セーラー服を取り替えて 1

 チャイムが鳴り、一日の授業が終わりを迎えた。
 徹が荷物をまとめて教室を出ると、亜美が彼の前にやってきた。廊下で待っていたようだ。
「そっちも終わった? それじゃ、行くわよ」
 返事をする暇もなかった。亜美は徹の手を握ると、無理やり彼を引っ張っていく。廊下を早足で歩く二人に、周囲の生徒たちが奇異の視線を向けてきたが、彼女にそれを気にする様子はなかった。ポニーテールにした長い黒髪が徹の顔にかかり、くしゃみが出そうになった。
「そんなに急がないでよ、亜美。転んじゃうよ」
「あんたが遅すぎるのよ。せっかく試験が終わったんだから、今日は思いっきり遊ばないと」
 有無を言わさぬ口調だった。常日頃から押しの強い亜美だが、今はいつにも増して強引だ。先日の中間試験に備えて随分と根を詰めて勉強していたため、その反動だろう。今日は部活動もないので、ひとときの余暇を満喫するつもりだという。
「お昼ご飯はどうしようか。駅前のマクドナルドにでも行く?」
 校門から少し離れた路上で、徹は亜美に訊ねた。二人が通う私立高校は土曜日にも昼まで授業があり、帰りに駅前のハンバーガーショップで昼食をとることが多い。
「うーん……今日はマックって気分じゃないわね」
「じゃあ、何が食べたいのさ」
「街に行けば何かあるでしょ。とにかく駅に行って電車に乗るわよ。急げば、一時ちょうどの急行に乗れそうだから」
「はいはい、わかったよ」
 計画性のない亜美の言葉に徹はうなずく。二人で行動するとき、方針はいつも亜美が決め、徹がそれに従うことになっている。幼い頃から常にそうしてきたため、今さら不満を抱くことはない。
 先週、十八歳を迎えた田端亜美は、三笠徹にとって一番の親友であり、同時に幼稚園児のときから交際している幼馴染みでもあった。もっとも恋人というわけではなく、あくまで友人としての付き合いである。亜美は思春期を迎えても恋愛に興味を抱いた様子はなく、徹も亜美を異性として意識することはほとんどなかったので、いまだに子供の頃の関係が続いていた。
「亜美、いい加減に手を離してよ。それに、歩くの速いって」
「あんたが遅すぎるのよ。普段、運動してないから」
「文芸部で読書しかしてない僕と、水泳部で頑張ってる亜美を比べないでよ」
 徹は息を切らして亜美に抗議した。ようやく繋いだ手が解かれ、二人は正面から向かい合った。亜美は呆れた顔だった。
「ホントに体力ないんだから。息、落ち着いた?」
 と、徹の顔を覗き込んでくる亜美。男子高校生の荒い息が顔にかかっても、彼女は嫌がらなかった。
 幼馴染みの少女が着ている白いセーラー服が、五月の明るい日差しに映える。日頃、水泳部で鍛えている体は肥満とは無縁で、ダイエットの心配をすることはない。それも、ただ細いわけではなく、最近は全体的に女性らしい丸みを帯びたスタイルになってきたように徹は思う。不埒な下心などはないが、亜美が女性として魅力的な体型なのは事実だった。
 呼吸を整えたのち、二人は再び歩きだした。最寄りの駅に到着すると、ちょうど都心部に向かう急行電車が来たところだった。亜美に急かされ、徹は電車に飛び乗った。乗客はまばらで、座席はがらがらだった。
「空いてるね」
「次の電車からは混むわよ。うちの生徒がたくさん乗ってくるから」
 そう言って、亜美は「急いで良かったでしょ」と徹に笑いかけてきた。「はいはい」と適当に返事をして、徹は亜美と並んで座った。
 ドアが閉まり、電車が発車した。次の停車駅まで二十分ほど時間がある。徹は座席の背もたれに体を預け、ひと休みすることにした。
「亜美、もし僕が寝ちゃったら、着いたときに起こしてよ」
「徹……」
 眠たげな声に、徹は隣の少女を見た。既に亜美は座席の端の手すりにもたれて惰眠を貪っていた。あまりの寝つきの良さに、つい笑い出したくなった。
(まあ、いいや。ちゃんと起きるだろ)
 顔を上げると、二人の向かい側の座席に座った女性が笑っていた。髪を結い、パステルグリーンの小紋を着た、上品な印象を受ける美人の中年女性だ。
 きっと、仲睦まじいカップルとでも誤解されたに違いない。亜美といると、いつもこうだ。自分勝手な亜美に振り回されて、徹が恥ずかしい思いをすることになるのだ。
(まったくもう。亜美ったら、ちゃんとしてよ……)
 心の中で文句を言いつつ、徹は黙って目を閉じた。都心部と郊外を結ぶ急行電車は、揺り籠のような振動で彼にすみやかな睡眠を促す。幼馴染みの女子高生の膝が時おり徹の脚に当たる、その不規則なリズムも心地よかった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 徹は夢を見た。
