。しんどいよね」
「い、いや、これくらい――げほっ、げほっ!」咳と共に唾が飛び散る。
「八度七分、結構出てるわね。診察券と保険証出してあげるから、午前中に診てもらってきなさい」
 母は啓一の体温計に目を落として、言った。
「ただの風邪ならいいんだけど、インフルエンザだったら大変よ。ひょっとしたら、恵も学校お休みしないといけなくなるかもしれないし。あなたは何ともないの? 熱とか咳とか出てない?」
「うん、私は大丈夫みたい」
「それならいいけど……。おかしいと思ったら、すぐに先生に言って早退させてもらうのよ」
「わかった。それでお母さんは今日どうするの? 今日はお婆ちゃんのとこ行く日だよね」
「そうなのよねえ。どうしようかしら」母は困り顔で、軽く首を振った。
 少し離れたところに住む祖母は近頃体調が優れず、母が毎週決まった日に様子を見に行き、掃除や買い物を手伝うことになっていた。
 嫁と姑の関係ではあるが、仲はそう悪くない。
 だが実の息子であるはずの父が何もせず、祖母の世話を妻に任せっきりにしているので、恵はしょっちゅう母から愚痴を聞かされていた。
 視線を病床の息子から娘に戻して、母が言う。
「まあ、お昼までは家にいるから、それからはまた啓一の様子を見て考えるわ。大丈夫だったら行ってくるけど、ひどくなるようだったらそうもいかないから」
「俺は大丈夫だから……気にせず行ってきてよ」
 そこでまた啓一がゴホゴホと咳き込んで、母にどやされる。
「あんたは大人しく寝てなさい! 本当は何か食べて薬飲まないといけないんだけどねえ」
「啓一、食欲ないみたい……」恵は憂いを声に塗り込めた。
「診察は九時半からだから、それまではとりあえず暖かくして、水分とっておきなさい。恵はそろそろ学校行きなさい。もうあんまり時間がないわよ」
「そうだ、行ってこい。そんで、皆によろしく言っといてくれ」
 こんな最悪の体調でも啓一は取り乱すことなく、いつものように落ち着き払っていた。
 しかし、母に心配をかけまいと無理をしているのは明らかだ。
 啓一を置いて登校するのは後ろ髪を引かれる思いだったが、自分は何ともないと言った手前、今さら仮病を使って休むわけにもいかない。
 恵は兄の赤ら顔を、浮かない表情で見つめて言った。
「うん、じゃあ……いってくるね」
 そうして、母に見送られて自宅を後にする。
 礼儀知らずの冷たい師走の風が、恵の頬をつっと撫でていった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 周囲の反応は、おおかた予想通りのものだった。
「え、啓一が風邪? 大丈夫なのか?」
「ほえー、啓一君が……。珍しいね、祐ちゃん」
「ああ、ホントだな。大したことなきゃいいんだが」
 授業が始まる前のがやがやした教室で、そう言って心配してくれたのは啓一と親しい友人の中川祐介と、森田瑞希である。
 祐介は鋭い目つきをした口数の少ない男だが、情に篤く、基本的に一人で何でもこなす啓一が頼りにする、数少ない存在だった。
 瑞希はその祐介の彼女である。内気で大人しそうな顔をした、小柄な少女だ。
 長い黒髪を頭の左右で二つに分ける、いわゆるツインテールの髪型をしている。
 童顔なこともあって、実年齢よりもかなり幼く見える。それが一部には好評らしい。
 祐介は瑞希と顔を見合わせ、啓一の身を思いやった。
「それじゃ瑞希、帰りに見舞いでも行くか? 美味いもんでも買ってってさ」
「いいね。皆で行ってあげようよ」
「ううん、大丈夫。啓一は丈夫だからすぐに治るわ。だからそんなに心配しないで」
 祐介の提案を恵が首を振って遠慮すると、二人とも残念がったが、その代わりに彼の携帯あてに見舞いのメールを送ってくれた。
 きっと啓一も喜ぶだろうと、恵は二人に感謝した。
 話を聞いて大騒ぎしたのは、今朝も啓一目当てで恵のもとにやってきたヒカルである。
