真由美と俺


 その日は雪も風もほとんどなく、久しぶりに温かな太陽が雲の隙間から顔を覗かせた。俺はいつものようにお隣の呼び鈴を鳴らし、雪の残った道に立ち、あいつを待つ。
 すぐにドアホンから女の声が聞こえてきた。
「どうぞー! カギ開いてるからー!」
「そうか」
 俺が来るのは連絡済みのことだったが、だからといって家の戸締りをしないのは不用心だろう。泥棒にでも入られたらどうするつもりなのやら。俺は苦笑してその家の敷地に足を踏み入れ、カギのかかっていないドアを開けて玄関に侵入した。
 パタパタというあわただしい足音と共に、一人の女が駆けてくる。
「さ、あがって」
「おう」
 彼女は全体的にほっそりした体つきで、長い黒髪を後ろで束ねていた。
 着ているものは飾り気のない白の長袖トレーナーとボロっちいジーンズ。髪をおろしてもっと可愛らしい格好をした方がいいと思うんだが、残念ながら俺のその意見が聞き入れられたことはない。さすがに遠出をするときはオシャレの一つもするようだが、こいつは俺の前では普段着しか着やしない。以前着てた、ブラウスとフレアスカートの組み合わせなんて良かったんだけどな。
 心の中でぶつくさ言いながら靴を脱いで上がりこみ、リビングにお邪魔した。ごく自然な動作で椅子に腰を下ろす俺に彼女がたずねる。
「あ、インスタントのコーヒーでいい? 紅茶もあるけど」
「別に何でもいいぞ。あと甘い物があれば嬉しい」
「わかったわかった。ふふ、隼人ってば男のくせに甘党だもんね」
「……悪いかよ」
 つい仏頂面になって口を尖らせてしまう。男がケーキやシュークリーム好きじゃいけないってのか。まったくつまらんことを言いやがって、こいつは。
 リビングは清潔で柔らかい雰囲気に包まれている。こいつのお母さんの趣味で、キッチンやテーブルのそこかしこにはぬいぐるみや子供アニメのキャラクターグッズが置かれており、ここにいると絵本に出てくるメルヘンの世界の住人になったような気がしてくる。
 やがて女がコーヒーが入ったカップを二つと、なぜか饅頭の載った皿を持ってきた。
「なんで饅頭なんだ? コーヒーと合わねえだろ」
「いや、私が好きだから」
 なんでこいつの好みにつき合わされなきゃならんのかよくわからなかったが、まあ俺も和菓子は嫌いじゃない。文句も言わずに黙って受け取る。
 こうしてテーブルを挟んで座った女と俺は、一対一で向き合った。

 こいつの名前は橋本真由美。うちの隣に住んでる女で、歳は俺と同じ十七歳。
 ご近所で歳が同じだったこと、それに親同士が仲良かったことから、小さい頃の真由美と俺はよく遊んだもんだった。泣かされるのは大抵俺だったけど。小学校でも中学校でもしょっちゅう同じクラスになるし、周囲から仲を冷やかされることもあった。
 学区や成績の関係で高校まで同じところだが、さすがに今は昔みたいな訳にはいかない。そりゃあ今でもこいつとは打ち解けて話せるし、こうして互いの家に行き来することもあるけど、この歳になるとどうしても異性の幼馴染とは一定の距離ができてしまう。
 それは当たり前のことだ。何しろ俺と真由美は、別につき合ってる訳じゃないんだから。
 こいつはあくまでただの友達、幼馴染。それ以上でもそれ以下でもない。俺も真由美もそれを暗黙の了解として受け取っていた。少なくとも俺はそう思っていた。
 軽くカップに口をつけ、真由美が話しかけてくる。気取ることも硬くなるでもない、いつも通りの穏やかなこいつの顔。
「隼人、わざわざ来てくれてありがとね」
「なんだよ改まって。いつものことだろ」
 ああ、ポニーテールなんぞやめてストレートにすりゃいいのにな。そっちのが断然似合うのに。俺の彼女でもないのに、ついついもどかしさを感じてしまう。
 そんな俺の心の声が聞こえるはずもなく、真由美は言葉を続けた。
「うん。でも今日はちょっと、大事な話をしたかったから」
「大事な話? なんだそれ」
