白骨の女騎士

 目を覚ましたマリーが最初に感じたのは、頬に押しつけられている冷たさだった。
 土ではなく、ごつごつした岩の感触だ。わずかに濡れて冷気を帯びている。
 マリーは、自分が地面に横たわっていることを認識した。
(いったい、ここは……)
 横たわったまま体を回すと、辺りの様子がおぼろげながら視界に入ってきた。
 暗くてよく見えないが、彼女が今いる場所は狭い洞窟の中のようだった。
 三方を岩に囲まれ、天井は立ち上がれば頭をぶつけてしまいそうなほど低い。
 出口は細い岩の通路が一つだけ。洞窟の奥の袋小路にマリーはいた。
(どうして、私はこんなところに。それに、この手足は……)
 マリーは荒縄で後ろ手に縛られ、両足も木の枷によって束縛されていた。尋常な事態ではない。
 彼女はぼんやりした頭で、今までの記憶を掘り返そうとした。
(私は王国の近衛騎士、マリー。先日、隣国を訪問なさるヘンリエッタ王女の護衛として随伴した)
 マリーは王国に仕える騎士だ。由緒ある騎士の家に生まれた彼女は、非力な女の身でありながら、幼い頃から剣の修行に明け暮れた。その努力の甲斐あって、弱冠二十歳にして王族を護る近衛騎士に任命されたのだった。以来、王女ヘンリエッタの護衛を務めている。
 マリーが忠誠を誓うヘンリエッタは、この度、国王の名代として隣国を訪問した。今年で十五歳になる深窓の姫君は、初めて経験する外交の舞台で無事にその役目を果たし、これ以上ない歓待を受けた。凛としたプリンセスの姿を目にして、マリーも胸をなでおろしたものだ。ほんの数日前の出来事だった。
 それが、今やどことも知れぬ洞窟の奥で囚われの身だ。縛られた手足が、マリーが監禁されていることを如実に示している。いったい自分の身に何が起こったのだろうかと訝しがった。
 だんだん意識がはっきりしてくるにつれ、焦燥感が高まる。とにかく、まずは状況を把握しようと努めた。拘束されてはいるものの、怪我はしていないようだった。
 洞窟の中は狭く、そして暗い。入り口に備えつけられたかがり火が、頼りなく周囲を照らしていた。マリーは寝転がったまま辺りを見回したが、愛用の剣や盾、鎧はどこにもなかった。布の服しか身につけていない丸腰の状態だ。監禁されているのだから、武器がないのは当然かもしれないが。
 目をこらすと、空気がよどんだ小さな空間の隅に、白い影が見えるのに気づく。それは人間だった。白いドレスを着た、十代半ばの金髪の少女が地面に横になっていた。
「姫様!」
 マリーは少女に声をかけた。冷たい岩肌の上に寝ているのは、マリーが護るべきプリンセス、ヘンリエッタだった。両手、両足が動かせない不自由な体勢ながら、慌てて王女に近寄る。地を這う虫にでもなったかのような気分だった。
「姫様、ご無事ですか !? 姫様、ヘンリエッタ様!」
「う、うう……ううん」
 マリーが耳元で声をあげると、意識のないヘンリエッタがかすかにうめいた。同じように荒縄で縛られているものの、姫君は無事だった。外傷も特に見当たらず、マリーは安堵した。彼女の主であるプリンセスは、このような痛ましい姿でさえ気品を感じさせる。
(ヘンリエッタ様をこのような目に遭わせるとは、無礼極まりない。果たして何者のしわざなのか……)
 おそらく、マリーとヘンリエッタは隣国から帰還する途中、何者かの手によって拉致されたに違いない。そのあたりの記憶がさっぱり残っていないが、マリーはそう結論づけた。同時に、不甲斐ない自分を責めた。国王や騎士団長に信頼されヘンリエッタの護衛を任されながら、何という体たらくだろうか。
 いまだ詳細な状況は不明だが、マリーとしては何としてでもこのプリンセスを助け、無傷で国に連れて帰らなくてはならない。自分はそのために騎士になったのだと、決意を新たにした。
 やがて、ヘンリエッタが目を開いた。
「ううん、ここは……? わたくし、どうしてこんなところに……」
「姫様、気がつかれましたか」
 マリーが呼ぶと、王女は視線を女騎士の方へと向けた。だが、暗くて顔がよく見えない。
「マリー、マリーなの?」
「はい、マリーでございます。姫様、お怪我はございませんか」
「大丈夫だけれど……ここはどこ? どうしてわたくしの腕に縄が……」
 どうやら、プリンセスは自分が暗い洞窟の中に閉じ込められていることを、まだ理解していないようだった。
「姫様、お気を確かに。私の話をよくお聞き下さい」
 マリーは主を優しくなだめ、この状況から推測される事態を説明した。自分たちは王宮に戻る途中、何者かにかどわかされ、この洞窟に囚われてしまっているのだろうと。
「マリー、わたくし達は虜囚の身になってしまったの?」
「残念ながら、おそらく仰る通りです。私めがついていながら、本当に申し訳ございません。この失態は、城に戻った後で必ず償わせていただく所存です」
 忠実な女騎士が悲愴な顔で謝罪すると、王女は顔をほころばせた。
「大丈夫よ、マリー。あなたさえいたら、きっと大丈夫。だって、あなたはわたくしの騎士ですもの。いつもわたくしのことを護ってくれたわ。今回だって、きっとそうに違いないわ」
「姫様……」
 主の言葉に、熱いものがこみ上げる。三年に渡って自分の護衛を務めているマリーのことを、ヘンリエッタは心から信頼しているようだった。
 そのときだった。背後に異変を察知して、マリーは振り返った。細い通路の奥から、足音と思しき規則的な音が聞こえてきたのだ。それも、だんだん近づいてくる。
(何者かがやってくる。私たちを捕まえた不届き者か?)