 徹と亜美が電車の座席に座って眠っていると、一人の少年がやってきたのだ。
「ご乗車ありがとうございます……なんてね」
 車掌の真似をしながら隣の車両から入ってきたその少年は、白いワイシャツと黒のスラックスといういでたちで、ごく普通の高校生のように思われた。少年は車両の中を見回すと、嬉しそうな笑顔を見せた。
「お客さんはこの車両にしかいないのかな? ふふふ……ちょっと失礼しますよ」
 少年は眠っている亜美の前に立つと、無礼にも亜美の細い首に手を伸ばした。まるで殺人鬼が哀れな犠牲者を絞め殺すような姿勢だったが、その手にまったく力は入っていない。ただ亜美の首に手をかけただけだった。
 痴漢だろうか。徹は夢の中でそう思った。自分の目の前で亜美が痴漢の被害に遭っているのならば、男としては何としても止めなくてはならない。しかし、夢の中にいるからか、徹の手足はぴくりとも動かなかった。声を出すこともできなかった。
「この娘は高校生かな? じゃあ、向かいの着物のオバサンなんてよさそうだね。女同士だ」
 わけのわからないことを言って、少年は亜美の首を持ち上げた。首が絞まるのではないかと徹が心配していると、驚いたことに亜美の頭部だけが胴体から外れてしまった。人間ではなく、木でできた人形でも見ている気分だった。
(ああ、やっぱりこれは夢なんだ。亜美の首が取れちゃうわけないもんね……)
 少年の手の中に納まった亜美の生首を見て、これは現実のことではないと徹は思った。こんなきゃしゃな体格の少年が、刃物も使わず人間の首を切断できるはずはない。やはり徹は夢を見ているのだ。
 変な夢だと思いながら、徹は目だけを動かして、隣に座った少女の体を見やる。首を切り離された亜美の体からはいささかの出血も見られなかった。首の切断面は滑らかなピンク色をしており、そこにあるはずの血管や骨、筋肉などの組織の断面を見ることはできない。首無しの亜美の体は力なく座席にもたれかかっており、まるでセーラー服を着たマネキン人形のようだった。
 時おり揺れる電車の中で、少年は亜美の生首を向かいの座席に運んでいった。そこには先ほどの和服の女性が座っていた。徹や亜美と同じく眠っているのか、猟奇的な場面を見ることもなく、安らかな表情で目を閉じていた。
「それじゃあ、お次はあなたの番です。失礼しますよ」
 少年は亜美の頭部を座席に置き、着物の女性の首に手を伸ばした。そして、亜美のときと同じように女性の首を体から切り離してしまった。やはり血が出ることはなく、これが夢の中であることを徹は確信した。
「さて、女子高生のあなた。あなたに新しい体をプレゼントしましょう。目が覚めたら、きっと驚きますよ。自分がこんなに上等な着物を着てるんですから」
 着物の女性の頭を座席に置くと、少年は首だけの亜美を持ち上げて話しかけた。眠っているのか死んでいるのか、亜美は身動き一つしない。
 そんな亜美の頭を、少年は首の無い女性の体に載せてしまった。ちょうど女性の頭が載っていた位置だった。すると首の切り口の線が消え、肌の色の異なる肉と肉が融合していった。髪を結った中年女性の頭の代わりに、長い黒髪をポニーテールにした女子高生の頭が繋ぎ合わされていた。
(亜美が着物を着てる。意外と似合うかも……)
 上品なパステルグリーンの小紋を着た亜美を見て、子供の頃の夏祭りに見た浴衣姿を徹は思い出した。あの頃から亜美は活発で、大はしゃぎして転んでしまい、新しい浴衣を汚してしまった覚えがある。懐かしい記憶だった。
 和服の女性の首を亜美のものと挿げ替えた少年は、次に女性の生首を持って徹のところに戻ってきた。そこには首無しの亜美の体があった。
「素敵な着物のおばさまには、活力溢れる女子高生の体を差し上げましょう。お綺麗なあなたですから、きっとセーラー服もお似合いですよ」
 と言って、少年は髪を結った中年女性の頭部を、亜美の体にそっと載せる。先ほどと同様、それだけで女性の頭と亜美の体が繋ぎ合わされてしまった。実に不思議な夢だと、徹は感嘆した。
「他の乗客は三人か……男の子はいいや。あっちの女の人と女の子を入れ替えてこよう」
 少年は満足げに笑うと、徹たちから離れていく。彼の視線の先には、黒いリクルートスーツを着た若い女と、赤いランドセルを背負った女児の姿があった。
 次は、あの二人の頭を挿げ替えるつもりだろうか。そう考えたところで、徹の意識は再び薄れていった。夢の中にいるはずなのに、また眠ってしまうのだろうか。何とも不思議な夢を見たものだと感心しながら、徹は快い闇に沈んでいった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

