聖女のネクロリンカ Nルート


「まだいるのか !?」
 両手で斧を振り上げ、チャダは呻いた。
 目の前の魔物はトカゲに似た姿をしていた。小型の熊ほどの大きさのそれが、鋭い爪を生やした前足を持ち上げ、チャダを引き裂こうと襲いかかる。
 チャダは魔物の胴めがけて、巨大な斧を力いっぱい叩きつけた。体液と血が噴き出し、不快な鳴き声をあげて魔物は絶命した。
 ぶった切った魔物が動かなくなったのを確認し、チャダは視線を上げた。
 松明で照らされた暗闇の中、同じ種類の魔物が二体、ほんの十数歩の距離にまで近づいてきていた。同胞をやられた恨みか侵入者に対する怒りからか、しきりに声をあげてこちらを威嚇してくる。
 粘り気のある魔物の体液がついた斧を構え、敵に備えた。斧や鎧にこびりついた魔物の臭いは気にならない。嗅覚はとうに麻痺していた。
 疲労困憊。
 現状をひとことで表すならその表現がぴったりだった。構造もわからない暗い遺跡の中ではなかなか休むこともできず、絶え間のない敵襲に気力と体力とを削られ続けている。仲間の半数は既に息絶え、残りの半数もチャダと同様に消耗しきっていた。
「全員戻りや! 一旦退いて、態勢を立て直すで!」
 人と魔物の激しい戦闘の向こうから、チャダの雇い主であるゴンザレスの怒鳴り声が聞こえてきた。
 どうやら、ようやく退く気になったらしい。いくら成果がないとはいえ、ここまで劣勢になってから撤退を始めるとは、無能としか言いようがなかった。
 街からここに来るまでの道中、彼が「商売の秘訣は引き際を見極めることや」と自慢げに語っていたのを思い出す。この体たらくでは、商会の先は長くなさそうだ。もっとも、それは生きてここから出られたと仮定しての話だが。
 ことの始まりは、この場所に古代文明の遺跡があることを聞きつけたゴンザレスが、遺跡荒らしを企んだことだった。
 千年前に地上から姿を消したとされる幻の超古代文明……貴重な文物が眠るその遺跡には、彼らが遺した機械の兵隊が警備につき、侵入者を排除しているという。その噂を聞いた商人ゴンザレスは街で用心棒を集め、一獲千金を狙って遺跡の発掘に乗り出した。
 屈強な女戦士であるチャダがゴンザレスに雇われ、遺跡荒らしに参加したのは、もちろん金のためだった。濃い肌の蛮族と蔑まれるボノバ族として生を受けた彼女は、幼くして家族と死別し、傭兵団に育てられた。
 そんなチャダが生きていく手段として身に着けたのは、女とは思えない人並み外れた怪力と、それを活かす戦士としてのスキルだった。
 魔族との戦争が激化する中、幸いどこに行っても仕事はあった。戦に出るたび体のあちこちに傷をつくり、命を失いかけたことも数え切れなかったが、資産も知恵も美貌もない辺境の少数民族の女が生きていくには、斧を振るって敵を殺し続ける以外の道はなかった。
 チャダが戦士として戦場に出て、既に四半世紀が過ぎた。一時、同じボノバ族の男と恋に落ち、子供を授かったこともあったが、同じく傭兵稼業を務めるその男は早々に死んでしまい、残された二人の息子たちを養うことがチャダの生きる目的になった。
 類まれな怪力を誇るチャダといえど、もう四十になる現在では、力の衰えを感じることはしばしばある。多少危険を冒してでも、今のうちに稼いでおかねば……焦りを抱いたチャダが、貧しい村に残してきた二人の息子の生活のために選んだ仕事が、この遺跡あさりの護衛だった。
 厄介なのは、遺跡の浅層が魔物の棲みかになっていることだった。統率のとれた魔族の軍隊ではなく、知性の乏しい下級の魔物たちだが、何しろ数が多い。警備の機械兵も奥にいると推測されるが、一行はいまだそこにたどり着くことさえできていない。
「この遺跡の情報がほとんどあらへんのは、今まで全然人が入ってへんからや。これは儲かるに違いないで!」などと言って当初は意気軒昂だったゴンザレスも、すぐに余裕をなくして不安の色を見せはじめた。
 ならば、その時点で撤退を考えるべきだとチャダは思うのだが、何の成果もなしに逃げ帰るのは商人としてのプライドが許さないらしい。結果、被害はじわじわと拡大しつづけた。
 あまりの被害に耐えかねて、やっと一時撤退を決めたゴンザレス。
 彼とその周囲の人間の声がだんだん遠くなるのを感じた。まだチャダのように戦っている仲間がいるというのに、我先にと早くも逃げ出しはじめたようだ。統率がとれていない用心棒の寄せ集めらしい振る舞いだった。
 新たな魔物を一体屠り、肩で息をして周囲を見ると、いまだに戦闘を続けているのはほんの二、三人しかいなかった。残りは死んだか逃げたかしたらしい。チャダは自分が取り残されつつあることを悟った。
「おい、お前ら、逃げるぞ!」
「ぎゃあああっ!」
 返事の代わりに返ってきたのは悲鳴だった。チャダの隣で剣を振るっていた若い傭兵の体が引き倒され、そこに複数の魔物が群がった。断末魔の叫びはすぐに聞こえなくなり、一人の人間の命がそこで消えたことを教えてくれる。
 逃げようとしたチャダの行く手を、毛むくじゃらの獣が塞いだ。野生の熊のようにも見えるが、後ろ足とは別に前足が四本あり、背中にはコウモリに似た黒く巨大な翼が生えていた。
「ふざけるな! あたしはまだ……」
 自分とほぼ同じ体格の魔物に狙いを定め、チャダはその太い胴体を鋼の刃で薙ぎ払った。両腕の筋肉が悲痛な音をたてた。
「死にたくない!」
 奇怪な唸り声をあげて倒れる魔物の体を乗り越え、チャダは駆け出した。
 残された力を振り絞って仲間との合流を目指すが、体力の限界はすぐそこに迫っている。極めて厳しい状況だった。
「死にたくない……まだ、死にたくない」
 ただそれだけを口にして、チャダは暗闇の中を疾走した。魔術の灯りも松明も既になく、勘だけを頼りに進まなくてはならない。どちらに行けばいいのかもわからなかった。ゴンザレスたちは近くにいないようで、完全にはぐれてしまった。
「アベベ、ギグ……村には子供たちがいるんだ。死にたくねえよう……」
 チャダはうめいたが、助けに来る者はいない。聞こえるのは魔物の不気味な鳴き声だけだ。それも、だんだん近づいているような気がする。
 ボノバ族の女の身に死の影が、心の内には絶望が忍び寄っていた。

 ◇ ◇ ◇ 

 はるか昔、ムンド帝国という国があった。
 高度な技術を有し、地上のほとんどを支配した強大な文明だった。伝説によると、魔族でさえ一時は彼らに征服され、その従僕になっていたという。
 特筆すべきは、彼らが機械じかけの乗り物や兵隊を使役していたことだ。ムンドの人々は空飛ぶ街に住み、複雑な機械でもって大地や空を自在に操っていたと伝えられる。
 そんな彼らの文明は千年前に突如としてこの世から消え去ったが、その原因は今も不明である。強大な力を制御できずに自滅したのか、それとも増長した彼らの行いが神の怒りに触れたのか。
 千年前に姿を消したとされる幻の古代文明、ムンド。
 ほんのわずかに残された彼らの遺跡からは貴重な文物が出土し、王侯貴族や富豪たちの間で高値で取り引きされている。そのほとんどはもはや動かなくなったガラクタだが、現在の人類の技術では復元することの叶わないそれらの遺物の中には、今もかつての機能を有するものがあると囁かれる。そのため、ムンド文明の遺跡を狙った盗掘は後を絶たない。
 まだ暴かれていない古代文明の遺跡……そこは宝の山であると同時に、常に死の危険がつきまとうとされる。
 古代文明の遺跡には、彼らが遺した罠や機械の兵隊が設置されており、侵入した者の命を容赦なく奪う。鋼鉄もしくは古代文明の産物である謎の金属によって造られた機械の兵隊は、現代の人間が用いる粗末な武器をことごとく弾き返す。中には、魔術による攻撃に耐性を持つものさえ存在するらしい。
 そうした恐るべき機械兵が配置された遺跡は難攻不落の要塞として、魔族による侵入すら拒んでいるという。
 シャルル達が潜入したのは、そんな難攻不落の要塞の一つだった。