 啓一に憧れる直情径行のヒカルのこと、その彼が寝込んでいると聞いては、平静でいられるはずもない。
 恵の前で飛び跳ねて驚き、ただひたすらに浮き足立っていた。
「えっ、啓一センパイが病気でお休みですかっ !? 大変、お見舞いに行かないとっ!」
「……ヒカルちゃん。今の話、聞いてた? すぐ治るから、そんなに心配しなくてもいいんだってば」
「わかりました! 学校が終わったらすぐセンパイの家に飛んでいきますねっ! あ、そうだ買い物もしていかないと。食べ物とか、頭冷やすやつとか、あと薬とか」
「ヒカルちゃん、ちょっとは人の話を聞いて――」
「あ、いけない! 一時間目、視聴覚室なんだった! 急がなきゃっ! それじゃ恵センパイ、放課後待ってて下さいね! おうちまでお供しますからっ!」
 そしてまた、風のように去っていく。
 完全にペースを崩された恵は呆然とその場に立ち尽くしていたが、そばにいた祐介と瑞希の会話を耳にして、やっと我に返った。
「最近は静かになったと思ってたんだけどな、啓一の周り。そうでもなかったか。それにしてもあの子、今まであんまりいなかったタイプだな」
「はへー、なんかいろいろとすごそうな子だね」
「まあ、ヒカルちゃんも悪気があるわけじゃないと思うんだけど……」
 恵は痛む頭を押さえ、ため息をつくしかなかった。

 ヒカルは宣言通り、放課後になると恵のもとにすっ飛んできた。
 どうしても啓一の見舞いに行かないと気が済まないらしい。
 止めても無駄のように思えたので、恵は仕方なくヒカルを連れて帰ることにした。
 冬の太陽は早くも西に傾き、二人の少女を真っ赤に照らしている。
「それじゃあ今、啓一センパイは家に一人なんですか?」
「ええ。うちのお婆ちゃん、最近体の具合があんまり良くなくって……。お母さんが毎週決まった日に行って、いろいろお世話してあげてるの」
「それが今日ってわけですか。タイミングが悪いですねえ」
 途中、恵はスーパーに立ち寄った。
 結局、母は啓一を置いて祖母の家に行ってしまったから、看病や家事は恵がやらないといけない。もちろん買い物もだ。
 忙しくはなるだろうが、反面、密かにこの状況を楽しんでいる自分も否定できなかった。
 夕方のスーパーマーケットはそこそこに混雑している。
 カートを押す主婦や親子連れに混じって、菓子やアイスの売り場にたむろする小中学生の姿が見受けられた。
 何かやましいことでもしていたのか、仲間と騒いでいた一人の少年が恵と目が合い、こそこそと顔を背けて逃げ出していった。
 恵はヒカルと話しながら、買うべき物を一つずつ籠に放り込んでいった。
 話題は当然のように、啓一のことばかりだった。
「結局センパイ、インフルエンザじゃなかったんですか?」
「うん、ただの風邪みたい。けっこう熱は出てたけど、すぐ治りそう。帰ったらおかゆでも作って食べさせるわ。食べれるうちに食べないと、体力つかないから」
「そうですか。あたしも手伝います。啓一センパイのこと、心配なんで」
「ありがとう」
 ヒカルの言葉に、恵は柔らかな笑顔で微笑んだ。
 うどんや果物、清涼飲料水などをたっぷり買い込み、スーパーを後にする。荷物の半分はヒカルが持ってくれた。
 にこにこ顔で「いいですよ、センパイのためですもん」と笑うヒカルを見ていると、この明るく優しい後輩に対する好感と、そして後ろめたさが芽生えてくる。
 素直で裏表のない言動に加えて、振る舞いの端々に幼さを残したヒカルである。
 啓一に対するヒカルの想いは、恵にも痛切に伝わってきていた。
 しかしそれは、恋心とは少し違うものではないだろうかと恵は思う。
 年頃の少女が往々にして抱く、自分より年上の男性に対する漠然とした憧れを、恋心と錯覚しているのではないだろうか。
 だがそうした感情は、思春期の少年少女にとっては当たり前の、健全なものでもあった。
 少なくとも恵の胸のうちに潜んでいる狂気よりは、よほどまともと言えるだろう。