 マリーは戦おうとしたが、腕も足も動かせないマリーには身構えることさえ叶わない。ただヘンリエッタの前に出て、闇の向こうをじっとにらみつけることしかできなかった。
 薄い金属を鳴らすような不可解な足音が、二人に忍び寄る。どうやら一人のようだ。やがて足音の主は、細い通路の向こうから姿を見せた。
「よう、二人とも目が覚めたか」
「ひいっ !?」
 かがり火に照らされた相手を目にして、ヘンリエッタが呼吸を引きつらせた。悲鳴をあげるのは辛うじてこらえたようだが、王女は目を見開き、繊細な顔を驚愕と嫌悪とに歪めていた。
「お前はスケルトン……忌まわしい化け物め!」
 マリーは足音の主に罵声を投げかけた。目の前に立っているのは骸骨だった。ところどころに腐った肉がこびりついた、動く人間の骨。邪悪な魔術、ネクロマンシーにより生み出される、スケルトンと呼ばれる不死の怪物だった。
「やれやれ、ご挨拶だな」
 スケルトンは意に介した様子もなく、二人に歩み寄った。骨だけになった足が岩の上を歩く独特の音が、マリーの鼓膜に不快な振動をもたらした。先ほどは金属の音かと思ったが、骨の足音だったのだ。
「お前が、私たちをこんなところに閉じ込めたのか!」
「そうだ。正確には、うちの旦那がだけどな」
 横たわる二人のすぐ前に、スケルトンが立った。眼球の失われた空虚な眼窩が、マリーとヘンリエッタを見下ろしていた。マリーは身の危険を感じた。
「いったい私たちをどうするつもりだ」
「今から、俺と一緒に来てもらう。旦那がお前らと話したいそうだ」
「旦那……? お前の主か」
「そうだ。さあ、立て。足の枷は外してやるよ」
 表情はわからないが、スケルトンは笑ったように思えた。マリーの枷の錠に鍵を挿し入れ、硬い木の枷を外す。依然として腕は縛られたままだが、足が自由になったのは大きい。
(足だけでこいつを倒し、姫様を連れて逃げられるか? 難しいな……)
 スケルトンは腰に剣を帯びていた。腕さえ使えたら、たとえ丸腰でも負ける気はしないが、マリーの手を縛る荒縄は実に頑丈で、刃物でもなければ解くことは困難だった。
「次はプリンセスの番だ。枷を外してやるから、足を出しな」
「汚らわしい……わたくしに近づかないで!」
「せっかく外してやろうって言ってるのに、あんまり邪険にするもんじゃねえな。ほら、外してやったぜ。立てよ」
 誇り高い王女の足枷を外すと、スケルトンは改めて立つよう命じた。二人は仕方なく立ち上がり、人語を話す骸骨に連れられて外に出た。
「マリー、わたくしたち、どうなってしまうの?」
「どうかご心配なく。この私が命に代えてもお守り致します」
「できたらいいけどな。けけけ……」
 悲壮感の漂う二人の会話を、後ろを歩くスケルトンが嘲笑った。
 縛られたマリーとヘンリエッタの手には荒縄が繋がれ、その一端をスケルトンが持っていた。犬の散歩を思わせる虜囚の扱いに、女騎士の自尊心は少なからず傷ついた。
(しかしこのスケルトン、さっき姫様のことをプリンセスと呼んだな。つまり、姫様のことを知ったうえで拉致したということだ。仮に人質として扱うのだとすると、今すぐ危害を加えられる恐れは少ない……か?)
 剣を手にしたスケルトンの前を歩きながら、マリーは思案する。騎士の自分はとにかく、王女は人質としての価値が高い。だとすると、しばらく身の安全が保証されるかもしれない。時間さえ稼げれば、王国の騎士団が捜索に来てくれる期待も高まる。こうなってしまったからには、たとえわずかでも自分と王女が生き延びる可能性の高い道を選ぶべきだった。
 暗い洞窟の中をしばらく歩いていくと、やがて広々とした空間に行き当たった。天井は高く、四隅に大きなかがり火が燃えている。そこに一つの人影があった。
「ようこそ。歓迎致しますよ、プリンセス・ヘンリエッタ。そしてその騎士、マリー」
 人影は声を発した。黒いローブを頭からかぶっているために顔はよく見えない。くぐもった声は聞き取りにくいが、男のもののように思えた。
 マリーは男をにらみつけた。
「お前が我々をこのような場所へと拉致したのか。名前は?」
「私の名はゲオルグ。生と死を操る魔術を研究しております。そこにいるスケルトン、ジャックも私がこの世に蘇らせました」
 男は得意げに語った。どうやら、ゲオルグと名乗るこの男がスケルトンの主らしい。
「生死を操る魔術、ネクロマンシーか……魔術師たちの間でも禁忌とされているそうだな。王宮にいる魔術師から聞いたことがある」
「やつらは愚かです。真理を追究すべき魔術師でありながら、このような素晴らしい魔術を恐れ、忌み嫌うとは……禁忌を乗り越えて克服してこそ、人はより高みへとのぼれるのです」
「ご高説はいい。それより、お前の目的は何だ? なぜ姫様を狙った」
 マリーはゲオルグを見つめた。ローブの奥に、二つの赤い点が見えるような気がする。
「マリー様は、この国の王家の伝承をご存知ですか? 王家の始祖は神々の力を借り、強大な魔族を討伐した英雄であったと……」
「無論、聞いたことはある。もう千年以上昔の話だから、詳しいことはわからんがな。だが、それがさきの質問と何の関係がある?」
「王家の始祖は神の血を引いていると言われています。ということは、そちらにいらっしゃるヘンリエッタ殿下もほんのわずかとは言え、神の血を引いていらっしゃるはず。魔術の研究素材にふさわしいとは思いませんか?」
「貴様っ! よりにもよって、姫様をネクロマンシーの材料にするつもりか!」
 マリーは吠えた。怒りのあまり、全身の血が頭にのぼってしまったようだった。
「けけけけ……ついでに、あんたも実験に使ってもらえるぜ、マリー。旦那に感謝するんだな」
 背後でマリーの縄を持っていたスケルトン、ジャックが笑った。
「正気なのか。姫様が行方不明とあらば、すぐ騎士団が捜索にやってくるぞ。隣国も黙ってはおるまい」
「ご心配は要りませんよ。あなたがたの乗ってきた馬車を、谷に落としておきました。たとえ騎士団がやってきたところで、ただの事故。遺体は谷底の川に流されて行方知れず……そう結論づけるでしょうね」
「貴様……!」
(何ということだ。このような邪悪な連中に拉致されてしまうとは……一生の不覚)
 マリーは必死で腕の荒縄を外そうとしたが、結び目が肉に食い込むだけだ。ジャックに見咎められて喉元に剣を突きつけられると、もはや抵抗のすべはない。ただ無能で迂闊な自分を呪うしかなかった。
「では、さっそく儀式を始めましょうか。私のためにそのお命を提供できるのですから、あなた方は幸せです」
「マリー……わたくしは、邪悪な魔術の生け贄になってしまうのですか?」
「そ、そんなことはさせません! この私の命に代えても……」
「気丈ですね。さすがは二十歳で近衛騎士に抜擢された天才騎士です。そうですね……ククク、プリンセスの前にあなたから、先にそのお命を差し出していただきましょうか」
 ゲオルグの無慈悲な宣告が下る。マリーは再び足枷をはめられ、石造りの祭壇の上に載せられた。
「おのれ、私をどうするつもりだ。悪辣なネクロマンサーめ!」
「正直言ってあなたはプリンセスのおまけですが……せっかくですから、ジャックと同じように私に忠誠を誓うアンデッドの戦士にしてあげましょう。人間に定められた死の運命から逃れられるのですから、ぜひとも感謝していただきたいですね」
「誰が!」
「や、やめなさい! マリーに手を出すことは許しません!」
 マリーの身を案じてヘンリエッタが叫んだ。しかし、非力な王女は古びた椅子に縛りつけられ、忠実な女騎士を助けることは到底できない。
 石の祭壇の上に寝かされたマリーに、ゲオルグの手が伸びた。ローブの下から出てきた両手はスケルトンと同様の、肉も皮もない骨だけの手だった。
「や、やめろ! 私に触れるな!」
 恐怖に声をあげるマリーの喉に、骨だけの指が軽く触れた。それだけでマリーの体がぴくりとも動かせなくなり、声を発することもできない。闇の魔術が発動したに違いなかった。
(ああ……!)
