剥ぎ取り彼女

「はあ……」
 沢村健太は暗い顔でため息をついた。自席に戻る彼の手には、返却されたばかりの期末試験の答案用紙が握られていた。
 点数は悪くない。むしろ、今回はかなり健闘したと言える。机の中から答案用紙の束を取り出し、平均点を計算すると、前回の中間試験をやや上回っていた。
 成績は決して悪くない。しかし、健太は唇を噛み締めて悔しさを表した。
「やっぱり駄目だったか……これじゃ足りねえ」
「健太君、いかがでした?」
 背後から声をかけられ、健太は振り返る。
「八十六。麗華は?」
「私は満点でした」
「百点? マジかよ……これじゃ勝てねえとは思ったが」
 健太は半ばうめきつつ、傍らに立つ少女を見上げた。確かに彼女が示した答案用紙には、無数の赤い丸と百の字が記されていた。
 完敗だった。試験の前から半ばわかっていたこととはいえ、結果は無残としかいいようがない。全ての科目で健太は相手を上回ることができなかった。
 自らの敗北を悟り、健太は力なく椅子にもたれかかった。窓から見える夏の青空には雲ひとつなかった。
「情けねえ……あれだけ勉強して、このざまかよ」
「いいえ、そんなことありません。健太君はとても頑張っていました。成績だって上がったでしょう?」
「お前に勝てなきゃ意味ねえだろうが……」
 震える声で言いながら、目の前の少女と自分との、あまりにも大きな力量の差を自覚する。互いの答案用紙を眺めていると、いくら凡人が努力したところで天才には決して敵わないのだと思い知らされる。
「ねえ、聞いた? 嘉門院さん、百点だったんだって」
「どうせ、また学年トップでしょ。さすが、完璧お嬢様は私たちとは違うわねえ」
 遠巻きに二人を見ていたクラスメイトたちが、そんな声を漏らした。それに引きかえ隣の男は情けない、と嘲笑されているような気がした。
「こら、静かにしろ! 答案を受け取ってない者はいないか? これから試験の解説を始めるから、黙って席につけ。特に点数が悪かったやつはよく聞いておけよ!」
 厳しいことで評判の男性教師が、黒板を手のひらで叩いて怒鳴り散らした。それまで騒いでいた生徒たちが、しぶしぶ席に戻っていく。少女も「それじゃ健太君、またあとで」と言って健太から離れていった。
(俺、いつになったらあいつに勝てるようになるんだろう……)
 じっとうつむき、試験問題と答案を見比べる。教師の話などまるで耳に入ってこなかった。どうしたらこの試験で満点が取れようになるだろうかと思案しながら、健太は重くのしかかるような敗北感にただ耐えるしかなかった。

 嘉門院麗華は、ひとことで言って完璧だった。
 高校での成績は不動の一位。全国模試でも上位成績者の常連である。趣味はピアノとテニスで、いずれも高校生とは思えない腕前だ。また大変な資産家の令嬢で、欧州の貴族の血を引いているという。そのためか髪は日本人離れした黄金色で、すらりとした長い脚と色白の肌、繊細な顔立ちも周囲の目を引く。細身でありながら豊かなバストを誇っているため、体操着やテニスウェアに着替えると、遠目からでも彼女を見ようと双眼鏡を取り出す生徒があとを絶たない。
 そのうえ気性も穏やかだった。人当たりがよく、困っている者を見れば手を差し伸べずにはいられない性格である。それゆえ誰もが憧れ、嫉妬せずにはいられない存在だというのに、人望にさえ恵まれていた。
 健太が交際している嘉門院麗華は、そんな女なのである。
「はあ……また負けちまったか」
 帰り道、健太は麗華と肩を並べて歩きながら、何度も嘆息していた。
「元気を出して下さい。また次のテストを頑張ったらいいじゃありませんか」
「そうやって、いつもいつも同じことを言われてるんだが……」
 追いつきたいと思っている相手に慰められるのは、健太でなくとも屈辱だろう。試験のたびに麗華に勝負を挑んでいるのだが、今まで勝ったためしがない。敗北してはこうして同じ会話を繰り返し、健太の面子は丸つぶれだった。
(俺も何か一つくらい、麗華と張り合えるものが欲しいんだけどな……)
 家柄がいいわけでも、体格や容貌、才能に恵まれているわけでもない健太にとって、麗華と交際するのは大変な苦労を強いられることだった。麗華に見惚れた人間は、皆、彼女の交際相手である健太を見ると決まって失望、もしくは憤慨するのである。「なぜ、あんなやつが麗華の彼氏なんだ」と。
 我がことながら、健太もしばしば疑問に思うことがある。なぜ自分のような平凡な男が、麗華の恋人でいられるのだろうかと。それも、交際を申し込んできたのは麗華の方である。
「私、健太君のことが好きです。小さい頃からずっと好きでした」
 高校に入ったばかりの頃、麗華に校舎の裏に呼び出されてそう言われたとき、健太は思わず自分の頬をつねり、これは夢ではないかと疑ったものである。いくら幼馴染みで仲のいい友人とはいえ、麗華が自分に惚れているなどと、簡単に信じられることではなかった。
 それからは努力の毎日だった。勉学もスポーツもそれまでとは比較にならないほど精を出し、麗華と釣り合う男になるために必死だった。少しでも自分を引き上げ、見劣りしない人間になりたかった。麗華は「無理なさらずとも、どうかそのままの健太君でいて下さい」と言ってくれるものの、その言葉に甘えていいとは思わなかった。
 だが、現実は非情だった。いくら健太が努力したところで、勉強でもテニスでも芸術でも、何ひとつ麗華には敵わなかった。挑戦するたびに打ちのめされ、己の無力を痛感するだけだった。
「はあ……」
「健太君、今日はうちで一緒にお昼を召し上がりませんか? せっかくテストが終わったのですから、ぜひ」
 落ち込む健太を見かねたのか、麗華は彼の手を取り、学校からほど近い自宅へと誘う。高校に入ったのを機に、この近くの高級マンションに自分の住まいを用意してもらったのだ(無論、一人暮らしではなくお付きのメイドと一緒である)。名門の私立でなく健太と同じ公立高校に進学したり、健太と交際を宣言したりしても、麗華の両親は何も文句を言わなかった。娘を信頼しているということもあるだろうが、末っ子ということで、資産家の令嬢にしてはかなりの自由が許されているらしい。
「いや、悪いけどやめとくよ。今日は早く帰ってこいって親に言われてるんだ」
 健太は嘘をついた。本当は、単に試験の成績で麗華に及ばず、悔しい思いをしたからだった。
「そうですか……残念です」
「ごめん、また今度お邪魔するから。メイドの秀美さんによろしく言っといてくれよ」
「はい、わかりました。それじゃ、また明日」
 麗華は笑顔で手を振り、健太に別れを告げた。健太も恋人に手を振り返し、ひとり駅へと歩き出す。麗華の姿が見えなくなると、自分の器の小ささに、またしてもため息が漏れた。
「はあ……俺、情けねえ……」
「お困りですね、お兄さん」
「あん?」
 不意にかけられた声に顔を上げると、通りの隅に男がひとり座っていた。夏の真っ昼間だというのに、暑苦しい黒のローブで全身を覆っている。男の前には四角いテーブルと椅子、「あなたの運勢、拝見します」と書かれた看板が置かれていた。どうやら占い師のようだ。
「僕は人の運命を見ることを生業にしていましてね。いかがです? あなたのお悩みを解決する方法を授けて差し上げますよ。なに、今ならお安くしておきますとも」
「何を言ってやがる。俺は占いなんて信じねえぞ、馬鹿馬鹿しい」
 健太は吐き捨てた。怪しげな占い師にアドバイスされただけで、あの完璧超人の麗華に太刀打ちできるはずがない。「急いでるんだ。じゃあな」と、その場を離れようとした。
「恋人と釣り合う男になりたいんでしょう? だったら、ひとの話に耳を傾ける度量も必要じゃありませんか」
「何だって?」
 健太は足を止めた。何もかもを知っているような男の言い回しが気になったのだ。占い師はそんな健太の内心を知ってか知らずか、ローブの袖から細い腕を出して手招きしてくる。
「さあ、こちらにお座り下さい。もし僕の言うことがお気に召さなかったら、料金はいただきませんよ」
「お前、いったい何なんだ。すっげえ胡散臭いんだが……まあ、話だけは聞いてやるか」
 健太は荷物を脇に置いて、占い師の正面に腰を下ろす。とても信用できそうな風体ではないが、健太はなぜか男の言動を無視することができなかった。
「まずは自己紹介とまいりましょうか。僕はカトー、さすらいの占い師です」
「カトーか……それで、お前は俺にいったい何を教えてくれるんだ?」
「もちろん、あなたが嘉門院麗華にふさわしい男になる方法ですとも」
「お前……なんで麗華の名前を知ってるんだ。それも占いでわかったのか?」
「もちろん。僕は何でもお見通しなんですよ、沢村健太さん」
 驚く健太に、カトーと名乗る占い師はくすくすと笑いかけた。黒いローブのフードに覆われているため顔の下半分しか見えないが、意外と若いのかもしれない。口調も声も、男というよりは健太とそう歳の変わらない少年のもののように思えた。
「なるほど。何でもお見通しってわけか……」
 健太は内心の動揺を押し隠し、腕組みしてカトーをにらみつけた。「なら、率直に訊くぞ。いったい俺はどうしたらいいと思う? どうしたらあいつに釣り合うような男になれる……」
「お任せ下さい。僕は何でも存じております。この僕の力で、きっと彼女をあなたと釣り合うようにして差し上げますとも」
 カトーはにんまりと笑みを浮かべた。占い師というよりは、詐欺師のようだと健太は思った。こんな胡散臭い相手の言うことを真に受けていいのだろうか。訝しがる健太に、カトーは軽薄な口調で話を続けた。
「もちろん、今すぐにというわけにはいきません。あなたの望みを実現するためには、あなたと麗華さんのご協力が必要ですからね」
「俺と、麗華の?」
「ええ、そうです。恋人のあなたが頼めば、彼女も協力して下さるでしょう。何しろ、あなたのためなんですから」
「いったい、俺たちに何をさせる気なんだ?」
 健太の問いに、カトーはしばらく無言だった。不敵に笑う謎の占い師に疑念を抱きつつも、健太は席を蹴って立ち去ろうとはしない。日頃の彼ならばこんな怪人の言うことなど気にも留めないはずだが、今の健太は違った。まるで悪魔に魅入られたかのように、体が動こうとしない。自分でも不思議だった。
 やがて、カトーが再び口を開き、話を始めた。健太はその話に大人しく耳を傾け、話の終わりに、深々とうなずいたのだった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 麗華の細い指が鍵盤の上を躍る。それ自身が一つの美術品であるかのような形のいい少女の手が、勇壮で複雑なメロディを奏でていた。
 何度か聴いたことのある曲だが、タイトルは覚えていない。ただ、それが極めて高度なテクニックを要求される曲だということは、健太もよく知っていた。
 優雅に、かつ楽しそうにピアノを弾く恋人の横顔から、健太は目が離せない。
 ほどなくして曲はクラスマックスを迎え、華やかに終わりを告げた。無事に演奏を終えた麗華は小さく息を吐くと、健太に視線を向けた。
「いかがでした? 健太君」
「ああ、とってもよかったよ。やっぱり麗華のピアノは最高だな」
「そ、そんなことありません。ところどころミスをしてしまいましたから……」
 頬を赤くして、恥ずかしそうに微笑む女神のような美貌が、健太の心をかき乱す。思わず抱きしめてしまいそうになったが、ここは校内である。すんでのところで踏みとどまった。
「ところで……今日は、この教室は誰も使わないのですか?」
「ああ、吹奏楽部は今日は休みだからな。先生に頼んで鍵をもらってきた」
 室内を見回す麗華に、健太はそう答えた。
 二人が今いるのは高校の音楽室だ。試験が終わって部活動が活発になる中、健太はたまたま空いていた音楽室を確保し、放課後に麗華を呼び出したのだ。
その目的は、先日の一件に関わることである。
(あのカトーとかいう占い師、確かに来るって言ってたけど……でも、本当に学校までやってくるんだろうか。
 そもそも部外者だから、校内に入れないんじゃないか)
 健太の懸念をよそに、音をたてて音楽室のドアが開いた。
 二人の前に現れたのは、漆黒のローブで全身を覆った、あの怪しげな占い師だった。
「やあ。お約束通り参上しましたよ、沢村健太さん」