 声と態度に思わせぶりな何かが混ざる。珍しいな、こいつらしくもない。
 饅頭を口に詰め込むのをやめて、俺は彼女の言葉をじっと待った。
「ほら、私たちも来年は受験でしょ? 隼人に聞いときたいことがあって」
 返事の代わりに真由美の顔を見つめ返してやる。こちらに向けられているのはいつも見慣れた女の顔。十数年間一緒だった幼馴染の顔だった。
 小さかった頃のこいつの記憶が俺の頭をかすめ、今の姿とダブってしまう。
 俺も真由美も大人になった。少なくとも体はもう子供じゃないだろう。
 こいつが着ているトレーナーの胸元を押し上げている二つの膨らみはそこそこのサイズだったし、細い手足が描く曲線も俺がつい見とれてしまうくらいの魅力があった。
 来年は高三の十八歳、大学受験なんてイベントが控えている。俺はまだやる気も実感もないのだが、こいつは偉いことに今からきちんと考えているらしい。
 カップを持ち上げて傾け、再び皿に戻してから俺は言った。
「聞きたいことって言ってもな。俺はまだ志望校決めてないし、成績だってお前のが上だ ろ。真由美はたしか国立の理系だったよな」
「うん」
 真由美はかなりの優等生だった。頑張れば国立だって通るくらいの実力はあるはずだ。工学部か理学部か、薬学部か……理工系は女が少ないらしいから、入ったら大変そうだな。
 対する俺は成績が落ちる一方、センター試験一年前だというのにやる気の欠片もない。特に将来への展望を持ってる訳でも、すがりつく夢や希望がある訳でもなかった。
 そうだ。いつからか俺は、真由美に完全に置いていかれてしまってたんだ。
 だから俺の声に多少の自嘲と羨望が混入するのも仕方のないところで。
「まあ真由美なら大丈夫だろうから頑張ってくれ。お前は俺よりすげーんだから」
「そんなことないよ。隼人もやればできるの、私知ってるから」
「はいはい、そうですか」
 女に慰められるってのがどれだけ情けないことか、こいつはわかっているんだろうか。
 俺は不機嫌になって、ついつい声を荒げてしまった。
「それで、俺に何が聞きたいんだ?」
「うん、あのね。私、大学のこととか将来の進路とか、いろいろ調べたんだ。そしたら、やっぱり理系の研究職は、今でも女には不利なところが多いんだって」
「不利って言っても、今はそんな時代じゃないだろ。お前なら何とでもなる」
「うん。でもやっぱり不安だな、って思って……」
 まったく、こいつは何が言いたいのか。俺の方がヤバい状況だってのに、なんで俺に相談するんだ。胸の苛立ちがだんだんと大きくなっていく。
 苦虫を噛み潰したような表情の俺に、真由美は小さな声で言った。
「それでね、隼人に聞きたいんだけど……あんた、私のこと好き?」
「はあ?」
 唐突な質問にどう答えればいいかわからず、間抜けな声しか上げられない。
 しかし真由美のやつは立て続けに質問を繰り出してくる。
「私のこと、好き? 一生私と一緒にいろって言ったらうなずいてくれる? 私と二人でずっと暮らしていく気はある?」
「なんだよそれ……なんなんだよいきなり……」
 カップを持つ俺の手が小刻みに揺れる。
 告白だって? こいつが俺に? しかもこれ、プロポーズみたいなもんじゃねーか。あの真由美が俺に求婚、一生一緒にいろだって? 訳がわからない。わからなすぎる。
 ひょっとして俺はからかわれてるんだろうか。大慌ての俺の反応を確認した後、ニヤリと笑って、“なーんてね、びっくりした?”なんてふざけてくるのだろうか。
 しかし真由美の表情は真剣そのもの、どこか思いつめたような色が見てとれた。
(でも、好きかって言われてもな……今までずっと友達だった訳だし)
 顔は悪くない。スタイルもまぁいいだろう。頭は俺よりいいし性格も明るい。たしかにつき合うとしたら優良物件かもしれないが、しかしこいつは幼馴染だ。じっと真由美の顔を見ていると、泥だらけになってわんわん泣いてた糞ガキの頃を思い出しちまう。そんな相手を彼女にできるかってーと……うーむ、どうなんだろ。実感わかねえ。