「さて、どうしてあげましょうか……このまま命を絶ってゾンビやスケルトンにするのも悪くないですが、せっかくプリンセスがご覧になってますからな。まずは余興で楽しませて差し上げるのも、いいかもしれませぬ。ジャック、これで彼女の服を切れ」
「あいよ」
 主人に短剣を手渡された骸の戦士が、マリーの衣服を乱暴に切り裂く。白い肌が空気に触れて、女騎士は思わず吐息をついた。
「へへへ……なかなかいいカラダをしてるじゃねえか。騎士なんかやらせておくのはもったいないぜ」
 ジャックの硬い指がマリーの肌を這い回った。若く鍛えられてはいるが、やはり体の線は女性らしく丸みを帯びていた。騎士として戦うのには何の役にも立たない豊かな乳房が露になり、マリーの心に耐え難い羞恥が湧き上がった。
(うう……このような辱めを受けようとは)
 舌を噛んで自ら命を絶ちたい衝動に駆られたが、ゲオルグの魔術によって今や舌さえ満足に動かすことができない。俎上の魚、という言葉が脳裏に浮かんだ。
「マリー……」
 ヘンリエッタの声に絶望がにじんでいた。気丈な姫君も、もはやどうしようもないということを悟りつつあるのだろう。マリーの後は、ヘンリエッタが屍術の生け贄となる番だ。
(姫様、お守りすることができず、申し訳ございません……)
 マリーは最期に主に詫びた。ヘンリエッタに仕えてからの三年間は、自分の人生で最も充実した時間だった。死ぬことよりも、王女を守ってやれないことの方が心残りだった。
「うむ、美しい体だ。しなやかで力強くありながらも、同時に女らしい色気も兼ね備えている。お前もそう思わんか、ジャック」
「へい、まったくその通りで。いい女ですよ、こいつは。あっちの姫様よりも俺好みでさあ」
「そうかそうか。では、お前にこの女の体をやろう。喜べ」
 ゲオルグは骨だけの指を動かし、マリーの首を何度も撫で上げた。まるで文字や絵をかいているような仕草だった。
(何をするつもりだ……)
 そのうちに、奇妙なことが起こった。ゲオルグの指先が暗い紫色の光を帯びはじめ、マリーの首にも同じ輝きがまとわりついた。禍々しい光がマリーの首を取り巻いた。
 異変はなおも続く。石の上に置かれ、冷え切ったマリーの手足から、徐々に感覚が失われていった。自分の肉体から生命力が吸われていくような気がした。
(私は死ぬのか? 姫様をお守りすることもできず、こんなところで……無念だ)
 感覚の喪失は手足から胴体に及び、ついに首筋にまで到達した。この喪失感が頭にまでやってきたとき、自分は冥界の門をくぐるのだろう。覚悟したマリーに、ゲオルグが宣告した。
「ククク、うまくいったぞ。さあ、どうぞご覧下さい、ヘンリエッタ殿下」
(なんだ? 私はまだ死んでいないのに……)
 疑問に思ったマリーの頬を、骨の手が持ち上げた。身体の感覚を失ったマリーには、自分がどうなってしまったのかわからない。視界が急回転して目が回りそうだった。
「きゃあああっ !? マリーっ!」
 プリンセスの悲鳴があがった。椅子に拘束されたヘンリエッタの顔からは血の気が引き、気の毒なほど狼狽していた。
(姫様……)
 マリーは主人に呼びかけようとしたが、やはり舌も喉も動かせない。ただ目を見開いたまま、青い顔のヘンリエッタと見つめ合った。
「マリーを殺したのですね……この悪魔!」
「いいえ、殿下。あなたの騎士はまだ死んではおりません」
 頭の上から、ゲオルグの声が聞こえてきた。邪悪なネクロマンサーの言う通り、マリーにはまだ意識が残っていた。それにしても、自分はいったいどうなってしまったのだろうか。
「これも屍術の一つでしてね。一時的に仮死状態にしただけですとも。どれ、ご自分のお姿が見えず、マリー様は不安でしょう。今からお目にかけましょう」
 屍術師が言うと、マリーとヘンリエッタの間の空間が揺らめき、魔術の鏡を作り上げる。そこに、ゲオルグとマリーの姿が映っていた。
(な、何だ……これは)
 マリーは驚愕した。声を出すことができたら、絶叫していたかもしれない。それほどまでに、今の事態は奇妙で奇怪だった。
 黒いローブの裾から伸びる骨の手に持ち上げられた、短い黒髪の女の頭。それが今のマリーの全てだった。腕も、脚も、胴体さえ存在しなかった。マリーは首だけになっていたのだ。
「いかがですか、マリー様。そんなお姿になっても、意識も感覚も残っておいででしょう? 我が屍術の素晴らしさ、おわかりいただけたでしょうか」
(こ、こんな馬鹿な。私は首だけになっているのか……!)
 マリーは動転していた。戦場において首級を挙げられるのは、騎士にとって最も恥ずべきことだ。しかし、生きたまま首を刎ねられるという事態は、マリーの理解の埒を超えていた。羞恥、怒り、困惑、恐怖……様々な感情が渦巻き、マリーから理性を奪った。
「うひゃひゃひゃ! こいつは面白え。旦那、その女はまだ生きてるんですかい?」
「生きているとも言えるし、生きていないとも言える。無論、このまま放っておけばいずれは死ぬだろうがな」
「ああ、何てことなの。マリー……!」
 ヘンリエッタは拘束されたまま、さめざめと泣いた。彼女の忠実な騎士は、目の前で生きたまま首を刎ねられてしまったのだ。プリンセスが美しい顔を涙で汚すさまを、無力なマリーはじっと眺めていた。
(首を刎ねられてもなお生きている。これがネクロマンシーの力なのか……)
 絶望に苛まれるマリーの頭を、ゲオルグはそっと石の祭壇の上に戻した。石の上に置かれたマリーからは、首のない自分の肢体がよく見えた。血の一滴も流れ出ていない白い女体は、よくできた人形のようにも思われた。
「次はお前の番だ、ジャック。しばらくじっとしていろよ」
「へい、旦那。何をなさるつもりかわかりませんが、仰る通りに致しやす」
 ゲオルグはスケルトンの細い首をつかみ、ほんのわずかに力を込めた。それだけで、ジャックの首は鎖骨の少し上の部分で外れてしまった。ジャックもマリーと同様、首だけになった。
(この男、いったい何をするつもりだ……)
 真意をはかりかねるマリーの前で、ゲオルグはジャックの頭骨を持ち、首のないマリーの胴体に押しつけた。ちょうど、首の切断面に繋がるように。
(待てよ。さっき、この男は何と言った? 『お前にこの女の体をやろう』と言わなかったか?)