「炎よ! 邪なるものどもを焼き払え!」
 呪文と共にサンドラの手から真っ赤な火炎が広がり、魔物の群れに襲いかかった。シャルルに飛びかかろうとしていた獅子のような魔獣が二頭、炎に飲まれて火だるまと化した。あまりの火勢に、シャルルの髪がちりちりと音をたてたほどだ。
「サンドラ、俺に当てるなよ!」
「当ててない、当ててない!」
「嘘つけ、髪の毛が少し焦げたぞ! 先頭の敵じゃなくて、奥にいる奴を狙ってくれよ!」
 文句を言いながらシャルルは剣と盾を構え、狼狽した魔物の群れに切り込んだ。
 獅子に似た魔獣の巨大な体も、シャルルの剣をまともに受けてはひとたまりもない。胴の半ばを斬られてのたうち回る。滅びた王家に伝わるこの退魔の剣は、魔族や魔獣の強靭な肉体を易々と切り裂いてしまうのだ。
「炎よ、焼き払え!」
 シャルルの剣に斬られた魔物が数匹、もがいている間にサンドラの炎によって焼き殺される。二人の連携は魔物たちの命を次々に刈り取っていく。若くして優れた魔術の才能を有するサンドラは、一行の中でシャルルと一番つきあいの長い、良きパートナーだ。
 だが、敵も数が多い。獅子型の魔物と対峙するシャルルの背後から、翼を生やした体毛のない人型の魔物が飛びかかってきた。死角から放たれたその攻撃を体当たりで防いだのは、鎧兜を身に着けた仲間だった。
 いや、仲間というと語弊があるか。
「ゲオルグ、ありがとう! 助かった!」
「しもべたち……シャルルを守って」
 か細い女の声が聞こえた。それが絶対の命令となって、複数の人影がシャルルを守ろうと取り囲む。一見すると粗末な鎧を身に着けた男たちのようだが、それらは普通の人間ではなかった。
「私のゾンビたち、もうあんまり数がいないから気をつけて……」
 黒いローブをまとった女、ゲオルグの下僕の戦士たち。それらは生きている人間ではなく、魔術で操られる人間の死体だった。一般にはゾンビと呼ばれる。鎧の隙間からは虫のたかる腐肉が見え隠れし、つんとくる悪臭が常人には耐え難い。
 人間の肢体に魔力を注いで操り人形にする魔術、ネクロマンシー……シャルルの仲間、ゲオルグはその屍魔術の使い手、ネクロマンサーだった。シャルルには詳しい知識はないが、炎や雷を自在に操るサンドラのような攻撃型の魔法使いとは異なる系統の魔術師だという。
 ゲオルグはサンドラのように炎を出して敵を焼いたり、雷を放って敵を打ち据えたりはできない。
 だが、大勢のゾンビを使役してシャルルの援護をしてくれる。
 ゾンビは人間だった頃の知恵や知識をほとんど失っており、動作は緩慢で、時間が経つと土に還ってしまうが、それまでは使い捨ての戦力として武器を振るい、共に戦ってくれる。文字通り肉の壁になってシャルルたちを守ってくれるのだ。
「雷よ! 頑なな者たちを貫け!」
 ゲオルグのゾンビたちが前線を固めている間に、サンドラの電撃が魔物たちを打ちのめした。ほとんどの敵は即座に焼け焦げ、息絶えた。それでもまだ攻撃してくるものには、シャルルがとどめを刺した。連携がうまくいき、近辺にいる魔物たちの掃討に成功した。
 あらゆる魔物を斬り捨てる退魔の剣を持つ剣士、シャルル。
 炎や雷を操り、多くの魔物をまとめて灰にする魔術師、サンドラ。
 物言わぬ忠実な不死の軍団を従える屍術師、ゲオルグ。
 そして仲間はもう一人……。
「皆さん、お怪我はありませんか? 特にシャルル」
 ゾンビの隊列の奥から顔を出したのは、白い衣をまとった小柄な少女だった。ややカールのかかった金色の髪は、おとぎ話に出てくる妖精の編んだ織物のように繊細だ。
 シャルルが近寄り、「ああ、ほとんど傷はないよ。サンドラとゲオルグのおかげだな」と答えると、少女は心底、安心した表情を見せた。
「良かった……でも、シャルルの腕、血が出ていますわ。それとお顔。見せてくださいませ」
「いや、こんなのかすり傷だって。クリスこそ疲れてないのか? 回復魔法、だいぶ使っただろう」
 大丈夫です、と返事して少女はシャルルに微笑んだ。王子の傷に手をかざして神への祈りを捧げると、掌からほのかな黄金色の光が湧き上がって怪我と苦痛を癒してくれる。
 綺麗に塞がった腕の傷を眺め、シャルルは少女に礼を言った。
 魔物が跋扈する暗い洞窟の中で、松明に照らされた上品な笑みを見ているだけで元気が湧いてくるようだ。
 この少女の名前はクリスティーヌ・マリー・フォン・サンノーブル。
 とある事件をきっかけにシャルルと共に旅をすることになった聖王国の姫君で、癒しの奇跡を行使する聖職者でもあった。常に最前線で戦うシャルルが深い傷を受けても、たちどころに治してしまう。
 クリスティーヌ……クリスはただ役に立つ戦力というだけではない。
 高貴な身分でありながら立ち寄る町々で苦しむ人々のために直接癒しの力を使いつづける、献身的な聖女だ。自らの命を削ってまで仲間の傷を癒してくれるその慈愛の精神と笑顔に、シャルルはいつも支えられてきた。高潔な魂を持つ美貌のプリンセスは、国と一族とを魔族に滅ぼされたシャルルにとって、今やなくてはならない存在だった。
「とりあえず、このあたりの魔物は残らず倒したみたいだが……だいぶ疲れたな。こんなに魔物が多いとは思わなかった」
 シャルルは汚れた刀身を布で拭い、鞘に納めた。街に戻れば本格的な手入れが必要だろう。
「先に進む前に、少しお休みしませんか? 皆さん、かなり消耗していらっしゃいますわ」
「そうだな、そうしようか」
 クリスの言葉にうなずき、シャルルは岩の上に腰を下ろした。
 初めて足を踏み入れる古代文明の遺跡である。この先に何があるかわからないのだから、敵の攻撃が一段落した今のうちに、体調をできるだけ整えておくべきだろう。
「じゃあ、あたし、ちょっとこの先を見てくるね」
 そう言って、一人で進もうとするサンドラ。彼女は落ち着きがなく子猫のように気まぐれで、一行のムードメーカーだった。
「サンドラも休んだ方がいいんじゃないのか。攻撃呪文を連発しただろう?」
「大丈夫、大丈夫。ヤバいと思ったらすぐ逃げてくるから。そのときはちゃんと助けてよね、あたしの王子様」
 サンドラは悪戯を仕掛ける小僧のような笑顔を見せると、疲れを感じさせない軽やかな足取りで洞窟の奥へと歩いていく。
 シャルルより二、三歳上のはずだが、彼女が年上だと感じることは滅多にない。美貌と才能に恵まれた、頼れる魔術師なのだが。
 確かに、偵察に行くのは悪いことではなかった。この先にさらに多くの魔物がいるかもしれないし、危険な罠があるかもしれない。魔術による知覚の増幅、そして天性の勘の良さから、危険を察知する能力は一行の中でサンドラが一番優れていた。
 魔術の灯りを携えて小さくなっていくサンドラの後ろ姿を見守りながら、シャルルは深呼吸をした。やはり疲労は隠しようもなく、四肢の各所が抗議の声をあげていた。
 この遺跡に入ってどのくらい時間が経過したのかわからないが、大雑把な感覚としてはおそらく四半日ほどだろうか。浅層の洞窟は魔物の棲みかになっており、奥深くに存在するはずの遺跡の本体にはいまだにたどり着かない。 
 日々魔族と戦いつづけるシャルルがこの遺跡に足を踏み入れる気になったのは、サンドラが街で聞いてきた噂話からだった。
「ねえねえ、聞いて聞いて。山の向こうに、古代文明の遺跡があるらしいわよ」
「古代文明の遺跡?」
「そう。はるかな昔、栄華を極めたムンド文明。知らない?」
 怪訝な顔で問い返すシャルルに、サンドラは得意げに指を立てた。それは、この魔術師の女が時おり見せる芝居じみた仕草だった。
「いや、知ってるよ。俺の国にはムンド文明を研究する学者が大勢いたから」
「あ、そう、つまんないの……それでね、ゴンザレスだか何だかいう商人のおっさんが遺跡荒らしに行って、命からがら逃げ帰ってきたんだって。傭兵のボディガードを何十人も連れて行ったけど、生きて帰ってきたのはほんの二、三人だったらしいわ」
「そりゃ酷いな……ほとんど全滅じゃないか」
「そのおっさんから直接聞いたんだけど、どうもその遺跡、魔物の巣になってるみたいね。洞窟の奥に遺跡があるらしいんだけど、その遺跡にたどり着く前に大半がやられちゃったんだって」
「魔族の部隊が配置されていた……ってことはないのか?」
「そういう話はなかったわね。まあ、遺跡を守る機械の兵隊って魔族とは相性良くないから、多分いないんじゃない?」
「そうなのか?」
「うん。古代の機械兵ってめっちゃ硬いし、魔術が効かないやつもたまにいるから、魔族も手を焼いてるみたいよ。あいつら、大昔はムンド帝国に征服されたことだってあるらしいし」
 そこまで語り、サンドラは一旦言葉を区切った。
「で、ここからが本題なんだけど、あたしたちもその遺跡に行ってみない?」
 サンドラの提案に、シャルルも心を動かされた。
 魔族ですら退けるほど強力な超古代文明の武器、もしくは技術が手に入れば、長年続いている魔族との戦いを有利にすることができるかもしれない。
 悔しいことだが、地上の征服を目論む魔族の軍勢は強大だった。シャルルの故国は抵抗むなしく滅ぼされ、王子である彼も明日をも知れない流浪の身だ。
 しかし、いつかは必ず奴らを退け、苦しんでいる人々が平和に暮らせる世を取り戻してみせる。その決意と責任がシャルルを支えていた。
 もちろん、遺跡から千年以上前の遺物を持ち帰ったとして、シャルルたちに分析や研究ができるわけではない。だが、それが可能と思われる人間には心当たりがあった。シャルルの故国では古代文明の技術を研究していたことから、その筋の研究者に助力を仰ぐつては今もある。
 こうして、故郷を失った亡国の王子は信頼できる仲間を連れ、古代ムンド文明の遺跡に進入したのだった。そして話に聞いていた通り、浅層に大量に生息していた下級の魔物に悩まされている。
 休みつつ物思いにふけっていると、薄暗い洞窟の奥から灯りが近づいてきた。見覚えのある青白い魔術の光は、サンドラのものだった。
「みんな、こっちに来て! どうやら到着したみたいよ」
「なんだって?」
 とりあえず、近くに敵はいないらしい。シャルルたちはサンドラに案内され、慎重に洞窟を進んだ。
 細い通路を抜けると、広い空間に出た。青ざめた壁と天井に囲まれた広大な空間……頭上に浮かべた魔術の灯りでは照らしきれないほど向こうに、巨大な扉らしき壁がぼんやりと見えた。
「ここは……?」
「あの扉が見える? きっと、あれが遺跡の入口だわ。とうとうたどり着いたのよ!」
 サンドラは興奮を抑えきれない様子だった。
 無理もない。ここに来るまでは苦難の連続だった。数多の怪物を退け、一瞬で命を奪う危険な罠に何度もかかりそうになった。信頼できる仲間たちがいなければ、シャルルはとうに神の御許に召されていただろう。
 目の前にあるのは、千年前に滅んだとされる古代文明の遺産。それを手に入れることができたら、これからの魔族との戦いにおいて大きな力になるかもしれない。
 シャルルは故郷の都で目にしたものを思い出した。王国お抱えの魔術師や錬金術師たちが、ムンド文明の遺跡から発掘されたという「空飛ぶ船」の復元に取り組んでいた。魔術とは異なる力で宙を舞い、自在に空を駆け回る乗り物が、かつて存在したという。
 あれを蘇らせることができたなら……。
「あの奥に古代の遺跡があるのですね」
「そうみたいだな……でも気をつけろ。ほら、そこ」
 シャルルは意識を現実に戻し、視線を転じた。彼から数歩離れた地面に横たわるものがあった。それは人間の死体だった。
 死体は女のものらしかった。サンドラが魔術の光をそちらに向け、注意深く死体を観察する。
 鎧を身にまとった中年女の表情は苦悶に歪み、白く濁った瞳でこちらを見つめていた。ところどころ腐敗した肌には蝿がたかっており、不快な臭いを撒き散らしていた。傍らにはおそらくその女の武器だったと思われる大きな斧が転がっていた。
 完全に死んでいた。暗くてよく見えないが、死後数日は経過しているようだ。
「女か……仲間はいないのかな?」
 周囲に目をやったが、死体はその女のもの一つだけだった。たった一人でこんな奥深くまでやってきたとは考えにくいが、仲間に置いていかれたのだろうか。
「シャルル……その女の人、数日前にここに入ったゴンザレスっておっさんの仲間じゃないかしら?」
 サンドラの言葉に、シャルルは再び死体を見た。シャルルたちとは異なる、濃い褐色の肌を持つ女。短く癖のある黒髪といい、低く横幅な鼻といい、いずれも大陸の辺境に住むボノバ族という少数民族の特徴だ。
 サンドラが街で会ったゴンザレスという遺跡荒らしは、大勢の用心棒を雇ってこの遺跡に進入した。そのほとんどはここで命を落としたそうだ。この女も、彼に雇われた女戦士と推測された。
「お可哀想に……せめて、あなたの魂に安らぎが訪れんことを」
「うふふ……こんなところに死体があるなんてね。ちょうどよかった……」
 聖女の祈りを遮ったのはゲオルグだった。白い衣をまとったクリスを、暗い紫のローブをかぶったゲオルグが押し退けた。二人の衣装の色は対照的だった。
「何をなさるんですの、ゲオルグさん?」
「何って、決まってるでしょ……この死体をゾンビにするのよ。ここに来るまでに連れてきたゾンビはほとんどやられちゃったし……少しでも戦力を補充しておかないと……」
「ゾンビに !? そんなのいけません!」
 クリスは怒気を露にした。「このようなところで不幸にも命を落とした哀れな子羊を、邪悪な儀式で生ける屍にして弄ぶだなんて……神はお許しになりませんわ!」
 一国の姫である聖女らしい言葉に、シャルルはうなずいた。
「俺も同感だ。たとえ俺たちの身を守るためとはいえ、見ず知らずのこの人の死体をゾンビに変えて戦わせるのは抵抗がある。ゲオルグ、考え直してくれないか」
 シャルルが説得を試みると、ゲオルグは深いため息をついた。
「甘いわね……王子様もお姫様も、そんな甘いことを言って……今までよく生きてこれたわね」
 ゲオルグの表情はフードに隠れてうかがい知れなかったが、二人の王族のことを馬鹿にしているのははっきりと感じられた。
「だいたい、今さらゾンビが駄目って……この遺跡に入ってから、あなたたちが私のゾンビにどれだけ助けてもらったと思ってるの……? 私のゾンビがかばってなければ……王子様もそっちのお姫様も、とっくの昔に死んでいたわ……」
 屍術師の独白めいた非難に、シャルルは反論の言葉をのみ込んだ。
 ゲオルグが言っていることは事実だった。この遺跡に侵入するにあたり、ゲオルグはどこから調達したのか、十体ほどのゾンビを連れてきていた。クリスはその凄惨な光景に嫌悪を示し、危うく仲間割れをするところだった。
 ゲオルグが一行に加わってからまだ日が浅いが、高潔な魂を持つ聖王女と死者を弄ぶ屍術師の女はことあるごとに対立し、犬猿の仲になっている。
 だが、いくらクリスが反対しようと、彼女の操るゾンビが一行を守ってきたのは疑いようもなかった。
 動きこそ緩慢ながら、既に死んでいるために傷つくことを恐れない忠実な死者の群れは、盾となり斥候となり囮となって、シャルル達に尽くしてきたのである。その過程でゾンビは一体ずつ失われていき、今や二体しか残っていない。かなり消耗して心もとない状態だと言える。
 そして、消耗しているのはシャルル達も同じだった。いつまでも魔物と戦いつづける気力と体力があるとは、とても断言できない。
「いい……? 今まで私のゾンビに助けてもらいながら……目の前の見ず知らずの死体をゾンビにするのが駄目っていうのは……皿の上に載った家畜の肉は喜んで食べるけど、目の前で家畜を殺すのが駄目っていうのと同じことよ。自分たちがどれほど甘ったれたことを言ってるかわかってる……?」
「う、うう……」
 反論の余地はなかった。理屈の上では、どう考えてもゲオルグが正しいのだ。
 今ここでこの女戦士をゾンビにして助けてもらわなくては、シャルル達はこの先、全滅してしまうかもしれない。
 ゲオルグの指摘通り、自分やクリスは育ちのいい甘ったれなのだろう。ここで揃って骸を晒すくらいなら、節を曲げて死者を弄んででも生き延びるべきだった。
「すまない、ゲオルグ。確かに君の言うことは正しい。今は非情になるべきかもしれない。この人をゾンビにして力を貸してもらおう」
「シャルル !?」
「わかってもらえて嬉しいわ……うふふ」
「クリス、君の言いたいことはわかってる。目的を達してここから生きて出られたなら、この人は必ず供養する。だから今は死者の力を借りてでも……」
 シャルルはそこで言葉を止めた。暗闇の中に気配を感じたのだ。彼の仲間たちも前方にかすかな光を認めて身構えた。
「敵だ。俺が前に出る」
 シャルルは剣と盾を構え、仲間から数歩前に出た。その両脇に残りの二体のゾンビが立った。
 青く光る点が一つ、重苦しい足音と共に闇の奥から近づいてきた。重厚な鎧を身に着けた鎧武者の足音に似ているとシャルルは思ったが、それは人間の放つ音ではなかった。
「なんだ、あれは……?」
 シャルルは訝しがった。闇の中から現れたのは、巨大な金属の塊だったのだ。無骨な胴体に太い二本の脚と、数本の細い腕が生えていて、青い一つ目で侵入者をにらみつけてくる。
 それが一歩一歩近づいてくるたびに不快な金属音がして、耳の奥が軋むようだ。
 明らかに人間ではない。かといって魔物でもない。かつてシャルルの故郷にいた古代文明の研究者たちが復元に取り組んでいた遺物に酷似していた。
「機械兵……」
 つぶやいたのはサンドラだった。シャルルは剣を構え、いつでも攻撃に対応できる体勢を整えた。
「多分、歓迎してくれてるわけじゃないよな」
「遺跡への侵入を防ぐガーディアンね……気をつけて、シャルル。何をしてくるかわからないわよ」
 機械の兵士はゆっくりシャルルの正面にやってくると、一つ目を点滅させた。
 青い光が赤に変わったと思った瞬間、金属の腕がそれまでシャルルのいた空間を薙ぎ払った。
「速い!」
 風を斬る音がシャルルの鼓膜を震わせた。
 ぎりぎり躱したつもりだったが、シャルルの外套は無惨に切り裂かれていた。
 歪んだシルエットの腕の先端には湾曲した小型の刃が何本も備えつけられ、敵を切り刻むようになっているらしい。機械兵の腕は正面から確認できるだけで四本あり、それぞれの腕の形状、そして武器がわずかに異なるようだ。
 シャルルの頬を冷や汗が流れた。
 今の一撃は、力、速度共にシャルルよりも上だった。人とは比較にならない怪力を誇る魔物と戦ったこともあるが、そのときとは異なる不気味な脅威を感じた。
「シャルル、下がって! 炎よ、邪なるものを焼き払え!」