 だが何か答えないことには話が進まない。うなずくか断るか、冗談で誤魔化すか。
 静かなリビングからは物音一つ聞こえなかった。自分の心臓だけがドクドクと大きな鼓動を刻み続ける。
 たっぷり三十秒ほど黙り込み、結局俺は中途半端な答えを選んだ。
「――仕方ないな。好きでいてやるよ」
 半分冗談、半分本気という覚悟の足りない笑顔。
 しかし真由美は俺の回答にほっとしたらしく、胸を撫で下ろして言った。
「わかった。じゃあ隼人、あんたを私にちょうだい。代わりに私をあげるから」
「何のことだ? まさかいきなりヤらせてくれるとか?」
 俺の下品この上ない質問にも、真由美はにっこり微笑んでくれる。
「うん、隼人がしたいならいいよ。今日うちのお父さんとお母さん、帰ってくるの遅いんだ。でも私初めてだから、優しくね?」
「そうなのか。わかった」
 そういやこいつは、あまり男に縁がないやつだからな。俺の方は女とつき合ってたことがあるし、そっちの経験もちゃんとあったが、今は彼女なしの完全フリー。何も問題ない。
 展開の速さに多少の戸惑いはあったが、こいつから言ってきたことだし、据え膳食わぬは男の恥。
 席を立って真由美に歩み寄ろうとした俺に、彼女の静かな声が聞こえてきた。
「でね、隼人。もう一個聞いときたいんだけど」
「何だ?」
「さすがにそろそろ効いてこない? 薬」
「くすり――?」
 立ち上がった俺の視界がぐらりと傾く。まぶたが急に重くなり、立ってられなくなる。
 何だ、いったい俺の体に何が……薬って、真由美――。
 そこで俺の意識は闇に覆われ、全ての感覚が失われた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 ……気がついたのはどれぐらい経ってからだろうか。
 まず感じたのは背中を優しく包み込む柔らかな感触。どうやら俺は、クッションか何かの上に仰向けになって寝転がっているようだった。要は人様の家でグーグーと寝ちまってたって訳だ。勝手知ったる真由美のうちだからいいけどさ。
「ん……」
 軽くうめいて目を開ける。飛び込んできたのは白い天井と蛍光灯。
 首を振って周りを見回すと、やはり白の壁にかかったカレンダーやらハンガー、綺麗に整理された学習机や参考書の詰まった本棚が俺を取り巻いていた。
 ここしばらく入った覚えがないが、よく見慣れた真由美の部屋だ。
 そして俺は不躾にも、真由美のベッドの上で眠り込んでしまってたらしい。まだ頭の中には眠気が残っていて、普段から当てにならない思考をさらに曇らせている。
 俺、寝ちまってたのか……でもさっきまで一階のリビングにいたような。運んでもらったのか? 男の俺の、決して軽くはない体を、どこの誰が。
 真由美はどこだろう。たしか大事な話の途中だったのに眠りこけちまって、悪いことをしたな。
 頭を動かした俺はふと、軽い違和感を覚えた。
「…………?」
 肩にかかる長い黒髪。うち数本が顔にまとわりついてむずがゆい。
 しかしなぜ俺にこんな髪が? 当たり前だが俺は長髪じゃないし、しかも茶色に染めている。
 次に見えたのは、その鬱陶しい髪を触る、俺のか細い手だった。指は細く色は白く、爪も見栄えがするように整っている。白魚のような、という表現が何となく実感できる、そんな華奢な俺の両手。
 そして見下ろした視線の先、白いトレーナーに覆われた胸はたしかに膨らんでいて、俺が上半身を動かすたびにぶるぶる揺れる。はっきりした重みがすげー生々しい。
「なんだ、これ……?」
 震える声は恐怖のせいか、自分のものとは思えないほどかん高い。いや、この声にはどこか聞き覚えがある。それも自分のものじゃない、誰か他人の声として。
 困惑のせいで頭が回らない。なんだこの手は。なんで髪が黒くて長い? このデカい胸は?
