水野兄妹観察日記 4

 それから何日か経った休日、ヒカルは啓一たちと映画を見に行くことになった。
 というのも、真理奈が見たい映画があると急に言い出して、そのお供に啓一とヒカルを呼び出したのである。
「啓一とうまくやれるように協力してやる」という言葉通り、真理奈はヒカルと啓一が接する機会を積極的に作ってくれるようだった。
 まだ啓一と知り合って日が浅いヒカルとしては、非常にありがたい話だ。
 しかし今回行動を共にするのはヒカルと啓一、真理奈だけではなく、そのことがヒカルにやや複雑な思いを抱かせることとなった。
 そう、啓一の双子の妹、水野恵もやってくるのだ。

 ヒカルが家で早めの昼食をとり、待ち合わせた駅前へと向かうと、真理奈は既に到着していて、いつもの勝気な笑みを浮かべてヒカルの服装を褒めてくれた。
「うん、まあまあじゃない。似合ってるわよ」
「どうも、ありがとうございまーす」
 パーカーもショートパンツもいつもの普段着で、もっと気合を入れてきた方がよかったかと多少は後悔していただけに、真理奈の言葉は嬉しかった。
 良くも悪くも、真理奈はあまり他人にお世辞を言うような性格ではない。
 彼女がそう言うのなら、今の格好がヒカルのイメージにぴったり合っているのだろう。
 その真理奈は、胸元が開いた真っ黒なワンピースに、鼠色のカーディガンを肩にかけるように着流していた。
 ヒールの高いブーツもそうだが、高校生としてはかなり派手な格好だ。
 だが持ち前の美貌とスタイルの良さ、貫禄でもってどんな服でも自在に着こなしてしなうのが、加藤真理奈という女であるらしい。
 ヒカルは羨望のこもった眼差しを真理奈に向けたが、自分ではとてもこの先輩のようにはなれそうにないと、思い知らされただけだった。
 それから啓一と恵がやってくるまでの間、ヒカルは真理奈と短い打ち合わせをおこなった。
「今日はできるだけあんたと啓一を二人っきりにしたげるわ。せっかくのチャンスなんだから、頑張ってあいつに自分をアピールすんのよ」
「はいっ、わかりました!」
 本日の面子は、ヒカルと真理奈と水野兄妹の四人だけ。
 真理奈が啓一の妹、恵の相手をしてくれれば、必然的にヒカルが啓一と接触する機会が増えることになる。
 真理奈に感謝しつつ、今日これからのことに思いを馳せるヒカルの目に、並んでこちらにやってくる啓一と恵の姿が映った。
 恵は啓一と手を繋ぎ、まるで騎士に先導される姫君のように微笑んでいた。
 相変わらずの仲の良さだが、それがヒカルの心にちくりと細い棘を刺した。
 真理奈はやってきた二人をにらみつけると、怒ったような声で言った。
「あんたたち、遅ーいっ! 可愛い女の子を待たせてるんだから、もうちょい早く来なさいよ !!」
「いや、時間にはきちんと間に合って――」
「言い訳なんて聞きたくないっ! ほら、とっとと行くわよ!」
 ひたすら自分のペースで事を進める真理奈に苦笑いし、ヒカルは啓一と恵に挨拶した。
 今日の恵は長袖のTシャツとベスト、膝丈のスカートという落ち着いた装いである。
 どれも彼女の清楚なイメージにはそれなりに適合しているのだが、大人っぽい、悪く言えばけばけばしい服装の真理奈と並ぶと、やや地味な印象は否めなかった。
 一方の啓一も平凡で目立たないジャケットとデニムパンツだが、彼が着ているのを見ると、どんな物でもふさわしいような気がしてくるから不思議だった。

 一行は電車に乗り込み、市の中心部へと足を運んだ。
 繁華街のデパートや映画館、ショッピングモールは多くの人で賑わっており、油断をすれば人ごみにさらわれて、迷子になってしまいそうだった。
 ようやく目的地の映画館に到着した四人は、次の上映が始まる時間までさして長くもない待ち時間を、和気藹々として過ごした。
