聖女のネクロリンカ Dルート


「コリン、あまり遠くへ行くんじゃないぞ!」
「ワン、ワン!」
 チャーリーの命令に、コリンはひと声高く吠えて応えたが、スピードを緩める素振りは見せなかった。
 彼は獲物が入ったずだ袋を肩にかけ、木々の間を素早く駆ける愛犬を追いかけた。鬱蒼とした森の中で一度はぐれてしまえば、合流するのはなかなか難しいだろう。
 背の高い樹木の枝葉に頭上を覆われ、昼か夕かもよくわからないが、おそらくは午後の遅い頃だと思われた。そろそろ帰ることを考えなくては、夜を迎えたら闇を好む魔物に襲撃されるおそれがある。
「コリン、戻ってこい、コリーン!」
 少年の声に焦りの色がにじんだ。いつの間にか犬の鳴き声は聞こえなくなり、ふさふさのグレイの毛並みは青い茂みに隠れて見えなくなっていた。
「まいったな……あいつ、どこまで行っちゃったんだ」 
 チャーリーは息を切らし、コリンが走っていったと思しき方向に目を凝らした。
 コリンは三歳ほどになるオスの猟犬で、とても勇敢な反面、獲物を追いかけるのに熱中して主を見失うことがしばしばあった。住まいの小屋の周辺であれば土地勘もあり、帰ってくるのは難しくないが、今回のように遠出をした場合、遭難は生命の危機に直結する。
 狩りに夢中になるあまり、剣の刃を渡ってしまうのでは……彼の懸念は現実のものになりつつあった。
 まだ経験の少ない未熟な猟師のチャーリーにとって、森はあらゆる恵みを与えてくれる女神であると同時に、油断するとたやすく命を奪う暴君でもあった。彼を育ててくれた父は、今のチャーリーと同様、森の植物や鳥獣をとって街に売りに行く仕事をしていたが、ある日突然、巨大な熊に襲われて命を落とした。
 脅威は野生の獣だけではない。近年は魔族と人間の戦が始まり、魔族の眷属である凶暴な魔物に遭遇することも少なくない。弓の腕には多少自信のあるチャーリーだが、野生動物よりもはるかに手強い邪悪な魔物に狙われたら、ひとたまりもないだろう。それはコリンも同じで、鹿や兎を仕留めるのが得意な優れた猟犬であっても、森の中では常に死の危険と隣り合わせである。
 チャーリーは茂みをかき分け、必死でコリンを探したが、親友の居場所を示すグレイの毛皮はどこにも見当たらなかった。
 このままでは日が暮れ、チャーリー自身も暗い森の中で夜を迎える羽目になる。いつ魔物に襲われるかわからない森の中で一夜を過ごすのは、世をはかなんで自ら命を絶つのと大して変わらないだろう。
 子犬の頃から心通わせたコリンと離れ離れにはなりたくないが、いつまでも見つからなくては、忠実な愛犬と自分の命を天秤にかける必要が出てくるかもしれない。
「コリン、どこだ? もう帰るぞ、コリーン!」
 狩人の少年が声を枯らして犬を呼んでいると、不意に森が途切れて丘に出た。急な斜面の下で、巨大な洞穴がぽっかり口を開けていた。
 チャーリーは洞窟の前に立った。奥は非常に深そうで、入口から大声を発しても反響がほとんどない。
 得体の知れない洞窟の前で、チャーリーは犬の足跡を発見した。それは間違いなく彼のパートナーである猟犬、コリンのものだった。
「まさかコリンのやつ、この中に入っていっちゃったのか? 暗くて奥も見えないのに……」
 どうやら彼の犬は、熱心に獲物を追いかけるあまり、この洞窟の中に入っていったようだ。チャーリーは入口から何度も何度も犬を呼んだが、コリンが彼に姿を見せることはなかった。
 水に落ちたか、熊にでも襲われたか。
 もう死んでいるかもしれないという危惧が少年の胸をしめつけた。
「コリン、戻ってこい……コリン!」
 チャーリーは犬が戻ってくることを願ったが、結局、その日コリンは彼のもとに帰ってはこなかった。
 やむなく独りで帰宅した次の日も、また次の日も少年は犬を探しに行ったが、無駄な努力に過ぎなかった。
 三年の間、共に過ごした親友を永遠に失ってしまった……このとき、チャーリーはそう思っていた。

 ◇ ◇ ◇ 

 暗い洞窟の中を進んでいたシャルルたちは、突如として広い空間に出くわした。
 青ざめた壁と天井に囲まれた広大な空間……頭上に浮かべた魔術の灯りでは照らしきれないほど向こうに、巨大な扉らしき壁がぼんやりと見えた。
 警戒してシャルルが辺りを見回すと、すぐそばに犬らしき毛むくじゃらの死骸が転がっていた。
 なぜこんな暗く危険な洞窟の奥で、犬が死んでいるのかはわからない。誰かが連れてきてはぐれてしまったのかもしれない。犬好きのシャルルは、その灰色の犬の冥福を祈った。
「あの奥に古代の遺跡があるのですね」
 シャルルの隣で、清らかな白い衣をまとった小柄な少女がつぶやいた。魔物が跋扈する暗い洞窟の中、魔術の灯りに照らされたその上品な笑みを見ているだけで元気が湧いてくるようだ。
 この少女の名はクリスティーヌ・マリー・フォン・サンノーブル。
 とある事件をきっかけにシャルルと共に旅をすることになった聖王国の第一王女で、癒しの奇跡を行使する聖職者でもあった。常に最前線で魔物と戦うシャルルが深い傷を受けても、たちどころに治してしまう。
 クリスティーヌ……クリスはただ役に立つ戦力というだけではない。
 一国の姫君という高貴な身分でありながら、立ち寄る町々で苦しむ人々のために癒しの力を使いつづける、献身的な聖女だ。自らの命を削ってまで仲間の傷を癒してくれるその慈愛の精神と笑顔に、シャルルはいつも支えられてきた。高潔な魂を持つ美貌のプリンセスは、国と一族とを魔族に滅ぼされたシャルルにとって、いまやなくてはならない存在だ。
 魔族との長い戦いが終わり祖国を復興させた暁には、シャルルはクリスに求婚するつもりだった。いまだ汚れを知らない清らかな乙女のクリスティーヌを、そのときまで守り通さなくてはならないと固く誓っていた。
 ところが……。
「シャル……!」
 遺跡の奥から現れた巨大な機械の兵士……古代文明のガーディアンの手にかかり、クリスティーヌはあっけなく絶命した。
「クリスっ !?」
 シャルルの声が裏返り、心臓がわずかな間、停止する。クリスのつぶらな瞳がシャルルをじっと見つめていた。
 王子はあらゆる感情の欠落した顔で、宙を舞う王女の生首を見上げた。一瞬の視線の交叉が永遠にも感じられた。
 シャルルの名剣に斬られて活動を停止したと思っていた機械兵が幅広の刃を射出し、寸分の狂いもなくプリンセスの首を切断したのだ。
 細い金髪と赤い飛沫が、暗い洞窟の内部を明るく染め上げた。クリスの華奢な身体から、真紅の花びらが舞い上がっていた。
 あまりに凄惨な姿にその場の全員の動きが停止し、人形のように表情を失った。
「クリス……そんな……」
 シャルルにはどうすることもできなかった。パーティーの中で仲間の傷を癒せるのは、神に仕えるクリスだけだ。そのクリスが死んでしまっては打つ手がない。
 今の彼にできるのは、クリスのか細い体が鮮血を噴き出し、自分の腕の中で少しずつ熱を失っていくのを、ただ眺めることだけだ。シャルルの頬を涙が伝い、抑えきれない喪失感と怒りが彼の胸を引き裂いた。
「どきなさい……」
「え?」
 呆気にとられて顔を上げると、仲間の一人であるゲオルグが彼の泣き顔を覗き込んでいた。黒いローブを頭からかぶったゲオルグの暗く淀んだ瞳には光がなく、先ほど見た犬の死骸のそれと変わらない。
 ネクロマンサーのゲオルグ。
 その能力は、魂のない死者の肉体にかりそめの命を吹き込み、己の操り人形にすること。
 生と死の狭間に暮らす屍術師の女の顔が、肌が触れ合いそうなほど近くにあった。
「この子の首はどこ……?」
「え? あ、どこだろ……」
 シャルルは慌てて辺りを見回したが、かなり遠くに飛んでいったのか、クリスの頭部は見当たらない。広大で暗いこの空間の中で、人間の生首を瞬時に探し出すのは極めて困難だった。
「しょうがないわね……とにかく、命が助かればいいんでしょ?」
 クリスの頭がすぐには見つからないことを確かめると、ゲオルグは懐から短剣を取り出した。刃に反射したひと筋の細い光が、血の気のない屍術師の顔を照らした。
 いったい何をするつもりか……シャルルが息を呑んで見守る中、ゲオルグは死骸の前で身をかがめた。
 シャルルが抱きかかえるクリスの遺体ではない。彼らがここにやってきたときに見つけた、犬の死骸だった。
 仲間が死んだというのにゲオルグはさして動揺するでもなく、やや大型のオスの猟犬の死骸に短剣を振るった。首に鋭い刃を当てると、腐敗が進行しつつある肉は、柔らかなチーズかバターのようにやすやすと切れた。
 切断したオス犬の首を手に、再びシャルルの前に戻ってきたゲオルグ。
 彼女の意図がわからないシャルル達は戸惑うばかりだ。生命を冒涜する行為にも思えたが、今は怒る気にもなれない。
「あなたたち、お姫様の体……ちゃんと支えててね」
「あ、ああ……」
 シャルルが背中を、仲間の一人である女魔術師サンドラが脚を持ち、クリスの軽い体を固定する。
 いまだ聖女の鮮血が勢いよくほとばしっていたが、ゲオルグは気にも留めず、犬の首の切断面をクリスのそれにあてがった。
「冥界の王よ、我に力を……この者に永劫の苦痛と命をもたらしたまえ……」
 ゲオルグの手のひらに青白い光が灯り、オス犬の腐った顔を照らしだした。