「……左側の扉が開きます。ご注意下さい」
 駅への到着を告げる放送に、徹は目を覚ました。随分長く眠ってしまったようだ。降りる予定の駅に着いたことに気づいて、慌てて身を起こした。
「着いたよ、亜美。早く起きて」
 隣に座っている幼馴染みの少女も徹と同じく、ぐっすり眠りこけていたようだ。丸出しの膝を手のひらで叩いて、降りるよう促す。ドアが開き、ホームの乗客が乗り込んできた。
「降りるよ、亜美。早く」
「ううん……誰?」
「ほら、急いで。ドアが閉まっちゃう」
 徹は半ば寝ぼけたまま、亜美の手を引いて外に出た。背後から眠そうな声が聞こえた。二人揃ってぐっすり眠りこけてしまい、寝過ごしたとあっては笑い話である。辛うじて、ドアが閉まる前に電車を降りることができた。
「ふう、間に合って良かったよ。危うく寝過ごすところだった。ねえ、亜美?」
 と、後ろを振り返った徹の表情が強張った。彼が手を繋いでいたのは亜美ではなかった。亜美と同じセーラー服を着た、別の女性だった。
「あなたは何なの? この手を放してちょうだい」
 女性はぴしゃりと言って、徹の手を振り払った。突然知らない少年が自分の手を握り、車外へ連れ出したのだから、怒るのも当然だった。
 徹は驚きのあまり飛び上がった。
「す、すみません! 僕、てっきり友達だとばかり……人違いでした!」
 徹はホームの隅でぺこぺこと頭を下げた。とんだ勘違いをしたものだ。眠る前、確かに徹の隣には亜美が座っていたはずだった。寝ている間に移動したのだろうか。だが、亜美が徹に黙ってそんなことをする理由が思いつかなかった。
 そして、不可解なことは他にもあった。目の前にいる女性は、徹が居眠りする前、和服姿で反対側の座席に座っていた中年女性だ。それが、今は亜美と同じセーラー服を着ていた。顔を見ただけで女性の年齢を推し量れる徹ではないが、とても高校生には見えなかった。さらに、その女性が手に提げているのは亜美の鞄だった。亜美のお気に入りの兎のアクセサリーが、持ち手についていた。
「あの、すみません。それ、僕の友達の鞄じゃないですか?」
「さあ。誰のものかはわからないけど、確かに私のものじゃないわね。それに私、どうしてこんな格好をしてるのかしら。恥ずかしいわ……」
 セーラー服を着た中年女性は、赤面して困り果てていた。やはり、この女性はあの和服の美人だと徹は確信した。自分の服装が変わってしまったことに、彼女自身が困惑しているようだった。
「徹、あたしはここよ! あたしを置いてどこに行くつもり !?」
 背後から亜美の声が飛んできて、徹は驚いた。振り向くと、亜美が二人に駆け寄ってきた。その格好に徹は仰天した。
「亜美、その服……!」
 徹の傍らで息をのむ気配がした。亜美が着ているのは、徹の隣にいる中年女性が先ほどまで身にまとっていたパステルグリーンの小紋だったのだ。手に持っているのは高校指定の鞄ではなく、革のハンドバッグだった。
「その着物、そのバッグ……それ、私のものじゃない。どうしてあなたが?」
 困惑する女性に訊ねられ、亜美もわけがわからないといった様子だ。
「そ、そんなのわかりませんよ。目が覚めたらこの格好になってたんです。おばさんだって、その鞄……それ、あたしのじゃないですか? それに、その制服だって」 「ええ、そうみたいね。どうしてかしら……一体、何が起こったっていうの」
 中年女性の和服を身にまとった女子高生。
 女子高生の制服を身にまとった中年女性。
 服装が入れ替わった二人の女は、互いの姿を見比べてひたすら狼狽していた。

「……どうやら、ただ服が入れ替わっただけじゃないみたいだね」
 駅前のレストランの中で、徹はそう言った。隣には和服を着た亜美が、そしてテーブルの反対側には、セーラー服を着た中年女性が座っている。小泉幸子という名前らしい。
「服だけじゃないって、どういうこと?」
 亜美はいつになく不安げな表情で徹に問う。電車の中で居眠りしている間に不可解すぎる現象に巻き込まれ、勝気な彼女もさすがに平静ではいられないのだろう。
「服だけじゃなくて中身、つまり体が全部入れ替わってるみたいだ。身長とか体型とかさ。亜美の背丈って、僕と同じくらいでしょ。それが、今は僕よりだいぶ低くなってる。気づかなかった?」
「え、ホント?」
 亜美は信じられないといった表情で立ち上がった。徹も同じく直立したが、明らかに亜美の方が背が低い。徹の身長が一七〇弱で、亜美はたしか一六五センチ。ほとんど差は無いはずだが、今は亜美の方が十センチ以上低くなっていた。
