真理奈三たび 前編

 ここは街中、住宅街の隙間にひっそりと存在する小さなドラッグストア。狭い店内で装飾性の欠片もないパイプ椅子に腰を下ろし、歯の根が合わぬ女が言った。
「う〜、やっぱ今日も寒いわねえ……」
 そのまま長机にもたれかかり、暖房から送られてくる暖かな空気を堪能する。今日は比較的穏やかな気候ではあったが、それでも年の瀬が近いこの季節は寒風が吹きすさび、道行く者に分厚いコートを強制してくる。空一面を覆う灰色の雲も実にうらめしかった。
 空と同じグレーのカーディガンを羽織って身を縮めるその女はまだ若く、身にまとっている冬物の制服から察するにおそらく高校生かと思われる。ややきつめだが美人と言っていい顔立ちと、ボブカットに近いミディアムの茶髪、そして長身で肉づきのいい肢体と、いかにも男受けが良さそうな女だった。
 その彼女の前に、湯気の立った白いコーヒーカップが音もなく差し出される。中身はたっぷりと砂糖の入ったミルクティーで、ほのかな紅茶の香りが鼻をくすぐった。
 女は礼も言わずそのカップを受け取り、口元で傾けて顔をほころばせる。心地よい熱と砂糖の甘みが冷え切った体と心をほぐしていく。
「はあ、あったまるぅ……」
「あははは、君は寒がりだねえ」
 彼女にそう笑いかけたのは、同じくらいの年頃の少年だった。
 こちらは長袖のワイシャツに黒のスラックスと、やはり制服姿の高校生のように見える。だが校章など所属を示す物が何一つ見当たらず、ひょっとしたら私服なのかもしれない。
 そしてその平凡な装いと違って、彼の顔は明らかに際立っていた。
 美の女神に寵愛されているかのような端正な表情が、ありふれた空間の中でひときわ異彩を放つ。不自然なまでに整った目鼻立ちは、あたかも神話や伝説に登場する英雄が現代に蘇ったかのようだ。そんな絶世の美少年がにこにこ微笑み、長机の向こうから女をじっと見下ろしていた。
 ただ見ているだけで心を奪われてしまいそうな美貌を前に、女は頬をかすかに朱に染めながらもいつも通りの平常心を保っていた。一旦カップを机の上に置いて少年に言い返す。
「何よ、寒いものは寒いし、暑いときは暑いって言うのが当たり前じゃない。あたし達はあんたと違って普通の人間なんだからね。デリケートなのよ」
「まあ、正直なのはいいことだと思うよ」
 半ば八つ当たりの混じった、彼女の不機嫌な声にも彼は肩をすくめるだけ。そんな仕草からは、どこかこの女との会話を楽しんでいるような様子が感じられた。

 彼女の名前は加藤真理奈。地元の学校に通う十七歳の女子高生である。気が強く好奇心旺盛、誰が相手でも物怖じしない性格で、交際相手を頻繁に換えているが、さばさばした明るい性格のため、不思議とあまり恨みを買うことがない。
 また、最近は同居している小学生の従弟に手を出しているらしく、以前のように浮いた話ばかり聞こえてくるということはなくなった。
 そんな彼女の近頃の趣味はと言えば、放課後や休日にこのドラッグストアに入り浸り、いつも店番をしているこの少年の相手をしてやることだった。
 彼の職業、その他経歴の一切、名前すら真理奈は知らない。聞いても教えてくれないのだ。
 唯一わかっているのは、この端正な顔の少年が普通の人間ではないということだけである。怪しげな薬をくれたり、常識外れの行動力で教師や通行人に痛快な悪戯を仕掛けたり。今までの日常生活からは想像もつかない不思議な、そして刺激的な体験。彼はそんな魅惑の世界を真理奈や友人たちにこっそりと垣間見せてくれるのだ。
 その不可解な能力によって悲惨な目に遭わされたこともあるが、それでもこうしてここに来てしまう辺り、彼女も相当な物好きと言える。

 真理奈はもう一口紅茶をすすり、座ったまま後ろを振り返った。そこには彼女と同じ高校の制服を着た、長い黒髪をツインテールにまとめた少女が立っていた。
「瑞希もここ座ったら? あたしだけ座るのもなんだし」
「……あ、うん」
「ほら、この子にもお茶」
「はいはい」
 彼は苦笑してうなずき、真理奈の隣に座った彼女にも同じく紅茶を出してやった。
 この少女は森田瑞希。真理奈の親友で、普段からよく彼女と行動を共にしている。真理奈と違って童顔で小柄な体格だが、幼さの残る表情が彼女には無い愛らしさをかもし出していた。