「終わったぞ、ジャック。立つがいい」
(まさか……)
 マリーの予感は的中した。女騎士の肢体が軽く痙攣した後、むくりと起き上がったのだ。その首には肉の削げ落ちたスケルトンの頭部が載っていた。
「きゃああああっ !?」
 再び王女の悲鳴があがった。頭部を髑髏と挿げ替えられたマリーの体が、石の祭壇を降りて立ち上がったのだ。
「これは……俺、どうなっちまったんだ?」
「気分はどうだ、ジャック。お前の頭だけをその女の体に繋げてやったのだぞ」
「繋げたって、どういうことです? なんだ、この柔らかい手……まるで生きてる人間みてえじゃねえか」
ジャックはおそるおそるといった様子で、自分の肌を両手で撫で回した。その手は剥き出しの骨ではなく、ふっくらと肉のついた女の手だった。
「ああ、このもちもちした肌……懐かしい感覚だぜ。骸骨になっちまって、長いこと忘れてた肉の感じだ。それに、このでけえ胸……すげえ。俺、女になっちまったのか」
 ジャックの恍惚の声がマリーの耳を撫でた。マリーのものだった美しい肢体を、今やスケルトンの頭部が動かしていた。自分を見下ろす髑髏の眼窩が、不気味な輝きを放っていた。
(そ、そんな……私の体を、スケルトンが動かしているなんて)
 あまりにもグロテスクな光景に、マリーはおかしくなってしまいそうだった。
「マリー様、ヘンリエッタ殿下、いかがですか。余興としてはなかなかの出来かと思うのですが」
「もうやめて……マリーを元に戻して」
 プリンセスの力ない嘆願の声が聞こえてくる。目前で繰り広げられるおぞましい魔術に、耐えかねているようだった。無理もない。マリーも同じ気持ちだった。
「ご心配なく。マリー様の首も、きちんと体に繋げて差し上げますとも。ただし、こちらの体にね」
 と、ゲオルグが指し示したのは、隣に突っ立っている首無しの骸骨だった。
(何だって !? 私の頭を、そんな……)
 うろたえるマリーの頭部は、再び骨の手に持ち上げられた。手も、足もない今のマリーには抗うすべがまったくない。何も抵抗できないまま、マリーの首はスケルトンの体の上に挿げられた。
「ついでに、お声も戻して差し上げましょう。どうぞ、ご感想をお聞かせ下さい」
「わ、私の体……?」
 ようやくマリーは声を出せるようになった。自由に動かせる手足も戻ってきたが、それは今までとは異なる、おぼろげで頼りないものだった。いったいどうなってしまったのかと、先ほどの魔術の鏡面の前に立つ。足元から薄い金属を鳴らすような音があがった。
「こ、これは……! これが私なのか !?」
 マリーが見たのは骸骨だった。正確には、骸骨の胴体の上に載せられた、自分の生首だった。腐った肉がわずかに付着した、骨だけの手足。太い背骨からは湾曲した肋骨が胸の前まで伸びる。首から上を除いて、マリーの身体はスケルトンと呼ばれるアンデッドのそれに成り果てていた。
「マ、マリー……いやあああっ!」
「姫様……」
 泣き声をあげて嫌悪を露にするヘンリエッタに、マリーは大いに動揺した。
(姫様が、私を見て気分を害された。私がこんな体になったから……)
 今の自分の醜い姿を見て、王女は取り乱しているのだ。そう思うと主に対する忠誠も、騎士としての誇りも揺らいでしまう。
 マリーは既に束縛を解かれていた。どのような仕組みになっているのかはわからないが、こんな姿でも声は出せるし、骨とはいえ手足も動かすことができる。その気になればプリンセスを護るために戦うこともできるはずだが、今のマリーは動けないでいた。ヘンリエッタに近寄ることができず、呆然と魔法の鏡の前に立ち尽くしていた。
「マリー様、お気に召していただけましたか? 新しいお体は」
「貴様、戻せ! 元に戻せえっ!」
 吠えて、マリーは黒いローブのネクロマンサーに飛びかかった。スケルトンの体であっても、今はマリーの思い通りに動かせる。マリーの頭部と骸骨の肢体は、完全に融合していた。
 そんなマリーの腕を、宙で女の手がつかんだ。それは先ほどまで彼女のものだった手だ。しなやかな女の腕の向こうで、されこうべがマリーを嘲笑っていた。
「いけねえな、騎士様。そんな細腕で、旦那をどうこうできると思ってんのかい?」
「く……! 貴様、放せえっ!」
 マリーは相手の手を振り払おうとしたが、つかまれた腕はびくともしない。今のジャックの腕力は、マリーのそれを上回っているようだ。体を奪われたことで、マリーは力を失っていた。
「うう、力が出ない。私の体……」
 絶望と無力感がマリーを襲う。自分の顔から血の気が引いていくのがわかった。
「ククク、楽しませてくれる。余興としてはなかなかだな」
 女騎士のマリーとスケルトンのジャック。首から下の体を取り替えられた二人に、邪なネクロマンサーがローブの奥から妖しい視線を送った。
「マリー様、ここでお一つ、賭けをしたいと思うのですが、いかがでしょうか」
「賭けだって……?」
 マリーは眉をひそめた。
「左様。その賭けにマリー様が勝てば、お体を元に戻したうえで、お二人を解放しましょう」
「馬鹿を言うな。そのような申し出を、素直に信じると思うのか」
「信用して下さらぬなら、それも結構。どうせあなたには他の選択肢などありはせぬのですからね。ジャック、放してやれ」
「へい」
 ゲオルグに命じられ、ジャックがマリーの腕を放した。つい先ほどまでマリーのものだった女騎士の肉体は、今やスケルトンの所有物と化していた。均整のとれた女体の上に載っているのは、蝿のたかる汚らわしい髑髏だった。
(まさか、自分の体を奪われてしまうなんて……信じられない)
 マリーは奥歯を噛み締め、憎い屍術師に向き直った。生きたまま首を刎ねられ、アンデッドの骸骨と首を挿げ替えられてしまうとは、屈辱に次ぐ屈辱だった。いっそ死んだ方がましかもしれないと思ったが、今死んだところでこの男にアンデッドとして蘇らせられ、そのまま永久に玩具にされるだけだ。ならば、相手の話を聞いてから行動しても遅くはない。
「それで、ゲオルグ。賭けとは何だ」
「なに、単純な話です。ジャックとあなたに、剣で勝負してもらおうと思いましてね。あなたが勝てば、先ほど申した通りにお二人を解放致します」
「剣で勝負だと? 私は騎士だぞ。いくら体を取り替えられたところで、その辺の亡者ごときに剣で負けると思っているのか」
 マリーは精一杯の眼力でゲオルグをにらみつけた。相手の意図はわからないが、ここで怯んだら助かるものも助からない。最後まで諦めるべきではないと思った。
「それは試してみないとわかりませんな。もしあなたが負けたら、身も心も私のしもべになっていただきます。いかがですか?」
「いいだろう。勝負してやる」
 マリーは承知し、ゲオルグから錆びた片刃の刀を受け取った。盾はない。正面には同じく刀を手にしたジャックが立った。男女の差のためか、今はジャックの方がやや背が低い。かがり火に照らされる洞窟の中、刀を持った裸の女が仁王立ちしているのは異様だった。まして、その頭部が髑髏とあっては。
 相手の体は、元はマリー自身のものだ。おそらく、マリーの体を人質にとっているつもりなのだろう。しかしこうなったからには、自分の体を斬り捨ててでもヘンリエッタを助けてみせる。マリーはそう決心していた。
「旦那、勝負するのはいいんですが……相手は正規の騎士なんでしょう? 元コソ泥の俺なんかが剣で敵う気がしませんぜ」
「案ずるな、ジャック。お前は自分の思うがままにその剣を振ればよいのだ」
 横からゲオルグが助言した。
 舐められたものだとマリーは思った。王国の女騎士の中でも、マリーの腕前は随一だった。男の中でも、マリーに勝てるのはほんの一握りだ。たとえスケルトンの体であっても、こんな下品なアンデッド相手に負ける気はしない。
「マリー……」
「姫様、どうか私の醜い姿をご覧にならないで下さい。でも、私は勝ちます」
 マリーはヘンリエッタに微笑みかけた。既にプリンセスの顔からはマリーに対する嫌悪は消え、忠実な騎士の身を案じる表情になっていた。マリーは錆びた剣を持ち、ジャックに相対した。
「どちらかが動けなくなった時点で終わりとします。それでは、どうぞ」
「いくぞ!」
 マリーは剣を中段に構え、ジャックとの距離を詰めた。ジャックは声をあげて剣を振りかぶり、マリーを威嚇する。見るからに無駄が多い動作だった。生前、盗賊だったようだが、剣の訓練を受けた者の動きには見えなかった。
「うりゃっ!」
 ジャックの剣が振り下ろされ、マリーの肩口を狙った。マリーはそれを軽くかわし、ジャックの頬に向けて刃を薙ぎ払った。慣れないスケルトンの体から繰り出される、会心の一撃だった。相手は体勢を崩して避けられない。あっさり勝負がついたと思った。
(あっけない。これで終わり……え?)