 後方からサンドラの放った火球が飛んできて、機械兵に直撃した。
 火球は火柱となって機械兵を包み込んだ。その辺の魔物であれば、充分に絶命するはずの熱量だ。
「やったか !?」
 シャルルの疑問に応えたのは、火柱の中から躍りかかってきた機械兵の刃だった。金属の塊だからか、それとも攻撃魔術への耐性でも有しているのか、さしたるダメージを受けていないようだった。
「くそ、ダメかっ!」
 頭上から振り下ろされた機械兵の刃を辛うじて盾で受け流し、連続して繰り出される水平の一撃を退いて躱す。やはりシャルルのそれをはるかに上回るスピードとパワーだった。
 難敵だとシャルルは思った。
 恐るべき力と速さに加えて、複数の腕を変則的に操って攻撃してくるため、人間や魔物のように攻撃を読むことが難しい。
 密着した戦闘では、いずれやられてしまうことは間違いない。頼りにしていたサンドラの攻撃呪文も、大した効き目が見込めない。どう戦えばいいかわからなかった。
 防戦一方のシャルルに、機械兵はあらゆる角度から斬撃、あるいは打撃を繰り出す。
 今まで戦ってきた魔物のそれとは比較にならない強烈な連続攻撃を紙一重で躱し、あるいは受け流すシャルルだったが、それも長くはもたなかった。機械兵の鎚が脇腹をかすめ、王子はたまらず膝をつく。
「あぐっ……!」
 体勢を崩したシャルルの胴を、巨大な刃が真っ二つに引き裂こうとした。
 その致命的な一撃を防いだのは、ゲオルグの繰り出したゾンビだった。シャルルの身代わりとなったゾンビの体は粗末な鎧ごと両断され、機械兵の斬撃の威力を見せつけた。
「大地よ、我が意に従え!」
 女魔術師の声が、機械兵の周囲に異変を呼び起こした。
 不利なシャルルを援護するためにサンドラが唱えたのは、直接敵を攻撃するための魔術ではなかった。轟音と共に冷たい岩の地面が裂け、巨大な穴となって機械兵の巨大な脚を飲み込んだ。
 機械兵の動きは封じられ、形勢は逆転した。シャルルは苦痛をこらえて剣を構え、転倒した機械兵に斬りかかった。
「たあっ!」
 剣が閃き、機械兵の胴を薙いだ。魔力を帯びた刃は金切り声をあげて機械兵の体を切り裂き、火花を撒き散らした。
 頬が焼けるのを感じた。
 シャルルの倍はあろうかという巨体が崩れ落ちた。巻き込まれないよう慌てて下がる。煙と火花があがり、機械兵はその動きを止めたかのように見えた。生物であれば、間違いなく致命傷だった。
「今度こそ、やったか……?」
 疲労と安堵が、ほんの一瞬の隙をつくった。
「シャルルっ!」
 叫んだのはサンドラだった。
 もはや動けないはずの機械兵を見つめるシャルル。彼の目が映し出したのは、機械兵の背中から伸びる金属の腕だった。昆虫のように不自然な角度で折れ曲がった腕の先端では、巨大な扇型の刃が鈍い輝きを放っていた。
 機械の兵士は痛みを感じず、恐怖も抱かない。完全に破壊されるまで敵を攻撃しつづけることができる。まるでゾンビのようだとシャルルは思った。
 次の瞬間、巨大な刃が宙を裂き、シャルルに迫った。
 機械兵の腕そのものが本体から切り離され、飛んできたのだとわかった。予想もしなかった出来事だった。
 まったく反応できなかったが、意外にも機械兵の刃はシャルルの身体を真っ二つにはしなかった。ほんの一歩離れた空間を、無情な金属の塊が通過していく気配がした。
 狙いが外れたのか……いや、それは違う。
 機械兵の最期の一撃はシャルルを狙ったのではなかった。
「シャル……!」
 背後であがった聖女の声に、シャルルは脈が飛ぶのを感じた。
 振り向くと赤い花が咲いていた。クリスの華奢な身体から、真紅の花びらが舞い上がっていた。
「クリスっ !?」
 シャルルの声が裏返り、心臓がわずかな間、停止する。クリスの眼がシャルルをじっと見つめていた。
 王子は感情の抜け落ちた表情で、宙を舞う王女の生首を見上げた。一瞬の視線の交叉が永遠にも感じられた。
 射出された機械兵の刃は、寸分の狂いもなくプリンセスの首を切断していた。細い金髪と赤い飛沫が、暗い洞窟の内部を明るく染め上げた。
 あまりに凄惨な姿にその場の全員の動きが停止し、人形のように表情を失った。
「きゃああああっ !?」
 数瞬ののち、ようやくサンドラが悲鳴をあげた。シャルルが駆け寄ると、サンドラは錯乱した様子でクリスの首の切断面を掌で押さえつけていた。
 そんなことをしても意味がないのに……決して短くないつきあいだが、シャルルは彼女がこれほど取り乱すのを見たことがなかった。
「ク、クリスの首が……あ、ああっ!」
「落ち着け、サンドラ! 絶対助ける!」
 とは言ったものの、シャルルにはどうすることもできなかった。パーティーの中で仲間の傷を癒せるのは神に仕えるクリスだけだ。そのクリスが死んでしまっては打つ手がない。
 不安と焦燥、絶望がシャルルの心を握り潰した。
 シャルルの後ろでは、彼に破壊された機械兵が小さな爆発を起こし、今度こそ完全に機能を停止していた。最期の一撃でシャルルの最も大事な人の命を奪った恐るべき殺戮兵器は、もはやぴくりとも動かなかった。
 微動だにしない機械兵とは反対に、首のないクリスの肢体は痙攣を続けた。
 派手に血を噴き出し絶命したというのに、時おり不規則に手足が震える。それはシャルルに対する無言の抗議のようにも、自らの死を嘆き悲しんでいるようにも見えた。
 あのとき、自分が気を抜かなければ……後悔は何の役にも立たなかった。
 今の彼にできるのは、クリスのか細い体が自分の腕の中で熱を失っていくのを、ただ眺めることだけだ。シャルルの頬を涙が伝い、抑えきれない喪失感と怒りが彼の胸を引き裂いた。
「クリス……俺は、俺は……」
「どきなさい……」
「え?」
 呆気にとられて顔を上げると、黒いローブの女が彼の泣き顔を覗き込んでいた。暗く淀んだ瞳には光がなく、先ほど見た死人の女戦士のそれと何も変わらなかった。
 ネクロマンサーのゲオルグ。
 生と死の狭間に暮らす屍術師の女の顔が、肌が触れ合いそうなほど近くにあった。
「この子の首はどこ……?」
「え? あ、どこだろ……」
 シャルルは慌てて辺りを見回したが、かなり遠くに飛んでいったのか、クリスの頭部は見当たらない。広大で暗いこの空間の中で、人間の生首を瞬時に探し出すのは極めて困難だった。
「しょうがないわね……とにかく、命が助かればいいんでしょ?」
 クリスの頭がすぐには見つからないことを確認すると、ゲオルグは懐から短剣を取り出した。刃に反射したひと筋の光が、血の気のない屍術師の顔を照らした。
 いったい何をするつもりか……シャルルが息を呑んで見守る中、ゲオルグは女の死体の前で身をかがめた。
 クリスの体ではない。シャルル達がここにやってきたときに見つけた、女戦士の死体だった。
 仲間が死んだというのにゲオルグはさして動揺するでもなく、もう若くはない女の死体に短剣を振るった。首に刃を当てると、腐敗が進行しつつある肉は柔らかなチーズかバターのようにやすやすと切れた。
 切断した女戦士の首を手に、再びシャルルの前に戻ってきたゲオルグ。
 彼女の意図がわからないシャルル達は戸惑うばかりだ。死者を冒涜する行為にも思えたが、今は怒る気にもなれない。
「あなたたち、お姫様の体……ちゃんと支えててね」
「あ、ああ……」
 シャルルが背中を、サンドラが脚を持ち、クリスの肢体を固定する。
 いまだ聖女の鮮血がほとばしっていたが、ゲオルグは気にも留めず、女戦士の首の切断面をクリスのそれにあてがった。
「冥界の王よ、我に力を……この者に永劫の苦痛と命をもたらしたまえ……」
 ゲオルグの手のひらに青白い光が灯り、女戦士の腐った顔を照らしだした。
 白濁した瞳、膨れて変色した肌、強張ったまま動かない無念の表情……人間の残骸とも言うべき醜い顔面に、ゲオルグの光が意思を持っているかのようにまとわりついた。妖しく揺れ、蠢く、得体の知れない光にシャルルは不吉な気配を感じた。だが止めようとはしなかった。
 そのうちに、驚くべきことが起きた。
 繊細な白い肌と、虫のたかる暗褐色の肌とが融け合い、生肉と腐肉が繋がったのだ。女戦士の首とプリンセスの体。二つの死体のパーツが融合し、一つのシルエットを形作った。
「ゲ、ゲオルグ、それは……?」
「うふふふ……うまくいったわ。さすがは私、素晴らしい出来ばえね……さあ、立ちなさい……」
 ゲオルグの言葉に、クリスの手足がびくんと跳ねた。人形が命を吹き込まれたかのような変化にシャルルは目を疑った。
 到底、救命の見込みのなかった姫の体が、その場に立ち上がったのだ。
「ク、クリスの体が……!」
 信じられない光景を目にして、シャルルは狼狽した。
 斬り飛ばされた王女の首の代わりに、腐敗した女戦士の首が肩に載っていた。とうに死んだはずの中年女はひと言も喋らず、ゲオルグの命令通りその場に直立したまま、混濁した瞳を彼女に向けていた。
 噴水のような出血は既に止まり、傷口からわずかに滴る赤い液体が白い衣を汚していた。
「すごいでしょう……? これでこの子の体は動けるようになったわ。ちょっと動きは鈍くなったけど……普通のゾンビに比べたら、ずっと人間に近いはず……だってまだ生きてる体を使ったんだもの、当然よね……」
「おい、どうなってるんだ !? 何をしたんだ!」
 ぶつぶつ独りごちるゲオルグに、シャルルは声を荒げた。女戦士の死体と首をすげ替えられたグロテスクな少女の姿に、怒りと戸惑いを隠せなかった。
「何って……放っておいたら死んでしまう……というか即死したような気もするけど、とにかくネクロマンシーで一時的にゾンビにしたの。ゾンビといっても、首から下はまだ生きてるわ……斬り飛ばされた頭と一緒に街に連れて帰れば、神聖魔法で蘇生することだってできるはずよ……」
「ゾンビにした? そんなのありか !? それに、なんであの死体の首を繋げたんだ!」
「とにかく、大急ぎで血を止めないといけなかったから……それに、頭がついてないゾンビはなかなかこちらの命令に従わないの。ふらふらしてまた死なれたら困るでしょ……?」
「だからと言って、クリスの体にあんな腐った頭を……!」
 シャルルは変わり果てた少女を指差した。
 聖王国の紋章が各所にあしらわれた純白の衣は鮮血に染まり、将来を期待された美貌は腐敗した中年女の死相に置き換わっていた。
 だが、間違いなく生きている。よく見るとときどき胸がわずかに膨らみ、肥大した唇の隙間から空気が出入りしているのが観察された。
 ゾンビ。人間の死体から作り出された不死の怪物。腐った肉を材料にした操り人形。
 死者への冒涜の産物であるアンデッドへの嫌悪感は持っているが、そうした夜の怪物にシャルルが幾度となく助けられたのもまた事実である。たとえ神の法と正義に逆らう外法の術であっても、それによって仲間や人々を助けられるなら目を瞑ってもいいかもしれない……ゲオルグを仲間にしてからは、そう思うことがしばしばあった。
 しかし、クリスがゾンビになったとあっては話が別だ。亡国の王子である自分を仲間として受け入れてくれた姫君を、必ず守ると誓った少女を、このような魂を持たぬ傀儡にしていいはずがない。
 まして、別人の頭を継ぎ合わされたのだ。聖女の体に腐った女戦士の頭を繋げるとは、神の怒りを買って地獄に叩き落とされても文句の言えぬ所業である。
「仕方ないでしょ。ふふ、王子様はわがままね……それよりも、飛んでいっちゃったこの子の首を探しなさい……元通りにしたいんでしょ……?」
「そ、そうだ。クリスの頭はどこに……?」
「シャルル、あれ! あれを見て!」
 慌てふためくサンドラの声に振り向くと、闇の向こうに何かが蠢く気配を感じた。肉食獣の眼光を思わせる赤い光と、腹の奥まで響いてくる不気味で重厚な金属音。それはあの機械兵のものだった。
 シャルルが撃破した機械兵ではない。完全に沈黙した古代の兵器とまったく同じ機体が三機、奥の門から出てくるのが見えた。
 どうやら新手らしい。
 一機でも苦戦し、犠牲を出した古代文明の殺戮兵器。それが複数やってきたとあっては、シャルル達に勝ち目はなかった。
 取りうる選択肢は二つ。
 ここで死ぬか、逃げ出すか。
「逃げるぞ、皆!」
 辛うじて残っていたシャルルの理性が決断を下した。反対の意見は出なかった。ただし、魔術師からの問いかけが一つ。
「逃げるのはいいけど、クリスはどうするの? 頭がまだ見つかってないよ。それに体の方もこんなゾンビみたいになっちゃって、あいつらから逃げ切れるの?」
「うっ、そうだ……どうすればいいんだ」
 至極もっともなサンドラの指摘に、亡国の王子は一瞬ならず迷った。まだ敵とは距離があるので逃げ切れるかもしれない。
 だが、それはクリスを見捨てて全速力で逃走すればの話だ。今からクリスの頭部を探し、生ける屍となった彼女を連れて帰る時間はない。
 クリスを見捨てる。
 それはシャルルにとって、自分の死よりも辛い選択だった。
 かつて守ると約束したはずの少女を守りきれなかったばかりか、その亡骸をあの女戦士のようにこの場に打ち捨てて逃走するなど、とても耐えられることではない。
 そんなことをするくらいなら、ここで死んだ方がマシではないかとさえ思った。
「体の方は大丈夫よ……多分、ね」
 苦悩するシャルルに、ネクロマンサーの女が言った。「ゾンビと言っても、体はまだ生きてるから……多少は走れるはずよ。ちょっと血が足りないかもしれないけど……まあこの頭だし、不平不満は言わないわ。聞け、私に従え、命令を与える……」
 直立したまま動かないクリスの体に、ゲオルグは命じた。
 それは、日ごろ彼女がゾンビに対して話す口調と同じだった。「あの機械の兵隊から逃げろ……この通路を出口まで走れ……いいわね」
 クリスの体と結合した女戦士の頭が、がくがくと上下に揺れた。承知したようだ。
 その直後、クリスの体は死体とは思えないスピードで駆け出した。
 死せるクリスの走る速度は、生前の彼女のそれと遜色ない。動作が鈍くて走ることなど到底できない通常のゾンビとは明らかに違う。「そこらのゾンビに比べたら、ずっと人間に近い」というゲオルグの説明通り、身体能力そのものは生前とほとんど変わらないようだった。後ろを走るゲオルグよりも速いほどだ。
 シャルルはクリスの背中を見た。注意深く観察すると、その走り方は本来の彼女のものとはやや異なっていた。クリスはあんな思い切りのいい走り方はしないと思った。
 おそらくあれはクリスではなく、あの死んだ女戦士の走り方なのだろう。十七歳の若く可憐なプリンセスの体を、腐乱した中年女の生首が支配し動かしていた。
 あんなことになって、本当に元に戻れるのだろうか。
 シャルルは不安に駆られて辺りに視線を巡らせたが、クリスの体に繋げるべき本当の頭部はどこにもなかった。
「クリスの体があんな風になるなんて……頭はどこだ? 探さなきゃ……」
「いいから、早く逃げるわよ!」
 サンドラが彼の手をぐっと握りしめた。魔術師の細腕とは思えない握力だった。
「でも、クリスの頭が……」
「シャルル、あんたもここで死にたいの !? クリスも体だけは生きてるんだから、あとで生き返らせることもできるわよ! いいから来い!」
「わ、わかったよ……」
 鬼気迫る女魔術師の表情に、シャルルは我を取り戻した。後ろ髪を引かれる思いでその場を離れ、ゲオルグや首をすげ替えられたクリスのあとを追う。
 幸い、機械兵の集団は狭い通路まで追ってはこないようだった。
 帰路はほとんど戦闘がなかった。行く手を遮っていた魔物の大半は死ぬか逃げるかしており、脱出するのに支障はなかった。もしも往路と同程度の戦闘を強いられていたら、シャルルたちは全滅していたかもしれない。
 数回の休憩を挟んで、一行は地上に出た。
 遺跡に侵入したのは朝だが、もはや日が暮れかけていた。長い一日……悪夢のような一日だった。
 シャルルは深く嘆息し、燃えつきかけた空を見上げた。
 朝、ここにやってきたときは、期待とやる気、不安がないまぜになっていた。それが、今は不安と後悔だけだ。手痛い敗北、取り返しのつかない失敗だった。
「はあ……生きて帰ってこれたけど……」
「ええ、そうね、みんな生きて帰れたわね……お姫様以外は……」
 囁くようなゲオルグの声が辛い現実を突きつける。シャルルが視線を転じると、王女の体が無言で突っ立っていた。
 体だけ。そう、体だけだった。
 日に何度もシャルルを見つめ返してくれる清楚な笑顔は失われ、首から上は別人のもの、それも死後数日が経った中年の女戦士の頭にすげ替えられてしまっていた。風に乗って運ばれた腐敗臭が鼻をついた。
「ねえ、これからどうするの? クリスの頭、あそこに置いてきちゃったけど……本当に生き返れるの?」
「一応、この体はまだ生きてるわ……ただ、私の魔術で辛うじて生かしておいてるって表現が妥当ね。『生きてる』と『死んでる』の中間みたいなものかしら……あまり長くはもたないわよ。時間が経てば体も腐って、本物のゾンビになっちゃう……」
 ゲオルグの話によると、クリスの頭を元のように体に繋げ、高位の神聖魔法の使い手が然るべき儀式を行えば、失われた彼女の生命と魂が戻ってくるという。だが、この腐敗した頭では長くこの状態を維持できない。
 クリスが本当に死んでしまう。
 先ほど目にした斬首の光景は、シャルルの網膜にはっきりと焼きついて消えようとしなかった。何度も目の前にちらついて、全身が引きつるような不快感と吐き気を誘う。
「街の大教会には高名な聖職者が何人もいる……聖女と名高いお姫様の蘇生を、快く引き受けてくれるでしょうね……ただ、この頭ではおそらく無理よ」
「そうだな」
 シャルルはゲオルグにうなずいた。
 クリスを助けるには、この遺跡に再び足を踏み入れて、深部に置き去りにされた彼女の頭を取り戻さなければならないのだ。あの恐ろしい機械の兵隊を排除して。
「とりあえず、いったん街に戻りましょ。クリスの体だけ教会に預かってもらって、またここに頭を取り返しに戻ってくるのがいいと思う。時間はあんまりないけど、とにかく作戦を練らないと、また同じ失敗を繰り返すわ。次は全滅するかもしれない」
「ああ、その通りだ。クリスのためにも絶対に負けられない……」
 血がにじむほど唇を噛み、王子は剣の柄を握りしめた。刀身に魔力を帯びたこの剣は、国が亡びる直前に父王から託されたものだ。
 祖国を失い、姫君を失い、何も守れずおめおめと逃げ延びた自分が憎い。シャルルは絶望と敗北感にうつむき、暗い山中をとぼとぼと歩き始めた。
 街に着くまでの数時間、誰もひとことも発しなかった。ただ打ちのめされていた。