「お前、その格好で来たのか? よくつまみ出されなかったな」
 不審者もしくは変質者にしか見えないカトーの格好に、健太は呆れかえった。
「健太君、そちらはどなたですか?」
「ああ、俺の知り合いの占い師だよ。ちょっと用があるんで来てもらったんだ」
 不思議がる麗華に、健太は簡単に紹介してやった。
 すると麗華は身構えるでもなく、「そうなのですか、こんにちは」と彼に笑顔で挨拶した。
 決して他人を疑おうとしない彼女らしい振る舞いだが、これほどまでに怪しい相手なのだから、少しは警戒してもいいのではないかと健太は思った。
「それでだ。お前、俺に協力してくれるって言ってたよな」
「ええ、確かに申しましたとも。そのために、彼女にここに来ていただいたんです」
「え? 健太君、何のお話ですか」
「何でもないんだ、麗華は気にしないでくれ。それで、具体的に俺たちは何をしたらいいんだ? お前の言うとおり、誰もいない部屋に二人だけで来てやったぞ」
「まあ、そう慌てずに。実は、今日は素敵なゲストをお呼びしてるんですよ。さあ、皆さん。入ってきて下さい」
 カトーが手を叩くと、複数の生徒が室内へと入ってくる。意外な展開に健太は驚いた。こちらを向いて横一列に並んだ生徒たちは、いずれも彼の顔見知りだった。
「皆、うちのクラスの女子じゃないか。どうしてここに?」
「ええ、その通り。皆さん、健太さんを手伝って下さるそうです。今日はこの親切な方々の力を借りて、健太さんの願いを叶えて差し上げたいと思います」
「どういうつもりだよ? こんなの聞いてないぞ。よりによってこんなやつらを呼ぶなんて……」
 健太は険しい顔でカトーを問いただした。彼が不機嫌になった理由は、入ってきた女生徒たちの顔ぶれにあった。
 一番端に立っている、化粧の濃い茶髪の女子は、吉本エミリ。あまり学校に来ない素行不良の問題児で、たびたび校内での喫煙で停学処分を受けている。
 その隣にいるショートカットの女子は田中ヨシ子。短足で背が低いわりに体重は男子を含めた学年一で、その体型から「ビア樽」という不名誉なあだ名で呼ばれている。
 ヨシ子の隣は鈴木ノリ子。ヨシ子と大差ない肥満体で、呼び名は「米俵」。しかし、体型よりも印象的なのは、正面からでも中が見える大きな鼻の穴とぶ厚い唇である。その容姿から、クラスの男子たちからは「目を合わせたくない女子ナンバーワン」に位置づけられていた。
 最後の一人は佐藤サダ子。長い前髪で青白い顔を覆った、陰気な女子生徒だ。よく、周りに誰もいないのにぶつぶつと独り言を口にしている。ヨシ子、ノリ子の友達で、三人で一緒に行動していることが多い。
「まあ、そう嫌そうな顔をなさらずに。皆、可愛くて気のいい女の子じゃありませんか。ふふふ……」
(気のいい? こいつら、いつも麗華の陰口を叩いてる連中じゃないか)
 健太は渋面になった。この四人はいずれも麗華のクラスメイトでありながら、あまり彼女のことをよく思っていない。
 エミリは日頃から麗華のことを「目障りな天才女」と呼んで敵意を向けていたし、他の三人も、あまりにも恵まれすぎている麗華への嫉妬からか、ことあるごとに嫌味やからかいの言葉を彼女に投げかけてくるのだ。先日の試験返却のときもそうだった。
 幸い、麗華は気にしていない(というより、単に悪意に気づいていないのかもしれない)ようだが、自分の恋人に棘のような悪意が向けられているのに、健太が平然としていられるわけはない。
「なんだ……いい話があるっていうから来てみりゃ、天才女の演奏会かよ。つまんねーの」
 いったい、カトーに何を聞かされたのだろうか。エミリは舌打ちして麗華をにらみつけた。
「吉本さん、こんにちは。別に演奏会というわけではありませんけど……」
「うるせえ、話しかけんな。あたしはてめーみたいに気取った女が大っ嫌いなんだ」
「まあまあ、エミリさん。まずは僕の話を聞いて下さい」と、占い師のカトー。彼は麗華の前までやってくると、まるでダンスに誘うかのように彼女に手を差し出した。
「僕たちがここへやってきたのは、健太さんの願いを叶えるためなんです。悩んでいる彼を救うため、どうかご協力をお願いします」
「まあ、そうだったのですか。健太君に悩みがおありだったなんて、ちっとも気づきませんでした。いったいどのような悩みなのですか?」
「それは、ずばりあなたですよ。嘉門院麗華さん」
「え、私?」
 目を丸くする麗華の手を取ると、カトーは彼女を四人の前に立たせる。
「さあ、ショーの始まりだ。皆さん、どうぞ楽しんでいって下さいね」
「何だよ、ショーって? こんなわけわかんねえことにつき合ってらんねえ。あたしは帰る」
「まあ、そんなこと言わずに」
 カトーはローブの袖から腕を出し、パチンと指を鳴らした。すると、その場を離れようとしたエミリが、驚いた表情で立ち止まった。
「な、なんだ? 足が勝手に……」
「皆さん、特にこれから予定はないんでしょう? せっかくですから、最後まで楽しんでいって下さいよ」
「ど、どうなってんだ! 体が動かねえ! おい、お前、何をしやがった !?」
(……あいつ、何をやってんだ?)
 健太はまばたきしてエミリを見つめた。
 口では帰ると言いながら、エミリはその場に突っ立ったまま動こうとしない。最初はふざけているのかと思ったが、その怒りの形相が決して演技ではないと告げている。
 いったいどうしたのだろうか。なんとなく嫌な予感を抱きながら、健太はカトーと麗華に視線を戻した。
「では、まず僕の自己紹介から始めたいと思います。僕はさすらいの占い師にして稀代のマジシャン、カトーです。今日は健太君のために最高のマジックショーを披露し、彼の悩みを解消して差し上げるつもりです」
「マジックショーだって? お前、占い師じゃなかったのかよ。それに、俺に手品を見せて何の解決になるっていうんだ。さっぱりわかんねえ」
「それはこれからのお楽しみです。さて、それでは余興ということで……こんな趣向はいかがでしょうか。それっ」
 黒衣の占い師は先ほどと同じように軽快に指を鳴らす。突然、爆竹のような音が鳴り響き、麗華の体が白い煙に包まれた。
「きゃあっ !?」
「麗華っ!」
 慌てて麗華のもとに駆け寄る健太。だが、辺りは謎の煙に覆われて何も見えない。
「けほっ、けほっ!」と咳き込んでいると、ゆっくりと煙が晴れ、麗華が再び現れた。
「麗華、大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です。大丈夫ですけど、これは一体……?」
「え? な、なんだ? どうしてこんな……」
 健太は驚きに目を見開いた。麗華の服装が制服のブレザーからテニスウェアに変わっていたのだ。
 短い丈のスコートからは長い脚が伸び、豊かなバストが白い布地を押し上げている。誰もが見とれるテニスコートの女神がそこにいた。
「お前、いつの間に着替えたんだ?」
「わ、わかりません。気がついたらこの格好になっていまして……」
「ふふふ……お気に召していただけましたか? でも、これはただの余興に過ぎません」
 と、自慢げに語るカトー。どうやら、これは彼のしわざらしい。
 先日、健太の悩みをずばりと言い当てたこともそうだが、やはりこの占い師は只者ではないようだ。もしかすると、本当の魔術師なのかもしれない。健太は彼に対して畏れを抱き始めていた。
「きゃあっ、すごい! お嬢様の服が一瞬で変わっちゃった!」
 彼の手品を間近で見ていた三人娘が歓声をあげた。この三人はエミリと違い、今のところ部屋を出て行くつもりはないようで、手近な椅子に腰かけて高みの見物を決め込んでいる。
 健太も座りこそしなかったが、とりあえず少し離れて事態を見守ることにした。
「それでは、いよいよ僕のマジックをご覧にいれましょう。こちらにいらっしゃるのは皆さんご存知の、学年一の天才少女、嘉門院麗華さん。そしてこちらは学年一の問題児、不良娘の吉本エミリさんです」
「何だと、てめえっ。あたしをバカにする気か?」
「まあまあ、お静かに。いいお話があるって言ったでしょう? これからあなたに、とってもいい思いをさせてあげようと思いましてね」
 カトーは二人を左右に並ばせると、またも指を鳴らした。すると、またも驚くべき変化が起こる。二人がにわかに苦しみ始めたのだ。
「な、何ですか? 頭が、頭が痛いです……」
「ううっ、痛え……て、てめえ、またあたしに何かしやがったな……」
 麗華とエミリは頭を押さえ、揃ってその場に膝をつく。二人とも病人のように青ざめていた。
「麗華、どうした? 何があった!」
 健太は再び彼女に駆け寄ろうとした。
 ところが、彼の身にも異変が襲いかかった。脚が動かないのだ。健太の足は、まるでその場に縫い止められてしまったかのように、床から離れようとしない。
「な、なんだ? 俺の脚、どうなっちまったんだ?」
「ショーの邪魔は無粋です。どうかしばらくそのままで、じっとしていて下さいね」
 カトーの言葉に、健太はこれも彼のしわざだと気づく。奇術で健太の脚を束縛したのだろうか。
 しかし、体の自由が利かなくなるマジックなど、今まで聞いたことがない。
 本当にあの怪しげな占い師を信用してもいいのだろうか。健太の心に不安の影がよぎった。
「さあ、皆さん。お二人をよくご覧下さい」
 いつの間にか、二人のうめき声が消えていた。気を失ってしまったのか、麗華もエミリも目を閉じて床に寝転がっていた。
 見る間に新たな変化が起こる。半開きになった二人の少女の口から白い煙が出てきたのだ。
「な、なんだよ、あれは……」
 煙草でも吸っているのだろうか。健太は一瞬そう疑ったが、どうやら違うようだった。
 二人とも煙草などくわえていないし、火をつけるところも見ていない。それに不良のエミリならとにかく、麗華が煙草を吸うはずもない。
 白い煙は拡散することなく、まるで生き物のように二人の顔にまとわりついた。
「この煙が何かわかりますか? これは、このお二人の記憶なんです。僕のマジックで、お二人の頭の中から記憶の一部を抜き取ったんですよ」
 カトーは楽しげに笑った。健太には何が起きているのか理解できなかったが、その場の異様な雰囲気から、それがただの煙でないということだけはわかった。
「麗華さんの口から出てきたこれは、麗華さんの記憶です。そしてエミリさんの口から出てきたこっちは、エミリさんの記憶です。これをこうして……」
 カトーは細い指を妖しく蠢かせ、麗華の煙に手招きする。
 すると、どうしたことだろうか。彼の手に促されるようにして、麗華の煙が持ち主の顔を離れていくではないか。そして、その煙はエミリに近づくと、ぐったりしたエミリの顔に触れる。
 その麗華の煙に追い払われるかのように、エミリの煙がエミリから離れていくのが見えた。
 麗華の煙はしばらくエミリの顔の周りを漂っていたが、やがて、先ほどとは反対の現象が起こった。麗華の煙が、エミリの口の中へともぐり込んでいくのだ。
 十秒ほどの時間をかけて、麗華の口から出てきた煙は、全てエミリの口の中へと納まってしまった。
 その後、それと同じようにして、エミリの口から出た煙が意識のない麗華の顔に近づき、彼女の口の中にもぐり込んでいく。
 麗華の口から出てきた煙が、エミリの体の中に。
 そしてエミリの口から出てきた煙が、麗華の中に吸い込まれた。
(いったい、何が始まるんだ……?)
 健太が息を呑んで見守る中、ようやく麗華が目を覚ました。既に頭痛は治まっているようで、表情から苦悶の色が消えている。
「う、ここは……? 私、どうしたのかしら……」
「おはようございます、麗華さん。まずはじめに確認しておきますが、あなたは嘉門院麗華さんですね?」
 カトーは麗華の手をとって、彼女を起き上がらせた。
「え? は、はい……そうですけど」
「わかりました。大丈夫みたいですね。どうもありがとうございます。それでですね、起きたばかりでちょっと申し訳ないんですが、この問題を解いてくれませんか。なに、とっても簡単な問題です。中学生でもできますよ」
 カトーは白いチョークを手に取ると、音楽室の黒板に短い数式を書いた。彼の言うとおり、本当に簡単な因数分解の問題だった。
(なんだ、あんなの誰でもできるじゃないか。あんな問題を麗華に解かせるなんて、どういうつもりだ?)