 真理奈が小さなバケツほどもありそうな大きさのポップコーンの容器を、楽しそうにヒカルたちに見せびらかしたり、パンフレットを広げて俳優の批評をしたりと、和やかな雰囲気を作ってくれたので、ヒカルも啓一と打ち解けて話すことができた。
「でも真理奈センパイ、なんでこの映画なんですか?」
 今さらといえば今さらの質問だった。
 真理奈が今回選んだのは、情熱的な恋愛映画ではなく、キャラクターが可愛らしい子供向けアニメでもなく、ホラーとアクションを足して二で割ったようなSF映画だったのだ。
 ヒカルは視覚的な理由からあまりこの手の話は好きではなく、たまにテレビで放送されていてもほとんど見ないことにしている。
 真理奈の見かけからいって派手な爆発や銃撃戦はとにかく、ホラーシーンには悲鳴をあげて大騒ぎしそうなイメージがあるのだが、こういう宇宙人だか怪物だかよくわからない不気味な生物が出てくる映画を好むのは、意外なことのようにヒカルには思えた。
 そう指摘すると、真理奈は大きな声で笑った。
「そう? あたしはグロいの、結構好きよ? ジュルジュルとかグチュグチュとか不気味なのも、あれはあれでいいもんじゃない」
「はあ、ジュルジュル……よくわかんない言い方ですねえ……」
 それに、と言って真理奈は声を小さくした。
「こういうのを見るときは、怖い怖いって、隣の男にしがみつくのがパターンでしょ? せっかくあんた、あいつの横に座ってるんだからさ。しっかりやりなさいよ」
「ああ、そういうことですか」
 席は真理奈、ヒカル、啓一、恵の順に並んでいた。
 すぐ隣に啓一が座っているというこの状況、確かに利用しない手はない。
 ヒカルは、隣席の啓一の顔をちらりとのぞき見た。
「どうかした? ヒカルちゃん」
「いいえ、何でもないです」
 映画が始まったら、こっそり啓一と手を繋ごう。
 暗闇の中であることだし、いつもよりもっと大胆になってもいいかもしれない。
 そんなことを考えている間に上映を告げる放送が流れ、辺りに闇が落ちた。
 映画の内容そのものは至極どうでもよく、映画館を出た頃にはもう記憶の彼方に消し飛ばしてしまっていたが、啓一と一緒に、隣同士の席で鑑賞できたことに、ヒカルは充分に満足していた。
 啓一の手を握って肩を並べ、同じものを見上げていると、すぐ近くにいるはずの真理奈も恵も消え失せ、まるで二人きりになったような心地よい幸福感を味わえた。
 啓一は何も言わなかったが、ヒカルの手を振り払わなかったところを見ると、どうやら嫌ではなかったようだ。
 啓一の手はスポーツマンらしく硬く大きく、しかし温かかった。
 この手を自分だけのものにできたら。この手が自分の背中を優しく撫でてくれたら。
 いや、それ以上の行為でさえ、今のヒカルなら喜んで受け入れるだろう。
 抱きしめられ、押し倒され、花園の中で啓一と契りを交わすヒカル。
 暴走を始めたヒカルの妄想は、際限なくエスカレートしていった。
「落ち着け、お前は」と、いつも親友の夏樹に諭される所以である。

 映画館を出てからも、幹事役の真理奈はヒカルたちの行動を仕切り続けた。
「せっかく来たんだから、あんたたち、あたしの買い物につき合ってよ」
「はあ、いいですけども」
 ブティックに入って品定めをする真理奈の姿は堂々としていて、妙にさまになっていた。
 しかもその隣にいるのは学校でも評判の美少女、恵である。
 ヒカルもその隣に並んではみたものの、いつも化粧っ気がなく、あまり流行も意識しない自分の姿が鏡に映るのを見ると、どうしても場違いな気がしてならなかった。
 何となくいたたまれなくなって、ヒカルは辺りを見回して啓一の姿を探した。
「啓一センパ〜イ、どこですかあ?」
 啓一は店の外で何をするでもなく大人しく三人を待っていて、ヒカルがそばに駆け寄ると、優しい顔で笑いかけてきた。
「どうかした? ヒカルちゃん」
「あ、いや、その――」