「なんということだ! 姫様が……!」
 ウェルビー大主教の声は哀れなほどに震えていた。シャルルは何も言えず、悪事の露見した子供のように顔を伏せるしかなかった。
 ようやく街にたどり着いた一行が案内されたのは、大教会の奥にある彼の私室である。
 ウェルビー大主教には以前にも会ったことがあった。
 高潔で責任感のある聖職者として名高い彼は、国を滅ぼされて流浪の身となったシャルルに涙を流して同情し、できる限りの援助をすると申し出てくれたのだった。
 もともと聖王国の出身で、クリスとは昔から親しくしているのだという。「立派なお方ですわ。子供の頃は、服装や言葉遣いがダメだってよく叱られました」と笑って大主教を紹介したクリスの顔は、それまで見たことのないやんちゃな悪童のそれだった。
 そのクリスの身体が、ウェルビー大主教の前に立っていた。深くかぶっていたフードをとり顔を晒すと、大主教の皺だらけの顔が悲嘆と絶望に歪んだ。
「なんということだ……」大主教は同じ嘆きを繰り返した。
 本来、細い肩の上にあるはずの王女の頭部は失われ、腐った中年女の頭に挿げ替えられていた。見るも無惨な姿だった。
 悪夢としか言いようがない。聖王国の姫君が首と命とを奪われ、醜悪なアンデッドに変わり果ててしまったのだ。
「俺が悪いんです」
 ようやくシャルルは声を絞り出し、真っ青な顔でこれまでの経緯を説明した。シャルルの話に聞き入る大主教の顔色も彼と同様だった。明らかにシャルルより高い背丈も、心なしか縮んだように思えた。
「まさか姫様がお亡くなりになるとは……そのうえ、かような醜いお姿に……神は我らを見捨てたもうたのか !?」
「大主教猊下、クリスを蘇生することはできませんか? 聞くところによると、この教会には蘇生の奇跡を行える方が何人もおられるということですが……」
「もちろんできますとも、殿下。魔族との戦が続き、蘇生の奇跡を行える者は各地に派遣され散っていきました。現在ここには私を含めて二人しか残っておりませんが、姫様の蘇生はこの私が責任をもってお引き受けします。さりながら……」
「さりながら?」
 シャルルの怪訝な表情に、大主教は涙を流した。
「蘇生の奇跡は必ず成功するわけではありません。結果が使い手の力量に左右されるのは無論ですが、死んでから長い時間が経っていたり、体の一部が失われたりすると元のように蘇らせることが難しくなります。姫様の場合は……」
「頭、ですか……」
 シャルルはクリスの顔に視線を向けた。行方不明になったプリンセスの首の代わりに胴体と繋がっているのは、悪臭を放つゾンビの頭だった。
「さよう。魂は頭に、心は胸に宿るもの。このいずれかが欠けてしまうと、単に蘇生が困難になるだけでなく、運良く蘇ったとしても、亡くなる前とは別の人間になってしまうかもしれないのです」
「やっぱりクリスの頭を持って帰ってこなきゃいけないわね……それも、できるだけ早く」
「ああ」
 サンドラの声にシャルルはうなずく。世に聞こえた聖人といえども、このままではクリスを蘇らせることはできない。またあの遺跡の奥に行き、打ち捨てられた彼女の首を取り戻さなければならないのだ。
「猊下、俺たちが必ずクリスの頭を持ち帰ってきます」
「そうしてくださいますか、殿下。聖王国の姫君をお救いするのであれば、当然、教会からも手練れの者を同行させなければならないのですが……」
 大主教は申し訳なさそうに言った。
 長引く魔族との戦いの中で、腕利きの騎士や聖職者も各地に派遣され、比較的安全なこの街にはほとんど残っていないのだという。
 もし今、魔族の軍勢が押し寄せれば、この街は容易に壊滅するだろう。自分たち人類が生存の危機に直面していることを、シャルルは改めて実感した。
「大丈夫です。元はといえば俺の責任。必ずこの手でクリスをあの世から連れ帰ってみせます」
「殿下……くれぐれもご無理はなさらぬように。あなた様にも、王家の復興という大切な使命がおありでしょうから」
「王家の復興……」
 シャルルは魔族に滅ぼされた故国を思い出した。守るべき国も姫君も失った自分が、魔族を倒して国を復興させるなど、到底できる気がしない。
 だが、逃げることも許されない。
「姫様のお体は、こちらで大切に預からせていただきます。みしるしがお戻りになったときに備えて、儀式の準備をしておかなくては」
「よろしくお願いします。それではこれで」
 死人となったクリスの身体を預け、一行は大教会をあとにした。向かうは当然、あの遺跡だ。
「さあ、急ごう。早くしないとクリスが本当に危ないからな」
「もう死んでるけどね……」
 ゲオルグの言葉に顔が険しくなるシャルルだが、今は怒って仲間割れをしている場合ではない。準備もそこそこに、速やかに街を離れたのだった。