 健太は呆れ果てた。若い占い師は黒板の前に麗華を立たせ、チョークを手渡した。
 わざわざ解かせる意味のない、ごくごく初歩の数学の問題。
 しかし、麗華は数式をじっと見つめたまま、チョークを持つ手を動かそうとしなかった。珍しく顔をしかめ、何やら悩んでいるように見えた。
「麗華、どうした。そんなちょろい問題、答える気にもなれないのか?」
「い、いえ、それが……」
 麗華は健太を振り返った。彼女の顔は、今にも泣きだしそうだった。
「わからないんです。私、この問題が解けません……」 「はあ? お前、何を言ってるんだ。そんな優しい問題、できないわけないだろう。寝ぼけてるんじゃないか」 「それが、本当にわからないんです……」
 顔をくしゃくしゃにする麗華の肩を、カトーが慰めるように叩く。
「オーケイ、オーケイ。もういいですよ、ありがとう。それじゃ、交代です。ちょうどあちらがお目覚めになったようですから」
 彼が指したのは、意識を取り戻したエミリだった。彼女は眠そうな顔で辺りを見回すと、大きな欠伸をひとつした。
「ふああ……あたし、寝てたのか? いったい何がどうしたってんだ」
「おはようございます、吉本エミリさん。ちょっとお願いがあるんですが」 「ああ? いきなりなんだよ。馴れ馴れしい」
「なに、大したことじゃありません。ちょっとこの問題を解いてもらえませんか」
 カトーはそう言ってチョークを取り出し、黒板に新たな数式を書き加えた。今度は非常に複雑な積分の問題だった。
(おいおい、何を考えてるんだ? あいつにあんな難しい問題ができるわけないだろ)
 麗華のときとは正反対の理由で、またも健太は呆れかえった。とてもエミリにできるはずのない、難解な積分の問題。
 しかし、エミリは訝しげな視線を黒板に向けると、カトーから素直にチョークを受け取った。そして後頭部をポリポリ掻きながら、数式を次々に書き込んでいく。
 その場の誰もが唖然とする中、エミリは立派な解答を完成させ「これでいい?」と黒衣の占い師に訊ねた。
「はい、正解です。これはとある難関大学の入試問題なんですが、よくできましたね」
「あれ? そういやあたし、なんでこれが解けたんだろう。数学なんて見るのも嫌だったのに、今はなんか答えが自然にわかるんだよな……」
「それはそうでしょうね。なぜなら、あなたは麗華さんの記憶をもらったんですから」
「天才女の記憶? どういうことだよ」
 エミリの質問に、カトーはぴんと人差し指を立て、得意げに解説を始めた。
「先ほど、僕はあなたと麗華さんの脳から記憶の一部を抜き出し、取り替えました。国語、数学、英語、物理といった、主に勉強に関わる知識です。それをそっくりそのまま交換したので、今あなたの頭の中には、麗華さんが勉強して身に着けた知識がまるまる移しかえられているんですよ。だからこの問題が簡単に解けるようになったというわけです」
「天才女の知識があたしに? へえ……面白いじゃん。道理で、さっきから妙に頭が冴えてるはずだよ。すげえいい気分だ。なあ。それじゃ、そこの天才女の頭の中身はどうなったんだ?」
「もちろん、麗華さんの頭脳には、エミリさんの知識が移植されていますよ。数学も英語も、今の麗華さんの学力は以前のエミリさんとまったく同じです」
「あはははっ、それって最高じゃん! なあ、天才女。この問題の解き方わかるう?」
「わ、わかりません……どうしてかしら。全然わからないの」
「ぷっ、わかるわけないよな。あんたの知識は、あたしが全部もらっちゃったんだから。あんたの頭の中にあるのは、ろくに勉強したことのないあたしの知識だけ。わかる? 今のあんたは、学年で一番おバカな劣等生なんだよ」
「そ、そんな……そんなの、信じられません」
 エミリに蔑まれ、麗華はぽろぽろと涙を流す。信じがたい異常事態に、美貌の才女は気の毒なほど動揺していた。
 健太も、まるで白昼夢を見ている気分である。
 エミリと麗華の学力が入れ替わってしまったなどと、にわかに信じられる話ではなかった。
 これも、カトーのマジックなのだろうか。そうだとしても、やはり信じられない。
 いったい彼は何者なのだろうか。子供だましの奇術の使い手ではなく、本物の魔術師なのか。
 彼の誘いに乗ってしまったことを、健太は後悔しはじめていた。
「おい、お前! 麗華を元に戻せっ! 麗華のやつ、泣いてるじゃないか!」
「それはできません」
 いまだ身動きのとれない健太の要求を、カトーはきっぱりと断った。
「これはまだ序の口です。これからもっと面白いものをご覧にいれますよ」
「序の口だって? お前、まだ麗華に何かするつもりか!」
 二人のやり取りを、席に着いた三人娘がぽかんとした表情で聞いていた。いったい何が起きているのか、まるで理解できていないようだ。その隣に上機嫌のエミリが座っていた。
「それでは、ショーの第二幕に移りましょうか」
 呆気に取られる皆を満足そうに見回し、カトーはまたも指を鳴らした。パーティー用のクラッカーのような破裂音と共に再び煙が湧き上がり、彼と麗華の姿を覆った。
「麗華っ!」健太は悲鳴をあげた。
 煙はゆっくりと薄れ、少しずつ視界がはっきりしてくる。今度は何が起こるのか──恋人の身を案じる健太が見たものは、人の身長ほどの高さがある巨大な二つの箱だった。
 そして、その片方の中に直立した麗華の姿があった。
「な、何だよ、あれは。いつの間にあんなものが現れたんだ……」
「さあ、マジックショーの第二幕は切断マジックです」
 二つの箱の間に立ったカトーが、高らかに宣言した。相変わらず顔の大部分がローブに隠れ、口元しか見えない。
 だが、あの黒衣の魔術師がとても楽しそうに笑っていることだけは、はっきりと確認できた。
「切断マジックというのを簡単に説明しますと、箱の中に人間を入れ、中の人間ごと箱を切断して観客をハラハラさせるマジックです。いちいちノコギリを持ち出して箱を切るのは面倒なので、最初から箱が手で分解できる構造になっている場合もありますが。これからお見せするマジックもそのタイプで、ノコギリは使いません」
 誰も訊ねていないのに、カトーは懇切丁寧に解説してくれた。
 細長い箱は彼の言う通り、人がひとり辛うじて入れる程度の大きさになっていた。全ての面が真っ赤に塗られ、蓋と思しき前面だけが扉のように開いている。
「では、蓋を閉めます。ちょっと狭いですが、辛抱して下さいね」
 と言って、カトーは前面の蓋を閉じた。その前面の上部に、人間の顔と同程度の大きさの丸い穴が開いていた。おそらくは、顔を出すための穴なのだろう。ちょうどその穴から麗華の顔がのぞいていた。見えるのは顔だけで、それ以外の部分はまったく見えなかった。
「麗華、大丈夫か?」
「はい、健太君。大丈夫ですけど、ここから出られません。体が動かないんです……」
 麗華は途方に暮れた様子で言った。箱に閉じ込められたまま、まったく動こうとしない。
 おそらく、カトーの不思議な力によって体の動きを封じられているのだろう。狭い箱の中に囚われていて、とても窮屈そうだった。
(切断マジック……麗華が入ったあの箱を切断するっていうのか?)
 健太の脳裏に、以前テレビで見たマジックショーの映像が浮かんでくる。そのときは、細長い箱に入った美女が、マジシャンのノコギリによって箱ごと切断されていた。
 麗華も、あの美女のように身体を真っ二つにされてしまうのだろうか。
「さて、皆さん。麗華さんはこの通り、赤い箱の中に入っています。そして、ここにもう一つ、同じデザインの青い箱がありますね? 実は、皆さんの中からもうひとかた、協力して下さる方が必要なんです。どなたかお手伝いをお願いしたいのですが……うーん、そうですね、そちらにいらっしゃる田中ヨシ子さん。いかがです? ぜひ、僕のマジックを手伝って下さいませんか」
「え、私?」
 カトーに名指しされたのは、「ビア樽」の異名を持つ肥満少女だった。ヨシ子は困惑した表情で青い箱の前にやってきた。
「私に、この中に入れっていうの? でも、ちょっと狭すぎるんじゃない」
「いえいえ。この箱は頑丈ですから、少々無理をすれば入りますよ。ほら」
 言うなり、カトーはヨシ子の三段腹を正面から押して、ぐいぐいと箱の中に入れてしまう。ヨシ子が嫌がってもお構いなしだ。その光景は朝の通勤ラッシュ時に、駅員が満員電車の中に収まりきらない乗客を無理やり詰め込んでいる姿を連想させる。
 最後に「ぶひい」と悲惨な声があがり、九十キロとも百キロとも噂される肉の塊が、狭い箱に詰められた。
 そのあまりの滑稽さに健太はつい笑ってしまったが、同じ立場に置かれた麗華のことを考えると、笑ってばかりもいられない。
 無理やり蓋を閉め、ヨシ子を箱詰めにしたカトーは、自分の左右に並んだ二つの箱を見比べ、満足げにうなずいた。
 片方は細身で長身のテニスウェア姿の麗華が入った赤い箱。
 もう一方は紺色のブレザーを着た、短足で肥満体のヨシ子が入った青い箱。
 よく見ると、顔が見えるのぞき穴の高さが左右で違う。おそらく、二人の身長が異なるためだろう。まるで麗華とヨシ子のために開けられたかのように、穴の高さは二人の顔の位置とぴったりだった。
「さあ、いきますよ。今から中の二人ごと、この箱を切り離します」
 カトーの手が麗華の入った赤い箱にかけられる。次の瞬間、異変が起きた。
「え? いったい何が……きゃあっ !?」
 麗華の悲鳴があがった。赤い箱の上から五分の一ほどの部位だけが残りの部分から外れ、ゆっくりと横に移動し始めたのだ。
 当初は一つの大きな箱に見えたが、おそらく、あらかじめその部分で外れるように細工してあったのだろう。それはカトーの説明からも明らかだった。
 箱の一部だけが水平方向に動くのは何も不思議なことではない。問題は中の麗華にあった。
「お、おい、どうなってるんだ? 箱の中の麗華が……」
 健太の声は震えていた。箱に開いた穴から見える麗華の顔は、箱の上部と共に動いていた。
 箱が切断された位置は、おそらく麗華の首があるはずの高さだった。
 だが、箱の下の部分に閉じ込められた麗華の身体は固定され、動けないはずだ。
 体は固定されているのに、顔だけが箱の上部と共に移動していく。それは非常に不可思議なことに思われた。
「ど、どうなってるの? 体の感覚が……な、何がどうなってしまったんですか?」
 動揺した麗華の声が聞こえてきた。
 カトーが箱を引くにつれ、麗華の頭部が入っている箱の上部と胴体が入っている下部が、どんどんずれていった。まるで、麗華の首がその位置で切断されてしまったかのようだ。
 いったい、どんな仕掛けになっているのだろうか。あの箱の上部は狭く、とても人間の身体が入れるとは思えない。
 では、本当に麗華の首は、箱と一緒に切断されてしまったというのか。健太の動悸が激しくなった。
 やがて、ガタンと大きな音がして、箱の上部が完全に外れてしまった。箱はとうとう二つのパーツに分割されてしまった。中に閉じ込められた麗華ごと。
「ご覧下さい。この通り、麗華さんの首は胴体が入っている箱とおさらばしてしまいました。この穴の中には、確かに麗華さんの顔が見えますね? 麗華さん、今のご気分はいかがですか」
「ううっ、気持ち悪い。体の感覚が全然ないんです。助けて下さい……」
 箱の中の麗華が答えた。カトーが抱えている箱の一部は、高さがおよそ三十センチ。とても人間の身体が入るはずはない。
 だが、箱に開いた円形の穴からは、中にいる麗華の美貌をはっきりと見ることができた。
「いったいどうなってるんだ……麗華は大丈夫なのか?」
 健太は麗華の身を案じたが、彼の脚は依然として床に張りついたまま動かず、ただ見ていることしかできない。
「それでは、この赤い箱はこちらに置いといて……次は、こちらの番です」
 カトーは麗華の首が入った箱を手近な机の上に置くと、次にヨシ子が入っている青い箱に近寄った。
「それではもう一度。今度は田中ヨシ子さんの箱を使って同じことをしてみましょう。よく見ていて下さいね」
 彼が青い箱の上部を引っ張ると、箱の上から四分の一ほどの部分がゆっくりと動き始めた。
 やはり、麗華のときと同じだ。青い箱はヨシ子の首の部分で二つに分割され、顔の入った上部だけが残りの部分から切り離されてしまった。