 着ている物は同じ紺色のセーラー服とスカート、グレーのスクールカーディガン。いずれも一番小さなサイズだろう。中学生どころか小学生と言っても通るかもしれない。
 強気そのもので言いたいことは何でもずけずけ言う真理奈に対し、瑞希は引っ込み思案であまりはっきり自分を主張しないところがあった。そのためいつも真理奈が瑞希をリードする立場にあるが、真理奈は真理奈でそれを嫌がりもせず、柔和で臆病なこの少女を妹のように可愛がっていた。
「……ありがとうございます、いただきます」
「はっはっは、礼儀正しくて可愛いね。真理奈さんとは大違いだ」
「ふん、勝手に言ってなさい」
 客はおらず、狭いが清潔な店内にいるのは真理奈と少年、そして瑞希の三人のみ。この店に客が来ているのを真理奈は見たことがない。彼の言によると“暇になったら客が来る”らしいが、今のところ誰かがやってくる気配すらなかった。もちろん商売として成り立っているはずはないが、特にそれで彼が困る訳でもないようだ。何のためにここにいるのか、何がしたいのか色々と謎が多い少年であるが、考えても答えは出ない。
 真理奈はガラス戸の向こうの寒々とした景色を眺めて軽くため息をつき、他の二人を相手に世間話に興じることにした。やはりもっぱら喋るのは真理奈で、他の二人は自然と聞き役になる。
「なーんかこう、最近つまんないのよね。うちの直人も毎日遅くまで塾に缶詰だしさぁ」
「でも受験だから仕方ないよ。それでも家じゃ一緒にいるんでしょ?」
「うーん……そうなんだけど、ちょっと無理してあたしに気を遣ってくるのがいじらしいのよね。まだ子供なんだから、もっと甘えてベタベタしたっていいと思うのよ」
「直人君って背伸びしたがるとこあるからね。でもそんなとこ、すごく真面目でいいんじゃないかな」
「あ、なんかその言い方ムカツク。そりゃあんたは、いつも愛しの祐ちゃんに可愛がってもらってるからいいだろうけどさ?」
 渋面の真理奈が口にした言葉に、瑞希が耳まで赤くしてうつむいた。
 真理奈も瑞希も健全な女子高生。外見や性格の違いはあれど、どちらにも親しい異性がいる。自然と会話の内容はその交際相手との日常や不満、願望の話になっていった。
 真理奈は自分を慕ってくる幼くて可愛い従弟のことを。
 瑞希は少し前から正式につき合いだした、近所に住む幼馴染の同級生のことを。
 少年は時おり相槌をうちながら、にこにこした笑顔で二人の話に耳を傾けていた。
 どうやら真理奈は現状があまり面白くない――というか退屈らしい――ようで、生来の我がままな性格もあり、発言に含まれる愚痴と文句の割合が比較的高い。
「刺激、そう刺激よ。いつもとはちょっと違う、こうピリリとした何かが欲しいわね」
「ピリリって、それじゃよくわかんないよ……」
「ふむ、刺激ねえ……刺激か……」
 真理奈が何気なく口にした言葉に、少年が尖ったおとがいに手を当てて考え込む。ルネサンスの彫刻のような威容が二人の少女の瞳を貫き、数度のまばたきを強いた。
「――じゃあ、ちょっと面白いことしてみる?」
 長机に手を置き、少年が二人に微笑みかける。その眼差しには子供っぽい好奇心とわずかな悪意が混入しており、悪戯を計画する悪童を思わせた。
 思わせぶりな彼の態度に、真理奈が顔を上げて問いかける。
「え、なになに? また面白い薬でもくれるの? こないだの入れ替わるやつとか」
「薬か……そうだね、それでもいいけれど、あれもまだいろいろと試行錯誤してる最中でね。とりあえず今日は簡単に味わえる驚き、サプライズを君たちにプレゼントしようかな」
 少年はそう言ってその場を離れ、カウンターの横を通ってその向こう、真理奈たちが座っている場所までやってきた。
 椅子に座った二人は身をよじって後ろを向いたが、彼は気にせず真理奈の真後ろに立つ。得体の知れない相手に背後に回られる不安はないでもなかったが、彼女は特に逃げもせず首を横に向けたまま、パイプ椅子に悠然と腰を下ろしていた。
「で、何すんの?」
「ちょっとの間でいいからじっとしててね。じゃあいくよ」
 真理奈の後ろに立った少年がしなやかな腕を伸ばす。細い指がうなじにかかり、敏感な箇所に触れられた彼女は軽く身を震わせた。彼はそのまま両手の指で少女の首を挟み、そっと持ち上げていく。
 もちろんそんな動作で人間の首がどうにかなるはずがないが、そのとき真理奈も瑞希も目を疑うことが起きた。