 マリーの視界を剣が横切り、金属音が鳴り響いた。ありえないことが起こった。完全にかわしたはずのジャックの剣が、目にも留まらぬ速さでマリーの一撃を受け止めたのだ。
「そんな馬鹿な!」
 マリーは一旦、体勢を立て直すと、再びジャックに斬りかかる。骨の腕から放たれた一閃は、またも錆びた刀にはじき返された。その衝撃の強さに、危うく剣を取り落としそうになった。
「また……どうして !?」
 疑問を抱いているのはマリーだけではなかった。マリーと剣を交えているジャックも、剣を振りながら困惑していた。
「あれ? なんで俺、こんな動きが……うおっ、剣が勝手に !?」
「ハハハハハ……やるではないか、ジャック。王国が誇る近衛騎士様と、五分以上に渡り合うとは。さすがはアラムの剣よ」
「アラムの剣?」
「左様。ジャックが持っているのは、アラムの剣と呼ばれる魔剣。持ち主の意思とは無関係に動き、敵を切り裂く魔性の武器でございます。王国の騎士と言えども、やや厳しいかもしれませぬな。ましてや、あのような骸骨の体では」
 ヘンリエッタの問いに、饒舌に語るゲオルグ。彼がジャックに渡したのは、ただの錆びた刀ではなかった。己の意思を持ち、使い手がおらずとも敵を屠る魔剣だったのだ。
「魔剣……これが?」
 マリーはジャックの剣を受け止め、後ずさった。明らかに力で負けているのがわかる。単にスケルトンの体と騎士の肉体というだけの差ではない、異質なものの気配を感じた。刀がひとりでに動いて、マリーに襲いかかっているのだ。持ち主のジャックは刃に振り回される柄に過ぎなかった。
「おのれ、卑怯な! こんな武器を使うとは!」
「確かに対等な勝負ではないかもしれませんが、賭けに乗ったのはあなたです。それに、いくら強い武器を持ったところで、ジャックが素人という事実は変わりますまい」
「く……」
 卑劣な罠にはめられたことをマリーは悟った。技巧を駆使してジャックの剣をいなすものの、力でも速度でも敵わない。劣勢は明らかだった。一撃ごとに後退し、マリーは壁際へと追い詰められた。臀部の骨が冷たい石壁に当たり、硬い音を立てた。
「ひゅう、よくわかんねえけど、この剣はすげえな。勝手に戦ってくれるなんてよ」
「おのれ……こんな奴に!」
 上段からの一撃を受け止めようとしたマリーの剣が、真っ二つに折れた。魔性の刃はマリーの鎖骨を砕き、右腕を肩口から切り落としていた。骨の破片が乾いた音と共に地面に落ちた。
 痛みはなかった。骨だけの体になったときから、マリーは既に痛みや熱さ、冷たさの感覚を失っていた。ただ、腕を無くした喪失感だけがあった。
「私……私は……」
 マリーは呆然と魔剣を見つめた。自らの意思を持つ魔性の刀は、続けて表情のないマリーの左肩も粉砕すると、肋骨ごと背骨を断ち割った。骨の体はバラバラになって床に転がった。
「ああっ、マリー……!」
「賭けは私の勝ちですな。ではお約束通り、彼女には私のしもべになっていただきます」
 遠くから鈴の音のような少女の声と、くぐもった男の声が聞こえてきた。
(姫様……申し訳ございません)
 地面に転がったマリーの意識が、徐々に薄れていく。今度こそ最期だった。硬質な物体が砕ける不快な音を最後に、マリーの知覚は消え去った。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

「目覚めよ、マリー」
「はい」
 マリーは目を開けた。石の床に横たわっていた体を起こし、二本の脚で立つ。肉のない骨だけの肢体が擦れ、乾いた音をたてた。
「マリー、大丈夫 !?」
 少女の声が鼓膜を撫でたが、マリーは一顧だにしない。その視線は目の前に立つ黒いローブの男に向けられていた。
 一対の赤い光が、ローブの奥から放たれた。
「マリー、お前は何者か」
「私はたった今、ネクロマンシーによって生み出されたスケルトンです」
 マリーは直立して答えた。腕も、脚も、胴体も、マリーの体はほぼ骨だけで構成されていた。肉がそのまま残っている顔を除き、首から下の全てが骨になっていた。王国に仕える女騎士は、醜悪なアンデッドとして生まれ変わったのだ。
 ローブの男が満足そうにうなずいた。
「ではマリー、お前の主は誰か」
「もちろん偉大なる魔術師、ゲオルグ様です」
 マリーは満面の笑みを浮かべて答えた。このネクロマンサー、ゲオルグの赤い眼光を浴びていると、あらゆる不安や憂いが取り除かれる。今のマリーにとってゲオルグは忠誠を捧げるべき主人であり、また自分を不死の存在にしてくれた生みの親でもあった。
「けけけけ……こいつはすげえや。バラバラになった骨が元通りにくっついたと思ったら、お高くとまった騎士様が旦那の言いなりになっちまった」
 ゲオルグの隣に立っていた裸の女が、手を叩いて笑った。若く美しい肢体を惜しげもなく晒しているが、頭部だけは肉も皮もない髑髏だった。生まれ変わったマリーは、彼女も自分と同じアンデッドなのだと認識した。頭の中を探れば記憶がある。
「あなたもゲオルグ様の下僕ですね。どうかよろしくお願いします」
「おう、いいぜ。俺が先輩としてお前の面倒をみてやるよ。俺のことは兄貴と呼びな。いや、今は女だから姉貴か? 女騎士の体にふさわしく、お姉さまって呼ばれるのも悪くねえな」
「はい、お姉さま。これからお世話になります」
 微笑して一礼するマリー。そんな彼女の姿が面白いのか、ジャックは腹をかかえて笑っていた。
「へへへ……すっかり素直になって、結構なこった。まるで別人じゃねえか。ひょっとして今までのことは綺麗さっぱり忘れてたりすんのか?」
「いいえ、私の中には、生きていた頃の私の記憶があります。たとえば私とお姉さまの体が入れ替わったことや、アラムの剣によって命を奪われたりしたことは記憶しています」
「へえ、覚えてんのかよ。ってことは、腹の底で俺や旦那のことを恨んでやしねえだろうな?」
「いいえ、私の中には確かに記憶がありますが、それは死んだ後の私にとっては、ただの記録でしかありません。お恨みするなんてとんでもない。この体も記憶も、全てゲオルグ様にお仕えするための資源です」
 淀みなく話すマリーの口調からは、生前の矜持も人間味も失われていた。命と共にそれらを喪失した今のマリーは、もはや元のマリーと似ても似つかぬ化け物へと変わり果ててしまったのだ。
「そ、そんな……マリー、目を覚まして!」