 美人の先輩二人と一緒にいるのに気後れして、逃げてきたなどとはさすがに言えない。
 ヒカルはその場の思いつきで、啓一をすぐ近くの本屋に誘い出した。
 啓一と腕を組んで本棚の間をうろつき回り、ヒカルは終始ご満悦だった。
 あまり勉強に熱心でない彼女のこと、普段から読む本といえば雑誌くらいのものだったが、啓一と一緒に文庫本や新書の棚を見て回り、戯れに一冊ずつ手にとってはひと言ふた言のコメントを添えてまた棚に戻す、という他愛の無い作業を繰り返した。
「なんかこの辺、推理小説ばっかりですねえ。よくもまあこんなにトリックのネタがあるもんです。考えるの大変でしょうね」
「そうだね。でもやっぱり、いい話はすごく作り込まれてるよ。俺はトリックより、雰囲気とかキャラクターがよくできてる話の方が好きだけど」
「へー。啓一センパイって普段、こういう本読むんですか?」
 学業に優れ思慮深いこの少年は、いつもどんな本に目を通しているのだろう。
 その質問に啓一は顎に指をあて、わずかに考えてから答えた。
「んー、俺はけっこう、何でも読むよ。推理ものとか恋愛話とか、あと勉強の本とかも。古本屋で文庫本を買いあさったり、好きな作家の新作はいつもチェックしてたり。でも新書より文庫のが好きかな。安いし、かさ張らないから」
「そうなんですか。できる人はやっぱ違いますねえ。尊敬します」
「ヒカルちゃんは普段、何か読まないの?」
「あはは、あたしは活字が苦手なんで……。マンガとかなら読むんですけど……」
 ヒカルは恥ずかしさに赤面するしかなかった。
 啓一はそばにあった文庫本を一冊手にとり、ヒカルに言った。
「じゃあ、これとかどう? 高校生が主人公の短編集で、けっこう読みやすそうだけど」
「はあ、そうですねえ……。確かに長い話より、サクサク読める短いのの方が……」
「買ってあげるから、試しに読んでごらん。面白くなかったら俺が読むから」
「はあ」
 なぜか啓一にその本を買ってもらうことになってしまった。
 しかし本というのは、人によって好みがまったく違う。
 まして普段ほとんど読書をしないヒカルが、いくら啓一にもらうものとはいえ、好きでもない本を丸々一冊読み終えることができるものだろうか。
 だがヒカルは日常、自分で本を買うことがほとんどないため、こんな機会でもないとまともに本を読むことはないだろう。
「たまには本くらい読め。そんなだから頭が悪いんだぞ」という、夏樹の無礼千万な台詞が脳裏をよぎった。
 だが夏樹の言葉はとにかく、こうして啓一と本屋の棚の間を歩き、本を買ってもらうというのも、確かに悪くないことかもしれない。
 ヒカルはレジから戻ってきた啓一からカバーのついた文庫本を受け取り、丁重に礼を言った。
 帰ったら久しぶりに読書をしよう、などと殊勝なことを考えながら。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 啓一を連れ出すヒカルの姿は、真理奈と恵の目にもはっきりと映っていた。
 商品のペンダントを手でもてあそびながら、真理奈が言った。
「ふふ、ヒカルも頑張ってるじゃない。いちいちあたしが言わなくても、ちゃんと動いてる」
「加藤さん、どういうつもり? ヒカルちゃんをけしかけたりなんかして……」
 恵は訝しげな顔だった。
 無理もない。今日顔を合わせてから、ヒカルはずっと啓一のことしか見ていなかった。
 真理奈もそんな後輩を止めるどころか、そそのかすような態度ばかりとり続けていたのだ。
 眉をひそめる恵に、真理奈はけろりとして言った。
「どういうつもりって、あたしはただ後輩のささやかな恋を応援してるだけよ。いい人よねー、あたし」
「もうやめて、ヒカルちゃんが可哀想よ。あの子、何も知らないのに」
「ヒカルって絶対、走り出したら周りが見えなくなるタイプよね。よりによって啓一を選んだのは不幸というか、なんというか……」