 ビール瓶の栓を開ける、もしくはシャンパンのコルクを抜くのを連想させる心地よい音。
 それが狭いドラッグストアの中に響くと同時に、真理奈の頭がその胴体から離れ、白魚のような少年の手の中に納まってしまったのだ。
「ええ――な、何よこれっ !?」
 唯一動かせる口でもって騒ぐが、それも無駄な抵抗でしかない。宙に浮いた首、そして残された胴体からは一滴の血も流れることなく生きたままの状態を保っていた。どんな仕組みになっているのか、首だけになった真理奈は呼吸も発言も可能なようで、相変わらずの勢いでまくしたてる。
 少年は真理奈の生首を慎重な手つきで長机の上に乗せ、胴体と向かい合わせた。
「単に外しただけさ。死にはしないから安心して。ほら、自分の体を観察してみてよ」
「観察って……ど、どーなってんの……」
 なめらかな赤い切断面は気持ち悪いが、こうして自分の身体を見つめるのは不思議な気分だった。灰色のカーディガンに包まれた冬物の制服はいかにも公立学校らしく野暮ったいデザインだったが、椅子に座った身体の胸元で揺れる大きな肉の塊、机の上に投げ出された手を飾る長い爪は、派手好みの彼女にふさわしい魅力を感じさせた。
 いつの間にか自分の身体に見とれていたことに気づき慌てて首を振ろうとするが、今の真理奈にはそんな自由すらない。
(あ〜、油断してたわ。こいつこんなこともできるのよね……さすが化け物)
 せめて抗議の声をあげようと、彼女が眼球だけ動かして斜め横を見ると、そこには真理奈と同様、胴体から引き抜かれた瑞希の首が置かれていた。ふたつにまとめられた黒髪がだらしなく机の上に広がって、かなり間抜けな光景だ。
「あ、瑞希あんたも……?」
「こ、これ何なの……? 私、どうなっちゃったんですか……?」
 半泣き状態の親友の姿を見せられ、さすがに少しは真剣な表情になった真理奈だが、少年はどこ吹く風といった様子で二つの生首を見下ろし、朗らかに微笑んでいた。いつもの明るいにこにこ顔で、残酷なほど無邪気な笑みを浮かべている。
 長机の上で身動きがとれずに少年を見上げる二人の首は、さながら戦で敗れて討ち取られた戦国武将のようであった。
「どうだい? 首から下の感覚が一切ないなんて、かなり新鮮な体験じゃない?」
「……いくら新鮮でも、こういうのはちょっと遠慮しとくわ。早く戻してよ」
 このように異様な状況下でも、真理奈はきっぱりと言い放つ。
 その反応が気に入ったのか、彼はうんうんうなずいて真理奈の首を手に取った。
「はいはい、わかったよ。じゃあつけ直してあげるね」
 そう言って再び真理奈を持ち上げ、動かない胴体のもとにゆっくりと近づけていく。視線を動かせない彼女からは自分の身体を確認することはできなかったが、大まかな位置関係から、彼が素直に首だけの自分を胴体の方に運んでいることは推測できた。
(それにしても、やっぱこれ気持ち悪いわね……。そりゃ新鮮な体験かもしれないけど……)
 心の中でぶつぶつ言っている間に、真理奈の首は身体にくっつけられていた。今度は音もなく頭部と胴体が接合し、正常な手足の感覚が脳に送り込まれてくる。そして全身の違和感がなくなったことを彼女が自覚したとき、少年の優しい声が聞こえてきた。
「はい、つけてあげたよ。気分はどう?」
「ん、えーと大丈夫……かな? あれ?」
 真理奈は椅子に座ったまま、自分の身体を見下ろした。
 ほっそりした手足、ブラジャーが不必要なほど平坦な胸、そして小学生と見間違うほど小さな体。どこからどう見ても元の自分とは似つかわしくない、親友の小柄な肉体がそこにあった。
「ちょ、ちょっとこれ…… !?」
「はい瑞希さん、君も戻してあげるからね。よいしょっと」
 あくまでマイペースに話を進める少年に、真理奈が大声を投げつけた。
「違う違う、これ瑞希の身体でしょーが! あんた何やってんの !? わざと !?」
「あれ、そうだっけ? 間違えちゃったかなぁ、あははは」
「ま、真理奈ちゃん……」
「瑞希っ !? うわあぁ、すごい――ってかひどい……」
 パイプ椅子を蹴倒して立ち上がった彼女が見たものは、すぐ隣で不安そうな顔を浮かべて椅子に座っている瑞希の姿だった。当然のようにその首から下はスタイル抜群の真理奈の肉体になっている。制服の上からでもわかる豊かな乳房とグラマーな体つきが瑞希の童顔に全くふさわしくなかったが、これはこれで別の層の需要が発生しているかもしれない。