「ホントだ……徹、背が伸びてる」
「僕が伸びたんじゃなくて、亜美が縮んじゃったんだよ」
「そんな……」
 亜美の顔を失望の色が覆った。
「体が入れ替わったというのは、本当のことみたいね。服だけじゃないわ。この手、どう見ても私の手じゃないもの。こんなに肌がつやつやしてるなんて、信じられない」
 若いっていいわねえと言いながら、幸子は自分の手に見入っていた。暗い表情の亜美とは異なり、幸子はどことなく嬉しそうだ。
「大変失礼ですけど、小泉さん。年齢を伺ってもよろしいですか?」
「幸子って呼んでくれていいわよ。小泉幸子、四十八歳。来月で四十九になっちゃうけど」
「四十八……」
 徹は幸子の体を眺めた。長い手足には適度に筋肉がつき、肩や尻は女性らしい柔らかなラインを描く。セーラー服の白い布地の下では、整った形の乳房がつんと上向いていた。チェック柄の茶色のプリーツスカートはやや丈が短く、肉感的な太腿が丸見えだった。
 水泳部で鍛えた、健やかな十八歳の少女の肢体。今、それを所有しているのは、本来の持ち主とは縁もゆかりもない、四十八歳の中年女だった。
「体が入れ替わるなんて、信じられない。顔はそのままなのに」
 ところどころ皺のある自分の手を見て、亜美が嘆息した。その繊細な顔もポニーテールの黒髪も、普段の亜美とまったく異なるところはない。首から下だけが四十八歳の中年女性の体になってしまったのだ。あまりにも非現実的で、にわかに信じられることではない。だが、あらゆる検証がその信じがたい推論を裏付けていた。
「その話なんだけどね……実は僕、思い当たることがあるんだ」
「え? 何よ、それ。どういうこと?」
 問いただす亜美に、徹は電車の中で寝ている間に見た夢の内容を説明した。見知らぬ少年が徹たちの車両にやってきて、亜美と幸子の首を挿げ替えてしまったことを。
「最初は僕も、てっきり夢かと思っていたんだ。あまりにも現実離れしてたから。でも……」
 こうして首から下の身体だけが入れ替わってしまった二人を見ていると、あの夢の内容が現実だったのではないかと思えてくる。あれは夢ではなく、実際に起こったことではないだろうかと。
 徹の話を聞いた亜美は、「徹ったら、信じらんない!」と怒り出した。
「あんた、怪しいやつがあたしにイタズラしてたっていうのに、止めもしなかったの !? 最低っ!」
「だから、僕は寝てたんだってば。体だって指一本動かなかったんだよ。嘘じゃない」
「そんなの、ただの言い訳じゃない! 殴りかかってでもやめさせなさいよ!」
 頭から湯気を立てる亜美は、徹の弁解に聞く耳を持たない。そんな亜美をなだめたのは幸子だった。
「落ち着いて、亜美ちゃん。徹君は悪くないわ。私もあなたもぐっすり眠っていて、その男の子がしたことに気がつかなかったんだから」
「でも……!」
「とにかく落ち着きなさい。そうだ、せっかくレストランに入ったんだから、何か食べない? 二人とも、お昼ご飯は済ませたの?」
「いいえ、まだです……」
 徹が答えると、幸子はテーブルに備えつけてあったベルを鳴らし、ウェイトレスを呼び出した。先ほど注文したのは飲み物だけで、空腹なのは確かだった。「お近づきのしるしに、ご馳走してあげる」という幸子の申し出を受けて、サンドイッチを所望した。
「じゃあ、話を戻すわね。さっきの徹君の話が本当だとしたら、私と亜美ちゃんはその男の子のせいで、頭を取り替えられてしまった。つまり、首から下が入れ替わってしまった。そういうことでいいのかしら」
「は、はい。多分、そうだと思います」
「じゃあ、私たちが元の体に戻るには、その男の子を捜さないといけないわね。その子の特徴や服装は覚えてる?」
「服は覚えています。でも、顔はさっぱり……」
 徹は首を振った。彼が覚えているのはあの少年の服装と声だけで、顔はまったく覚えていない。見たような気もするのだが、さっぱり記憶に残っていない。つくづく不思議な少年だった。
「顔を覚えてないって……それじゃ、どうやって捜すのよ !?」
「亜美ちゃん、落ち着いて」
 再び声を荒げる亜美を、再び幸子がたしなめた。体が入れ替わってしまうという異常事態のせいか、亜美は随分と情緒不安定になっているようだった。怒鳴る頻度が普段よりも高い。
「体が入れ替わってしまうなんて信じられないけど、現に私たちがこうなってしまった以上、信じるしかなさそうね。何としてでもその男の子を見つけ出しましょう。亜美ちゃんも、その体のままなんて嫌でしょ?」
「はい、嫌です……」