 白濁した瞳、変色したグレイの毛並み、舌を出して強張ったまま動かない表情筋……生命の残骸とも言うべき醜い顔面に、ゲオルグの光が意思を持っているかのようにまとわりついた。
 妖しく揺れ、蠢く、得体の知れない光にシャルルは不吉な気配を感じた。だが止めようとはしなかった。
 そのうちに、驚くべきことが起きた。
 繊細な白い肌と、虫のたかる褐色の毛皮とが融け合い、生肉と腐肉が繋がったのだ。
 オス犬の首とプリンセスの体。二つの死体のパーツが融合し、一つのシルエットを形作った。
「ゲ、ゲオルグ、それは……?」
「うふふふ……うまくいったわ。さすがは私、素晴らしい出来ばえね……さあ、立ちなさい……」
 ゲオルグの言葉に、クリスの手足がぴくりと動いた。
 到底、救命の見込みのなかった姫の体が、四つんばいで起き上がった。人形が命を吹き込まれたかのような変化にシャルルは目を疑った。
「ク、クリスの体が……!」
 信じられない光景を目にして、シャルルは狼狽した。
 斬り飛ばされた王女の首のかわりに、腐敗したオス犬の首が肩に載っていた。とうに死んだはずのオス犬は腐り果てた舌を出し、ゲオルグの命令通りプリンセスのスリムな四肢で大地を踏みしめ、混濁した瞳を新たな主であるネクロマンサーに向けていた。
 噴水のような出血は既に止まり、傷口からわずかに滴る赤い液体が白い衣を汚していた。
「すごいでしょう……? これでこの子の体は動けるようになったわ。まあ、犬の頭だから人間みたいに二本足で歩くってわけにはいかないけど……それでも普通のゾンビに比べたらずっとマシなはず……だってまだ生きてる体を使ったんだもの、当然よね……」
「おい、どうなってるんだ !? 何をしたんだ!」
 ぶつぶつ独りごちるゲオルグに、シャルルは声を荒げた。オス犬の死骸と首をすげ替えられたグロテスクな少女の姿に憤慨し、不満と戸惑いを隠さなかった。
「何って……放っておいたら死んでしまう……というか即死したような気もするけど、とにかくネクロマンシーで一時的にゾンビにしたの。ゾンビといっても、首から下は一応まだ生きてるわ……街の教会に連れて帰れば、神聖魔法で蘇生することだってできるはずよ……」
「ゾンビにした? そんなのありか !? それに、なんであの犬の首を繋げたんだ!」
「とにかく、大急ぎで血を止めないといけなかったから……それに、頭がついてないゾンビはなかなかこちらの命令に従わないの。人間じゃなくて犬だけど、贅沢言ってられないわ……首無しのゾンビにしちゃって、ふらふらしてまた死なれたら困るでしょ……?」
「だからと言って、クリスの体にあんな腐った犬の頭を……!」
 シャルルは変わり果てた少女を指差した。
 聖王国の紋章が各所にあしらわれた純白の衣は鮮血に染まり、麗しさの盛りを迎えつつある美貌は腐敗したオス犬の死相に置き換わっていた。
 だが、間違いなく生きている。よく見るとときどき胸がわずかに膨らみ、半開きになった犬の口から空気が出入りしているのが観察された。
 ゾンビ。人間や動物の死体から作り出された不死の怪物。腐った肉を材料にした操り人形。
 亡国の王子である自分を仲間として受け入れてくれた姫君を、必ず守ると誓った乙女を、このような魂を持たぬ傀儡にしていいはずがない。
 まして、ヒトではなく犬の頭を継ぎ合わされたのだ。いまだ男を知らぬ無垢な聖女の首無し死体に腐ったオス犬の頭を繋げるとは、神の怒りを買って地獄に叩き落とされても文句の言えぬ所業である。
「仕方ないでしょ。ふふ、王子様はわがままね……それよりも、飛んでいっちゃったこの子の首を探しなさい……元通りに生き返らせたいんでしょ……? あれも持って帰らないと……」
「そ、そうだ。クリスの頭はどこに……?」
「シャルル、あれ! あれを見て!」
 慌てふためくサンドラの声に振り向くと、闇の向こうに何かが蠢く気配を感じた。肉食獣の眼光を思わせる赤い光と、腹の奥まで響いてくる不気味で重厚な金属音。
 それはクリスを殺した機械兵と同じものだった。
 シャルルが撃破した機体ではない。完全に沈黙した古代の兵器とまったく同じ機体が三機、奥の門から出てくるのが見えた。
 どうやら新手らしい。
 一機でも苦戦し、犠牲を出した古代文明の殺戮兵器。それが複数やってきたとあっては、シャルル達に勝ち目はなかった。
「逃げるぞ、皆!」
 辛うじて残っていたシャルルの理性が決断を下した。それは同時に、行方不明になったクリスの生首をここに置き去りにすることを意味する。
 クリスを見捨てる。
 それはシャルルにとって、自分の死よりも辛い選択だった。
 絶対に守ると約束したはずの少女を守りきれなかったばかりか、その生首をこの場に打ち捨てて逃走するなど、とても耐えられることではない。
 そんなことをするくらいなら、ここで勇ましく戦って死んだ方がマシではないかとさえ思った。
「そうね、ここはひとまず逃げた方がいいわね……お姫様は体だけでも連れて帰って、生き返らせるまで安全なところで待っててもらわないと……」
 苦悩するシャルルに、ネクロマンサーの女が言った。「王子様が言うように、たしかにお姫様の体に繋げたのは犬の頭だけど、頭がないゾンビよりはずっとマシよ。私の命令通りに動くはず……聞け、私に従え……」  四つんばいになって待機するクリスの体に、ゲオルグは逃走を命じた。
 クリスの体と結合したオス犬の頭が、がくがくと上下に揺れた。承知したようだ。
 直後、オス犬の頭が載ったクリスの体は両手両足で地面を蹴り、勢いよく駆けだした。
 死せるクリスが四つ足で走る速度は、生前の彼女のそれと遜色ない。白く繊細な両手で冷たい岩の地面を必死で叩きながら、犬そのものの姿勢で健気に走った。
「クリスの体が、あんな犬みたいな走り方を……!」
 シャルルはクリスの後ろ姿に呆れかえった。どう見ても二本足で上品に駆ける生前のクリスではなく、四肢で地面を蹴って進む犬の走り方だった。十七歳の華奢で可憐なプリンセスの体を支配し動かしているのは、腐乱したオス犬の生首だった。
 あんな体になって、本当に元通り生き返らせることができるのだろうか。
 クリスの生首が転がっている深層から後ろ髪を引かれる思いで立ち去り、シャルルはゲオルグや首をすげ替えられたクリスのあとを追った。
 惨めに敗北してこれ以上なく打ちのめされた一行は、ひたすら無言で歩き続けて地上に出た。既に日は落ち、辺りは真っ暗になっていた。
「これからどうする……?」
「とりあえず街に戻って、体勢を立て直しましょ。みんなもうぼろぼろよ……」
 げっそりした声でシャルルが問うと、同じく消耗しきって岩の上にへたり込んだサンドラが答えた。ゲオルグも同じ意見だった。そしてもう一人の仲間、クリスティーヌは無言だった。
 聖王国の白い衣をまとったクリスの身体はゲオルグの足元に這いつくばり、主人であるネクロマンサーの命令を待っていた。
 気品を感じさせる清楚な美貌はその体から切り離され、暗い洞窟の奥に置き去りにされた。かわりに王女の肩の上に載っているのは、グレイの毛並みを持つ若いオス犬の頭だ。
「クリス……俺が守るって約束したのに……畜生、畜生……!」
 変わり果てたクリスの姿に、シャルルは情けなくも涙を流した。今まで我慢してきた感情が一気に爆発し、洞窟の入口の岩を血がにじむほど殴りつけた。
「落ち着いて、シャルル。きっと街の教会に行けば、クリスを生き返らせてもらえるわ。ただ、この頭で復活させることができるのかどうか、ちょっとわからないわね……」
「もう一度あの場所に行って……お姫様の頭を持ち帰ってこないといけないかも……あの強すぎるガーディアンたちを何とかして、ね……」
 王子と仲間たちは顔を見合わせて嘆息した。手練れの戦士や恐ろしい魔物よりもはるかに手強い古代の殺戮兵器と、もう一度戦わなくてはならないかもしれない。今回は運良く逃げられたが、次は全滅してしまうおそれもある。
 だが、今まで仲間や市井の人々のために力を尽くした聖女の首を見捨てて諦めるというのは、シャルルには耐えられないことだった。今回はあえて撤退するが、なるたけ早くここに戻ってきて、クリスの首を取り返すつもりだった。
「あのガーディアンを倒す方法を考えないとな……そういえば、たしか古代の機械には弱点があるって聞いたことがあるような……」
「あら? クリスの体が……」
 サンドラが疑問の声を発した。犬のように四つんばいになった小柄な聖女の体が、片足を高くあげたのだ。
「あら、まあ……私は何も命令してないけど……この姿勢は、ひょっとして……」
 ネクロマンシーによって半ば仮死状態になったクリスティーヌの体は、まだ生命活動を完全に停止したわけではない。今も規則正しく呼吸しており、全身の血流が維持されているという。ならば当然、排泄もするはずだ。
 そんなプリンセスの体を支配する犬の頭は、動物であれば万人が有する生理的欲求を、生前そのままの方法で満たすことにしたようだ。
 つまり、四つんばいで片足をあげ……。
「おしっこ、ね……」
「ク、クリス……」
 楚々とした少女の体が震え、聖衣の股間が湿り気を帯びた。大部分の犬がそうであるように、この若いオス犬にも服を身に着ける習慣はなかったようだ。