 啓一に近寄ってくる女性に対して、恵が申し訳なく思うのは、こういう理由からだった。
 彼女たちがどれだけ真剣に、一途に想いを寄せたところで、啓一がその想いに応えることは決してない。
 どこの誰が何をどうしようが、啓一の心は繋ぎとめられない。それを恵は知っている。
 だが、ヒカルは他の女たちと同じく、そのことを知りはしない。
 知らないからこそ、まるでサンタクロースの存在を信じて疑わない子供のように、無邪気でいられるのだろう。
 恵がヒカルに対して抱く罪悪感は、大人が子供に隠し事をするときのそれに近い。
 優越感と同情、憐憫の入り混じった悲しそうな瞳で、恵は黙ってヒカルを見つめた。
 しかしヒカルは、そんな恵の胸中など思いもよらず、彼女と肩を並べて歩きながら、ただ啓一の見舞いに行けることを純粋に嬉しがっていた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 家に帰ると啓一は目を覚ましており、ベッドから身を起こして二人を出迎えてくれた。
「おかえり、恵。ヒカルちゃんにも気を遣わせちゃったね。ごめん」
「センパイ、大丈夫ですか !? 熱は、咳とかは !?」
「ああ、だいぶマシになったよ。ありがとう、ヒカルちゃん」
 啓一の言葉にヒカルは顔を赤らめ、しどろもどろに見舞いの挨拶を口にした。
 そんな啓一を叱りつけたのは恵である。
「ほら啓一、まだ治ったわけじゃないんだから、寝てなくちゃ駄目よ。熱測って。汗かいただろうからお水も飲んで、あと食欲ある?」
「ん、どうだろう。あるようなないような……」
「センパイ、果物食べませんか? 帰りに買ってきましたけど」
「ありがとう。後で食べるよ」
 啓一の顔は全体が朱に染まり、全身じっとりと汗ばんでいた。
 とりあえず汗を拭き、着替えた方がいいだろう。恵はそう指摘し、タオルと着替えを取ってきた。
「ヒカルちゃん。悪いんだけど、ちょっと部屋から出てくれる? 啓一を着替えさせないといけないから」
 その言葉は恵にとっては当たり前のことだったが、ヒカルには驚くべき内容だったらしい。
 ヒカルは目を見張って、恵に聞き返した。
「えっ、着替え? ひょっとして恵センパイが啓一センパイを脱がして裸にして、体の隅々までごしごし拭いて、また着せてあげるんですかっ !?」
「ええ。汗だくだし、このままにしておけないでしょ」
「そ、それはいくら兄妹でもヤバいんじゃ――てか羨ましい……。セ、センパイ。それあたしにやらしてもらえませんでしょうか」
 何を考えているのか、真っ赤になってそう言ったヒカルを、恵は部屋から追い出した。
「もう、ふざけないで。すぐ終わるからあっちで待っててね。ごめんなさい」
「うう……あたしも手伝いたいですう……」
 二人きりになった恵は、啓一のパジャマを脱がせ、汗まみれの体をタオルで拭いていった。
 啓一が小さくうめき、苦しげな声で謝意を表す。
「恵、悪いな……」
「何言ってるの、今さら」恵は呆れた声で返した。
 乾いたタオルが啓一の胸、腕や脇腹の汗を吸い取っていく。
 いくら兄妹でも高校生ともなれば、相手の裸を間近で見て、直に触れるのには多少なりとも抵抗を感じてもいいはずだったが、恵はそんな様子はつゆほども見せず、淡々と啓一の体を拭っていった。啓一の方も心地よいのか、満足げな顔だ。
 身を起こした兄の背中を一生懸命こすりながら、恵が聞く。
「啓一、気持ちいい?」
「ん? まあ気持ちいい……かな」
 その言葉に恵は小さくうなずいて、不意にうすら笑いを浮かべてみせた。
「ふふ、こんなときに何だけど――もっと気持ちよくしてあげよっか?」
「バーカ、悪化するだろ。それにヒカルちゃんがいるじゃん」啓一が首を振る。
「何だったら、私がそっちと代わってあげてもいいよ。どう?」
「だーめ、だめだめ。そっちにまでうつったら、どうするんだよ」
「うつらないわよ、きっと」恵はそう言って手を伸ばし、啓一の股間を下着越しに撫で回した。