 はっきりと嫌悪感を表す亜美。失礼ともとれる彼女の態度に、幸子は怒った様子もなく、「落ち込まないでね。おばさんが頑張って、亜美ちゃんを元の体に戻してあげるから」と亜美を励ました。
 そこに、三人分の昼食が運ばれてきた。ハムや卵をふんだんに使ったサンドイッチは豪華で、量も豊富だった。しかし、食事の途中で亜美の手が止まった。
「どうしたの、亜美。まだ大分残ってるよ」
 亜美の前に置かれた大皿のサンドイッチは、半分ほどしか減っていない。嫌いな食材でもあったのかと徹が訝しがっていると、幸子が口に手を当てて笑い出した。
「うふふ……私にはわかるわ、亜美ちゃん。量が多くて食べきれないんでしょ?」
「はい。いつものあたしだったら、これくらい平気なのに……」
 徹は驚いた。日頃、部活動に勤しんでいる亜美は、食べる量も徹とそう変わらないはずだった。それが、今は食欲がないという。
「不思議なことじゃないわ。だって、亜美ちゃんのカラダはおばさんのになってるんですもの。私、あまり食べないから」
 そう言って、幸子は亜美の皿を取り上げた。幸子の皿は既に空になっており、そこに亜美が残したサンドイッチを半分取った。
「残ったうち、半分食べてあげる。もう半分は徹君にお願いするわ。いい?」
「はい、大丈夫です」
「私、普段はこんなに食べないのよ。でも、今は平気で入っちゃうの。だって亜美ちゃんのカラダだものね」
 若いっていいわねえと、また同じ台詞を繰り返し、幸子は亜美が残したサンドイッチを口に運んだ。心なしか、幸子は機嫌がいいように思えた。こんな状況下で何が面白いのかわからないが、うきうきしているようだった。
 それとは対照的に、亜美の方は「うう、食べ過ぎた……気分悪い」と苦しそうな顔をしていた。十八歳の女子高生の体と四十八歳の中年女性の体がどれほど違うのか、徹にはまったくわからなかったが、この様子では相当な差があるのだろう。明るく快活な亜美が笑顔を見せないことに、徹は不安を感じた。
「ふう、ご馳走様。こんなに食べたのは初めてよ。それで、このあとどうするの? 二人とも、何か予定はあったの」
「いいえ。とりあえず二人で街に行って、ぶらぶらしようかなって。でも、こんなことになっちゃって……」
「ふうん、デートするつもりだったんだ。若いっていいわねえ」
「ち、違いますよ! デートだなんて……」
「あら、徹君と亜美ちゃんは恋人同士じゃないの? そうにしか見えないけど」
「誤解です! ねえ、亜美、違うよね?」
「うん。幼馴染みで友達ではあるけど、恋人ってわけじゃないわね」
 二人が揃って否定すると、幸子はにやりと笑った。
「へえ、そうなんだ。わかったわ。徹君と亜美ちゃんは付き合ってない、って」
 そして、テーブルの向かい側にいる亜美に、「私のハンドバッグを取ってちょうだい」と言った。幸子の財布や小物が入ったハンドバッグは、亜美が持っていたのだ。
「服も入れ替わってるから、私のポケットには亜美ちゃんの財布や携帯電話が入ってるのよね。全部、亜美ちゃんに返しておくわ。服をここで脱いで交換するわけにはいかないけど、持ち物は本人が持っておかないといけないから」
「ああ、そういえばそうですね……」
 亜美は暗い顔で幸子から私物を受け取り、鞄にしまった。亜美のセーラー服を幸子が着て、幸子の小紋を亜美が着ている奇怪な状況は変わらないが、ここで互いの服を取り替えるわけにもいかない。そもそも体格が変わっているのだから、服を交換しても着られない可能性があった。
「幸子さんは、このあとどこかへ行くつもりだったんですか?」
「ええ、お茶のお稽古にね。でも、こんなことになっちゃったし、今日はお休みするわ」
 明るく微笑する幸子に支払いを任せて、徹と亜美は先にレストランを出た。ひょっとしたら、あの怪しい少年が通りかからないだろうかと辺りを見回したが、見つかることはなかった。
「亜美、これからどうする?」
「もちろん、決まってるじゃない。あんたが言ってた、その怪しい奴を捜すのよ」
「でも、どこにいるかもわからないよ。それに、そんな和服なんて着て満足に動けるの」
「無理でもやるしかないでしょ! あたしが元に戻れなかったらどうするのよ !?」
 亜美ににらみつけられ、徹は縮こまった。そこに、勘定を済ませた幸子が出てくる。バッグの中から取り出したのか、サングラスと口元を覆う白いマスクを着用していた。
「幸子さん、それ……」
「ふふっ、怪しいでしょう? でも、仕方がないのよ。この歳でセーラー服を着て歩いてる姿を、ひとに見られたくはないもの」