 当然、衣服を脱いで排尿することもできない。尿意を催せば、ただその場で垂れ流すだけだ。
 三人の仲間たちが固唾をのんで見守る中、十七歳のプリンセスの体は死した犬の脳に命令され、尿道を開放しつづけた。
 高貴な白い衣はびしょびしょになり、辺り一帯に小便の臭いがたちこめた。死んだときのまま固まってほとんど動かないはずのオス犬の顔は、なぜか満足しているように見えた。
 生前のクリスが見たら自害してしまうかもしれない痴態を目の当たりにして危機感を覚えたシャルルたちは、夜通し急いで街に戻った。クリスの体をこの状態で放っておくのは、たとえ半時でも嫌だった。
 街にはこの地域で最大の規模を誇る教会がある。その大教会には蘇生の奇跡を行使できる高名な聖職者がいて、シャルルはその聖人にクリスを生き返らせてくれるよう依頼するつもりだった。
「なんということだ! 姫様が……!」
 変わり果てたクリスを連れて街の大教会を訪ねると、教区の責任者であるウェルビー大主教は哀れなほどにうろたえ、旧知の間柄である姫君の死に嘆き悲しんだ。
 高潔で責任感のある聖職者として名高い彼は、国を魔族に滅ぼされて流浪の身となったシャルルに涙を流して同情し、できる限りの援助をすると申し出てくれたこともある。
 追い詰められた今は、彼の厚意に甘えるしかない。
「大主教猊下、このクリスの体を蘇生させることはできませんか?」
「もちろんできますとも、殿下。姫様の蘇生はこの私が責任をもってお引き受けします。さりながら……」
「さりながら?」
「蘇生の奇跡は必ず成功するわけではありません。結果が使い手の力量に左右されるのは無論ですが、死んでから長い時間が経っていたり、体の一部が失われたりすると、元のように蘇らせることが難しくなります。姫様の場合は……」
「頭、ですか……」
 シャルルはクリスの顔に視線を向けた。行方不明になったプリンセスの首の代わりに胴体と繋がっているのは、悪臭を放つ腐敗したオス犬の頭だった。
「さよう。魂は頭に、心は胸に宿るもの。このいずれかが欠けてしまうと、単に蘇生が困難になるだけでなく、運良く蘇ったとしても、亡くなる前とは別の人間になってしまうかもしれないのです。こんな腐った犬の頭など繋げて蘇生させようものなら、二度と姫様が復活なさらないどころか、我々しもべも神のお怒りを買って破滅するやもしれませぬ」
「やっぱり、クリスの頭を持って帰ってこなきゃいけないわね……それも、できるだけ早く」
「ああ……」
 シャルルはうなずいた。
 世に聞こえた聖人といえども、このままではクリスを蘇らせることはできない。またあの遺跡の奥に行き、打ち捨てられた彼女の首を取り戻さなければならないのだ。
「猊下、俺たちが必ずクリスの頭を持ち帰ってきます」
「そうしてくださいますか、殿下。なにとぞよろしくお願いいたします。殿下がお戻りになるまで、姫様のお体はこちらで大切に預からせていただきますゆえ……」
 死人となったクリスティーヌの身体を大主教に託し、一行は休息もそこそこに街をあとにした。
 向かうは当然、あの遺跡だ。クリスを元通りの体で復活させるため、可能な限り急がなくてはならなかった。

 ◇ ◇ ◇ 

 夜、大教会に戻ってきた修道女ヴァレンティナは、廊下にかすかに漂う不浄な気配に気づいた。
(何かしら……嫌な予感がします)
 まだ十代半ばの若輩ながら蘇生の奇跡を行使できる才媛ヴァレンティナは、日々街に出かけては怪我人や病人の治療に従事している。この戦乱の世で助けを求める人々の声は尽きることがなく、少数の聖職者だけでは手が回らないのが現状だ。
 今夜も常のように疲れ果てて帰ってきたヴァレンティナだが、まだ眠ることはできない。
 神聖な教会の内部に不浄な存在の気配を感じるとは、いったいどういうことだろうか。ヴァレンティナは妖しい気配のもとに向かった。
 日頃さほど使われない小さな客間の一つに、見慣れない女の姿があった。
 肩や腰が聖王国の紋章で飾られた白い衣を身にまとい、フードを目深にかぶって顔を隠していた。十中八九、この女が魔性の臭いを放っているものと思われた。
 まさか人間に化けた魔物が教会に侵入したのか……ヴァレンティナは注意深く用心して女に近づく。
「抵抗しないでください。あなたはいったい何者ですか? もしや魔族の手先……ああっ !?」
 近づいても微動だにしない女のフードを剥ぎ取り、ヴァレンティナは仰天した。
 犬だった。
 体こそ若い女のものだが、その頭部は人間ではなく、腐敗した犬の生首が繋ぎ合わされていたのだ。
 かすかにだが呼吸をしているようで、死んでいるわけではない……が、生きているようにも見えない。
「これはいったいどういうことなの。まさかネクロマンシー?」
 死んだ犬の頭に、生きているヒトの女の体。
 この者が奇怪で不愉快な姿をしている理由は、おそらくネクロマンシーと呼ばれる黒魔術にあるのだろうとヴァレンティナは推理した。
 ネクロマンシーとは、人間や獣の死体に術者がかりそめの命を吹き込み、忠実なしもべのゾンビとして使役する外法である。
 おそらくこの女は首を斬られて殺害され、その首無し死体に犬の頭を繋ぎ合わされ、ゾンビにされたのだろう。教会にとって忌むべき邪悪な秘術の犠牲者が、目の前の犬女だった。
「なんと哀れな……できることなら、神に祈りを捧げてあなたを元の姿に戻して差し上げたいのですが……こんな醜いゾンビになってしまった人を元に戻すなんて、本当にできるのかしら……」
 自分の感情が高ぶっているのを若い聖女は自覚した。
 人の命をもてあそぶ邪悪な外法に対する怒りと、目の前の女への憐憫の情が、ヴァレンティナの体に秘められた力を呼び覚ます。
 この哀れな女を助けたい。ただそれだけを思った。
 ヴァレンティナの前に小さな光が出現した。種火よりも弱々しいそれは次第に数を増し、ヴァレンティナと犬頭の女を取り巻いていく。
 奇跡が起こる前触れだった。
「大いなる造物主、我らが神よ……」
 ヴァレンティナの意思とは無関係に、彼女の唇がひとりでに声を発した。少しずつ周りの光が強くなっていく。
 奇跡が起こるのは神がそうと決めたとき。ヴァレンティナはそう考えている。ヴァレンティナの体を媒体として奇跡を起こすのは神の御心であり、自分ではない。奇跡を起こすか否か、いつ起こすのかは自分の意思では決められないのだ。
「この哀れな魂を呼び戻し、浄化せん……」
 狭い部屋が光で満ち溢れ、此岸と彼岸の境となる。
 己が生や死といった概念を超越し、それらを自由にする存在になっていることを聖女は自覚した。それは自分が自分ではない別のものになることを指す。
 今のヴァレンティナは神。もはや失われた造物主だった。
「蘇れ。新たな生を授けよう」
 神の言葉をかけられた死者の顔が光に覆われ、再生が始まった。
 腐り、ところどころ骨が露出した頬を新しい肉が覆い、その隅々まで血が行き渡る。
 混濁した角膜がみるみるうちに透き通り、丸い眼球を再形成する。折れて抜け落ちた歯が新生し、綺麗に生え揃うさまが、半開きの犬の口から観察された。
 生まれたばかりの骨と肉と血管の中を、見えないほど小さな何かが埋め尽くしているのがわかった。生命の基本的な要素であるそれが何なのかをまだヒトは理解していないが、人でなくなったヴァレンティナは知っていた。
 一時的に神となったヴァレンティナの目は、その驚くべき変化の全てを捉えていた。
 犬の頭蓋骨の中で発生した、無数の細く白い筋……神経の束が勢いよく伸び、絡み合い、脳という複雑な連絡網を形作る。人間に比べて思考や人格を定義する部位は貧弱で、より本能と衝動に正直な犬の脳ができあがった。
 犬の頭の内部を満たした新しい神経線維の束は、頭蓋骨の外にも伸びていき、顔や首の皮膚、そして切断された首の境目……新鮮な人間の肉と腐った犬の肉の連結部にある、脊髄の断面に結合した。
 開通したばかりの神経路を微弱な電流が走り、少女の手足が小さく痙攣した。かつてクリスティーヌと呼ばれた少女のか細い肢体を、オス犬コリンの脳が完全に所有し支配した瞬間だった。
「私を信じる聖王国の第一王女、クリスティーヌ・マリー・フォン・サンノーブル。そして森の狩人チャーリーの忠犬、コリン……許そう、ひとつになるがいい」
 聖王国の十七歳のプリンセスと、飼い主の少年を慕う三歳のオス犬。
 双方がこれまでにどんな生を歩んできたか。
 ヴァレンティナの姿をした神霊はその全てを知ったうえで、この犬の頭をこの王女の肉体と融合させることを決めた。
 オス犬コリンの脳から放たれた神経がクリスティーヌの脊髄を介して、王女の四肢や内臓を残らず支配する。
 一方、クリスティーヌの骨髄から生み出された王家の血が動脈を通ってコリンの頭に供給され、再生したばかりの脳髄が活動を開始する。オス犬の脳がヒトの姫君の血液で満たされると、そこにコリンの魂が舞い戻った。
 それは既に生ける屍ではなく、ひとつの生物として生まれ変わっていた。
 首から下は、小柄で華奢なうら若き十七歳の聖女。そして首から上は、折れ耳とグレイの毛並みが特徴の三歳のオスの猟犬。