 ◇ ◇ ◇ 

 夜、大教会に戻ってきたヴァレンティナは、不穏な気配を感じて足を止めた。
「何かしら……嫌な予感がします」
 立ち止まると疲労がずしりと肩にのしかかってくる。朝から郊外の教会に呼び出され、多くの患者に対して治療をおこなってきた帰りだった。癒しの魔法が使えるヴァレンティナは、毎日のように大教会の外で人々のために献身的に働いている。
 治癒魔法の使い手は、多くが激戦地へと派遣されるため非常に数が少ない。それゆえ平和なこの街でさえ、救いを求める民衆を充分に助けることができないでいる。
 特にこの数ヶ月は魔族の活動が勢いを増し、遠方からの難民が急増していた。逃げる途中、怪我や病が悪化して命を落とす者も少なくない。
 今日も三人の患者がヴァレンティナの目の前で命を落とした。若い男が二人と、中年の女が一人。すべての人間を救えるわけではないとわかってはいるが、助けられなかったという事実は彼女の心の重荷となっていた。
(蘇生の奇跡が使える聖女と呼ばれても、現実はこんなもの……)
 ヴァレンティナはこの大教会で唯一、蘇生の奇跡を行える修道女だった。男を入れても、ウェルビー大主教と彼女の二人だけ。
 弱冠十六歳にして最も偉大な神の奇跡を体現したヴァレンティナは、人々から崇敬の念を込めて「聖女」と呼ばれているが、それは等身大の自分の姿からは随分とかけ離れた評価だと彼女は思う。
(人間を蘇らせるなんて、私には無理。成功したのだってほんの数回だし、日頃は怪我した人を治すことさえおぼつかない)
 己の腕の中で体温を失っていく患者を見るたび、自分はなんとちっぽけな存在なのかと打ちのめされるヴァレンティナだった。
 そんな彼女が、ふと立ち止まった。
 教会の中、古びた廊下の向こうに、感じるはずのない邪悪なものの息吹があった。視覚でも聴覚でもなく、肌でその存在を察知した。
(いったいなに? まさか魔族が……)
 とうとうこの街にも魔族が侵入してきたのか。身構えるヴァレンティナに、顔馴染みの修道女が声をかけてきた。
「戻ったのね、ヴァレンティナ。ウェルビー大主教がお呼びよ。すぐに行ってちょうだい」
「ウェルビー様が?」
 ウェルビー大主教はこの大教会といくつもの教区を任されている責任者だ。同時に、蘇生の奇跡を行える聖人でもあるため、死にゆく人々に救いの奇跡を行使することも多い。
 天才の誉れ高いヴァレンティナは、可能な限りその現場に同席して大主教の教えを乞うようにしている。
 先刻から感じている不穏な気配のことも、早く彼に報告しなくては。ヴァレンティナは速足で廊下を進み、奥にある大主教の私室に向かった。
 だが、妖しい感触はますます強くなるばかりだ。それに伴い胸騒ぎも増していく。
 いったい何が起きているのか……焦ってとうとう走り出したヴァレンティナは、一枚のドアの前で停止した。
 大主教の部屋ではない。距離は近いが別の部屋だ。普段は客間として用いられている小さな部屋だった。
 ドアは閉まっているが、たしかに部屋の中に邪悪な気配を感じた。そして……肉か果物の腐ったような不快な臭いも漏れ出してきている。
(ここに不浄なものが潜んでいる)
 疑惑を確信に変えた聖女は、用心深くドアに近づいた。
 廊下には自分の他に誰もいない。人を呼んでくるべきか迷ったが、自分よりも優れた聖職者であるウェルビー大主教が、この異様な兆候に気づいていないはずはない。手を打っているに違いないのだ。それを確かめるためにも、ここに何がいるのかをこの目で見定めなくてはならなかった。
 ドアに手をかけ、力を入れた。古い木の戸が耳障りな音をたてて奥へと開いた。高鳴る鼓動を抑えるのに必死だった。
 最初に意識したのは、むせ返るような死臭だった。腐敗した肉の臭い。顔を手で覆うのを我慢し、涙で濡れた目を室内に向ける。
 部屋の中は暗く、窓から差し込んでくるはずの月光は、白いカーテンによって遮られていた。
 まず視界に捉えたのは小さな木製の卓。その向こうにベッドが一つ置かれていて、臭いの源はその辺りだった。何者かがベッドに腰を下ろしているのが見えた。
「動かないで下さい! あなたは何者ですか」
 いつでも神聖魔法を発動できるように身構えながら、ヴァレンティナはベッドの前、その人物の傍らに立った。
 薄暗い部屋の中でフードを深々とかぶっているため、顔はほとんど見えない。だが体つきから若い女であることはわかった。あちこちに黒い染みのついた白い衣を着たその小柄な女はベッドに座り、微動だにしない。質問には答えず、ヴァレンティナの方を向こうともしなかった。
「答えて下さい。あなたは一体……あっ!」
 相手のフードを剥がし、女と向かい合ったヴァレンティナは息をのんだ。
 そこにあったのは若い女の顔ではなく、死体の頭だったのだ。混濁した目が正面にあるヴァレンティナの顔を見つめ返していた。顔色は薄汚れた土気色で、ところどころ血液らしき紫色の塊がついている。血流が途絶えて小さな虫がたかる顔は、完全に死んでしばらくした者のそれだ。
 死んでいるのか。
 だが女の手足は頭と異なりいささかも腐敗しておらず、血液の流れる瑞々しい肢体を保っていた。
 非常に奇妙なことだった。まるで体を残して頭だけが死んでしまったかのようだ。
 よく観察すると、乾燥してひび割れた唇の隙間から周期的に空気の出入りがある。呼吸しているのだ。
 おそるおそる体に触れると、首を取り巻くようにひとすじの細い線が走っているのが見えた。その線を境にして、生きている体と死んだ首が繋ぎ合わされていた。
 フードを脱がされても女は動かない。焦点のない暗黒の目でただじっと前を見つめるだけだ。ヴァレンティナに攻撃してくる様子はない。無言でベッドに座り、耐え難い悪臭を周囲に巻き散らしていた。
「こんなの普通じゃない……一体どういうこと?」
 教会の聖女と呼ばれる少女は動揺してひとりごちた。
 確かに人間のようだが、生きているのか死んでいるのかもわからない。自然の成り行きでは絶対に起こりえない、邪悪な力による現象としか思えなかった。
「これはおそらく魔術のしわざ……まさかネクロマンシー?」
 話には聞いたことがある。
 悪魔の力を借りた魔術で、死んだ者をこの世に蘇らせることができるのだと。ネクロマンシーと呼ばれる外法のわざだ。
 ヴァレンティナたち教会では、神の力を借りて蘇生や治癒の奇跡を行っている。その代償は愛する者に対する祈りと心。術者の愛と力を捧げ、死者を蘇らせる。
 それに対して、このような暗黒の魔術では人間なり動物なりといった他者の命を代償とすることが多いという。
 また、他人の魂を犠牲にして肉体だけを蘇らせることもできるらしい。この世に蘇った魂のない死体はゾンビやグールといったアンデッドとして、永遠に術者に奉仕するのだ。
 寛容と愛を説く教会が憎むべき邪悪な魔術だった。
「なんと哀れな……あなたはネクロマンシーによってそのようなお姿になってしまったのですね。首から下のお体はまだ生きているようですが……このまま放っておけば、いずれ頭だけでなくお体の全てが死体になってしまうでしょう」
 ヴァレンティナは全てを悟った。なぜ大教会に邪悪な気配が侵入したのか。なぜウェルビー大主教がその邪悪な何者かを放置しているのか。そして、彼が自分を呼んだわけ。
 ウェルビー大主教はこの女を浄化し、もとの人間に戻してやりたいのだ。そのためにヴァレンティナの力を必要としている。それ以外に解釈の余地はなかった。
(そうとわかれば、さっそくウェルビー様のところへ……でも、腐敗してこのような姿になったお方を元のように蘇らせることが、本当にできるのかしら)
 蘇生の奇跡は常に成功するわけではない。ヴァレンティナはこれまで、蘇生の奇跡に失敗した例を数多く見てきた。死んでから長い時間が経過し体が腐り果ててしまった者、遺体の損壊が激しい者、そして術者の力量不足……様々な要因が蘇生の奇跡の妨げとなった。
 邪悪な魔術によって半ばアンデッドになってしまった者を、はたして蘇らせることができるのだろうか。
 半年ほど前、蘇生の奇跡に失敗し、遺族に口汚く罵られたときの光景が脳裏に浮かんだ。若き聖女の評判に期待する患者やその家族は、その期待が裏切られたとわかると手のひらを返して敵対的な態度をとることがしばしばある。
(いくら天才だとか聖女だとか崇められたところで、現実の自分はこんなもの。私は目の前の人を助けたいだけなのに……)
 心の中の葛藤が秘められた力を呼び覚ます。自分の中で何かが高ぶっているのを感じた。
 ヴァレンティナの前に小さな光が出現した。種火よりも弱々しいそれは次第に数を増し、ヴァレンティナとゾンビの女を取り巻いていく。奇跡が起こる前触れだった。
 この女を助けたい。ただそれだけを思った。
「大いなる造物主、我らが神よ……」
 ヴァレンティナの唇からひとりでに声が漏れた。少しずつ身の回りの光が強くなっていく。
 奇跡が起こるのは神がそうと決めたとき。ヴァレンティナはそう考えている。ヴァレンティナの体を媒体として奇跡を起こすのは神の意志であり、自分ではない。奇跡を起こすか否か、いつ起こすのかは自分の意思では決められないのだ。
「この哀れな魂を呼び戻し、浄化せん……」
 狭い部屋が光で満ち溢れ、此岸と彼岸の境となる。己が生や死といった概念を超越し、それらを自由にする存在になっていることを聖女は自覚した。それは自分が自分ではない別のものになることを指す。
 今のヴァレンティナは神。もはや失われた造物主だった。
「蘇れ。新たな生を授けよう」
 神の言葉をかけられた死人の顔が光に覆われ、再生が始まった。
 腐り、ところどころ骨が露出した頬を新しい肉が覆い、その隅々まで血が行き渡る。混濁した角膜がみるみるうちに透き通り、白目と黒目の境界が明確な眼球を再形成する。折れて抜け落ちた歯が生えかわり、厚い唇に覆い隠された。
 新しく生まれた骨と肉と血管の中を、見えないほど小さな何かが埋め尽くしているのがわかった。生命の基本的な要素であるそれが何なのかをまだヒトは理解していないが、人でなくなったヴァレンティナは知っていた。
 一時的に神となったヴァレンティナの目は、その驚くべき変化の全てを捉えていた。
 頭蓋骨の中で生まれた無数の白い筋……神経の束が勢いよく伸び、絡み合い、脳という複雑な連絡網を形作る。頭蓋骨の内部を満たした神経線維の束は頭部の外にも先端を伸ばすと、顔や皮膚、そして首の境目……新鮮な肉と腐肉の連結部にある脊髄の断面に結合する。
 開通したばかりの神経を微弱な電流が走り、少女の手足が小さく痙攣した。かつてクリスティーヌと呼ばれたか細い肢体の所有権が、チャダのものへと書き換えられた瞬間だった。
「私を信じる聖王国の第一王女、クリスティーヌ・マリー・フォン・サンノーブル。そしてボノバ族の戦士、チャダ……許そう、ひとつになるがいい」
 聖王国の十七歳のプリンセスと、四十歳で命を終えた子持ちの女戦士。二人がこれまでにどんな生を歩んできたか。
 ヴァレンティナの姿をした神霊はその全てを知ったうえで、この頭をこの肉体と融合させることを決めた。
 チャダの脳から放たれた神経がクリスティーヌの脊髄を介して、王女の四肢や内臓を支配する。
 一方、クリスティーヌの骨髄から生み出された王家の血が動脈を通ってチャダの頭に供給され、再生したばかりの脳髄が活動を開始する。女戦士の脳が若く高貴な姫君の血液で満たされると、そこにチャダの魂が舞い戻った。
 それは既に生ける屍ではなく、ひとつの人体として生まれ変わっていた。
 首から下は、小柄で華奢なうら若き十七歳の聖女。そして首から上は、癖のある短い黒髪と、幅の広い鼻や額を有する褐色の肌の中年女。
 誰もが敬愛する聖王国のプリンセスの肢体に、その聖王国で蛮族扱いされる子持ちの女戦士の頭部が結合していた。
 奇跡はそこで終わり、ヴァレンティナの周囲から光が消えた。
 急速に自分を取り戻していくのを聖女は感じた。空に舞い上がってしまいそうな浮揚感は消え去り、体重が細い両脚にかかる。部屋がもとのように薄暗くなり、あとには二人の人間だけが残された。
「うう、頭が痛い……うまくいったの?」
 突然襲いかかってきた頭痛とめまいに耐え、ヴァレンティナは踏みとどまった。
 この世で最も偉大な蘇生の奇跡は、行使する者の気力と体力とを根こそぎ奪う。ウェルビー大主教ほどの上位の聖職者であっても、日に何度と行えるものではない。天才とはいえ若輩のヴァレンティナであれば、尚更、体にかかる負担は大きかった。
 視界が歪み、呼吸が荒くなるが、倒れるわけにはいかなかった。まだ奇跡の成果を見届けてはいない。
 己が願った奇跡は成功したのか、それとも失敗したのか。
「おい、あんた……あんた」
 ふと聞こえてきた声に、ヴァレンティナは歓喜した。攪拌された視界の中で、死んでいたはずの女が声を発していた。蘇生はうまくいったようだ。
「よかった……」
 自分のつぶやきを聞きながら、ヴァレンティナはその場に崩れ落ちた。最後に彼女の五感が捉えたのは乱暴に開け放たれるドアの音と、そして部屋の中に飛び込んできた男が放った驚きの声だった。