「まあ、そうですよね。ところで、これからどうしましょうか? 亜美は犯人を捜すって言ってますけど」
「どこにいるのかわかるの? せめて、この辺じゃないかっていう目星とか」
「それが、全然……この駅で降りたかどうかさえ、わからないんです」
 徹は途方に暮れた。繁華街の駅前は通行人で埋め尽くされ、行方も知れない人間を捜すのは不可能に近い。知らない人物であれば尚更だった。
「それじゃあ、この駅で捜すよりも、いっそもう一度さっきの電車に乗った方がいいかもしれないわね。一度家に戻って着替えたいし」
「家に帰るって……幸子さんの家はどこなんですか?」
 訊くと、ここから徹たちの学校の最寄り駅を挟んで、電車で三十分ほど行ったところだという。「亜美ちゃんの分の着替えも用意してあげるから、一緒に行きましょ。何だったら、その辺のお店で服を買ってあげてもいいわよ」と言われ、二人は戸惑った。
「そんな……今日初めて会ったばかりなのに、そんなことをしてもらうわけにはいきません。それに、今は一刻も早く犯人を捜し出さないと」
「どこにいるかもわからないんでしょ? それなら、電車に乗って駅員さんにでも訊いた方がいいんじゃないかしら。それに、亜美ちゃんだって和服なんか着て動き回るのは嫌でしょう」
「それはそうですけど……」
「じゃあ、決まりね。電車に乗って、来た道を戻りましょう」
 こうして、幸子の提案で、一行は再び駅構内に戻った。途中、数人の駅員にあの少年について訊ねてみたが、芳しい回答は返ってこなかった。
「白いワイシャツと、黒いスラックスの男子高校生ですか……さあ、覚えていません。どこの学校の生徒ですか?」
「それもわからないんです。一時台の急行に乗っていたはずなんですが」
「申し訳ありませんが、わからないですねえ」
 期待外れというより、ある意味では予想通りの会話を終えて、三人は来たときと反対方向の急行電車に乗った。どの駅員に訊いても同じ反応だったことに、亜美は深く失望した様子だった。
「どうしよう……犯人が見つからないと、あたし、もう元の体に戻れなくなっちゃうかも」
「警察に相談しに行く? それとも、病院で診てもらうとか」
「どっちにしても、首を挿げ替えられたなんて、信じてもらえそうにないわね。私自身、いまだに信じられないんですもの」
 がらがらの座席に腰かけ、幸子が言った。徹も同感だった。こんな荒唐無稽な話を真に受ける人間はほとんどいないだろう。徹や亜美の家族でさえ、信用してくれるかどうか。こうなったからには、何としてもあの少年を捜し出さなければならなかった。
「亜美、大丈夫? 何だか顔色が悪いよ」
 徹は隣に座る亜美に声をかけた。彼の幼馴染みは青い顔をして、非常に気分が悪そうだ。「頭が痛いの。手を握ってて」と言われて亜美の手をとった。それは女子高生の瑞々しい手ではなく、痩せて潤いのない中年女の手だった。
「亜美の手、冷たいよ。大丈夫なの?」
「多分、大丈夫だと思う。少し寝るから、着いたら起こして……」
 小さな声で言って、座席の背もたれに寄りかかる亜美。その顔は汗ばみ、呼吸も苦しそうだった。
「亜美、本当に大丈夫なの? 病院に行った方がいいんじゃ……」
「大丈夫よ。心配は要らないわ」
 そう答えたのは目を閉じて返事をしなくなった亜美ではなく、その隣に座った幸子だった。
「更年期障害でね。冷え性になったり、暑くもないのに汗が出てきたりするの。頭痛もそう」
「更年期障害?」
「ええ、そうよ。だって、亜美ちゃんの首から下は、おばさんの体なんでしょう? おばさんの更年期障害の症状が、そのまま亜美ちゃんにうつっちゃったのよ」
「本当なんですか? もしかしたら更年期障害じゃなくて、入れ替わったせいで体がおかしくなってるのかもしれませんよ」
 徹は亜美の手を握りしめた。汗ばんでいるのに冷たく、体温が感じられない。深刻な病気ではないかと不安になった。考えてみれば、首を切断されて別人の体と繋ぎ合わされたのだ。死んでしまっても不思議ではなかった。
「いいえ、大丈夫よ。もし入れ替わったせいで体がおかしくなったのなら、私も亜美ちゃんも、二人ともおかしくなってるはずでしょ? でも、こっちはどこもおかしくないわ。とっても元気で、いい気分なの」
 サングラスとマスクのせいで表情はよく見えないが、幸子は笑っているようだった。亜美のものだった長い脚を自慢げに組んで、プリーツスカートから伸びる美しい脚線を見せびらかしている。その仕草に、徹は不快な感情を抱いた。
「亜美が幸子さんの体になったせいで更年期障害になったってことは、逆に、幸子さんは亜美の体になって更年期障害が治ったんですか?」