 誰もが敬愛する聖王国のプリンセスの肢体に、勇敢で人懐こいオス犬の頭部が結合していた。
 ただ生き返ったわけではなく、降臨した造物主が「つくり直した」その奇怪な生き物は、もはや誰にももとの犬と人間に戻すことができない。
 聖王国の第一王女、クリスティーヌの佳麗なる肢体は、永遠にコリンの一部になったのだ。
 奇跡はそこで終わり、ヴァレンティナの周囲から光が消えた。急速に自分を取り戻していくのを聖女は感じた。
 空に舞い上がってしまいそうな浮揚感は消え去り、体重が細い両脚にかかる。路地がもとのように薄暗くなった。
「うう、頭が……うまくいったの?」
 突然襲いかかってきた頭痛とめまいに、ヴァレンティナの視界が霞んだ。
 この世で最も偉大な蘇生の奇跡は、行使する者の気力と体力とを根こそぎ奪う。ウェルビー大主教ほどの高位の聖職者であっても、日に何度と行えるものではない。天才とはいえ若輩のヴァレンティナであれば、尚更、体にかかる負担は大きかった。
 だが、ここで倒れるわけにはいかない。まだ奇跡の成果を見届けてはいなかった。
 己が願った奇跡は成功したのか、それとも失敗したのか。
「ワンワン、ワンワン!」
 霞む視界の隅で、死んでいたはずの女が元気な声を発して遠ざかっていく。
 蘇生はうまくいったようだった。彼女は自分がいるべき場所に帰っていくのだろう。
「よかった……」
 虫の羽音のようにか細い自分のつぶやきを聞きながら、ヴァレンティナはその場に倒れ込んだ。

 ◇ ◇ ◇ 

 二度目の進入は前回ほど困難ではなかった。
 洞窟に跋扈する多くの魔物を討伐し、クリスを殺した機械兵の弱点も突き止めていた。シャルルは以前、故国の研究者が古代文明の兵器は雷に弱いと言っていたことを思い出したのだ。
 はたして、サンドラが強力な電撃魔術を放つと、複数の機械兵が煙をあげ、まとめて機能を停止した。
 洞窟の奥にある広大な空間……クリスが死んだあの暗い場所で、シャルルたちは襲来した機械兵を残らず破壊し、手分けしてクリスの生首を捜索した。
 彼女を見つけたのはゲオルグだった。
「あったわ、これよ……」
「クリス!」
 シャルルは慌てて駆け寄った。
 ゲオルグの腕に抱かれたクリスの顔は、驚きに目を見開いたまま固まっていた。おそらく即死したのだろう。腐敗はさほど進んでいないが、開きっぱなしの瞳は濁り、左の頬には、皮膚の下で固まった血が紫の染みを形作っていた。繊細な美貌が台無しの死相だった。
「クリス……クリス……」
 シャルルはプリンセスの頭を抱いて涙したが、いつまでも悲しんでいるわけにはいかない。早く街に戻って蘇生させなくては。
「ちょっと待ちなさい……」
 踵を返すシャルルを止めたのはゲオルグだった。
「どうした、ゲオルグ? 早く街に戻ってクリスを生き返らせないと」焦りのあまり苛立ちが声に出てしまう。
「お姫様を生き返らせるのはいいけど……その綺麗な頭を手で抱えて帰るのが、なんか面倒臭いわね……魔物やガーディアンと戦うにも邪魔になるし。せっかくだから、ああいう死骸を有効に活用した方がいいんじゃない……?」
 と、ゲオルグが指さしたのは、先日自分の手で首を切り取ったオス犬の死骸だった。
 体高は大の大人の背丈の半分ほどある大型犬だ。立派なグレイの毛並みにサーベル形の垂れ尾を持つ、鍛えられた猟犬の首無し死骸を、ゲオルグは好ましそうに眺めた。
「ちょっとそれ……貸してちょうだい」
「あっ !?」
 ゲオルグはいつになく素早い動作で、シャルルの手からクリスの頭を奪い取った。そして、首のない猟犬の死骸にプリンセスの首をあてがった。
「お、おい、何をするんだ……まさか」
 このあとの展開を予想して当惑するシャルル。
「冥界の王よ、我に力を……この者に永劫の苦痛と命をもたらしたまえ……」
 うろたえる彼を尻目に、屍術師はネクロマンシーの呪文を唱えた。
 一度は見届けた、ゾンビを作り出す邪悪な儀式。それが再び、シャルルの眼前で執り行われた。
 青白い光に包まれ、クリスの頭が載ったオス犬の体はかりそめの命を吹き込まれる。腐りかけた四肢が動き出し、その場に這いつくばった。
 あまりの凄惨さに、シャルルは言葉を失った。
 きらめくような金髪を持つ美貌の姫君の首が、オスの猟犬の死骸に繋ぎ合わされていた。白い肌と汚れた灰色の毛皮とが首の中ほどで融け合い、死した人間の肉と犬の肉が固く結合していた。
「な、なんてことを……ゲオルグ! お前、なんて酷いことをするんだ!」
「どうせ街に戻ったら、また首を斬り飛ばして元通りに生き返らせるんだから、こっちの方が楽でしょ……? 聞け、私に従え、命令を与える……」
 主人の命令を与えられ、四つ足で直立したままの猟犬……いや、クリスティーヌがうなずいた。人々から聖女と崇められる聖王国のプリンセスは、いまや犬猿の仲だったはずの屍術師のしもべ……いや、文字通り犬に成り下がっていた。
 今のクリスの体は、小柄で華奢な体つきの少女のものではない。スリムで痩せ型の胴体と長くしなやかな四肢を有する、若いオスの猟犬の肉体になっていた。
 首から上は人々に崇められる高貴な聖女。そして首から下は人間に飼い慣らされたオス犬。
 あまりにも醜悪で冒涜的なその姿に、王子は泣きそうになった。
「なんて醜い姿なんだ。クリスの綺麗な顔を、死んだ犬の体に繋げるなんて……」
「街に戻るまでの辛抱よ……生き返っても本人はこのことを覚えてないだろうし、別にいいじゃない……? 王子様はわがままね」
 屍術師の女は王子の抗議を意にも介さず、股間に犬の玉袋をぶら下げたクリスを従えて、もと来た道を引き返しはじめた。しぶしぶシャルルもそのあとについていく。
「うふふ……こうして見ると、お姫様は本当に犬みたいね……可愛いわ」
「可愛くなんてない! 不気味なだけだ。一刻も早く元に戻してやらないと……」
 垂れ下がった尾を左右に振って、一行を先導するように四つ足で歩く犬の体のクリスに、シャルルは吐き気さえ催しそうになった。
 とにもかくにも、無事にクリスの頭部を回収した以上は、速やかに街に戻らなくてはならない。さしたる障害もなく一行は地上に出た。
 仮死状態になったクリスの首無しボディは、大教会で管理されている。そこにクリスの頭を持ち帰れば、ウェルビー大主教をはじめ、教会の聖職者たちが彼女を元通り生き返らせてくれるはずだ。
 ところが、急いで戻った街では、思いもよらぬ事態がシャルルたちを待ち受けていた。
 大教会でシャルルたちを迎えたウェルビー大主教はどんよりと暗い顔をしていた。
 出立を見送ってくれたときとはうってかわって困惑し、狼狽した様子だった。あからさまな変化をシャルルは不審に思った。
「ただいま戻りました、大主教猊下。この通りクリスの頭を持ち帰りましたが、その、余計なものもついておりまして……」
「おお、姫様……なんと醜いお姿か。おいたわしや。そのお姿はまさか……」
「はい。クリスの体に繋げた犬の頭の、体の方です。不本意ながら、犬のゾンビにして連れて帰りました」
 人間の肌とはまるで異なる、全身がふさふさのグレイの毛皮で覆われた、たくましいオスの猟犬の肉体。その首が聖王国の姫君のものにすげ替わっていた。醜く変わり果てた王女の姿を見た大主教の落ち込みようは、はた目にも痛ましいほどだ。
「とにかく、クリスの頭は持ち帰りました。約束通り、これでクリスを生き返らせてくださいますね?」
「そうしたいのは山々なのですが、それが、その……」
 死刑判決を受けた囚人のような大主教の顔に、シャルルは何らかの異変が起きたことを見てとった。
「いったい何があったのですか?」
「実は、こちらでお預かりしていた姫様のお体が……その、こちらの手違いで、あのお姿のまま復活なさいまして……」
「あの姿って……犬の頭がついたままで?」
「左様でございます。そして、犬の頭がついた姫様のお体ですが……蘇生なさると、そのままこの大教会から外に出ていらっしゃいまして……行方がわからないのです……」

 ◇ ◇ ◇ 

 小屋の戸を爪で引っかく小さな音に、チャーリーは目を覚ました。
 夜が明けるには少し早い時刻で、窓の外はまだ暗い。いったい何だろうかと訝しがった。
 戸を引っかくカリカリという音は、規則正しく続いている。人間の訪問客であれば思いきり戸を叩くだろうから、狐か何かの獣が迷い込んだのかもしれない。
 寝ぼけ眼をこすってドアを開けた少年は、音の主を見て仰天した。
「うわあああっ !? な、なんだこりゃあ!」
 そこにいたのは人間の女だった。聖王国の紋章が各所にあしらわれた白い衣を身にまとった、小柄な女性がチャーリーの小屋の前にへたり込んでいた。
 彼が目を疑ったのは、女の顔である。細やかな肩に載っているはずの人間の頭部はどこにも見当たらず、かわりにグレイの毛並みを持つ犬の頭が繋げられていた。
 驚くべきことに生きている。
 人間の女性の体と犬の頭を持つこの奇妙な生物は、たしかに鼻と口で呼吸をし、両手両足で地面を踏みしめ、何か言いたげな様子でチャーリーを見上げていた。
 彼を驚かせるために近所の女が犬のマスクをかぶって仮装している……というわけではない。どう見てもその頭部は本物の犬の頭としか思えなかった。それも知らない犬ではなく、非常に馴染みのある顔だ。