 絶望した少女の声が聞こえてきた。ゲオルグに促されてマリーがそちらに視線を向けると、三人からはやや離れた場所に置かれた古びた椅子に、白いドレスを着た少女が縛りつけられていた。
「彼女と話をしてやれ、マリー」
「はい、承知しました……こんにちは、私はスケルトンのマリー。あなたは?」
「マ、マリー、どうしたの? わたくしのことがわからないの……?」
 気の毒なほどに青ざめた少女に訊ねられ、マリーは骨だけの指を顎の先に当てて考え込んだ。
「えーと……ああ、記憶が出てきたわ。あなたは王国の王女、ヘンリエッタね」
「マリー、あなたは三年前からわたくしの近衛騎士を務めて……」
「残念だけど、もう『その』私は死んだわ。今の私はあなたの身を護る騎士じゃなくて、ゲオルグ様に仕えるアンデッドよ」
 縛られたプリンセスに、マリーは敬語も使わなかった。ヘンリエッタに忠誠を捧げたマリーは既に命を落とし、ゲオルグの僕として蘇ったのだ。ゲオルグの魔術がなければ一瞬たりともこの世に存在できない操り人形だった。
「そんなこと言わないで、マリー。お願い、目を覚まして……」
「目を覚ます? 何を馬鹿なこと言ってるのかしら、この小娘は」
 マリーは唇の端を吊り上げ、泣き喚くプリンセスを嘲笑した。生前のマリーはこの愚かな娘のために命を捧げ、このような死骸になったのだ。充分に義理は果たしたと言っていい。この娘がこれからどうなろうと、死んだ後の自分にはもはや関係のないことだと思った。
「マリー、こちらに来い。そのプリンセスは、これから魔術の研究素材として有効に活用しなければならんからな。さっそく向こうで儀式を始めるので、お前たちはここで待つように」
「はい、承知しました、ゲオルグ様」
 恭しく頭を下げ、ヘンリエッタから離れるマリー。代わりに黒いローブの屍術師が王女へと近づいた。マリーとすれ違う際、ゲオルグは骨だけの手を彼女に伸ばした。
「どれ……待っている間お前たちが退屈せぬよう、暇潰しの玩具をやろう」
 暗い紫色の光を帯びたゲオルグの指が、マリーの股間をまさぐった。元女騎士のスケルトンは微動だにしない笑みを浮かべ、平然と主の動作を見守る。紫の光はゲオルグの指からマリーの体へと移り、骨盤の先に集まった。左右の恥骨の合わさる部分が妖しい輝きを放った。
 光はすぐに消えたが、ゲオルグの触れた股間に、マリーが見たことのない物体が出現していた。それは黒々とした肉の塊だった。マリーは己の体を見下ろし、だらしなく垂れ下がった肉の塊を眺めた。
「私の体にこんなものが……これはいったい何でしょうか、ゲオルグ様」
「それは男の一物だ。生憎と、ジャックのものではないがな。魔術の材料として墓場から調達してきたものだが、私の手にかかれば腐った一物であってもこの通りだ」
 ゲオルグがマリーの股間を指差すと、半ば肉の崩れた肉の棒が雄々しく立ち上がった。骨から生えた男性器が脈動し、マリーを驚かせた。
「ああっ、すごい……ビクビクしてます」
「男のものを見るのは初めてか? 生やしたついでに、かりそめの命も与えておいた。しばらくの間は、生きている男とまったく変わらぬはずだ。骨とはいえせっかく男の体になったのだから、それで楽しむのも一興だろう」
「これが男の人の……ありがとうございます、ゲオルグ様」
「うむ、それでせいぜいジャックと戯れるがいい」
 そう言って、ゲオルグはマリーから視線を外した。黒いローブの袖からのぞく肉も皮もない骨だけの腕が、ドレスに包まれた華奢な王女の身体を抱き上げた。宣言通り、これから魔術の儀式を始めるようだ。
「助けて、マリー! お願い、助けて……い、いやあっ! 放してっ!」
 哀れなヘンリエッタ王女はなすすべなく、暗い洞窟の奥へと運ばれていく。とうとう二人は視界から消え去り、あとにはマリーとジャックだけが残された。
「ここで待てだとよ、マリー」
「はい、ここでゲオルグ様をお待ちしましょう」
「それにしてもお前、旦那にすごいものを貰ったな」
 ジャックの細い指が、マリーのペニスの先を軽くつまんだ。邪悪な魔術によって一時的に命を吹き返した陰茎が、刺激に反応して硬度を増した。
「あっ、んん……変な感じ……これが男の人のものなんですね」
「なんだ、本当に感じてるのか? なら、優しいお姉さまが手取り足取り教えてやるよ。このぶっといものがお前のチンポだ。ほら、言ってみろ」
「はい。このぶっといものが私のチンポです」
 誇り高き女騎士の口から、卑俗な言葉が漏れ出した。首から下をスケルトンの体と取り替えられ、醜悪な魔物へと変貌した今のマリーには似つかわしいかもしれない。生前ならばこのような卑しい行為に間違いなく嫌悪感を覚えたはずだが、今は未知の感覚に対する期待しかない。
「けけけけ……マジでお前、さっきまでとはまるで別人じゃねえか。面白えな。ぶっといチンポを生やした女騎士さんよ、こんなことをされて気持ちいいのか?」
 ジャックは背後から耳元に囁きながら、指の腹でマリーの先端を摩擦する。いささか乱暴なその振る舞いが、マリーの息をかき乱した。
「ああっ、擦られるのが気持ちいいです。ますますチンポが硬くなっちゃいます……」
「俺も生きてた頃は、しょっちゅうこうしてシコってたもんよ。しばらくじっとしてな。もっと気持ちよくしてやるよ」
「はい、お姉さま……」
 マリーは中腰になり、後ろに立つジャックに体を預けた。逆らう気など微塵もなかった。今はただ、こうしてゲオルグの命令通り淫らに戯れることしか頭になかった。
 悪辣なネクロマンサーの僕は、誇りも使命も捨て去った女騎士の男性器を巧みに愛撫し、マリーに初めての牡の感覚を植えつけた。昨日まで王女を護るため剣を握りしめていた女騎士の手が、今は腐敗したペニスを握って丹念に扱いていた。頭部を切り離されたマリーの体は、完全にジャックのものになっていた。
 どこの誰のものとも知れない腐った陰茎は、広がった笠を女の指に持ち上げられ、今にもはちきれんばかりに膨張した。マリーの記憶には男の性器に関する知識はなく、こうして自分のものになったペニスを刺激されるのは新鮮な驚きだった。マリーの体にはもはや血も肉もほとんど存在しないはずなのに、天を向いてそそり立つ肉の凶器に全身の血液が集まってくる錯覚を抱いた。
「ああっ、あんっ。こんなの我慢できない。チンポの根元から、何かが上ってきますっ」
「おいおい、まさか出すつもりか? ゲオルグの旦那、そんなことまでできるのかよ」