「ほら。ここはもう、こんなになってる」
 三角に盛り上がった布地を、うっとりした目で眺める。
 啓一は、恵に後ろから抱きつかれた格好で声をしぼり出した。
「やめろって……。今はしんどいんだからまた後で、な?」
「だから、しんどいなら代わってあげるってば。いいでしょ?」
「駄目だっつの。一応俺は男なんだから、こういうときは踏ん張らないと」
「じゃあ男だったら踏ん張って、女の子を喜ばせてよ」
 恵の舌が啓一の首筋に這わされた。
 先ほどタオルで拭ったところだが、それしきで健康な男子の汗臭さは抜けない。
 なめ回した啓一の肌は、かすかに塩の味がした。
「ふふふ、啓一……」
 恵はそのまま、啓一の体を優しく愛撫しようとしたが、彼はそれを拒絶するかのように派手に咳き込み、苦しそうな吐息をついた。
「げほっ! ごほ、ごほっ、ごほん!」
「あら……。うーん、やっぱりまだ無理か。仕方ないわね」
 啓一の苦悶の表情に、さすがの恵も引き下がらざるをえない。
 結局、恵は彼に新しいパジャマを着せて寝床を整え、再び寝かせることにした。
 そうして啓一を安静にさせて、別室で待っていたヒカルを呼ぶ。
「もういいわよ、ヒカルちゃん」
「あ、終わりました?」
 ヒカルはベッドの傍らの椅子に座り、心配そうな顔で啓一を見下ろした。
「センパイ……早く良くなって下さいね。そしたら、また一緒に遊びに行きましょう」
「うん、そうだね……ヒカルちゃん」
 啓一の赤い笑顔に、ヒカルの頬も同じ色に染まる。
 先ほどの痴態の痕跡は全く残さず、恵は平然とした様子で兄に訊ねた。
「啓一、おかゆ作るけど、どう? 食欲ある?」
「ああ、何とか食えそうだ。頼む」
「じゃあ作ってくる。ヒカルちゃん、啓一のことお願い」
「あ、あたしも手伝いましょうか?」
「大丈夫よ、ありがとう」
 不器用なこの後輩に協力してもらうよりも、自分一人の方がやりやすい。
 恵はヒカルの申し出を婉曲に断り、ひとりエプロンをつけてキッチンへと向かった。
 恵が啓一の食事を作っている間、ヒカルはずっと啓一につきっきりで、彼の病状が悪化しないよう気を遣いつつ、楽しそうに話していた。
 啓一も体力が回復しつつあるのか、特に眠気はなく、ヒカルとの会話を楽しんだ。
「そんな感じで、夏樹ってばホントひどいんですよ。もう信じらんないです」
「まあまあ。口ではそう言ってても、きっと心配してくれてるんだよ」
「いやー、あいつに限ってそれはないですねえ。まったく……」
 友人の平素の問題点をあげつらうヒカルと、それをなだめる啓一。
 恵が粥を持って部屋に戻ってきたとき、二人はそんな調子だった。
「はい、どうぞ」
「すまん」
 啓一は身を起こし、恵の手から鍋と茶碗の載った盆を受け取った。
 卵の入ったシンプルな粥が湯気をたて、回復しつつある啓一の食欲を刺激した。
 それはヒカルも同じだったようで、彼女の健康的な腹の音が部屋じゅうに鳴り響いた。
「あ――す、すいません……。美味しそうだったんで、つい……」
 恵は啓一と顔を見合わせ、「多めに作っといてよかった」と言って笑うと、ヒカルの分の食器を取ってきた。
 食事そのものよりも、この和やかな雰囲気の方が効き目があったかもしれない。
 啓一は粥を食べ終わると、満足げな顔で再び眠りについた。
 その後、恵は辞去するヒカルを見送った。
 既に冬の日は落ち、辺りはすっかり暗くなっていたが、ヒカルはいつもの明るい笑顔でぺこりと恵に頭を下げた。
「どうも、お邪魔しました」
「今日はありがとう。暗いから、気をつけて帰ってね」
「いいえー、こちらこそご馳走になっちゃって。啓一センパイ、早く治るといいですね」
「大丈夫よ、だって啓一だもの。殺したって死なないわ」
 恵とヒカルは目と目を合わせ、二人一緒に笑った。
「それじゃあ、また学校で――あ、最後に一個だけ、恵センパイに聞いておきたいことがあるんですけど」
「あら、何かしら」
 ヒカルは恵の漆黒の瞳をじっとのぞき込み、訊ねた。