 叫んで飛び上がってしまいそうな気分だったが、年頃の男としては悲鳴をあげるのにも抵抗がある。
 ガタガタ震えつつも髪を触り胸を揉み、作り物でないことを確かめる。それはカツラやパッドではなく、間違いなく俺の体の一部だった。
 でもどうして。これじゃ俺、まるで女じゃないか。
「お、俺、どうなっちまったんだ……?」

 そのとき部屋のドアが突然開き、男が姿を現した。中肉中背、短い茶髪の平凡な男だ。明るいオレンジのセーターとデニムパンツという、これまたありふれた格好。
 だがそいつの顔を見て、俺は驚愕のあまり呼吸が止まりそうになった。
「あ、隼人起きた? 体、大丈夫?」
「な、な、な……だ、誰……! 誰だよお前っ !?」
 その男は頭のてっぺんから足の先まで俺と寸分違わぬ、井上隼人の姿だったのだ。
 指差すために水平に持ち上げた腕も、痙攣してガクガクと止まらない。
 男は真っ青の俺に笑顔で近づいてきて、馴れ馴れしく隣に腰を下ろしてきた。
「気分はどう? 変なとこない?」
「へ、変なとこって……どうなってんだよ !? なんで俺がこんな格好してるんだ !? お前は誰だ、なんで俺がここにいるっ !?」
 顔色を青から赤に変えてまくしたてる俺を、男は落ち着いた様子で眺めている。
 くそ、妙に澄ましたツラしやがって。早く俺の質問に答えろ、この偽者め。
 男は軽くため息をつき、横目で俺を見やる。それはちょうど大人が子供に向けるような優越感と慰めと、わずかな侮りとが入り混じった視線だった。
「…………」
 男は何も答えず立ち上がり、真由美の机を勝手にいじって引き出しの中から円形の鏡を取り出した。直径が二十センチほどで真っ直ぐの取っ手がついた、黄色い枠の手鏡だ。そして黙ったままそれを見せつけてくる。鏡に映った女の姿に、俺は大声をあげていた。
「――真由美 !?」
 そう。鏡に映っていたのは俺じゃなく、幼馴染の女の顔だったんだ。いつものポニーテールは解かれて後ろに垂れ下がり、背中や肩を緩やかに流れている。
 うん、やっぱりこっちのが真由美には似合うな。清楚な感じがなかなかいい。異常すぎる事態だというのに、俺は心の片隅でのんきにそんなことを考えていた。
 鏡を俺に手渡した男が正面に立って口を開く。
「ほら、わかった? あんたは私になってるの。それで私があんたになってる」
「え……?」
 とても信じられないが、鏡に映る真由美が俺だというのは、もはや否定の余地がなかった。俺がまばたきすれば鏡の中のこいつもそうするし、口を動かしてもやはり同じこと。つまり俺は今、真由美になっちまってる。
 ということは目の前にいるこの男、俺の格好をしたこの男は――。
「お、お前……真由美? 真由美なのか?」
「そうよ。やっとわかった?」
 俺の言葉に満足したのか、こちらを見下ろしてウインクしてくる。ひどく気持ちが悪い。さっきまで自分だった顔が他人のように動いているってのは、すごい違和感がある。
 だって自分の顔なんて、普段は鏡でしか見ないじゃん。それが俺の意思に関係なく別人みたいに振る舞ってるってのは、とても奇妙なことだった。
 男が再び俺の隣、真由美のベッドの上に腰を下ろす。
「どう? まだ入れ替わってること、信じられない?」
「し、信じらんねえ――何なんだよこれは !? お前真由美だろ、説明しろよ !!」
「うーん、もと男のくせに平常心が足りないわねえ……」
 平常心だと? 知ったことか。何で俺がお前になって、お前が俺になってんだよ。勝手に俺の顔で笑うな。俺の声で喋るな。俺の体を使うんじゃねえ。
 俺の混乱を知ってか知らずか、男は俺の肩に両手を置いて急に真剣な顔になった。
「いい? よく聞いて。私はある薬を使ってあんたと体を入れ替えたの。だから今はあんたが真由美。私が隼人。ここまでオーケー?」
「あ、ああ……」
 そう答える声も女のもの。真由美の声だから俺には聞き覚えがあるどころじゃないんだが、自分の声を自分で聞くとちょっと違うっていうしな。やっぱり少し違う気がする。
 でも薬って、どんな薬を使えばこんなことになるんだよ。おかしすぎるぞこの状況。男の両手に力がこもり、華奢な体の俺は顔をしかめてしまう。
「なんでこんなことしたかっていうとね、さっきも言った通りよ。私の進路にとっては男の方が何かと都合がいいの。だからあんたと体を入れ替えた」
「…………」
 ぽかんと口を開けて男を見つめる俺。
「そう。これから私はあんたに、井上隼人になって生きていく。あんたの人生私がもらうわ。代わりにあんたには私の、橋本真由美の全てをあげる」
「え……? お前、何言って――」
 おい、なんだよそれ……それってどういうことだよ。
 真由美が俺になって大学受けて就職して、俺の代わりに生きていくってことか? そんで俺は真由美になって、ずっと女の人生を送れってことなのか?