 ヨシ子の顔が入っている箱の一部は、とても人間の体が納まる大きさではない。
 いったいどんな仕組みになっているのだろうか。健太は狐につままれている気分だった。
「きゃあああっ! 何なのこれは。こんなの変よ! 気持ち悪いわっ!」
 青い箱に入ったヨシ子の顔は、赤くなったり青くなったり。
 そしてその平たい箱の一部は、麗華と同様に机の上に置かれた。箱詰めにされた麗華とヨシ子の顔が並べられた。
「さあ、この通りヨシ子さんの首も、箱ごと切断されてしまいました。しかし、このマジックの見所はここからです」
 にやにや笑って、カトーは麗華の顔が入った赤い箱を両手で持ち上げた。そして、それを元々あった場所とは反対の方向へと運んでいく。
 そこには上部を切り離された青い箱があった。
「さて、皆さん。この青い箱の中には何が入っていましたか? そうです。この中には、ヨシ子さんの体が入っていたはずですよね。では、この青い箱の上に麗華さんの赤い箱を載せると、一体どうなるのでしょうか」
 麗華の顔が入った赤い箱が、ヨシ子の体が入った青い箱の上に置かれる。ちょうど、互いの切断面がぴったり重なる位置だ。
 青い箱の上に、その四分の一ほどの高さの赤い箱が載せられた状態になった。
 皆が緊張して見守る中、カトーは重ねられた箱の前面を開く。中から麗華が現れた。
 狭い箱からようやく解放されて、麗華は安堵の表情を浮かべた。
「ああ、やっと出られました。よかった……あら?」
 しかし、ほっとしたのも一瞬のこと。すぐさま悲鳴があがった。
「きゃあああっ !? わ、私の体が……!」
「れ、麗華! お前、どうしちまったんだ !?」
 健太は仰天した。麗華の服装が箱に入る前のテニスウェアではなく、学校指定のブレザーへと変化していたのだ。
 しかし、ただ服装が変わっただけなら、先ほどと同じこと。こうも驚くことはない。健太が驚愕した理由は、今の麗華の体型にあった。
 身長よりもウエストの方が長いのではないかと疑うほどに突き出した腹の肉。スカートの裾から伸びるのは、丸太ほどに太く短い大根足。そして、女子の基準からしても低い身長。逆に体重は平均的な女子の二倍はありそうだ。
 麗華の体は本来の彼女のものとはまるで異なる、でっぷり太った肥満体になっていたのだ。
「こ、これは一体どうなっているの? ううっ、苦しい……体が重いです」
 体重が急に二倍になった麗華は、息をするのも苦しそうに舌を出して喘いだ。
「はい、皆さん、ご覧になりましたか? これが僕の切断マジックです。ただ箱に入った人の頭と身体を切り離すだけではなく、このように別人の体のパーツと繋ぎ合わせることもできるんですよ」
「す、すごい……じゃあ、嘉門院さんの頭が、ヨシ子の体とくっついちゃったの?」
「ご明察のとおりです。この青い箱に入っていたのは、ヨシ子さんの胴体でした。その上に麗華さんの頭が入った箱を重ねて、箱ごと中身をくっつけてしまったのです。だから今の麗華さんの首から下は、ヨシ子さんの体になってるんですよ」
 それは魔術と呼ぶにふさわしい、奇妙奇天烈な光景だった。麗華の美貌とヨシ子の肥満体。これ以上ない美醜のギャップが極めてグロテスクである。
 変わり果てた恋人の姿に、健太は吐き気さえ催した。
「ううっ、気持ち悪い……もうやめろ、やめてくれ。麗華を元に戻してくれ……」
「何を言うんです。まだ終わっていませんよ。こちらが残っていますからね」
 と言って、カトーは机の上に置かれていたままの青い箱の一部を持ち上げた。
 その箱の中央には肥え太ったヨシ子の顔があり、「な、何? 今から何をするの?」と不安そうにまばたきしていた。
 皆が注目する中、その青い箱の一部は先ほどの麗華とは反対に、上部を切り離された赤い箱の上に置かれた。
 カトーの言うことが正しければ、この赤い箱の中には頭部のない麗華の体が入っているはずだ。
 そして、その上に置かれたヨシ子の顔が入った青い箱。二つの箱が重ねられ、一つになった。
(何をする気だ? まさか……)
 健太の予感は的中した。箱が開き、中から白いテニスウェアを着たヨシ子が出てきたのだ。
「きゃあっ、何これ !? これが私の体なの?」
 ヨシ子は己の姿を見下ろして驚愕し、続いて歓喜の声をあげた。鏡餅を連想させる下ぶくれの少女の顔の下に、均整のとれた美しい肢体があった。
 すらりとした長い手足と色白の肌。細身でありながら豊かなバストを誇る、恵まれたスタイル。布地の少ないテニスウェアを身に着けているため、優美なボディラインがいっそう強調されている。
 こちらも、誰もが思わず目を疑うほどの変わりようだ。
 何が起こったのかは明らかだった。箱ごと首から切り離された麗華の胴体は、ヨシ子の頭と繋ぎ合わされたのだ。
「その通り。僕の切断マジックで、ヨシ子さんの体を麗華さんのものと取り替えたんですよ。ですから、今のヨシ子さんの首から下は麗華さんの体になっています。ふくよかなお顔はそのままでね」
「へえ……これ、嘉門院さんの体なんだ。やっぱり色白で綺麗ね。腕も脚もすらっとしてるし、それに腰だってこんなに細くて……ああ、なんて素晴らしいの。これが私の体だなんて信じられない」
 ヨシ子は顔に恍惚の表情を浮かべ、新しい自分の肉体を下品な仕草でまさぐった。
 その手、脚、肌、乳房。いずれも、嘉門院麗華の完璧な美を構成する要素の一つだった。
 ところが今、麗華の体はもはや麗華のものではなかった。誰もが憧れ嫉妬する麗華の美しい肢体は全て、田中ヨシ子の所有物になってしまったのだ。
「や、やめろ田中っ! 麗華の体を返せっ!」
 ヨシ子の頭が麗華の体を乗っ取り、我が物顔で動かしている。あまりに異常な事態に、健太はたまりかねて叫んだが、ヨシ子はにんまり笑って首を振った。
「イヤよ。こんなに綺麗な体を返すわけないじゃない。このスタイルなら、もう誰にもバカにされないわ。ビア樽なんて言わせない。ぷっ、逆に嘉門院さんの方は酷い格好ね。こうして見ると本当にデブだわ。デブだし、チビだし……とても見れたものじゃないわね。お気の毒」
 己の細い腰に手を当てて、肥満児の麗華を見下すスタイル抜群のヨシ子。切断マジックによって身体を交換した二人の表情は対照的だった。
「た、田中さん、お願いです。私の体を返して下さい。体が入れ替わってしまうなんて、こんなのおかしいです……」
「だからイヤだって言ってるでしょ? これはもう私の体なの。あなたは今まで散々いい思いをしてきたんだから、別にいいじゃない。お高くとまったあなたには、そのデブの体がお似合いよ。うふふ……これからはあなたのこと、ビア樽って呼んであげる」
「そ、そんな……」
 麗華は落胆して床にへたり込んでしまった。どすんと尻餅をつく音が聞こえてくる。
 彼女の苦しみは想像するにあまりある。明晰な頭脳だけでなく、美麗な体までひとに奪われてしまったのだから。
 めそめそ泣きはじめた彼女を置いて、ヨシ子は軽快な足取りで友人たちのもとへ戻っていった。
 ヨシ子と仲がいい二人の女生徒は、見事に変貌を遂げた彼女を呆けた顔で迎えた。
「ヨシ子、その格好……本当にあなた、嘉門院さんの体になっちゃったの?」
「うん、そうよ。ほら、見てよ、私の体。背は高いし、スタイルも抜群でしょ。まるでモデルになった気分。うふふ……きっとどんな服を着ても似合うわよ」
 ヨシ子は自分の長い手足を友人たちに自慢してみせた。「ビア樽」と呼ばれた肥満体から一転、細く健康的な麗華の肢体を得て舞い上がっていた。
「それに、見た目が綺麗なだけじゃないわ。この体、身軽ですっごく動きやすいの。今の私なら、スポーツだって色々できる気がするの。テニスとかさ。こんなにいい体が私のものだって思うと、本当に気分がいいわ。もう最高よ」
「羨ましいわ。私も嘉門院さんの体になりたい……」
「わ、私だってそうよ。ヨシ子だけずるい。私にもその体、使わせてよ」
「あら、私だけいい思いをしちゃって悪いわねえ。おほほほ……」
 友人たちの嫉妬と羨望の視線を浴びて、ヨシ子は高笑いをあげた。
 そんな彼女と一緒に笑い出したのは、吉本エミリだ。
「あははは……あんたの気持ち、あたしもよくわかるよ。あたしもあのお嬢と頭の中身を取替えっこしたからね。あのムカつく女から大事なものを奪ってやったって思うと、すっげー気持ちいいんだよなー」
「そうそう、そうなのよ。私たち、普段からあの子が目ざわりだったから、こうなると本当にスカっとするのよねー」
「わかるわかる。最高だよなー。あっははは……」
 二人の下卑た笑い声が、健太の憎悪をかきたてる。
「ち、畜生。あいつら許さねえ。絶対に許さねえぞ……」
 あまりにむごい麗華への仕打ちに、気が狂ってしまいそうだ。戸惑いと驚き、怒りと悲しみが彼の内部で渦巻いていた。
 だが、いくら憤慨したところで、身動きのとれない健太にはどうすることもできない。これほど近くにいながら恋人を助けてやれない無力な自分が歯痒かった。
「皆さん、お楽しみいただいてますか? それでは、次のマジックを始めますから、どうぞお座り下さい」
「へえ、まだ続きがあるんだ。お次は何を見せてくれるのかしら?」
 麗華をあざ笑っていたエミリとヨシ子が、カトーに促されて興味津々の顔で席に着いた。
 黒いローブの占い師は一同を見回し、フードの奥で満足げな笑みを浮かべた。その姿は、邪悪な魔法使いが陰謀を企てているようにしか見えなかった。
 健太の背に震えが走った。いったい次は何をするつもりだろうか。あらゆる常識を超越した彼の奇術、いや魔術に健太は恐怖すら覚えた。
「今までのマジックをご覧になって、もうお気づきかもしれませんが、今回のマジックショーのテーマは、人の身体と心です。僕のマジックで他人と心や体の一部を取り替えると、日頃の自分では味わえない新鮮な体験をすることができます。既に僕に協力して下さったエミリさんやヨシ子さんは、僕の言いたいことをおわかりかと思います」
「うんうん、なるほどな。わかるわかる」
 と、エミリ。彼の言うとおり、麗華と記憶を交換したことで、彼女は普段の自分とは比較にならない知能を獲得した。さぞ、いい気分に違いない。
「ありがとうございます。それでは、これをご覧ください」
 茶髪の少女が賛同の意を示したのを受け、カトーはパチンと指を鳴らした。あの白い煙がまたしても湧き上がり、一瞬ながら彼の左腕を覆い隠した。
 煙はすぐに晴れたが、その中から現れたカトーの手を見て、その場の全員が軽い驚きの声をあげた。
 その手に、今まで存在しなかったはずのものが握られていたのだ。
 つるりとした光沢を持つ、人間の頭ほどの大きさがある白い卵状の上部。その卵の下部からは太い円柱が伸び、一番下の大きな円盤と繋がっている。
「それは……マネキンの頭?」
 観客の誰かが言った。確かに、それは頭部と頚部だけのマネキンだった。服飾店で商品の帽子を載せるのにしばしば使われる品である。
 顔のないタイプで、人間の顔に相当する前面には目も鼻も口もなかった。
「ご明察です。今度のマジックはこれを使用します。それと、これをね」
 マネキンの頭を持った手と反対側の手には、いつの間にか白いマスクがあった。演劇やパーティで仮装に用いる、顔の前面をすっぽり覆う玩具である。
 こちらもマネキンの頭部と同じく、表面に何も描かれていない。のっぺらぼうの白いマスクで、鼻や口に当たる部分には穴も開いていなかった。
(あいつ、あんなものを出して、今度は何をしようっていうんだ)
 カトーが取り出した品々を見て、健太は疑問を抱いた。
「それでは、今回も皆さんの中からお一人、マジックに協力していただきたいのですが……鈴木ノリ子さん、お願いできませんか」
「私? ええ、いいわよ」
 周囲から米俵と呼ばれる肥満少女が、勢いよく立ち上がった。
 カトーの要請をあっさりと了承したのは、先の二人を見ていた彼女なりの打算からだろう。エミリもヨシ子も、彼のマジックのおかげで麗華の学力や身体を得て、非常にいい思いをしている。あわよくば自分も……そう考えているように健太には思えた。素直にやってきたノリ子にうなずくと、カトーは彼女の顔に白いマスクをかぶせた。