「恵センパイ……啓一センパイのこと、好きですか?」
「ええ、好きよ」即答だった。
 柔和な笑みを浮かべてそう言い放つ恵に、ヒカルは疑念を確信に変えた。
「やっぱりそうなんですか。あたしも啓一センパイのことが大好きです。だから、あたしと恵センパイは――そうですね、ライバルみたいなもんですか」
「いいえ、それは違うわ」
「違う?」ヒカルが眉をひそめる。
「ヒカルちゃんの『好き』と、私の『好き』は別物よ。私と啓一の仲は、ヒカルちゃんが考えてるようなのとは全然違うから」
 そう言った恵の顔はどこまでも清楚で、凛とした雰囲気を漂わせていた。
 誰からも好かれる美しい微笑みでヒカルを見つめ、静かに笑っている。
 ヒカルは手に提げたカバンの取っ手をぐっと握りしめて、言った。
「そうですか。じゃあ、そういうことにしておきます。でもあたしは負けませんから」
 強い意志を瞳に込めて、恵に告げる。宣戦布告でもするかのような口調だった。
「それじゃまた。さよなら、恵センパイ」
「ええ、さようなら。ヒカルちゃん」
 恵は顔色一つ変えずにヒカルを見送り、そっとドアを閉めた。
 カギをかける乾いた音が意外に大きく、日没後の通りに響き渡った。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 恵が一人だけの夕食を終えた頃、母親から電話がかかってきた。
「恵、啓一の様子はどう?」
「うん、だいぶ良くなったよ。ちゃんとご飯も食べたし、今は薬飲んで眠ってる」
「そう、それならいいんだけど……」
「啓一のことは心配しなくていいわよ。そっちこそ、お婆ちゃんは大丈夫なの?」
 恵が問うと母は声を曇らせ、大きく息を吐いた。
「それがねえ。お婆ちゃん、また腰を痛めちゃったのよ。座ることもできないらしくて、痛い痛いってずっと横になってるわ」
「ええっ、またなの? この間も同じこと言ってたじゃない。大丈夫?」
「あのときはすぐに治ってピンピンしてたから、大したことないって思ってたのよ。でもやっぱり、ちゃんと病院に連れてった方がいいわよねえ。まったくもう、啓一が寝込んでるこんなときに……」
 それから母の怒りの矛先は、この場にいない父に向けられた。
 恵の父は出張で二、三日は帰ってこない。その支度もほとんどが母の仕事だった。
 夫と息子と姑と、三者の世話で疲れ果てた母が、ヒステリー気味にぼやくのも無理はない。
 だがいくら母が電話口で娘に愚痴をこぼしても、啓一の風邪が治るわけでもなければ、祖母のぎっくり腰が完治するわけでもない。
 恵は何とか母をなだめ、今夜は祖母の家に泊まってくるよう勧めた。
「啓一は私が面倒見とくから、お母さんはそっちに専念してよ。今のお婆ちゃん、一人じゃ何にもできないんでしょ?」
 家のことは自分がやっておくから。恵がそう口にすると、母は急に声のトーンを落として、やや躊躇ってから言った。
「じゃあそうしようかしら……。なんか悪いわねえ、任せっきりにして」
「いいよ。大丈夫だから、気にしないで」
「ごめんね恵。じゃあ啓一のこと、お願いね」
 母は何度も恵への感謝と謝罪の言葉を口にすると、名残惜しげに電話を切った。
 これで今夜は、啓一と二人きりで過ごすことになった。
 恵は両親のことは決して嫌いではなかったが、やはり啓一と自分だけという今の状況には、心躍るものがあった。
 啓一は食事のあと、薬を飲んでぐっすり眠っている。
 病状はだいぶ良くなり、熱も下がった。診てもらった病院でもただの風邪だと言われていたので、このまま長引くこともなく、じきに治るだろう。
 いつも健康そのものの啓一が体調を崩すとは思わなかったが、昔、小学生くらいの頃は、頻繁に熱を出して学校を休んでいたものだ。
 特に二人いっぺんに寝込んでしまったとき、看病をする母は本当に大変だった。
 懐かしい記憶を思い起こし、恵は口元にうっすらと笑みを浮かべた。