 ◇ ◇ ◇ 

 二度目の進入は思っていた以上に楽だった。道中の魔物は大半が既に討伐されており、シャルルたちはほとんど武器を振るうことなく、洞窟の奥にある遺跡の入口に到着した。
 復讐に燃えるシャルルたちを出迎えたのは、クリスを殺害したあの機械兵の群れだった。
 初めて戦ったときは苦戦し、犠牲者を出した恐るべき古代の兵隊。
 だが、その強敵とどう戦うべきか、今のシャルルたちは答えを見つけ出していた。
「雷よ! 頑なな者たちを貫け!」
 サンドラの手から一条の雷光がほとばしり、巨大な機械兵の身体を貫通した。高い防御力を誇る巨人の表面はほとんど傷ついていないように見えたが、意外にもそれきり動きを停止し、煙をあげて倒れてしまう。
「思った通りね! こいつらは雷に弱い!」
 サンドラは細い指をぴんと立て、得意げに言った。事前の予想通り、どうやらこの機械兵たちは雷が弱点らしい。
 シャルルは昔、城に勤めていた学者から聞いたことがあった。古代文明の遺物は大部分が金属でできているため、雷をよく通すのだと。
 前回は魔物の群れを相手に魔力を消耗して満足に撃てなかった電撃の魔術が、準備万端の今のサンドラは好きなだけ使える。頼もしいのひとことだった。
「クリスの仇っ!」
 魔力を帯びたシャルルの剣が、別の機械兵を一撃で斬り伏せた。
 サンドラに頼んで雷の魔術を刀身に付与してもらったため、斬りつけた時点で機械兵の全身に電撃が広がる。これで倒したはずの敵が再び起き上がって攻撃してくることもない。
 敗北の苦汁をなめたシャルルたちは短時間で学び、考え、そして成長していた。
「雷よ! 天空の神よ! 天と地を結ぶ稲光よ!」
 調子に乗って魔術を連発するサンドラのおかげで、およそ十機ほど襲来した機械兵は、その全てが撃破された。対するシャルルたちの被害はほとんどない。完膚なきまでに打ちのめされた、以前の戦闘が嘘のようだった。
 前回のような奇襲がないよう、倒した機械兵がもう動かないか、念入りに確認することも忘れない。
「あらかた倒したみたいだな。じゃあ、クリスの頭を捜そう。この辺にあるはずだ」
「あったわ……これよ」
 ゲオルグの声はどことなく嬉しそうだった。見ると、その腕の中に金色の塊がある。金色の髪を持つ聖王女の生首だ。
「クリス!」
 シャルルは慌てて駆け寄った。ゲオルグの腕に抱かれたクリスの顔は、驚きに目を見開いたまま固まっていた。おそらく即死したのだろう。腐敗はさほど進んでいないが、開きっぱなしの瞳は濁り、左の頬には、皮膚の下で固まった血が紫の染みを形作っていた。繊細な美貌が台無しの死相だった。
「クリス……クリス……」
 シャルルはプリンセスの頭を抱いて涙したが、いつまでも悲しんでいるわけにはいかない。早く街に戻って蘇生させなくては。
「ちょっと待ちなさい……」
 浮き足だつシャルルを止めたのはゲオルグだった。
「どうした、ゲオルグ。早く街に戻ってクリスを生き返らせないと」焦りのあまり苛立ちが声に出てしまう。
「お姫様を生き返らせるのはいいけど……今、あの体に繋いでる頭はどうするの?」
「あ……」
 シャルルは失念していた。首を失ったクリスの体に見知らぬ女戦士の頭を繋ぎ、仮死状態を保っていることを。
「お姫様の頭を持って帰って、体に繋いで生き返らせるでしょ……あの頭はどうするの?」
「どうするって……もうあの人は死んでるんだから、首はクリスの体から切り離したあと、きちんと供養して……」
「利用するだけして、用済みになったらゴミとして捨てるの……? あの女の人のカラダはここにあるじゃない……ついでに生き返らせてやったらどう? そう都合よく生き返るかはどうかはわからないけど……」
 ゲオルグが指し示した先には、鎧を身に着けたボノバ族の女戦士の首なし死体があった。彼女は死んだ後、クリスのために首を切り落とされたのだ。
 ゲオルグの提案は意外だったが、珍しくシャルルも自然に賛同できるものだった。
 見ず知らずの女とはいえ、これも何かの縁だ。生き返らせることができる保証はないが、可能であれば蘇らせてやりたい。用済みになったら見捨てるのかと非難されるのも心外だった。
「それもそうだな。蘇生ができてもできなくても、この死体をここに放っておくのは気分が悪い。でも、どうやって持って帰ろうか。かなりでかいぞ、この人」
 シャルルは女戦士の死体を観察した。戦士らしく大柄な女で、身長はシャルルと同じかそれ以上だ。そのうえ重い金属鎧を装備しているため、抱えるのはおろか、引きずって帰るのもひと苦労だろう。帰りにまた魔物や機械兵に襲われる可能性を考えると、この死体を持って帰るのは極めて困難だ。
「そんなの簡単よ……こうしたらいいの……」
 ゲオルグはシャルルの手からクリスの頭を奪い取ると、それを首のない女戦士の死体にあてがった。
「お、おい、何をするんだ。まさか……」
 このあとの展開を予想して狼狽するシャルル。うろたえる彼を尻目に、屍術師はネクロマンシーの呪文を唱えはじめた。
「冥界の王よ、我に力を……この者に永劫の苦痛と命をもたらしたまえ……」
 一度は見届けた、ゾンビを作り出す邪悪な儀式。それが再び、シャルルの眼前で執り行われた。
 青白い光に包まれ、女戦士の体はかりそめの命を吹き込まれる。腐り果てた手足がゆっくりと動き、その場に立ち上がった。
 やはりシャルルよりも上背があり、全身が筋肉の塊といった印象を受ける。腕も脚も、クリスの胴体ほどの太さがありそうだ。生前はさぞ力自慢だっただろう。
 女戦士の失われた頭と挿げ替えられたのは、きらめくような金髪が自慢の姫君の首だった。
 クリスの頭と女戦士の巨体。白い肌と暗褐色の肌とが首の中ほどで融け合い、腐りかけの肉と腐りきった肉が繋がっていた。
「頭も体も両方持って帰るのなら、こうするしかないでしょ……? 聞け、私に従え、命令を与える……」
 主人であるゲオルグの命令を与えられ、直立したままの女戦士……いや、クリスティーヌが無言でうなずいた。
 人々から崇められる聖王国のプリンセスは、今や犬猿の仲だったはずの屍術師のしもべに成り下がっていた。
「これでいいのかな、サンドラ……?」
「他に手があるわけじゃないし、仕方ないんじゃないかしら。でも……」
「でも?」
 シャルルは黒いローブに隠されたサンドラの横顔を見た。常に明るくひょうきんもののサンドラらしくない、深刻な表情だった。
「あたし、ゲオルグの前じゃ死にたくない。もし死ぬのならゲオルグが先じゃないと安心して死ねないわ、きっと」
 その言葉にはシャルルも同感だった。
 とにかく、無事にクリスの頭部を回収した一行は、速やかに街に戻ることにした。途中、わずかながら魔物が襲ってきたが、すべてシャルルたちに撃退された。
 驚くべきは、女戦士の体になった故・クリスティーヌの活躍だった。
 シャルルよりも大柄で全身が筋肉の塊と化したクリスは、ゲオルグの命に従って斧を振るい、魔物たちを片っ端からぶった切った。巨大な斧を振り回して魔獣の胴体に強烈な一撃を叩き込むボノバ族の女戦士の肢体を動かしているのは、杖より重い物を持ったことがない聖王国の姫君の頭部だった。
「ふふふ、素晴らしいわ……どう? 私のネクロマンシー、役に立ってるでしょう?」
 ゲオルグはご満悦だったが、シャルルは複雑な思いだった。
 非力で守ってやりたくなるプリンセスの頭を、よりにもよってあんな筋肉ダルマの体に繋げるなんて。一刻も早くクリスの頭をあの巨体と切り離して、元の姿に戻してやらなくてはならないと思った。
 さしたる障害もなく地上に出たシャルルたちは、クリスの体が保存されている街の大教会へと急いだ。
 ところが、思いもよらぬ事態が一行を待ち受けていた。
 大教会に到着したシャルルたちを迎えてくれたのはウェルビー大主教だった。出立を見送ってくれたときとはうってかわって困惑した様子の彼を、シャルルは不審に思った。
「ただいま戻りました、大主教猊下。この通りクリスの頭を持ち帰りましたが、その、余計なものもついておりまして……」
「おお、姫様……おいたわしや。そのお姿はまさか……」
「はい。クリスの頭に繋げたのは、クリスの体に繋げた女戦士の頭の、体の方です。不本意ながら、このようにゾンビにして連れて帰りました」
 クリスの白い肌とはまるで異なる、常に日焼けしているような色の肌を持つ蛮族の女戦士の肉体。その首が聖王国の姫君のものに挿げ替わっていた。その変わり果てた姿を見た大主教の落ち込みようは、見ていて痛ましいほどだ。
「約束通り、これでクリスを生き返らせてくださいますね?」
「そうしたいのは山々なのですが、それが、その……」
 大主教の煮え切らない態度に、シャルルは異変が起こったことを感じ取った。
「何かあったのですか?」
「はい。実は、こちらでお預かりしていた姫様のお体が……」
 と、そこでドアが開け放たれ、二人の女が部屋に入ってきた。片方は大教会の聖職者が着る黒を基調にした法衣を身に着けた若い女で、歳はシャルルたちと同じくらいか、あるいは少し年下かもしれない。十代半ばと思われる修道女だった。
 そしてもう一人は、少数民族の特徴である暗い色の顔の、小柄な中年女だった。にやにや笑いを見せながら、大股でこちらに歩み寄ってくる。
「あんたたちが、あたしを助けてくれたのかい? 礼を言うよ。あたしはチャダ」
「ええっ !? あ、あんたは……」
 チャダと名乗った中年女の顔に、シャルルは度肝を抜かれた。その顔はあの遺跡で見た死体の女戦士のものだったのだ。
 チャダは、自分が斧を振るう傭兵として街の商人ゴンザレスに雇われ、あの遺跡に潜入したことを語った。そして魔物の群れに襲われ、奮闘空しくゴンザレスに見捨てられて死んでしまったことを。
 そんな話は、シャルルの耳にはほとんど入ってこなかった。シャルルの関心は、チャダの奇妙な外見に向けられていた。
 チャダの首から上と首から下は、まるで別人のようだった。
 顔は墨で塗りつぶしたような色だが、手足や首元など、顔以外の素肌は透けるように真っ白できめ細やかだ。傷だらけの中年女の顔の下に、傭兵とは思えない繊細な四肢を有する少女の体があるのは非常に奇妙に思われた。対照的な肌の色の境界が、首を横切るように真っすぐな線になっていた。
 チャダがその身にまとう聖王国の紋章があしらわれた上品な純白の衣に、シャルルは見覚えがあった。
 いや、見覚えがあるどころではない。それは……。
「あんた、生き返ったのか! じゃあ、まさかそれはクリスの体なのか !?」
 目を剥いてチャダを問い詰めるシャルル。常に彼に寄り添ってくれていたプリンセスの服、そして白魚のような指、抱きしめたくなるような細身の体……今、それらを所有しているのは、シャルルたちが死体で発見した中年の女戦士だった。
 やむを得ない事情から、クリスの首なし死体に、たまたまそばで死んでいたチャダの頭を繋げてゾンビにした。そしてネクロマンシーの操り人形となった彼女を一時的にこの大教会で預かってもらい、あとでクリスの頭と挿げ替えて蘇生させるつもりだった。
 だが、これは予想しなかった異常事態だ。まさか、クリスの体がチャダの頭を繋げたままで蘇るとは。
 チャダは己の可憐な両手を見下ろし、肩をすくめた。
「よくわからないけど、そうみたいだね。あたしもびっくりしたよ。あの遺跡で死んだと思ったら、まさかこんな姿になって生き返るなんてねえ。まったく、世の中わからないもんだ」
「そんな……どうしてこんなことに……」
 肩を落とすシャルルに、チャダと一緒に入ってきた少女が涙を流した。
「私のせいです……私が奇跡の力を制御できなくて……」
「あなたは?」
「私はヴァレンティナ。ご覧の通り、この教会で働く女です」
「この娘は才能豊かでしてな」ウェルビー大主教が話に割って入ってくる。「先にお話ししたように、今、この大教会で蘇生の奇跡を行使できる者は二人だけです。私の他に奇跡を行えるただ一人の人間が、このヴァレンティナなのです。神に愛されているのでしょう……日頃から市井の人々のため、癒しの奇跡を施してまわっている立派な娘です」
「そうでしたか。でも、どうしてあなたのせいだなんて言うんです?」
「実は……」
 ヴァレンティナはチャダを蘇生したときの話をつぶさに述べた。畏れ多くも神の御霊がヴァレンティナの肉体に宿り、クリスの体とチャダの頭をそのまま一人の人間として蘇らせてしまったという。
「そんな……別人の体と頭なのに」
「私たちも困り果てていますが、あれは間違いなく神のご意思。我々迷える子羊にはどうすることもできません」
「じゃあ、こっちのクリスはどうなるんですか?」
 サンドラがヴァレンティナに問うた。
 成人女性として平均的な体格のサンドラの隣には、彼女と頭一つ分は身長差のある巨体が突っ立っていた。武骨な鎧を身にまとい、巨大な斧を手にしたボノバ族の女戦士。その肩の上にクリスの頭が載っていた。
「姫様も、そのお姿のままで蘇らせて差し上げるしかないでしょうな……うまくいくかどうかわかりませんが」
「チャダさんの首を斬って、クリスの頭と挿げ替えたらいいんじゃない? どうせあとで生き返るんだし、ちょっとくらい死んでも大丈夫でしょ」
「何言ってるんだ !? あたしはそんなの、ごめんだよ!」
 チャダは大げさに震え上がった仕草をして拒絶の意思を示した。
 無理もないことだ。生きたまま首をはねると言われて了承する人間は、よほどの物好きか自殺志願者くらいだろう。いくらあとで生き返らせると言われても、確実に成功するわけではない以上、抵抗を感じて当然だ。
「それにヴァレンティナの話によると、神はあえてチャダさんを姫様の体で蘇らせることを選ばれたのだとか。そんな彼女を我々が殺害しては、どんなお怒りが待っていることか。再び姫様を蘇生させるのも難しくなりましょう」
「神様はいったい何を考えてやがるんだ !?」
 シャルルは声を荒げた。仲間としても異性としても大事な姫君の体を、赤の他人の中年女に好き勝手されるなど、彼には耐え難いことだった。
 しかし、ウェルビー大主教もヴァレンティナも、他に方法はないと主張した。
「とにかく、今から姫様を生き返らせるための儀式を始めましょう。元のお体に戻る方法は、そのあとで考えてもよろしいかと」
「仕方ない……よろしくお願いします」
 今はクリスを生き返らせるのが最優先だった。一同はクリスの巨体を寝台に横たえ、蘇生の儀式を始めた。
「これが死んだあたしの体かい? あちこち腐って虫がたかっちゃって、酷いありさまだね」と、動揺した様子のチャダ。元の自分の肉体を前にして、彼女も平静を保ってはいられないようだ。
「生き返る前は、あなたの顔もこんな感じだったんですよ」
「ぞっとしない話だ。やっぱり人間、死にたくはないもんさね」
 遠巻きに儀式を見守りながら雑談にふけるチャダとサンドラに、シャルルは一瞬、視線を向けたが、すぐにクリスに向き直った。
 クリスの顔は変わらず驚きに目を見開き、口を半開きにしたまま硬直していた。悪夢としてシャルルの記憶に深く刻み込まれたデスマスクだ。
「ウェルビー様、奇跡は私が行いたいと思います。どうかお力添えを願えますか?」
 クリスの前に立ったのはヴァレンティナだった。まだ若い聖女のその引き締まった表情からは、クリスを助けたいという強い意志を感じた。
「良いのか? チャダさんの魂を呼び戻したばかりで疲れているだろう。万が一にも失敗すれば……」
「いいえ。姫様のお体をチャダさんのものとして蘇らせたとき、神のご意思を感じたんです。姫様の御霊にも同じように新たな命を授けるという、強いご意思を」
「そうか……ならば、神のご意思をその身で体現するがいい」
 話がまとまり、ヴァレンティナは目を閉じて祈りはじめた。
「大いなる造物主、我らが神よ。この哀れな魂を呼び戻し、浄化せん……」
 シャルルは初めて目にする蘇生の奇跡に驚かずにはいられなかった。
 まばゆい光がヴァレンティナを包み込み、教会の聖女は一時的に神の魂をその身に宿した。無力な人間たちの前に降臨した造物主は、腐り果てた蛮族の女戦士の肉体を、一瞬のうちに生前の姿そのままに作り直してしまった。
 そして、死せるクリスの頭も元の美貌を取り戻す。
「う……わたくし、どうしたのでしょう……シャルル?」
「クリス!」
 目覚めたクリスに飛びつくシャルル。強く抱擁したら折れてしまいそうな王女の肢体は、鋼のように引き締まった女戦士のそれに変わり果てていた。まるで別人のような硬い感触だ。
 しかし、クリスが生き返った喜びに比べたら、そのような違和感など些細なことだった。
「クリス、よかった! よかった……」
「わたくし、長い夢を見ていたようです」クリスの表情は穏やかだった。「暗くて冷たい洞窟の中で、ずっとさまよっておりました。どうしたらいいかわからなくて……でも、シャルルが助けに来てくださいました。やはり、あなた様はわたくしにとって運命の王子様ですわ」
「クリス、すまなかった。君を守ってやれなくて……」
「いいえ、詫びる必要はございません。こうして帰ってくることができましたから。ところで……」
 そこでクリスは言葉を切り、著しい変貌を遂げた自分の体を見下ろした。鋼のような体躯を有する女戦士の体が、王女の眼下にあった。
「わたくしの体、どうなってしまったんですの? この格好……」
「生き返らせるときに色々あってね。今のお姫様は、あたしと体が入れ替わっちまったのさ」
 顔はそのままだけどね、と説明したのはチャダだった。
 首から下が十七歳の可憐な姫君の体になった女戦士と、首から下がたくましい女戦士の体になったプリンセスが向かい合った。二人の体格差はまるで大人と子供のようだった。
「そうでしたか。それはご迷惑をおかけしました。ウェルビー大主教にも、わたくしが生き返るのにお力添えをいただいて……お礼の言葉もございませんわ」
 意外にも、自分の体が別人のものになったと聞かされても、クリスは大してうろたえなかった。
 そんな聖王女に対して、大主教は体が折れそうなほどの勢いで、何度も何度も頭を下げた。
「申し訳ございません! 私がついていながら姫様をそのようなお姿にしてしまい……全て、この私の責任です!」
「違います! ウェルビー様は何も悪くないんです! 今回のことは私が……」
 二人そろって己の責を主張するウェルビーとヴァレンティナに、クリスは寛大に首を振ってみせた。
「いいえ、何も気になさることはございませんわ。皆さまのご尽力のおかげで、わたくしはこの世に舞い戻ることができたのです。たとえ体が違うお方のものであっても、人の生死や神のご意思に比べたら大したことではありません。クリスティーヌ・マリー・フォン・サンノーブルの名において、皆さまに限りない感謝の言葉を申し上げますわ。本当にありがとうございました」
「クリス……」
 明るい笑顔で礼を述べるクリスの姿に、シャルルも自然に顔がほころんだ。今回は大変な目に遭い、いまだ全ての問題が解決したわけでもなかったが、クリスが帰ってきたというだけで全てがうまくいったような錯覚を抱いてしまう。
 やはり、シャルルにはクリスが必要だった。たとえ姿が変わろうと、クリスはクリスだ。
 今はなき王国の王子はクリスと同じ表情を浮かべて、筋骨隆々のプリンセスを力いっぱい抱きしめた。