 やがて少年に促され、ツインテールの少女もおずおずと立ち上がった。真理奈と向かい合った今の瑞希は驚くほど長身で、彼女に比べて十数センチは高いだろうか。最近はあまり運動をしていないので、以前は引き締まっていた手足にもむっちり肉がついているが、決して見苦しい訳ではなく、より女性らしい丸みを帯びた印象を受ける。
 普段は人並みに体重を気にしていた真理奈だったが、こうして自分の身体を客観的に見るとそう心配する必要はないように思われた。
 華奢な右手を伸ばし、眼前の瑞希の胸に触れてみる。もはや自分のものではなくなった巨大な乳房は、不思議な興奮と感触とを真理奈にもたらした。
「ひゃっ…… !? ま、真理奈ちゃん、やめて……!」
「ん、ちょっと待った……もうちょい触らせて」
 両手で瑞希の巨乳を揉みしだこうとした真理奈だったが、彼女が慌てて身を引いたために大人しく引き下がらざるをえなかった。入れ替わる前は体格のいい真理奈の方が力もあり、嫌がる瑞希を押さえつけることも容易だったが、今はそれも不可能だろう。
 自分の身体を見下ろすと、冬物のセーラー服から膝にかかった濃紺のスカートまで、隠れることなくつぶさに観察できる。胸が無いだけで視覚がこんな風に変わるのかと、彼女はしきりに驚いていた。
(でも、見れば見るほど子供っぽい体よねえ……これじゃあ自信も無くすわ……)
 瑞希が気弱で大人しいのは、貧弱な体格にコンプレックスがあるからだろう。真理奈は勝手にそう結論づけ、心の中で親友の生い立ちに同情を寄せた。
「はははは、どう? こういうのも新鮮でいいでしょう」
「お生憎様、あたしと瑞希は前にも体を交換したことがあるの。こんなの初めてじゃないわ」
 横で余裕を見せて笑う少年に腕組みをして言い返す。だがその口調とは裏腹に、真理奈の表情には先ほどは見られなかった笑みが見え隠れしていた。自今の分の手足を確かめるように動かし、そして目の前にいる巨乳童顔の親友の姿をねめつける。しかし当の瑞希には友人の意図がわからず、真理奈の体のまま困惑するばかりだった。
 やがて何を思いついたのか、小さな真理奈がはっきりした声で宣言した。
「よし、やっぱりこれでいいわ! 瑞希、今日はこのままだから」
「え? ま、真理奈ちゃん?」
「一応確認しとくけど、ちゃんと元に戻せるのよね? これ」
 強気に目をつり上げて聞いてくる彼女に、美貌の少年はうなずき返した。
「うん、大丈夫さ。君たちは顔見知りだし、後できちんと戻してあげるよ。もちろん君たちがこのままでいいって言うんだったら、僕はそれでも構わないけどね」
「……さすがにそれは遠慮しとくわ。あたしは自分の体に愛着があるから、今日一日だけってことでよろしく」
「ま、真理奈ちゃん……どうするの?」
 不安げに胸の前で手を合わせる瑞希。いつも誇らしげにきびきび動く真理奈の肢体だが、今は童顔のツインテールの下で頼りなさそうになよなよしている。
 自分より長身になった友達を見上げ、真理奈は不敵に笑ってみせた。
「だって、考えたらこれも面白そうじゃない。いつもの薬で上から下まで入れ替わっちゃったら、あたしは瑞希の家で生活しないといけないでしょ? これだとそれしなくていいから、楽ってもんよ」
「え !? もしかして、今日はこのままで過ごすの……?」
「さっきからそう言ってるでしょ? あたしの身体をまた貸してもらえるんだから感謝しなさいよね。学校一のアイドル、加藤真理奈様の体よ? 愛しの祐ちゃんもきっと喜ぶって!」
 青くなった瑞希に向かって事も無げに言い放つ。狭いドラッグストアの中、一番の親友の顔がついた自分の体を見下ろしながら、瑞希は困惑と不安で豊満な胸を一杯にしていた。
「じゃあまた明日来るから、ちゃんと元に戻してよ。それじゃ瑞希、帰るわよ!」
「こ、こんなのやめようよ……真理奈ちゃ〜ん!」
「ありがとうございました〜、またお越し下さいませ――なんてね♪ あっはっは……」
 こうして首から下の入れ替わった二人の少女は、誰も客のいなくなったドラッグストアを後にした。


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