 風呂から上がると、恵は啓一の部屋に向かった。
「啓一……顔色、ちょっと良くなったかな」
 まだ少し顔が赤いものの、啓一の呼吸はすっかり落ち着いていた。
 恵は無言でベッドに近寄ると、シーツを剥ぎ取り、啓一の寝巻きを脱がせだした。
 また汗をかいたので、着替えさせないといけない。それに体も拭いてやらなくては。
 汗がにじんだ体を電灯の下にさらけ出され、啓一は目を覚まして小さくうめいた。
「う、ん……」
「啓一、大丈夫?」
 その問いかけに、啓一は虚ろな瞳で答えた。
「ああ、なんかマシになった気がする。よく寝たからかな……」
「良くなったのはいいけど、油断したらぶり返しちゃうわ。体、拭いてあげる」
「ん、ああ――また汗かいちまったか。う、気持ち悪い……」啓一の声はややかすれていた。
「また着替え持ってきたわ。それに水分もとらないと」
「すまん。今日は世話になりっぱなしだな」
 体調が悪く、いつもより弱気になっているのだろう。
 横たわった啓一の言葉に、恵は「何言ってるのよ、もう」と口を尖らせた。
 湿気を含んで重くなった寝巻きを脱がせて、湯で濡らしたタオルで肌を拭く。
 恵は一連の動作をよどみなく、そしてどこか楽しそうにこなしていった。
 兄の世話をできることが嬉しいのだろうか、今度は乾いたタオルで啓一の胸板をこすって、にっこり笑う。
「はい。上終わったから、パジャマ着て。下もやったげる」
「ああ、頼む」
 啓一は上半身だけを新しい寝巻きでくるみ、再びベッドに横になった。
 部活のサッカーで鍛えている強靭な脚が、恵の前にさらけ出される。
 恵は鼻唄を歌いながらタオルで啓一の両脚をぬぐい、汗と汚れを落としていった。
「……お前、なんか楽しそうだな」啓一がつぶやいた。
「そうね、たまにはこういうのも新鮮でいいかも」
「俺はごめんだ。しんどくてたまんねーし、それにお前に迷惑かけてるから」
「啓一、私たちの間でそういう遠慮は無しだってわかってるでしょ? 私たちは何をするにも平等で対等なんだから。もしも私が熱出してたら、そっちに思いっきり甘えてたわよ」
 何を今さら他人行儀に。恵は呆れた声で言うと、綺麗になった啓一の脚に触れた。
 恵の白い指と手のひらが、母が我が子にそうするように、啓一の肌を優しく撫でる。
 心地よい感触に、啓一の目が自然と細められた。
「だから今は……ね? 安心して、私にいっぱい啓一の世話をさせて」
「そっか……そうだな。しょうもないこと言って、悪かった」
「いいよ。いっぱいお世話したげるから――ほら、こことかも」
「おい、こら」
 股間に触れた指のいやらしい動きに啓一は身を起こし、先ほどとは別の理由から目を細めて、恵をにらみつけた。
 だが恵の手は啓一の下着を焦らすようにゆっくり脱がせつつ、露出した性器をぐにぐにと指で挟み込んでくる。
「何考えてるんすか、恵さん。病人のそんなとこいじくり回して」
「え? だってここも汗でべたべたじゃない。綺麗にしとかないと」
「タオル使えよ。なんで指でシコシコしてるんだよ」
 気持ちいいじゃねーか。最後の言葉を辛うじて飲み込むと、啓一は自分への愛撫を始めた妹の姿を、赤い顔でじっと見守った。
 恵の手は啓一の袋を柔らかく包み込みながら、竿を下から上へと摩擦していく。
 その刺激に、すぐに彼の陰茎は上を向いてそそり立って、恵を喜ばせた。
「ホントは夕方も、してあげたかったんだけどね」
 へたり込んだ啓一の下半身に覆いかぶさり、ふわりと笑う。
「でもあのときは啓一、とっても苦しそうだったし、それにヒカルちゃんがいたから」
 清楚な妹が浮かべる妖艶な微笑みを前にして、啓一はごくりと唾を嚥下し、諦めたように息を吐いて白い寝床に倒れこんだ。
「うふっ、啓一の……いつもより熱い」
「てか、体中が熱いんだけど」
「じゃあ、もっと熱くしたげるね。お兄ちゃん」
 お兄ちゃんはやめろ。そう言おうとした啓一だったが、勃起した肉棒を恵の口にくわえ込まれ、低くうめくことしかできなかった。