「わかってるなら、早くやめさせて」
「ていうかあたしは最初、止めたのよ? 啓一は絶対あんたには振り向かないって言ったのに、なんかヒカル、ムキになっちゃってさ。仕方ないから協力してやってるけど」
 仕方が無いとは言いながら、真理奈の顔は楽しげな笑みを形作り、この喜劇めいたトラブルを歓迎しているようだった。
 いつものことだ。常に騒動を起こさないと気が済まない、困った性格の加藤真理奈は、厄介なトラブルメーカーとして周囲から忌諱されている。
 にやにや笑って傍観を決め込む真理奈に、恵は嘆息するしかなかった。
 そんな恵を見やる真理奈は、どこまでも満足そうだ。
「あんたヒカルに同情するくらいなら、啓一とあの子がつき合うの許してやったら? 妹のくせに兄貴を独占して、みっともないわよ」
「それはできないわ」
 妙にはっきりと言い切る恵の声に、今度は真理奈が息を吐いた。
「はあ……。やっぱりそういう答えになっちゃうのよねえ、あんたってば。そんなに自分の兄貴を縛りつけておきたいわけ?」
「縛りつけてなんかない。加藤さん、いい加減にして」
 強い口調と鋭い眼差しで真理奈をにらみつける恵の姿からは、普段の彼女にはない意思の強さが感じられた。
 真理奈はそれを見て、「怒った怒った、おー怖い」と緊張感のない仕草で肩をすくめた。
「まあ、今はヒカルにいい思いをさせてやりなさい。どーせ今だけなんだから」
「……加藤さんって、ホントにひどい人ね」
「あれ、今さらそんなこと言うの? とっくにわかってると思ってた」
 真理奈は舌を出して笑った。
 そこへにこにこ顔のヒカルが、啓一を連れて戻ってきた。
「ヒカル、どこ行ってたの?」
「あ、はい。啓一センパイと、ちょっとそこの本屋さんに。本買ってもらっちゃったんで、頑張って読むつもりです」
「へえ〜、本ねえ。しっかしまあ、色気のないプレゼントだこと……」
 そう言った真理奈も、読書とは無縁の人間である。
 二人してクスクス笑う啓一と恵を、真理奈は怒鳴りつけた。
「ちょっとそこの二人っ! 何笑ってんのよ!」
「いや、何でもないよ。加藤さん」
「いーや! 今あんたたち、絶対あたしをバカにしてたっ! 兄妹揃ってムカツクやつらね! 罰としてあたしになんか奢りなさい!」
 その会話がおかしくて、ヒカルもつい笑ってしまった。
 それから四人は、混雑した喫茶店のテーブルを囲んだり、ゲームセンターに立ち寄ったりと、平和で穏やかな午後を満喫した。

 日が沈む頃、一行は駅で解散することにした。
 ヒカルは三人の先輩たちに頭を下げ、明るい笑顔で別れを告げた。
「じゃあ、あたし帰ります。今日はホントに楽しかったです。真理奈センパイ、呼んでくれてどうもありがとうございました。さよなら啓一センパイ、恵センパイ。また学校で」
「お疲れヒカルー。じゃあ、あたしもこの辺で。じゃね♪」
「うん。じゃあね、ヒカルちゃん。加藤さん」
 二人と別れた啓一と恵は、肩を並べて家路についた。
 冷たい北風が、闇の落ちた空からひゅうひゅう吹き降りてくる。
「啓一、今日はお疲れ様」白い息を吐きながら、恵が啓一に言った。
「いや、楽しかったよ。加藤さんに振り回された気もするけどな」
「ヒカルちゃんも楽しそうだったね」
「ああ、そうだな」
 そこで会話が止まり、二人の息と足音だけが夕闇に響く。
 不意に啓一の携帯が震え、メールの着信を知らせてきた。
「メール? 誰から?」
「えーと……なんだ、知らないアドレスだな」
 啓一も恵も学校では注目の的であり、日頃から携帯の番号やメールアドレスの管理には苦労している。
 油断していると、知らない人間からの連絡がひっきり無しにやってくるのだ。
 ここ最近はご無沙汰だったが、またそれが始まったのかもしれない。
 啓一は怪訝な顔で携帯の画面をのぞき込んでいたが、やがて小さくつぶやいた。