 ジャックは疑わしげな様子だが、マリーを責める手は決して緩めない。むしろ幹を擦る動きをさらに速め、一刻も早い射精へと誘っていた。先端から汁がこぼれ、摩擦をより滑らかにする。睾丸のないペニスの表面に血管が浮き立ち、マリーを一層急き立てた。腹の底から熱い衝動が湧き上がるのを感じた。骨だけの膝が震え、立っていられそうになかった。
「すごい、すごいのっ。もう駄目、出る。チンポ出るっ」
「出るなら出しちまえよ。すっげえ気持ちいいぜ。ほれ、ほれ」
「はい、出します。マリーのチンポ、いっぱい出しますっ。あっ、ああっ」
 マリーは悲鳴をあげ、背骨を弓なりに反らした。骨盤の先に備えつけられた牡の一物から、黒ずんだ汚水が勢いよくほとばしり、ジャックの手を汚した。マリーが初めて体験する射精の瞬間だった。
「すごい……いっぱい出てる。気持ちいい……」
「うほ、マジで出しやがった。ゲオルグの旦那、どんだけ芸が細かいんだか」
 ジャックは汚れた汁を撒き散らすマリーの切っ先を、半ば感心、半ば呆れたように眺めていた。
 整った形の指先に尿道口を突かれると、マリーは嬌声を発して腰を痙攣させる。既に生命の失われた腐肉の塊が子種を放つとはとても思えないが、これもゲオルグの魔術なのだろう。マリーは荒く息をつき、心地よい射精の余韻に酔いしれた。
「はあ……すごかったです。気持ちよかった」
「やるじゃねーか、マリー。それじゃ、お次はこっちの番だな」
 と、ジャック。その場にへたり込むマリーの正面へと回り込み、腰に手を当て、胸を張った。自分の所有物になった女騎士の体を、元の持ち主に見せびらかしていた。洞窟のかがり火に艶やかな裸体が照らされ、マリーを惑わせた。
「どうしてでしょうか。お姉さまを見ていると、妙な気持ちになってきます……」
 引き締まった女の体を眺めていると、精を放って萎えた陰茎が再び立ち上がってしまう。マリーは頬を赤くして、勃起の切っ先をジャックに向けた。
「それは、お前が男の体になってるからだな。たとえ骨だけになっても、男の体は女を欲しがって仕方ねえんだ。お前、俺とヤリたいだろ?」
「確証は持てませんが、そうかもしれません」
「けけけけ……とても王家に仕える女騎士様の台詞とは思えねえな。おら、言ってみろよ。お姉さまのマンコにチンポ突っ込んでパコパコしたいって」
「はい。お姉さまのマンコにチンポ突っ込んでパコパコしたいです」
「うひゃひゃひゃ、いい返事だぜ。いいだろ、たっぷりハメさせてやるから、その前に俺のここを舐めな」
 ジャックは蟹股になると、指で女性器を左右に広げた。女の入り口が露になり、マリーの目を釘付けにした。
「舐めたらいいのですね」
「おう、そうだ。俺も女の体に興味津々なんだ。とっととしろ」
「はい、仰せのままに」
 マリーはその場に両手をつくと、ジャックの股間に顔を突っ込み、自分のものだった女陰にためらいなく舌を伸ばした。高い鼻梁が薄い陰毛をかきわけ、赤い舌先が肉の戸口に侵入していく。雫の弾けるかすかな音があがった。
「そう、そうだ。下手くそだが、悪い気分じゃねえな。死んでから女の感じを味わえるようになるなんて、思いもしなかったぜ」
 女騎士の体を操る髑髏は歯をかちかち鳴らし、満足の意を示した。命を奪われたマリーの肉体は、マリー自身の舌に秘所を舐められ小刻みに震えた。移植された陰茎の感覚がマリーにもたらされたように、マリーの肢体の感覚はジャックに伝えられているのだろう。マリーに淫猥な奉仕を強いつつ、自分でも乳房を揉みしだいて貪欲に快感を貪っていく。
 数時間前まで己のものだった女性器に舌を這わせながら、マリーは股間に植えつけられた肉の竿が再び活力を取り戻すのを自覚した。肉の扉の向こうから漂ってくる、むせかえるような牝の臭いに興奮が抑えきれない。骨の両手でむっちりした太腿をつかみ、熱心に顔を埋めた。既に死体と化しているはずの女騎士の性器は、止めどなく肉汁を垂らして元の持ち主の性欲を煽った。
「あとからあとからおツユがこぼれてきます。すごい量」
「へへっ、どうやらお前のカラダは思っていたより助平だったらしいな。マンコの奥がヒクヒクして欲しがってやがる」
 ジャックも時おり腰を痙攣させ、初めての女体の官能に酔いしれていた。表情を示す顔の肉は一切が削げ落ちてしまっているが、ジャックが法悦に浸っているのは明らかだった。今まで男に縁のなかった女騎士の肉体とは思えない乱れようだった。
 あるいはジャックも知らぬ内に、ゲオルグに何か細工をされたのかもしれない。マリーは同胞に尽くす喜びを覚えつつ、顔を汚して必死で陰部を舐め回した。生きている間は想像もしなかった幸福の真っ只中に自分がいることが、この上なく嬉しかった。
「ああ、幸せ。私、いま最高の気分です。この体になってよかった」
「そうか、俺も同じ気分だぜ。女のカラダは最高だ」
「入れたい……お姉さまのマンコにチンポ突っ込みたいです」
 マリーは猛りきったペニスを自ら扱いて、ジャックの様子を窺った。次に何をすべきかは既にわかっていた。ここでは欲望のままに振る舞うことが最上の選択なのだ。それは同時に、マリーを不死の存在にした主の意に沿うことにもなる。
「この助平マンコにチンポ突っ込みたいのか? いいぜ、来いよ」
 ジャックは上機嫌でその場に尻餅をつくと、仰向けで石の地面に倒れ込んだ。赤い火が照らす中、白い肌を晒して男を誘うその姿は、一匹の牝にしか見えなかった。
 マリーは膝立ちになり、ジャックにのしかかった。ゲオルグに与えられた牡の象徴を秘所にあてがい、慣れない骨の体を使って挿入を試みる。膨れた笠が肉の割れ目を押し広げ、少しずつ潜り込んでいった。
「あは……チンポがマンコに入っちゃいました。ぬるぬるして熱いです」
「いててて、マンコがじんじんしやがる。死んでから痛みを感じたのは初めてだぜ」
 ジャックは歯をカタカタ鳴らし、破瓜の痛みを訴えた。しがない盗人の男が、王家に仕える近衛騎士の女の肉体を得て処女を散らしたのだ。ゲオルグが操る黒魔術は、生前の立場や性別など無意味なものにしてしまう。
 無事に結合を果たしたマリーは、ジャックの腰を押さえて体を動かしはじめた。若く鍛え抜かれた女騎士の膣内は、幾重にも連なる肉びらがきつく陰茎を締めつけてやまない。汁と血の入り混じった粘液が潤滑油になってはいたが、それでも痛みさえ覚える締まり具合だ。
「お姉さまの中、すごくきついの。私のチンポが食い千切られそう」