「さあ、マジックの第三幕です。ここにいらっしゃるノリ子さんのお顔を、こちらのマネキンに移しかえてみせますよ。それっ!」
 カトーは何ごとかつぶやき、ノリ子の顔からマスクを取り去る。マスクの下から現れた光景に、健太は肝を潰した。
 ノリ子の顔には、目も、口も、鼻も無かった。のっぺらぼうになっていたのだ。
 不細工な顔があったはずの顔面には、ただ扁平な肉が無情な姿を晒していた。残っているのは髪と耳、そして顔の輪郭だけだ。
「きゃあああっ !? ノリ子の顔がっ!」
「ふふふ、この通りです。ノリ子さんのお顔はのっぺらぼうになってしまいました。次は……」
 不気味な笑い声をあげ、カトーは手の中のマスクを白いマネキンにあてがった。彼が囁き声と共にそのマスクを取ると、そこにノリ子の顔があった。
 少々強張った不器量な少女の顔が、マネキンの顔面を覆っているのだ。まるで、死者の顔をかたどったデスマスクのように。
 人間の顔が頭部から剥ぎ取られ、プラスチックの塊であるマネキンの顔面に移植される。それは現実には起こりえないはずの出来事だった。
 あまりの驚きに、健太は声さえ出すことができない。エミリもヨシ子も健太と同様、目を見開いて固まっている。
 そんな中、ただひとり麗華だけが変わらず床にへたり込んで泣いていた。
「さあ、ノリ子さん。大切なお顔がなくなってしまいましたね。気分はいかがです?」
 カトーは顔を失ったノリ子に話しかけたが、口の無い彼女は返事もできず、ひたすら慌てふためくだけだ。やがてノリ子はふらふらとよろめき、その場に尻餅をついた。
「おやおや、このままではいけませんね。のっぺらぼうでは生きていけません。それでは、こののっぺらぼうのノリ子さんに、別のお顔を移して差し上げるとしましょうか。ここで再び、嘉門院麗華さんにご協力願います。ちょっと失礼しますよ」
 健太は戦慄した。カトーがマスクを手に、麗華に歩み寄ったからだ。めそめそ泣いている麗華の顔に、白いマスクがかぶせられた。
「れ、麗華……!」
 これから起こるであろうことを考えると、耐え難い不安と恐怖が健太を襲う。
 予想通り、麗華の顔からマスクが剥ぎ取られ、つるりとしたのっぺらぼうの顔が現れた。つぶらな瞳も、高い鼻梁も、薄い桜色の唇も、全てが麗華の顔から消え失せていた。
「あ、あああ……!」
「顔を移し取れるのはノリ子さんだけではありません。麗華さんもこの通りです」
 麗華から女の命とも言える顔を奪ったカトーは、今度はノリ子の傍らにかがみ込む。
「ふふふ……皆さん、よく見ていて下さいね。このマスクをノリ子さんにかぶせると……」
 顔のないノリ子の顔面にあてがわれる白いマスク。一同は息をのんだ。
 マスクが取り去られると、困惑したノリ子の声が聞こえてくる。
「な、何? いったい何が起きたの?」
「ご覧なさい、ノリ子さん。これが今のあなたのお顔ですよ」
 カトーがノリ子に手鏡を差し出した。
「え? 私の顔……きゃあああっ !?」
 ノリ子が驚きの声をあげた。一瞬遅れて、周囲からも同様の声があがった。
 肥満した少女の顔面に備わっていたのは、輝くばかりの美貌だった。やや青みがかった瞳と、細く形のいい眉。鼻筋はすらりと通り、細い唇へと続く。
 大きな顔の輪郭には少々アンバランスだが、それでも充分に美少女と言っていいだろう。
 ノリ子の顔面で驚愕の表情を浮かべるその目鼻立ちは、紛れもなく嘉門院麗華のものだった。
「か、嘉門院さんの顔? もしかして、これが私の顔なの……?」
「そうです。このマスクで麗華さんの顔をあなたに移しかえて差し上げたんですよ」
「し、信じられない。これが私の顔だなんて……でも、悪くないわね」
 ノリ子の顔面に貼りついた麗華の顔が、にやりと笑った。本物の麗華ならば絶対に見せない邪悪な表情だった。
「ノリ子の顔……本当に嘉門院さんみたい……」
 サダ子がぽつりとつぶやいた。その陰気な顔には驚きと嫉妬が見てとれる。
「れ、麗華の顔が、鈴木のやつに……!」
 異変に次ぐ異変を前に、健太はすっかり取り乱していた。
 当然のことだった。なにしろ、最愛の少女の美しい顔が奪われ、他人の所有物になってしまったのだ。こんな異様な状況下で、とても平静を保っていられるわけがない。
 健太の目の前にあるのは悪夢そのものだった。覚めることのない悪夢だった。
「お気に召していただけたようですね……ふふふ」
 怪しい魔術師は得意げに笑うと、手の中の白いマスクをノリ子の顔が貼りついていたマネキンにかぶせ、先ほどと同じようにする。するとマネキンは、元のつるつるした姿に戻った。
「さて、お次はのっぺらぼうになってしまった可哀想な麗華さんに、このノリ子さんのお顔を移して差し上げます。麗華さん、ちょっと失礼しますよ」
「や、やめろ……やめろおっ!」
 健太は叫んだが、無駄な行為でしかなかった。
 顔のパーツを全て無くした麗華の頭部を、白いマスクがゆっくりと覆い隠す。
 やがてそのマスクは剥ぎ取られ、新しい麗華の顔が姿を見せた。
「ううう……わ、私、どうしてしまったのですか?」
「ふふっ、ご覧ください、麗華さん。これがあなたの今のお顔です」
「え……きゃああああっ !? わ、私の顔ぉっ !?」
「あははっ、やっぱりね。あの子、ノリ子の顔になってるわ」
 悲鳴をあげる麗華を指さし、ヨシ子とエミリが大声で笑いだした。陰気であまり感情を見せないサダ子でさえ両手で顔を覆い、肩を大袈裟に震わせている。それほどまでに、今の麗華の外見は奇妙で滑稽だった。
 細い糸状の目は情けなく垂れ下がり、太い鼻梁は洞穴のような巨大な口を開けている。正面から中が見えそうな鼻孔からは、立派な鼻毛が何本も飛び出していた。唇は元の三倍は分厚くなり、その隙間からは黄色い前歯が覗く。
 その顔はほんの数十秒前まで、鈴木ノリ子のものだった。「米俵」のあだ名を持つ不細工な少女の顔が、麗華の顔面にへばりついていた。
「れ、麗華。あれが麗華なのか…… !?」
 一部始終を見ていた健太でさえ、本人か否かを思わず疑ってしまいそうな変化である。首から下は田中ヨシ子、そして顔は鈴木ノリ子。見るにたえない姿だった。
 だが、化け物じみた顔にかかる黄金色の細い髪も、幅ったい口から出てくる透き通った声も、健太がよく知っている嘉門院麗華のものに間違いない。
 変わり果てた麗華は気の毒なほど青ざめ、鏡に見入ってひたすら涙を流していた。
 健太も同じありさまだった。どうすることもできない彼の目からは止めどなく涙が溢れ出し、顎の先から滴り落ちていた。女々しいと恥じ入る余裕もなかった。
「れ、麗華が、麗華があんな……!」
 すっかり理性を無くした健太の視線の先では、カトーとノリ子が麗華を見下ろし、号泣する彼女を面白そうに観察していた。
「いやあ、そんなに涙を流して感激して下さるなんて、嬉しいですよ。今の麗華さんのお顔、とっても魅力的です」
「うふふふ……可哀想ね、嘉門院さん。私なんかの顔になっちゃって。私はあなたの綺麗な顔をもらって、とってもハッピーだけどね」
 ノリ子は優越感たっぷりの表情で麗華の顔をのぞき込み、優美な唇の端をにいっとつり上げた。
 二人の顔が入れ替わっていることを知らない者からは、まるで麗華がノリ子を嘲っているように見えるだろう。ノリ子のものになった麗華の顔が、麗華のものになったノリ子の顔をあざ笑っていた。
「ううっ、私の顔……鈴木さん、私の顔を返して下さい……」
「はい、なんて言うわけないでしょ。バカじゃないの? もとはあなたの顔だけど、今はもう私の顔よ。返してなんてあげない。あなたは一生、その不細工な顔で生きていきなさい」
「そ、そんな……」
「それにしてもすごいわ。あの嘉門院さんの顔が私のものになるなんて。ああ、なんて綺麗なのかしら。夢みたい……」
「喜んでいただいて、僕も嬉しいですよ。マジックはただ人を驚かせるためのものじゃありません。見る人を喜ばせてこそ、本当のマジックですからね。いかがです? せっかくお顔を交換したんですから、ついでに髪も取り替えませんか」
 と、カトー。その手には先ほどのマスクではなく、黒い毛糸の帽子があった。
「え? そんなこともできるの」
「もちろんですとも。この帽子を使えば、お二人の髪型を交換することができます。あの麗華さんの綺麗な髪が、ノリ子さんのものになるんですよ。いかがです?」
「する、交換するっ! あの子の髪を私にちょうだい!」
 ノリ子は腹を空かせた犬のように見苦しく、異能の魔術師に懇願する。
 うなずいたカトーがノリ子と麗華の頭にひと組の黒い帽子をかぶせるのを、健太は絶望の表情で眺めた。
 まったく同じデザインの二つの帽子は、二人の少女の髪を覆い隠してしまった。そして、それが取り去られたとき、ノリ子の頭を黄金色の輝きが彩っていた。
 麗華の長い金髪と、ノリ子の短い黒髪が置き換わったのだ。
 顔と髪……貪欲なノリ子はそれでも満足しない。カトーは彼女に乞われるままにマジックを続けた。気がつけば、麗華の声も顔の輪郭も、首から上の全てがノリ子と入れ替わっていた。
「こ、これが私? い、いやあああ……」
 透き通るような声さえもノリ子に奪われ、麗華は手鏡を見つめて泣き崩れる。もう、誰も彼女が嘉門院麗華だとわからないだろう。
 入れ替わる過程を見ていた健太でさえ、あれは麗華ではなく別人ではないかと疑いたくなるほどだ。
 反対に、麗華の容姿を得たノリ子は、顔といい髪といい、もはや麗華本人にしか見えない。
 だが、その下品な表情や口調は、明らかに嘉門院麗華のものではなかった。
「すごい、すごいわ。私の顔も、髪も、声も、全部嘉門院さんになっちゃった。うふふ……何でも言ってみるものね。どうもありがとう」
 麗華と頭部を入れ替えたノリ子は有頂天になって、自分の席に戻っていった。
 すっかり別人になったノリ子を、友人たちは驚きの表情で迎えた。
「その顔……あなた、本当にノリ子なの? 嘉門院さんにしか見えないわ」
「うん、私はノリ子よ。顔も声もあのお嬢様になっちゃったけど、首から下は私の体なんだから、わかるでしょ。ほら、このお腹もそのままよ」
「あははは、そうね。この大きなお腹……あなた、やっぱりノリ子だわ。ついでにこの重量級のボディも何とかしてもらえばよかったのに」
 ヨシ子は、大きく膨らんだノリ子の腹部を撫でながら軽口を叩いた。顔だけは麗華の繊細な造作だが、ノリ子の体型は以前と変わらず、肥満児そのものだ。
 それとは対照的に、麗華の肢体を得たヨシ子は、首から下だけが細く艶かしい。
「ちょっと、やめてよね。お嬢様の体になったからって、調子に乗っちゃって。そのスタイル抜群の体も私のものだったら、もう言うこと無いのに……」
「それは私も同じよ。その可愛い顔が私のものだったら、どんなにいいか」
「結局はお互い様か。まあ、これでよしとしましょう。おほほほほ……」
「そうね。文句を言ってもしょうがないわね。あはははは……」
 麗華の身体を奪ったヨシ子と、麗華の美貌を盗んだノリ子が揃って笑い出した。
 そこに麗華の知能を獲得したエミリが加わり、盗人は三人になった。
 肢体、顔、髪、学力。皆が激しく妬んだ麗華の美点が、次々と奪い取られていく。そして、そのたびに麗華は醜くなっていく。
 もはや正視にたえない姿になった麗華を、三人の少女が蔑んでいた。
「ふふふ……ノリ子さんも喜んで下さったようで、何よりです。それでは、マジックを再開しましょうか。次も楽しいですよ」
「ま、まだ続けるのか。もうやめてくれ……」
 カトーの宣言に、健太はいっそう深い絶望の淵に突き落とされる。残酷極まりない辱めを受けた麗華を、彼はさらに痛めつけようというのだ。
 これ以上麗華が貶められるのを見るくらいなら、いっそ消えてしまいたいとさえ思った。
「まだ僕のマジックにご協力してくださってない方は、佐藤サダ子さんだけですか。いかがです? こちらにいらして、僕の魔術を体験してみませんか」
「は、はい、あたしも体験してみたいです……」
 己の名を呼ばれた陰気な少女が立ち上がり、おぼつかない足取りでカトーに歩み寄る。
 常軌を逸したマジックショーを目にして、正気を失いかけているのだろうか。半ば前髪に隠れたサダ子の目は、怪しい光を放っていた。