「お、お前はなんだ? 犬か? それとも人間か? なんだかその顔、僕が飼ってたコリンにそっくりだけど……」
「ワン、ワン!」
 犬の頭を持つ女……犬女はチャーリーの問いかけに元気な鳴き声で返すと、四つ足で勢いよく小屋の中に入ってきた。
 制止する間もなく小屋の奥へと駆けていく犬女……しばらくして、彼女は口に木の皿をくわえて戻ってきた。
 それはチャーリーの飼い犬、コリンが餌を食すのに使っていた皿だった。コリンが森の奥の洞窟で行方不明になってからも、いつか戻ってきたときのために大事にとっておいたものだ。
「これはコリンの皿……なんでお前がこれを知ってるんだ? お前、やっぱりコリンなのか?」
「ワン!」
 犬女はチャーリーの目を見てひと声吠えた。なんとなく嬉しがっているような気がした。
 チャーリーは確信した。この奇怪な犬女は、先日森の奥にある洞窟で行方不明になった彼の飼い犬、コリンなのだと。
「ああ、コリン! 本当にコリンなんだね? よく戻ってきてくれた!」
 チャーリーは涙を流し、変わり果てた姿の飼い犬を抱きしめた。毛深い獣の臭いではなく、汗ばんだ若い女の体臭が少年の鼻をついた。
「それにしても、お前、その格好はどうしたんだよ? これじゃ、まるで人間の女の子じゃないか」
「ワン!」
「いったい何がどうなってるんだ……」
 チャーリーは小屋に一つしかない小さなランプの灯りをつけ、夜明け前の暗い小屋の中でコリンの姿を調べることにした。
 手足は細く華奢で、犬ではなく人間の女のものとしか思えない。
 白魚のような指と手を握ると、その柔らかな感触に心臓の鼓動が速まるのを自覚する。この手で犬のように土を踏んで歩いてきたようで、綺麗な手が傷だらけだ。
 聖王国の紋章が入った絹の衣は貴族が身にまとうような高級品だが、これもところどころ土に汚れ、血液だろうか、黒々とした染みも目立つ。出血や骨折がないか心配になったが、幸い特に大きな怪我はないようだ。
 そして顔は、チャーリーが見慣れたグレイの毛並みのオス犬のもの。衣の襟を引っ張って首筋を観察すると、首のつけ根の辺りに犬の毛皮と人間の肌の境界があった。完全に結合しているようで、実際に触れていなければ現実のものとは思えなかった。
 いったい誰がコリンをこんな奇妙な姿にしたのだろうか。
 チャーリーは考え込んだが、無論、彼にそれがわかるはずもない。
 とにかく生きて帰ってきたのだからと、以前のようにコリンの頭を撫でて可愛がり、唯一無二の親友との再会を無邪気に喜んだ。
 長らく森の中で暮らし、邪悪な黒魔術や聖人の奇跡を見たことがない少年には知る由もない。あの洞窟で一度は死を迎えたコリンの頭が、聖王国の第一王女・クリスティーヌ・マリー・フォン・サンノーブルの肢体を得て生き返ったことを。
 そしてクリスティーヌの魂を呼び戻したいと願っている人々から、コリンが彼女の肉体を奪って逃亡してきたことを。
「でも、コリンが帰ってきたのは嬉しいけど、この体じゃあ前みたいに狩りには連れていけないだろうなあ。ただ外に出るだけで、綺麗な手が傷だらけだ……」
 森で兎や鹿を追い回していたあの若くたくましい猟犬の体は、もうコリンにはない。人間の女……とても肉体労働には向かないであろうきめ細やかな肌の女体が、今のコリンの体だ。この細い手足では、もはや以前のように森の中で鹿や兎を仕留めることはできまい。
「服の下はどうなってるんだろう? コリン……お前の体、服を脱がせてよく調べてもいいか?」
「クンクン、クーン」
 可憐なプリンセスの肢体を我が物にした忠実なオス犬は、鼻にかかったような甘えた鳴き声で了承の返事をした。抵抗もせず飼い主にされるがまま服を脱がされ、繊細な肌を少年にさらけ出した。
「すごい、やっぱり本物だ……人間の女の子の体に、コリンの頭がくっついてるんだ」
 チャーリーは声を震わせて、生まれて初めて目にする異性の裸体に見入った。
 首から上は、チャーリーが可愛がっていた三歳のオス犬コリン。
 そして首から下は、十代後半と思われる華奢で小柄な少女。身にまとっていた高価な衣服から察するに、名の知れた富豪か貴族の娘の体なのかもしれない。
 だが、そのほっそりした手足がどこの令嬢のものであれ、今それを所有しているのは彼の犬だ。チャーリーが柔らかな腹を撫で回すと、コリンは仰向けになってひっくり返り、優美な手足をばたつかせた。
 孤独な森育ちで異性にほとんど縁がなかったチャーリーにとって、女性の体に触るのは初めての体験だった。自然に呼吸が荒くなり、股間が硬くなった。
「コリンの体、本当に人間の女の子の体なんだ……! どこの誰の体なのかはわからないけど、せっかくだから触らせてもらおうかな」
 罠にかかった獣を助けたところ、その獣が後日、人間の娘に化けて恩返しにやってくるおとぎ話を街で聞いたことがあるが、その話に出てくる娘は、こんな中途半端で不気味な姿ではないだろう。
 暗いランプの灯りの中、チャーリーは首から下だけが人間の女になった飼い犬の全身を、たっぷり時間を費やして撫で回した。腋や背中に指を這わせ、薄桃色の乳首をつまみ、股間を指先でくすぐった。
 隠すもののないコリンの股間に犬のペニスと玉袋は当然ついておらず、うっすら陰毛の生えた白い肌にピンク色の細い筋が走っている。男の体には存在しないその細い筋を見ていると、股間が疼いて仕方ない。
「女の体……本当におちんちんがないんだな。初めて見るけど、この中に男のおちんちんが入るんだっけ……」
 チャーリーは赤面してコリンのまたぐらに見入った。
「くぅん」
 コリンは仰向けで寝転がり、、チャーリーに何かを訴えかけるように小さく鼻で鳴いてみせた。丸出しの陰唇からひと筋の雫が漏れ出し、木の床にぽとりと滴り落ちた。
 コリンは明らかに発情し、チャーリーを誘惑していた。もしも尻尾があれば、オスを誘う発情期のメス犬のように、盛んに尾を振っていたに違いない。
 白い肌が桜色に火照り、女陰から次々と蜜が漏れ出した。
 やはりチャーリーが知りえないことだが、死せるオス犬に新しい命を与えた造物主は、コリンの脳をよりヒトの女の体にふさわしいものにつくり直していた。
 コリンの脳は新月を迎えるたびプリンセスの卵巣や子宮に強い信号を送り、十七歳の女体を発情させる。若く健やかな女性器はそれからおよそ半月をかけて受精・妊娠への準備を整え、満月の夜、子宮内に極小の卵が産み落とされる。
 その卵は、人間の男の精と合体して新しい生命となる。
 誇り高いクリスであれば、誰にも体を許さず、自分が認める素晴らしい異性が現れるまで純潔を守り通したことだろうが、現在、姫君の内臓を所有するオス犬コリンに、そのような思考はない。発情すれば適当なオスに股を開き、本能のままに交尾して孕むだけだ。
 気高く凛としたクリスティーヌの子宮は、人間でたとえたら二、三歳ほどの知能しか持たない犬の脳によって支配され、クリスが出会ったこともない貧しく無学な猟師の少年の前で、受精を夢見て発情していた。
「コリンの色っぽい体を見てたら、変な気分になってきたな……なあコリン、もっと触るよ」
 チャーリーは興奮しはじめたコリンを粗末な寝床に運び、美しい女体を隅々まで探索するのだった。
 透き通るような白くなめらかな首筋、形よく膨らんだ乳房、その先端で硬くなっている薄いピンク色の乳頭、強く抱きしめたら折れてしまいそうな細い腰、金色の陰毛がわずかに茂る秘所、そして盛んに体液を垂れ流す処女の膣口……。
 好奇心と欲望の赴くまま、猟師の少年は姫君のものだった女体を触ってもてあそんだ。清らかな肌を撫で回しているだけで、チャーリーの股間は今にも暴発しそうだ。
「本当に綺麗な体だなあ……なんかいい匂いもするし。女の子って皆こうなのかなあ……?」
 異性に触れた経験のない少年にとっては、女の体にこびりついた汗や小便の臭いでさえかぐわしい。チャーリーはあたかも犬のようにコリンの体にのしかかり、彼女の体のあちらこちらを嗅ぎまわった。
「クーン……」
「コリン、僕、なんか変な気分なんだ。こうしてるとおちんちんが痛くて……どうにかなっちゃいそうなんだ」
 チャーリーはぼろぼろのズボンの中から、勃起した男性器を取り出した。若く強靭なペニスが少女の脚に押しつけられ、すべすべの肌を先走りの汁で汚した。
「なあ、コリン……僕のおちんちんを、お前のココに入れてもいいか? お前はオスだけど……今は人間の女の子の体なんだから、僕のおちんちんを入れても構わないだろ?」
「アン、アンッ!」
 チャーリーに育てられたオス犬は、やや高めの鳴き声をあげた。その声が了承の意味であることは彼には明白だった。
「入れるよ、コリン……ああ、入っていく」
 猟師の少年はコリンを仰向けに寝かせ、親友と抱き合う体勢で男性器を挿入していった。
 えらの張った亀頭がコリンの中に侵入した。
 狭く強張った膣の肉が初めての侵入者を押し留めるも、無駄な抵抗に過ぎなかった。十代半ばの少年の一物はコリンの処女を引き裂き、破瓜の血で寝床を汚した。
 聖王国の姫君、クリスティーヌ・マリー・フォン・サンノーブルが十七年間守り続けた純潔は、クリスの知らぬ間に永遠に失われた。
「キャンッ! クフッ、ハフッ、ウウウンッ」