「そうは言っても、もとはお前の体じゃねえか」
「それは生きてた頃の話です。今の私はゲオルグ様のスケルトンですから。それも、チンポを生やした助平なスケルトンなんです」
 マリーは舌なめずりをし、腰をゆっくり前後させた。高潔の女騎士が女の犯し方を知っているわけはないが、奇妙なことに今のマリーは自分がどのようにすべきかを理解していた。浅く抜いてはまた突き入れ、ペニスの出し入れを繰り返す。肉のない骨盤と肉のついた骨盤が激しく擦れ合った。
 膣の肉は充血し、絶え間なく淫らな蜜を垂れ流した。乙女の身体は既にその生を終えているはずだが、四肢で骨騎士の体をかき抱き、より深い交合を求めた。血の気のなかった死人の肌が火照り、かがり火の光を浴びて桜色に染まった。
「まだちょっと痛えけど、だんだん良くなってきたな。ああ、犯されるのも悪くねえ。おお、うおっ」
 女騎士の体に載った髑髏がそう嘆じた。顔の肉が残っていたら舌を出して喘いでいたかもしれない。血も肉もないスケルトンは、今や女の肉体の虜になっているようだった。
「男もいいですよ。こうやって女にチンポを突っ込んで犯すの、もうたまりません。ゲオルグ様、ありがとうございます」
 マリーは鼻息を荒くし、ジャックの豊かな乳房に吸いついた。硬くなった先端を舌で転がし、歯を立ててジャックを喘がせる。女を征服する満足感がマリーの胸に満ちた。
 マリーとジャック、二人の死人の嬌声が洞窟に反響する。それは不気味な逆説だった。命を失い朽ち果てるだけのアンデッドが、新たな命を生み出す愛欲の行為に没頭しているのだ。主である姫君を護るため命を捧げた女騎士の肉体は、邪悪な黒魔術師の玩具に成り下がっていた。
 だが、今のマリーにはいささかの悔いも憂いもない。新たな主が授けてくれた甘美な快楽に溺れることが、生まれ変わったマリーの喜びだった。
「お姉さま、私、またイキそう。マンコの奥に出したいです」
「おう、いいぜ。おっ、奥をコリコリされるの、たまらん。お、おほおっ」
「はい、出します。お姉さま、お姉さまっ」
 マリーは骨だけの指をジャックの腿に食い込ませ、細い体で精一杯突き込んだ。豊満な胸が揺れ、汗ばんだ女体が跳ねた。岩の壁に女と骨の妖しい影が映し出された。
「お姉さま、出る。ああ、チンポ出ちゃうっ」
 マリーは二度目の絶頂を迎えた。腐ったペニスから黒い汚水が噴き出し、処女を失ったばかりの女騎士の膣内に撒き散らされた。任務に失敗した近衛騎士は、身も心も汚され奈落に落ちた。
「んん、出てる。俺の中でいっぱい……おお、イクっ」
 乙女の肉体を与えられた盗人は、全身を小刻みに震わせて絶頂を共にする。射精が終わっても腰を動かし続けるマリーの背に腕を回し、慕情を示しているようにも思われた。死人を弄ぶ黒魔術に囚われた二人が、名残惜しげに抱き合った。
「お姉さまもイキましたね。気持ちよさそうです」
「やめろよ、そんな……うっ、体が敏感になってる」
 どうやらジャックは照れているようだった。マリーはそんな彼女の肌を撫で回し、仲睦まじい恋人同士のような戯れにふけった。
 主であるゲオルグも含め、これからジャックとは長い付き合いになりそうだとマリーは思った。何しろ、自分たちはもはや人間をやめてしまったのだから。

 ◇ ◇ ◇ 

 しばらくして、全身を黒いローブで覆った小柄な人物が、洞窟の奥から二人のもとにやってきた。
「お待ちしておりました、ゲオルグ様」
 マリーとジャックは畏まった。闇の色をしたローブの中は相変わらず視線が届かないが、たとえ姿が見えずとも、それがゲオルグだと即座にわかった。今のマリーは、彼の魔術によってかりそめの命を与えられた忠実な下僕なのだ。その主を見間違えるはずはない。
「待たせたな。儀式は無事に終わったぞ」
 鈴の音のような少女の声が聞こえた。ジャックが驚きの声をあげたのも束の間、その人物は黒いローブを脱ぎ捨てた。
「まあ、そのお姿は……」
 マリーは目を見開いた。ローブの中から現れたのは朽ち果てた骸骨ではなかった。金色の髪のプリンセスが一糸まとわぬ裸体を晒し、不敵な笑みをたたえていた。
「驚いたか。私がこのような姿になって」
「だ、旦那? どう見ても連れ去ったお姫さんにしか見えませんが……本当に旦那なんですかい?」
「そうだ。これが今の私だ」
 それは紛れもなく王国の王女、ヘンリエッタだった。しかし、その雰囲気は以前とまるで異なる。汚いローブを身にまとい、醜悪なアンデッドを前にしても怯えるどころか薄笑いをうかべるだけだ。
「ヘンリエッタ王女の魂は悪魔に捧げた。私は姫の魂を代価に悪魔と契約し、更なる力を得た。そのついでに、中身のなくなったこの体を貰い受けたというわけだ。さすが、神の血を引く王家の末裔だけのことはある。全てがうまくいったぞ」
 ヘンリエッタの姿をした人物は得意げに話すと、そばの椅子に腰を下ろした。なんと、このプリンセスにしか見えない全裸の娘がゲオルグだという。これも彼が誇る黒魔術の力らしい。
「なるほど、旦那がお姫さんの体を乗っ取ったんですかい。確かに、雰囲気がまるっきり変わりやしたね」
「たとえ魂が不滅でも、肉体はそうはいかぬのだ。我ら死を超越したネクロマンサーにしても、同じ体を永遠に使い続けるというわけにはいかぬ。ここいらが替え時だ」
 屍術師は、そう言って新たな己の肉体を見下ろした。その満足げな表情からは、彼が王家の末裔である十五歳の少女の肉体を気に入ったことが窺えた。
「おめでとうございます、ゲオルグ様。たとえお姿が変わろうと、この体が動く限り、あなたにお仕え致します」
 マリーは表情と言葉で主への忠誠を表した。かつて彼女が護った姫君はここで命を落とし、邪悪な黒魔術師の糧となってしまった。だが、自身もアンデッドに成り果てたマリーにとっては、それは嘆き悲しむことではなく、祝い喜ぶべきことだった。
「うむ、これから我が従者として存分に尽くしてくれ」
「はい、喜んで」
 マリーが恭しく一礼し、ヘンリエッタがうなずく。二人がこの洞窟に囚われる前とほぼ同じ、女騎士と姫君の振る舞いだった。前者は肉体を、後者は魂を奪われて現世の住人ではなくなったが、見た目に二人の関係は変わらない。白骨の女騎士が屍術師の王女に捧げる、永遠の忠誠がいま始まった。


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