 そんな。そんなことされたら、どうなっちまうんだよ。あまりの衝撃に俺の思考は空回りを続ける。
「……わかってる。私がどれだけひどいことしてるか、ちゃんと自覚してる。勝手にあんたの体と人生、盗っちゃってごめん。ホントにごめん」
「いやお前、なに謝って……も、戻せよ。早く返せよ、俺の体を――」
「あの薬の効果は一回こっきりよ。一度入れ替わったら耐性がついちゃうから、二度と戻れないの。もうあんたは死ぬまで私のまま、私の姿で生きていくしかない……」
「――――っ !?」
 今度こそ俺の血の気が引いて意識が遠くなる。失神しそうな俺を支えたのは真由美の、俺になった真由美の腕だった。自分じゃ自覚したことがなかった、太くて力強い男の腕。
 気がつくと俺は自分の体に抱きしめられ、ぼーっとその場に座り込んでいた。
「ごめんね隼人。ちゃんと責任取るから。ずっと一緒にいてあげるから……」
 おいおい、なに俺の顔で泣きそうになってんだよ。気持ち悪いなあもう。心が麻痺しちまって何が何だかわからない。ああ、こいつあったかいなぁ。でもちょっと苦しいかな。俺の体ってこんなに力あったっけ……。
 体を放されたのも束の間、すぐに俺は真由美に押し倒されていた。
「隼人……私が女の子のコト、いろいろ教えてあげるね……」
「ま、真由美……」
 俺にのしかかってくる男の体。恐怖を感じるこんな場面であっても、今の俺はぼんやりしたまま、ベッドの上に寝転がってまともな思考を放棄している。
 真由美は俺の胸の膨らみをわしづかみにし、きつく揉みしだいた。痛くないように一応は気を遣っているんだろうが、それでも痛いものは痛い。柔らかくて弾力はあるから、きっと揉んでる方は気持ちいいんだろうな。俺もそうだったからよくわかる。
「どう? 気持ちいい?」
「ん、あ……な、なんか変……」
 気持ち良くはない。それどころかまだちょっと痛む。なんかくすぐったい感じだ。
 こいつって普段オナニーしないんだろうか? どうも感度が悪い気がする。それとも女の体って、みんなこんなもんなんだろうか。それでも緩急をつけてトレーナーの上から乳房を揉まれていると、つい声が漏れてしまう。
「あ、ああ……んっ、まゆ、真由美ぃっ……」
「ふふふ……隼人、可愛い……」
 真由美は俺の顔で微笑むと、体重をかけないよう俺の上に腰を下ろしたままでトレーナーの中に手を入れ、ゆっくりと脱がせてくる。中に着ていた肌着もバンザイの格好で剥ぎ取られ、上半身につけているのはピンクのブラのみ。
 俺は抵抗する気にもなれず、大人しく真由美のオモチャになっていた。
 最後に残ったブラにも真由美の太い指が伸び、カップの間のホックを外す。
「今日つけてたのフロントホックだから、この体勢でも脱げるんだよ。後でブラジャーのつけ方も教えたげるね」
「…………」
 ああそうか。俺は真由美になるんだから、女の服や下着を着れるようにならないと。
 露になった俺の乳房は小柄な体の割には大きめで、形も綺麗に整っていた。その先っちょでは、硬くなった二つのつぼみがしっかりと立ち上がっている。
 これが俺のおっぱい――。
「んっ……!」
 男のごつい手に直接乳をつかまれ、軽く声があがる。
 真由美も興奮しているのか、その顔は赤く熱を帯びていた。欲情した男の顔。今の俺は女としてその表情を見上げている。
「しっかり立ってる……ふふ、隼人ってばエッチなんだから……」
 両の手が動き、親指と人差し指で勃起した乳首を挟まれる。強い刺激に俺の体が飛び跳ねるが、それは痛みのせいなのか、それとも何か違うものか。
 俺になった真由美はたどたどしい手つきで俺の乳房を揉み続けた。
「あっ、んああっ……あふっ、あんっ、あああっ……!」
 未知の刺激、未知の快楽。抵抗もできない俺にできるのは鳴くことだけ。それも気持ちよさそうに、目を細め舌を出して喘ぐだけ。自分の声なのに、聞き慣れた真由美の声なのに、信じられないほどエロく感じられた。
 真由美が体勢を変え、乳を揉んだまま覆いかぶさってくる。視界が自分のものだった顔に覆われ、無防備な唇を奪われた。
「んんっ――ん、んんっ……!」