「では、次のマジックを始めます。もちろん、次も麗華さんにご協力していただきます。さあ、サダ子さん。あなたは今の麗華さんをご覧になって、どう思いますか?」
「ど、どうって……」
 サダ子の青い顔がますます青ざめる。無理もない。学校一の美少女として皆の憧れだった麗華が、こんな不細工な肥満娘になってしまったのだ。
 今の麗華は、学力も容姿も体型も人並み以下である。
 そんな麗華に羨むべき点など、もはや残っていない。
 いや、正確には一つだけあった。麗華を麗華たらしめるものが。
「知恵、肢体、容姿、髪、声……嘉門院麗華さんの美点は、そちらの皆さんのものになってしまいました。しかし、まだ麗華さんには皆が羨むものが残っています。サダ子さん、学生証をお出し下さい」
「え? は、はい……」
 カトーに促され、サダ子はポケットから学生証のカードを取り出した。その表面には陰気な少女の写真と名前、生年月日が印刷されている。
 サダ子の学生証を受け取り、カトーはにやりと笑ってみせた。
「今度のマジックは少々地味かもしれません。でも、今までのマジックよりも凄いですよ。さあ、皆さん。これがサダ子さんからお借りした学生証です。そしてこちらは、先ほど僕がこっそり拝借した、麗華さんの学生証です」
 カトーの左右の手には、それぞれ学生証のカードが握られていた。右手にはサダ子の学生証が、そして左手には麗華のカードがあった。
 健太は充血した目で彼の手を見つめた。カトーが持つ麗華の学生証には、この悪夢のようなマジックショーが始まる前の、麗華の美貌が写っていた。
「あ、あの……それ、どうするつもりですか?」
「こうするんですよ。それっ!」
 カトーが掛け声と共にカードを軽く振ると、またも煙が舞い上がり、彼の両手を覆った。恐ろしいマジックショーの第四幕が始まったのだ。
 健太は麗華の身を案じてうつむいた。
 だが、健太の予想に反して、不気味な煙はサダ子と麗華の体にかすりもしなかった。
 ただカトーの手を覆い隠し、そしてすぐに消え去った。煙が晴れても、相変わらず彼の手には二枚の学生証があるのが確認できる。
 いったい、何が起こったのか。皆が訝しがる中、カトーは片方の学生証をサダ子に手渡した。
「はい、どうぞ。これがあなたの学生証ですよ」
「あ、はい。あれ……名前が変わってる?」
 サダ子の困惑の声が聞こえてくる。遠目から見て、彼女が受け取ったカードは先ほどと同じサダ子の学生証に思えた。写真がそのままだったからだ。
「さあ、サダ子さん。それを皆さんに見せてあげて下さい。氏名の欄に『嘉門院麗華』と記された、あなたの学生証をね」
「何だって?」
 健太ははっとした。距離があるのでよく見えないが、サダ子の学生証に印刷されている名前が変わっていた。ついさっきまで「佐藤サダ子」と書かれていたはずが、いつの間にか「嘉門院麗華」になっていた。
 事態を飲み込めずに戸惑う一同に、カトーが説明する。
「僕のマジックで、あなたと麗華さんの立場を交換して差し上げました。今からあなたは『嘉門院麗華』で、こちらの麗華さんが『佐藤サダ子』になります」
「な、何を言ってるの? そんなわけのわからないこと言わないで」
「論より証拠。あなたが間違いなく麗華さんだと証明してくれる方をお呼びしましょう。こちらです」
 声を震わせて動揺するサダ子をなだめ、カトーは音楽室のドアを開けた。
 すると、室内に一人の女が入ってきた。歳は二十代後半だろうか。黒のドレスの上に白いエプロンをつけ、細長いレンズの眼鏡をかけていた。
「麗華お嬢様!」
「ひ、秀美さん……!」
 涙で顔を汚した麗華が女に答えた。健太も相手の女を知っていた。麗華の身の回りを世話をしているメイドの秀美だった。麗華の家に遊びに行くと、よく彼女が飲み物や茶菓子を出してくれる。
(秀美さんがどうして学校に? いや、それより問題は麗華だ。あんな姿になっちまった麗華を見たら、秀美さんはどう思うか。そもそも、麗華が麗華だってわからないんじゃないか……)
 秀美は変わり果てた麗華の姿に気づくだろうか。いや、それは不可能だ。麗華の体は先ほどの箱の中で分割され、首から上はノリ子のものに、首から下はヨシ子のものになってしまった。もはや、誰が見ても麗華を麗華だと認識することはできまい。
 おそらく秀美は、麗華と顔を交換したノリ子を主人だと思うだろう。麗華とは似ても似つかぬ肥満体のノリ子だが、その顔も髪も、まぎれもなく麗華本人のものだ。ノリ子のことを「麗華お嬢様」と呼び、元の麗華には目もくれない。そんなメイドの姿を見れば、麗華はますます絶望するに違いない。
「麗華お嬢様、どうなさったのですか。こんな時間になっても連絡ひとつお寄越しにならないなんて。こちらから、お嬢様の携帯電話に何度もおかけしたのですよ」
「ひ、秀美さん、麗華は……」
 健太が声をかけると、秀美は目つきをやや鋭くして健太を見返した。「やっぱり健太さんとご一緒でしたか……試験が終わって気が緩むのも多少は仕方ありませんが、お友達とお遊びになるんでしたら、きちんとこちらに連絡なさって下さい。心配になりますから」
「秀美さん、私はここです。私が麗華です……」
 麗華は悲愴な面持ちで涙を流したが、案の定、秀美は現在の麗華にはまったく関心がないようだ。今まで身を案じていた主人の返事がないことに苛立っているのか、大股で教室の中にやってくると、サダ子の前で立ち止まった。
「お嬢様! 私の話を聞いていらっしゃいますか !?」
「え? あ、あたしですか?」
 秀美とカトーを除く、その場の全員が驚いた。一番驚愕したのはサダ子だろう。顔を麗華と交換したノリ子ならとにかく、なぜ無関係のサダ子が秀美に「お嬢様」などと呼ばれるのか。
 サダ子の反応に、秀美はますます機嫌を損ねたようだ。険しい顔で小柄なサダ子を見下ろすと、両手を自分の腰に当てて説教を始める。
「あなたが麗華お嬢様でなかったら何なんですか! ふざけないで下さい! 私は怒ってるんですよ !?」
「あ、あたしは嘉門院さんじゃありません。嘉門院さんのクラスメイトの佐藤サダ子といいます……」
 サダ子は長い前髪で顔を隠し、消え入りそうな小さな声で答えた。日頃、ヨシ子やノリ子以外の人間とはほとんど会話しない内気な少女は、秀美の剣幕に圧倒されていた。
「まだそんなことをおっしゃるんですか !? どこからどう見たって、あなたは嘉門院麗華様でしょう! 何年、あなたのお世話をしてると思ってるんですか! そんなくだらない冗談で誤魔化そうったって、そうはいきませんからね!」
「そ、そんな……いったい何がどうなってるの?」
「いかがです? 確かにあなたは麗華さんになってるでしょう」
 目を丸くするサダ子に、カトーが囁きかけた。
「これも僕のマジックです。ただカードの名前を入れ替えただけじゃありません。今やこの教室の外にいる誰もが、あなたを嘉門院麗華さんだと認識しているんです。こちらの秀美さんだけじゃありません。あなたたちのクラスメイトも、先生も、ご家族でさえもサダ子さんのことを麗華さんだと思っていますよ」
「し、信じられない……あたしが嘉門院さんだなんて」
「お嬢様! 私の話を聞いてますか !?」
「は、はい。えーと……もう一度訊きますけど、あたし、嘉門院麗華さんなんですよね?」
「だから、わけわからないこと言わないでください! あなたが麗華お嬢様でなかったら、他の誰が麗華様なんですか。とにかく、これからは遅くなるようでしたら、私に連絡してください! わかりましたね !?」
「は、はい、わかりました」
 サダ子の顔に、今までにない嬉しさがにじみ出ていた。カトーの魔術によって、麗華の名前と立場を我が物にしたことを実感しているのだ。
 やがて言いたいことを言い終えた秀美は、外で待つと言って部屋から出て行った。
「ひ、秀美さん……! どうして私のことがわからないの……」
 サダ子と秀美の会話を横で聞いていた不細工な麗華が、がっくりと肩を落とした。
 長年仕えたメイドでさえ、今の麗華を麗華だと認識することはできない。
 それは、単に容姿が変わったとか、声が別人のものになったという理由からではなかった。カトーのマジックのせいで、周囲の認識が変化してしまったのだ。
「信じられねえ……秀美さん、佐藤のことを麗華だって……」
 理解すら追いつかない異常な事態に、健太はただうろたえるしかない。
「あたしが麗華……あたしが嘉門院麗華なのね……」
「その通りです。サダ子さんのお顔もお声も体型も学力もそのままですが、今のあなたは紛れもなく嘉門院麗華さんです。名前だけじゃありません。立場が変化したんです。麗華さんの名前も、家も、お金も、家族も、今はあなたのものなんです。立場が入れ替わったことを知っているのは、この音楽室にいる僕たちだけですよ。これはそういうマジックです。種も仕掛けもありません」
「あたしがお金持ちの嘉門院麗華……えへへ、まるでシンデレラみたい」
 サダ子はだらしなく相好を崩し、麗華の立場になった喜びをかみ締めた。
 それに対して、床に這いつくばって泣きじゃくっている肥満少女は、もはや麗華ではなかった。「嘉門院麗華」の名前と立場を奪われ、平凡な庶民の娘「佐藤サダ子」になってしまったのだ。
 人間の立場や周囲の認識を入れ替える──とても現実に起こりうる話とは思えないが、あの稀代の魔術師がそう言うのだから、おそらくそうなってしまったのだろう。
「ふふふ……サダ子さん、お気に召していただけましたか? ああ、間違えました。今は嘉門院麗華さんでしたね。失礼しました」
「ああ……本当にあたし、嘉門院さんになってるのね。ありがとう、最高よ!」
 サダ子は普段の陰気な態度が嘘のようにはしゃぎ、カトーに抱きついた。カトーは照れるでもなく、手に持つもう一枚のカードを麗華に差し出した。
「はい、どうぞ。これがあなたの新しい学生証ですよ、麗華さん……いえ、佐藤サダ子さん」
 わざとらしく言い直すあたりが本当に憎たらしい。健太の脚さえ動くのなら、今すぐ彼に飛びかかって半殺しにしているところだ。だが、いまだに脚は動かない。
 強靭な綱かワイヤーで足を固定されているかのように、まるでびくともしないのだ。
「私、こんなの受け取れません。私は麗華です。佐藤さんじゃありません……」
「何を言うんです。この写真をご覧なさい。あなたの可愛いお顔が写ってるじゃありませんか。
 あなたがなんと言おうと、今は世界中の人間があなたのことをサダ子さんだと認識するんですよ」
 カトーが手に持つカードには、麗華本来の顔ではなく、不細工なノリ子の顔が載っていた。ノリ子と顔を取り替えたため、それを反映させたのだろう。
 今の麗華はノリ子の頭部とヨシ子の体、エミリの学力を持つサダ子という名の少女だった。
 他人が羨むところなど何ひとつない。全てが並かそれ以下。蔑まれることはあっても嫉妬されることは決してないだろう。
 大事なものを残らず失った麗華があまりに気の毒で、健太は声も出なかった。そんな二人の絶望を皆が喜んでいた。今まで嫉妬してきたため、麗華の転落を心から歓迎していた。
「さて、もう一人、学生証を書き換えなくてはいけない人がいましたね。鈴木ノリ子さん、これをお受け取り下さい」
「え? それは私のカード……いつの間に」
 カトーがノリ子に差し出したのは、麗華やサダ子と同じ、この学校の学生証だ。
 名前に「鈴木ノリ子」と記されたカードの写真が変わっていた。不器量なノリ子の顔ではなく、麗華の顔が写っていたのだ。
「ノリ子さんは麗華さんとお顔を交換しましたからね。立場も替えておかねばなりません。今のあなたの綺麗なお顔を見て、鈴木ノリ子さんだと皆が認識するようにね」
「なんかややこしいわね……でも、確かに顔も声も変わっちゃったんだから、そうしないと大変ね。うちに帰ってもママに追い出されちゃう」
「そうでしょう? だから、こうする必要があるんです。でも、もう安心です。ちゃんと済ませておきましたから、ノリ子さんがそのお顔で自宅に帰っても大丈夫ですよ」
 得意げに解説するカトー。彼の説明が本当だとしたら、現在の三人の顔と立場は次のようになる。