 ◇ ◇ ◇ 

 その日の戦闘は午後だった。
 次の街へと急ぐ一行の前に魔物の群れが現れたのだ。
 魔族に率いられた正規の部隊ではなく、半ば野生化した魔獣の群れだった。知性の乏しい下級の魔物たちといえど、数が集まれば旅の商隊や小さな村を襲うこともある。
 多いときは一日に数回、少ないときでも二、三日に一度はそうした魔物の群れに遭遇し、撃退するのがシャルルたちの日常だ。
「俺が敵を引きつける!」
 そう叫んで、勇躍、魔物の群れに飛び込むシャルル。彼の役目は敵の注意をひくことにあった。
 袋叩きにされないよう注意しながら前線で剣を振るい仲間の援護を待ったり、味方の盾となって敵の攻撃を引き受けたりする。
 いつ命を落としてもおかしくない危険な役割を、シャルルは旅を始めたときから自ら買って出ていた。たとえ国は滅びても、それが王家の人間の務めだと自らに言い聞かせている。
 襲いかかってきた魔物は全て同じ種族で、牛と獅子の中間のような姿をしていた。その巨体から繰り出される一撃は人間の体など易々と粉砕してしまううえに、パワーだけではなくスピードも兼ね備えていた。避け損なえば、手練れの戦士といえどもただでは済むまい。
「いくぞ!」愛用の剣で宙に描いた軌跡が、強烈な斬撃となって四つ足の魔物の体を切り裂いた。
「炎よ! 邪なるものどもを焼き払え!」
 シャルルの剣でひるんだ魔獣を、サンドラの放った火炎が焼き尽くす。二人の連携はパーティーの中で随一だ。
 だが、敵も数が多い。一体を仕留めたと思ったのも束の間、死角から新たな一体がシャルルに襲いかかってきた。
「しまった!」咄嗟に体をひねったものの、完全には避けきれず悲鳴をあげて地面に倒れるシャルル。
 自分の体重の数倍はある魔獣の一撃は、鎧の上から彼の肋骨を何本かへし折っていた。一瞬、呼吸ができなくなって悶えるが、血に飢えた魔獣はその隙を逃しはしない。
「シャルル!」
 サンドラの引きつった声を聞きながら、シャルルは自分の視界を覆う魔獣の姿に見とれていた。
 一瞬が数十倍に引き伸ばされ、迫りくる敵の動きがやけにゆっくりと感じる。感覚では捉えていても、傷ついた彼の体に対処する力はない。シャルルは避けることも受け止めることもできず、その魔獣の一撃が自分の命を奪い去るのを待った。
 だが、鋭い爪がシャルルの心臓を鎧ごとえぐり取る寸前、側面から何かが飛び込んできた。
「ええいっ!」
 やや緊張感の欠けた雄叫びをあげ、魔獣に負けず劣らずの巨体が、両手持ちの長大な戦斧を魔獣の胴に叩きつけた。丸太ほどもある両腕が力任せに繰り出す斬撃は凄まじいのひとことで、たった一撃で敵を物言わぬ肉塊に変えた。
「クリス、ありがとう!」
 シャルルは咳き込みつつ、助けてくれた相手に礼を言った。
 筋骨隆々の巨体を革の鎧とベルトで覆った濃い褐色の肌の女戦士。その名をクリスティーヌ・マリー・フォン・サンノーブルという。汗をかいて光る肉体美の上で、さらさらの金髪を持つ優雅な姫君の顔が穏やかな笑みを浮かべた。
「こちらはわたくしが引き受けますわ! シャルルは今のうちに傷の手当てを!」
 巨大な斧を両手で構えて、シャルルに背を向けるクリス。以前はシャルルがクリスを守る立場だったのに、今やそれが逆転していた。
 不甲斐ない自分に腹を立てていると、白い衣を着た少女がシャルルに駆け寄ってきた。
「殿下、大丈夫ですか? 今、治します」
 と、癒しの奇跡で傷を治してくれるのは、先日、パーティに加わった修道女のヴァレンティナだ。
 一行の中で一番年下の十五歳でありながら最上級の神聖魔法である蘇生術を行使でき、かつてのクリスティーヌ同様、民衆から聖女と崇められる娘だった。その回復魔法のおかげで、たちまちシャルルの体は全快した。
 傷を治したシャルルが再び前に出ると、既にサンドラとゲオルグの活躍で敵はあらかた片づき、クリスが最後に残った一体の魔獣と取っ組み合いをしているところだった。クリスの両腕は魔物の首をがっちりと押さえていたが、牛のそれを太く長大にしたような魔獣の鋭い角がクリスの脇腹に突き刺さっていた。
 果たして大丈夫なのか。
 接近戦のため魔術の援護ができず仲間たちが見守る中、加勢しようとシャルルが動いたその刹那、
「ううううんっ! えい、やあっ!」
 可愛らしい掛け声をあげ、クリスがけむくじゃらの巨体を投げ飛ばした。決して浅くはない傷を受けつつも、クリスの豊かな筋肉は新しい持ち主のために限界ぎりぎりの力を発揮し、恐るべき魔獣に地を舐めさせた。
 そこにシャルルが斬りかかり、最後の一体を討ち果たす。
「クリス、その怪我……早く手当てを!」
「大丈夫です。大したことはありませんわ……」
 言葉とは裏腹に、クリスの脇腹に丸く開いた穴からは止めどなく血が流れ出し、顔色が真っ青になっていた。屈強な女戦士の体といえどもかなりのダメージだ。
 ヴァレンティナに治してもらうまでの間、クリスはずっと唇を噛み、傷の痛みと失血による意識の希薄化に耐えていた。
「それにしても、すっかりいっぱしの戦士になっちゃったわね、クリス。毎日、生傷が絶えないわ」
 そう述べたのは女魔術師のサンドラだ。
「ええ、そうですわね。でも、今のわたくしは魔法が使えませんから、その代わりにこうして皆さんの盾とならなくてはなりません。役割は違えど、皆さんのために力になれるのはとても嬉しいことですわ。それに、以前はシャルルに守ってもらってばかりでしたけれど、今はシャルルと肩を並べて戦えますから」
「そう……本当にいい子ね、クリスは」
 迷いなく答える元聖女に、サンドラは半ば呆れ、半ば感心したようだった。
「よし、少し休んだら出発しよう。できたら日暮れまでに街に着きたいからな」
 リーダーであるシャルルの発言に、女たちは揃って賛同の声をあげた。戦士、魔術師、屍術師、修道女。ひとり増えて賑やかになった一行を率いて、亡国の王子の旅は続く。

 街に着いたときには、既に夜になっていた。酒場で簡単な食事を済ませ、五人分の宿をとり、宿の風呂で汗を流した。
 物資の補給は翌日にすることにした。この辺りは魔族との戦闘が比較的少ない地域のため、少なくとも街の中は安全で、買い物に困ることもない。旅はすこぶる順調だった。
 深夜、狭い宿の一室でシャルルがくつろいでいると、控えめにドアをノックする音がした。
「シャルル、よろしいですか?」
 了承の返事を待って、巨体が部屋に入ってくる。聖王国の王女の頭部を有する中年の女戦士が薄暗い部屋の入口に立ち、シャルルを見下ろした。
「待ってたよ、クリス。さあ、おいで」
「はい」
 シャルルの差し出した手をとり、クリスはベッドに腰を下ろした。布の服を脱ぎ捨て、筋肉質の女体が月の光に照らされる。昼間、牛よりも大きな魔獣を投げ飛ばしたクリスの褐色の体が、一糸まとわぬ姿になって王子と身を寄せ合った。
「今日も大変だったな。でも、クリスのおかげで助かったよ。本当にありがとう」
 抱き寄せて優しく接吻すると、クリスは気品ある美貌を朱に染めた。
「シャルルの力になることが、今のわたくしの使命です。あなたのためでしたら、この命を投げ出しても惜しくはありませんわ」
「それは困る。クリスは絶対に死んじゃダメだ。たとえ、どんな姿になっても生きていてほしい」
 シャルルはクリスの鋼の肉体を撫で、自分がどれほど彼女を愛しく思っているかを語った。
 魔族との戦が続くこの戦乱の世では、自分も彼女も明日にはいなくなってしまうかもしれない儚い存在である。それでも、クリスは絶対に死んではいけないと強く思った。
「クリス……」
「ああ、シャルル……わたくしの王子様……」
 感情の昂ったクリスはシャルルの身体を横たえると、その上にのしかかった。頭と足が反対になる方向で重なった男女は、お互いの股間に手を伸ばし、愛の営みを開始する。
「すごい。シャルルのおチンポ、こんなにそりかえって……」
 可愛らしい驚きの声をあげるクリスの股ぐらに鼻先を突きつけながら、シャルルは確かに勃起していた。
 たとえ頭が聖王国の王女のものでも、その首から下はボノバ族の戦士の体である。四十を超えた子持ちの中年女の体臭は、入念な湯浴みによっても完全に消し去ることはできなかった。剛毛の生い茂った陰唇の放つ臭いを嗅ぎ、亡国の王子はペニスを硬くした。
 どう考えても、女として抱くのであれば今のクリスよりもサンドラやゲオルグ、ヴァレンティナの方が魅力的だろう。全身に傷跡の残る蛮族の傭兵……しかも間近でよくよく見れば、二人の子供を産んでスタイルの崩れた中年女の体だ。本来であれば、シャルルが惹かれるはずがない。
 しかし、その醜い肢体を所有しているのがクリスティーヌ・マリー・フォン・サンノーブルであれば話は別だ。
 自分のためにその身を投げ出し、常に尽くしてくれた姫君の頭がその体に繋がっているのであれば、シャルルは蛮族の女戦士どころか、たとえ男の体でも、魔物の体でも抱いてやれる自信があった。
「シャルル、気持ちよくしてさしあげます」
 屈強なプリンセスはシャルルの勃起を握りしめると、おそるおそる口に含んだ。たどたどしい舌づかいで亀頭を愛撫するクリスの姿に、シャルルの下腹がますます熱を帯びる。
 こうした知識をどこで仕入れてくるのか疑問だったが、どうやら時おりサンドラに吹き込まれているらしい。
 姿形の変わり果てたクリスに、パーティの仲間たちは以前と変わらぬ絆を保ってくれている。それもまた喜ばしいことだった。
「ああっ、クリス、たまらないよ。あのクリスが俺のチンポをくわえてるなんて……ううっ、ああっ」
 魔獣にも匹敵する巨体の重みを感じながら、シャルルは果てた。クリスの小さな口の中にねばねばした樹液をぶちまけ、慣れない様子の王女に嚥下させる。
 可憐な唇の端から自分の精を滴らせるクリスの顔を見ていると、たちまち陰茎が活力を取り戻した。シャルルは四つんばいになったクリスの尻を持ち上げ、挿入を準備する。
「クリス、いいかい?」
「もちろんですわ、シャルル。あなたのが欲しい……」
 媚びるようなクリスの横顔に鼻の下が伸びるのを自覚しつつも、シャルルは彼女を貫くのを踏みとどまった。充血した竿の先端を陰唇に押し当て、入りそうというところで引っ込める動作を繰り返す。
「ああ、シャルル、焦らさないで。早く、早くしてくださいませ……」
「もっとおねだりしてもらっていいかな、クリス? 俺、いやらしい言葉でおねだりするクリスが見たいんだ」
「そ、そんな……」
 意地悪な王子の要求に、聖王国の第一王女は涙を流したが、やがて大きな尻を下品に振りはじめた。
「ど、どうかこのはしたない牝豚に、お慈悲をくださいませ。二人も子供を産んでユルみきった、このだらしない豚の穴に、シャルルのたくましいおチンポをぶち込んでください……」
 最高だった。人々から敬愛される聖女にこんな娼婦のような言葉を吐かせたのは、この世で自分だけに違いない。墓の下まで持っていくべき二人だけの秘密だった。
「クリス、愛してるよ」
 甘く囁き、シャルルはクリスの中に分け入った。子持ちの四十女の膣ではあるが、鍛えられた戦士の体だからか、締めつけはなかなかきつい。ペニス全体を包み込んでくるかのような肉壺の感触を味わいながら、二度、三度と中を往復する。
「ああっ、シャルル、シャルル……」
 クリスはベッドに顔を押しつけ、艶めかしい声をあげて悶えた。色の濃い体をはしたなくくねらせ、腰を振ってセックスに熱中する聖女の痴態を、シャルル以外は誰も知らない。窓から差し込む月明りを浴びた繊細な金髪がきらめき、シャルルの目を楽しませた。
 聖王国のプリンセス、クリスティーヌ・マリー・フォン・サンノーブルの首に繋げられた、ボノバ族の女戦士、チャダの肉体。二人の子を産んだ四十女の体が、亡国の王子に犯されて歓喜していた。
 シャルルのペニスをくわえ込んだチャダの肉壺が、クリスティーヌを喘がせる。
 本来であれば若く瑞々しい十七歳の聖女の身体で王子と交わっていたはずのプリンセスが、今は子持ちの中年女の肢体でシャルルのペニスを堪能していた。
「シャルル、素敵ですわ。もっと激しくしてくださいませ。ああっ、あんっ」
「いやらしいな、クリスは。こんな子持ちのおばさんの体になって、恥じらいをなくしたのか?」
 シャルルはクリスの腰をわしづかみにして、陰茎を奥までねじ込んだ。笠の先が子宮の入口を圧迫し、心地のいい感触をもたらした。
「ああっ、それ、いいです。そこをグリグリされるの、たまりませんわあっ」
「こうか? クリス、これが好きなのか?」
「おおっ、おおんっ。そ、そうですう。それが好きですのおっ。もっと、もっとしてえっ」
 もはや聖王国の姫君とは思えない淫らな雄叫びをあげ、クリスはチャダの体で情事にふける。蛮族の経産婦の膣はとめどなく蜜をこぼし、シャルルが抜き差しするたびに熟れた肉ひだが絡みついてくる。
 クリスとチャダ、二人の首が挿げ替わってさえいなければ決してシャルルが抱くことのなかった若くもない女体だが、このようにクリスの体として交わっていると、この世で最も美しい天女の体を貪っているような錯覚さえ抱いてしまう。
 シャルルの興奮は熱いマグマとなって体の芯から沸きあがる。
「出すよ、クリス。クリスの中に」
「は、はい、下さい。わたくしにお子を……シャルルのお子を孕ませてくださいませっ」
 世界で最も愛しい聖女の願いに、シャルルは言葉ではなく行為で応えた。ペニスの先を一番深いところに押し込み、原始的な牡の欲求を解き放つ。灼熱の遺伝子のスープがボノバ族の女戦士の子宮に叩きつけられ、聖王国の第一王女を絶頂に追いやった。
「おおおっ、イク、イク。イキますのおおっ」
 たくましい背中がそり返り、金色の髪がきらめき踊る。首から下は蛮族の女戦士、首から上はプリンセスという奇妙な女の腹の奥に、シャルルの子種が次から次へと注ぎ込まれていった。お互いに避妊ということを一切考えない、無謀で荒々しいセックスだった。
 精を放って満足したシャルルは、うつ伏せになったクリスの隣に寝転がった。
 煌々と輝く月の光を浴びながら、自分は幸せだとシャルルは思った。
 故国を魔族に滅ぼされ、最愛の女性であるクリスティーヌも一時は失ったが、今はこうして元のように彼女がそばにいてくれている。たとえ首から下が別人の体になろうと、シャルルにとってクリスはクリスだった。
 もしかしたら、明日には自分もクリスもこの世から消え去ってしまうかもしれない。あの古代遺跡でクリスを失ったときのように、二人はそう遠くない未来に離れ離れになり、二度と会えなくなってしまうかもしれない。
 だからこそ、今この時間が幸せなのだ。こうして自分とクリスが身を寄せ合い、他愛ない会話や男女の営みを楽しんでいられるこの時間が何よりも貴重なのだとシャルルは感じた。
「素敵でしたわ、シャルル……」
「俺もだよ、クリス」
 発情した顔のクリスに耳元で囁かれ、シャルルは幸福の絶頂に至った。いつ死んでも惜しくないとまで思った。
 だが、二人の夜の会話も営みも、そこで終わったわけではなかった。
 クリスはむくりと起き上がると、仰向けになったシャルルの上にのしかかってきた。筋肉質の巨大な尻が腹の上に鎮座し、シャルルの呼吸を圧迫する。体格で勝る彼女の迫力は、さながら猪か牡牛のようだ。
「ク、クリス、何をするんだ?」
「素敵でしたわ、シャルル……でも、わたくしはまだ満足いたしておりませんの。今夜はもっともっと、わたくしを楽しませていただきたいですわ」
 筋骨隆々のプリンセスは淫らな手つきでシャルルの顔を撫で回し、情熱的な接吻をねだった。桜色の唇の隙間から差し出された細い舌に口の中を舐め回され、シャルルは三たび勃起する。
「ちょっと待って、クリス。少し休ませて……」
「いいえ、そうは参りませんわ。あれほどわたくしに恥をかかせなさったのですから、今度はシャルルにも恥ずかしい思いをしていただきます。さあ、覚悟なさって」
 丸太ほどもあるクリスの両腕がシャルルの脚に伸ばされ、両の足首をがっちり掴む。何をするつもりかと思う間もなく、シャルルの尻ごと脚が持ち上げられた。
 まるで椅子になったような情けない姿勢のシャルルの両脚を持ちながら、中腰になった姫君は尻を下ろして挿入を試みる。シャルルは抵抗したが、今や腕力で彼を遥かに上回るクリス相手にさしたる効果は見られなかった。
「ふふ、スクワットですわ。筋肉のトレーニングをするように、おチンポをハメてさしあげます。それ、一、二、三……」
「うおおお、ク、クリス……そんな大胆な、おおお……」
 身動きのとれないシャルルをあざ笑うように、リズミカルに挿入と分離を繰り返すクリス。想像もしなかったプリンセスの積極的な痴態に、シャルルはなすすべもない。
「ふふ、どこまで我慢できましょう? 二十、二十一、二十二……」
「ああ、クリス、許して……謝るから許してくれ……」
「いいえ、許しませんわ。今夜は一時たりとも寝かせませんから、そのおつもりでいらして。ふん、ふんっ」
「た、助けてくれえ……俺が悪かった。謝る。謝るから許して、クリス……あああっ」
 完全に王女に組み伏せられ、王子は泣き叫んだ。幾度目かの結合にとうとう我慢できず射精してしまうが、タガの外れたクリスはなおも口と手で彼を奮い立たせ、更なる合体を続けさせた。
 完膚なきまでの敗北だった。クリスは宣言通り、夜が明けるまでシャルルの体を押さえつけ、熟れた蛮族の女体でシャルルの精を貪りつくしたのだった。