 俺だってキスの経験くらいあるが、さすがに男を相手にしたことはない。しかもそれが大事な自分の顔だってんだから、なんか奇妙で不思議な感じだ。貪るように俺を求めてくる真由美の唇に苦しめられ、俺は抗議のうめきをあげた。
 だがこいつは力を込め、俺を押さえつけて放さない。どこで覚えたかは知らないが、乱暴に舌も入れてきやがる。こっちが息も絶え絶えだってのに、遠慮なしに俺の歯や舌をベロベロと舐めてくる。
 むかつく。自分が受け身になっているのも、こいつに逆らえないのも全てが気に入らない。クソが。
 俺の怒りが届いたのか、ようやく真由美は俺の中から舌を引き抜き顔を離した。二つの口を結ぶ細い糸がつうっと伸び、音もなく切れる。
 逆光でよく見えなかったが、真由美の顔は真っ赤になってるようだった。認めたくはないが、きっと俺も同じありさまになってることだろう。
「はあっ、はあぁ……はぁ、ふぅっ……!」
「可愛い……私の顔、こんな表情するんだ……」
 苦しそうに呼吸する俺を見下ろし、男は嬉しそうに笑っている。自分のなのに、さっきまで自分のものだったはずなのに、その顔がひどく怖かった。
 真由美はもじもじして落ち着かないようだ。男の本能に理性を溶かされているのだろうか。
 頬を朱に染め熱い息を吐き、獲物を見つめる獣のような視線を注いでくる。
「隼人、私も変なの……自分の体が相手なのに、中身は隼人ってわかってるのに、私……あんたをメチャクチャに、したい……!」
 ああ、女の気持ちが少しわかった。男ってこんな目で女を見てるんだ。まさにケダモノ。自分の体なので情けなくはあったが、その表現がぴったりだった。
 男の手が下に伸びて俺の下半身に触れる。ベルトの金具を外す音がやけに大きく響いた。そのままジーンズが引きずり下ろされ、ショーツ一枚の格好にされてしまった。
 すっかり興奮した真由美が、ブラジャーと同じピンクのショーツをにやにや顔で眺めている。
「隼人、濡れてるよ? ほら……」
「濡れて、る……?」
 今や俺のものになった真由美の体。ショーツに指が這わされると、嫌でもそこが湿っていることを認識させられてしまう。
 ――俺……真由美の体にされた上に好き勝手されてるのに、気持ちいいってのか……?
 驚きよりも嫌悪よりも、感嘆の方が大きかった。ひょっとしたらこの真由美の体も、俺の体にいじられて喜んでいるんだろうか。
 楽しそうにショーツをつつく男の指。その歯がゆさがまた俺を高ぶらせる。最後にそれが脱がされるときも、俺は抵抗するどころか、自分から腰を浮かせてこいつに脱がされるのを手伝っていた。
 もう俺が身に着けているのは黒のソックスだけ。膝から上は全裸だ。起き上がって寝床の上に座らされ、体育座りの格好で脚を広げられる。その間に真由美が顔を突っ込ませてくるのを、俺は虚ろな瞳で見つめていた。
「あ……ま、まゆ……」
 敏感な部分を舌に撫でられ、俺の背筋がゾクゾク震える。本来なら雄の象徴が生えているはずの股間にあるのは、雌の証たる割れ目。真由美の頭ではっきり見えないが、舐められている感触は俺の理性を容赦なく蝕んだ。
「うああ、あぁっ……ああ……」
 穴の左右をゆっくり這い回り、何度もこすって唾を塗りこむ。ションベンするとこだから汚いはずだが、真由美は気にせず俺の秘所を責めたてた。
 くすぐったくてあったかくて、俺を嬲るようにチロチロ動き回る男の舌先。その触手がだんだん高度を上げて、割れ目の上に移動する。そこにあるのは俺も二、三度見たことがある、小さな小さな性感帯――。
「……ああぁあぁっ !!!」
 ざらりとした舌の愛撫が、あられもない嬌声を俺にあげさせた。乳首と同じくそこも勃起してしまっており、もはや隠しようがない。俺が女として、真由美の体で感じてしまっている証拠だった。
「ん、ちゅ……ちゅるっ……」
「うああぁっ !! やめ、やめろォっ……!」
 真由美は恥じらいもなくシーツの上に這いつくばり、夢中でペロペロと俺の豆を舐めている。乳首なんて比べ物にならないほどのショックが脳裏に弾け、何も考えられなくなる。
 ――な、何だよ……何なんだよこれ、訳わかんねえ……!