 処女を喪失したコリンは苦痛のためか辛そうに舌を出して喘いだが、飼い主のチャーリーに彼女を気遣う余裕はない。初めて味わう合体の快感におののきながら、プリンセスの媚肉が必死に締めつけてくる感触を楽しんだ。
「ああ、気持ちいい。これが女の子の中なんだ……たまらないよ、コリン」
 歳相応にやや小ぶりながらも非常に硬い少年のペニスは、少女の中にみっちり埋まっていた。コリンが膣を収縮させるたび、根元から先端にかけて心地よい波が走る。
 射精の衝動をこらえて一物を引き抜くと、処女の証が陰茎を赤く染めているのが見えた。初めて男を受け入れる女は血を流すものだと聞いてはいたが、実際にこの目で見ることになるとは思いもしなかった。
 一人前の男になった自覚を得て、チャーリーは再び腰を押し込んだ。二度目の侵入は幾分なめらかで、少女の肉壺は彼を愛しげにくわえ込む。
 彼に征服されたばかりの膣をかき分けてゆっくり往復を始めると、体液が混ざって色の薄くなった血がかき出された。
「ああ、気持ちいい。たまらないよ、コリン」
「キャン、キャンキャンッ!」
 コリンはチャーリーの体にしがみつき、ぶるぶる震えながらも健気に膣を締めて少年に奉仕する。逃げようともせず、チャーリーの喜びのために痛みに耐える姿は忠犬そのものだ。
 すっかりいい気分になった少年は、少しずつ速度を上げて犬女の中を貪った。それが聖王国の第一王女の体だとも知らず、ぬちゃぬちゃと卑猥な音をたて、硬いペニスで熱い奥を穿つ。
 素晴らしい女体だった。他の女を知るはずもないチャーリーだが、繊細な白い肌といい快い膣の締めつけといい、女として実に魅力的な体だと感動した。
 もしかしたら、これはチャーリーが神から賜った恵みではないかと思った。愛犬を失って嘆き悲しむ彼を造物主が憐れみ、いつでも彼が抱けるようにとコリンを人間の女に変えて返してくださったのではないか。
 ペニスで丹念に耕してほぐれつつある膣を味わい、猟師の少年はこのうえない淫らな快楽に我を忘れた。
 がむしゃらに腰を振って熱い女の奥を穿つと、コリンも痛みではない感覚に喘いでいるようで、自ら積極的に腰を動かしはじめた。
「コリンも気持ちいいかい? こうやって僕のおちんちんでズボズボするの、気持ちいいかい?」
「アン、アンッ! クウウウンッ」
 愛犬の表情は上等な肉を与えたときのそれによく似ていた。
 チャーリーが腰を引いて肉棒を抜きかけると、コリンの肉ひだが名残惜しそうに少年を引き戻す。混じりあった雌雄の汁が寝床に染みをつくり、むせるほどいやらしい臭いを撒き散らした。
 処女と童貞を失った男女は、発情した体を本能のままにぶつけあった。
 いい気分で激しい抜き差しを繰り返したチャーリーは、早くも限界を迎えた。下腹から煮えたぎった衝動がせり上がり、爆発する予感がした。
「ううっ、もう出る。コリンの中に出すからね、コリン」
「アン、アンッ!」
 返ってくるのは、もちろん了承の鳴き声だ。
 聖王国の王女クリスティーヌ……いまやオス犬コリンの所有物になったクリスの体は、さかんに腰をくねらせて膣内射精をねだった。
 発情して、交尾して、妊娠する。それが現在の体の所有者の意思であり、それ以外の要素はまったく問題にならない。
「うう、出る。精液出るっ、イクっ!」
 チャーリーは喘ぎ、沸騰する樹液をもとプリンセスの膣内に目いっぱい注ぎ込んだ。
 膨張したペニスの先端から熱い塊が次から次へと噴き出し、子宮口に勢いよく叩きつけられる。
 王家の血を後世に残す使命を負った子宮が初めて飲み干したのは、亡国の王子ではなく貧しい猟師の少年のスペルマだった。
「ウウウッ、アウウッ!」
 歓喜するコリンの鳴き声が森に響いた。
 オスの猟犬……発情したメス犬に出会うと我を忘れて飛びかかり、勃起したペニスを挿入して交尾を試みるはずのオス犬の脳は、高貴な血筋を有するヒトの女性の首無しボディと繋ぎ合わされ、いまや飼い主の少年の陰茎をくわえ込んで狂喜するメス人間に変貌していた。
「ああ、気持ちいい。最高だ……コリンも気持ちよかったかい?」
「くぅん、くぅん」
 チャーリーの犬だった女は四肢を彼の体に絡め、甘えた声で媚びた。桜色に火照った肌は、ヒトの女としての本能を満たした喜びに輝いていた。
 若く健やかな男女の営みは、それで終わることはなかった。
 間もなくチャーリーが再び勃起したペニスでコリンを犯しはじめ、膣内射精を浴びた肉壺から泡立った蜜をかき出した。女の味を知ったチャーリーは充血したペニスで何度も何度もコリンの膣内をほじくり返し、オス犬の脳にヒトの女体の官能を覚えさせるのだった。
「コリンの中、気持ちよすぎる。また中に出すからね、コリン」
「ウウッ、アウッ!」
「うっ、出る。コリン、コリンっ!」
 もはや二人は飼い主と飼い犬ではなく、ヒトの少年と少女としてひたすら子作りに没頭した。成人を迎えつつある若い男女は、日がのぼりはじめた朝の光の中、ただ欲望と衝動に命じられるまま体を絡めあった。

 ◇ ◇ ◇ 

   聖王国の第一王女、クリスティーヌ・マリー・フォン・サンノーブルがいつもの時間に修道女アデリーヌの部屋を訪ねると、彼女は手紙を読んでいるところだった。
「あら、姫様」
「アデリーヌさん、またお願いしてもよろしいですか?」
「ええ、喜んで。ところで先ほど、ヴァレンティナからお手紙が届きましたわ」
 長い黒髪を三つ編みにしたアデリーヌは、椅子の上からクリスを見下ろして微笑んだ。読んでいた手紙をひらひらとはためかせ、末尾に書いてある送り主の名をクリスに見せる。
 ヴァレンティナ。それは、死せるクリスをこの世に呼び戻した才ある聖女の名前だった。
「どのような内容でしょうか?」
「どうかご安心ください。ヴァレンティナは特に変わりなく、シャルル王子のご一行と順調に旅を続けているとのことです」
「まあ、それは……よかった」
 クリスティーヌは喜びに顔をほころばせた。
 かつてクリスが愛した亡国の王子シャルル。彼は女魔術師サンドラや屍術師ゲオルグといった仲間たちと共に今もなお健在で、無辜の人々を守るために、各地で魔族と戦い続けているという。
 シャルルの名前と彼の近況をアデリーヌから聞かされ、クリスの目頭が熱くなった。
 彼らのパーティーの一員として活躍したクリスは、もはや以前のように彼らと旅を続けることは叶わない。クリスはこの街に留まり、かわりに教会の修道女ヴァレンティナがシャルルたちの旅に同行して、彼らの力になる大役を仰せつかっていた。
「姫様は、今もなお王子のことを気にかけていらっしゃるのね」
「ええ、仰る通りです……」
「お望みであれば、姫様のお言葉をお手紙に書いて、王子の旅先にお届けいたしますわ。いつでもお命じくださいませ」
「ええ、ぜひお願いいたします。今のわたくしは手紙を書くことができませんから……」
 表情を曇らせるクリスを気の毒に思ったのか、アデリーヌは急いで手紙を片付けると、クリスの前にかがんで彼の体を抱きしめた。
「お気をたしかにお持ちになって。姫様が暗いお気持ちでいらっしゃると、皆が心配いたしますよ。外の空気を吸って、元気になってくださいませ」
 アデリーヌは棚から仮面と頭巾を取り出した。デフォルメされた人の顔を模った仮面と真っ赤な頭巾をクリスにつけると、つぶらな青い瞳を除いて、クリスの顔とさらさらの金髪がほとんど覆い隠される。
「あと、これもつけなくてはなりませんね……大変失礼ですが、どうかご勘弁を」
「いいえ、構いません。今のわたくしには必要なものですから」
 クリスは陽気な表情の仮面の下から、了承の返事をした。革製の首輪がクリスの首に巻きつけられ、よく目立つ赤い紐……リードが結びつけられる。そのリードの端をアデリーヌが持った。
「では参りましょう。どうかよろしくお願いいたします」
 クリスはアデリーヌに頭を下げ、四つんばいで廊下を歩きだした。
 繊細な金髪と美貌がまぶしいプリンセス・クリスティーヌの首から下の体は、現在、ヒトのものではなかった。ふさふさのグレイの毛並み、スリムで痩せ型の胴体と長くしなやかな四肢、サーベル形の垂れ尾を有する、若い猟犬の肉体になっているのだ。
 不幸にも首を刎ねられ命を落としたクリスティーヌは、たまたまその場所に転がっていたオス犬の死骸に頭部を繋ぎ合わされ、犬の体で生き返った。
 すべては、教会の聖女ヴァレンティナの肉体に降臨した造物主が望んだことだった。
 もはやこの世から失われて御霊になった造物主は、王女クリスの頭とオス犬の体とを融合させ、二度と元に戻れないようにしてしまった。
 一方、頭部を失ったクリスのボディの方は、オス犬の頭が繋がった状態で蘇生されたが、そちらは生き返った直後に教会から逃げ出してしまい、一年近くが経った今も行方不明である。四つんばいで街中を駆けまわる犬の頭のプリンセスを多くの人が目撃したが、最後は街の外に出ていってしまったそうで、もはや生死もわからない。
 あの忌まわしい事件が起きてからというもの、首から下が犬の体になってしまったクリスはシャルルたちと旅を続けることができなくなり、この大教会で大切に保護されている。