「その可能性はあるわね。私が診てもらってるお医者様に教えてもらったんだけど、女の更年期障害は、女性ホルモンが足りなくなることで起こるらしいの」
「女性ホルモンですか。男の僕には、よくわかりませんけど」
「じゃあ、詳しく教えてあげるわ。まず、女の子は思春期を迎えたら生理が始まるの。月に一回、卵巣から卵子が飛び出してきて、しばらくしたら子宮の膜と一緒に体の外に出てくるの。苦しいし、血も出るのよ」
「生理……」
 徹は表情を硬くした。まさか電車の中で女性の体の仕組みを教えてもらうことになるとは思いもしなかった。徹とは反対に、幸子は饒舌だった。中年女性に特有の図々しさが感じられた。混雑とは無縁の空いた車内で、幸子は恥ずかしがることもなく話を続ける。
「生理は女が妊娠して赤ちゃんを産むためのものでもあるけど、同時に体の機能の調節もしているらしいの。卵巣が分泌する女性ホルモンがうまく働いて、調節してくれているんですって。だけど、閉経して生理がなくなると、その調節ができなくなって更年期障害になるのよ」
「ヘイケイって何ですか?」
「閉経っていうのはね、歳をとって排卵が無くなってしまうことよ。閉経すると、もう妊娠できなくなるの。私も数年前に閉経しちゃって、それからよ。更年期障害になって、婦人科に通うようになったのは」
 生々しい幸子の話に、初心な徹はどう反応していいかわからなかった。そういえば以前、幸子よりも少し年下の徹の母親が、「私もそろそろ更年期ね」と話していたことを思い出した。そのときは大して興味も無く、聞き逃してしまったのだが。
「今の亜美ちゃんの体は、ホルモンバランスが崩れてしまっているのよ。私はいつものことだから慣れてるけど、亜美ちゃんは突然私の体と入れ替わってしまったんだから、気分が悪くなっても仕方が無いわね。私の家に着いたら、婦人科で処方してもらった薬をあげる。それで少しは良くなると思うわ」
 治るわけじゃないけどね、と聞いて、徹は絶句した。高校三年生の亜美が、両親よりも年上の中年女の更年期障害を引き継いでしまったのだと知らされて、平常心を保っていられなかった。早く亜美の体を元に戻してやらねばならないと、改めて思い知らされた。
 動揺する徹とは対照的に、幸子は涼しい顔だ。白いセーラー服の上から自分の腹を撫でて笑い声をあげた。
「さっきの話だけれど、亜美ちゃんが更年期障害になった代わりに、私はとっても調子が良くなったわ。亜美ちゃんの卵巣が女性ホルモンをたくさん作って、私の体調を整えてくれているのね。ご飯はたくさん食べられるし、更年期障害にも悩まされないし、本当に若いっていいわねえ」
「やめて下さい。亜美はこんなに苦しんでるのに」
 得意げに語る幸子に、徹は抗議の声をあげた。大事な友達の身体が、こんな図々しい中年女に奪われてしまったのかと思うと、気が滅入ってしまいそうだった。
「あら、ごめんなさい。私ったら、つい調子に乗っちゃって」
 幸子は詫びたが、顔がマスクに隠れていることもあって、あまり反省しているようには見えなかった。ひょっとしたら、幸子はこの入れ替わりを楽しんでいるのではないかと疑念を抱いた。よく考えてみると、亜美は幸子の体になって苦しんでいるが、幸子にとってはいいこと尽くめだ。若くて美しく、健やかな少女の体になったのだから。
 亜美に対しては、「おばさんが亜美ちゃんを元の体に戻してあげる」と言っているものの、本当に幸子は元に戻りたいと思っているのだろうか。このまま二人が元の体に戻れなければ、亜美の体は幸子のものになってしまうのだ。たとえ顔は小皺の隠せない中年女のままであっても、首から下が魅力的な若い体になることが嫌なはずはない。
 亜美の体が、この女に持ち逃げされるかもしれない。徹は密かに危機感を持った。亜美が何を訴えたところで、首が挿げ替わるなどという出鱈目な話を、第三者に信じてもらえる保証はないのだ。幸子が妙なことを企まないよう、徹としては注意を払っておくべきだった。
 それからしばらく幸子が一方的に喋る世間話が続き、電車はようやく目的の駅に到着した。この郊外の駅前に建っているマンションが、幸子の家なのだという。
「さあ、入ってちょうだい。ここの一番上がおばさんの部屋よ」
 幸子は徹と亜美をマンションのエントランスに案内すると、ようやくサングラスとマスクを外して素顔を見せた。一行はエレベーターに乗り込んだ。亜美は相変わらず具合が悪そうだったが、立って歩くことくらいはできるらしい。徹はおぼつかない足取りの幼馴染みに寄り添い、幸子についていった。
「綺麗で、いいマンションですね」