 腰がガクガク震え、閉じない口からはよだれが溢れ、視界に薄いヴェールがかかる。剥けた皮の中身を何度も何度も粘膜にこすられ、俺は赤ん坊のように両手で真由美の頭をかかえて泣きわめいた。
 まるで頭の中を鋭い刃物で突き刺されてるような、どうしても抗えない至上の快感。しかしこいつは全く攻撃の手を緩めようとせず、それどころか唇で俺のクリトリスをくわえ込む。
「ああぁああぁぁっ !?」
 そして俺の股間から頭のてっぺんまでを、一筋の電撃が貫いた。手も足も、体全体が引きつったように強張ったのち弛緩する。
 後に残ったのは俺の口から漏れる熱い吐息と、全身を包む絶頂の余韻。手足の先まで痺れている気がする。
 ――そうか。俺、イカされたのか……。
 不意に浮かべた笑みは自虐のせいか、それとも悦楽ゆえか。とにかく俺はふっと微笑み、よだれを垂らしたまま真由美の前にへたり込んでいた。陰部を濡らす愛液は、お漏らしでもしたかのように、シーツに大きなシミを作っている。
 それを見つめるこいつの格好もひどいもんだ。顔中俺の汁でべとべとになってるし、デニムパンツの股の部分ははちきれそうなほど見苦しく盛り上がっている。
 とても中身が処女だとは思えない、サカリのついた男子高校生。それが今の真由美の姿だった。
「はぁ、ふぅ……はぁ……」
 素っ裸で荒い呼吸を続ける俺の前で、真由美がパンツをずらし、ガチガチの肉棒を取り出した。血管が浮き出るほどに膨張しそそり立った男の性器。元は俺のものだったはずなのに、こうして見ると非常にグロテスクで恐ろしいものだった。
 既に先っちょの皮が剥け、我慢汁も漏れている。今にも爆発しそうだ。
「はぁ、はぁ、はあぁ……は、隼人ぉ……」
「ま、真由美……?」
 真由美は発情しきった雄犬の表情で息を切らす。これが本当に自分のものかと思えるほど、性欲に醜く歪んだ牡の顔。
 今まで俺をよがらせながら、迫りくる男の本能に必死で耐えていたんだろう。
 俺の頭の中で遅まきながらの警報が鳴り響く。危険だ、ヤバい。こいつ、そろそろ限界――。
「はやとおおぉっ…… !!」
 逃げる間もなく真由美は俺に飛びかかり、乱暴に体を押さえ込んだ。そのあまりの勢いに、組み敷かれた俺の方が我を忘れてしまうほどだ。
 両腕はがっちり固定され、両の腿の間に真由美の体が入ってくる。そして勃起しきった牡が狙っているのは、もちろん俺の濡れそぼったあそこ。
 レイプ。
 まさかこの言葉を俺が我が身のこととして思い浮かべるとは、今まで想像もしなかった。俺は必死で首を振り、真由美の理性を呼び戻そうとする。
「お、おま、おち、落ち着け……! この体、初めて――」
 次の瞬間、俺は経験のない女性器に真由美の肉棒を突き立てられていた。体の中に無理やり異物をねじ込まれる痛みに悲鳴をあげる。
「ぐ、ぐうううぅ……! 痛ぇ、痛ええっ…… !!」
 体が引き裂かれる苦痛。ロストバージンなんてロマンチックなもんじゃない。まるで傷口を塩でこすられているような激痛に、俺の目からは情けなくも涙がぼろぼろこぼれていった。
 しかも真由美のやつ、初めてで余裕がないのか、こちらを気遣うことなく動きまくる。
 初めてなのはこっちの方だっつーの、この体泥棒が。
 しかしそれでもこいつは俺への挿入が気持ちいいらしく、あんあん鳴きながら腰を振っていた。
 本当なら俺が真由美の処女を引き裂き、肩を抱いて優しく慰めてやるはずだったのに。心にたぎる怒りと恥辱も、血まみれの膣をかき回される痛みの前に消え去っていく。
 ――痛え。やめろ、こするな、動くんじゃねえ。痛えよ、抜け、抜いてくれぇ……!