 麗華の顔とノリ子の立場を持つノリ子。
 サダ子の顔と麗華の立場を持つサダ子。
 ノリ子の顔とサダ子の立場を持つ麗華。
 この目で見ていなければとても信じがたい内容だが、現にノリ子は麗華の顔を奪い、サダ子は麗華から名前と立場を盗み取った。
 人を玩具のようにもてあそぶ魔術師の業に、完璧だったはずの麗華はなすすべもなく全てを奪われた。
 麗華の名が刻まれた学生証を持って自席に戻るサダ子を、三人の少女が笑顔で迎えた。
「おかえり、サダ子。あなたはお嬢様のお金をゲットしたのね。羨ましいわ」
「そ、そう? あたしはノリ子が羨ましいな。嘉門院さんの綺麗な顔になったんだから」
「んー、どうかしら。あの子の顔になったのは嬉しいけど、やっぱりヨシ子のスタイル抜群のボディには敵わないな」
「そんなことないって。私は賢くなった吉本さんに嫉妬しちゃうな。あんなに難しい問題を軽々と解いちゃうんだもん」
「おいおい、何言ってるんだよ。世の中カネに決まってるだろう。一番の勝ち組は金持ちになった佐藤だよ」
 それぞれ麗華から大事なものを奪った女生徒たちが、勝手なことを言い合い笑っていた。
 そんな盗人たちの輪から離れたところで、全てを奪い去られた哀れな少女が床にへたり込んで泣いていた。
 麗しい容姿とスタイル、頭脳、家柄、財産を誇り、皆の憧れの的だった嘉門院麗華はもういない。他人が羨む麗華の魅力はあの魔性の少年によって分割され、それぞれ別人のものになってしまった。
 愛する少女が大切なものを一つずつ奪われ、どんどん醜くなっていくのを見ながら、健太は何もできなかった。深い深い絶望と後悔、無力感が健太の心を責め、苛んでいた。
「さて、皆さん。僕のマジックを堪能していただけましたか?」
 全ての元凶である黒衣の魔術師、カトーが一同に問いかけた。少女たちは満面の笑みでうなずく。
「もちろん大満足よ。最高のマジックショーだったわ。本当にありがとう」
「いえいえ。喜んでいただけたようで、僕も安心しました。それでは、いよいよ次が最後のマジックになります」
「ま、まだあるのかよ。いい加減にしてくれよ……」
 暗色の絶望感に苛まれながら、健太はつぶやいた。もう麗華から奪うものなど何もないのに、まだこの狂気のマジックショーを続けようというのか。カトーは泣き続ける麗華の傍らに立った。
「皆さん、こちらの麗華さんをご覧下さい。今まで皆さんといろいろなものを交換し続けた麗華さんですが、実はまだ、一番大切なものは変わらずにそのままお持ちでいらっしゃいます。僕の最後のマジックで、それを皆さんのうちのどなたかにお渡ししたいと思うのですが……我をと思う方は、どうか挙手をお願いします」
「はい、はあいっ!」
 カトーの言葉に、四人の女生徒が揃って返事をした。皆、「麗華の一番大事なもの」が欲しくて仕方ないのだ。
 それが何かはまだわからないが、麗華にとって学力や容姿、髪、プロポーション、名前や家族よりも大切なものだという。そうと聞けば、誰もがそれを欲しがるのは当然だった。四人は先を争い、カトーの前に進み出た。
「私がやるわ! 今度は何をもらえるのかわからないけど、とにかく欲しいっ!」
「いいえ、あたしがやります! やらせてくださいっ!」
「おやおや、困りましたね。このマジックも今までと同じく、どなたかおひとりだけに協力していただこうと思ったのですが……」
 と、苦笑するカトー。欲望を丸出しにする少女たちに呆れているのだろうか。それとも楽しんでいるのか。黒いフードに顔の過半を覆われた彼の内心を推し量るのは難しい。
 カトーはその場にかがみ込み、これ以上なく醜悪な姿となった麗華の髪を優しく撫でた。
「ふふふ……しょうがないですね。それでは、特別に麗華さんの一番大事なものを、皆さん全員にお分けすることにしましょう。それで構いませんか?」
「うーん、四人で山分けか……まあ仕方ないわね。それでいいわ。だけど、いったい今度は何を交換するの? もう、この子からもらえるものなんて、何もないと思うんだけど……」
 皆の視線が怯えた麗華に向けられた。四人の少女が醜い彼女を凝視し、値踏みしていた。そんな麗華の肩にカトーが手をかけ、明るい声で宣言した。
「それでは、最後のマジックを始めます。皆さん、準備はいいですか?」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 放課後、健太が階段を下りると、下駄箱の前は大勢の生徒で混雑していた。これから真っ直ぐ家に帰る者がいれば、部活動にいそしむ者、校舎の外で待ち合わせをする者もいる。
 靴を履き替えた健太は急いで外に出ようとしたが、少々慌てていたため、前にいた生徒の背中にぶつかってしまった。
 勢いよく弾き飛ばされ、地面に尻餅をつく健太。そんな彼を、一人の女が見下ろしていた。
「ちょっと。人にぶつかっておいて、お詫びの言葉はないの?」
「あ、ああ……すまん、佐藤」
 健太は今しがた衝突したその女生徒、佐藤サダ子に謝った。サダ子は彼のクラスメイトで、背は低いが平均的な女子二人分の体重を誇る肥満児である。加えてとんでもない不器量で、周囲の男子たちからは「ビア樽」や「目を合わせたくない女子ナンバーワン」などといった不名誉な称号を賜っていた。
 だが、皆が忘れてしまっても、健太だけははっきりと覚えていた。この娘がかつて「完璧」と称賛される優しく美麗な才女だったことを。
「まったく……女の子のお尻ばっかり追いかけてるから、そういうことになるのよ。もうちょっと気をつけなさい」
 サダ子は健太に嫌味な言葉を投げかけると、巨体を揺らして帰っていった。
 その冷たい態度からは、ほんの数ヶ月前まで彼女と健太が相思相愛の仲だったとは想像もできない。
(仕方ないよな。麗華は変わっちまったから……何もかも変わっちまった)
 以前の恋人が去っていくのを無言で見送ると、健太は校舎の外に出た。
「健太、こっちこっちー」
 呼ばれて振り返ると、そこに複数の女子生徒の姿があった。健太は笑みを浮かべ、そちらに歩を進める。四人の女子が彼を待っていた。
 彼の名を呼んだのは、すらりとした長身の少女だった。名前は田中ヨシ子。細い腰に手を当てて仁王立ちし、長い手足を誇示している。しかし、不思議なことに顔だけは体型に不釣り合いなほどふくよかで、こけしを思わせるシルエットだ。
「トイレ、長かったのね。待ちくたびれちゃった」
 と、ヨシ子の隣で悪戯っぽい笑顔を見せたのは、さらさらした黄金色の髪の女生徒だった。染めたのではなく、天然の金髪である。顔立ちは少し日本人離れしており、瞳はつぶらで鼻梁は高い。薄い桜色の唇で柔らかく微笑むその姿は、文句無しの美少女だった。
 だが、残念なのはその体型だ。先ほど健太がぶつかって弾き飛ばされた佐藤サダ子と似たり寄ったりの肥満体なのだ。だらしなく垂れた三段腹が制服のブレザーからはみ出し、いかにも窮屈そうだった。体重は三桁に届くかもしれない。なぜか顔にだけは余分な脂肪がついていないが、そのせいでぶくぶくと肥え太った首から下が、まるで頭部と別の生き物のように見える。スリムな肢体と下ぶくれの顔をあわせ持つヨシ子とは対照的だった。
 この美貌の女生徒は鈴木ノリ子。「米俵」と称される体型は別にして、顔だけ見れば学校一の器量良しだ。
「とにかく行こうぜ。麗華の車、もう迎えに来てるんだろ?」
「う、うん。いつもの場所に停まってるって……」
 残った二人の少女たちが、そんな会話を交わして歩き出した。
 言葉づかいが乱暴な茶髪の女子は、吉本エミリ。以前は箸にも棒にもかからない不良少女だったが、今は学年一の成績を誇る優等生である。煙草を吸いながら健太たちの勉強を見てくれる、姉御肌の頼れる才女だ。
 一方、青白い顔色の小柄な女生徒は、嘉門院麗華という。
 健太たち五人は、エミリと麗華を先頭に学校をあとにした。校門から少し離れたところに、大型の高級車が停まっていた。
「お待ちしておりました、麗華お嬢様」
 運転手が麗華に挨拶し、彼女を丁重に車に乗せる。健太たちも中に乗り込んだ。
 麗華は地味な風貌からは想像もできないほどの資産家の令嬢で、お付きのメイドや運転手など、大勢の人間を従えているのだ。
「今日はどちらに?」
「ええっと……あたしの部屋に行ってください」
「かしこまりました」
 車が向かったのは、学校からほど近い場所にある高級マンションである。ここは高校に進学したのを機に、麗華の親が愛娘に与えた仮の住まいだった。
 友人たちを引き連れて帰宅した麗華を、メイドの秀美が出迎えた。
「お帰りなさいませ、麗華お嬢様」
「た、ただいま、秀美さん」
「今日もお友達がご一緒なんですね。ただいま、お菓子をお持ちします」
「い、いえ、結構です。あの……今日は勉強に集中したいので、あたしが呼ぶまで部屋に入らないでくれませんか。お願いします……」
 麗華は聞き取りにくい小声で言った。有名な資産家の令嬢でありながら、彼女はほとんどそれを感じさせない卑屈な態度で周囲に接する。まるで平凡な庶民が一夜にして金持ちになったかのような、物慣れない態度だった。
 麗華と健太の顔をちらちらと見比べたのち、秀美は「仕方ない」とでも言いたげにうなずいた。
「わかりました。それじゃ、私はしばらくお買い物に行ってきましょう。ご用の際は私の携帯におかけ下さい、お嬢様」
「は、はい……わかりました。すみません」
 忠実なメイドが出て行くと、広い家に健太と四人の少女が残された。
「それじゃ、さっそく始めましょうか。ねえ健太?」
 美少女ノリ子の言葉が合図となって、皆が各々の制服を脱ぎだした。複数の少女が衣服を脱ぎ捨てていく扇情的な光景が、健太の目を楽しませる。
 素裸になったスタイル抜群のヨシ子が健太の手を引き、ベッドに飛び込んだ。
「まずは私からね。健太、キスしてちょうだい」
 ヨシ子は二重顎を前に突き出し、分厚い唇を近づけてきた。健太は険しい顔で拒絶する。
「絶対に嫌だ」
「もう、健太ったら。私にキスしてくれたこと、一度もないんだから。しょうがないわね。じゃあ、こっちをお願い」
 健太の拒絶に残念そうな顔をしながら、ヨシ子は彼の手を自分の乳房にあてがった。女子高生とは思えない巨乳が、健太の手の中で豊かな弾力を示した。
「どう? 私のおっぱい、とびきりの揉み心地でしょ」
「ああ、最高だ。でも、お前の乳じゃないぞ。これはあいつの……」
 件の話題を持ち出そうとした健太の口を、ヨシ子の繊細な指がそっと塞いだ。
「ううん、違うわ。これは私のおっぱいなの。もう私のものなの。そうでしょ?」
 張りのある乳房を健太に揉まれ、時おり荒い息を吐き出しながら、ヨシ子は言った。
「最近、サイズが大きくなったのよ。健太のおかげね」
 と、得意げに語って自らの豊満な体つきをアピールする。
 細い腰や整ったプロポーションこそ入れ替わったときと変わっていないが、体の線は全体的に丸みを帯び、少女というよりも女の体になりつつあった。
 硬く勃起した乳首を強く抓ると、ヨシ子は色っぽい声をあげて身をくねらせた。
「ああっ、そこいい。体が熱くなっちゃう」
「下も触るぞ」
「うん、お願い。いっぱい可愛がって……」
 菓子パンにも似た丸顔を真っ赤にして、健太の愛撫を待ちわびるヨシ子。この少女と自分がこのような関係になるとは、以前の健太は想像さえしなかった。
 そのヨシ子が、今は自分の指に性器をかき回されて、浅ましいよがり声を発している。本当に不思議なものだと健太は思った。
「あっ、あっ、すごい。健太に触られると、体がビクビクするの」
 ヨシ子の女の部分は早くもよだれを垂らし、結合の準備を整え始めていた。桜色に染まった肌に舌を這わせ、健太は最愛の少女のものだった肢体の味を楽しむ。
 その首に載っているのは別人の頭部だが、首から下は紛れもなく「彼女」の体なのだ。
「ヨシ子ばっかりずるい。私も健太としたいのに」
 突然、横から割り込んできた美少女の顔に、健太は少なからず驚いた。それは、いま健太が相手をしているはずの「彼女」の顔だったからだ。
「れ、麗華?」
「違うわ、私はノリ子。あれからもうだいぶたつんだから、間違えないで」
 黄金の糸で編んだような美しい髪を強調しながら、ノリ子は答えた。