「ヒカルちゃんからだった。自分のアドレス、登録しといてくれって」
「そう、ヒカルちゃんが。連絡先、誰から聞いたのかしら」
「そんなの加藤さんに決まってるだろ。他にいないって」
「はあ……。ホントに困ったわね、ヒカルちゃん。これからもっとすごくなりそう」
「優しくしすぎたのかな。でも、突き放すのも難しいしなあ」
「本当にどうしようかしら。困ったわね……」
 二人はまったく同じ、憂いを含んだ表情でため息をついた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 その夜、ヒカルは上機嫌でベッドに潜り込んでいた。
 二人きりではなかったものの、啓一とのデートはとても楽しかった。
 さらに真理奈から彼の携帯の番号及びメールアドレスを教えてもらったこともあり、急に啓一と親密になったようないい気分にひたっていたのだった。
「啓一センパイ……近いうちにきっと、振り向かせてみせますからね」
 枕に顔を押しつけて、独り言を漏らす。
 出会って以来、啓一はヒカルにとって理想の男性であり続けていた。
 もちろん人間である以上、全てが完璧であるはずはないが、啓一は少なくともヒカルが今まで見てきた中で、一番完璧に近い存在だった。
 あえて欠点を挙げるとすれば、あの妹とよく一緒にいることだろうか。
 啓一と血を分けた双子の妹、水野恵は、まるで頭の中身まで全てを二人で平等に分け合ったかのように、何もかもが啓一と似通っていた。
 啓一と同等の頭脳を持っていて、啓一に劣らぬ美しい容姿を所有していて、そして啓一と同じく真面目で温厚、人望も厚い。啓一との違いは性別だけと言っていい。
 何よりあの兄妹が身にまとっている、どこか浮世離れした雰囲気は、他の人間には決して見られないものだった。
 啓一と恵に好意を抱く人間は、ひょっとしたら二人の外見や評判にではなく、彼らが放つ神秘的なオーラに魅了されるのかもしれない。
 もっともヒカルにとって大事なのは啓一だけで、恵の方は彼のおまけでしかなかったが。
 ヒカルは寝床の中で、誰にともなくつぶやいた。
「真理奈センパイはああ言ってたけど……あの二人、ホントにつき合ってるのかなあ。なんか見た感じ、あんまりラブラブって雰囲気じゃないんだけど……」
 実の兄妹でそのような関係にあるということ自体、ヒカルには理解できないことだった。
 いくら自分とそっくりの異性といっても、いや自分と似ていれば似ているほど、ますます相手を恋愛の対象として見れなくなってしまうのではないだろうか。
 ヒカルには中学生の妹が一人いるが、男兄弟はいない。
 もし自分にも兄か弟がいたら、あの二人の気持ちが少しはわかるのかもしれないが、いくら空想の兄弟を思い浮かべようとしても、さっぱりイメージが沸いてこなかった。
 その代わりにヒカルの頭の中に浮かんできたのは、啓一の姿である。
「センパイ……啓一センパイ……」
 ヒカルは啓一の名を呪文のように口ずさみながら、手をパジャマの中に突っ込み、下着の上から自分の局部にそっと触れた。
 じんわりと熱を持ち始めた陰部が、布越しの湿り気を指に伝えてくる。
 普段は慌て者で子供っぽいヒカルだが、やはり年頃の健康な少女には違いなく、夜、自分で自分を慰めることがしばしばあった。
 特に最近は恋に熱中していることもあって、その頻度は増えつつある。
 啓一を想って体を火照らせたヒカルは、のそのそと寝床から這い出すと、タンスの中から使い古しのタオルを取り出し、ベッドの上に広げた。
 そしてパジャマをはだけ、下を脱ぎ、おもむろに行為を始める。
 脳裏に思い浮かべた相手は、言うまでもなく啓一だった。
「センパイ……」
「ヒカルちゃん、綺麗だよ」
 イメージの中で実物よりもさらに美化された啓一が、半裸のヒカルに囁いた。
 仰向けに寝転がったヒカルに覆いかぶさり、彼女を優しく包み込んでくる。