 恥も外聞も捨てて泣き叫んでいると、俺の中で動いていた真由美が背筋を反らし、気持ち悪い男の鳴き声をあげながら身を震わせた。どうやらイったらしい。
 だが俺は腹の中に異物をかかえたまま、襲いかかる痛みに泣きわめくのが精一杯で、中に出されるとか妊娠のリスクだとかを考える余裕がまるでなかった。
 どこの誰だ、初体験でイケるとかぬかしたやつは。畜生、この痛み、一生忘れねえぞ。
 ようやく痛々しい膣から真由美の肉棒が引き抜かれ、俺はベッドに横たわった。頬を涙で濡らし、湿り気を帯びた髪を肌に張りつかせたまま、ただただ股間を両手で押さえてしゃくり上げる俺。本当に女々しい姿だった。
「隼人……大丈夫?」
 あれだけ人を痛めつけた挙句に中出ししといて、今さら俺を気遣う真由美が本当に憎い。
 童貞で早漏の真由美のこと、おそらく射精までの時間は秒単位だっただろうが、俺にとってあの地獄は数時間にも感じられるほどだった。涙としゃっくりがまだ止まらない。言葉もはっきり出てこない。
 男の体も人生も、プライドすらも奪われた俺にできるのは、背中越しに言葉にならない言葉を投げつけることだけ。
「お、お前……だ、大丈夫な――グスッ、わけ、あ、あるかよ……」
「ごめん……痛くさせちゃって、ホントにごめん……」
 体を縮ませて女々しくしゃくり上げる俺と、謝りつつもどこか満足げな顔の真由美。
 もう俺たちは二度と元に戻れない。一生入れ替わったままでいるしかない。

 こうして俺は全てを奪われ、この日から橋本真由美として生きていくことになった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 テーブルに並べられた料理は、三人分にしてはちょっと多かった。夕方のスーパーはよく安売りしてるので、ついつい買いすぎてしまうのだ。
 今日はあの人が定時で帰ってくるからいいけど、夫は夫でつき合いもあるから、毎日私の手料理ばかり食べてくれるという訳にはいかない。次からは気をつけないと。
「あ、ポテトポテトー!」
「こら、つまみ食いしない!」
 ポテトフライの皿に手を伸ばした息子を叱りつける。まったくこの子は誰に似たのか、かなり意地汚い。テレビの騒音が響く中、やっと玄関のドアが開いてあの人が姿を見せた。
「ただいまー! おっ、今日はご馳走だな」
「そうでしょ? 腕によりをかけたんだからね」
「おかえりパパー! じゃ、いただきまーす!」
「だから早いってあんたはっ! おあずけくらい覚えろ!」
 冷蔵庫からビールを取り出し、よく冷えたグラスに注いで差し出す。夫はここのところ多忙のようだから、家にいるときくらい私があれこれしてあげないと。
 共に満面の笑みを浮かべる夫と息子はやっぱり親子、表情がよく似通っていた。
 そして今日も一日が終わり、息子を寝かしつけた私も、夫と共にベッドに入る。今夜はどうやらやる気みたいだ。つい自分の体が火照るのを自覚する。
 パジャマを脱ぐ暇も与えず、夫は私を乱暴に抱きしめて唇を重ねてきた。
「真由美……!」
「んっ……!」
 体が疼いて止まらない。もう三十を過ぎた私たちだが、今でも夜はお盛んだ。最近は夫の仕事のせいでなかなか機会がないけれど、こういうときはお互いを求める気持ちが、学生時代や新婚のとき以上に激しく燃え盛っている。
 男盛りの愛しい人に体をひたすら弄ばれ、私は何度も鳴かされた。
 散々に愛撫を重ねた夫が、耳元でぽつりとつぶやいてくる。
「……なあ真由美。そろそろもう一人、欲しくないか?」
 その言葉にお腹の中がキュンと締まり、少女のように顔が真っ赤になってしまう。そんな私が夫に返すのは、もちろん賛成の返事しかなくて。
「いいよ。でも仕事に差し支えないようにね?」
「大丈夫だって。俺、まだまだ若いから」
 ニヤリと笑うこの人の顔がまぶしい。一流大学で優秀な成績を修めた自慢の夫は、今は大手電機メーカーの開発部にいる。頭脳だけではなく体力も人並み以上、そのうえ優しくて人望もある。
 ちなみに私とは小さい頃からのつき合いで、幼馴染の間柄だった。
 求婚されたのはお互いが大学を卒業後、就職してからだけど、実際はもっと早いうちに一緒になる約束を交わしていた。
 あれはいつだっただろう。そう、私が高校二年生だった冬、まだ井上隼人でいた頃だ。
 当時まだ真由美だった夫に呼び出されて、いきなり体を取り替えられたっけ。
 信じられない事態に困惑する私を半ば無理やり犯したりなんかして、あのときのこの人はすごく強引だった。
 でも、体も名前も人生も全て奪われて泣きわめく私に、夫は責任をとると言って微笑んでくれた。
 あれからもう十五年になる。私も真由美でいるのが当たり前になってしまった。
 隼人としての自分は返してもらえなかったけど、入籍して井上の苗字だけ取り戻したり、子供ができて新しい喜びをもらったり、まあ約束通りに元の人生をこの人と共有できていると思う。
 私が隼人のままだったら、きっと真由美とは結婚していなかっただろう。入れ替わったからこそ私たちは結ばれ、今のようにそこそこ満足できる生活を送っている。
 色々あったけれど、私は今の自分が気に入っている。それで充分だった。  「ん、はあ……隼人、はやとぉ……!」
「真由美、落ち着けって。がっつきすぎだぞ」
 パジャマの上をずらされ、張りのある乳房に食らいつく夫。愛する愛する私の夫、井上隼人。
 かつての自分の名前を心の中で呼びながら、私は夫との行為に埋没していった。

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