 はじめのうちは犬の脚で歩くことさえ難しかったが、クリスがこの体になってそろそろ一年が過ぎようとしている。異種族の身体にも多少は慣れて、跳んだり走ったり、普通の犬ができることはひと通りできるようになった。
 アデリーヌに優しくリードを引かれ、犬の体のクリスは明るい街を散歩する。天気は良く暖かで、絶好の散歩日和だ。この街には長らく魔族の襲撃もなく、住人たちはささやかな平和を謳歌していた。
「ごきげんよう、シスター」
「ええ、ごきげんよう」
 道行く人々が修道女アデリーヌに盛んに話しかけてくるが、同行するクリスはひとことも喋らない。
 聖王国の第一王女が犬の体になってしまったことは伏せられ、教会の一部の関係者しか知る者はいない。そのためクリスが外出するときは、頭巾と仮面をつけて顔を隠し、何の変哲もない飼い犬として出歩かなくてはならなかった。
 道端に青々とした茂みを見つけ、クリスは歩みを止めた。
(今日はここで致しましょうか)
 自分と修道女を繋ぐリードに前足をかけ、二、三度引っ張る。王女の合図を受け取ったアデリーヌは軽くうなずき、クリスから少し離れて立ち止まった。
 クリスの後ろ足が高く上がり、毛皮の中から恥ずかしそうに顔を出したペニスが、悪臭を放つ黄色の液体を茂みに垂れ流した。
(あああ……わたくし、犬の格好でおしっこしてます。街の皆さんが見ているのに、道端でこんなに臭いおしっこをするなんて……)
 大型犬の尿量は人間のそれに匹敵する。じょろじょろと下品な音をたて、むせかえるようなオス犬の臭いを茂みに刻みつけると、クリスは満ち足りた心地で後ろ足を下ろした。
「あらあら、元気なワンちゃんだこと。どちらのワンちゃんかしら?」
 黒い犬を連れた老婦人が通りかかり、マーキングを終えたクリスに微笑んだ。犬は尖った三角形の耳と長い四肢、スレンダーなボディの中型犬で、クリスに興味を持ったのか、こちらに近づいてくる。
「ごきげんよう、奥様。これは教会で飼っているクリスと申します。こちらの子のお名前は?」
「ミミですわ、シスター。二歳になる女の子ですの」
 細い眼鏡をかけた老婦人は人の良さそうな笑顔で答え、アデリーヌと世間話を始めた。その間、老婦人はメス犬ミミのリードを手放し、クリスとミミのスキンシップを自由にさせた。
(ミミちゃんとおっしゃいますの、この子は)
 クリスは見知らぬ犬を警戒したが、ミミはクリスと親睦を深めたいのか、クリスのグレイの毛並みを甲斐甲斐しく舐めてくる。とても友好的な犬だ。
 人間たちの会話に入れず退屈になったクリスは、ミミに体を舐めさせて暇を潰した。
 ミミはクリスの全身に唾液を塗りたくると、何の真似か、クリスに尻を向けて戯れるように尻尾を振ってみせた。
 今度は自分を舐めてくれと言いたいのだろうか。しかし、クリスがミミの体を舐めることはできない。
(申し訳ありませんけれど、わたくしがあなたをペロペロするわけには参りませんの。教会の外でこの顔を晒したら、大変な騒ぎになってしまいますから)
 ミミの毛深い尻を観賞しつつ、クリスはアデリーヌが散歩を再開するのを待ちつづけた。老婦人は非常に話好きのようで、若いアデリーヌとの会話のおよそ八割を老婦人が担当していた。
 そのうちに、クリスは小さな違和感を自覚した。なんとなく、自分の体が熱くなっているような気がしたのだ。
(あら? 何かおかしいような……気のせいかしら)
 錯覚かと思ったが、そうではなかった。たしかにクリスの体は熱を帯びつつあった。
 だが原因がわからない。
 運動のしすぎではない。気温が高すぎるわけでもない。風邪をひいたわけでもない。
 それなのにクリスの体温はぐんぐん上がり、心臓の鼓動がドキドキ速まり、どんどん浮き足だって落ち着かなくなる。
(変です。わたくしの体、どこかおかしいですわ……ミミちゃんの可愛いお尻を見ていると、なんだか落ち着きませんの)
 こちらに尻尾を振り続けるミミの臀部を凝視すると、クリスは不審な点に気づいた。ミミの肛門の辺りに、血液と思しき赤い染みが付着していたのだ。
 いったいあれは何だろう。痔だろうか。はたして犬も痔になるものだろうか。
 クリスの疑問に答えてくれたのは、ミミの飼い主である老婦人だった。
「あら、いけない。うちのミミがシスターのワンちゃんを誘惑してるわ」
「誘惑?」
「ええ、実は……うちのミミはちょうど発情期に入っておりまして。オスのワンちゃんは今のミミのフェロモンを嗅ぐと、みんな発情してミミと交尾したくなるんですよ」
(は、発情期……!)
 クリスは愕然とした。聖王国の高貴な王女だった自分が、メス犬に誘惑されて心動かされているというのだ。
「そ、それはちょっと困りますわね。うちのクリスはまだ幼くて、子供をつくる準備ができていませんから……申し訳ありませんが、この辺で失礼させていただきます」
 異変を悟ったアデリーヌは慌ててクリスのリードを引いたが、老婦人はそんな修道女の手を強く握って引き留めた。
「いいえ、そんなことはありませんわ。シスターのワンちゃんは、もう充分に成熟した素敵な男の子だと思います。もしよかったらうちのミミとつがいになって、ミミに可愛い赤ちゃんを授けてくださらないかしら。ちょうど、一匹だけで飼うのは寂しいと思っていたところですの」
「お気持ちは嬉しいですが、そういうわけには……」
(あ、ああ……体が熱い。わたくしの犬の体、発情しているのですか……?)
 延長戦の始まった二人の会話を聞きながら、クリスはミミに魅了されてますます平常心を失っていく。
 造物主に命の器をつくりかえられ、オスの人面犬として新しい生を与えられたクリスティーヌは、いまやメス犬のフェロモンで容易に発情する体になっていた。
 ごく至近で撒き散らされるメス犬の臭いが聖女の鼻を否応なく刺激し、犬の本能をかきたてて繁殖欲を煽る。クリスの股間にぶら下がる長大なペニスがぐぐっと持ち上がり、睾丸がパンパンに膨れた。
 若く精強な猟犬の体は、既に繁殖の能力を備えていた。はちきれんばかりに膨張した犬の睾丸が盛んにオスの証となる化学物質を分泌し、血液を介して聖王国のプリンセス・クリスティーヌの脳に働きかける。清楚で気品も恥じらいもあった王女の心は、道端のメス犬に欲情するけだもののそれに変化しつつあった。
(い、いけませんわ、わたくしは犬ではなく人間なのです。メス犬とつがいになって子犬を産ませるなんて、そんな恥ずかしい真似、死んでもできませんわ……)
 ヒトの理性が必死で警告するも、より原始的で生命の根本に近いイヌの本能をいつまでも抑えつけておくことは不可能だった。
(ああ、でも……た、たまりません。おチンポが今にも破裂しそう……!)
 勃起したクリスのペニスは強烈に交尾を求めていた。排卵を迎えたミミの性器から体液が霧となってぷしゅ、ぷしゅと噴き出し、クリスの最後のタガを外した。
「ううう……うああああっ!」
 とうとう我慢できなくなり、犬になりきったクリスはミミに飛びかかった。クリスに犬の交尾に関する知識はまったくないが、どうしたらいいかは首から下の体がよく知っているようだった。犬の本能が望むまま体が勝手に動き、相手の上に乗ってマウンティングをはかる。
「い、いけません、姫様!」
 アデリーヌは血相を変えてクリスのリードを引っ張り、暴発する彼を止めようとしたが、時すでに遅し。クリスはかちかちに勃起した己のペニスを、充血したミミの膣に挿入していた。
「き、気持ちいい……!」
 陰茎が生温かな膣の粘膜で包まれると、えもいわれぬ満足感が湧き上がり、幹の根元が数倍の体積に膨張する。
 もはや止められないと悟ったのか、アデリーヌはクリスのリードを手放した。
 交尾が中断しないよう、犬のペニスはメスの膣内で膨れ、引っかかって抜けなくなるのだ。無理に引き離そうとすると、オスメスどちらも怪我をしてしまう恐れがある。
「ああ、気持ちいい……可愛いメスのワンちゃんにおチンポハメるの、たまりませんわあ……」
 クリスは誇り高い姫君としての、いや、人間としてのプライドさえかなぐり捨てて、オス犬の体で交尾に没頭した。腰をへこへこ振って結合部をかき混ぜ、股間の熱の塊を泡立つエキスに変えて、次から次へとミミの腹の底に注ぎ込んでいく。
 真っ青な顔のアデリーヌと好奇心旺盛な野次馬たちが見物する中、クリスはミミと反対の方向を向いて互いの尻と尻とをくっつけ合う犬独特の合体の姿勢で、小一時間、けだものの交接を楽しんだ。
「うああっ、また出る。わたくしのおチンポから熱いのが……ああっ、出る、まだまだ出ちゃいます。犬のおチンポ、射精が止まりませんのっ」
 前立腺に残った体液を少量ずつ注ぎ続け、クリスはオスの幸せに頬を緩めた。
 魔族に苦しめられる人々のため見返りも求めず癒しの奇跡を行使しつづけ、聖女と讃えられた聖王国のプリンセス・クリスティーヌ。かつてそう呼ばれた生き物は、今、行きずりのメス犬に肥大したペニスを挿入して本能のまま孕ませる行為に、至福の喜びを覚えていた。
「あらあら、クリスちゃんったら元気いっぱい。うちのミミにたっぷり注いで種つけてしまったわね」
 ようやく交尾を終えて冷静さを取り戻したクリスは、老婦人の言葉に震えあがった。
(わたくしは……わたくしはいったい何をしていたのでしょう。犬の体で……交尾?)