 繊細な顔立ちも麗しい金髪も、もとは「彼女」のもの。しかし今はノリ子のものだ。学校一の美少女となった肥満児が、健太とヨシ子の間に割り込んでいた。
「ヨシ子だけじゃなくて私にもしてよ、健太」
「あ、ああ……じゃあ、キスしてやる」
 健太はノリ子の細い顎をつかみ、可愛らしい唇に自らのそれを重ねた。満足げに目を細めるノリ子の口内に舌を差し入れ、音を立てて唾液を味わう。
「ん……健太のキス、いやらしい。んっ、あんっ」
 ノリ子は艶やかな「彼女」の声で歓喜した。中身こそ別人だが、その声も顔も「彼女」のもの。記憶の中の「彼女」が決して見せなかった淫猥な表情を前にして、健太の牡が立ち上がった。
「あっ、健太のチンポが当たってる。お願い、もっと私の体をいじって。ああっ、あんっ」
「健太、もっとキスして。もっと私を味わって」
 体だけの「彼女」と頭部だけの「彼女」を同時にもてあそぶことで、健太の中で得体の知れない興奮が生まれる。健太の心をかき乱すのはヨシ子でもノリ子でもなかった。二人が持っている「彼女」の一部だった。
「もう我慢できねえ。入れるぞ、ヨシ子」
 すっかり奮い立った健太は、ヨシ子の細い腰をつかみ、正面から己のものを突き入れた。健太によって女にされた「彼女」の入り口が広がり、彼を一気に飲み込んだ。
「おほおっ、入ってきたわ。健太が私の中に……ぶひいっ」
 ヨシ子の下品な喘ぎは獣じみていて、情緒の欠片もない。豚を犯している気分になった。健太は相手を気づかうことなく、腰を乱暴に叩きつける。喜んでいるのか苦しんでいるのかもわからないヨシ子の鳴き声を聞きながら、男の欲望を存分に満たした。
 激しく絡み合う健太たちを、手持ち無沙汰のエミリと麗華が座って眺めている。
「おい、早く交代してくれよ。あたしも早く健太とヤリたくてウズウズしてるんだから」
「あ、あたしも……健太君と、その、したいです」
 二人は頬を赤くして、愛する健太を待ちわびていた。
 ヨシ子、ノリ子、エミリ、麗華。まるでタイプは異なるが、皆、健太のことが好きで好きで仕方ないのだ。
 こんなことになってしまったのは、四人が「彼女」の恋心を植えつけられたためである。
「女の子にとって一番大切なもの……それは恋する心です。麗華さんの恋する心を、あなたたちのそれと交換してあげましょう。これが僕の最後のマジックです」
 あの日、「彼女」の魅力を一つずつ剥ぎ取り、バラバラにした黒衣の占い師は、そう言って「彼女」と四人の恋心を交換した。だが四人は誰にも惚れていなかったために、健太を愛する「彼女」の想いだけが一方的に四人に移植されることとなった。
 その結果、「彼女」は健太に対する一切の好意を失い、代わりに「彼女」から魅力を奪った四人の娘が健太を恋い慕うようになってしまったのだ。
 以来、健太は自分に迫ってくる少女ら全員と関係を持ち、その中から一人を選ぶでもなく、堂々と全員と交際している。
「どうだ、ヨシ子。俺のチンポはそんなにいいか?」
 健太はかつての恋人の体を持つクラスメイトに問いかけた。
「は、はい。最高ですっ! ぶひいっ、もっとしてえっ」
「この豚がっ! 麗華の体でスケベなことばかりしやがって! あの日、お前が麗華と体を入れ替えなきゃ、こんなことにはならなかったんだぞっ」
「そ、そうです。こんなに気持ちいい体になって、とっても幸せなのおっ! あう、すごいっ!」
 ヨシ子はよだれを垂らして喘ぎ、たくましい少年のペニスを堪能していた。
 彼女に言わせると、こうして健太とまぐわっているときが、一番、現在の自分の身体を自分のものだと実感できるのだという。
 すなわち、この行為はヨシ子にとって意中の相手との仲を深めるだけでなく、もとは他人のものだった首から下の肉体を自分に馴染ませる儀式なのである。
「彼女」の肢体を奪った醜い女を貫きながら、健太は言いようのない背徳感と征服感とに燃えていた。
「ああ……麗華、麗華っ!」
 傍らのノリ子と接吻を交わしつつ、愛する少女の名を呼ぶ。最初の波がやってきた。
「おら、出すぞっ! 中出しだ、麗華っ!」
 熱い塊が健太の先端から噴き出し、少女の胎内に叩きつけられる。ヨシ子の体がびくんと跳ねた。
「うほっ、出てる。イクっ、イっちゃう。中出しイクっ」
「彼女」の美しい身体の上で、ヨシ子の頭部が鼻息荒く絶頂に達した。
 射精を終えた健太は、半ば気を失っているヨシ子から一物を引き抜く。新しい所有者によって性感帯を開発された少女の体が、濃厚な牝の臭いを放っていた。
「気持ちよさそうだなあ、ヨシ子。私だって、ダイエットさえすれば……」
 健太とのキスで興奮した様子のノリ子が、ヨシ子を羨ましげに見つめた。
 ノリ子も健太の愛人の一人だが、とてつもない肥満体のためセックスに及ぶことは滅多にない。もっぱら口で健太に奉仕する係である。「もっと痩せれば相手をしてやる」と健太は言っているのだが、ノリ子にはそれができないらしい。
「終わったみたいだな。やっとあたしたちの出番だぜ、麗華」
「すごい……ヨシ子、失神してる」
 健太の背中に裸体を押しつけてきたのはエミリと麗華だ。
 バストこそヨシ子ほどではないが、エミリは肉づきのいい魅力的なボディの持ち主だった。
 一方の麗華は小柄で幼児体型。以前は青白い顔色と長い前髪のせいでクラスの男子たちからは敬遠されていたが、「彼女」の名前と立場を手に入れてからは、前髪を切って服装にも気をつかうようになり、随分と明るくなった。
 惚れた相手に尽くすタイプのようで、健太の言うことは何でも聞き入れてくれる。彼に命じられるまま一行のスポンサーとなって、皆に遊ぶ金を提供しているのが彼女だった。
「麗華、こっちに来いよ。そんであたしの上に乗りな」
 エミリは麗華の小さな体を抱きかかえ、自らは仰向けに寝転がった。二人の女子高生が抱き合い、仲良く健太に秘所を晒した。
「な、何するの、エミリ?」
「たまには麗華と一緒にしてみたくなったんだよ。なあ、健太、あたしの考えてること、わかるだろ?」
「ああ、わかってる。味くらべだろ」
 健太はエミリの意図を察し、鈍い光を放つ男性器を二人の体の隙間に突っ込んだ。柔らかな二人の腹の肉に挟まれ、若いペニスはすぐさま活力を取り戻す。
 ヨシ子のエキスで濡れた健太のものを、先に受け入れたのはエミリだった。
「んん……健太のチンポ、まだまだ元気じゃねえか。あたしの中をゴリゴリしてきやがる」
「そりゃ、日頃から鍛えてるからな。こんな風に」
 健太の切っ先がエミリの奥へと分け入り、子宮をぐいぐいと圧迫する。素行不良の優等生の顔が歓喜に歪んだ。
「はあっ、それいい。一番奥に当たってる。あんっ、あんっ」
 リズミカルに腰を動かして秘部の最奥まで抜き差しする健太に、エミリはたちまち魅了される。学校の教師たちが手を焼く問題児の女生徒も、健太にかかれば赤子同然だった。
「エミリの中、すっげえ熱い。肉が絡みついてくる」
「あっ、ああんっ。そんな、そんなこと言うなあ……」
「そろそろいいか。お次は麗華だ」
 健太はピストン運動を中止し、ゆっくりとエミリの中から抜け出た。そして硬いままのペニスを、今度は麗華に突き入れる。
「ああっ、健太君があたしの中に……」
「麗華の中は狭くてきついな。動くのも大変だ」
 小柄な麗華の女性器は、当然のことながら狭い。太い健太のものを受け入れるのは大変だろう。
 しかし、健太は麗華の体を押さえ、容赦なく彼女の中を往復した。ヨシ子、エミリ、そして麗華の愛液が健太の汁と混じり合って泡だつ。
「ううっ、健太君。健太君……」
「ははは、サダ子の顔、だらしなく緩んでるぞ。普段は大人しいくせにエロいやつだ」
「酷い。あたしはもうサダ子じゃなくて麗華だって言ってるのに……ああっ、ダメっ」
「お前は麗華じゃない。サダ子だ。あいつの名前だけもらっても、サダ子はサダ子だろ」
 バックスタイルで麗華を犯しながら、健太は相手の本当の名を呼んだ。こうすることで、この少女の性感が高まるのを彼はよく知っていた。
 麗華の膣内が適度にほぐれてくると、また交代してエミリの締めつけを堪能する。
 二人の女子高生を代わる代わる味わうことで、再び射精の欲求が湧き上がってきた。
「おおっ、出すぞ。中に出してほしいのはどっちだ !?」
「あ、あたしがいいっ」
 二人は異口同音に答えた。それを聞いて、まずは麗華に子種を植えつけた。濃厚な白濁が少女の胎内を焼き、若く健やかな子宮に無数の精子を送り込んだ。
「ああっ、健太君が中に出してる。熱いよ。こんなに出されたら赤ちゃんできちゃう……」
 満足そうに吐息をつく麗華から急いで抜け出て、エミリに残りの精を注ぎ込む。健太の遺伝子が灼熱のマグマとなって、エミリの体内に飲み込まれていった。
「んんっ、中出しされてる。あたし、健太に種付けされてる……うう、気持ちいいっ」
 ビクビクと体を震わせ、膣内射精の甘露を味わうエミリ。
 二人の少女はたっぷりと健太の精液を受け止め、女の幸せを噛み締めた。その嬉しそうな顔には、妊娠の恐怖など微塵もない。むしろ受精するなら本望なのだろう。
「ふう、二人ともよかったぞ。思いっきりしぼり取られた……」
 健太は疲労を感じてへたり込んだ。そこに美貌の肥満児、ノリ子が寄ってくる。
「後始末は私に任せて。口で綺麗にしてあげる」
「ああ、麗華、頼む……」
「だから、私はノリ子だってば」
 ぶつぶつ文句を言いながら、ノリ子は細い唇から舌を出して健太のペニスをなめ始めた。その顔のおかげで、「彼女」が淫らな奉仕をしてくれているような気分になる。
 健太はノリ子の向こうに視線をやった。そこには「彼女」の肢体だけを持つヨシ子がいる。反対側には、「彼女」の知能を持つエミリと、「彼女」の名を持つサダ子がいた。
(麗華……)
 健太は心の中で「彼女」の名を呼び、かつての恋人に思いを馳せた。人の形をした悪魔によって全てを奪われる前の「彼女」の姿が脳裏に浮かんだ。
 あの日、カトーという名のあの魔術師によって、完璧な「彼女」は消されてしまった。
 知恵、顔、体、名前……大事なものを一つずつ剥ぎ取られてしまった「彼女」は、最後には健太への愛情すら無くしてしまった。再び健太の恋人となることはないだろう。
 その代わり、「彼女」の顔や名前を盗んだ四人の娘が健太の愛人となった。
 四人の長所を合わせれば、かつての完璧な「彼女」とほぼ同等である。ある意味、「彼女」は今も健太のそばにいると言えるかもしれない。
 全てのマジックが終わったあと、カトーは健太にこう言った。
「いかがです? あなたの願いは叶えましたよ。何でもできる完璧な麗華さんから、皆が羨む要素を全て取り去りました。これで、健太さんは彼女と対等どころか、どんな分野で競っても、絶対に勝てると思います。スポーツでも、勉学でも、そして容姿や人望も。『相手のことを好き』という気持ちでさえ、今の麗華さんはあなたに敵わないでしょうね。何しろ恋心を残らず無くしたわけですから、勝負にもなりませんよ」
「ち、違うんだ。俺はこんなこと望んでない。麗華を元に戻してくれ……」
「それは難しいですね。『僕の仕事がお気に召さない場合、料金は結構です』とは言いましたが、元通りにするとはひとことも言っていません。それに、他の皆さんがこんなにも喜んでいらっしゃるわけですし、今さら元には戻せませんよ。ほら、ご覧なさい。四人ともあなたにぞっこん惚れてらっしゃいますよ」
 あの日から、健太はカトーの姿を一度たりとも見ていない。
 もう顔を合わせることは二度とないだろう。そんな確信があった。
「どう? 健太、私の口、気持ちいい?」
「健太、私、もう一回してほしいな。こっちに来てよ」
「おい、健太、あたしのことも忘れるなよ」
「健太さん……あたしも、もう一度してほしいです……」
 静かに回想にふける健太を、四人の少女が取り囲んでいた。
 バラバラになった「彼女」が姿かたちを変えて、今も自分に寄り添ってくれている。そう思うと、自分がいま嬉しいのか、悲しいのかもわからなくなる。
 健太はベッドに倒れ込み、小声で「彼女」の名前を呼んだ。


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