 ◇ ◇ ◇ 

 夜が明けて目覚めると、二人の息子が両脇にいた。
 チャダは息子たちがまだ寝ていることを確認し、彼らを起こさないよう慎重に立ち上がった。
 夕べは素っ裸のまま寝てしまったが、この季節は夜もあまり気温が下がらないため、さほど寒さを感じない。
 寝床を離れ、チャダは家の外にある井戸へと向かった。
 栗の花に似たきつい臭いを放つ体に冷たい水をかけ、洗い流す。東の空に上りはじめた太陽の光がチャダを照らし、彼女は己の明るい肌に目を細めた。
 粗末な家の中に入り、土の壁に備えつけられた姿見の前に立った。
 この小さな村で唯一、人の背丈ほどもある大きな鏡を持っているチャダに、村の貧しい女たちは妬みの言葉をしょっちゅう投げつけてくる。それがチャダのささやかな自尊心をくすぐってやまない。
「ふう……今日もいい気分さね」
 豪華な装飾の施された姿見の前に立ち、チャダは朝日に照らされた自らの姿を眺めて吐息をついた。
 短く癖のある黒い髪と、幅広で低い鼻、平らな額。そして、墨を一面に塗りたくったような顔の色。いずれも遠く離れた街で蛮族と蔑まれる少数民族、ボノバ族の特徴だ。
 チャダはこのボノバ族の村の出身で、今年で四十を迎えた子持ちの女だ。
 巨大な斧を振り回して多数の魔物をぶった切った、太くたくましい傭兵の腕。底に鉄板を仕込んだブーツで様々な魔物を踏み殺してきた、丸太のような脚。その辺の男よりも長身で、多くの雇い主を見下ろしてきた強靭な体躯。
 傭兵としてのチャダを長らく支えてきたそれら女戦士の身体的特徴は、もはや鏡の中には見当たらない。
 慣れ親しんだ筋肉質の巨体の代わりに映っているのは、透き通るような白い肌にほっそりした華奢な手足と、少女から大人の女へと花開こうとしている真っ只中の、若く瑞々しい小柄な体だ。やや控えめながら柔らかな曲線を描いて膨らむ乳房の先では、ピンク色の小さな蕾がつんと上向いていた。
 鏡に映るチャダの裸体の首から下は、暗い色の肌を持つボノバ族の中年女とは似ても似つかぬ、少女の白く瑞々しい体だった。
「このお姫様の体があたしのもの……力はないけど、若くて綺麗で、お金だってたくさん貰ったさ。ああ、なんて巡りあわせなんだろう。最高だねえ」
 陶酔したチャダの顔の下では、聖王国のプリンセスのものだったたおやかな手が、下品な仕草で己の乳房や股間をまさぐっていた。この繊細な手も、形のいい足の指も、傷一つない真っ白な肌も、今は全てチャダの所有物だ。
 幼くして家族を失い傭兵団に引き取られ、屈強な戦士として武器を振るってきたチャダにとって、自分の体が女として魅力があるという事態は、今まで経験したことがなかった。同じボノバ族出身の亡夫でさえ、チャダを綺麗だと褒めたことは一度たりともなかったのだ。
 そんなチャダが、今は若く可憐な娘の肉体をわがものにしている。
 村の住人は、男も女も口ではボノバ族特有の深い色の肌が一番だと言うが、生まれ変わったチャダの白い体を欲情の対象、あるいはやっかみの目で陰から見ていることを、彼女はよく知っていた。
 己の美しい裸体を眺めて気をよくしたチャダは、指先で胸の蕾を摘み、薄い金色の陰毛が生い茂る秘所をかき回した。
 こうして自慰にふけると、この麗しい身体が自分のものになったことを強く実感させられる。それが嬉しくて、つい何度も何度も弄んでしまう。
 肉壺の浅い部分を執拗にかき回し、指にまとわりついた蜜を鼻先に持っていくと、発情した若い女の体臭に混じって、生臭い男の臭いが感じられる。興奮はますます高まり、チャダは己の膣内をかき混ぜて強烈なオルガスムスに意識の半ばを持っていかれた。
「ああっ、イク。たまらないよ」
 鏡の中の細い少女の裸体が小さく震え、鏡面にもたれかかった。濡れた体は湯気を放ち、汚れのない鏡を曇らせた。
 チャダの顔の下にある、白く清らかな少女の体……この体は、本来のチャダのものではなかった。ひょんなことから、チャダの身体は別人のものとそっくりそのまま入れ替わってしまったのである。
 数奇な運命によってチャダと首を挿げ替えられてしまったのは、聖王国の第一王女であるクリスティーヌ・マリー・フォン・サンノーブルという十七歳の娘だった。高貴な身分でありながら世の人々のため神に祈り、治癒の奇跡をもたらして聖女と崇められた、うら若き乙女だ。
 首から下が筋骨隆々の四十歳の女戦士の体になった、聖王国のプリンセス、クリスティーヌ。
 首から下が麗しい十七歳の聖女の体になった、ボノバ族の女戦士、チャダ。
 頭を除いてお互いの体が入れ替わってしまった二人の女たちは、今はそれぞれ遠く離れた地で、各々が望む人生を歩んでいた。
 クリスティーヌは魔族の討伐、そして故国復興の旅を続ける亡国の王子シャルルに付き従い、屈強な戦士の体を武器として魔族と戦う道を選んだ。彼女が今どこにいるかチャダは知らないが、運が良ければ生き延びて世のため人のために力を尽くしていることだろう。
 対するチャダは、体が入れ替わったことを契機に血生臭い傭兵稼業から足を洗い、生まれ故郷の貧しく平和なこの村に帰ってきた。クリスの清らかな体に秘められた神聖魔法の力を発揮することもなく、穏やかな生活の中で二人の息子を育てている。
 周囲の人間たちの中には、突如として聖女を襲った惨事を嘆き悲しむ者も多かったが、当のクリスティーヌは己の高貴な肉体を奪われたことをさして気にするでもなく、自分の体を盗んだチャダを笑顔で送り出した。そればかりではなく、貧しい彼女が子供たちと安心して生活できるよう、餞別として多額の金銭や色とりどりの宝石を持たせたのである。
 チャダにしてみれば、目先の小銭のために戦い続ける中、運悪く命を落としたかと思えば、いつの間にか教会によって蘇生され、若く美しい聖女の肉体とひと財産まで手にしていたのだから、ふってわいた幸運に笑いが止まらなかった。
 一生働かずとも食べていけるだけの蓄えを確保し、なかなか会えなかった息子たちと共に幸せな日々を送る。これまで生まれの不幸に抗い続けてきたチャダに、そんな願ってもない僥倖をもたらしてくれたのは、鏡に映る美しい聖女の体だ。己のものになったその白い体を毎日惚れ惚れするほど眺め、愛しさを込めて撫で回すのは当然のことだった。
「母ちゃん、腹減ったよ」
 よだれを垂らして鏡に頬ずりしていると、背後から上の息子の声がした。どうやら目が覚めたらしい。濃い褐色の肌と髪を持つ痩せぎすの少年が、腹を手で押さえていた。
「起きたかい、アベベ? 朝ご飯にしようか。ギグを呼んでおいで」
「うん。あ……でも、ちょっと待って」
 チャダの長男、アベベは衣類をまったく身に着けていなかった。
 ボノバ族の住むこの地域では一年を通して気温が高く、衣服を身にまとう必要性がさほどない。裸は伝統的な部族のスタイルだった。
 十四歳のアベベはだらりと垂れ下がったペニスに手を伸ばすと、白い肌を桜色に染めた母の姿に見入った。掌の中の若々しいペニスは見る間に立ち上がり、十七歳のプリンセスの裸体を威嚇する。少年のものとは思えない大きく見事な一物が鎌首をもたげていた。
「母ちゃん、もう一回いい?」
「おやおや、困った子だね。夕べもさんざんしたっていうのに、まだ足りないのかい?」
 チャダは行儀の悪いアベベに微笑み、己の性器を指で広げて息子に見せつけた。色の薄い膣口から昨晩注ぎ込まれた精の塊がこぼれ落ち、チャダとアベベの肉体関係を確かめる。
 アベベは口を尖らせ、勃起したペニスの先端を擦った。
「だって、今の母ちゃんの体、とってもキレイなんだもん」
「そりゃそうさ。なんたってこの体は、あの聖王国のお姫様の体なんだからね。どこの街に行ったって、こんなに綺麗な体にはお目にかかれないだろうさ」
「うん……だから、そんなキレイな母ちゃんの体ともっとしたいんだ。ねえ、ご飯はあとでいいから、今からもう一回してもいいでしょ?」
「しょうがないねえ、わかったよ。でも、母ちゃんが相手してるってよその子に言うんじゃないよ」
「うん!」
 表情がぱっと明るくなる息子に、チャダは四つんばいになって尻を向けた。アベベはもう待ちきれないといった様子でチャダの細い腰を掴み、遮二無二挿入を試みる。
 ともに昂っていた男女に前戯は不要だった。若いペニスは鋼の棒のように硬く、チャダをずぶりと刺し貫いた。雄々しくそり返った陰茎が狭い膣を押し広げると、濡れた肉ひだがたくましい少年のものと絡み合い、えもいわれぬ満足感をもたらす。
「ああっ、いい。いいよ、アベベ。その調子さ。ああっ、あんっ」
 乱暴に抜き差しされる肉柱に女の芯を小突かれ、チャダは声を抑えられない。昨晩、幾度となく繰り返された痴態が、今また始まっていた。
 息子、いや息子たちとこうした関係を持つようになったのは、チャダが新しい体で村に帰ってきて間もなくのことだった。危険な傭兵稼業をやめて無事に帰ってきたチャダに、はじめ二人の息子は大喜びし、母親に対して払うべき敬意を保っていた。
 ところが、チャダの首から下にある王女クリスティーヌの体は、血の繋がった母親のものとして見るにはあまりにも若く、白く、そして美しすぎた。長男アベベも次男ギグも、チャダの所有する十七歳のプリンセスの肉体を、すぐに性の対象として認識するようになった。
 チャダの麗しい裸体を見て自慰を繰り返した息子たちは、当然の結果として性交を懇願するようになった。実の母と息子ではあるが、首から下は赤の他人同士だ。若い頃から出稼ぎに明け暮れて子供を顧みてこなかったチャダに、ようやく再会した息子たちの願いを無下に拒絶することはできなかった。
 それから数ヶ月の間、チャダと可愛い息子たちは毎日のようにこうして交わりつづけている。
「あっ、ああっ、母ちゃん、気持ちいいよ。チンポがとけちゃいそうだ。これがお城のお姫様の体なの?」
「そうさ、その通りさ。この綺麗なお姫様の体があたしのものさ! たまらないねえ。ああっ、あっ」
 チャダは淫猥な顔で腰を振り、犬のようなあられもない姿でアベベに犯される。聖王国の第一王女の高貴な体は、今ではボノバ族の少年の慰みものになっていた。魔族に虐げられる人々のために祈り、癒しの奇跡を行使する聖職者であったプリンセス・クリスティーヌの純白の裸体を、街で蛮族と蔑まれるボノバ族の少年が好き勝手に貪っていた。
 いきりたった十四歳のペニスは鋼の鋤となり、ぬかるんだ王女の畑を掘り返した。
 清い王女と貧しい少年……本来であれば出会うことさえなかったはずの二つの体が、仲睦まじい男と女になって飽きることなく互いの性器をこね回していた。チャダは相手が実の息子ということも忘れ、アンアンとよがり声をあげて乱れた。
「お母ちゃん、もう出る。中に出すよ!」
「ああ、出しておくれ。母ちゃんにたっぷり飲ませておくれ! おおおっ」
 チャダは喘ぎ、土の床をかきむしった。充血した肉棒が一番奥まで食い込み、子を宿す深部に熱い樹液を撒き散らす。目の前を赤い花びらが舞い、四十歳の女は絶頂へと連れ去られた。
「うおおっ、イク、イクっ! おおっ、おっ、おおんっ」
 荒い呼吸を繰り返し、チャダは心地よく疼く下腹を押さえた。
 連日のように繰り返された膣内射精により、若く健やかな女体は当然のように身籠り、わずかに膨らみを帯びつつあった。
 聖王国のプリンセス・クリスティーヌとボノバ族の少年アベベの子。自分の胎内に宿ったその新しい命を、チャダは大事に産み育てることに決めていた。
 これは自分の体なのだから、誰に遠慮する必要もない。十七歳の達者な少女の体で、五人でも十人でも産めるだけ産むつもりだった。息子たち以外にも、村の若くたくましい男たちの子を孕むのもいいかもしれない。 「ああ、母ちゃん……母ちゃん、好き。父ちゃんは死んじゃったけど、母ちゃんが元気で帰ってきてくれたから、俺、もう寂しくなんてないよ」
「あたしもさ……これからはずっと一緒に暮らせるからね、アベベ。家族だってこれからどんどん増えるよ。この白いお腹でいくらでも産んでやるよ」
 二人が火照った体で抱き合っていると、もう一人の少年がやってきた。十二歳の次男ギグだ。
「あっ、兄ちゃん、ずるい! おいらも母ちゃんとする!」
 アベベよりも体が小さく甘えん坊のギグは、小ぶりなペニスを精いっぱい勃起させて母を求めた。
「ふふっ、しょうがないね。前はアベベが使ったとこだから、ギグはこっちにぶち込みな」
 チャダの頭が載ったクリスティーヌの白い体は、自らギグに尻を向け、わずかに陰毛の生えた肛門をほっそりした指で広げてみせる。王女の菊門はひくひくと蠢き、期待の腸液を滴らせて少年の肉棒を待ち構えていた。かつては排泄以外の用途に決して使われることのなかった不浄の器官は、今では兄弟のペニスをくわえ込む第三の穴になっていた。
「やった! じゃあ入れるよ、母ちゃん。へへっ、入れたらすぐに出ちゃいそう!」
「俺はこっちからもう一度だ。ギグ、前と後ろから母ちゃんを挟みうちにするぞ!」
「おほっ、こりゃすごいっ。またイカされちまうよ……おほっ、おほおおおっ」
 チャダは聖女の孕み腹を弾ませ、同時に挿入された息子たちのペニスを貪る。若く美しいプリンセスの体、豊かな暮らし、そして愛する子供たち……全てが幸せだった。一度はその命を失ったはずのボノバ族の女戦士は、前後の穴に熱いスペルマを思いきり浴びて、いつまでも終わらない幸せに酔いしれた。



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