「ミミも喜んでいるわ、クリスちゃん。どうもありがとう。子供が沢山生まれたら、あなたが住んでる教会にも一匹お譲りさせてもらうわね」
「い、いやあああああああっ!」
 クリスは絶叫し、全力でその場から逃げ出した。
 かつて聖女と讃えられた気高いプリンセスが、我を忘れて交尾に没頭し、メス犬を孕ませてしまったのだ。その羞恥と罪の意識は、クリスを一時的に発狂させるのに充分だった。
「ひ、姫様! お待ちください!」
「いやあああっ! ああ、ああっ、ああああっ!」
 クリスは狼狽するアデリーヌを置き去りにし、出会う人、出会う人から逃げるように、人けのない道を息が切れるまで四つ足で駆けつづけた。
「はあ、はあ、はああああ……」
 全身が止めどなく熱くなって、命の危険さえ感じた。
 犬の汗腺は人間と分布が異なり、体内にこもった熱を汗で発散するのに向かない。かろうじて人間の名残が残った顔は汗でびっしょりだが、それでも体温の上昇を抑えられず、本物の犬のように舌を出して喘ぐしかない。
 どのくらいの間、そうしていただろうか。ふと気がつくと、自分が今いる場所にまったく見覚えがない。
「はあ、はあ……随分走ったけれど、ここはいったいどちらでしょう……?」
 どうやら、街の外に出てきてしまったようだった。周辺は鬱蒼とした暗い森で、街の方角もわからなければ、視界の中に人家もない。
 走っているうちに顔を隠す頭巾も仮面も落としてしまったため、人面犬になった自分の姿を人々に見られないのは好都合ではあるが、街がある方角もわからないのは実に難儀だ。
 身体能力に優れた大型の猟犬の体とはいえ、凶暴な野生動物や魔物に襲われない保証はない。クリスは薄暗い森の中をさまよい、人の姿や建物がないか懸命に探した。
 日が暮れて歩く気力もなくなってきた頃、クリスはみすぼらしい小屋を発見した。
 あちらこちらに穴が開いた汚い小屋だが、ちゃんと人が住んでいるらしく、中からは肉を焼くいい匂いがする。王女は空腹を自覚した。
「仕方ないですわね……この恥ずかしい姿を見られるのは困りますけど、帰り道だけでも教えていただかないと」
 クリスは小屋の戸に声をかけたが、返事はない。犬の体では戸を開けることもできず、仕方なく小屋の周囲をうろつき、窓や裏口がないか探した。幸い、格子の組まれた円形の窓がすぐに見つかり、その縁にぶら下がるように飛びついた。
 思いきり首を伸ばして小屋の中の様子をうかがうと、すぐ目の前に人がいるようだ。
「とても綺麗だよ、コリン。やっぱりその体には、お前が最初に着てたその服が一番似合う気がするな」
「ワン、ワン!」
 粗末な寝台の上に痩せた少年が腰かけ、クリスに背を向けていた。その少年と向かい合うようにして、一人の女が立っているのが見えた。
 小さなランプが一つ置かれているだけの薄暗い小屋の中で、女の顔は陰になってよく見えない。色の薄い繊細な手を持つ、若い女のようだった。
 女はひと目で高価とわかる絹の服を着ていた。聖王国の紋章が各所にあしらわれた純白の衣……その衣装に見覚えがあることに気づいて、クリスは息をのんだ。
 見覚えがある? それは、もちろんあるだろう。
 なにしろ、その聖衣はかつてクリスが着ていたものなのだから……。
(あれは、まさか……ひょっとして……)
 女が一歩前に進み、その顔がクリスの視界に入ってくる。クリスが目にしたのは人間の顔ではなかった。
 犬だ。
 折れ耳とグレイの毛並みを持つ犬の首が、本来、女の頭があるべき位置に鎮座していた。
「ワン!」
 かぶりものの仮装ではない。犬の頭を持つ女は、本物の犬の舌を出して吐息をつき、かん高い犬の鳴き声で少年に応えた。
 クリスの疑念はやがて確信に変わった。
 目の前にいる犬女の首から下は、間違いなく自分の……聖王国の第一王女、クリスティーヌ・マリー・フォン・サンノーブルの体だ。
 そして、おそらくあの犬の頭は、現在クリスの頭に繋がっている、若いグレイのオス犬の……。
「じゃあ脱がすよ、コリン。それとも自分で脱げるかな?」
「ワン!」
 プリンセス・クリスティーヌの服を着たコリンという名の犬女は、少年に見せつけるように自分の衣装を一枚ずつ脱ぎ捨てていった。白い肌が小さなランプの灯りに照らされ、淫猥な雰囲気を醸し出した。
 驚くべきことに、犬の頭がついたクリスの体は、四つ足の犬ではなく二本足の人間そのものの振る舞いを見せていた。優美な立ち姿も、腕を巧みに操って服を脱ぐ動作も、まるで人間そのものだ。
 首から下が三歳のオス犬の体になった、聖王女クリスティーヌ。
 首から下が十七歳のプリンセスの体になった、オス犬コリン。
 一人と一匹の首がすげ替わってから、もう一年近くになる。その間に犬のコリンはクリスから奪った可憐な身体を使いこなし、すっかり我が物にしているようだった。
 あるいは、コリンに王女の肉体を与えた造物主がそのように意図したのかもしれない。
(そ、そんな……信じられませんわ)
 クリスは声を発することができなかった。ささくれだつ自分の心の隅から、これ以上見てはいけないと囁く声がした。
 それでも目をそらすことはできず、クリスはまばたきや息をすることさえ忘れて小屋の中を凝視し、やがてあらわになったコリンの裸体に目を剥いた。
「すごく大きくなったな、お前の腹。そろそろ産まれるのかな?」
 素裸になったコリンの見事に膨らんだ腹を撫でて、少年は笑った。
 信じがたいことだが、犬女は臨月の妊婦だった。
 クリスのものだったあの体にいったい何が起きたのか、考えるまでもない。
 オス犬になったクリスティーヌが行きずりのメス犬と交尾して孕ませたのと同様に、人間の娘の体を手に入れたコリンは飼い主の少年と愛し合い、彼の子を身に宿したのであろう。
 首がすげ替えられる前はもっと小柄で華奢だった王女の体は、いまや全身がふっくらと丸みを帯び、成熟した女性の、もっと言えば子を身籠った母親の体形になりつつあった。
「くぅん……」
 少年の差し出した手を握りしめ、クリスの体を所有するオス犬は恋人のような愛おしげな仕草で彼に抱きついた。
「お乳が張って苦しいだろう、コリン? また僕が飲んであげるよ」
 少年はコリンの豊かな乳房に吸いついた。乳首を吸うかすかな音、乳房から漏れ出る液体を飲み下す音、息を整える音が聞こえた。クリスが所有していた頃と比べて、聖女の乳は随分と大きくなったようだった。
 ただ大きくなっただけではない。母乳も出るようだ。
 少年は無邪気な喜びの声をあげ、コリンの左右の乳をかわるがわる吸った。コリンは吸われるたび嬉しそうに体を震わせ、飼い主である少年の頭を母親のごとく撫でるのだった。
 犬の体のクリスティーヌは必死で窓にしがみつき、淫らに戯れる少年とコリンを見ていた。顔からは血の気が引いて卒倒してしまいそうだ。
「ふう、旨かった。じゃあコリン、今度は僕のミルクをご馳走してあげるよ」
「ワン!」
 決して主に逆らわない犬女は、粗末な寝台の上に横たわり、身をくねらせて主を誘惑した。そこに少年が寄り添うように寝転がり、勃起したペニスを突きつけた。両者がクリスに背を向けて横たわった姿勢で性交が始まった。
「ああ、相変わらずいい締めつけだ。お前の中は最高だよ、コリン。いつまでもこうして中に入っていたいくらいだ」
「クンクン、クーン…………」
 コリンは艶めかしい喘ぎ声を発し、飼い主との交尾に酔いしれた。
 森の中で一人で暮らしているであろう少年は貧しい身なりで、コリンだけが唯一の家族のようだ。そんな卑しい身分の少年が、聖王女の高貴な身体に細い陰茎を挿入し、王族の膣内を好き勝手に貪っていた。
 もはや、あの白く美しい裸体はクリスティーヌのものではない。造物主から哀れなオス犬に下賜され、完全にオス犬コリンの一部になってしまっていた。
(ああ、わたくしの体が……)
 クリスはどうしていいかわからなかった。
 今すぐ小屋の中に乱入し、それは自分の体だから返せと主張するべきだろうか。それとも、全ては神の意思だからと一部始終を見なかったことにし、このまま尻尾を巻いて街に帰るべきか。
 それとも……もとは自分の体なのだから、オス犬になった自分にも交尾させろと喚き散らすか。
 いつまでたっても答えを出せないクリスの前で、少年と飼い犬は人間の男女の営みを心ゆくまで満喫した。痩せてはいるが意外と体力はあるようで、少年は幾度となくコリンに膣内射精を繰り返した。
 避妊する気がないというよりは、避妊という概念を知らないのかもしれない。あれでは孕んでしまうのも当然だと思った。
「ううっ、コリン、また中に出すよ。僕のミルクをしっかり味わうんだよ、いいね」
「キュン、キューン!」
 コリンは重そうな孕み腹を激しく揺らして、更なる射精をねだった。
 一年近く前にクリスの体を手に入れてから、あのオス犬は何度主人と交わって絶頂を迎えたのだろうか。
 ヒトという獣のメスとして、あのオス犬の方が貞淑なクリスティーヌよりも繁殖に向いているのかもしれない。
「ああっ、出る。また中出ししちゃうよ、コリン! イク、イクぞっ」
「ウウッ、アウウッ! キャンキャンッ!」
(そんな、あんなに射精して……)
 かつての自分の体が見知らぬ少年の子を身籠り、いやらしく腰を振って奉仕するさまに、クリスは勃起せずにはいられなかった。可愛らしいメス犬のミミを孕ませたように、目の前に横たわっている聖王国の元プリンセスの体を思いきり犯し、犬の赤ん坊を身籠らせてやりたいと思った。
「ふふ、ふふふ、うふふふふ……」
 とうとう正気を失ったオス犬クリスティーヌは暗い笑みを浮かべると、窓にぶら下がる力の限界を迎えて、情けなくも尻からずり落ちていった。


 その後、クリスティーヌは二度と街には戻らず、かつて愛しあった亡国の王子シャルルと再会することもなかった。世の人々を救うためにその命を捧げた聖王国のプリンセス、クリスティーヌ・マリー・フォン・サンノーブルの名はいつしか忘れ去られ、歴史の闇に消えていった。
 伝説の英雄王シャルル一世がこの世に平和をもたらしてから数十年がたち、ある街を拡張するため森を切り開いていた木こりの一人が、朽ち果てた廃屋の近くで、人間の頭蓋骨が繋ぎ合わされた犬の全身の骨を発見した。
 それは一時、新種の魔獣の骨ではないかと話題になったが、ただ死んだ人間の頭部を犬の体に繋げただけの罰当たりな代物だと判明すると、興味を示す者は誰もいなくなった。ましてや、その犬の骨と伝説の英雄王がかつて愛した姫君、クリスティーヌの関係について考えつく者が現れるはずもなかった。





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