 啓一はヒカルのブラジャーの中に指を侵入させ、乳房の手触りに喜んだ。
「脱がしていい? ヒカルちゃん」
「はい、センパイ」
 ヒカルはホックを外して布地をずらし、啓一に続きを促した。
 もちろん乳首をコリコリと刺激するのは自分の指なのだが、ヒカルの脳内では自分と二人っきりの時を過ごす啓一の手が、彼女の胸を直に愛撫しているのだ。
 ヒカルの顔が耳まで染まり、唇の隙間から吐息が漏れた。
「あっ、ああ……。セ、センパっ……!」
「ヒカルちゃん、恥ずかしがりやなんだね。とっても可愛いよ」
「ああ――そ、そんなこと……」
 幻の啓一はヒカルのブラジャーを剥ぎ取って、つんと上向いた乳首に舌を這わせている。
 色の薄いつぼみを口に含んで丁寧に吸い上げるさまが、まるで赤子のようだった。
 ヒカルは涙目になって喘ぎ、ひたすらに甘い声をあげた。
「センパイ……あたしのおっぱい、そんなに吸わないで……」
「白くて綺麗なおっぱいだね。ミルクは出ないのかな?」
 啓一はくすくす笑うと、硬くなったヒカルの乳首を噛んだ。
 大して力を入れていないはずなのに、その刺激にヒカルの体が大きく跳ねる。
「やだあ……。センパイ、噛んじゃだめぇ……」
「ふふっ、ごめんよ。ヒカルちゃんがあんまりにも可愛くて、意地悪しちゃった」
 普段は決して目にすることのない、悪戯っぽい啓一の表情。
 それがヒカルの脳内から網膜を通じ、面前に投影されている。
 際限無く繰り広げられるヒカルの妄想は、まだまだ終わりそうにない。
 ヒカルは自分だけの啓一と戯れながら、はいていたショーツをずり下ろした。
 もはや我慢もろくにできず、中指を陰毛の茂みに沿わせ、激しく割れ目を撫で上げる。
 既に濡れ始めていた陰部は自らの愛撫にますます興奮をかきたてられ、淫らな蜜を次から次へと分泌していった。
「セ、センパイ……! 啓一、さんっ……!」
「ヒカルちゃんのここ、もうびしょびしょだよ。ほら」
 啓一はヒカルの秘所から熱い液体をすくい取り、ヒカルに突きつけた。
 卑しい汁に濡れて薄闇の中で光る啓一の指は、本物のように生々しい。
「ヒカルちゃんがこんなにエッチな子だったなんて思わなかった。これはお仕置きしないといけないかな?」
「ひっ、ひいぃ――センパイ、ごめんなさいぃ……!」
「ほら、向き変えて」
 啓一はヒカルの細い体をかかえ、うつ伏せの格好にした。
 言うまでもなくヒカルが自らの意思でそうしたのであるが、今のヒカルの頭の中は、これから自分がどのように啓一に責めたてられるのかという期待と興奮で一杯だった。
 四つんばいの屈辱的な姿勢にされ、ヒカルの尻は啓一に丸見えだ。
 啓一は楽しそうに笑い、ヒカルの性器から肛門にかけてゆっくり撫で回していく。
 ヒカルの背筋がゾクゾク震え、吐息が唾と共に吐き出された。
「ひゃあんっ! それ、ダメですぅ……!」
 愛しい啓一の姿を想像しながら、必死で自分自身を慰めるヒカル。
 啓一の声、啓一の手の感触、そしてその息遣いまでもが、彼女にとっては本物と寸分違わぬものに感じられた。
 分厚い壁でよかった。隣の部屋の妹に声を聞かれずに済む。ヒカルに残された理性の欠片が、思考の隅でそうつぶやいた。
 夜の薄明かりの中、啓一はヒカルの下半身に顔を寄せ、白い肉にうずもれた。
 クンクンと彼女の匂いを確かめ、汁を垂らした陰部に舌を這わせる。
 その一挙動ごとにヒカルは羞恥の声をあげ、涙を流して許しを乞うた。
「ヒカルちゃんのここ、すごいよ。いくらなめても溢れてくる」
「やあ――あっ、あああ……やああ……」
 ヒカルは枕に顔を押しつけ、いやいやと首を振ったが、啓一はやめはしない。
 それも当然、この啓一はヒカルの思うがままに動き、ヒカルの望むことしかしない妄想の産物だからだ。だからヒカルが望む限り、ヒカルの欲望通りに、いくらでも彼女を責めたててくれる。