 徹がそう口にすると、幸子は「そうでもないわよ」と謙遜してみせた。
「こんな郊外だし、せいぜい駅が近いってことくらいしか、いいところはないわ。私が持ってる不動産の中じゃ、まだ新しい方だけどね」
「え? 不動産……」
「ええ、そうよ。このマンションは一棟全部が私のものなの。一番上が私の部屋で、残りは賃貸に使ってるのよ」
 戸惑う徹を振り返り、幸子は言った。彼女の話によると、幸子はこのマンションと同様の不動産をいくつも所有しているそうだ。途方も無い話を聞かされ、徹は呆けるしかない。
「お金持ちなんですね。幸子さんは」
「全部、夫の資産よ。私が稼いだわけじゃないわ。さあ、上がってちょうだい」
 最上階でエレベーターを降り、幸子は自室のドアを開けた。このマンションは上層ほどフロア面積が小さくなっており、最上階は幸子の部屋しかないらしい。清潔で広い家だと徹は思った。リビングの大きなソファを勧められ、徹と亜美は並んで座った。
「すごい家だなあ。ご主人と二人で暮らしてるんですか? それともお子さんがいるとか」
 出されたコーヒーを味わいながら、徹は訊ねた。豆の良し悪しは彼にはわからないが、おそらく上質で素晴らしいコーヒーなのだろうと思った。
「いいえ、夫はしばらく前に死んだわ。独りになって、ここに引っ越してきたの。前の家は随分と広かったから」
「そうだったんですか。ごめんなさい。失礼なことを訊いちゃって……」
 徹は恐縮し、未亡人である幸子に詫びた。
「気にしなくてもいいの。あの人のことは好きだったけど、だいぶ歳が離れていたから、いつかこうなるって覚悟はしていたわ。大きな会社の経営者でね。自分が死んだあと私が不自由しなくていいようにって、たくさんお金を遺してくれたの。だから、今は気楽な独り身よ。子供もいないしね」
「はあ……」
 そういうものかと思案して、またコーヒーを一口すすった。隣では、亜美がソファにもたれて徹と幸子の会話に耳を傾けていた。
「亜美ちゃん、これ、更年期障害の薬だから飲んでおきなさい。飲んだら、あっちの部屋で一緒に着替えましょうか。徹君はここで待っててね」
「はい、わかりました」
 茶菓子をつまみながら、徹は幸子と亜美の身支度を待った。しばらくして、亜美が幸子に連れられて戻ってきた。どちらも服を着替えていた。
 亜美は白のブラウスと青いフレアスカートという、落ち着いたコーディネイト。幸子は黒いシャツの上から青のワンピースを着用していた。
「やっぱりダメね。私の服じゃ、ちょっとサイズが合わないみたい」
 と、幸子。ゆったりしたデザインの服だが、身長や体型の差は隠しきれていなかった。特に丈が短い。「このカラダに合う服を買ってこないといけないわね」と幸子は苦笑していた。
「わざわざ買いに行くんですか? サイズが合う服なら、あたしの家にありますけど」
「だって、おばさんと亜美ちゃんのカラダ、いつ元に戻れるかわからないじゃない? 今すぐ元に戻れるなら服を買う必要はないけど、しばらくこのままでいるのなら、新しい服は必要よ。亜美ちゃんの服はこのカラダにぴったりでしょうけど、おばさんの顔には合わないだろうし、逆におばさんの服は亜美ちゃんみたいな可愛い子には似合わないわ。だから買いに行かないといけないの」
「そうですか。確かに似合わないかもしれませんね。ああ、早く元に戻りたい……」
 亜美は自分よりも身長の高くなった幸子を見上げ、ため息をついた。
「さて、着替えは済んだし、亜美ちゃんはお薬を飲んだし、これからどうしようかしら。またあの電車に乗って、犯人を捜しに行く?」
「そうしたいです。早く犯人を捕まえて、元の体に戻してもらわないと」
 亜美は力強い声で答えた。薬を飲んだためか、少しは元気になったようだ。そんな幼馴染みの姿を見て、徹も嬉しくなった。
「じゃあ、犯人を捜すついでに、新しい服を買いに行きましょうか。お金は全部おばさんが出すから、心配しなくていいわよ。徹君も欲しいものがあったら、何でも買ってあげる」
「はあ、ありがとうございます」
 相変わらず上機嫌の幸子に、徹は作り笑いで返した。亜美が元気になったのは喜ばしいことだが、入れ替わった二人の体が元に戻ったわけではない。速やかにあのときの少年を見つけ出し、亜美の体を元に戻してもらわねばならなかった。
(待ってて、亜美。僕が必ず元の体に戻してあげるから)
 拳を固く握りしめて、胸中で誓いを立てる徹。再びあの電車に乗り込むべく、彼は亜美の手を引いて幸子のマンションを後にしたのだった。


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