 恵は兄の性器を口内に収め、多量の唾液を分泌しながら、舌で亀頭を撫で上げた。
 ぐちゅぐちゅと卑猥な音を立て、幸せそうな顔で口淫にふける。
 兄の弱い部分を知り尽くした恵の奉仕に、啓一は朦朧とした意識で、ただ喘ぐだけだった。
「んん、んふっ――啓一ぃ……」
 仰向けに寝転がっている啓一からは妹の顔が見えなかったが、きっと歓喜しているのだろう。
 濡れた唇で先端をすすられる感触に、彼の背筋が小さく震えた。
 たっぷり寝て汗もかき、容体は随分ましになってはいたが、それでもこのような行為に及べるほど体力が回復しているわけではない。
 しかし恵は、恍惚の表情で啓一の肉棒をしゃぶりながら、「大丈夫だよ、勃ってるんだからできるって」などと言って、彼を容赦なく責めたてた。
 何しろ体が実際に反応してしまっているのだから、啓一に反論の余地はない。
 ただ一刻も早く恵が満足して、彼を解放してくれるのを待つだけだ。
 唾と先走りの液体が恵の中で混じり合い、汁音をちゅぱちゅぱ響かせた。
 その生々しい音を子守唄代わりに聞きながら、啓一は静かに目を閉じた。
 確かな快感とかすかな安心感に包まれ、黙って恵の奉仕を受け入れる。
 カーテンの隙間からは、星も見えない黒い夜空が二人をじっと見下ろしていた。
 恵は袋を揉みしだきながら、唇をうねうね蠢かせ、竿を絶え間なく刺激した。
 口内に含んだ先端は舌先でつんつん突つく。いつものやり方だった。
「んんっ、ん、んむっ、んっ」
 小さな口いっぱいに啓一の男性器を頬張って艶然と笑う恵の姿を、普段の清楚な彼女を知る人間が見たら、さぞ開いた口が塞がらないだろう。
 しかもその相手が双子の兄、啓一となれば尚更だ。
 恵は啓一の体にのしかかり、日頃の大人しさからは想像もできない痴態を披露していた。
 じっと寝転がって天井を見上げる啓一が、寒気と快感に苛まれ、熱い息を一つ吐いた。
「あ――なんか、マジでやば……クラクラしてきた……」
 荒い吐息は風邪のせいか、それとも口淫のせいか。
 啓一は焦点の合わぬ瞳を虚空に向けて、舌を出してハアハア喘いでみせた。
 こちらはこちらで、普段の凛々しい彼に憧れる少女たちが目にすればその場で卒倒しかねないほど、官能的な表情である。
 特にヒカルなどがこの啓一の顔を目にしたら、どうなることか。
 互いに他人に見せられない姿をさらけ出しながら、二人はますます高ぶっていく。
「んんっ、ちゅっ、んっ。うふふ、啓一――そろそろだよね?」
「う、うう……」もはや啓一は、うなずくことさえできない。
「今日は飲んであげるから……啓一の熱いの、いっぱいちょうだい」
 天使の笑みでそう告げて、恵は思い切り啓一の先端を吸い上げた。
「ううっ、くっ!」
 啓一に残された生命が、白い奔流となって爆発した。
 浮かせた腰がピクピクと痙攣して、体の熱を股間から吐き出していく。
 その灼熱の塊は待ち構えていた口の中に、一滴残らず流し込まれた。
 恵は舌の上で啓一の精子を転がして味わい、小さくうなずいてから、こくんと喉を鳴らして飲み込んだ。
 変わらぬ笑顔で口を開き、濃厚な精の臭いを吐いて小さくつぶやく。
「やっぱり美味しいものじゃないわね。体調で味が変わるって聞いたけど、どうなのかしら」
 返事はない。啓一は性器をだらりと萎えさせ、目を閉じて動かない。気絶してしまったのかもしれない。
「今日はここまでか……おやすみ、啓一。早く治そうね」
 恵は再びタオルを手に取り、啓一の股間を綺麗に拭き取ると、真新しい寝巻きを着せ、その上からシーツをかけてやった。
 本当は続きもしたかったが、今の啓一の状態では難しいだろう。
 いつもなら、この火照った体にいくらでも注ぎ込んでくれるというのに。
 恵は啓一が早く良くなることを心の底から願い、部屋を出て行った。


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