 その幻影の啓一は、今度はヒカルの性器に指を突き入れ、前後に抜き差しし始めた。
 ぬぷぬぷと汁の絡む音が部屋に響き、ヒカルの興奮を煽り立てた。
「ヒカルちゃんの中、熱いね。ヤケドしちゃいそうだ」
「んっ、んああっ! あっ、ああっ、あんっ!」
 這いつくばったヒカルが自分の股間に指を差し入れ、熱い性器をかき回す。
 いまだ生娘ではあるが、じゅるじゅる愛液の滴る膣内は適度にこなれ、中と外とを往復する指の動きも、実にスムーズなものになっていた。
「ん、締めつけがきつくなったよ。感じてるのかい?」
「はいっ、はいぃっ、すごいですうっ……!」
 処女の入口から肉汁が溢れ、指や腿に滴りながら、タオルに落ちて吸い取られていく。
 ヒカルは尻を高く持ち上げて、陰部の突起に指を伸ばした。
 興奮しきったそこははっきり見て取れるほどに肥大し、肉びらを広げている。
 もどかしさとむず痒さに苛まれながらその豆に恐る恐る触れると、体全体が痙攣した。
「ひああっ !! あ、ああっ、ああ――」
 性感が高ぶるあまり、自分を抑え切れない。
 もう一度姿勢を戻し、ヒカルはまた仰向けになった。そしてブルブル震える右手を股間に、ブラジャーのずれた乳房に左手を這わせる。
「あっ、セ、センパイっ」
 妄想の中で、啓一はヒカルの体に寄り添うように寝転がり、いつもの優しい笑みを顔に浮かべて、彼女の性器に手を伸ばしていた。
「ヒカルちゃん、ヒカルちゃん……」
「センパイ、センパイぃぃ……!」
 啓一の空いた腕がヒカルの上体をかかえ上げ、顔を自分に向けさせる。
 どうするつもりかと思う間もなく、そのまま唇を重ねてきた。
 もはや思考能力の大部分を失ったヒカルは、啓一のなすがままだ。
 啓一の舌がヒカルの唇をこじ開け、誰も侵したことのない彼女の口内を貪っていく。
「んっ、んんっ……! んぶうっ!」
 互いの鼻息が混じり合う、これ以上なく近い距離。
 初めてのディープキスにヒカルは抗うこともできず、啓一の唾液を味わうしかない。
 その間にもヒカルの指は、充血した自身の陰核に絶え間なく刺激を与え続けていた。
 鋭角的な痛み、焼けた鉄の棒で突き刺されるような苦痛が、脳に悲鳴をあげさせる。
「はうっ! はあっ、んっ、んああっ! はああぁんっ!」
 自分が遠いところに行ってしまい、もう戻ってこれなくなりそうな恐怖さえ覚える。
 しかしその恐怖さえ、理性と共に快楽の波にさらわれて消え去ってしまう。
 絶頂の高みにたどり着いたヒカルの体は貝のように縮こまり、啓一の名を呼びながら、何度も何度も全身を引きつらせた。
「ひゃんっ! セ、センパっ、センパイぃっ !!」
「そろそろイっていいよ、ヒカルちゃん」
「あっ、あっ! ああああっ……!」
 膣の内部が雄を、啓一を求めて収縮する。それがヒカルの終着点だった。
 頭の中に電撃が迸り、理性が焼き切れるほどの快感に覆いつくされる。
 極致に到達したヒカルはぐったり横たわって、荒い息を吐き続けた。
「はあ、はあっ、はあ、はああ……」
 高圧電流を流されるのにも似た、びりびりした刺激の余韻が体を包み込む。
 何も考えられない状態のままヒカルは天井を見上げ、疲労と虚脱感とに酔いしれた。
 ベッドに敷いたタオルはぐっしょり濡れており、ヒカルの自慰の激しさを物語っていた。
 まるで体内にたまっていた欲望を全て吐き出してしまったかのようだ。
 間もなく疲労は眠気に変わり、ヒカルを今宵の夢へといざなうのだろう。
 ヒカルは火照った体を寝巻きにくるみ、呼吸を整えながら目を閉じた。
「ふう、啓一センパイ……」
 現実の啓一は、いつ自分の体を求めてくるのだろうか。
 ヒカルはそれを切望しながら霧のかかった頭を枕に預け、霞む思考を手放した。


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